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| 在日朝鮮人教育の実践に取り組む中で、私たちはこれまで多くの人々に出会い、多くのものを学んできました。特に在日1世の人々の話は心に深く残るものとなりました。理不尽な強制連行でむりやり日本に連れてこられ、劣悪な環境で働かされ、さらには命まで失っていった多くの人々のことを忘れることはできません。 しかも、こうした植民地支配による被害に対してまともな戦後補償をおこたったために、韓国・朝鮮を「近くて遠い国」としてしまった我が日本、そして日本人としての私たちの責任をもう一度考えざるをえません。そこで私たちは実際に韓国を訪れて、日本と朝鮮半島の歴史をじかに学びたいと考え、この旅を実施してきました。 第1・2回は韓国南端の釜山から慶州・ソウルへと北上し、植民地支配の跡地や韓国の文化的な史跡などを見学したり話を聞いてきたりしました。また、韓国の学校を訪問して交流を行うこともできました。 第3回は趣向を変え、朝鮮通信史の足跡を国内の壱岐・対馬でたどることにしました。雨森芳洲らの尽力によって日本と朝鮮の関係の修復が図られていきましたが、「互いに欺かず争わず、真実を以の交りを」という芳洲の言葉は現在にこそかみしめなくてはならない言葉でしょう。 第4回は近代日本の植民地支配のお手本となった、豊臣秀吉の朝鮮侵略の跡地を訪ねてみました。蔚山城や李舜臣の像のある釜山の竜頭山公園を中心に訪問しました。また、この年は大田EXPOが開催され、ビザがいらなくなりました。 第5〜7回は「歴史と文化を訪ねる旅」シリーズでした。第5回には百済の古都・扶余を、第6回は取り壊し直前の旧朝鮮総督府を、第7回は集団虐殺のあった堤岩里教会を訪問しました。 第8回は再び倭乱の跡を訪ねました。特に、朝鮮の文化を尊敬し朝鮮に帰化した日本武将「沙也可」の眠る友鹿洞の訪問は、短い時間ながら心に残る訪問となりました。また、釜山でシリーズ初の1日自由行動を行い、それぞれがいろんな体験を積むことができました。 第9回は友鹿洞の再訪、当地での「大分・考える会」との交流、柳寛順の生家訪問のほか、ソウル6時間自由行動を行いました。夕立にもめげず、各自思い思いの時間を過ごせました。 これらの旅を通じて、慶州ナザレ園は毎回訪問し、おばあさんたちと交流を続けています。 第10回は前回好評であったソウル自由行動を実施して植民地時代の様々な出来事の現地に立つことが出来ました。日本の朝鮮侵略の第一歩となった江華島を訪問を予定しました。 江華島は日本が軍艦を派遣して意図的に挑発、交戦し、朝鮮に日朝修好条規(江華島条約)という不平等条約を強要した事件のあった場所です。ただ、当日は豪雨直撃のため訪ねることが出来ませんでした。 |
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| 第1回 「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅1」 1990.3.24〜27 釜山・慶州・ソウル 第2回 「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅2」 1991.3.24〜28 釜山・慶州・ソウル 第3回 「朝鮮通信史の足跡を訪ねる旅」 1992.3.26〜28 壱岐・対馬 第4回 「壬辰倭乱の跡を訪ねる旅1」 1993.8.16〜19 釜山・慶州・蔚山・大田 第5回 「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅3」 1994.8. 4〜 7 釜山・慶州・扶余・ソウル 第6回 「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅4」 1995.8. 9〜12 釜山・慶州・ソウル 第7回 「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅5」 1996.8. 1〜 4 ソウル・堤岩里・慶州・釜山 第8回 「壬辰倭乱の跡を訪ねる旅2」 1997.8. 4〜 7 釜山・友鹿洞・慶州・蔚山 第9回 「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅6」 1998.7.31〜8.3 釜山・慶州・友鹿洞・ソウル 第10回「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅7」 1999.7.31〜8.3 釜山・慶州・・ソウル 第11回「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅8」 2000年 第12回「朝鮮半島の歴史と文化を訪ねる旅9」 2001年8月9日〜12日 釜山・慶州・・ソウル |
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