チョット見せます--私生活--チャレンジ

 私の場合は、インターネット検定にチャレンジする目的は、自分自身のスキルアップはもちろんですが、CAVAの資格にチャレンジして自宅でサポート業務をしたいと思ったことからでした。
 また本職も忙しく事務所を空けることが出来ない、などの理由から自宅で出来る仕事を探しておりました。
 仕事を2つ持つのが長年の目標でした。。。。午前中はこちらの仕事、午後から頭を切り替えて。。。などと出来れば良いな〜と思っておりました。

ちょこっと前置き
テキスタイルデザインの仕事は30年以上続けておりますが、父が織物業を営んでおりました関係から物心ついたころから「機の音=はたのおと」を聞いて育ちました関係上、学校もまた最初の就職も「糸へん」に関係した会社でした。
 技術部に配属されました関係上、終業時間が早く(8:00〜16:30)終業後の時間を有意義に過ごしたいと思い夜間のデザイン学校に通いはじめたのがこの道に入ったきっかけでした。
 いつかは独立したいと思いつつ卒業と同時に退社して本格的にこの道での修行が始まりました。
 就職したのがローケツ染めの個人企業でした。主人は「版画家」との2足わらじを。。。。。。。来る日も来る日も熱い鍋を隣において(手書きローケツ染めのためロウを電熱器にかけて溶かし一定の温度に保ちます。)あぐらをかきながら終日筆を動かしておりました。
 夏場の熱い時に電気コンロを横においての仕事は結構辛いものがありましたが、出来上がりを想像し、またこれを身に付けてくれるであろう美人を想像するとき、わくわくしながら筆を動かしておりました。
 4年間続きました。
 将来、着尺(和服)の仕事で生計をたてるか?アパレル関係の仕事で生計をたてるか?選択の最終段階に(年齢的に)来ておりました。
 また其のころにテキスタイルデザイン事務所から誘いを受けておりました。
 「テキスタイルデザインの道で行こう」と決断。其の時26歳、
 当時はこの業界でも徒弟制度なるものが残っておりました。
 それゆえこの道で独立するには年令的にまた勤め先などに無理あると某先生から諭されました。
また、就職しようとした事務所の主人も洋画の作家活動とテキスタイルとの二足わらじでした。
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  ロ−ケツ染めの時は筆一本でしたが、テキスタイルデザインではいろいろな道具などを使い創作しました。烏口のコンパス、定規、デバイダー、金網からブラシ、スポンジ、つまようじまで創作に必要なものなら何でも使いました。
 地模様に網目を入れたいような場合など網をおいて上からコンプレッサーで吹き付け網をのけると上手く編み目だけがのこっているというように。。。其の上に花などを書き込んでいくとか。。。。いろいろな方法使いました。また研究もしました。
 いろいろなスポンジに色をつけてタタキながらぼかしていくとスポンジの目の荒さによって面白い効果がでます。などなど。。。。また高価な着尺と違って紙に描くのですから失敗してもやり直しがききましたので其の分、気楽にいろいろとチャレンジ出来ました。
 生活は苦しかったけれど非常に充実した楽しい日々だったようにおもいます。

 4年経った某日、経営者より「作家活動(油絵)を本職にしたいので事務所を閉鎖する」との通告を受けました。其の時、事務所に残っていたのは私1人でした(最初から3人しかおりませんでしたけど(笑い)
 最後の2年間は1人でした)そのような関係で私にはテキスタイルデザインで先生と呼べる人はいないことになります。
(経営者は洋画では知人も多くまた個展なども開いておられましたが、図案の世界では無名でまたテキスタイルデザインはサイドビジネスとしか考えてなかったようです、ので、あえてテキスタイルでの先生に支えた事がないと言うことです。経営者は了承済です。)

まだまだ此の業界では徒弟制度なるものが残っている時代でしたので新しい会社をたづねると、聞かれることが。。。
 『なに先生の元で修行したか?。。。何番弟子ですか?』とか、この業界の難しさを知りました。
 (当時、図案家協会には数百人の会員が名を連ねておられました。。。。)
また、仕事においても先生なり先輩弟子の了解を得ないと決められないこともあるとか聞きましたので、
(先生をさておいて新規の開拓とか出来ず、開拓においてもまた仕事においてもいろいろ相談せねがならず、また仕事も先生から回してもらうような状態のところが多かったように思います。(要は先生の仕事の下請けですねえ。。。)
 そのような古い風習の残っている会社はご遠慮申し上げて自分の人脈と度胸をたよりに新しい所に飛び込みました。
 結果、最初に入社した会社を訪ねると快く迎えてくれました、退社してから12年が経っておりました、また入社当時の上司が重要なポストについておられ快くデザイン課を紹介していただき、以後ながく仕事をさせていただきました。
 現在でも当時の方々にいろいろお世話になり、またみんさんのお集りの会合にも出席させていただいております。
 優良会社の社長を勤められた方も数名おられます、未だに会合にお誘いいただけることは誠に嬉しく励みになります。つねづね感謝しております。ちよっと横道にそれてますが。。
一つの会社で仕事が出来れば、其の繋がりからつぎつぎと得意先も増え、また別の仕事までもが舞い込んでくるようになりました。
 一人ではこなしきれず何人かのスタッフを入れました。
 優良上場企業の嘱託も2社八年弱経験しました。
 気がつけば独立してから此の仕事を30年間続けていることになります。最初の会社が4年。
 友禅/ろうけつ染め4年。テキスタイル事務所勤務4年その後、独立して現在まで同じ仕事をしてきたことになります。  
 最初はオリンピックが来るたびに仕事が変っていたのでオリンピックが来るたびにドキドキしたのを覚えております。
 ここしばらくはそのドキドキ感から遠ざかっておりますが、きりのよい30年目、また60歳で、また偶然にもオリンピックの年に新たにチャレンジする為の下準備として見つけて計画したインターネット検定でした。
 合格したのが2002/12月(第4回)順調に事が運べば2004年のオリンピックにまにあう。と思いつつチャレンジ。。。。。
続く。。。。。

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