葦書房

葦書房有限会社
福岡市中央区六本松3丁目16-33
向陽ビル501号 (〒810-0044)
TEL092-761-2895 FAX092-761-2836
ashi@gold.ocn.ne.jp
  

 

朝日新聞を提訴
2012/1/18 1/20↓

1月20日に追記してアップしたところ、前文がすべて消えてしまいました。枠取りしていましたので、その部分が何かの拍子に選択されて消えたのかも知れません。そこで、裁判資料とは区別するためにも、枠をはずして直接書きこむことにしました。

本裁判はちょうど1年前の昨年1月25日に、当社が朝日新聞社に対して、福岡地裁に名誉毀損による損害賠償請求を求めて提訴したものです。朝日新聞の夕刊に掲載されていた「ニッポン人脈記 わが町で本を出す」というシリーズ記事の2回目、平成20年1月28日付け記事で、久本三多と当社葦書房が取り上げられていましたが、この記事はウソ八百の捏造記事で埋め尽されていました。この捏造記事による名誉毀損裁判を起こしたのですが、事前に公開するのは当社にはプラスにはならないと感じておりましたので、以前のようには公開せずに裁判をつづけてきました。判決は、昨年9月6日、事務所の移転渦中にありました。わたしはこれまで9件の裁判を経験しておりますが、判決に出廷しなかったのは本裁判だけです。判決は当社の敗訴でした。

敗訴判決にはいつも不服を感じずにはいられませんが、本裁判では敗訴しても控訴しないと決めておりました。というのは、ウソ八百の捏造記事でいくら三多の名誉が毀損されても、法人としての葦書房有限会社の名誉を毀損したとは見なされないらしいと分かったからです。わたしは事実であるという朝日新聞の主張が事実でないことを証明するために、朝日新聞に対してその証拠を提出することを求めましたが、無視されたまま。そこでわたしは裁判官にまず口頭で、石牟礼道子、西俊明、三原浩良の3氏を共同被告に加えるための訴えの変更をしたい旨申し出ましたが、裁判官は裁判が長くなるから共同被告の追加は認められない。訴えるなら別の裁判で訴えるようにと言われました。ぞれならばと、せめて3氏の証人尋問をしたいと思い、証人申請をしましたが、こちらも認められませんでした。

ということは本裁判では記事が事実であるか否かは、さして重要な問題だとは見なされていないらしいと考えざるをえない成行きで裁判が進みましたので、何らかの形で3氏を個人的に訴えたいと裁判中から考えていました。3氏を訴えた裁判が終わるまでは本裁判は公開しないことにしていましたが、移転の整理に手間取ったこともあり、また次々続く裁判にいささか疲れたこともあり、新しく裁判を起こす気力も出てきませんでした。さらには、裁判中は停止していた時効も、判決確定後は即カウントが始まることも分かり、3氏の提訴は中止することにしました。

そこで一年遅れではありますが、本日公開することといたしました。わたしの年齢を考えると何時何があっても不思議はありませんが、これほどひどい捏造記事を放置したままあの世に旅立つことなどとうてい我慢はできませんし、3氏の中でもっともご高齢の石牟礼道子氏がご健在のうちに、是が非でもこの記事が捏造であることを広く世界中に向かって訴えたいとの思いも日々強くなって参りました。合わせて、巨大新聞はウソ八百を並べ立てた捏造記事を書いても何ら責任を問われないとした、敗訴判決の不当さをも広く世に訴えたいと、ここに裁判資料を公開することにいたしました。

ただ、公開を決めたつい先日、気がついたのですが、判決文が見つかりません。移転渦中に判決文を受取ったのでファイルできなかったのですが、大事なものですのでどこかになおしているはずです。判決文は見つかり次第公開いたします。ちなみに本裁判では途中で裁判官が交代しています。よくあることなのかどうか。わたしが経験した9件の裁判の中で、裁判官の途中交代は初体験です。

詳細は、以下に掲載します裁判資料をご覧いただきたいと思いますが、まずは甲第1号証と甲第2号証をご紹介しました後、訴状などを掲載いたします。(2012/1/18 書き直し1/20 久本福子)

 

 

 

 

 

甲2号証として提出した「いわゆる地域主義について」の鮮明な画像は以下でご覧ください。

久本三多著「いわゆる地域主義について」 

 

訴状

平成23年1月25日

福岡地方裁判所 民事部御中

原告代表者 久本福子

〒810ー0023 福岡市中央区警固二丁目2番11号シャンボール警固202号
原告 葦書房有限会社
同代表者 久本福子
電話 092ー761ー2895 
FAX 092ー761ー2836

〒530ー0005 大阪市北区中之島三丁目2番4号
被告 株式会社朝日新聞社
同代表者代表取締役 秋山耿太郎

名誉毀損損害賠償事件
訴訟物の価額 160万円
貼用印紙 1万3000円
予納郵券 6000円

請求の趣旨

1 被告は原告に対し、金140万円及びこれに対する平成20年1月28日から支払い済みまで、年5分の割合による金員を支払え。

2 被告は原告の名誉を毀損したことに対し、被告発行の朝日新聞朝刊紙上に、別紙のとおり、謝罪広告を掲載せよ。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言を求める。

請求の原因

第1 捏造記事による名誉毀損

1 被告は被告発行の朝日新聞の平成20年1月28日付け夕刊において、「ニッポン人脈記 わが町で本を出す2」という記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。(甲1)

2 本件記事は、原告の創業者久本三多(以下「三多」という。)を取上げたものであるが、甲1に付した傍線1ないし8は全て事実に反した捏造記事である。

3 三多及び原告は、本件記事における捏造記事により、著しく名誉を毀損された。よって原告は被告の不法行為に対して、民法第709条、710条、723条により損害賠償並びに被告発行の朝日新聞朝刊紙上への謝罪広告の掲載を請求する。

第2 捏造記事の事実

1 甲1の傍線1「出版はラーメン屋と同じだ。ラーメンに中央も地方もあるか」は、事実を歪曲した捏造記事である。

2 三多が甲1の傍線1に似た発言をしたことは事実であるが、まさに似て非なるもの。事実は甲2のとおりである。甲2は、昭和56年3月20日に無明舎から刊行された「「地方」出版論」(以下「地方出版論」という。)に掲載された「いわゆる地域主義について」と題して三多が書いた文章である。全17頁に及ぶ長文なので、ポイントとなる箇所にAないしLとして傍線を付した。

3 甲2には、出版をラーメン屋に喩えた箇所が2ケ所ある。傍線AとBであるが、本文を読めば、三多が出版をラーメン屋に喩えたのは、甲1の傍線1のように「ラーメンに中央も地方もあるか」と単純、粗雑に、地方出版のもつ地方性を否定することを意図したものではないことは明らかである。

4 それどころか三多は、甲2の最後に記した結語部の傍線Lにおいて、「そのような位相で地方をとらえるとき、出版における地方も中央もなかろうというのが、私の考えである。そしてそのような位相においてのみ、私は「地方」に執着する。」と、むしろ「地方」に執着するとさえ宣言している。ただし三多が執着すると宣言した地方は、「」付きで表記された「地方」である。実はこの「」付き「地方」という表記にこそ、三多の地方出版論甲2の全てが凝縮されている。以下、三多が執着すると宣言した「地方」が何を意味するのか、甲2を遡行しながら明らかにする。

5 まず、三多が否定するのは、タイトルにあるように「いわゆる地域主義」的な地方出版讃歌である。甲2の傍線A「福岡市という地方都市で始めたということには、それ自体特別な意味はない。また私自身にも、そのことにある種の地方主義的な、あるいは地域主義的な含意をこめようとなどという状況論敵な発想はまったくない。」という三多の主張は、地方にある出版社というだけで価値ありとするような、安易な地方讃美に傾斜しがちな地方主義的、地域主義的な意味付けや価値付けを否定しているのである。

6 出版事業者として三多が依拠する立場は、甲2の傍線A「限定された一個の事業としての出版業」の本質を問うところにある。傍線Aの「ラーメン屋がラーメンをつくるように、出版社は本を作っている」という一文は、三多が依拠する出版業の本質について、身近なラーメン屋を例に分かりやすく語ったものである。趣味道楽で出版をやるのではなく、他業種と同様に一個の事業として出版をやるのであれば、地方であれ、中央であれ、問われるべきは事業の中身、事業の質だということである。ラーメン屋が味に無頓着にラーメンを作っていたのでは、商売は成り立たない。出版も全く同様であり、如何なる本を出版するのか、出版する本そのものの質こそが問われるべきだというのが、「いわゆる地方主義」を否定する三多の主張である。甲2の傍線Bは同Aを再度確認したものである。

7 同傍線Cは、三多が示唆を受けた渡辺京二氏の文章であるが、AもBもCも、その主張するところは、中央であれ、地方であれ、問われるべきは本質的な仕事であるか否か、この一点にしかないというということである。地方そのものを単純に否定しているのではない。三多はむしろ、地方で出版することに対しては非常に自覚的である。

8 傍線Dは、地方出版の基盤となる、地方の現代的な変質とその意味を明らかにした文章である。「かつて地方が中央との対比的な関係のなかで状況的にもちえた全体性・完結性・絶対性は、今や部分性・補完性・相対性によってとってかわられたといってよい。それが新しく登場した地域というものが指示しているベクトルである。」とは、簡潔にいえば、中央との関係において、かつては全体的、完結的、絶対的でありえた地方のもつ異質性が薄れ、中央に対して部分的、補完的、相対的でしかない地域へと変質したということである。

9 こうした状況を中央による地方破壊ととるならば、出版も、地方を守れという中央に対する対抗的な文化運動にならざるをえないが、三多はそうした「いわゆる地域主義」や運動論的立場は峻拒した。それ単独で完結的であった地方が、部分的でしかない地域へと変質したのは、「地域社会は本来的にそこを目指し、そこへ向けて展開してきたというべきであろう。そして現在の地域社会はその理念態へ向けて成熟を遂げつつある、ということである。」と、三多は冷静に分析している。地方から地域への変質は、いわば歴史的必然である。であるならば、この動きそのものに対抗することは全く無意味である。

10 しかし三多はこの歴史的必然をただ無抵抗に受け入れたわけではない。中央と地域がほとんどフラットな関係になった現代、中央の出版社も地域的出版分野にも進出してきている。地方出版にとっては脅威であるが、中央が地方まで荒らしにきてけしからんと、地域主義的、運動論的に批判しても全く無意味である。三多は傍線F「たとえ敵が東京の大手版元であろうとも、地の利でまかしさえすればよい。勝敗だけがすべてで、それ以外には何もいうべき言葉はない。」と、闘う根拠を明確に語っている。地方出版の地方性を最大限活かして、地の利を活かした本の中身で、中央資本に対抗するだけだとの主張である。

11 また傍線Gでは「この種の出版物(原告注・地域的出版物)は何も全国に流通させる必要はないわけで、地域の出版社が流通・制作上のネックとひきかえに得ている、いわば地域的役得のひとつと称してもよい。」と、三多はむしろ地方出版の、中央との対比で指摘されるマイナス要因を地方出版社の「役得」つまりは優位性だとして、地方出版の地方性を積極的に評価してさえいる。

12 しかし三多の地方出版のもつ地方性へのこだわりは、地理的な特性にのみ留まってはいない。出版事業として地方が内包する本質的な特性の解明へと、さらに思考の深度を深めていく。三多が目指す本質的な仕事の方向性はまず傍線Eで示されている。すなわち「いかに偏奇的であれ、いかに偏執的であれ、そしていかに小さな世界を相手どったにせよ、思想というもののもつ固有の性格は、全体的かつ普遍的な表現の位相を目ざしているのである。」ということである。言い換えるならば、地方なら地方という極小の地点から、普遍へと達するような出版物の出版を目指しているということである。

13 傍線Hでは、「だが一般論としての地方出版ではなく、地方的世界のもつ特殊性がいかにして表現のうえで一個の普遍性を達成しうるかというその仕方には、つきせぬ魅惑的なテーマが隠されているように思う。そこでは地方的なものは、たんに中央を補完するだけの副次的な部分ではない。いわば地方的な特殊性がそれ自体ふかぶかとした実在感をたたえているような普遍的な世界である。そしてそのような視点に立ったときはじめて、地域社会的文脈によって擬装された地域性といものの、ある虚構的な位相もよく見えてくるのではないかと思う。」と、さらに明確に、地方出版社として三多の依拠する「地方」の特性が示されている。

三多の依拠する「地方」の特性とは、地方的な特殊性が特殊であるがゆえに持ちえた、豊穣さと普遍性へと突き抜ける深くて広大な世界を意味している。

14 傍線H は、中央には存在しえない地方的な特殊性が、特殊であるがゆえに持ちえた豊穣で普遍的な世界を内包する、魅惑に満ちた場であると、地方の地方性を特権的に讃えたものであり、 傍線I、J、Kは、傍線Hを具現化した山本作兵衛翁の作品世界を解析しつつ、地方の特殊性がその特殊性ゆえに普遍性を獲得するに至った、その秘密を余す所なく明らかにしたものである。

15 傍線J「炭坑社会というのは、近代日本における最も特殊な地方的空間といってよい。中心から最もとおく暗い一点、それが炭坑である。翁の絵は、この特殊な地方的空間の只中から生み出された稀有の表現世界である。部分的な現実を記録すると見せかけて、その実それらの絵は現実という闇をはるかに突きぬけ、突きぬけていった先に、光の王国とでもよぶべき壮大な表現世界を展開してみせているのである。おそらくこれらの絵が達成しているものを「普遍性」とよぶことに誰も異論はなかろう。そこでは地方的なものそのものもその特殊な在り方も、それ自体、豊穣な海の実在感をたたえている。」とは、地方的な特殊性がその特殊性ゆえに、万人の胸を揺さぶらずにはいない普遍的で魅惑に満ちた世界を生み出しえたことを、一人の老画家を通して証明したものである。

16 傍線K「山本作兵衛の絵によって導かれる世界は、今日の地域社会という位相においてとらえられた地方ではない。それと同様の意味において、かつての中央対地方という対比的な状況のなかで顕われた地方でもない。私は、それを、地域社会・地域住民という虚構的な在りかたとは別に、民衆の意識の深層に根ざしつつ、大地というものによって媒介された人々の意識の空間的な拡がり、というふうに理解する。いわば、生きていくうえで、どうしようもなく大地というものに執着せざるをえない人々の意識の基層部分によって感情移入された大地とでもいったらいいだろうか。地方的なものをそのように理解するとすれば、人類の意識にとって地方的なものは普遍的であろう。あるいは、あらゆる表現において地方的な意識をまとわない表現はありえなかろう。」、ここには、地方的なもの、地方的な特殊性がなぜそれゆえに普遍性をもちうるのか、その根源的な問いへの解が、すなわち三多が執着すると宣言した「地方」の実相が明らかにされている。

17 三多が執着すると宣言した「地方」とは、人の生存を根源において支えてきた生命の源としての大地と、その大地を媒介にした人々の暮らしの在りようの一切を包含する世界の 全てだということである。極小の世界としての地方的なものと、全人類を貫く普遍的な世界とが一つに合一する、特権的な場としての「地方」である。その特権的な「地方」を発見した、三多の深い感動が行間に満ちあふれた文章である。また、ここで明らかにされた「地方」の実相とは、傍線Lにおいて2度繰り返し登場する、「そういう位相」が意味するものと全く同義であることはいうまでもない。

18 傍線Kを受けて傍線Lを読み返すならば、次のようになる。

地方を、大地を媒介にして営々と受け継がれてきた、人の生存の歴史の根源にまで降り立ってとらえるならば、「出版における地方も中央もなかろうというのが、私の考えである。」そして、地方を、大地を媒介にして営々と受け継がれてきた、人の生存の歴史の根源にまで降り立ってとらえるときのみ、「私は「地方」に執着する。」と。

19 以上、甲2から明らかなように、三多は「出版はラーメン屋と同じだ。ラーメンに中央も地方もあるか」と、粗雑、下品に語ったことは一度たりともない。三多が出版をラーメン屋を例にして語ったものは、甲2以外にはない。甲2の傍線Aや傍線Bの中から、前後の文脈を無視して、仮に「出版はラーメン屋と同じだ。」と粗雑に抽出することがありうるとしても、三多は単純、粗雑に「出版に中央も地方もあるか」と、「「地方出版」というくくり方に異を唱えた」わけではない。三多は甲2の最後に「私は「地方」に執着する。」とさえ宣言しているのである。三多の主張が、この傍線Lの最後の結語部に凝縮されていることは、日本語を読む能力のある人ならば誰もが理解できるはずである。

20 「私は「地方」に執着する。」とは、三多の出版人としての覚悟を表明したものであるが、この結語にある「地方」とは、重層的で奥行の深い地方的世界を意味している。これほど深い思想的な営みの中で、現代における「地方」のもつ意味を、これほど厳しくかつ豊穣に解析した例は三多以外にないと断言できる。作家や評論家や学者にはもとより、哲学者にもいない。甲2の三多の論考は、それほど深い思索の産物である。そしてこの論考甲2を素直に読めば、「出版における地方も中央もなかろう」という三多の言い分は、歴史の風雪に晒さらされてもなお絶えぬ、根源的な「地方」の魅惑的な力を、鮮烈に浮上させるためのものであることは誰の目にも明らかである。三多はこの「地方」を相手に出版事業をするこに「執着する」、つまりは全存在をかけると、甲2の結語として宣言したのである。

21 しかし被告は、甲2の三多の出版論を読まずに、つまりはきちんと取材をせずに、三多があたかも地方も中央も違いはないとして、地方で出版をすることに全く何の意義も感じていないかのような、事実に反した捏造記事甲1を書いた。のみならず被告は、被告のこの捏造記事を強烈に読者にアピールすべく、「中央も地方もあるか」と大見出しで表示するという、悪辣な作意までをも加えている。甲1の捏造記事は、地方の出版社であるがゆえに可能であった三多と原告の数々の業績を否定し、三多と原告の名誉を著しく毀損するものであることは明白である。

 

22 甲1の傍線2「「年末になると、ヒョッコと現れ、うちに居座るの。」そう話すのは『苦界浄土』で水俣病を告発した作家石牟礼道子(80)。「何しに来たのと聞いても『へへへ』って。それで2、3日泊まっていく。後から考えると。あれは借金取りから逃げてたのね。」」とあるが、かかる事実はない。余りにも低劣な捏造記事である。三多は福子と離婚後も、正月元旦は必ず福子と子供たち3人が暮らしている福岡市南区皿山4丁目12番17号の自宅で迎えた。

23 甲1の傍線3「(原告注・久本は)筆者とテーマをさがして九州をくまなく歩いた。」とあるが、かかる事実はない。三多は九州各地を歩いたことはあるが、それは書店回りの営業活動としてである。

24 甲1の傍線4「78年に入社した西俊明(59)が久本から最初に教わったのは、打ち合わせのコーヒー代を相手に払わせる手管だった。」とあるが、かかる事実はない。三多は卑しさとは最も無縁の人間である。また、西俊明が原告に入社した年は78年ではない。西が原告に入社したのは、1977年4月1日である。

25 甲1の傍線5「久本は「水俣病を告発する会」の事務局を社内においた。九州の知識人や運動家の拠点になる。ここから何冊も本を出した石牟礼」とあるが、かかる事実はない。三多は水俣病を告発する運動を支援していたが、出版は文化運動や政治運動ではなく、「ラーメン屋と同じ」一個の事業であると考えており、出版と運動とは明確に分けていたことは甲2からも明らかである。従って「ここから何冊も本を出した石牟礼」も大ウソである。

石牟礼氏も執筆者の一人として名を連らねる「水俣病を告発する会」編の本を出版したことはあるが、同会の事務局を社内においたことは一度たりともない。「水俣病を告発する会」は熊本市内に事務局を置いて活動を続けている団体である。石牟礼氏の本は全て原告葦書房から出版したものである。

26 甲1の傍線6「評論家渡辺京二(77)にものを言うときはいつもグデングデン。そばにいた石牟礼は「肩に取り縋って、甘えて。このまま心中しちゃうんじゃないかと思うぐらい。」とあるが、かかる事実はない。これも余りにも低劣な捏造記事である。

27 甲1の傍線7「(原告注・三原の)保証額は数百万円から、やがて数千万円にふくらんだ」とあるが、かかる事実はない。三原氏の保証額は500万円を超えたことはない。

28 以上の甲1の傍線2ないし7は、傍線3を除けば、三多がいかにも粗雑でだらしのない、卑しい人間であるかのような印象を与えずにはいない捏造記事である。被告は甲1の傍線1において、出版人としての基本的な姿勢において、事実に反した捏造をすることで三多の名誉を毀損する一方、傍線2ないし7では、日常的なレベルで三多の人格を貶めることを狙ったものであることは明白である。

<注> 石牟礼氏を使ってなされた捏造は余りにも下品で低劣すぎます。石牟礼氏が自らかかる捏造話をしたとは思われませんが、この捏造記事公開後も石牟礼氏は、何度も朝日新聞の大紙面記事に登場していますので、捏造記事の片棒をかつがされたことに抗議をした気配すらなく、むしろ積極的に朝日新聞の悪質な捏造に協力したものと判断せざるをえません。石牟礼氏に対して、恥を知りなさいと申し上げたい。病気や海外出張などの特別な場合を除いて、自宅で家族と一緒にお正月に迎えない夫や父親が、この世に存在するでしょうか。存在するはずはありません。しかし石牟礼氏の口を借りた捏造記事を読むと、三多は年末年始は家族と一緒に迎えずに、石牟礼氏宅で迎え、過ごしたとの誤解を世界中にばらまく結果になっています。ただただ呆れ果てた捏造だというしかありません。この捏造記事は様々な想像を惹起させずにはいないはず。それらの数々のおぞましい想像についてまでは言及しませんが、再度、恥を知りなさいと朝日新聞と石牟礼道子氏に抗議いたします。

ご夫婦仲が余りよろしくなかった石牟礼氏にとっては、家族がばらばらで新年を迎えることはさほど異様なことではないとの認識だったのかもしれませんが、それはきわめて例外的なケースであり、この捏造記事から受ける印象はきわめて異様なものであると言わざるをえません。ここまで書くつもりはなかったのですが、捏造記事の余りのひどさと、証人申請さえ拒否されたまま、当社の主張が一顧だにされず敗訴したことへの抗議の意味で書かせていただきました。

また年末になると、三多が借金取りから逃げ回るなどということもありえぬ話です。当社の借金は、銀行や国民生活金融公庫からのものばかりですので、金融機関が年末に返済を迫って債務者を追い回すなどということはありえません。そもそも年末まで債務者を追い回すなどとは、落語の世界ではありえても、現代では起こりえぬ事態であることは、わざわざ説明する必要もないほど自明のことです。にもかかわらず、三多が年末まで借金取りに追い回されたとなれば、三多はヤクザなどからのよほど筋の悪い借金をしていたのかとの、不名誉きわまりない想像すら惹起させずにはいない捏造です。ここでも再び、朝日新聞と石牟礼道子氏に、恥を知りなさいと申し上げたい。

海鳥社の西俊明氏の捏造話も、西氏が自ら捏造したものではないはずですが、この捏造記事に対して西氏が朝日新聞に抗議したのかどうか。これは不明です。(2012/1/18 久本福子)

1/20   上記の注に加えて、本日さらに書き加えさせていただきます。朝日新聞や佐野眞一氏をはじめとしたマスコミ及びその関係者が熱烈に讃美した、三原浩良氏についてです。三多は経営者保険に入っておりましたので、死亡保険金はもとより、6ヶ月近く入院していた入院給付金も支払われています。死亡保険金は会社(葦書房)に対して支払らわれていますが、入院給付金は経営者本人、つまりは三多本人に支払われることになっています。入院給付金は総額300万円近くが支払われていますが、その内、三多存命中に90万円が支払われていますので、これは三多本人が受取っています。しかし残りの200万円近くは三多の死後に支払われましたので、三多本人は受取っていません。遺族にも支払われていません。古い帳簿を調べたところ、これらのお金は預り金として計上されてはいるものの、会社の経費として全額消費されてしまっています。三原氏に問い合わせたところ、会社が掛けた保険なので、入院給付金も会社が受取るのは当然だとの返事でした。ちなみに死亡保険金の方は雑収入として計上されていました。

また三多の存命中は、毎月25日には必ずわたしの銀行口座に25万円が振込まれていました。これとは別に三多は、葦書房所有のわたしたちが住んでいた皿山の自宅の家賃も、毎月葦書房に支払っていました。三多の死去前の5月25日までは、25万円がわたしの口座にきちんと振込まれていましたが、6月25日には一銭の振込もありません。当然のこととはいえ、それ以降もゼロです。そこで三原氏に問い合わたところ、三多は6月に亡くなっているので6月分は支払わないと答えました。月給制なので6月分は支払われているはずだと思いながらも、支払われていないと言われたら仕方がありません。しかしわたしが葦書房に入り、かなり時間が経った後ですが、多少は時間的余裕も出てきたので、古い経理関係の書類を探し出して調べたところ、三多の6月分の役員報酬90万円も支払われいることが分かりましたが、これらも預かり金として計上されたまま、三多が会社の近くで借りていたアパートの最後の家賃の一月分を支払った残りは、全額会社の経費として消費されています。この90万円は三多の死去前の4月に、一気に30万円も引き上げられた金額です。三多はおそらく元気であれば、自分の役員報酬だけを一気に30万円も引き上げるはずはありません。創業以来、三多は自分の給料は従業員とはさほど大きな差のない金額で設定してきたからです。しかし三多は自分の死の遠くないことを悟って、退職金などの算定の基礎額となる役員報酬を、超異例にも一気に30万円も引き上げたのだろうと思います。

しかし三多の思いも空しく、三原氏は、三多の死亡退職金と退職慰労金から800万円も差し引いて、遺族には3000万円しか支払っていません。わたしは800万円も引かれたことを三原氏に問いただしましたが、三原氏からは、800万円は出張旅費などの未処理分の合計額で、処理に困っていたので退職金から差し引いて処理したが、3000万円を超えると税金がかかるので、800万円を差し引かなくても、受け取り額は同じだと言われて納得しました。しかしかなり経ってから、3800万円でも税金はかからないことが分かりましたが、後の祭りです。

その一方三原氏は、株主であるわたしたちには全く無断で、三多の死後、即社長に就任した6月分の役員報酬から、三多が特殊な状況下で引き上げたこの90万円をそのまま引継いでいます。通常ならば、まずは60万円からスタートするはずですが、三原氏の違法もものともとしない図々しさが如実に現れています。三多の死亡保険金は約1億4000万円でした。その中から3000万円が遺族に支払われましたが、残りの1億円1000万円はとんど借金返済には使われず、会社の経費として消えてしまっています。のみならず、三原氏は在任中の8年余りの間(1994年6月〜2002年9月)に、三多が残した2倍もの大借金を残しています。三原氏解任時は約1億円もの負債が残されていました。三原氏が残したこの巨額借金の抵当に入っていた皿山の自宅も、平成18年1月に手放さざるをえなくなりました。新聞や出版物を介して流される三原評、三多評がいかに捏造に満ちたものであるかは、葦書房の経理を巡る事実一つとっても明白です。石風社の福元満治氏も、三原氏をベタベタボメしていました。(1/20 久本福子) 

29 以上のとおり、被告は甲1の捏造記事により、三多並びに原告の名誉を完膚なきまでに毀損したことは明らかである。 しかし甲1の捏造記事は、それ単独で原告に被害を与えただけではなく、さらに相乗的に原告に被害を与えることを企図した、別の狙いも隠されていたのである。 

30 というのは、原告は、『だれが「本」を殺すのか』(甲3)という本の中で、本件記事と似たような捏造記載をした著者の佐野眞一(以下、「佐野」という。)と版元の株式会社プレジデント社に対して、名誉毀損による損害賠償を請求して、平成19年10月29日に福岡地方裁判所(以下、「福岡地裁」という。)に提訴したのであるが、被告が朝日新聞紙上で「ニッポン人脈記 わが町で本を出す」のシリーズを開始した頃、この裁判(以下「佐野裁判」という。)が中盤にさしかかっていた時期に当っていたのである。甲3は佐野裁判で使った書証をそのままコピーしたものである。甲3から明らかなように、本件記事の甲1及び甲4は、甲3の傍線(3)ないし(14)の捏造記載とほぼピタリと重なっている。

31 甲3の傍線(3)ないし(14)の中で、被告の捏造記事甲1の傍線1ないし7及び甲4とが密接に関連している点を具体的に指摘し、被告が原告に与えた、隠された被害をも明らかにする。なぜなら佐野裁判において、被告による甲1の捏造記事が、佐野側から、捏造ではないと主張する唯一の証拠として提出されたからである。被告が本件記事を掲載するまでは、佐野側は自らの捏造を否定する証拠は何一つ出せずにいたのである。福岡地裁による判決では、佐野側が出した本件記事が唯一の証拠として採用され、原告の全面敗訴、佐野側の全面勝訴という結果になった。

32 以下、両者の捏造の対応ぶりを具体的に検証する。甲3の傍線(1)と(2)は、原告の事務所の所在地を捏造した箇所なので、直接的な対応はないという意味では、本件記事とは無関係である。

33 甲3の傍線(3)は、佐野が三多の経歴を事実に反してデタラメな捏造をしたばかりか、いかにも三多は営業が苦手だとの印象を与えるような、事実に反した捏造をした箇所である。三多は東京書籍でもキャセイ・パシフィック航空でも営業職にあったが、いずれにおいても非常に優秀な成績を収めていた。退社時は会社側から強く慰留されたほどである。佐野の甲3の傍線(3)の捏造に対応するのが、被告による甲1の傍線3の捏造である。

34 原告の創業者であり代表であった三多は、創業以来、その死に至るまで、編集者としても中核的な仕事を担ってきた。しかし同時に三多は、営業面でも中核的な仕事を担ってきた。甲2において、出版は文化運動や政治運動ではなく、一個の事業だと断言している三多の姿勢からするならば、社長自らも営業に力を注ぐことは当然すぎるほど当然のことである。出版社に限らず小さな会社ほど、社長自らが営業の先頭に立つということは常識ですらある。それこそが三多のいう、一個の事業としての出版社の基本姿勢である。

35 社長である三多が、甲1の傍線3「筆者とテーマをさがして九州をくまなく歩」くという呑気なことをしていたのであれば、原告はとっくの昔に潰れていたのはいうまでもない。社長自らでなくとも、編集者を使って、こんな呑気な本の作り方をする例は、中央の大出版社でもほとんどないはずだ。ましてや地方の出版社では皆無だと断言する。日本一の規模を誇る大新聞社である被告においても、外部執筆者にこれほど金と時間をかけて原稿を書かせることは、未だかつてないはずだ。

36 被告による甲1の傍線3の、誰が見ても現実にはありえぬ捏造記事は、本を作るという編集面だけではなく、本を売ることにも力を注いできた、事業経営者としての三多の真の姿を覆い隠すために、実像とは全く異なった三多象を読者に印象づけることを狙ったものである。同時に佐野裁判において原告が捏造だと主張する、佐野による甲3の傍線(3)の捏造を否定するという、被告の別の狙いも隠されていたことは明らかである。

37 被告は甲1の傍線1、2、3、4、5、6、7において、大酒飲みでだらしなく、およそ哲学的な思考とは全く無縁で、身勝手で卑怯で卑しく、借金をしまくっては絶えず借金取りから逃げ回っていたという、三多の名誉を毀損する以外の何物でもない三多象を捏造することで、佐野が甲3の傍線(3)、(4)、(9)、(13)、(15)において、同じような三多象を捏造し、三多の名誉を毀損した佐野の行為を強力に支援した。

38 被告による甲1の傍線5の捏造記事は、原告から発行された出版物が実際には、「九州の知識人や運動家の活動拠点に」なった、「水俣病を告発する会」の事務局から出版されたかのような印象を与えずにはいない。まるで事務局が、原告の編集にタッチしていたかのような印象すら与えるこの捏造記事は、原告における出版物が、三多によって編集され出版されたものではなく、実際には外部の人々によってなされたものだとの印象を与えることを狙ったものである。

39 しかし狙いはそれだけではない。甲1は、「わが町で本を出す」シリーズの2回目であるが、同シリーズのトップには、福岡市にある出版社石風社の代表である福元満治(以下、「福元」という。)を取上げている。(甲4) 福元は原告の元従業員であるが、三多によって原告を解雇された人物である。しかし福元に関しては、マイナスになるような記述は一語たりともない。それどころか、同シリーズのトップで取上げたことからも分かるように、被告は、福元に対しては過剰なほどに高い評価を与えている。

40 しかも福元に対する高評価においても、被告と佐野は完全に一致している。この不可解な一致は、被告による福元礼讃記事甲4に対応する、佐野による福元礼讃記載甲3の傍線(10)ないし(12)を見れば一目瞭然である。人物評価そのものは十人十色で、様々な評価もありうるが、三多と福元という非常に関係の深い人物を取上げながら、被告も佐野も、三多に対しては事実に反した人格を貶めるような人物として捏造し、福元に対しては手放しの礼讃で終始している。その結果、福元との対比においても、三多に対する捏造のマイナス効果はさらに倍加している。

41 特に同シリーズトップの甲4で福元一人を取上げ、紙面の全てを福元礼讃記事で埋めた被告の偏向報道は、三多に対する捏造のマイナス効果を強烈に高めている。福元に対しては、学生時代には水俣病患者と共に水俣病闘争を闘い、石風社の代表である現在は、ぺシャワール会の事務局としてアフガンニスタンの支援にも取り組む出版人として紹介しつつ、思索的な言葉までをも福元には何度も語らせている。一方三多に対しては、大酒飲みでだらしなく、およそ哲学的な思索とは全く無縁で、身勝手で卑怯で卑しく、借金をしまくっては借金取りから逃げ回っていたという、全く事実に反した三多像を捏造して、三多と原告の名誉を平然と毀損している。

42 福元と三多の関係は、熊本大学を中退して職にも就かずぶらぶらしていた福元の身を案じた渡辺京二氏から三多に対し、福元を原告に就職させてほしいとの依頼があったことに端を発している。自分が保証人になってもいいともまで言った渡辺氏の強い推挙を受けて、三多は福元を原告の従業員として雇用した。昭和49年(1974年)4月のことである。しかしやがて三多は、福元を毛嫌いするようになった。三多の福元に対する忌避感は、出社拒否症にかかりそうになったほどであった。しかし福元を忌避したのは、三多だけではなかった。昭和52年(1977年)4月に原告に入社した西俊明も、福元を毛嫌いするに至り、それが原因で西が原告を辞めるとまで言い出した。そこで三多は渡辺氏の了解を得た上で、昭和56年(1981年)9月に、解雇相当の理由のあった福元を解雇した。

43 被告がほめ讃える福元の仕事の手法も、三多の出版に対する姿勢とは根本的に相容れないものであることは、三多の書いた出版論甲2からも明らかである。福元の仕事のやり方は、甲4からも明らかなように、出版とアフガン支援という運動が完全に一体化したものであり、運動が福元の出版を支えていると言っても過言ではない。言い換えれば、福元の出版は運動に依存したものだということ。さらに言えば、運動がなければ福元の出版は成り立たないと言っても過言ではないということである。しかし被告は、三多と福元とを画然と隔てている出版に対する根本的な違いについては、捏造記事によって完全に隠蔽している。

44 福子に代表交代後の原告と福元との関係は、甲5が証するとおり非常に険悪である。原告の現代表である久本福子(以下「福子」という。)は、三多の元妻であるが、原告は現在は、福子および三多と福子の長男である久本一魔の二人で営業を続けている。(甲6)

45 被告や佐野による、福元に対する過剰な讃美は、福元から非難攻撃される原告ならびに福子の立場を不利にすることは明白である。原告は佐野裁判においても、佐野による福元讃美に対して、事実を示すことでその不当さを訴えていた。しかし被告による甲4並びに甲1の記事は、原告の福元讃美批判をも一気に吹き飛ばす効果を発揮した。のみならず、被告による甲1と甲4の記事は、佐野裁判における原告の主張をことごとく否定する強烈な効果を発揮した。

46 原告は佐野裁判においては、佐野が被告による甲1の傍線1と同様の捏造記載をしていることの重大性に気づかぬまま裁判をつづけたが、甲1の傍線1に関わる佐野の捏造は、出版人としての三多の名誉を大きく毀損する重大な問題であることに遅ればせながら気づき、佐野と被告が共々、意思を合わせたように、出版人としての三多並びに原告の名誉を著しく毀損したことに激しい憤りを覚える。被告と佐野による協同捏造が、相互に互いの捏造の正当性を証明し合う効果を発揮している。 

47 佐野は甲3の230頁の18行目から231頁の8行目にかけて、三多の書いた甲2の「いわゆる地域主義について」に触れているが、佐野は被告の甲1と全く同様に、出版と地方との重層的で深い関わり方を明確に示した三多の主張の核心には全く触れず、三多がまるで単純、粗雑に「中央も地方もあるか」と相対化し、あまつさえ、三多が地方のもつ地方性を単純に否定しているかのような捏造をすらしている。佐野本甲3で、新たに問題とすべき箇所に破線(イ)ないし(ハ)を付した。

48 佐野は甲3において、三多の文章甲2から破線(イ)「「醜悪な営利先行型の中央出版に対し、清潔で良心的な地方出版などというふざけた対比は、いかにも現実的ではない。質朴な地方性など、今日どこを探してもありはしないのだ」」を引用し、この引用を受けて破線(ロ)「<われわれはは本質的な仕事をしたいのであって、九州ということにことさら意味をつけようとは思わない>」と、渡辺京二氏の文章をつぎはぎして引用した上、この引用部だけは「 」ではくくらずに< >でくくるという詐術的な手法を使い、あたかも破線(ロ)は三多自身が書いたかのような捏造工作までしている。そしてこの破線(ロ)の後に、破線(ハ)「この(原告注・破線(ロ)を指す)かなり気負ったものいいに、地方にあることへの無視を装ったコンプレックスを却って感じる向きもあるかもしれない。」とまで書き、三多があたかも地方で出版事業をしていることに、コンプレックスを抱いているかのような印象へと読者を露骨なまでに誤誘導している。

49 佐野も被告も事実に反した捏造をすることで、三多が地方で出版業を営む出版人として探り当てた、地方がその地方的特殊性ゆえにもつ、普遍的で豊穣な地方的世界にのみ執着するとまで宣言し、この地方性にこそ出版の唯一の根拠があると考えていたことには全く触れず、三多があたかも地方を単純に否定し、地方にあることにコンプレックスを抱いているかのようような印象すら与えている。三多が、地方出版社としての原告の基盤である地方性を三多自らが否定しているとする甲1並びに甲3の捏造は、地方出版であるがゆえに可能であった原告並びに三多が成した業績の数々を根底から否定し、三多並びに原告の名誉を著しく毀損するともに、原告の今後の存立基盤をも毀損することは明白である。

50 佐野裁判では、原告は直接的には甲3の破線(イ)ないし(ハ)については捏造として指摘していないが、裁判官には甲1と甲3が相互に互いの記載内容が事実であることを証明するものとして認識され、三多が地方で出版をしていながら、地方と向き合うことを避けてきた人物だとの印象を与えたことは明白である。甲2の論考においてのみならず、実績そのものにおいて、三多ほど、地方で出版をすることの意味を深く、厳しく掘り下げた出版人は他にはいないと断言できる。しかし甲1と甲3の捏造により、三多はおよそ出版人としては他に例のないほど粗雑でだらしがなく、卑しく、経営能力も乏しいというレベルでのユニークな人物として、名誉毀損以外の何物でもないイメージがばらまかれた。

51 佐野裁判において、甲1および甲4が原告には不利に働いたことは明白である。甲4は原告自らが裁判所に提出した。なぜなら、佐野裁判の渦中に、トップに福元が登場した「わが町で本を出す」シリーズが始まったことにギョッとした原告は、裁判資料の提出の延期を裁判所に申し出たのであるが、延期の理由を説明するために原告自らが甲4を提出したからである。このシリーズを開始した被告の企みを確かめた上で、裁判を進めようと考えたからである。しかし延期も空しく、被告が捏造記事によって、佐野側に捏造を否定する唯一の証拠を提供したことを確かめただけである。捏造によって捏造を否定する。マスコミゆえに可能なこの恐るべき大詐術は、何の疑いもなく佐野側の唯一の証拠として採用され、平成20年5月29日に、福岡地方裁判所から原告の全面敗訴の判決が出された。(甲7)

52 判決の理由については、甲8の3頁から4頁にかけて記載されている「第3 当裁判所の判断」の「1 本件記述の内容について」において、20行を費やして記されている。20行のうち前半6行において、佐野の記載は原告の名誉を毀損するものではないとする総体的な記述がなされており、残る14行において、その具体的な検証がなされているが、全て、甲1が補強した捏造と重なっている。裁判官は佐野側が乙第3号証として提出した甲1と同一の甲8を、唯一の証拠として採用し、佐野の捏造を捏造ではないと認定している。原告は、被告によって二重に被害を受けたと主張するゆえんである。

<注> 甲第3号の佐野眞一著『誰が「本」を殺すのか』 は、余りにも分量が多いので掲載はしておりませんが、訴状だけでも内容はご理解いただけるのではないかと思います。 

53 しかも被告が甲1の捏造記事を書いたのは、きわめて意図的な悪意に満ちた作意によるものであることは明らかである。なぜなら被告は、当事者であり、三多に関してもっともよく事情を知る原告に対しては、全く取材をせずに甲1の捏造記事を書いたからである。佐野も、三多及び原告を最もよく知る福子には全く取材をせずに、甲3の捏造本を執筆した。

54 平成6年6月8日に三多が死去した後、三原浩良が原告の代表に就任したが、平成14年9月30日に福子が三原浩良を解任して、原告の代表に就任した。(甲9の1ないし3)その後三原は弦書房を開業した。被告は甲1では、弦書房の代表として三原を取材し、 紹介しているが、原告に対しては一度も取材をしていないばかりか、三原解任後、福子が原告の代表に就任したという単純な事実すらも紹介していない。その一方で、石風社や弦書房の他、海鳥社、梓書院、不知火書房、書肆侃侃房など、原告の元従業員が興した出版社は漏れなく紹介している。

55 原告を完全に無視した被告の報道姿勢は、原告をこの世には存在しないもとして排除することを意図したものであることは明らかである。言い換えるならば、原告は被告によってこの世から抹殺されたということである。事実、被告の記者は、福子が原告の代表に就任した後、2度ほど原告を取材で訪れたたが、「葦書房(原告)がいつ潰れるか、みんな今か今かと待ってますよ」とまで言った。福子が原告の就任後、2ヶ月ほどの間は、新聞各社をはじめ経済誌などの記者が入れ代わり立ち代わり原告を訪れ、資金繰りの状況などを根掘り葉掘り尋ねてきたが、原告の記者ほど露骨に、原告の存続を否定するような言葉を吐いた記者はいない。

56 福元が原告を名誉毀損で告訴したと被告が報じた甲5は、他紙よりも大きな扱いであった。他紙はいずれも一段のベタ組みの小さな扱いであったが、被告だけは3段見出しの大きな扱いである。しかもこの告訴は不起訴処分となったのである。原告は被告も含めて、主要な報道機関に対しては、不起訴処分になった旨、FAXで連絡した。しかし被告は、不起訴については報道していない。被告は原告のマイナスイメージを広めるための記事は率先して書くが、原告のプラスになるような記事は一切書かないという、露骨な偏向姿勢で一貫している。これほど露骨に偏向的で悪意に満ちた差別的報道をする被告は、もはや報道機関とはいえず、犯罪的な組織に成り下がったものだと断ぜざるをえない。

57 福元に関連して甲1の傍線部分とは別扱いで、甲1の波線ア「金のやりくりの苦痛も、久本さんには快楽だった」という福元の言葉の、捏造的論評性について明らかにする。生前、三多と福元との関係が非常に遠く疎遠であったがゆえに、福元はこのような論評を平然と捏造することができたのであるが、大きな借金をかかえて、毎月、資金のやり繰りをすることがどれほど過酷なことか。福元には想像力もないというよりも、意図的に「快楽」と表現したことは明らかである。その狙いは、三多が経営の見通しも何も持たず、喜んで借金しまくっていたかのような印象を与え、出版を事業としてとらえていた三多の基本的な経営姿勢を隠蔽し、三多がまるで趣味道楽で出版をやっていたかのような印象へと読者を誤誘導し、甲1及び甲3の捏造記載に信憑性を与えることにある。

58 被告は福元の誤誘導者としての役割を完遂させるために、福元があたかも三多及び原告を最もよく知る人物であるかのように、甲4のみならず甲1にまでフル出場させていながら、福元が1974(昭和49年)年4月に原告に入社し、1981年(昭和56年)9月に原告を解雇されたという、福元と原告との最も基本的な関係については一言も触れていない。甲1に「(原告注・福元は)葦書房で出版のイロハを学んだ。」とは書かれているが、そのすぐ後に傍線5を続けることで、甲4との連動効果により、福元があたかも「水俣病を告発する会」の事務局として、原告の出版に関わったかのような印象を与ることは明白である。その結果、福元は三多から毛嫌いされていたどころか、原告の仕事を外部から終始サポートしてきたかのような印象を与えずにはいない。被告によるこの捏造は、福元にとっては大プラスになるが、三多並びに原告にとっては屈辱以外の何物でもない、大名誉毀損になることは明白である。

59 なお福子は原告の全株3000口、300万円を所有する原告の株主でもある。創業以来、原告の株は1000口、100万円であったが、この全株は原告の創業者であり、代表であった三多が所有していた。平成6年6月8日に三多が死去したことに伴い、原告の全株1000口は三多と福子の3人の子供たち、一魔、呼子、了平(甲6)がそれぞれ334口、333口、333口に分割して相続し、平成8年3月13日に相続の手続きをした。(甲10) 三多の死後すぐに相続手続きをしなかったのは、一魔、呼子、了平の母親である福子が、相続手続きの必要なことを知らなかったからである。法務局に届け出なければ、三多所有の原告の株の子供たちへの相続は完了しないことを、福子が知ったのは、原告の増資の時であった。

60 商法の改正により、有限会社の最低資本金が100万円から300万円に引き上げられることになり、福子は、当時原告の代表であった三原浩良から300万円への増資の要請を何度も受けていたが、三多の死後の三原の対応には不信を抱いていた福子は、三原からの増資要請に応じるべきか否か迷っていた。しかし増資の猶予期限も迫り、このままでは有限会社は閉鎖せざるをえないとまでの三原からの催促もあり、福子は原告の増資に応じることにした。ところが増資手続きを依頼した弁護士から、増資の前に、三多が所有する原告の全株を一魔、呼子、了平に正式に相続するための手続きが必要だと言われ、平成8年3月13日に、甲10の遺産分割協議をして、原告の全株1000口を3人の子供たちが分割相続した。

61 この後、平成8年3月18日に原告事務所において、弁護士立会いのもと、当時の原告の代表であった三原浩良も同席の上、増資のための社員総会(株主総会)を開き、一魔、呼子、了平が合わせて200万円を増資し、原告の資本金を300万円に引き上げることを了承した。増資後の原告の全株3000口、300万円に対する、一魔、呼子、了平の持ち分は、それぞれ1000口、100万円ずつとなった。(甲11

62 その後、平成12年9月20日付けで、原告の全株3000口、300万円は、一魔、呼子、了平より、母親である福子に一括して譲渡された。以降、現在まで原告の全株3000口、300万円は福子が所有している。(甲12)

  

第3 損害の発生

1 甲1の傍線1ないし7は、全て事実に反した捏造記事である。

2 被告は、福岡、九州という地方に深く根ざした出版活動をしてきた原告の創業者である三多の業績を隠蔽、否定するとともに、大酒飲みでだらしなく、卑しくて卑劣で、経営の見通しも全く持てない社長であったかのように、多方面に渡って三多の人格を貶める捏造記事を多数書き連ね、三多及び原告の名誉を毀損した。

3 原告の創業者である三多の名誉が毀損されたことは、原告の名誉と信用をも毀損することは明白である。加えて、福子が代表に就任後の原告は、三多の遺業を受け継ぎ、その業績に依拠した営業活動を展開している。従って、被告によって三多の名誉が著しく毀損されたことは、現在の原告にとっては、事業の基盤そのもを毀損されるに等しい被害を被告から受けていることは明らかである。

4 その一方被告は、原告の元従業員であり、三多が解雇した石風社の福元満治に対しては過剰なまでの礼讃記事を書き、捏造記事で激しく人格を貶められた三多は、福元との対比においてもさらに激しく名誉を傷つけられた。

5 その上福元は、原告の現代表福子及び原告を非難攻撃し、福元と原告は非常に険悪な関係にある。

6 原告の創業者三多が解雇し、原告の現代表福子とも非常に険悪な関係にある福元だけを、過剰にも礼讃するという異常な偏向記事においても、被告は三多及び原告の名誉と信用を著しく傷つけた。

7 しかも被告は、原告に対しては、全く、一度も取材をせずに甲1及び甲4の捏造、偏向記事を書いた。被告が故意に、原告の名誉と信用を毀損することを企図してこれらの捏造、偏向記事を書いたことは明白である。

8 しかし原告が被告から受けた被害はこれだけではない。原告が、被告と同様の捏造記載をした佐野眞一とプレジデント社を、共同被告として提訴した裁判においても、被告による捏造、偏向記事は、佐野らの捏造を否定する唯一の証拠となり、佐野らは全面勝訴し、原告は全面敗訴した。

9 被告は甲1及び甲4の捏造、偏向記事によって、三多及び原告の名誉と信用を著しく毀損したのみならず、原告が佐野らを訴えた裁判においても、原告の利益を著しく毀損するという二重の被害を原告に与えた。

 

第4 被害額

 慰謝料  140万円

 原告の損害を填補するためには、慰謝料として140万円及びこれに対する、本件記事が掲載された平成20年1月28日から支払い済みまで年5分の割合による金員を加算して支払うことが相当である。

第5 謝罪広告

 原告の毀損された名誉及び信用を回復するためには、請求の趣旨2のとおり、別紙の内容による謝罪広告を掲載する必要がある。

 以上のとおり、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として140万円及びこれに対する、本件記事が掲載された平成20年1月28日から支払い済みまで年5分の割合による金員の支払を求めるとともに、原告の名誉、信用の回復手段として請求の趣旨2記載のとおり別紙の内容に従い、謝罪文の掲載を求める。

以上

証拠方法

甲第1号証 2008年(平成20年)1月28日付け朝日新聞夕刊抜粋記事 (原寸と縮小) 写し 1枚

甲第2号証 久本三多著「いわゆる地域主義について」全17頁 写し 各1枚

甲第3号証 佐野眞一著、プレジデント社刊『だれが「本」を殺すのか』(表紙、本文229頁から237頁、奥付)(7頁)      写し 各1枚

甲第4号証 2008年(平成20年)1月25日付け朝日新聞夕刊抜粋記事 写し 1枚

甲第5号証 2004年(平成16年)2月17日付け朝日新聞朝刊抜粋記事 写し 1枚

甲第6号証 久本三多の戸籍 (全4頁) 写し 各1枚

甲第7号証 平成20年5月29日判決言渡の福岡地方裁判所の判決(1頁、3頁、4頁) 写し 各1枚

甲第8号証 佐野眞一と株式会社プレジデント社が福岡地方裁判所に乙第3号証として提出した甲第1号証と同一の記事 写し 1枚

甲第9号証の1 平成14年9月30日付け原告の定時社員総会議事録(全頁) 写し 1枚

甲第9号証の2 三原浩良による原告取締役解任確認書 写し 1枚

甲第9号証の3 久本福子による原告取締役就任承諾書 写し 1枚

甲第10号証 平成8年3月13日付け遺産分割協議書(全2頁) 写し 各1枚

甲第11号証 平成8年3月18日付け増資のための原告の社員総会議事録(全2頁) 写し 各1枚

甲第12号証 平成12年9月20日付け原告の全株が福子に譲渡されたことを了承した原告の臨時社員総会議事録(1頁) 写し 1枚

 

付属書類

1 訴状副本 1通

2 甲1号証から甲12号証までの写し 各2通

3 証拠説明書(全3頁) 各2通

4 登記事項証明書(原告会社及び被告会社)  各1通

5 別紙謝罪広告 各2通 

 

別紙 謝罪広告

第1 謝罪広告の内容

葦書房様への謝罪文

 弊社は、弊社刊の朝日新聞夕刊に連載しているシリーズ記事「ニッポン人脈記」の2008年(平成20年)1月28日付け「わが町で本を出す(2)」において、葦書房有限会社の創業者であり、代表であった故久本三多氏を取上げましたが、葦書房有限会社様を取材せずに記事を書き、以下のような事実ではない記事を掲載するという、報道機関としては許されざる過ちを犯してしまいました。

 「『地方出版』というくくり方に異を唱えた出版人が福岡にいた。『出版はラーメン屋と同じだ。ラーメンに中央も地方もあるか』」、「『年末になると、ヒョコッと現れ、うちに居座るの』。そう話すのは『苦界浄土』で水俣病を告発した作家石牟礼道子(80)。『何しに来たのと聞いても『へへへ』って。それで2、3日泊まっていく。後から考えると、あれは借金取りから逃げてたのね。」、久本は「筆者とテーマをさがして九州をくまなく歩いた。」、「78年に入社した西俊明(59)が久本から最初に教わったのは打ち合わせのコーヒー代を相手に払わせる手管だった」、「久本は『水俣病を告発する会』の事務局を社内においた。九州の知識人や運動家の拠点になる。ここから何冊も本を出した石牟礼」、「評論家渡辺京二(77)にものを言うときはいつもグデングデン。そばにいた石牟礼は『肩に取りすがって、甘えて。このまま心中しちゃうんじゃないかと思うくらい』。」、あるいは、三原浩良氏の葦書房の借金に対する「保証額が数百万円から、やがて数千万円にふくらんだ」等々、事実ではない捏造記事を多数掲載し、故久本三多氏並びに葦書房有限会社様の名誉と信用を著しく傷つけてしまいました。

故久本三多氏並びに葦書房有限会社様に、多大なご迷惑をおかけいたしましたことを心よりお詫び申し上げます。

平成 年 月 日  

株式会社朝日新聞社 代表取締役秋山耿太郎

葦書房有限会社様 故久本三多様

 

第2 掲載条件

1 掲載媒体 被告発行の朝日新聞朝刊全国版に1回

2 掲載場所 社会面

3 広告枠の大きさ 2段×240ミリ 縦組

4 活字の大きさ 「葦書房様への謝罪文」は、31ポのゴシック明朝体。本文は10ポ明朝体。「年月日」、「株式会社朝日新聞社 代表取締役秋山耿太郎」、「葦書房有限会社様」、「故久本三多様」は12ポ明朝体。

5 「年月日」は、謝罪広告掲載日

  

  

 

<注> 朝日新聞が提出した唯一の証拠乙第1号証は、石風社の福元氏が当社を告訴した事件で、当社が不起訴になったことを福岡版の片隅で小さく報道した記事のコピーです。

  

平成23年(ワ)第271号 名誉毀損損害賠償請求事件

原告 葦書房有限会社

被告 株式会社朝日新聞

第2準備書面

平成23年4月7日

福岡地方裁判所第1民事部2係 御中

原告 葦書房有限会社

上記代表者 久本福子

電話 092ー761ー2895

FAX 092ー761ー2836

第1被告の答弁書に対する原告の反論

1 甲1号証の傍線1に対する被告の答弁は、甲2号証の傍線AないしBにおいて、出版をラーメン屋に喩えて訴えようとした三多の主張の核心を意図的にはずしたものである。三多が出版をラーメン屋に喩えたのは、「出版事業の本質は文化運動ではない」(甲2の傍線A)ということを明確に主張するためである。被告は答弁書で甲2号証の傍線Aの一部を引用しているが、意図的なのか、この核心部を省略している。

2 つまり被告は、三多が何を主張するために出版をラーメン屋に喩えたのか、その最も重要な三多の主張の核心部そのものについては隠蔽している。被告がほんとうに三多が書いた「いわゆる地域主義について」を読んでいたのであれば、「出版は文化運動ではない」「出版は一個の事業である」という、三多の主張の核心部を紹介したはずである。

3 以下のイとロを対比する。

イ「出版はラーメン屋と同じだ。」(被告の記事ー甲1)

ロ「出版は文化運動ではない」「出版は一個の事業である」(三多の主張ー甲2号)

イとロでは、読者が受ける印象は明らかに違う。甲1号証ではロに関する説明、言及は皆無のままイだけが記載されているので、ラーメン屋の喩えは、何を伝えるために使われているのかは全く分からない。ラーメン屋の一般的なイメージは、手軽な食べ物、庶民的、安い、間食(主食とはなりえないサブ的食べ物)、屋台などであるが、こうしたラーメン屋にまつわる一般的なイメージだけでは、ラーメン屋の喩えはただ皮相な印象しか与えない。ロを排除してイだけを書いた傍線1は、地方出版の雄とまで言われた三多及び原告の業績を貶めるものでしかないことは明らかである。

4「中央も地方もあるか」という見出しも、まず表現そのものが非常に挑戦的で、甲2号証の三多の文章からは出てくるはずもないものである。「中央も地方もあるか」という見出しの挑戦的な表現は、その粗暴で感情的な印象を与える表現そのものにおいて、三多及び原告の名誉と信用を毀損している。

また「中央も地方もあるか」という挑戦的な物言いは、「中央」が何だという、中央に対して楯突くような反中央的な意識が背後に存在していることも明瞭に読み取れるものである。反中央的な意識とは、言い換えるならば、地方の中央に対するコンプレックスの現れだともとれる。しかし三多は、反中央的な意識とは全く無縁であるばかりか、そういう中央を意識した動きを「地域主義」として批判していることは甲2号証に明瞭である。

しかも甲2号証のどこを探しても、「中央も地方もあるか」という挑戦的かつ感情的な表現をしている箇所は皆無である。全編、非常に明晰かつ冷静かつ穏やかにかつ論理的に書かれていることは一読即了解できる。被告は見出しの付け方においても、三多に対して粗暴で挑戦的で感情的な人物であるという事実に反したイメージを流布し、三多及び原告の名誉と信用を傷つけた。

5 その上被告は、「中央も地方もあるか」の見出しの内容においても、事実に反した捏造をしている。三多は甲2号証においては、地方都市が擬似東京化しつつある実態をかなりのページを割いて詳論しているが、見出しの「中央も地方もあるか」に最も近い文章は、最後の3行分の傍線Lに含まれる「そのような位相で地方をとらえるとき、出版における中央も地方もなかろうというのが、私の考えである。」という一文以外には存在しない。この一文においては、「そのような位相で地方をとらえるとき」という前提条件がなければ、三多の主張としては、甲1の見出し「中央も地方もあるか」に似た、この一文そのものも存在しえないことは明白である。

6「そのような位相で地方をとらえるとき」という「そのような位相」が何を指すかは、訴状第2の18(9頁)に主張したとおりである。「そのような」の指示語「その」の指示内容を、前文の傍線Kから引用すると「民衆の意識の深層に根ざしつつ、大地というものによって媒介された人々の空間的な拡がり、というふうに理解する。いわば、生きていくうえで、どうしようもなく大地というものに執着せざるをえない人々の意識の基層部分によって感情移入された大地」(甲2号傍線K)となる。ここにいう大地とは、「民衆の意識の深層」「人々の意識の基層部分」「感情移入された大地」と繰り返し表現されているように、実在の土地、大地という限定されたものではなく、それらをも含む人々の意識の古層に刻印された源郷としての大地を意味しており、ここに言う地方とは無限の時空間性を帯びたものとなっている。

7 したがって「そのような位相で地方をとらえるとき」の「そのような」という指示語の指す内容を分かりやすく言い換えると、「地方とは、人々の意識の古層に刻印された源郷としての大地であるとの視点に立って地方をとらえるとき」となり、この前提に立って地方をとらえるときは、「出版における中央も地方もなかろうというのが、私の考えである。」と続く。以上からも明らかなように、この一文は、出版事業における地方のもつ本質的な意味を解析したものであり、原告の立脚地点を示す最重要な核心そのものである。ラーメン屋の喩えとは全く無関係であるばかりか、ラーメン屋の喩えが入る余地さえもない。

8 しかるに被告は、甲2号証を読むという基本的な取材もせずに、事実に反した甲1号証における見出し「中央も地方もあるか」と傍線1の捏造記事を書き、三多が出版にとって地方の持つ意味を深く思索していたという、甲2号証の最重要な核心部を完全に隠蔽し、三多に対して粗暴、粗雑、感情的な人物、皮相な考えの持主だとの印象を世間に広く流布させ、三多及び原告の名誉と信用とを毀損したことは明白である。

9 なお甲1号証の中見出し「破滅型の編集者 早すぎる死」の「破滅型」も、三多の実像からは余りにもかけ離れた形容である。原告は被告に対し、三多の何をもって「破滅型」と形容したのか、かかる形容をした根拠となる証拠の提出を求める。

10 甲1号証の傍線2(訴状第2の22)に対する被告の答弁に対して、原告はまず被告に対して、石牟礼道子氏が傍線2のとおりの話をしたという証拠の提出を請求する。

11 また被告は答弁書においてまで「久本三多氏が多額の債務を負っていた」と露骨な捏造をしているが、三多個人が多額の債務を負っていたという事実はない。多額の債務を負っていたのは原告である。しかもそれらの債務の主要部には不動産の抵当がついていた。原告は有限会社の法人である。法人である原告が、不動産の抵当をつけて多額の借金をしていたことが、傍線2の三多が「年末になると、ヒョッコと現れ、うちに居座るの。」「あれは借金取りから逃げてたのね」という石牟礼氏による捏造話の、如何なる言い訳になるのか。原告は被告に対して、石牟礼氏が傍線2のとおりのことを話したという証拠の提出を求める。

12 被告は甲1の傍線3(訴状第2の23)についても捏造を否認しているが、捏造を否認するのであれば、被告は、三多がどういう作家と、どのようなテーマを探すために、九州のどこを歩き、どのような本を出版したのかを明らかにすべきである。原告は被告に対して、傍線3の記事のもとになったテーマ探しのための九州巡行につき、巡行日時(何時頃と大まかなものでも可)、地名、作家名、出版した本の書名を、各作家の証言とともに証拠として提出することを求める。

13 被告は、甲1号証の傍線4(訴状第2の24)のとおりのことを西俊明氏が話したと答弁しているが、原告は被告に対し、西氏が傍線4のとおりのことを話したという証拠の提出を求める。

14 甲1の傍線5(訴状第2の25)について、被告は詭弁を弄して免責を図ろうとしている。

(1) 被告は「三多氏が出版と運動とを明確に分けていたことは不知」と答弁しているが、この答弁は、被告は甲2号証を読んでいないと自白したも同然である。三多は甲2号証では、「出版は文化運動ではない」「出版は一個の事業である」と明確に書いており、出版社としては、何かの反対運動などに加わることは一切しないということもはっきりと書いている。したがって、「三多氏が出版と運動とを明確に分けていたことは不知」との被告の答弁は、被告が甲2号証を読まずに、甲1号証の捏造記事を書いたことを自ら自白したことになることは明白である。

(2)被告は、「「ここから何冊も本を出した石牟礼」と記載した「ここ」とは原告を指しており」と答弁しているが、詭弁による逃げでしかない。「ここ」という指示語は、近くを指し示す近称指示代名詞である。文法用語抜きにしても、「ここ」は「ここ」と書かれたすぐ近くの前文か前文の中に含まれている言葉を指していることは、日本語の読める者なら誰もが知っている。

傍線5から段落が変わっているので、「ここ」が傍線5の段落の前の段落を指すことはありえない。傍線5の「久本は『水俣病を告発する会』の事務局を社内においた。九州の知識人や運動家の拠点になる。ここから何冊も本を出した石牟礼」という文脈からは、「ここ」が指示するものは「『水俣病を告発する会』の事務局」以外にはありえないことは明白である。

(3)被告は、「水俣病を告発する会の事務局を原告内に置いたことはない」という原告の主張を「否認する。」と答弁しているが、原告は被告に対して、同会の事務局を原告内に置いたと主張する証拠の提出を求める。

(4)被告は原告の社内においた水俣病を告発する会の事務局が「九州の知識人や運動家の拠点になる。」とも書いているが、原告は被告に対してその証拠の提出を求める。

15 傍線6(訴状第2の26)について被告は「記者の取材に対し、石牟礼道子氏が直接目撃した事実を述べたものであり、取材の場には当事者である渡辺京二氏も同席し、その事実を認めた」と答弁しているが、原告は被告に対し、石牟礼、渡辺両氏が、傍線6のとおりの話をし、それを事実だと認めたという証拠の提出を求める。  

16 被告は傍線7(訴状第2の27)についても、三原浩良氏が話したとおりだと答弁しているが、原告は被告に対し、三原氏が傍線7のとおりのことを話したという証拠の提出を求める。

17 被告は、訴状第2の30ないし50の佐野裁判についても否認しているが、甲7号証の福岡地方裁判所の判決を読めば、佐野側が捏造記載ではないとして提出した唯一の証拠が甲1号証だけであったことは明白である。佐野側が提出した証拠は、乙1号証が久本福子著「文化ファシズム」の写し(時効成立の証拠)、乙2号証が履歴事項証明書(原告の商業登記簿謄本)、乙3号証が平成20年1月28日付朝日新聞記事の抜粋(捏造記載否認の証拠)、乙4号証が『だれが「本」を殺すのか』(佐野本人の著書)となっており、佐野側の証拠はこれが全てである。佐野側にとっては、甲1号証が捏造否認の唯一最大の証拠となったのである。被告の結果責任は明白である。

18 被告は訴状第2の53ないし54について、原告を取材しなかった理由として「甲1の記事は、原告の創立者である久本三多氏(平成6年死亡)のことを取上げたものであるが、原告の元従業員その他三多氏が生前に交流のあった多数の人物に取材したうえで執筆したものである、原告の現代表者は、平成14年以降に原告の経営に関わったものであり、三多氏の生前の活動について現代表者に取材する必要は認められなかった。」と答弁しているが、「平成14年以降に原告の経営に関わった」ことが、なぜ取材をしない理由になるのかは全く不明である。

原告代表者久本福子は、平成14年に原告の代表になる以前から三多個人についてはもとり、創業以来から今日までの原告の歴史についても最もよく熟知している人間である。久本福子以上に三多及び原告について熟知している人間は他には存在しないと断言する。しかも福子は、原告の代表に就任する以前から原告の株主であった。にもかかわらず被告は、原告を一切取材せずに甲1号の捏造記事を書いた。

19 被告が原告を取材せずに、三多と原告の名誉と信用を毀損する甲1の捏造記事を書いたのは、原告に大ダメージを与えることを企図したものであることは明白である。なぜならば、原告の代表者久本福子は、原告のサイト(http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/)にて発行している電子新聞「デジタル新聞葦」並びに電子本「デジタルブックレット葦」において、被告に対する遠慮会釈のない批判を展開してきたからである。批判に対する嫌がらせであることは明白である

原告と被告は規模では象と蟻以上の違いはあるが、ともにメディアに関わる企業である。原告の被告に対する批判は全て明確な根拠に基づくものであり、民主主義の深化を促す正当な言論活動である。しかるに、全く根拠のない捏造記事を書いた上に、原告を被告の紙面から不当にも排除する被告の行為は、メディア企業としての倫理に反するばかりか、原告の名誉と信用を毀損し、原告の営業を妨害する以外の何ものでもないことは、第1準備書面においても主張したとおりである。

20 甲1号証を含む、被告新聞の「ニッポン人脈記」「わが町で本を出す」シリーズは13回連載がつづいたが、その内訳は以下の表のとおりである。

掲載月日

(平成20年/2008年)

連載宦i回)

都道府県名

市町村名

掲載出版社数

1/25

福岡

福岡市

1/28

福岡

福岡市

1/29

沖縄

那覇市

1/30

沖縄

那覇市

1/31

北海道

札幌市

2/1

北海道

札幌市

2/4

青森、秋田

弘前市、秋田市

2/5

山口、福島

周南市、会津若松市

2/6

大阪、鹿児島

大阪市、鹿児島市

2/7

10

神奈川、沖縄

鎌倉市、那覇市

2/8

11

神奈川、埼玉、千葉、群馬、愛知

秦野市、さいたま市、流山市、高崎市、名古屋市

2/12

12

長崎、宮崎、福岡

長崎市、宮崎市、福岡市

2/13

13

東京、鳥取、長野

新宿区、米子市、長野市、上田市

21 東京以外の地方都市で出版業を営む人々を取り上げたシリーズであるが、取り上げた地方出版社は全部で36社で、他に東京にある取次会社1社が含まれている。一応北から南まで全国を網羅しているように見えるが、一目で九州沖縄に偏重していることは明瞭である。出版社全36社のうち九州沖縄が15社、15社のうち九州地区は10社、この10社のうち福岡県福岡市の出版社が8社を占めている。九州地区のみならず、全国的に見ても福岡市の出版社の比重は非常に高い。

22 地域的には偏りがあるとはいえ、本シリーズに登場した出版社36社は、原告1社を除いた残り35社は全て、現在も営業をつづけている現役の出版社として紹介されている。36社の地方出版社の中には、創業者が死去した出版社が原告以外にも3社登場するが、これらの3社は全て事業が継承され、現在も営業していることが明確に分かるように紹介されている。原告については創業者が死去したことは書かれているが、現在も営業を続けていることについては一言も触れらておらず、現在はすでに閉鎖したと判断する以外のない紹介のされ方をしているのは、原告1社のみである。シリーズ1回目(甲4)でも2回目(甲1)でも取り上げられなかった福岡市の創言社は、12回目で紹介されている。被告が原告のみを意図的に排除したことは明白である。

23 被告は訴状第2の55も否認するが、被告の記者が「葦書房(原告)がいつ潰れるか、みんな今か今かと待ってますよ。」と言ったのは事実である。その記者は長年、被告の福岡総局学芸部に在籍していた福島建治記者である。

24 被告は、訴状第2の56ないし58に対しても否認しているが、福元が原告を名誉毀損で告訴した報道で、被告より大きな扱いで報道をした新聞社があるのであれば、被告は、その証拠を提出せよ。

25 被告が告訴事件につき不起訴処分も報道していることは、乙1号証で初めて知った。告訴記事(甲5)の大きさからすれば不起訴記事(乙1)は余りにも小さく、原告は気がつかなかった。告訴記事は扱いが大きいだけではなく、掲載面も人目につく社会面であり、しかも紙面配置もど真ん中という特別待遇である。その一方、不起訴記事は福岡版のはしっこに一段組みで小さく掲載されている。告訴記事は被告新聞を開ければ、いやでも誰の目にも入るが、不起訴記事の方は、気づことはほとんど不可能である。この両者の扱いの余りの懸隔は、事実上、被告は不起訴記事を掲載しなかったも同然であることを意味している。したがって乙1号証は、被告が原告に対して露骨な偏向報道をしているという、訴状第2の56ないし58でなした原告の主張を否定する証拠となりえぬことは明白である。

  

以上

 

 

平成23年(ワ)第271号 名誉毀損損害賠償事件

原告 葦書房有限会社

被告 株式会社朝日新聞

平成23年5月12日

 

証拠申出書

福岡地方裁判所第1民事部2係 御中

 

原告    葦書房有限会社

上記代表者 久本福子

電話 092ー761ー2895

FAX 092ー761ー2836

第1証人尋問の申出

1 証人の表示

〒862ー0951 熊本市上水前寺2丁目6番5号
証人 石牟礼道子 (文書提出)

2 立証趣旨

(1)被告は、被告が平成23年2月25日に提出した答弁書の第2において、証人石牟礼道子が甲1号証の傍線2及び6のとおりのことを話をしたと主張しているが、被告の主張の事実について。

3 尋問事項

  別紙尋問事項記載のとおり。

4 証人の表示

〒810ー0072 福岡市中央区長浜3丁目1番16号 有限会社海鳥社気付
証人  西俊明 (文書提出)

5 立証趣旨

(1)被告は、被告が平成23年2月25日に提出した答弁書の第2において、証人西俊明が甲1号証の傍線4のとおりのことを話したと主張しているが、被告の主張の事実について。

6 尋問事項

  別紙尋問事項記載のとおり。

7 証人の表示

〒810ー0041 福岡市中央区大名2丁目2番43ー301号 弦書房気付
三原浩良 (文書提出)

8 立証趣旨

(1)被告は、平成23年2月25日に提出した答弁書の第2において、証人R三原浩良が甲1号証の傍線7のとおりの話をしたと主張しているが、被告の主張の事実について。

9 尋問事項

  別紙尋問事項記載のとおり。

 

別紙尋問事項 

尋問事項 (証人 石牟礼道子)

1 被告は、甲1号証の傍線2「「年末になると、ヒョッコと現れ、うちに居座るの」。そう話すのは『苦界浄土』で水俣病を告発した作家石牟礼道子(80)。「何しに来たのと聞いても『へへへ-』って。それで2、3日泊まっていく。後から考えると、あれは借金取りから逃げてたのね。」」の記事は、「三多氏に関する石牟礼道子氏の話を紹介したものであり」、「石牟礼道子氏は記者に対し本件記事記載のとおり述べている」と主張しているが、証人が被告の記者に対し、傍線2のとおりの話をしたというのは事実か。

2 被告は、被告の「記者の取材に対し、石牟礼道子氏が直接目撃した事実」として、甲1号証の傍線6「「評論家渡辺京二(77)にものを言うときはいつもグデングデン。そばにいた石牟礼は「肩に取りすがって、甘えて。このまま心中しちゃうんじゃないかと思うくらい」。」と話したと主張しているが、証人が被告の記者に対し、傍線6のとおりの話をしたというのは事実か。

 

尋問事項 (証人 西俊明)

1 被告は、甲1号証の傍線4「78年に入社した西俊明(59)が久本から最初に教わったのは、打ち合わせのコーヒー代を相手に払わせる手管だった。」と、「西俊明氏が直接体験した事実を」被告の記者に話したと主張しているが、証人が被告の記者に対し、傍線4のとおりの話をしたというのは事実か。

 

尋問事項 (証人 三原浩良)

1 被告は、甲1号証の傍線7「借金の保証人になった。保証額は数百万円から、やがて数千万円にふくらんだ」と、「三原浩良氏は記者の取材に対し傍線7のとおり述べており」と主張しているが、証人が被告の記者に対し、傍線7のとおりの話をしたというのは事実か。 

 

 

 

平成23年(ワ)第271号 名誉毀損損害賠償事件

原告 葦書房有限会社

被告 株式会社朝日新聞

 

証拠提出申立書

平成23年5月12日

 

福岡地方裁判所第1民事部2係 御中 

 

原告 葦書房有限会社

上記代表者 久本福子

電話 092ー761ー2895

FAX 092ー761ー2836 

 

上記当事者間の頭書事件につき、原告は被告に対し、以下のとおり証拠の提出を申立てる。

1 原告は被告に対し、甲1号証の傍線3の記事が事実だとする証拠の提出を求める。 

2 被告は甲1号証の傍線5に関し、水俣病を告発する会の事務局を原告社内に置いた事実はないという原告の主張に対し、「水俣病を告発する会の事務局を原告社内に置いたことはないとの点は否認する。」と主張しているが、原告は被告に対し、原告の主張を否認する証拠の提出を求める。

 

  

  

平成23年(ワ)第271号 名誉毀損損害賠償事件

原告 葦書房有限会社

被告 株式会社朝日新聞

                  

                                                                                                    第3準備書面書

平成23年6月20日

福岡地方裁判所第1民事部2係 御中

 

原告 葦書房有限会社

上記代表者 久本福子

電話 092ー761ー2895

FAX 092ー761ー2836

第1 証人尋問の要求について

1 原告は平成23年5月12日提出の証拠申出書において、石牟礼道子、西俊明、三原浩良に対して、文書による証人尋問を申し出ているが、平成23年6月6日に開かれた弁論準備において、被告はその必要は認めないと陳述した。

2 しかし甲1号証に記載されている上記3名の発言については、被告は上記3名の者が甲1号証のとおりの発言をしたと主張すはるものの、被告は被告の主張を証明する証拠は何一つ提出しいない。よって原告は上記3名の証人尋問を要求して証拠申出書を提出したのであるが、原告の申し出はきわめて正当なものである。

3 本訴においてもし原告が敗訴した場合、原告は上記3名を提訴する方針であるが、上記3名の者が、甲1号証記載の話はしていない、被告が勝手に書いたものだと主張することも考えられる。もしそうなれば、原告には対抗の方法はない。

4 原告は平成23年4月15日の弁論準備において、石牟礼道子、西俊明、三原浩良の3名を共同被告として加えたい旨、口頭で陳述したが、裁判官から、現行裁判では途中から被告を追加することは、裁判を遅延させることもあり認められないとして退けられた。そこで原告は、上記3名の証人尋問を申し出たのであるが、もし仮にこの申し出も退けられたならば、原告は名誉を回復する機会が永久に失われる可能性も出てくる。

甲1号証のような、全くデタラメなウソ八百を書かれて、被害者がその被害を回復する手段を不当にも断たれるならば、裁判は強者を守るために存在していると言わざるをえなくなる。

5 大新聞紙上で、有名人が、あるいは有名人の名前を使ってウソ八百のデタラメの記事が報道されても、読者はそれがウソ八百だとは考えずに100%事実だと受取ってしまう。ウソ八百を書かれた弱小の被害者には、巨大なメディアや有名人に対しては対抗するすべはない。唯一開かれている救済への可能性は裁判だけであるが、その裁判において、弱小な被害者である原告は、十全な対抗を可能にするために証拠申出書を提出した。被告が、被告の主張を証明する証拠を提出しない以上、原告の証拠申出はきわめて正当な要求であり、支障なく認められるべきである。

6 原告は久本福子が代表に就任して以降から現在まで、9件の裁判を経験している。いずれも経済的な事情により、原告代表者である久本福子当人が裁判に当った。9件のうち2件は最高裁まで上告したが、いずれも棄却された。高裁で棄却されたのが1件、和解が3件、勝訴が1件、本訴も含めて継続中が2件という結果であるが、素人ながらこれらの裁判の経験から、1審で認められなかったものは2審で認められるということはありえないという実感を得ている。素人ゆえに攻撃、防御の方法を知らないという側面もあるとは思うものの、第1審が非常に重要であるというのは間違いではないと思っている。

7 裁判官は、もし第1審で敗訴した場合は、控訴して主張すればよいと言われたが、第1審で証拠申出書が認められなければ、控訴審で認められるはずはないというのが、原告の体験から得た実感である。従って、石牟礼道子、西俊明、三原浩良の証人尋問は第1審で実施していただきたい。

8 なお原告は証拠申出書とは別に、被告に対して、被告自らが石牟礼道子、西俊明、三原浩良に対して、甲1号証記載の内容につき記載とおりの話をした旨の陳述を取り、3名それぞれの直筆による陳述書に直筆の署名と押印を添えて裁判所に提出することを求め、証拠提出申立書を提出する。

9 強大な力をもつ巨大な言論報道機関が、平然と捏造記事を書くことが許されてよいのか。被告は、被告の主張が事実であることを証明しうる証拠は何一つ提出していない。被告は、原告の訴えを全面的に受け入れて謝罪し、原告に対し相応の損害賠償をなすべきである。

  

 

平成23年(ワ)第271号 名誉毀損損害賠償事件

原告 葦書房有限会社

被告 株式会社朝日新聞

 

証拠提出申立書

平成23年6月20日

 

福岡地方裁判所第1民事部2係 御中 

 

原告    葦書房有限会社

上記代表者 久本福子

電話 092ー761ー2895

FAX 092ー761ー2836 

 

上記当事者間の頭書事件につき、原告は被告に対し、以下のとおり証拠の提出を申立てる。

1 原告は被告に対し、甲1号証の傍線2、同6の記事記載につき、石牟礼道子自身が同記載通りの話をしたことを証明する、石牟礼道子直筆による陳述書に直筆の署名と押印を添えて証拠として提出することを求める。 

2 原告は被告に対し、甲1号証の傍線4の記事記載につき、西俊明自身が同記載通りの話をしたことを証明する、西俊明直筆による陳述書に直筆の署名と押印を添えて証拠として提出することを求める。 

3 原告は被告に対し、甲1号証の傍線7の記事記載につき、三原浩良自身が同記載通りの話をしたことを証明する、三原浩良直筆による陳述書に直筆の署名と押印を添えて証拠として提出することを求める。 

 

 

平成23年(ワ)第271号 名誉毀損損害賠償請求事件

原告 葦書房有限会社

被告 株式会社朝日新聞

 

証拠提出申立書の取下げ申立書

平成23年6月21日

 

福岡地方裁判所第1民事部2係 御中 

 

原告    葦書房有限会社

上記代表者 久本福子

電話 092ー761ー2895

FAX 092ー761ー2836 

 

頭書事件につき、原告は平成23年6月20日に提出した証拠提出申立書の取り下げを、以下のとおり申し立てる。

1 原告は被告に対して、平成23年6月20日付けで、甲1号証の捏造記載記事に関して、石牟礼道子、西俊明、三原浩良の陳述書を証拠として提出することを申立てたが、この申立てを、以下の理由により取り下げる。

2 原告は平成23年5月12日付けで石牟礼道子、西俊明、三原浩良に対して文書による証人尋問を申し出ているが、被告が準備する3名の陳述書が証人尋問に代替される可能性があるからである。原告はあくまでも裁判所による、3名に対する証人尋問を要求する。

3 また被告が準備する陳述書では、偽造、捏造される可能性が非常に高いからである。どんな偽造、捏造でも平然とやる被告のことゆえ、3名の陳述書においても偽造、捏造をする可能性は非常に高い。

4 原告は遅ればせながら以上のことに気づき、石牟礼、西、三原の3名にかかる平成23年6月20日証拠提出申立書は取り下げることにした。原告はあくまでも3名に対する証人尋問を求め、原告が提出した証拠申出書が速やかに実施されることを強く要求する。 

   

なお、事務所移転後、荷物を整理していたところ、思いもかけない三多への追悼文を発見いたしました。地方小出版流通センターが発行していた「アクセス」という小冊子の、三多の死の直後に発行された1994年7月1日号掲載されていたものです。三多の死後は、悪意に満ちた三多をめぐる捏造記事があふれかえる中で、ここに掲載されている追悼文は、悪意とは無縁な唯一例外的なものではないかと思われますので、最後に紹介させていただきます。

 石風社の福元満治氏は三多の告別式で友人代表で弔辞を読んだのですが、わたしは式当日まで知りませんでした。葬儀全般を三原氏が采配していましたので、福元氏を選んだのも三原氏だったのだろうと思います。よりにもよって三多に毛嫌いされていた福元氏を友人代表に選ぶとは、弔いの場には最もふさわしからぬ人選でした。安倍氏が、そういう事情をご存じなかったのは無理からぬことでした。

三多の死後、厚顔無恥にも三多の親友よろしく振る舞い始めた福元氏は、葬儀の一年後に刊行された、三多の追悼録の刊行委員としても関与しています。この追悼録も、遺族には一言の相談もなく進められましたが、福元氏の名前の入った原稿執筆の依頼だけがわたし宛に届きました。この追悼録はおぞましい工作に使われることが明白でしたので、わたしはこの追悼録への執筆依頼は無視しました。追悼録完成後は葦書房から追悼録が送られてきましたが、わたしは追悼録の受け取りも拒否して、突き返しました。それでわたしは長い間、この追悼録を目にすることはありませんでしたが、初めて目にしたのは、わたしが葦書房に入ってから、かなり経ってからです。しかし中身はごく一部を見ただけで、ほとんど目を通していません。(1/20 久本福子)

  

久本福子
HISAMOTO YOSHIKO 
 

葦書房有限会社
福岡市中央区六本松3丁目16-33
向陽ビル501号 (〒810-0044)
TEL092-761-2895 FAX092-761-2836
ashi@gold.ocn.ne.jp
 

葦書房