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当社は7月末が決算で、9月末が税務署への申告期限になっています。多事多難は決算にかかわることでした。経理関係は昨年10月半ばに新しく入った経理担当(昭和17年生まれの男性)にすべてを一任していました。経理の大ベテランとの経歴を信用して、一つしかない金庫のキーや銀行のキャッシュカードも預けていました。事務所のキーも同様、専用の鍵を渡しておりました。ところが時の経過につれ、この経理担当に不審を感じるようになりました。しかし、三原氏解任が大騒動として新聞全紙に報道され、今にもつぶれそうな会社にきてくれそうな経理などいないのではないかとも思い、かなり我慢をつづけていましたが、あることがきっかけで、辞めてもうらうことにしました。巨額の手形を支払うために、金融機関のみならず、わたし個人の関係者からも借入れをしたのですが、その名前が一人を除いて全部間違った名前で記帳されていたからです。
借用証書や、貸主の名前をリストにして渡してあるので、正しい名前を知らないはずはありません。返済は銀行からの振込みになるので、当然のことながら、正しい本名で貸主に返しています。しかし返済してもニセの貸主からの借入金は消えません。すぐに訂正するようにといったのですが、そのまま放置。信じられない話ですが、ほんとうの話です。さすがのわたしもあきれ果てて、解雇をいいわたしました。金庫と事務所のキーは退社時にやっとこちらに戻されました。今年1月末のことです。貸主の名前も訂正したといって辞めていったのですが、後で調べると、手書きの振替伝票にはニセの名前がそのまま残されていました。
代わりの経理を人づてに探してもらうように頼んだのですが、待てど暮らせど代わりがみつからず、やむなく自分で記帳や資金繰りの段取りをはじめました。経理の経験は皆無の上に、数字を見るのが大の苦手。しかし好き嫌いをいってる暇などなく、必死で数字と大格闘。一人で何役もこなしている中での経理です。言葉にならぬほど大変な日々がつづきました。しかし自分で実際にやってみて、経理は会社経営の要であることを痛感しました。それまでは、経理は「女子事務員」のやる補助的な仕事だと軽く考えていましたが、とんでもない誤解でした。経理は企業活動のすべてを映す鏡であることを、この数ヶ月の経験で身にしみて感じました。ことに決算をやってみて、経理の重要性が骨身にしみ通りました。決算は企業活動の凝集点です。
しかし決算の実務そのものは簡単ではありませんでした。会計ソフトがあるのでなんとかなるだろうと思っていましたが、とんでもない間違いでした。1冊の本を売り歩いただけのエディター・ショップでの経験は(エディター・ショップでは『柄谷行人論』と『文化ファシズム』の2册を出版し、売り歩きましたが、「1册」と書いておりますので、誤解を招きそうだとつい最近気づきました。一言ご説明します。最初の『柄谷論』は取次を通さずに直販オンリーで販売してきたのに対し、『文化ファシズム』は販売を星雲社に委託し、間接的にしろ取次経由での販売の形をとりました。出版流通の実態を学ぶには、書店の裏というか奥にまで入って営業しながら、直販店を開拓してきた最初の『柄谷論』の体験が圧倒しており、体験の濃度の濃さの違いから、つい1冊と書いてしまいましたが、このままでは久本福子が複数人いるという、捏造された恐るべき誤解を補強しそうだと思い、遅ればせながら補足説明をさせていただきます。06/2/8
久本福子
両書のISBNコードの中の出版者記号(出版社を特定する番号)の違いについても一言説明いたします。『柄谷論』はエディター・ショップの出版者記号「9980884」になっていますが、星雲社に販売を委託するためには星雲社の出版者記号を使わねばならず、『文化ファシズム』では出版者記号は星雲社の「434」になっています。この2書を通常の形で葦書房で販売するためには、カバーや奥付のISBNコードやバーコードを葦書房のものに取り替えなければなりません。そのための費用や手間を考えると、葦書房での販売は物理的に不可能なので、現状のまま販売できる直販のみの扱いとさせていただいている次第です。挿入にしては長くなりすぎましたが、ご容赦ください。06/2/12久本福子)こと経理に関しては何の役にも立ちませんでした。すべてのお金の流れ、すべての商品の流れが矛盾なくつながらなければならないと知ったときは、頭が真っ白になりそうなほどの衝撃を受けました。日々の記帳は遺漏なくつづけてきましたが、いわば点の確認でしかありません。それを1年のループとして矛盾なく処理しなければなかったからです。そこでまず、経理が辞めたあとの2月以降の伝票をチェック。本来ならばこれでOKのはずですが、そうはならず、元経理の担当した10月にまで遡ってチェックし直さざるをえませんでした。
いろいろ問題は噴出しましたが、最大の問題は、返品と買掛金が二重計上されていたことと、実際にはない売掛金の入金が計上されていたことです。出版物の清算処理は複雑なので、意図せざるミスなのかとも思いましたが、売掛金が異常な赤字になっているのをみれば、記帳の間違いにはすぐに気がつくはずです。買掛金の二重計上は、支払済みのもので架空のものとはいえ、帳簿上は買掛金=借金が残るという結果になっています。架空の入金処理の方は手書きの振替伝票には記帳されておらず、伝票チェックの段階では気がつきませんでした。会計ソフトの元帳で確認してはじめて気がつきました。これまでどこからも入金されたことのないような高額が何度も計上され、しかも相手勘定に立つはずの銀行名はなし。銀行等の金融機関の口座残高と帳簿の残高は何度もチェックし、両者の残高がぴたりと合うまで、三原時代の8月にまで遡り、不明部分は必死で探し出しました。しかし無いものまでは探しだしません。現実のお金の流れからもつかめなかったニセ計上です。
これらの異常に気がついたときは、タイムリミットも真近に迫っており、全身の震えが止まらないほどの恐怖を覚えました。巨額の負債を前にしたときも、体が震えるほどの恐怖は感じたことはありませんでした。この経理の異常が与えた衝撃は、巨額負債をはるかに上まわるものであったということだろうと思います。時間がないとは思いながらも、処理を続行する気力も萎え、一旦仕事を中断せざるをえなかったほどでした。翌日、気力を奮い立たせ、仕事を続行。他にもいろいろ障害にぶつかりましたが、ギリギリ何とか間に合いました。資料をそろえて税理士事務所に届けましたが、検閲はパスしました。しかも「よくできている」とのおほめの言葉までいただきました。
凄まじい体験でしたが、この体験は思いもかけない発見をももたらしてくれました。タイトルにかかげた、経理の実務が資本主義の真髄を端的に語っているとの発見です。具体的にいえば複式簿記が象徴する資本主義です。一人で短期の間に1年間の帳簿をチェックしましたが、経理の知識は皆無に等しく、参考書を見る暇もなく、過去の元帳や伝票をみながらの作業です。頼るべき知識がないので、なぜこうなるのか、記帳の意味や理由を絶えず自問自答したのですが、自問自答を繰り返す内に経理上の「点」が「線」になり、しかも互いの「線」がループをなして、否が応でもつながり合うようになっていることを知るに至りました。この真理を知ったときは、驚嘆のあまり、声をあげそうになったほどです。この記帳法を発明した人は天才だと、心の底から思いました。
数字が並ぶ経理の帳簿は一見無機的なものに見えますが、実は有機体そのものです。その最大の秘密は、貸方と借方という勘定の立て方にありました。互いに相手勘定を必ず立てるという記帳法は、慣れるまでは複雑怪奇なものに思われましたが、その理由が分かると、天才的な発明だと驚嘆させられました。実に簡潔に企業の実績を記録したものであり、企業の日々の活動を記した日誌の役目も果たしています。のみならず、絶えず外部との関係性を明らかにせざるをえない仕組みになっています。相手勘定を立てるという記帳法が、関係性を浮上させる仕組みを作っているわけですが、この一点において複式簿記による記帳法は、お金の流れや商品のながれを外に向かってオープンなものとして検証せざるをえないわけです。
この関係性による検証を経てはじめて資金や商品の流れが確定するわけですが、この記帳法は資本主義の真髄を象徴しているように思われます。関係性を排除した内部に閉じる経済体制では、資金や商品の流れは停滞します。閉鎖的な経済体制の破綻はすでに歴史の示すところですが、出版界を発信源にした、閉鎖系への動きは今もなおつづいています。閉鎖系が強まれば強まるほど、停滞は加速すること必定です。小さな地方出版社の帳簿から、資本主義とは何かを考えるきっかけを得たわけですが、現在の資本主義=自由主義経済がかかえる問題も、理論とは無縁の実務そのものと思われてきた複式簿記の記帳法の中に、考えるヒントがありそうに思われます。なお、元経理マンは製版所に再就職したらしい。印刷所の情報=出版社の情報が集まる業種です。(久本福子・ひさもとよしこ 記)
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