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葦レポート24号 07/5/18

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(1) 国家と税 5/18

最近突如として、安倍自公政権周辺から、ふるさと納税や寄附納税という新種の納税スタイルの導入が提案され、近づく参院選の争点にもしたいと考えてもいるらしい。webニュースによると、ふるさと納税は、今回、突如浮上する以前から、すでに与野党議員のお二人が提案されていたものだったらしく、元々の考案者には無断で借用したものだったという。何ともお粗末な顛末ですが、参院選を前に、何か有権者を引き付けるような目新しい政策はないかと、やっきになっている自公政権の焦りを感じさせる話です。しかし、そもそも国の納税制度を変更するという大問題を、思い付きのようにして出してきていいものなのかという、根本的な疑問を感じます。

納税制度とは国の根幹を支えるものです。地方自治体においても同
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様です。納税制度の確立なしには、国家も地方自治体も存在しえま せん。憲法に、納税が国民の義務であることが明記されているのもそのためです。国に強制的な徴税権があることを国民が認め、日本国民の義務として必至で納税しているのも、納税なしには国も地方自治体も成り立たないことを承知しているからです。義務である以上、国民にとっては納税するか否という、恣意的な選択は許されません。一定の収入があれば、個人であれ法人であれ、誰もが納税せねばならないということです。

納税が義務ではなく、国民の恣意的な選択に委ねられたならばどうなるか。義務である現在でも脱税者は跡を絶ちません。フリーだとなれば、納税者が激減するのは明らかです。ふるさと納税制度という言葉は、ぼんやりり聞いていると非常に耳触りよく響きます。「ふるさと」という甘美な響きが、地方を大事に思う気持ちに満ちあふれたイメージを喚起せずにはいないからです。しかし冷静に考えるならば、この納税制度は地方潰しを意図したものであると判断せざるを得ません。「ふるさと」とは何を意味するのか。戸籍には出生地が記載されていますが、この出生地とは単純に出産した産院の所在する地名が記載されており、母親が実家に帰って出産すれば、その実家の所在する地名が記載され、実際に育った場所の地名は出生地としては戸籍には記載されていません。わたしは3人の子供を、わたしの実家に帰って出産しましたので、子供たちは3人とも住んだことのないわたしの実家のある地名が、出生地として戸籍に記載されています。

とするならば、ふるさとの定義は簡単ではありません。転勤族はどうなるのか。居住年月の長短で決めるのか。××歳まで住んでいた所を「ふるさと」と決めよということなのか。これほど基準の曖昧なものものは、義務としての納税とはまったく別種のものだと言う他ありません。そもそも「ふるさと」の定義を法律で決めるというのも奇怪至極ですし、またどう定義しようと、納税者の恣意的な、あるいは主観的な判断で納税先を決めるということそのものが、税の根本的な存在意義と背反するものです。

それでも納税者の自主的な判断を尊重したいというのであれば、まずは国への納税から始めよといいたい。時の政権の国の運営の仕方に賛成するか否かで、納税するかどうかを決める。結果は火を見るより明らかです。自公政権は国税の自主納税などゆめ考えていな
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いでしょうし、第一、納税の義務化をはずすことなどありえぬことです。そんなことをすれば無政府状態に陥るからです。法的に納税の義務が国民に課されていても、国家が徴税する能力を喪失するならば、無政府状態に陥るというのは、エリティン末期のロシアが見本です。この時期のロシアは、政権と癒着した資本家が国家資産を私有したのみならず、ろくに納税をせずに、一般民衆は悲惨な生活を強いられていたといわれています。また割拠する地方の軍閥がその地の徴税権を握っている現在のイラクも、アメリカの軍事力によって無政府状態が生み出されたとはいえ、別の形の見本ともいえそうです。

これら他国を見るまでもなく、国のレベルで考えるならばありえぬ自主納税制度を、安倍自公政権はなぜ地方にだけ導入しようとするのか。申告納税の導入すら拒否している国は、安定的な徴税の重要性は百も承知しているわけです。にもかかわらずなぜ地方にだけフリーな税制を導入しようとするのか。狙いは明らかです。選別的な手法を使った地方潰しです。税の安定的な徴収制度の確立維持なしには、国も地方自治体も、存続すること自体不可能ですが、国としての責務を放棄したこのフリー納税は、400ヘクタール以上の農地にしか補助金を出さないという、農村破壊政策とも連動した地方破壊政策以外の何物でもありません。さらにその先にあるのは、道州制です。

しかし考えてみれば、イラク化にはまだ遠いとはいえ、日本はすでにエリティンロシアの末期状態に入りつつあるといういうべきでしょう。メンバーの変更はあったもの








の、小泉自公政権から始まり安倍自公政権の政策集団である経済諮問会議は、一見民主的な格好をしていますが、エリティンロシアの政商が集団化したようなものだといった方が分かりやすい。われわれ国民は、経済財政諮問会議の委員を選挙で選んだわけでも、政策決定の権限を負託したわけでもありません。にもかかわらず、小泉、安倍自公政権下では、政策決定に際し、諮問会議が事実上、有権者が選んだ国会議員よりも上位に位置しています。自公与党の国会議員は諮問会議が出した政策を成立させるための要員でしかない、というのが偽らざる姿です。自公の国会議員には政策立案能力はないのかと思わざるをえないほどですが、単なる賛成要員にしかすぎない国会議員に、なぜ税金を使った高い政治活動費を支給しているのか。諮問会議委員にも当然、手当ては支給されているはずです。

民主国家を標榜しながら、国民が選んだ与党の国会議員ですらほとんど政策策定にはタッチさせられずに、数人の民間人が日本国の政策を策定して、ほとんど即座にこれらの政策が法案化され、成立しています。成立の場面だけは与党議員も「活躍」していますが、ここで出される経済政策は、国の税金を使った仕事を民間企業がいかに奪取するかを考え、政策化したものばかりです。以前は、一部でなされていた税金を使った官の仕事を民間に委託する「公共工事」が、全面化するための政策が数人の民間人によって作られ、賛成要員の自公の与党議員の賛成によって成立するという図式です。集団的政商ないしはその代理人だと称する所以ですが、官から民への政策とは、言葉を変えるならば、税を使って民間企業に仕事をさせる、巨大な財政出動政策にほかならないということです。そこそこ景気がよくなるのは当然ですが、民間企業にっってこれほど楽な商売はありません。

しかし民間企業は、人の命より儲けが大事というのが至上命題になっていま

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す。例をあげれば枚挙に暇がありませんが、つい最近では、かきいれ時が終わるまで点検を延ばし、コースター殺人を犯したエクスポランド。今でも信じられないのは、欠陥が原因で事故死が相次いでいるのを承知しながら放置していた三菱自動車。膨大な数の保険料未払いが明るみに出た保健会社。こうした民の人命軽視を目の当たりにする日々の中、国民の生活と命を守ることが政治家のもっとも基本的な仕事であるとの自覚があるならば、公的な仕事を全面的に「公共事業化」して民に開放することなどできないはずですが、自公政権は脇目も振らず、つまりは国民など目に入らぬ風で、民間企業奉仕に務めています。公務員の人材バンクも、官僚機構そのものを民に開放することを狙ったものです。国民の生命財産を守ることなど二の次、三の次どころか、犠牲にしてもよろしいという政策であるのはいうまでもありません。

この新種の「公共工事」の筆頭はIT関連事業ですが、つい最近、経済財政諮問会議が出した答申では、医療関連のIT化促進を提言しています。カルテなどまで電子化されたらどうなるか。考えるだにおそろしい。電子化は非常に便利ではあるが、様々な危険と背中合わせであるということは片時も忘れないでもらいたい。

 

2007/5/18

久本福子
Yoshiko HISAMOTO

 

 

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