葦書房

葦書房有限会社
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菊畑茂久馬氏と「筑豊炭坑絵巻」 
2011/8/24 

 多忙につき、「デジタルブックレット葦」の更新をお休みしますとお知らせしておりますが、12ー5号に2回も追記しただけではなく、「筑豊炭坑絵巻」に関して緊急に発信することにいたしました。

 現在、福岡市美術館で菊畑茂久馬回顧展が開かれていますが、先日、会場に出向いて、新作を含めた菊畑氏の絵画作品やオブジェや、美学校の生徒が手がけたという、山本作兵衛氏の絵画を模写した何枚もの大型作品を観てきました。本来ならば、ここで感想の一言でも書くべきところですが、とてもそういう気にはなれないものを発見しました。会場に掲示されている解説文の中に、当社刊の『筑豊炭坑絵巻』に関して捏造記載がなされていたからです。作兵衛画の模写が展示されていたコーナーだったと思いますが、『筑豊炭坑絵巻』は菊畑氏が編纂し、出版したと書かれていただけではなく、本『絵巻』を出版した当社葦書房の名前は一字たりとも書かれていませんし、菊畑氏以外には一切名前はありません。この解説を読まれた方は、ユネスコ記憶遺産登録後、にわかに日本中の注目を浴びている作兵衛画の画集は菊畑氏が一人で編纂し、自費出版でもしたのかと大誤解を招くような解説です。

福岡市美術館の捏造については、田中丸コレクション展の時にも指摘しましたが、福岡市立の美術館でありながら、地元にゆかりの深い人物や事象などに関してその歴史的背景を無視して、事実に反した捏造を頻々と繰り返すことには唖然とせざるをえません。おそらく現在の福岡市美術館の学芸員たちは、展示作品や作品をめぐる歴史的背景などについては自ら資料を博捜して調査しないのかもしれません。あるいは歴史的背景は承知しているが、意図的に捏造しているのかもしれません。意図的な捏造でなければ、『筑豊炭坑絵巻』の現物で確かめればすぐにも分かります。本『絵巻』は画集ですので美術館の蔵書にあるはずですが、現物を見る手間すら省いたのでしょうか。

しかし、会場の解説は展示前には菊畑氏ご本人も目を通し、ご本人の了解なしには掲示されるはずはありませんので、菊畑氏同意のもとで解説は書かれたものであることは明らかです。というよりも、菊畑氏の意向で、菊畑氏が一人で編纂して出版したかのような、大誤解を誘引するような文章が書かれたのかもしれません。わたしはこの解説文を目にするや非常な衝撃を受けました。菊畑氏はこういう人だったのかという衝撃であり、驚愕です。「こういう人」というのは、人の業績を自分のものとするような図々しい人間だったのかという驚きです。三多の存命中ならば起こりえなかった捏造ですが、当人が反論できない死後ゆえになされた捏造は、反論を覚悟しての存命中になされる捏造よりもさらに悪質であり、卑怯千万です。

わたしはこの捏造記載への批判を書くに際して、三多の追悼録に収められている菊畑氏の追悼文に初めて目を通しました。この追悼録は、遺族には全く相談なしに勝手に作られたものですが、なぜか刊行委員になっている石風社の福元満治氏からわたしにも執筆依頼だけはきました。しかしおぞましい工作のために作られることが明白でしたので、わたしは追悼文も書きませんでした。おぞましい工作とは、葦書房の歴史や我が家をめぐる諸々の事情を、全くの赤の他人が集団で捏造するというものです。この集団には新聞社までもが加わるという凄まじいものでした。当然のことながらわたしは、出来上がった追悼録が三原氏から送られてきても、受取りを拒否し、長らくこの追悼録を目にすることもありませんでした。しかし葦書房で仕事を始めて、4年前の引越し時に社内に追悼録の残部がいくつかあることに初めて気づきましたが、そもそもおぞましさの詰まった本であるとの思いが強く、最近まで手にする気にもなれませんでした。必要に迫られて部分的に目を通すことはありましたが、それもごく一部に留まっていました。

しかし菊畑氏の思いもかけない側面を知って衝撃を受け、本日ふと、追悼録では菊畑氏は三多に何を語っているのかと思い、追悼録の菊畑氏の追悼文に初めて目を通した次第です。目を通して大驚愕しました。美術館の解説文どころではない大々捏造が書かれていたからです。詳細は煩雑になるので省きますが、葦書房の歴史まで捏造して、『筑豊炭坑絵巻』はあらゆる面において菊畑氏の尽力で刊行されたという内容が、ウソ八百並べて事細かに捏造されています。それも単なる歴史の捏造ではなく、三多の人格までをも卑小に歪曲さえしています。わたしは、菊畑氏がこれほど恥知らずな人物だったとは、今の今まで夢想だにしていませんでした。

葦書房は1970年3月に創立されましたが、この『筑豊炭坑絵巻』の刊行方針をめぐって社内で対立が起こりました。三多は豪華な画集として出版したいという強い思いでいましたが、創立間もない小さな出版社ですので、画集出版をするだけの体力などない中での大冒険出版です。当然のことながら、この冒険には反対する人もいて対立が深まりましたが、三多は自分の方針を貫き、反対する創業時のメンバーとは袂を分かって、1973年1月に『筑豊炭坑絵巻』出版を実現させましたが、出版までには6ヶ月余りかかったという。葦書房を離脱した方は1972年12月に梓書院を創立され、現在はご長男が跡を継いでおられるようです。

わたしは三多とは1971年の8月に結婚しましたが、当時の葦書房は大学の教科書出版や自費出版が中心でした。当然、売り上げも少なく、三多の給料はアパートの家賃を払うと一銭も残らないという状況でした。そういう中での大冒険です。三多は、作兵衛さんの絵そのものの魅力によほど衝撃を受けたのだと思います。そして作兵衛さんの絵の魅力は万人をも捉え、『筑豊炭坑絵巻』は大反響を呼びました。『絵巻』の出版前と後とでは、葦書房の社会的認知度には、天と地ほどの違いがありました。

 三多や葦書房にとって、菊畑氏が大事な書き手の一人であったことや、菊畑氏から作兵衛画の絵としての魅力について、画家の立場から色々話をしていただいたことも事実ですが、三多が『筑豊炭坑絵巻』の出版を決心したのは、菊畑氏からレクチャーを受けたからではなく、それ以前に、菊畑氏とは別の人物によって作兵衛画と直接対面する機会を得て、その直接対面の瞬間に受けた、言葉にはし難い衝撃ゆえにです。『筑豊炭坑絵巻』は出版後大反響を呼び、葦書房を物心両面で支えてくれただけではなく、その後の葦書房の活動を支える心棒のような存在でありつづけました。1981年には超豪華版の作兵衛画集『王国と闇』を限定出版しましたが、一冊3万8000円という高価本にもかかわらず、ほぼ完売しました。葦書房でのこれらの作兵衛画集の出版がなければ、今回のユネスコ記憶遺産への登録もなかったのではないかと思います。また『絵巻』出版は葦書房を物心両面で支えてくれただけではく、菊畑氏にとっても、画家としての活動を新たなステージへと転換させる重大な契機となったはずです。

葦書房は『筑豊炭坑絵巻』の出版の成功により、経済的なゆとりが生れたこともあり、1973年の秋に、熊本在住の渡辺京二氏や石牟礼道子氏などが編集同人となった季刊誌「暗河」の出版を始めました。菊畑氏の評論活動は、この雑誌を介して本格的に始まったといっても過言ではありません。菊畑氏の画家としての活動は、それより前に九州派の活動などを通してすでに世上にその名は知られていたと思われますが、葦書房を媒介にして本格的に始まった理論家としての活動は、それまでの菊畑氏の画家としての仕事をさらに深化、拡大させる重要な契機となったはずです。

菊畑氏の理論家としての名を一気に知らしめしたのは、1975年冬刊「暗河」6号に掲載された「フジタよ眠れ」です。これは、それまで世間に広く流通していた戦争画論を、根底から覆すような特異な藤田嗣治論でしたが、菊畑氏にとってはこれが「暗河」に初めて発表された評論でした。その後、1975年秋刊の「暗河」9号には、菊畑氏が初めて評論としてまとめられた山本作兵衛論「川筋画狂人」が発表されています。この二つの評論は、菊畑氏の理論家としての地位を決定付けたといっても過言ではないはずです。また『筑豊炭坑絵巻』発刊から2年後に、菊畑氏が初めて作兵衛論を書かれたという事実は、葦書房での『絵巻』の出版が、菊畑氏にも大きな影響を及ぼしたことを如実に物語っていると思われます。1973年刊の『筑豊炭坑絵巻』には菊畑氏の文章はもとより、その名前すらどこにも出ていませんが、1981年刊の『王国と闇』には、菊畑氏の「川筋画狂人」よりもさらに深化された、かなり長大な作兵衛論も収録されています。また「暗河」に発表された評論を含めて、葦書房では菊畑氏の著書を多数出版しています。菊畑氏はもっと謙虚に事実と向き合うべきではないでしょうか。

ただ後半、三多と菊畑氏との間には、かつてのような親密さが薄らいできたことも事実です。しかし死者への追悼に、ウソ八百並べて死者を冒涜するような捏造文を寄せることが許されるのでしょうか。しかも三多の死後1年して出された追悼録のみならず、死後まる17年経って開催された展覧会にまで、平然と捏造文を掲載するとは、ただただ呆れ果てるばかりです。菊畑さん、あなたはそれほどまでして、さらに盛名を手にしたとして、この先どこへ行こうというのでしょうか。

展覧会場には、販売用書籍の搬入もあり、わたしは2度出向いていますが、いずれも休館かと見紛うほどに閑散としていましたので、捏造文を目にした人もそう多くはないかとは思われますが、新聞社などのマスコミ関係者が目にしていますので、この捏造が拡散される可能性は非常に大きい。驚いたことにはNHKラジオでは繰り返し、菊畑茂久馬展を紹介していました。通常、NHKは公平さを一応の看板にしていますので、同じ展覧会を何度も紹介することはありませんが、菊畑展だけは異例の特別扱いを受けています。菊畑氏がいかにマスコミの支援を受けているかを物語るものです。朝日新聞も熱のこもった紹介記事を書いていましたが、おそらく他紙も同様だろうと思います。しかもこの回顧展は長崎美術館との同時開催という、大がかりなものです。両館の展示作品は違うようですが、菊畑氏の業績紹介の中に、同様の捏造があるかもしれません。そうなれば三多の出身地長崎においても、三多の業績を抹殺するような捏造文が掲示されている可能性もあります。とうてい看過できるものではありません。

わたしは三多の死後、異様な捏造が横行し続けた様を目の当たりにして、死んだら何をされるか分からないという、非常な恐怖に襲われてきました。死そのものへの恐怖ではなく、自分が死んだ後、どれほどのウソ八百に襲われるのかという恐怖です。死んでしまえば、どれほどのウソ八百を浴びせかけられても、反論も抗議もできないということは、死そのものよりもはるかに深刻な恐怖です。残された子供たちには防ぎようもない捏造攻撃です。わたしと葦書房は、平然と異様な捏造攻撃をつづける、異様な人々や新聞社に取り囲まれています。今日までよくぞ命だけは失わずにきたものだと思わざるをえない環境下に置かれてきましたが、これ以上のウソ八百の捏造攻撃から葦書房とわたしの名誉を守るためには、今後も一日も長く生き延びること。これがわたしの切実な願いです。

これほどまでの異様な環境に晒されつづけてきた出版社は、日本広しといえども葦書房だけではないかと思います。しかし日本中が福岡市の出版界のようになっているわけではなく、福岡市だけの特異な状況だと思います。それだけが唯一の救いへの道だと思います。どうか公正な救いへの道が開かれることを切に念じつつ、抗議の文を終えることといたします。

 

久本福子
HISAMOTO YOSHIKO

葦書房有限会社
福岡市中央区警固2丁目2-11
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