葦書房

デジタル新聞葦 17号
Digital Newspaper Ashi 17 2009/5/19

 

葦書房有限会社
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(5) 教育の世界標準化 6/17 6/22↓
(4) 日本の知財無策 6/9↓
(3) 棄民 6/2↓
(2) 高機能都市化 5/26↓

(!) 民主党代表選 5/19 

 

民主党の代表選は異例の短期決戦でしたが、短期決戦ゆえにかえって鳩山、岡田両氏の政策の違いがすっきりと簡潔に示され、有権者にとってはそれまでもやもやとよくは分からなかった、民主党内の2大潮流の政策の違いを理解する格好の機会になりました。2大潮流とはいうまでもなく親小沢グループと、反小沢、非小沢グループのことですが、大枠では当然のことながら政策に違いはないとはいえ、個々具体的な政策では多々違いのあることは、これまでも繰り返し新聞などのマスコミでも報道されてきました。一般的には小沢的な政治手法などと解説されており、安全保障分野を除けば、政策にさほどの違いがあるとは思われてこなかったのではいか。

しかし今回の代表選では、意外な違いのあることが分かりました。両氏の主張の最大の違いは、政策実現のための財源論です。岡田氏ははっきりと消費税増税を視野に入れるべきだとの立場ですが、鳩山氏は消費税論議よりも、省庁などの徹底したムダの排除こそが最優先課

書名索引

題であるとの立場です。鳩山氏の主張は小沢前代表の政策を踏襲したものですが、ムダ排除は、それだけでは財源の裏付けとはなりえぬとの批判が自民党から繰り返しなされてきたものでもありました。岡田氏の消費税論議は、小沢流ムダ排除論は具体性に乏しく、財源の裏付けにはなりえぬとする民主党内の反小沢、非小沢グループの考えを代弁したものであったということも、今回の代表選で分かりました。

ということで、岡田氏の主張は自民党の主張と一部重なる部分もありますが、岡田氏は現下の不況下では消費税増税も現実的ではないことも考慮してか、財源が確保できた段階で順次政策を実行に移すという慎重な姿勢も見せていました。岡田氏のこの姿勢は、誠実さと責任感の強さを示したものだとの印象を与えるかもしれませんが、政策とは財源の裏付けとセットになって初めて政策と呼ばれるべきもではないのでしょうか。財源の裏付けが出来次第実行に移すという政策とは、政策が提示された現時点では、絵に描いた餅にしかすぎません。言うだけならタダ、財源の裏付けをとり、実行可能なものでなければ政策とは呼べません。

では鳩山氏の主張する徹底したムダ排除は、実行可能な財源になりうるのかどうか。わたしの素人判断ながら、十分に財源になりうるはず。というのも、わたしはかねてから、各省庁で、政治家のまったく関知しない巨額予算を使った事業が毎年数多く実施されることに、非常に疑問を抱いていました。いったい誰が、何時、かかる巨額予算を

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官僚に渡し、彼らが勝手に次々と反国民的な事業に巨額な税金を浪費することを許しているのか、不可解に思っていました。この長年の疑問が解けたのは、わりと最近のことです。

確か、NHKの日曜討論だったと思いますが、小沢前代表が出演した折に、政策実現のための財源を問われて、これまで自公政権は、各省庁の要求額を全部認めてそれをベースの予算を組んでいるが、省庁からの要求をベースにするのではなく、ゼロから洗い直して、本当に必要なもかどうかを政治家が精査して予算を決めるという方式に大転換すれば、ムダは大幅に減らせるという風に答えていたのを聞き、目からウロコ気分に襲われました。この中には、当然、無数のタコ足状に増殖している、各省庁傘下の公益法人などの天下り機関の全廃も含まれています。

この話でわたしは初めて、官僚たちがなぜ政治家の関知しないところで巨額な予算を平然と使うことができるのか、理解できました。自公政権は、具体的な使途を問わず、調べず、検証せずに、年度予算として、また補正予算として、官僚の要求に任せて、どんと巨額な税金を官僚たちに回していたわけです。もちろん、中には国会で決まった政

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策実施のための予算も含まれていますが、ベースはあくまでも毎年出される各省庁からの予算要求額です。

現在審議中の今年度補正予算案にも、反国民的なムダがてんこ盛りです。ムダは多々ありますが、特に大問題なのは、省庁の出先機関の増殖のために巨額費用が計上されていることです。地方分権が叫ばれている渦中に、地方整備局などの国の出先機関の建物を建て替えるという。中でも最も目立つのは、文科省傘下機関の増殖です。47都道府県全部に、何とか機構という研究機関を設置するとのこと。すでに30数都道府県には、似たような国の研究機関があるらしい。すでに設置されているのも無用ではないか。各都道府県には国立大学があり、県や市町村にも農業や工業の研究機関があります。国立大学に対しては、廃止に追い込もうとしているのではないかと思われるほどの予算の締め付けをしていながら、文科省直属の研究機関を設置しようとは如何なる了見なのか。47都道府県に研究機関を設置しようとは、おそらく文科省は、国立大学の大半を潰し、文科省直属の簡単に天下り可能な研究機関を増殖させようとしているのではないか。

文科省関係だけではなく、最近は各省庁傘下の研究機関が異常に増え

蔵出しいっぽん

ているのではいか。研究機関といえば政治家の批判も受けにくく、天下り批判も受けにくいとの計算があるからではないか。国公立大学や医療機関に対しては予算削減の理由探しのための、見当はずれの無用な査定を実施する一方、官僚自らが管轄する××機構などの研究機関は審査なし。官僚の天下りと箔付けのための機関でしかない、これらの研究機関は、即刻全廃すべきです。最近急に目立ち始めていますが、わたしがこれまで新聞やラジオなどのメディアで見聞きした、××機構の教授や研究員の書いたものや話は、なぜわざわざこんな研究機関のために税金を使わなければならないのか、と思わざるをえない程度のレベルです。

ところが、補正予算審議の国会中継で偶々聞いた、自民党の町村議員は、民主党議員のムダ指摘に対し、××研究機構の研究は、大学などの民間には無理だから予算は必要だと答えていました。わたしは思わず我が耳を疑いました。官より民の方が優れているとの論法で、「官から民へ」の構造改革という名の日本の大破壊策を推進してきた、自公政権の要職にあった町村氏が平然とこんな答弁をするとは、呆れ果ててモノも言えません。各省庁の下部組織である××機構は研究機関としては、はっきりいって無用。最近は有名大学の有名教授を招い

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て、レベルを上げようとしているようですが、研究は基本的には大学に任せるべきです。大学ならば、教授本人の研究は即、学生に還元され、研究成果は人的にも拡大、蓄積され、日本社会の基盤を強固に支える重要な資産となりますが、××機構にはそうした機能はありません。加えて、機構の研究そのものの質も極めて低い。つい数週間前にも、ある機構が開発したというIT機器がラジオニュースで紹介されていましたが、民間の企業なら、すぐにも開発したはずと思われるようなものでした。こんな「研究機関」のためになぜ税金を投入するのか。これらの研究機関を全廃し、予算を大学に回せといいたい。

このまま××機構を存続させるならば、大学の研究成果が官僚達に盗まれることになるはずです。昨今の官僚の質の低下は、こんな推測さえ不当だとは言えぬほどにまで達しています。自公政権が推進している日本破壊策の一環として、文科省が実施している競争的予算配分策

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を受けて、全国立大学から提出される詳細な研究資料は、外部勢力のみならず、官僚たちにとっても「共有」財産になっているはず。大学へは予算を回さずに、研究だけを盗み、彼らの研究成果として利用する。今の日本はこんな異常な犯罪も起こりかねない有り様です。呆れたことには、財務省の諮問会議は大学の選別策をさらに強化するよう提言しています。東芝の会長が座長を務めているというのに、日本の産業基盤強化に教育こそが最重要課題であることを全く理解していません。より正確にいうならば、日本の教育の質の低下の原因を全く理解しておらず、選別策を強化すれば、教育の質が上がるとでも考えているらしい単細胞には呆れ果てています。いかにも、今風経済界的思考です。

経済界といえば、岡田氏が力を入れる年金の税負担方式には御手洗経団連会長も大賛成だとのことで、二人が仲良く並んだ写真が先日ネットニュースに掲載されていましたが、企業が賛成するのは当然です。年金の企業負担分がなくなるからです。これは企業にとってはかなりの負担軽減になります。しかし年金の税負担方式は企業はの負担を軽減するためのものではないことはいうまでもありません。企業は従業員の複利厚生を図る責任があります。企業は軽減される年金負担分相当を法人税に加算して納めるべきです。岡田氏ならびに民主党は、も

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し年金の税負担方式を本気で実現するのであれば、企業の年金負担を軽減させるのではなく、現在企業が負担している年金負担分に相当する額を法人税に加算して徴収し、企業にも相応の社会的責任を果たさせるべきです。それでなければ、この年金政策は、企業優遇を狙った反国民的政策以外の何物でもありません。岡田氏は、消費税を当てるべきだと主張していますが、消費税は貧しいものほど負担は大きくなります。企業を優遇して、貧困層をさらに苦しめるような政策は、年金政策とはいえぬまやかしでしかありません。

岡田氏はまたアジア内需の拡大を代表選で主張していましたが、これはまさに新自由主義のアジア版です。企業にとってはもっとも楽で安易な需要拡大策ですが、日本国民のさらなる貧困化がもっと大規模に進行する恐るべき政策です。のみならず今回の世界不況が証明しているように、国民の貧困化は、ブーメランのように企業に返ってきます。(5/20) そういえば岡田氏は、5年前の代表時の総選挙では、選挙戦をアメリカの広告代理店に全面的に任せるという前代未聞の選挙手法を採用し、惨敗しました。アメリカの真似をしたのでしょうが、広告代理店に選挙を任せるなどとは、政党の党首の資格はあるのかと言

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いたい。しかも日本の税金が投入されている選挙戦にアメリカの広告会社を使うとは、正直なところ、開いた口が塞がらない。現在は多少は変化はあるのかと思いましたが、アジア内需を重要政策として掲げたところを見ると、さして変っていない模様。岡田氏はまた、在日外国人の地方選挙権付与にも熱心です。岡田氏は、日本よりも海外を向いていることだけは確かなようです。(5/20)

代表選が終わりましたので、かねてから岡田氏に対して抱いていた疑問を書かせていただきました。マスコミはイメージだけで事実とは異なったに報道をしますが、民主党の幹事長という要職に就き、マニュフェスト政策の責任者も兼ねるとのことらしいので、総選挙も間近に迫っておりすゆえ、国民のためになる政策を作っていただきたく、正直に疑問を開陳しました。鳩山代表は、岡田氏の政策にも重大な欠陥のあることを認識しつつ、民主党の政策を策定すべく広く議論を重ねていただきたい。今回の総選挙では、おそらく民主党が勝利するのではないかと思いますし、わたしもそう願っております。それゆえの苦言です。(5/20)

さらに追加しますが、今補正予算案には、マンガ、アニメ専用館建設のために200億円近い予算も含まれています。文化庁の事業ですので文科省管轄予算ですが、日本では今目の前で、30代の青年が家なく、職なく、食なきがゆえに自殺に追い込まれており、その数は史上最多に上っているとの報告が警察庁から発表されたばかりです。館の運用が始まると当然維持費もかかります。文科省は、小中高で毎年多数の不登校児、生徒が発生しているにもかかわらず、その実態調査もせずに放置したままです。マンガ、アニメの殖産興業よりも、不登校児の実態を調査し、その原因と対策に国を挙げて取り組むべきではないか。

不登校児に関しては、名前は忘れましたが、元文部官僚で現在は京都造型芸術大学教授(映画論)が無理に学校に登校させなくともよろしいとの指針を示して以来、放置してもよろしいということになっているのではないか。無理に登校させることには問題のあるケースもあるにせよ、彼らの教育を受ける権利をいかにして保障すのか、それを考えるのが文部官僚の仕事ではないのか。マンガ、アニメ館は最近、明治大が建てたはず。京都にも精華大が開設しており、この上、なぜ国立のマンガ、アニメ館まで建てる必要があるのか。マンガ、アニメ館を建てる費用があれば、子供たちを救う事業に回せと言いたい。不登校児を放置しつづけることは、彼らの生存そのものが危うくなるばかりか、日本の人口減少をさらに加速させます。また自力で生活できない若者が増えるということは、彼ら自身にとっての不幸であるばかりか、社会的な負担の増大を招くことになることはいうまでもありません。

マンガ、アニメ館にはこの先も税金を投入しつづけざるをえませんが、不登校児が自力で生活ができるようになれば、彼ら自身の働きは生産現場で様々な価値を生み出すことになり、その一部は納税され、様々な形で社会に還元されます。人への投資は、無限の再生産を可能にします。(5/20)

なおもう一点付け加えますと、我が国には、映画関連専門の美術館というか図書館は一つもありません。黒澤監督の作品を収蔵展示する施設は佐賀県有田市に開設されていますが、長い歴史を持つ日本映画の作品や資料を収蔵、展示する施設は皆無です。これは考えてみれば不可解至極。アニメばかりが脚光を浴びているのは、一重に輸出商品であるがゆえにです。真に日本の文化振興を考えるならば、アニメ館よりもまず、国立の映画専門館を建設すべきではないのでしょうか。日本映画が蓄積してきた文化的価値はアニメの比ではありません。日本映画の文化的価値は、アニメとは比較にならないほどの厚み、深みがあることは誰にも否定はできないはず。(5/20)

 

(2) 高機能都市化 5/26

前回(1)に、5/20付けで5ケ所に追記しています。未読の方は是非ご一読を。

昨年秋頃だったと思いますが、正式な名称は忘れましたが、総務省が「高機能都市化策」を実施するとの新聞記事を目にしました。小さな一段記事でしたが、中身は重大です。「高機能都市」という名称そのものがまずは余りにも日本語離れをした奇怪なものですが、名は体を表すとはまさにこのこと。過疎化の進む地方都市の過疎化対策として考案されたものらしいのですが、地方都市のA市とB市を連携させて、それぞれの都市機能を中心地に集めるという政策です。連携させる都市は各都道府県内だけではなく、複数県にまたがる場合もあるとい

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う。何のことはない。地方のさらなる切り捨て策です。平成の大合併で市町村の数は半分近くに減少しましたが、高機能都市化策で市町村の数をさらに減少させると同時に、都道府県を廃止させようという魂胆です。いうまでもなく道州制へのなし崩し的地ならし策です。しかも国会では一度も審議せずに、総務省が勝手に地方を再編しようとしているわけです。

都道府県や市町村という行政区分は、我々の生活の場であると同時に地方自治の基盤でもあるわけです。その地方の再編を国会の審議も経ずに、なぜ総務省が勝手に進めることができるのか。国会無視、国民不在もいいとこです。しかもA市とB市の組み合わせは、総務省が勝手に決めており、高機能化に選ばれた都市には、総務省からかなりの予算が交付されることになっています。地方自治体には公立病院の閉鎖をも迫るような締め付けを続ける総務省ですが、その蔭で住民にとっては全く無意味なムダな予算を、特定の自治体にはばらまいています。過疎化対策を本気で考えるならば、財源を地方に回し、生活の場の再構築を地方自身に任せるべきです。都市機能を中心地に集めれば過疎化の問題は解消されるどころか、過疎化した地方の完全なる切り捨てになるのは明白です。

今年の春からさらなる地方自治体の締め付け策が強化され、地方の公立病院の閉鎖が加速される事態を迎えていますが、病院がなくなれば、生活の場はますます脆弱なものにならざるをえません。小泉構造改革による地方切り捨て策強行以降も、自公政権は今現在に至るも地方破壊策を強行しています。小泉以降もむしろ地方破壊策は加速していると見るべきでしょう。小泉構造改革批判も重要ですが、小泉批判だけに集中していると、今現在の自公政権の凶悪政策の危険性を見逃すおそれがあります。総務省の国会を無視した地方切り捨て策も、自公政権の意を汲んだものであることはいうまでもありません。

地方破壊策を切れ目なく強行し、地方の過疎化を進行させ、住民の不満が充満する頃、その対策として地方都市の高機能化策を導入し、数市

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町村の中心地に病院や商業施設などを集める。当然のことながら、中心地から離れた人々にとっては不便この上もない、苛酷な生活環境が出現します。遠く離れた住民は死のうがどうしょうが、知ったことではないという恐るべき政策です。

しかもこの高機能都市化策は総務省だけではなく、他省庁も加担しています。1,2ヶ月前のNHKのラジオ講演会で、確か環境省管轄だったと思いますが、××機構の研究員が講師になって講演したのですが、その講師も「高機能都市」という言葉こそは使ってはいませんでしたが、同じ趣旨の話をしていました。少子高齢化対策には、日本の社会構造の大転換が必要だと力説しながら説くその大転換策とは、都市に機能を集中させて、老人も都市に住めるようにすることだということでした。

要するに、数市町村にまたがる広域地域の中心地に、病院や商業施設などの生活に必要な都市機能を集め、老若男女を問わず、住民をその中心地や周辺に集めて住わせるという、いわば地方のゲットー化策が密かに進められています。このゲットーに入らなければ生活しずらいシステムが、やがて日本中に隈無くはりめぐらされることになるであろうことはことはいうまでもありません。ある特定の地域に集中して人々が居住することになれば、住民の監視が容易になることは、かつてのユダヤ人ゲットーの例を見るまでもありません。

加えて、高機能都市化策が進むならば、郊外に多数出店している大型商業施設の劇的な淘汰、閉鎖が進むであろうこともいうまでもありません。小泉構造改革で出店規制が解除され、日本中至る所に大型商業

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施設が激増し、日本中の風景を激変させました。大型商業施設出店規制解除は、地方破壊策の一つとして推進されたのは明白ですが、わたしは密かに、何時かこの反動策が実施されるのではないかと考えていました。大型商業施設を壊滅するための政策です。高機能都市化策がシナリオ通りに進むならば、郊外の大型商業施設は無用になりますが、そうなれば、施設の施主は店子以上に大打撃をこうむります。流通業界を牛耳ろうとしている勢力にとっては、巨大なライバルを一掃するに、これ以上の有効な政策はありません。高機能都市化策は、まさに一石数鳥の効果を期待されている自公政権の秘策です。

道州制も高機能都市化策そのものに外なりませんが、この政策は、日本のクニが誕生した古代の昔から、長い長い歳月をかけて形成され、蓄積されてきた日本の歴史、伝統、文化や生活の場を一気に破壊するばかりか、日本人をゲットーに囲い込み、監視しやすい環境をつくろうという、新種の独裁体制構築をも狙った恐るべき政策です。自公政権は少子高齢化をお題目のごとく唱えるものの、少なくとも小泉自公政権以降は、未だかつて本気で少子化対策を実施したことがないのも、高機能都市化策実現を狙っているからです。つまり日本の人口が増えれば、地方のゲットー化策は実施できないからです。

坂口厚労大臣の時代に突如として、年金の扱いに関連して広域都市という奇妙な名称が使われはじめたのも、高機能都市化策実施への布石であったのはいうまでもありません。最近は余り使われなくなりましたが、広域化への動きが止まったわけではありません。手を変え品を変え、さらに巧妙に高機能都市化策が喧伝されつづけています。この自公政権の政策の宣伝役として活躍するのが、各省庁管轄下の多数の××機構という名のエせ研究機関です。(なお日本と同じ勢力の影響下にある韓国では、日本に先立ち、釜山広域市という新種の行政区分が誕生しています。5/27)

書名索引

日本を300ぐらいの市町村にまとめ、それらの市町村(「村」は消されてしまうかもしれませんが)の中心地に都市機能を集中させ、そこに人々を移住させると、広大な土地や田畑が主のいなまま残されることになりますが、実は田畑を中心にした地方の土地を巻き上げることも、高機能都市化策の大きな狙いです。自公政権を支えている勢力は、日本の農業の中国化をも狙っているわけです。すなわち農民から農地を取上げ、農業の産業化を進めると同時に、農業の派遣労働化をも狙っているということです。中国の農民は悲惨な状況下で酷使され、安い農産物の生産に従事させられています。日本でも同様のことが起ころうとしているわけですが、そうなると、当然のことながら農村は破壊され、日本破壊策は究極の地点にまで達します。

麻生総理と自民党議員はどこまでこの日本破壊策を認識しているのかは不明ですが、創価学会が政権を牛耳るようになって以降の日本の政治も社会も、異常事態の続出です。しかもこの異常は日本国内のみならず、国外でも続出です。北朝鮮が地下核実験を実施し大問題になっていますが、そのタイミングは余りにも不自然です。盧前大統領の自殺により、李大統領への批判が高まりかけた直後の核実験は、前大統領の自殺から人々の目を一気にそらせてしまました。もちろん李大統領がそんな工作をするはずはありません。日韓のみならず世界を牛耳ろうとしている勢力による工作です。そういえばフランス創価学会は、フランスの核研究施設のすぐ側に、創価学会の施設を建設しようとして問題になったことがあります。アメリカでも核実験施設のあるネバダ州に創価大学のための土地を購入しています。大学はカリフォにア州に建てたようですが、創価学会が核先進国の核施設に、いたく興味を抱いていることだけは間違いないようです。

今回の北朝鮮の核実験は、北朝鮮の核技術が格段に高まっていることを示しているようですが、外部の、西側技術者の協力があったのではないのか。そして何よりも、地下核実験をするには、「衛星」打ち上げ以上のかなり巨額な費用が必要なはずですが、それらの費用の出所はどこなのか。日本政府が拉致家族の一部と引き換えに提供した、兆単位の資金が使われているのではないのか。

実は北朝鮮の核実験が起こる前に、韓国に関する奇妙なニュースが流れていました。韓国で新型インフルエンザのワクチンが開発され、世界初の快挙だとのニュースです。5/18のことですが、韓国が医療分野で先進的な研究を進めていたとのニュースは聞いたことはありません。のみならず今回の新型インフルエンザでも、韓国で罹患が疑われる患者が発生した時、罹患しているかどうかを調べてもらうために、韓国当局は検体をアメリカに送ったとのことがNHKニュースで報じられていました。わたしは、韓国は自国で調べることができないのかと心底驚いてしまいました。新型インフルエンザかどうかを調べる能力が不足している韓国で、なぜ世界初の新型インフルエンザワクチンを開発ることができるのか。また時間的にも、開発は不可能なのではないか。もし韓国の徐教授のワクチン開発が事実であるならば、事前に新型インフルエンザウイルスを使い、ワクチン開発が進んでいたのではないか。

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この韓国での世界初のワクチン開発ニュースは、新型インフルエンザが人為的に発生させられたのではないかとの、前号で書いたわたしの疑問の真実性が強まったのではないかと思い、前回触れるつもりでしたが、書き忘れておりました。そこに盧前大統領の自殺と北朝鮮の核実験と、重大ニュースが続きました。不可解さはいよいよ募ります。

日本破壊策を進める勢力は、日本国内のみならず世界の力関係の逆転を目論でいます。その最大の狙い目は医療、科学分野における力関係の逆転です。日本でも日本人の科学分野からの排除策がひそかに進められていますが、世界規模でも同様の工作が進んでいます。先進国を完全に牛耳るのは難しいですが、中低進国を牛耳るのは、それほど難しくはないからです。医療、科学領域を中低進国に移転すれば、世界の医療、科学を牛耳じることも可能です。例えば、北朝鮮に核兵器の開発技術を移転すれば世界制覇も可能です。北朝鮮は様々な点で自力では核開発をする能力はなく、背後霊の指示に従わざるをえません。一般的な医療、科学においても同様の工作が行われます。

今回のインフルエンザ騒動は、韓国の医療技術の「高さ」を演出することも狙いの一つではなかったのかと思われます。もちろん韓国の李大統領の関知するところではありません。日韓を含む、世界制覇を狙う勢力による画策です。

ところで悪辣なパルコの旧岩田屋出店問題はどうなったのでしょうか。改装工事は中止されずに進められているようですが。

●5/27  昨夜のNHKニュースによると、民主党の小沢前代表の秘書が保釈されたとのこと。保釈金は1500万円。検察はこの秘書の保釈には反対で東京地裁に対し、準抗告をしたそうですが、地裁はこれを退け、保釈された秘書は、容疑に対する無罪を記者団に語り、裁判でも無罪を主張していく旨語ったとのことでした。秘書自らが容疑を認めたとの検察報道がありましたが、これも全く事実に反する検察の捏造であったことが、今回の秘書の保釈で明らかになりました。恐ろしいことですが、このニュースを聞き、前回(1)で書き忘れたことを追記することにしました。

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民主党の代表選のあった5/16の朝刊に、小沢代表の献金疑惑にかんする捜査状況を報道する記事が掲載されていました。さすがに扱いは一面トップのような大きな扱いではありませんでしたが、確か三面記事だったと思いますが、すぐにも目につく大きさでした。内容は、事件報道当時、何度も報道されていたものと全く変らない内容でした。何か特別新しい事実が出てきたというのであれば、すぐにも捜査結果を公表すべきでしょうが、何一つ新しい事実はないにもかかわらず、代表選当日の朝刊に掲載されるような報道の仕方をするとは、小沢氏の影響力の根絶を狙う、検察の余りに露骨な権力濫用ぶりには寒気を覚えます。

これほどの検察の偏向は、単に権力構造の変化に対する保身からくる抵抗だとは思えません。この異常な偏向は、検察権力の保身的抵抗の域をはるかに逸脱したものだと考えざるをえません。つまり現在の検察中枢の一部には、特殊な目的を持った特定勢力か、その勢力の影響下にある傀儡的人物が送り込まれているのではないかということです。自公政権を事実上支えている勢力であることはいうまでもありません。政権外にある勢力が、検察を部分的にでもあれ、牛耳ることは不可能です。その勢力とは、創価学会以外には考えられません。

検察の権力濫用は、一人小沢氏にのみ関わる問題ではありません。検察の権力濫用許すならば、その濫用はあらゆる人々に及びうる危険性を孕んでいます。(5/27)

 

(3) 棄民 6/2

上記5/27に、小沢問題で追記しています。未読の方はぜひご一読を。

では本題に入ります。新聞などのマスコミは全く報道しませんが、福岡市内でも今、ホームレスが急増しています。20数年以上も昔から、福岡県立美術館のある天神の須崎公園には、一つだけホームレスの人が作った小さな小屋がありました。木材で作られた小さな小屋でもあり、雑木の植わったあたりの風景の一部と化している感がありました。小屋の主に変化はあったのかどうかは不明ですが、小屋そのものは今も変りなく定位置から動かず、今も住居として使われているようです。ところが20年以上も変化のなかったこの周辺に、大きな変化が出始めました。最初の変化に気づいたのは、わたしが葦書房の仕事を始めてしばらく経った、2003年の頃ことです。仕事

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を兼ねて久々に福岡県立美術館に行ったのですが、小屋の近くに、青いビニールシートのテントが出現しているのが目に入りびっくりしました。

3年東京にいて、2002年の9月に福岡に戻ってさほど時間も経っていない頃でした。東京では新宿の戸山公園や上野公園には、ホームレスの人の作った青いビニールシートのテントが沢山並んでいました。その側を通る時は何時も、福岡では未だかつて見たことはないなあと、大都会東京と地方都市福岡の違いに思いを馳せたものでした。地方ではどれほどの事態になろうとも、いくら何でも、テント暮らしを余儀なくされるようなホームレスは出ないだろうと思っていました。ところが久々に戻った福岡で、それまで見たこともなかった青いビニールテントの突如の出現。わたしはこの光景を見た瞬間、東京の戸山公園か上野公園から青いテントが引越してきたのかと、本気で思ってしまいました。しばらくして冷静になって考えると、東京から福岡までテント込みの移動には、大変なお金がかかる。ホームレスの人には無理だろうということに思い至りました。

もちろん福岡でも博多駅などにホームレスの人が寝泊まりしていたことはありましたが、テントを張って定住するという光景は見たことはありませんでした。すぐには受け入れることのできなかった、眼前に出現した青いテントという現実でしたが、最近はさらに激増しています。昨年の夏頃にも、仕事で県立美術館に出向きましたが、その時は大きな変化はありませんでした。ところがつい先日偶々側を通って、青いテントがずらりと増えているのを目にしました。間違いなく、昨年秋の世界金融恐慌で一斉派遣切りされた労働者たちも、このテントの新住人になっているはずです。

しかし福岡市のホームレス村は、須崎公園だけではありません。昨年11月頃、久々に福岡城址の中を通ったのですが、この中にも青いビニールテントが沢山並んでいました。城址は非常に広大なので余り目にはつきませんが、テントの数は、現在の須崎公園よりもずっと多い。もちろん以前には城址にもテントは皆無でした。この城跡を公園として整備しようとの動きが、子供病院移転問題と絡めて突如浮上していますが、公園整備よりも、住む家もなくホームレスにならざるをえなくなった人々を救うことの方が先決問題ではないのでしょうか(6/3) わたしの住む南区などの住宅地域ではホームレスの人たちは見かけたことはありませんので、ホームレスの人たちの居住エリアは中央区の都心部に集中しているよ

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うですが、中央区でもわたしが目にしたのは、わたしが日常的に動く中央区のごく一部です。が、そのごく一部で目にした光景からも、地方都市にまでホームレスが激増するという、かつてはありえなかった悲惨な状況が拡大していることが分かります。

そういえば、最近、事務所や周辺の不燃ゴミ出し日の収集前に、アルミ缶などの金属類を集めに来るホームレスの人々の中に、若者だと一目で分かる年若い人たちが増えています。今の日本では、前途有為な若者が、仕事も住む場所もないがゆえに自殺かホームレスかという、悲惨な二者択一を迫られています。自公政権は、景気は回復の兆しを見せているとして、自らの景気対策の効果が出たきたとの自己宣伝をしていますが、ホームレスが激増しているという光景を目前にすると、仮に景気が回復することがあるにしても、その恩恵に浴することができるのは一部の人たちであり、国民の多くはボロ雑巾のようにうち棄てられたままだと考えざるをえません。そして一部の人たちにしか景気回復の恩恵が及ばないがゆえに、景気回復は力強いものとはなりえぬことも明白です。

福岡市は九州では最優良都市ですが、その福岡市でも、最近突如とし
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てホームレスが急増しているという異常事態は、人為的な理由によるものであることは明白です。すなわち自公政権の政策によって生み出された結果だということです。小泉自公政権以降現在に至るまで、繰り返し強調されてきたのは、いかにして生産性を上げるかということです。成長戦略というもっともらしい言葉で表現されていましたが、分かりやすくいえば、モノの生産やサービスの提供において、いかにコストを下げるかということです。労働者派遣の全面自由化は、コスト削減には多大な貢献をしたわけですが、この政策の最大の欠陥は、生産は作ったモノを売って初めて意味を持つということを全く考えていなということです。サービスも、コスト削減に成功しても、そのサービスを買ってくれる消費者がいなければ、まったく無意味だということです。生産やサービスは消費にまで到達してはじめて経済活動として完結したことになるわけですが、小泉自公政権以来の日本の経済政策は、ただひたすら生産現場でのコスト削減だけを追求してきた、非常に偏頗なものでした。

日本の労働者を派遣労働でギリギリ絞り上げただけではなく、低賃金労働者を求めて、海外生産も激増しました。大企業のみならず、中小企業までもがどんどん海外へ進出しました。こんな現象はかつてはありえなかったはずですが、自公政権が国策として奨励した結果です。確かに生産コストは下がったとは思いますが、日本国内での購買力、消費力は低下の一途を辿っています。その理由としては少子化が原因だとする論調が主流になっていますが、かつてというよりも、自公政

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権誕生以前までは、企業経営者の経営目標であった生産コストの削減を、まるで国家目標のごとく、日本の経済政策の中心に据えてきた自公政権の政策にこそ、すべての責任があるというべきでしょう。国家戦略が企業戦略程度のレベルにまで落ちたというのが、自公政権の政権運営の最大の特徴です。

先週だったか、参議院での国会中継で、麻生総理が定額給付金に対する民主党の批判に対する反論として、現在非課税者が2800万人もいるので、減税方式にすると、非課税の人たちには減税の恩恵は及ばないからと答えていましたが、わたしは非課税者となる低所得者が2800万人もいるということに心底驚愕しました。一瞬、総理の言い間違いではないのかとも思いましたが、その後訂正も入っていませんでしたので、事実らしい。派遣労働者の増大が背景にあるものと思われますが、これは言葉もないほどの異常な数字です。麻生総理は驚いた風もなく、淡々とこの数字を口にしていましたが、日本の社会全体の再生産そのものを不可能にするほどの数ではないのかと思わずにはいられません。

低所得層の増大は、税収額が減少するばかりか、経済活動そのものの低下をも招かずにはいません。かつて日本では、若者は社会に出て職を得て数年すると、結婚して家庭を持ち、その子供が長じて新たに彼らの家庭を持つという、社会的な人的再生産が滞りなく行われきました。これは生物としての人間の当然の営みであると共に、人間らしい生活の最低の営みですが、このごく当然の生活の繰り返しこそが、経済活動を強固にする基盤をも作ってきました。車にせよ家にせよ、既存の家庭や老人には不要です。結婚して新たに家庭を持てば、車や家を買おうという購買動機も生まれてきます。特に家やマンションなどは、新しく家庭を持たない限り、購買動機が生まれるはずはありません。麻生自公政権は結婚もできないこれらの貧困層を放置したまま、住宅減税を繰り返していますが、ほとんど効を奏さぬ無意味な経済対策です。貧困ゆえに結婚もできないという事態は、人口減少に拍車をかけるだけではなく、日本の経済力の基盤を弱体化させる大きな要因となっています。

実はわたしの長男も葦書房で仕事をする前ですが、就職活動をしたもののなかなか仕事が見つからず、やむなく一時あるメーカーの派遣労働をしたことがありました。派遣先は、福岡からは遠く離れた他県の工場でしたので、寮に入っていました。後で聞くと民間のアパートを会社が借り上げたもので、賃金の中から寮費などを差し引かれ、手取
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額は募集要項に書かれていたものからは、ほど遠いものだったようです。労働者をあちこちから集めて工場の近くの寮に入れて働かせるというのは、効率的には非常にいいとは思いますが、効率だけではないはず。寮住いをさせるもう一つの狙いは、派遣会社が寮費と称して賃金からピンはねするためではないかと思われます。ピンはねされるので、派遣労働者は働いても働いても、自分でアパートを借りる貯えすらできないという悲惨な状況に追いやられています。長男だけではなく、派遣労働者のほとんどが同様の状況に置かれてきたというのは、事実が証明しています。(6/3)

今や労働人口の三分の一にまで達したという派遣労働者の大半が、かつての日本では考えられないような悲惨な環境に置かれています。仮に結婚しても、貧困は家庭崩壊を招かずにはいません。事実、いくつもの悲惨な家庭惨劇も起こっています。かつての日本にはいくら貧しくても、粗末な家でも住む家ぐらいは誰もが持っていました。日本で強制労働をさせられたといって日本政府に賠償を求めてきた韓国朝鮮人や中国人も、日本で「強制労働」をさせられながらも、住む家を持ち、結婚もし、子供を生み、育てる生活の最低は保証されていました。今回のテーマからははずれますが、韓国も中国も戦前は、自国では働く仕事そのものがなかったという事実を忘れるべきではありません。戦前の韓国の李王朝も中国の清朝も、自力で産業を興す能力はゼロ、その意欲すら持っていなかったからです。

確かに炭坑労働の過酷さは、今では想像もできないほど苛酷なものだったと思われますが、韓国朝鮮人や中国人のみならず、日本人もまったく同じ状況に置かれていました。しかし今では想像することもできないほどの苛酷な労働環境に置かれていた炭坑労働者ですら、現在の日本の派遣労働者よりははるかに人間らしい生活をしていたというべきでしょう。どれほど粗末な家でも定住する場所があり、定住して生活ができるということは、人間らしい生活をするための最低の条件です。もちろん定住するためには、継続して働くことのできる職場が必要です。日本の派遣労働者の最大の悲惨事は、住む家すら自分で借りることすらできない環境で働かされてきたことにあると思います。仕事のあ

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る時ですら、彼らには住む家がありませんでした。全員寮に入れて働かせるという異常なシステムが作られていたからです。こうした派遣労働を政策的に生み出し、許してきたのは自公政権です。

このシステムを温存したまま、自公政権は人材を海外に求める動きを強めようとしています。これまでも何度か取上げた、インドネシアからの介護士が最近国家試験を受けたものの、漢字が難しくて合格できなかったそうですが、理由は漢字だけではないはずです。国家試験合格が定住の条件で来日した彼らは、このままでは帰国せざるをえないので、何とか日本で働きたいという彼らの要望を受け、外務省も条件緩和に動き出しています。これほど奇怪なことがあるでしょうか。日本で働きたいのであれば、彼らは来日するまでに、仕事をするに必要な日本語を十分に学習し、習得するべきです。国家試験を受験できる程度にまで日本語に習熟した段階で来日すべきです。それが職を求めて来日する、日本に対する最低の礼儀ではないのか。そんな最低の礼儀も弁えなく、来日した彼らになぜ格別の配慮をする必要があるのか。

そもそもインドネシアもイスラム国ゆえに、富が一部の人に遍在し、経済活動も停滞しています。海外への出稼ぎが同国の主要産業の一つであるというのは、フィリピンと似ています。最大の「輸出品」が労働者。これほど楽な経済政策はあるでしょうか。子供を生み続けさえすれば、外貨が獲得できるわけですから。しかも「輸出先」の日本や欧米は、インドネシアやフィリピンの賃金よりも遥かに高い。労せずして外貨獲得が可能です。(6/3) 一年ほど前だったと思いますが、NHKラジオで聞いたニュースです。インドネシアで、富者が貧しい人々に日本円換算で、数百円の布施をするというので大勢の人々が列をなした並んでいたところ、そのお金を我先にもらおうと競う人々の下敷きになって死人まで出たという。しばしば美化して語られるイスラム教特有の布施の一光景です。この事件はイスラム教の他者を憐れむ精神の現れを語るものではなく、貧富の差の異常なまでの大きさを物語る以外の何物でもありません。そして、同国の貧者は、物心両面において、他者を踏み倒してでも布施のカネをもらわざるをえないほどの、凄まじい状況に置かれているということをも示しています。

合わせて、近代的な社会保障制度の存在しない、イスラム国の制度の異常さをも改めて思い知らされました。来日したインドネシアの介護士の中にも、イスラム教徒であることをこれ見よがしに見せつけるような被りものをつけた女性もいますが、そのイスラム教が、彼らの国でいかなる政治を行っているのかを、冷静に振り返るべきです。自らは日本語を学習せずに、全て日本任せで来日し、後は既成事実で居座ろうとする、これほど常識のない彼らの滞在と職を保証するために、
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なぜ日本の外務省は条件緩和に動くのか。今日本では、職なく、家なく、自殺を余儀なくされ、はたまたホームレスにならざるをえない若者が激増しています。ホームレスも数が増えれば、彼ら全員が命をつなぐことも難しくなるのは目に見えています。ホームレスの中からも、自殺者が出てくることは避け難いのではないのか。

ところで福岡市には世界の住宅貧困者を救うことを目的にした国連関連機関であるハビタットが数年前に開設されました。アジア大平洋地域でハビタットがあるのは福岡市だけだそうですが、つい先日その責任者が朝日新聞紙上で、彼らの業績を紹介していました。福岡ハビタットの仕事は、アフガニスタンでの住宅建設が中心だったと誇らし気に語っていました。国際版公共事業ですが、福岡ハビタットがなぜ福岡に開設されたのかは、これで明白です。福岡市にはアフガン支援組織ぺシャワール会があるからです。福岡ハビタットの事務所は、コンサートもしばしば開かれるアクロス福岡という県立の立派な大きなビルに入っていますが、ハビタットがこのビルに事務所を開設してからは、ぺシャワール会の催物もこのアクロス福岡で開催されるようになりました。当然のこととはいえ、両者が緊密な関係にあることは明白です。(6/3) 国連には日本もかなりの資金を拠出していますが、その一部がハビタットにも流れているはずです。アフガン支援といえば、泣く子も黙るほどの威力があり、どれほど援助しても誰も文句は言いません。それどころ賞賛されます。そういえば、福岡市の吉田市長も数年前のハビタット開設時に100万円の寄附をしています。新聞に大きく出ていましたが、もちろん吉田市長個人のポケットマネーではありません。

しかし世界の住宅困窮者救済といいながら、目の前にいる家のない日本の住宅困窮者は放置されたままです。外国支援に熱心なのは自公政権のみならず、国連関連機関も同じです。日本では貧困層のための住宅は絶対的に不足していますが、自公政権は放置したままです。住むための家がないということは、彼らは全員住所不定とならざるをえません。ラジオニュースで聞いたのですが、派遣切りされた労働者にも定額給付金の手続きがとれるようにするために、担当者が住所を尋ねたところ、日本各地の派遣先を転々と移動せざるをえなかった彼らには答えるべき住所はなく、どこで生まれ育ったのかという、出身地を答えることしかできなかったという。これは衝撃的な事実です。派遣労働の悲惨さは、具体的な細部を知って初めて理解できるのではなかと思いますが、これほど異常で悲惨なことがあるでしょうか。現在の派遣労働は、全廃すべきです。総選挙が近づいていますが、住所も持たない元派遣労働者やホームレスの人たちは、投票をする機会をも奪われています。総選挙までに、住所を持たない彼らにも投票の機会を与えるような方法を、党派を超えて早急に考えるべきです。これほど残酷な労働法制を作った政治家全員の責任です。

しかしかつての日本の企業家は、雇用を維持するために、必死の努力をし、よほどの事態にまで至らないと首切りはしませんでした。それが層の厚い中流層を生み出し、内需の拡大を保証したわけです。企業の儲けが生きた循環を作り、経済を活性化させ、よき循環がさらに経済の成長を支えるという巡りを生み出してきました。ところが昨今の企業は、派遣労働の全面解禁で、モノが売れなくなるや即、解雇。その上、賃金の安い海外生産を激増させています。全く頭を使わずとも、企業経営ができるのではないかと思わずにはいられません。しかし楽をしたならば楽をした分、その反動を受けざるをえないことは、今回の世界不況が証明しています。

現在のような大量生産せざるをえない時代には、大量に生産されたモノを購入しうる消費者層をも大量に生み出さなければ、経済は回っていかないのは理の当然です。最近、民主党の岡田幹事長だけではなく、アジア内需の拡大という言い方で、日本の内需拡大ではなく、未だモノの行き渡っていないアジアの内需を拡大して、アメリカ依存から脱却せよという論法が拡がり始めています。これは一見、非常に安易な販路拡大法にも見えますが、果たしてこれが本当に日本の経済にプラスになるのか。なるはずはありません。アジアで売るためには、価格を非常に安くせざるをえません。例えばインドのタタ自動車が開発した、20万円の小型自動車のように。しかし日本のトヨタやホンダが、アジアで20万円の低価格自動車を売るために競争しても何の益もないのはいうまでもありません。20万円車を日本で製造する場合は、これまで以上に派遣労働者を苛酷な条件で働かせることになります。海外生産をするにしても、低賃金にも限度があります。一台当たりの儲けも少ない。労多くして益少なし。(6/3) 20万円車はインドに任せておけばいいではありませんか。

高度な技術をもつ日本企業は、その高度な技術が正当に評価されうるような市場を開拓する以外にはありません。その一番の市場は自国ではないのか。日本の労働者をボロ雑巾のように使い捨てるような手法
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をとりつづける限り、良質な市場の創出は不可能です。 80年代、急速に力をつけてきた韓国や中国などのアジア製の安い家電がどっと流入し始めた時には、日本企業はさほどあわてふためかず、低価格競争はせずに質での勝負で臨み、危機を品質向上のチャンスに変えました。その背景には、安さだけでには流されない、購買力のある広大な消費者層が日本国内には存在し、内需も企業を大きく支えてきたことがあったからです。経済のよき循環が活きていたわけです。安易な楽な方法をとれば、それ相応の報いがあるということは、経済活動においても例外ではありません。

●海難事故  4月16日に平戸沖で遭難した第11大榮丸も、自公政権の棄民政策の犠牲者だというべきでしょう。12人の乗組員が船室に閉じ込められたまま、80メートルの海底に放置されたままになっています。遺族をはじめ関係者は政府に対し、船の引き上げを繰り返し要請していますが、国交省も農水省も防衛省も、引き上げはできないとして遺族側の要請を拒否しています。ところがその一方で、操船上のミスが事故につながったのではないかとの容疑で刑事事件として立件すべく、船長をはじめ関係者に対する捜査が始められるという、驚くべきニュースも伝わっています。唯一の物的証拠である沈没船の引き上げや船室に閉じ込められている12人の乗組員の引き上げをせずに、一体どうやって事故の実態解明をしようというのでしょう。警察は生存者への聞き取りだけで、事故原因の解明をすると語っていましたが、地上の事故ではありえぬ捜査手法です。

事故原因解明のためにも船の引き上げは不可欠ですが、何よりも遺族の心情を考えるならば、政府は引き上げに尽力すべきではないのか。

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沈没船を海底に放置したまま、捜査を進めることだけを許してもいいのでしょうか。5月5日の朝日新聞に、息子さんを亡くされたお母さんのお一人が、船が沈没した海域に出て、慰霊の「儀式」をなさったとのことが出ていました。お母さんは息子さんの上着を海水に浸し、海水に濡れたその上着を抱き締め、「○○、帰るぞ」と、海底に沈んだままの息子さんに声をかけられたとのこと。ちょうど5月5日の子供の日の朝刊に出ていましたので、わたしはこの記事を読みながら、お母さんの無念さを思い、思わず涙がこぼれてしまいました。

船をすぐに引き上げることは難しいにしても、船室に閉じ込められている乗組員だけを先に引き上げることは、そう難しいことではないのではないか。海中写真家は始終海底にもぐって写真を撮っています。80メートルの海底にもぐることが困難だという理由が分かりません。
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国交省には巨大な海底探査船も1、2年前に就航しています。なぜ引き上げに尽力しないのか。船の引き上げには、数億円とか数十億円とかの費用がかかるらし いですが、今後の船の航行の安全対策を考える上でも、船を引き上げ、事故原因を解明することは必要不可欠ではないのか。

どう考えても、船の引き上げができないという理由が分かりません。引き上げると具合の悪いことでもあるのではないか。近年、海難事故が多発していますが、いずれも人為的に誘発されたものではないのか。昨今地上でもわざとぶつかって事故を起こす車事故が頻発していますが、同じことが海上でも起こっています。船同士の衝突以外では、海底からの事故工作もあり。

福岡でも韓国との間を航行するビートルが、航行中にイルカか何か大きな生き物のようなモノに当ったという出来事が何度か起こっています。今のところ大事には至っていませんが、一度ならともかく、何度も同じような記事を目にし、非常に不可解に思っていました。イルカにしろ鯨にしろ生き物ならば、エンジン音をたたて走る船に近づき、体を船にぶつけるなどということが起こるでしょうか。起こるはずはなく、むしろ船から遠ざかるはず。

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わざわざ船に当るようにして近づいてくるというのは、海の生物ではなく、人間が操作する何かの物体ではないのか。どこかの国の潜水艦か、遠隔操作による航行物体ではないのか。こうした疑いを抱かせるような事故も多発していますので、第11大榮丸を引き上げ、遭難原因を徹底的に調べていただきたい。時間が経てば、中に閉じ込められている乗組員の遺体も白骨化するのではないのか。あるいは事故の証拠隠滅のために、すでに船外に放り出されているかもしれません。JR西日本の福知山線脱線事故のように、物的証拠に基づく調査や捜査の結果、事故原因が明らかになっているにもかかわらず、事故当時の社長の責任は問われずに、事故当時技術部長であった現社長が立件されという異常な状況ですので、物的証拠があっても公正な捜査がなされる保証はありませんが、事故原因はまずは物的証拠に当るのが筋ではないのでしょうか。

昨年の千葉県沖での自衛隊のあたごの激突事故は船同士の衝突でしたが、これは明らかにあたごにが誘発したとしか思われぬ事故でした。海難審判でもあたごに責任ありとの審判が下されていますが、責任を問われたのは現場にいた隊員だけです。一番危険な海域航行中であるにもかかわらず、就寝中であった艦長は完全に免罪されています。しかも海難審判は刑事裁判ではないので、刑罰は科されない。刑事事件として立件されるよりも、扱いははるかに軽い。同じ海難事故でありながら、何という違いでしょう。

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また、昨年自衛隊の巡洋艦だったかで、隊員が缶コーヒーを温めるための電気機器を、地上で使うものと同じアンペアのものを持ち込み使用したのが原因で事故が起こりました。この事故で発生した故障の修理に、64 億円もの巨額な税金が使われています。わたしはその修理費の余りの巨額さと、事故原因の余りのお粗末さに今も忘れることができずにいます。これほど初歩的な知識も持たぬ隊員を乗艦させたこと、隊員にこの程度の初歩的な教育もできていないということを、自衛隊幹部は恥ずべきであり、程度の悪さを放置してきた防衛庁省大臣や自公政権は深く責任を感じるべきです。そしてこの64 億円については、当の隊員を含めて、全自衛隊員と自衛隊幹部並びに自公政権の政治家全員の責任で、それぞれの責任の重さに応じて負担し、全額国庫に返納せよ。

本当に救済されるべきはどちらなのか。自衛隊なのか、漁船の方なのか。政治家はとくと考えよ。(6/3)

 

(4) 日本の知財無策 6/9

6/3、前回 (3)の冒頭部分から分散的に追記していますが、最後に「海難事故」の小見出しをつけて大幅に追記しています。未読の方は是非、ご一読を。

今朝の朝日新聞に、「2700億円基金だれのために」との見出しで、麻生総理が突如打ち出した、「世界最先端研究」支援策に対する動きを報じていました。補正予算案に盛り込まれた基金の一つですが、世界トップ級の研究30をピックアップして支給する、超大盤振る舞いの研究支援策です。小泉自公政権以来今日まで、選択と集中と称して、国立大学の予算は、非常に偏りのある配分がなされてきています。その結果、国立大学の中には研究に支障をきたすばかりか、大学の存続そのものが危ぶまれる事態にまで立ち至っています。昨日の朝日は国立大学の窮状を報道していましたが、眼前の現実は「選択と集中」策が、国立大学の大半を潰すことを狙った亡国的愚策であることを如実に物語っています。

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今回の「世界トップ30」策は、大学破壊、研究破壊をさらに大規模に押し進めようという、これまた超愚策であることはいうまでもありません。2700億円という巨額資金を「トップ」30にばらまく前に、小泉自公政権以来今日まで続けられてきた大学に対する「選択と集中」策が、学問研究の向上にどれほどの貢献をしてきたのか、はたまた否かを徹底的に検証すべきです。とはいえ、あらためて検証するまでもなく、まったく無意味な雑用を増やしたばかりか、日本の大学の研究環境を破壊してきただけだといっても過言ではないはず。「選択と集中」策が、どんな優秀な研究を世に送り出したのか、おそらくこれといった目ぼしい成果は上がっていないのではないか。

ノーベル賞受賞研究やiPS細胞の山中京大教授の研究など、マスコミで話題になったような発明、発見や研究は、「選択と集中」策による支援から生まれたわけではありません。iPS細胞については、マスコミで話題になった後、特別に予算がつくようになったようですが、後追い支援です。「選択と集中」策が大学潰しに利用されているだけではなく、先端的研究を支援するという建て前上の機能も果たしていないことは、この一件からも明白です。以前にも書きましたが、今の日本は、学問研究が公正に評価される環境にはありません。特定の勢力が、研究者の研究を自陣営の勢力拡大のためひそかに利用するという、前代未聞の事態が進行しているからです。研究成果が公正に評価されない環境下で、巨額予算だけがばらまかれたならばどうなるか。研究だけではなく、予算そのものも巨大な利権として、特定勢力のみならず、大学外から狙われるのは日を見るよりも明らかです。

これまでの「選択と集中」策を見ても、文科省は本気で日本の学問研究の向上発展を考えているとは思えません。新聞などではどんな研究

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が選ばれ、どんな成果を上げているのかについては、未だ一度たりとも具体的に報道されたことがないので、その実態については外部からは窺い知ることはできませんが、文科省の評価の高い九大については地元でもあり、多少は事情も漏れ伝わってきます。最近の事例では、高樹のぶ子氏が、「文科省主催」のこの春の叙勲で、学術研究に貢献したとの理由により紫綬褒章を受章しています。高樹氏の学術研究といえば、九大特任教授としてアジア各国の作家と一緒に作品を書き、発表したという「業績」以外には聞いたことはありませんので、おそらくこの「業績」が叙勲の対象となったのでしょう。

またつい先日の新聞では、九大医学部では韓国の大学と衛星中継による連携授業が実施されているとのことが紹介されていました。韓国礼讃を社是とするらしい、例にもれずの朝日の記事でしたが、まるで韓国が、日本よりも医学先進国であるかのような印象を与えるような内容でした。しかしあらためていうまでもなく、韓国は今回の新型インフルエンザでも、罹患しているかどうかを自国で調べることができなきませんでした。ES細胞捏造騒動からも、まだ2,3年しか経っていません。当然、日韓の医学連携においても、研究成果は日本から韓国に提供される割合が圧倒しているのは明白です。文科省並びに文科省が人選した審査委員の評価が高いという九大には、当然のことながら潤沢な予算が配分されていますが、その潤沢な予算の一部が、韓国をはじめ他国の教育のために使われています。大半の国立大学の予算は、ギリギリに絞り上げられている一方だというのに、何という不可解さ。

九大は数年前、韓国現代文化研究所を開設することを表明しました。

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折からの韓流ブームに煽られたとしか思えぬ九大の動きには、本気なのかと信じられぬ思いに襲われ、当サイトで批判いたしました。わたしの批判が多少なりとも影響したのか、韓国現代文化研究所の開設は沙汰やみになり、その代わりなのか、アジアにまで枠を拡大した研究所が開設され、高樹氏はその研究所の研究員として招かれ、マスコミで華々しく報道されました。アジアに近い福岡に立地する九大がアジア研究をするのはいいとしても、九大は日本国民の税金で運営されている国立大学であり、何よりもまずは日本国民と地域住民に対して、大学として、研究機関としての使命を果たすべきです。

ところが九大は、福岡市の西のはずれに移転してからは、福岡市民や福岡県民に対して、接点をもつような動きを見せていません。九大の目はもっぱらアジアに向いています。救急車での搬送拒否が続出した時も、ドクターへりで病院に搬送されたものの、医師不足で3時間も4時間も待たされるという異常事態が続出しても、九大は素知らん顔をしていました。道州制推進論者は、ドクターへりの導入促進のためにも道州制は不可欠だと主張していますが、愚かというか滑稽というしかありません。福岡では九電の社長、会長を歴任し、九経連会長も務めた鎌田宙貞氏が、異常なほどの道州制推進論者ですが、道州制は地域を破壊し、日本を破壊するだけの恐怖の超愚策であることを、あらためて強調しておきます。また道州制と東北アジア一体化策や東南アジア一体化策とは表裏一体の関係にあることも強調しておきます。

とはいえ、この九大も水素エネルギーの研究開発では、地域密着で研究も進めています。九大周辺の地域の住民に、エコエネルギーとして水素発電装置を使ってもらって、その実用化への課題を探ろうという試みが九大と地域ぐるみで進められています。福岡県も支援する次世代エネルギー開発に向けた一大プロジェクトです。九大の装置ではどのようにして水素を取り出しているのかは不明ですが、水を電気分解

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すれば簡単に水素が取り出されることは素人にも分かります。しかも水は安価で、日本ではほとんど無尽蔵にあります。エネルギーの源としてはこれほど便利でありがたいものはないはずですが、水素発電は九大の試みが唯一、先進的なものではないかと思われます。九大以外には、マスコミで報道されたことはないはずです。

素人的に考えると、人工的に生み出すエネルギーとしては、水素エネルギーほど便利で簡単なものはないと思われます。水素爆弾があるように、エネルギーとしての威力も相当強力です。しかしエネルギーとしての実用化はこれまで試みられることはありませんでした。以前紹介しました東工大の矢部孝教授のラジオ講演や矢部研究室サイトでの研究紹介を読んだけの素人理解ですが、水素を取り出すための水の電気分解には大量の電気が必要であり、従来型エネルギーの代替エネルギーとしては実用化には適さなかったのではないか。矢部教授の講演を聞くまではエネルギーなどには全く関心を抱いたこともなかったので、九大の水素発電がこの課題をどう克服したのかは不明ですが、矢部教授のレーザー駆動装置を使った、Mgを貯蔵庫にした太陽エネルギーの実用化研究では水素の取り出しも簡単です。既存の電気を使わずに、太陽光だけで水素も取り出すことが可能になります。レーザー駆動装置の威力ゆえにです。

九大の水素発電装置は、矢部教授の研究の助けを借りてレーザ駆動装置を利用すれば、水素発電のエネルギー源である水素を、電気を使わずとも太陽光だけで取り出すことが可能になり、文字通りのエコエネルギ-の実用化を実現することも夢ではありません。しかし文科省と審査委員会は九大には潤沢な科研費を出しても、矢部教授の研究に対しては正当な評価をせずに、「選択と集中」の対象にはしていません。「選択と集中」策の亡国的愚策ぶりを示しています。この扱いの違いは、「選択と集中」策が、日本の学問研究を真に向上発展させることを目
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指して作られたものではなく、ある特定の勢力が、国立大学の大半を潰し、自陣営の影響力を及ぼしたいたい大学を選択的に残し、その大学を中心に予算を集中して投下しようと目論んでいるからです。おそらく彼らの残したい大学は、国立大学では旧帝大を中心にした8〜10大学ぐらいか、あと数大学。道州制の道州の数と合致するはず。

要するに日本の文部官僚とその官僚に操られている自公政権は、日本の研究者の研究をまともに支援しようとはしていませんし、優れた研究を本気で支援しようとは考えていないということだけははっきりしています。つい先日、アメリカで世界最大規模の国立のレーザー施設が完成したとのことが、小さな一段記事で紹介されていました。200本ほどのレーザー装置を使って、太陽光をはじめとした宇宙からの光をキャッチし、研究するための施設です。同じ頃、日本の自公政権と文科省は、マンガ、アニメの殿堂を建てるための補正予算を、野党や圧倒的多数の国民の非難を無視して、強引に成立させました。何という違いか。

NHKラジオで講演が放送されましたし、わたしも何度も紹介していますので、矢部教授のレーザーを使った、世界唯一の先端的研究そのものについてはかなり広く知られるようになっているはずです。ラジオ講演は誰が聞いても分かりますし、矢部研究室サイト内の解説も非常に分かりやすい。素直に読めば誰もが、エネルギーのみならず、水不足問題をも一気に解決へと導く、世紀の大発明だと即理解できるはず。この世紀の大発明を実用化可能なものにしたのは、レーザー駆動装置です。そう理解するならば、文科省は言うに及ばず、全省庁や政府が率先して、この研究の実用化を後押しすべく、日本でもアメリカに先駆けて、国立のレーザー施設が建てられても不思議はありません。ところが日本ではアニメの殿堂。政治家も官僚も痴呆状態にあるとしか思えませんが、単純な痴呆ではなく、特定の勢力による日本解体策推進のために実施されている、痴呆化策が効を奏した結果によるものですので始末に悪い。

矢部教授はNHKのラジオ講演では、この発明を特許出願中だと話しておられましたが、特許は取得されたのかどうか。自公政権は2700億円もの巨額資金を突如放出し、日本の研究を底上げすると意気込んでい
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ますが、日本では研究の結果せっかく特許を取っても、十分に活用される環境は整備されていません。それどころか、外資のファンドなどの餌食に晒されています。朝日新聞のGlobeという特別付録紙によると、日本の大学や研究機関で取得した特許は、特許支援が昨年の08年で打ち切られてしまったので、最近は、外資に運用を任せる動きが目立ち始めているという。特許の維持にはお金がかかりますが、予算を削られる一方なので、大学や研究所が自ら、特許を使った資金調達をせざるをえなくなり、その方面に詳しいとされる外資に委託することになったという。

日本のバイオ研究の拠点の一つである理研は、シンガポールのファンドに特許の運用を委託してるそうですが、何と、ファンド側は理研の特許に対して、10年間で20億円の資金を提供する約束になっているとのこと。10年という長い年月では約束が実際に履行されるのかどうかは非常に曖昧で怪しい。しかも特許は世界でたった一つの発明ですし、扱う理研の特許はいくつもあるはず。理研の特許総体では、はるかにもっと高く買われるはず。これではまるで、シンガポールのファンドに、タダ同然で理研の研究そのものを売ったも同然です。朝日のGlobeでは、こうした取引が危険だとの認識は全く示されていませんでしたので、当社の新聞では、危険性を強調するために特別に赤文字にしておきます。(6/10)

特許の売買運用には、通常の金融商品とは違った、その研究分野の専門的知識をもった機関が介在すべきだと思われますが、シンガポールのファンドは、普通ファンドのようです。よくもこんなファンドに、貴重な特許を渡したものだと、日本の研究無策に唖然とせざるをえません。仮に、特許そのものを商品として売買することにするのであれば、日本人の手で特許の価値を理解できる人材を集めた専門機関を作り、日本の知的財産を守りながら、資金調達にも乗り出す体制を確立してからのことではないのか。そうした体制を構築することもせずに、研究費を一方的に削減し、特許をむざむざと訳の分からない外資のファンドに任せてしまうような事態に追いやるようでは、政府の存在意義はないといわざるをえません。日本の大学や研究機関の特許は、シンガポールのみならず、欧米のファンドにも狙われているという。研究渦中にある研究の中身まで、嗅ぎ出しにくるファンドまであるという。

研究の大きな果実である特許を外資の餌食に晒したまま、「先端的研究」に、2700万円もの巨額資金を投入しても全く意味がありません。未だ今のところは、日本の研究水準は世界一だといっても間違いではないはずです。移民が一気に激増したアメリカや欧州では、当然の結果として、研究水準や最先端技術力はおしなべて低下しています。今日本の政府がなすべきことは、日本の研究環境を破壊する「選択と集中」策を即刻中止することです。そしての大学や研究機関が、サブプライムローンに代わる新たな獲物を狙っている、外資ファンドの犠牲にならぬような体制を早急に構築することです。日本の知財を有効に活用した特許市場の体制構築は、日本の特許を使ったあらたな市場を日本人自らが生み出すことになり、日本における新たな雇用創出にもつながるはずです。

ただ、先日朝日に、九大準教授が、特許はどんどん売れとばかりの論調で寄稿していまいたが、こうした誘惑には慎重にならざるをえません。名前は忘れましたが、九大準教授によると、欧米企業は特許をどんどん中国などに売って資金回収に励んでいるが、日本の企業は特許を抱え込んで売ろうとはしない。日本も欧米企業並に、中国などに特許をどんどん売って、資金を回収すべきだと訴えていました。しかしこの論理は、欧米の金融資本が、目前の儲けを研究費としてストックすることも許さず、即現金化して回収することを
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至上命題にしてきた、異様なものであることを意図的に隠したものでしかありません。企業のもつありとあらゆる資産は、すべて現金化されて株主の懐に流れ込むというのが、昨今の欧米流金融資本主義です。特許とても例外ではありません。企業のもつ資産という資産をすべて現金化して収奪しつくした挙句、その結果には一切責任は負わない。損失だけは国民の血税をじゃぶじゃぶ注ぎ込むことを要求して恬として恥じるところのない、金融資本主義の浅ましさは、世界中に流されているGM関連ニュースで日々目にさせられています。こんな浅ましい、アメリカ流金融資本主義の真似などする必要はあるのでしょうか。

ただ貴重な特許が十二分に活用されうるような、専門的な知識に裏打ちされた機関や仕組みができれば、研究者個人にとっても、大学や研究機関にとってもプラスになるはずです。研究者が自ら特許を市場で運用することは不可能ですので、やはり運用専門の組織は必要でしょう。日本の研究水準を本気で上げようと考えるならば、外国人の研究者の数を増やしたり、逆に日本の研究者を数値目標まで立てて海外に派遣するのではなく、崩壊の淵にある日本の研究環境を直視し、研究

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者の研究を公正かつ真摯に支える体制を構築し直すことです。「選択と集中」策をこの先も続けるならば、自公政権を支える特定勢力のさらなる肥大化を招くだけではなく、この政策の失敗や能力不足を隠蔽するために、官僚や審査委員も含めた勢力による、真に価値ある研究や、その研究をした研究者を闇に葬るような動きが、今後もつづくであろうことはいうまでもありません。日本の知財と研究者の安全と日本社会の安全を守るためにも、大学に対する「選択と集中」策は即刻中止せよ。そして、大学の質を保持するために、緩和した大学設置基準を以前の水準にまで戻せ、と言いたい。

なお、今回の新型インフルエンザ騒動は、日本のレーザー研究にまで、影響を及ぼしています。日本でインフル大騒動の渦中に、アメリカかどこかの海外で、国際的なレーザー学会が開催される予定であったという。ところが日本の研究者は、大騒動の渦中で海外渡航の自粛を余儀なくされ、学会出席も見送ったという。ご健在ならばレーザーの専門家でもあり、世界最先端の研究を発表された矢部教授も出席されたのではないかと思われます。偶然というには余りにも偶然にすぎますが、インフルエンザ騒動で、日本のレーザー研究者はせっかくの国際学会をキャンセルしています。新型インフルエンザが人為的に引き起こされたものではないかとのわたしの疑問は、ここでもさらに膨らみます。もっともその前に、日本の研究者には、海外の学会に出席する費用があるのかどうかの方が心配です。おそらく、インフルエンザがなくても、ほとんどの研究者が海外出張する費用などなかったのではないかとも思われますが。

 

 







 










また日本の技術力の向上維持には、派遣労働の廃止も不可欠です。派遣では製造現場での技術の定着と継承が果たされません。それどころか長男の体験によると、派遣労働者は作業で失敗した場合は、その失敗による損害も弁償させられ、賃金から差し引かれます。派遣労働に 依存する企業は、労働者を教育するための投資すら節約し、教育する責任すら放棄しています。今の日本は、研究の現場でも、企業の製造現場においても、技術の習熟や継承への流れを断つような政策が、日本政府の旗ふりのもと堂々と進められています。日本の技術力の定着、継承には、派遣労働の全面廃止という労働法制の転換も不可欠です。

なお、前回(3)を書いた翌日の朝刊に、福岡市ではホームレス支援に動き出したとのことが報じられていました。博多区の公園での支援の様子を写した写真が添えられていましたので、福岡市内のホームレス地域は中央区以外にも拡大しているようです。福岡市内でも家なく、職なく、文字どおり路頭に迷う人々が急増しています。(6/10)

 

(5) 教育の世界標準化 6/17 English 

6/10に、前回 (4) に赤文字緑文字で二ケ所追記しています。未読の方は、是非ご一読を。

自公政権下、大学の予算配分にも厳しい競争原理が導入されたのは、先進国中最低水準にある教育費をさらに削減することが最大の狙いですが、合わせて、成長分野に予算を集中的に投入することで、日本の研究レベルを世界のトップレベルにまで高めることも狙ったものです。ということは、自公政権と文科省は、日本の大学の研究レベルはかなり低下しているとの認識に立っていることを意味しています。その根拠

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はいうまでもなく、OECDが毎年発表する世界の大学ランキングでのランク落ちです。各大学の実力がどういう方法で調査されるのか、その詳細については分かりませんが、新聞などでもしばしば取り上げられる、主要調査ポイントは次の3点だと思われます。

その一、論文の引用数、その二、留学生の受入れ数、その三、海外からの教員受入れ数。ぼんやり新聞などを読んでいると、これらの基準は、いかにも大学の世界的レベルを示す指標になりそうだと思ってしまいそうですが、ちょっと冷静になると、これらの指標はいずれも、大学の学問的な質の良否とはまったく無関係であることにすぐにも気づきます。なぜ無関係であるのか。

その一、論文の引用数。引用された論文の数の多寡だけ競うことに、どんな意味があるのか。文系の学問にせよ理系の学問にせよ、引用された論文を執筆した研究者やその論文を引用した研究者が、学問的にどんな成果を上げたのか、どのような研究成果を上げたのか。それを問うことなしに、引用数だけを競うのはまったく無意味です。無能な学者が無能な学者の論文を引用する場合も起こりえます。その数が増えれば、無能な学者を抱える大学でも世界的に上位にランクされる可能性もゼロではありません。また自公政権を使い、日本の大学を牛耳ろうと画策している勢力は、世界の大学をも牛耳ろうと画策しています。その勢力の画策によっては、一部の大学の一部の学者が談合的にある特定の論文を引用する、あるいは引用し合うということも、起こりえます。つまり、論文の引用数だけでは、研究や大学のレベルを示す指標とはなりえないということです。

昨年ノーベル賞を受賞した、日本人3学者の論文の引用数はどうであったのか。おそらく、上位にランクされるほどの多数ではなかったはず。ノーベル賞三氏の受賞対象となった研究は、20、30年以上も前のことですが、現在進行形のiPS細胞で一躍世界的に有名になった、山中京大教授の研究論文はどうであったのか。自公政権の後追い支援からすると、日本ではほとんど知られていなかったということです。信じがたいことですが、ひょっとして文科省が毎年実施する、

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「選択と集中」策の対象にすらなっていなかったのではないか。とするならば、自公政権と文科省が進めてきた、大学を市場原理で選別するという政策が、どれほど反国民的な亡国策であるかを語って余りあるといわざるをえません。本当に優秀な研究には予算が投入されず、中身の乏しいエセ研究に潤沢に予算が投入され結果になっているのではないか。この無能、亡国の文科省が、この度の補正予算では47都道府県にさらに出先機関を増やすべく予算を獲得しています。自公政権がこの亡国の輩を支えているわけです。

世界の大学ランキングによる選別でも、おそらく似たような事態が起こっているのではないか。ランキング上位大学が、世界的に注目を浴びるような研究成果を上げているのかどうか。そういう話は聞いたことはありませんので、世界の大学ランキングも、研究の質的な内容とはほとんど無縁ではないのかと思われます。

その二、その三についても、留学生受入れ数や海外からの教員採用数が、なぜ大学のレベルの高低を測る指標となりうるのかは、全く理解不可能。優秀な大学には、海外からも優秀な留学生が集ります。しかし留学生の数の多寡は、大学の学問的レベルの質的な高低とは全く無関係です。ましてや海外から採用した教員の数の多寡など、学問的なレベルの高低とは全く無縁です。優秀な学者がそこここにゴロゴロいるはずはなく、また外国の学者が優秀だというのは全く根拠ゼロの、幻想以下のデタラメにしかすぎません。論文引用数や留学生数や外国人教員数などという、コンピューターで単純に計測できる数で大学をランクづけようとする発想そのものが、反学問的で単細胞的だといわざるをえません。こんな単純な計測で大学の良否が決められるのであれば、それはもう大学ではありませんし、そんな大学ならば大学は無用です。

しかしOECDが発表し出した世界大学ランキングは、不可解なことには、日本をはじめ世界の政府や大学関係者に強力なプレッシャーとして機能しています。しかしこれは非常に危険です。論文の質を問わず、引用数だけを競うというまったくバカバカしい競争は、学問研究には何一つ貢献しないどころか、学問研究の質的な発展を阻害するだけだからです。のみならず、この指標が強制力をもち、日本をはじめ

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世界中の大学が、留学生や外国人教員の数を増やす競争に邁進するならば、世界の大学はどうなるか。学問研究の質的低下のみならず、世界中の大学の均質化が一気に加速されることになるであろうことは、火を見るよりも明らかです。

数を競うためには、例えば日本の大学では日本語を全く理解できない留学生も受入れざるをえなくなります。当然のことながら、オール英語の授業も増えるでしょうが、日本の大学で日本語で授業をしない授業をすることに何の意味があるのか。海外留学とは、その国の大学でしか学ぶことのできない学問を研究するところに唯一、最大の意義があるはずなのに、その国の言葉を知らない、学ぶ意欲すらない留学生が、海外の大学に留学して一体何を学ぼうというのか。海外に留学するということは、自国では学ぶことのできないものを学ぶ絶好の機会にもなりえますが、自国の大学で学ぶよりもはるかに大きな困難を伴います。海外留学とは、その困難を克服する意欲をもった学生にのみ許される特権的な場であるべきです。そう考えるならば、留学生の数だけで、大学のレベルを測ることの愚かさは誰の目にも明らかです。外国人教員の数を競うことの愚かさはいうまでもありません。

OECDが世界の大学ランキングを発表しはじめたのは、そう古いことではありません。グローバル化の世界的な拡がりと軌を一にしています。グローバル化とは世界の均質化を目指したものですが、世界の大学の均質化を目指した大学ランキングも、グローバル化の動きの一環として生まれたものであることは言うまでもありません。しかも世界ランキングは大学のみならず、義務教育にまで及んでいます。OECDによる学力調査(PISA)、世界共通のテストで世界中の小中学生(12歳以下)の学力を調査することを目的に3年毎に実施されるテストですが、2000年から始まったという。実施の度に、日本の子供たちの学力低下が問題になっています。

わたしもつい最近までは、このテストの示す結果は、日本の子供たちの学力の現状をほぼ正確に反映したものだろうと思っていました。しかし1、2ヶ月ほど前に新聞に掲載された、文科省が実施した学力試験の国語の問題を見て、世界統一テストの弊害を問題にすべきだとの思いに襲われています。余り詳細に見る暇はありませんでしたが、国語の問題であるにもかかわらず、文章よりも図が多用されたもので、理科なのか算数なのか、訳の分からない奇妙きわまりない問題が出題されていました。ふざけているとしか思えぬ問題でした。この種の問題は今回初めて出題されたらしいですが、教育現場からも批判が出ているらしい。当然ですが、文科省によると、日本の子供たちにも、OECDの学力テストに対応した読解力を身につけさせるためのものだという。OECDテストを絶対基準にした、盲目的な政策です。驚かずにはおれません。

OECDのテストにまで目を通すヒマはありませんが、先ほどネットで検索したところ、2006年の数学の応用問題の一部が出てきました。たった一問だけで全体を論評することはできませんが、この応用問題も、とても数学の応用力を試すものだと言えないことだけは、素人にも断言できます。数学や理科などの自然科学ならば万国共通で、世界共通のテストも可能かと思っていましたが、およそ数学的とは思えぬ問題で、世界の子供たちの数学的応用力を問うことに、いったいどんな意義があるのか。意義はゼロどころかマイナスですらあると言わざるをえません。これほど高度に科学技術が発達した現代、世界の子供たちに、この時代を生き抜くための基礎的な学力を身につけさせることは、世界の政治家、学者の責務です。ところが日本の学者も世界の学

書名索引

者も、OECDのテストは最上のものだとでも信じこんでいるのか、テストの問題そのものを検証した気配すらありません。

わたしは国語以外は専門外で、目にした問題もごく一部でしかありませんが、先進各国が加盟するOECDが教育問題にまで影響力を行使し始め、世界中で実施するに至ったOECD学力テストは、基礎的な学力習得を目指したものだとは言い難いのではないか。そもそも、教育を世界統一の基準で標準化しようとするOECDの目的そのものが、反教育的な試みではないのでしょうか。しかし日本からも、世界からも、OECDが目論む教育の世界的均一化策に対する批判は、どこからも聞こえてきません。非常に無気味ですが、大学の世界的な均質化が進み、世界の大学から批評精神が駆逐されつつあることを証すものではないのか。世界的な金融恐慌をもたらした新自由主義が、急激な勢いで世界的な拡がりを見せるに至ったのも、世界の大学の均質化と無縁ではありません。アメリカの学者もイギリスの学者も日本の学者もフランスの学者もドイツの学者もそろって、新自由主義的グローバル化の推進論を唱えていました。そういう学者しかマスコミは重用しないという、世界のマスコミの均質化とも連動して、犯罪的な金融緩和策が歯止めなく進行しました。その挙句の恐慌。

大学を含む教育の世界的な均質化は、ある政策を、世界同時に実施するための基盤作りを目指したものであり、表向き言論の自由を保証しつつ、その実質においては世界の独裁化を目指したものです。つまり、OECDが実施する世界の大学ランキングも学力テストPISAも、世界のどこの国の教育にもプラスにはならず、世界の独裁化に至る教育の均質化をもたらすものでしかないということです。しかも教育の均質化は、教育の質の低下を招かずにはいません。大学のランキングが、学問研究の内容については全く無知でも、コンピュータさえ操作できればランク付けが可能である、単純な外形的要素の数値からはじき出されていることからも明白です。

日本でも世界でも、国際機間が実施するものには絶対的な価値があるかのような無批判的な思い込みがありますが、犯罪的な勢力が、国際機関の権威を利用して世界支配を目論んでいる現在は、この種の思い込みは非常に危険です。

ところで前回6/9に「(4) 知財無策」を公開した後、6/12の朝日新聞に、日本とシンガポールとの間で、特許審査のハイウェー化のための契約が取り交わされることになったとの記事が出ていました。自国での特許取得がほぼ可能な特許に対して、他国での早期の特許取得を可能にする取り決めとのことで、日本の特許が時間をあけず、海外でも特許として保護されることを目的にしたものです。他国に対しても同様の保護義務を負うものですが、日本は欧米諸国やシンガポールを除いたASEAN諸国との間では、すでにこの取り決めを交していたという。これまでシンガポール側が、この取り決めには応じなかったという。ということは、理研はよりにもよって、日本の特許の保護策を受け入れていない、シンガポールのファンドに特許の運用を任せていたということです。

理研の特許管理部署が、他国の特許の保護策を受入れていないシンガポールに、そうとは知らずに任せていたとは考えられません。おそらく理研の特許をめぐっても、日本をはじめ世界の大学や研究所を牛耳ろうとしている勢力が、蔭で動いているはず。そもそも日本のバイオ研究の拠点の一つである理研の研究成果を、タダ同然でシンガポールのファンドに委ねたということ自体、理研の研究者や日本国民に対する背信行為だといわざるをえません。日本の学問研究を犯罪者どもの餌食に晒して平然としている日本の政治家や官僚どもに激しい怒りを感じずにはいられません。偶然なのか、わたしの前回の記事がきっかけになったのか、シンガポールがやっと日本との間で、特許審査のハイウェー化に応じたということは、理研が被る被害が少しは減るのではないかと思われますが、こんな連中に特許を委ねること自体、非常に危険であることには変りはありません。

シンガポールといえば、セゾンの堤清二氏が、セゾン関連会社の総元締となる持株会社西友ホールディングスを置いている国です。西友はもとより、西武百貨店もロフトもパルコもファミリーマートもリブロも無印良品も、シンガポールにあるこの持株会社西友ホールディングスの子会社として登録されています。清二氏がなぜ持株会社をシンガポールに置いたのかといえば、いうまでもなく節税のため、そして情報隠しのためであるのはいうまでもありません。そういえば、シンガポールでは言論の自由が制限され、報道規制が敷かれています。またシンガポールのファンドは、サブプライムローンでは世界中の金融機関が大損失を被ったにもかかわらず、韓国と並んで、被害を受けなかった希有な国です。

セゾン清二氏は、日本で商売し、日本で儲けているにもかかわらず、グループの利益を吸い上げる持株会社、つまりは清二氏の全財産のほとんどをそのシンガポールに置き、節税に励んでいますが、福岡では、税制上優遇されている学校法人を使い、安く、有利に出店しようと長年に渡って画策してきました。ロフトではこの手法が成功せず、今度はパルコの出店を画策しています。あの手この手を使って、日本での納税を回避、節減しようとするセゾンのこれ以上の福岡進出を許すな! と言いたい。

先ほどネットで調べたところ、1997年に作られた持株会社制そのものが、企業の納税回避に多大な貢献をしているらしい。当然、大企業ほどこの制度から受ける恩恵は大。

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ということで、シンガポールは清二氏にとっては勝手知ったる我が家の庭とまではいわないまでも、それに近いのではないかと思われます。おそらく理研のシンガポールへのタダ売り画策は、清二氏のルートから進められたのではないか。商売には疎い学者、研究者を騙すのはいとも簡単です。

しかし日本の大学や研究機関を狙っているのは、清二氏ルートだけではありません。つい最近も、日本の宇宙開発機構は、宇宙開発でマレーシアやインドとの間で共同開発を進めているとの新聞記事が出ていました。マレーシアやインドが宇宙開発事業に乗り出したという話は今まで聞いたことはありません。以前、宇宙開発機構が、ベトナムやインドネシアから研究者を日本に呼んで共同研究すると発表したことがありました。わたしが当新聞で取上げ、批判したこともあり、日本には呼ばずに、それぞれの国で宇宙開発を指南することにしたのではないのか。アメリカが日本と共同で宇宙開発を進めるのは、日本からの巨額資金の提供を受けることを狙ったもので、アメリカの国益にかなうものですが、日本がマレーシアやインドで宇宙衛星を使って共同事業をするのは、日本の資金と日本の技術の一方的な提供によるもののはず。そんなものに、日本の税金を投入してもいいのか。日本の宇宙開発機構では、日本の資金を使って、日本の宇宙開発技術をアジアの科学技術後進国に移転しようという企みが進んでいます。

以前も書きましたが、日本の宇宙開発機構には創価学会の影響力が及んでいます。昨年、創価学会の美術館が、創立何十周年かを記念して主催した「三国志」展が、福岡市の現代アジア美術館で開催されましたが、その後援に八王子市と八王子市教育委員会と並んで宇宙開発機構の名前が連なっていました。八王子市は創価大学の城下町という緊密さゆえの後援ですが、宇宙開発機構の名前も創価学会との緊密さを物語るものであることはいうまでもありません。ただ、この展覧会の内容と宇宙開発機構とが、まったく縁もゆかりもないという不可解さと、それゆえの機構の名前の唐突さだけは異常なほど強く印象に残っています。宇宙開発機構と創価学会との関係の緊密さが、ひときわ際立つ組合せです。

おそらく創価学会員の何人かが、すでに機構の中に送り込まれているのではないのか。宇宙衛星を悪用すれば、どんな犯罪も完全犯罪的に遂行することが可能になります。政権入りして以降の創価学会は、国家試験なしに、あらゆる公的機関に学会員を送り込むルートを開拓し、掌握してきたはずです。公明党の創価学会への利益誘導は未だ一度も捜査の対象になったことはありませんが、公明党による創価学会への利益誘導は、日本の国を丸ごと創価学会に提供するにも等しいものではないのか。利権が巨大すぎて検察も警察も捜査できずにいるのでしょうか。国税庁も創価学会の資産の異常なほどの膨張が明らかであるにもかかわらず、その実態を調べるために査察に入ろうとしないのはなぜか。

 







 










政治を利用して勢力を拡大しようという創価学会の動きは、統一教会をはじめとした新興宗教教団にも大きな影響を与えています。最近、幸福の科学が幸福実現党という政党を旗上げしました。実は当社の事務所の近くにも幸福の科学の建物があります。創価学会の文化会館のように人の出入りは頻繁ではなく、周辺は静かですが、最近福岡市にも各所に幸福の科学の建物が増えています。統一教会にも幸福の科学にも、元創価学会員がいるらしいというのも無気味です。統一教会に関しては、最近やっと警察も捜査に動きだしましたが、中枢にまで捜査の手が及ぶのかどうか。また幸福の科学が堂々と直属の政党を作れば、創価学会にとっては政教一致批判をかわすための強力な防波堤になりえます。もっとも実現党が議席を取れるとは思えませんが。

 

久本福子
HISAMOTO Yoshiko 

葦書房有限会社
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TEL092-761-2895 FAX092-761-2836
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