葦書房

デジタル新聞葦 13号
Digital Newspaper Ashi 13 2008/11/13

葦書房有限会社
福岡市中央区警固2丁目2-11
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TEL092-761-2895 FAX092-761-2836
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http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/




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 (7) 派遣と金融 12/27↓
(6) ITと派遣と難民と 12/19↓
(5) 宇宙開発とIT 12/12↓
(4) 性別の撹乱 12/4↓
(3) 博物館と韓国 11/27↓
(2) ボ−ダ−タウン 11/20↓

(1) IT特許死蔵 11/13

 

わたしが出した「デジタル新聞」の特許出願に対して、特許庁から拒絶理由通知が来たことは、特許出願中!08/4/4付け「拒絶理由通知書」でお知らせしましたが、ずっと気になっていることがあります。わたしの特許がどう判定されるのかが一番の気がかりであるのはいうまでもありませんが、それとは別に、日本のIT関連の特許が十二分に活用されていないのではないかという心配です。というのは、わたしの特許出願に対する拒絶理由通知書に、わたしの発明品「デジタル新聞」の近接発明品として引用例3点と、参考文献として先行技術5点が示されたのですが、それらの大半が特許出願はしているものの、審査請求がなされていないからです。

これらの資料は公開特許広報として特許庁ホームページに公開されていますが、独特の用語法もあり、1度や2度読んだぐらいでは、素
 






人には理解不能です。わたしも自分の特許出願に対し、拒絶理由が示されなければ一生目にする機会すらなかったはずですし、様々な参考書を読みながら必死で読解しようと努力することもなかったのはいうまでもありません。必死の努力の甲斐あって、かなりの量の文献8点を完全読破し、素人なりに理解することができました。書かれていることが自分なりに十分に理解できると、近接発明品として示されたものがいずれもわたしの発明品「デジタル新聞」とは、全く似て非なるものであることを確信いたしました。拒絶理由通知書に対する反論として、定められた様式に従いつつその旨の「意見書」を書き、提出したのですが、「意見書」を提出しから時間が経つにつれ、これら8点の発明品のほとんどが審査請求されていないのはなぜなのか、気になり始めました。

わたしの場合は、出願をしたものの長らく審査請求をしなかったのは、審査料が工面できなかったからですが、これらの発明品は一点を除き、いずれもわが国を代表する大企業や名の知れた企業ばかりです。なぜ審査請求をしないの
 








か。理由が分かりません。審査請求をして正式に特許を取ったとしても、その発明品がカネにはなりそうにもないと判断されれば、特許料だけを延々払いつづけなければならないので、審査請求をしないという話を何かで読んだことがあります。

しかしこれらの発明品の中には、すでに現在インターネットで日常的に広範に使われている技術やそれに類する技術も含まれています。もしこの発明品が正式に特許を取り、特許料を手にしたのであれば、世界中のインタ−ネット事業者から特許料が入りますので、その額は莫大なものになるはずです。世界中で話題になるかどうかはともかく、少なくとも日本で話題にならないはずはありません。しかし未だ、日本企業がインターネット分野でIT関連の特許で儲けたとの話は聞いたことはありません。同種の発明品で審査請求をした企業が一社含まれていますが、特許を有効に活用しているのかどうか、気になります。インターネットは目下の不況下でも、儲かっているかどうかは別にしても、動きそのものは依然、活況を呈しています。どれほどの不況が襲っても、インターネットが消滅することはありえませんので、特許を有効に活用すれば、世界中から特許料が入り、苦境を補填してくれる優良資産になっているはずですが、話題にもならないのはなぜなのか。

その理由としては、3つぐらいありそうです。その1、発明はしたものその重大性に気づかずに、正式に特許取得する時期を逸してし
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まった。その2、せっかく特許を取ったものの、有効に活用できずに死蔵している。その3、某日本企業が莫大な特許料収入を得ているが、マスコミが完全に無視している。以上3つのいずれかだと思われますが、いずれの理由にせよ、不可解至極というほかありません。本来ならば、日本企業が、日本はもとより世界中のインターネット事業者から大注目を浴びるような発明をしているにもかかわらず、話題にすらならないというのは、その根本にIT無知があるからだと思われます。

IT無知については前号デジタル新聞葦12号の10/6付け「デジタルと基礎研究」やデジタル新聞7号の4/4付け「IT外部化の罠」をはじめ、これまでも何度も取り上げていますので繰返しませんが、せっかくの発明品の価値を判断する能力の不足ないしは欠落も、IT無知が原因である以上、重複を避けつつも、IT無知の危険性について、あらためて取り上げることにした次第です。

現在、政官業各界で活躍中の人々はITを、非常に便利な技術であると表層では理解していると思われますが、その仕組みについては全く無知か無知に近いはず。たとえ専門の勉強をした人であっても、ITの全貌を理解している人はほとんどいないはずです。ましてやITが世界を根本的に変えてしまった技術であるということの、真の意味を理解している人は皆無に近いはず。それでなければ、IT使用の奨励ばかりに熱心で、義務教育に、IT教育を導入せぬまま放置するという無策がまかり通るはずはありません。義務教育でまともなIT教育がなされなければ、日本の社会そのものがIT無知のままだという恐ろしい状態が、この先も永遠に続きます。日本は今まさに、その状態に置かれていますが、無知ゆえに、この状態の恐ろしさも恐ろしいとは誰も感じていません。

義務教育できちんとした教科書を作り、ITの仕組みの基本も教えようとしないのは、IT無知の恐ろしさに気づかせないためではないの
 




かとさえ思われてきますが、その無知ゆえに、日本企業が世界で無二の発明をしたにもかかわらず、その価値に気づかずに死蔵させる結果になれば、これほどの損失はありませんし、こうした無知による損失が重なれば、国の存亡にまで関わってきます。仮にこれらの企業のトップが、その価値に気づかずに十二分に活用できぬまま死蔵させていたとしても、そのトップにのみ責任があるとはいえないはず。インターネットに代表されるようなIT技術の使用が一般化されるに際しては、国の教育指針として、IT使用奨励の教育ではなく、IT技術の基礎的仕組みを段階を踏んで、きちんと教えるというカリキュラムを作るべきだったのですが、それが全くなされていない。

せめてインターネットが爆発的に拡大し始めた10年ほど前からでも、義務教育でITの基礎教育カリキュラムが導入されていたならば、今では、IT義務教育化の教育効果が日本社会全体にも広く及ぶに至っていたであろうことはいうまでもありません。英語教育の早期導入には政官業がそろって熱心ですが、今の時代には何が最も必要とされているのか、誰も気づいていませんし、考えようともしていません。新技術が登場したら、その水準に対応した教育がカリキュラムにも反映されるべきですが、IT以前は、技術は基本的には自然に由来する原理を基にした仕組みとその応用だったわけですが、ITは従来の機械の仕組みとは位相を異にしており、特別のカリキュラムを作って教育すべきですが、誰もその特異さに気づいていない。

とはいえ、わたしはIT礼讃の意図でこの記事を書いているのではあ




りません。ITは危険と隣り合わせであることは繰返し強調してきましたし、それゆえにIT教育の義務教育化が必要だということです。先日も、ウイルス防護ソフトを使って、詐欺に合ったという事件が起こっていますが、ITの基礎知識があれば十分に起こりうる事件であることはすぐにも理解できますし、安かろう、悪かろうで安易にソフトを購入することにはもっと慎重になるはずです。

IT被害から身を守り、安全にIT機器を使用するためにも、また、貴重なIT関連資産を死蔵せずに、有効に活用するためにも、IT無知は許されません。

 

(2) ボ−ダ−タウン 11/20

一月余り前、朝日新聞夕刊の映画評で衝撃的な映画が紹介されていました。わたしは葦書房で仕事を始めてからは、映画の紹介欄などはほとんど素通りです。まず時間が不足しているからですが、同時に生存を維持することが最優先の課題であるという苛酷な環境では、正直なところ、映画どころではなかったからです。しかし何年ぶりかでふと目に触れたのが、「ボーダータウン」という映画の紹介コラムでした。一読するなり、驚愕に襲われました。映画の内容を知れば、誰もが驚愕せざるをえないはず。詳細については、映画ボ−ダ−タウンの公式サイトを是非ご覧いただきたいと思います。

メキシコとアメリカの国境の町で、1993年から現在までの15年間で、数が確認されているだけでも500人もの女性の連続殺人事件が発生しているという。実際の被害者の数はもっと多く、5000人にも上るともいわれていわれています。民主党のクリントン政権の時代から共和党のブッシュ政権の現在まで、この連続殺人事件が続いているということですが、大量殺人が止まらないのは、メキシコと
 

既刊本

アメリカの捜査当局や政治家が犯罪を隠蔽し、マスコミに対しても露骨な報道妨害がなされ、マスコミが事件を全く報道しないからだという。そうした異様な状況に対し、事件の起きた国境近くで生まれ育った監督のグレゴリー・ナヴァ監督が、映画の形でこの事件をアメリカ内外に広く知らしめたいとの思いから撮った作品だという。

実は新聞で映画評を見て、事実に基づいて作られた映画だと書かれていましたが、余りにも異常すぎる事件なので本当のことだとはとても信じられず、本当に起こった事件なのかどうか確かめたいとネット検索したところ、ボ−ダ−タウンの公式サイトが出てきました。今日もこの記事へのリンクを貼るために同サイトにアクセスしたのですが、サイト内の記事構成にはかなりの改変が加えられています。その最大の改変は、ナヴァ監督へのインタビュー記事に加えられてものです。レイアウトもデザインも変っていますが、最大の問題は記事内容の改変です。

改変前は、ナヴァ監督の話は、非常に深刻な社会的、政治的メッセージに溢れた、非常に硬質な内容のものでしたが、改変後はエンターテイメントぽい話に成り下がっています。しかも、詳細は省きますが、この映画が意図した逆の方向へと読者を誘い込む細工まで埋め込まれています。この改変は監督自身の意向によるものなのか。とてもそうとは思えません。映画作成のための協力者に対してすら脅迫がなされたという監督談話(改変前)にもあったように、命の危険を感じざるえない環境で、この異常な犯罪告発映画を撮った監督が、途中で、エンターテイメント路線で、この映画を日本で売ろうなどと考えるとはとても考えられません。おそらくこの監督談話記事に対する改変は、日本側で監督には無断でなされたものだろうと思われます。

その一方で、同じサイトで、逆の改変効果が生まれている記事もありました。「ボーダータウン」評の談話を発表している鳥越俊太郎氏のページです。改変前は、監督自身の厳しい談話を読んだ後だったせいか、鳥越氏の談話を読み始めたものの、何だかぬるいなあという印象に襲われました。ところが今日、改変後のサイトの記事を読むと、監督の談話は全く別人のごとくに変っていましたので、相対的に鳥越氏の談話がいかにもジャーナリストらしい内容に思われ
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てきました。改変前の監督談話にあった内容の一部が鳥越談話にも盛られています。以前からあったものなのかどうか。おそらく鳥越氏の談話にも、多少はジャーナリストらしい印象を与えるような改変が加えられたのではないか。

というように、この映画を紹介するサイトそのものにも異変が生じていますが、結果として現在では、この映画の内容を知るためには、鳥越氏の談話を読むのが最も手っ取り早いということになっています。わたしとしては、監督自身の言葉を通してこの映画を紹介したいのですが、改変後の監督談話は、誰も読むべきではないと警告せざるをえない内容になっています。一番いいのは、「ボーダータウン」を直接観ることであるのはいうまでもありません。

しかしわたしは映画を観ずに、この映画が提起している問題をさらに掘り下げたい。なぜこの事件が起きたのか。改変前の監督談話ではこの事件の背景にはNAFTA(北米自由貿易協定)があることを繰返し語り、アメリカの政治家がこの犯罪隠蔽に暗躍していることも語っていました。改変後は完全に欠落し、メキシコ政府の問題だ
 

おすすめ本

と非常に問題を矮小化して語っています。しかしNAFTAとは北米圏でのカネ、人、モノの自由な流れを促進することを狙ったものだと思われますので、自由化が進めば進むほど富める者はますます富み、貧しい人はますます貧窮に追いやられ、人権のみならず、生存そのものを危うくされるという成行きになることは、日本のみならず、現在世界中で進行している事態です。この事件はメキシコ政府だけで解決できないことは明らかです。

何よりも世界一言論、報道の自由が保証されていると誇るアメリカで、この恐るべき事件が全くマスコミで報道されないという異常さは、世界を覆う経済のグローバル化とは、マスコミ操作抜きにはなしえぬものであることをも示しています。加えてこの事件は、現在進行中のグローバル化とは、犯罪そのもののと同一か、犯罪と紙一重だということをも示しています。サブプライムローンのように経済活動として起こった事件は犯罪とはみなされませんが、明らかに詐欺罪という犯罪です。犯罪を犯罪とみなさぬ社会がサブプライムローンを生み出し、連続殺人事件をも生み出しているわけです。この事件は、野方図な規制緩和による自由化の行き着く果てを象徴しているものと思われます。

書名索引

政府による規制とは、犯罪を犯罪として厳しく罰することをまず基本にすべきですが、先日開催されたG20サミットでは、どこまで実効性のある規制がなされるのかは全く不明です。麻生総理大臣は勇躍してサミットに出席しましたが、気前よく10兆円もの拠出を表明しています。日本は金融は安定しているから10兆円ぐらい拠出するのは当然だとのことかもしれませんが、この安定は、いわば日本国民の犠牲によって生まれたものだというべきでしょう。不良債権で苦しんでいた金融機関を救済するために、47兆円もの税金が投入されていますが、いざなぎ景気を越えたといわれるほどの企業の好景気がつづいたにもかかわらず、投入されたこの税金は、未だ未回収分がかなり残されています。

本来ならば救済を受けた金融機関がその穴埋めをすべきですが、企業に対しては、一旦赤字が生じれば、その赤字は7年も繰越し可能で、企業は7年間も免税ないしは納税が軽減されることになっています。小泉自公政権時代に企業の赤字を5年繰越し可能にする法律が出来たことはニュースで知っていましたが、それが何時の間にか7年にまで延長されています。つい最近知ったばかりです。企業救済のために生まれた借金は、企業には全く責任を問わず、ツケはもっぱら国民に回され、医療破壊、教育環境破壊等々、国民の生活破壊が進行するばかり。その結果日本では、世界でも屈指の高度な医療技術を有していながら、医者にかかれずにみすみす命を落とすという悲惨な例が後を絶ちません。国民の命をも犠牲にして得た安定を、真の安定だといえるのでしょうか。

麻生総理はカネで存在感を示そうとしたのでしょうが、現実を直視するならば、軽々しく10兆円を出すなどとは口が裂けてもいえな
 

蔵出しいっぽん

いはず。第一、10兆円の拠出で、現在の世界的金融危機が収まるはずはありません。各国国民の税金が不当な投機に使われぬように、投資ファンドに課税をして活動の透明性を確保し、石油や穀物価格の不正な高騰を防止するための先物取引に対する適正な規制強化、企業に故なき打撃を与え、タダ同然で儲けを手にする犯罪的投機たる空売り規制等々、経済犯罪を防止するための具体策を講じずには国民の汗と涙の結晶である税金投入は許されません。

日本の犠牲者たちも、「ボ−ダ−タウン」の犠牲者たちも、根は同じです。国民生活の安定は、結果的に企業活動を支える最も重要な基盤をなすものですが、世界中の政府と企業が、自国民の生活破壊を競い合っています。グローバル化がもたらした奇妙で無気味な光景です。

 

(3) 博物館と韓国 11/27

2週間ほど前の朝日新聞に、長らく行方不明であった小磯良平の「日本髪の娘」が、韓国国立中央博物館で公開されるとの記事が出ていました。同館の前身である李王家美術館が、1933年から45年にかけて収集した日本美術作品群の一つだとのこと。しかしこれは非常に不可解なニュースです。個人が秘蔵している場合なら行方知れずもありえますが、仮にも国立の博物館、美術館所蔵の美術品が、長らく行方不明だということ自体ありえぬことですし、最近突如として消えていた作品が見つかったということもありえぬことです。韓国国立中央博物館は2005年の開館、李王家美術館は日本の統治下時代に開館されたものですが、李王家美術館として公式に公開されたのは1938年のことです。

わたしは最近、韓国について遠慮のない記事を書いておりますが、な

 





お疑問に思うところ多く、その疑問を解消すべく、この連休に韓国の歴史に関する本を数冊図書館で借りて来て、その一部にざっと目を通しました。その中に、思いもかけない論文がありました。『植民地近代の視座ー朝鮮と日本』(岩波書店)所収の李成市(早稲田大学教授)著「朝鮮王朝の象徴空間と博物館」です。韓国の博物館誕生の経緯を検証したもので、わたしが朝日の記事で直感的に感じた疑問を解く鍵が含まれていました。

同論文によると韓国に初めて博物館、美術館が作られたのは日本の統治下のことであったという。日本の統治が始まるまでは韓国には近代的な制度は皆無でしたので、博物館、美術館がなかったのは当然ですが、日本の総督府の指揮、監督下でまず、朝鮮王家の王宮の一部を改造、改修して博物館が作られました。博物館の管理、運営も日本の総督府の直轄に置かれましたが、朝鮮総督府は朝鮮半島の古代遺跡の発掘調査も開始。発掘品も博物館に展示されたのはいうまでもありません。日本人の手によって発掘調査された古蹟、遺物は韓国に非常な衝撃を与えましたが、総督府の狙いは、展示物を通して韓国人の意識の改造を図ることと、日本による韓国併合の正当性を歴史的に証明することにあったことはいうまでもありません。とはいえ政治的イデオロギーを鼓吹するような品々を展示したのではなく、発掘品をはじめとした第一級の作品群を展示したという。

それら第一級の展示品には2種あり、一つは朝鮮古美術、一つは明治維新以降の日本の近代美術の数々です。総督府が特に力を入れたのは、日本の近代美術の数々を取っ替え引っかえ入れ替えて展示することでした。これでもか、これでもかと、日本の新しい美術作品を次から次ぎへと入れ替え展示することで、古い朝鮮の美術の貧弱さを強調することにあったという。この日本近代美術品の展示は、1933年から43年まで続いたという。しかし10年以上続いた日本の朝鮮人に対する美的洗脳政策は、その意図するところとは逆効果もたらしたことはいうまでもありません。王宮の一部を使った日本美術の展示は、日本人によって韓国が支配されていることの象徴以外の何物でもなかったからです。しかし、日本に

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よる韓国支配の問題点については今回は取りあげません。長くなりすぎるからです。

今回はあくまでも、朝日新聞の記事に発した疑問の解明に主眼をおくことにします。この疑問は、韓国で博物館、美術館が誰の手で、どのような経緯を辿って作られ、管理、運営されたのかということと密接に関わってきます。李成市論文のごく一部のご紹介からも分かるように、韓国での博物館、美術館は直接日本人の手によって作られ、運営管理されていました。韓国における博物館学の実践は、日本の植民地政策の一環として日本人によって初めて開始されたもので、日本による植民地政策によって、朝鮮半島における考古学や歴史学の基礎が確立されたのは紛れもない事実です。李成市氏はこうした成行きを、日本人による朝鮮王朝の聖性の纂奪としてとらえています。当時の李氏朝鮮王朝に聖性が残っていたとは誰も考えないはずですが、現実問題としてではなく象徴的な意味合いでならば、この指摘を完全に否定することはできないだろうと思います。

ただわたしが今ここで問題にしたいのは、以上のような経緯からするならば、韓国国立中央博物館並びにその前身の李王家美術館が、小磯良平の作品をはじめとした日本美術の作品群を購入する可能性はゼロだといわざるをえないということです。当時の総督府は次から次へと展示する日本美術品をすべて日本本土から借入れていたからです。韓国人を洗脳するためですから当然といえば当然ですが、それらの費用は日本の負担でなされたという。にもかかわらず、なぜ韓国で今になって突如として小磯良平の作品が見つかったのか、不可解としかいいようがありません。小磯作品以外にも、多数の日本美術作品群があるというのも不可解です。これらの作品群の来歴もはっきりしているのかどうか。由緒明解なものであれば、もっと早く公開されているはずです。やはり不可解だといわざるをえません。

しかし不可解なことはこれだけではありません。最近不可解な発見が相次いでいます。熊本県で百済時代の仏像が発掘されたという。百済人が渡来した証拠品だと朝日新聞に出ていましたが、何だか怪しい。さらに数日前に、日本で出土した木簡とほとんど同じ木簡が、韓国の




百済時代の遺跡から発掘されたという。日本の律令制は中国を手本にしたものではなく、朝鮮に由来するという。本物なのかどうか、疑わしい。こんな偶然が次々と重なるとは、不可解といわずして何といえばいいのか。

こうした動きと無関係ではありませんが、九州国立博物館が最近韓国の新設大学の部類に入る大学と提携を結び、人事交流を促進、韓国からの研究者の受け入れを始めたという。九博はすでに韓国の博物館2館とも提携しているという。中国とは博物館1館と提携していますが、圧倒的に韓国との結びつきが強い。しかも韓国の提携先大学、博物館はいずれもかつて百済のあった地域ないしはその周辺にあります。日韓両国で百済遺物を研究しようということなのか。どうもそうとは思えません。

百済といえば日本でも百済観音が有名ですが、百済観音からの連想からするならば、韓国でも仏教美術が盛んであったと想像されますが、意外なことには韓国の仏教美術は質量ともに貧弱です。少なくとも日本で頻繁に開かれる仏教美術展では、韓国の仏教美術に触れる機会は非常に少ない。どこの国でも国外に自国の美術品を展示品として提供する場合は、一級品を出すはずですが、わたしがこれまで目にした韓国仏教美術品は数は非常に少なく、日本の仏像のような端麗さや流麗さとは明らかに異質です。一言でいえば、いい意味で素朴です。

柳宗悦(やなぎむねよし)が朝鮮美術を深く愛し、高く評価したことは有名ですが、この宗悦の朝鮮美術関連本が最近相次いで出版されています。これも偶然のことだとは思えません。日本人による激しい朝鮮蔑視に対する批判があったのだろうとは思われますが、宗悦の朝鮮美術に対する異常なまでの没入的評価は、全面的には受け入れ難いものを感じずにはいられません。日本の朝鮮支配に対する問題と、例え
 







ば美術品などに対する評価、批評は完全に切り離してなされるべきです。その前提でいうならば、宗悦が日本の国宝級の古美術は、まるで、日本が朝鮮から略奪してきたものだといわんばかりの主張をしていることには、正直なところ唖然とせざるをえません。

わたしは朝鮮の仏像類は、日本で開催された仏教美術展で見ただけだという非常に乏しい見聞しかありませんが、その源流は同じであれ、素人目にも中国、韓国、日本の仏像にはそれぞれ固有の特徴があります。しかし今ここで問題なのは、韓国ではなぜ仏教遺物が少ないのかということです。それは宗悦が主張するように日本が破壊したからではなく、李王朝が仏教を立国の基礎にしていた高麗を滅ぼしたからです。当然のことながら李王朝は、仏教とその関連物も徹底して破壊しました。仏僧の地位も貶められました。高麗を滅ぼした李氏朝鮮は、仏教に変って儒教を立国の基礎に置き、その遺制は最近まで、あるいは今なお韓国を拘束していることは誰もが知っている世界史の事実です。

その韓国で突如として百済時代にフィードバック。そして何やら遺物が続々。韓国と日本とは、元を辿れば同じ一つの国なのだといわんばかりの動きです。おそらく日韓合一へのシナリオが、ひそかに作られているのではないかと思われます。そのシナリオ実現のためには、歴史的な捏造も厭わず、平然と決行する。捏造のために必要な品々は、不正も厭わず、様々な手段を講じて入手する。韓国は、ES細胞研究のような、すぐにもバレる科学分野でも国家ぐるみで平然と捏造をしました。歴史の捏造ぐらいは、何の躊躇もなくするだろうと想像してもあながち的はずれではないはずです。

昨日ネットを検索していたところ、韓国では儒教の祖、孔子は朝鮮出身だとの説が拡がっているらしい。また、あるソウル大学教授の最近の研究によれば、イエス・キリストまでもが朝鮮由来であることが判明したとのこと。孔子とキリストはいくら何でもトンデモすぎますが、韓国の「中華」思想を象徴するトンデモぶりです。

孔子やキリストは過去の偉人ですが、現在生きている生身の人間にトンデモが及ぶならば、事態は深刻です。デジタル新聞12号11/6付け「消される歴史」で紹介した田中丸コレクションは九州関連の陶磁器だけではなく、陶磁器全般はもとより、広く古書画なども多数含まれ
 






ていますが、九州国立博物館と福岡市美術館にはそれらの全てが寄託されてはいないと思われます。そのかなりの部分が、継承者であり所有者である田中丸善司氏には無断で、どこかに持ち去られたのではないかとの疑いを禁じえません。

福岡市美術館は、田中丸コレクションの由緒来歴を捏造するような展覧会開催の共犯者です。知らなかったでは済まされません。主催は朝日新聞社ですので、朝日の責任も重大ですが、福岡市美術館は寄託されたというコレクションを、一つ残らずきちんと保管しているのかどうか、気がかりです。田中丸コレクションほどの質量ともに他に抜きん出たコレクションは他には二つとはないとは思われますが、似たようなケースは数多く発生しているはずです。その持ち主から不正な手段で入手する。当然、その持ち主はこの世にはいない。

これらの貴重、希少な作品が日本攻略の新たなシナリオ遂行のために使われる。折も折り、12月13日には、九州国立博物館で日中韓の首脳会談が開催されます。麻生総理は実りの乏しい外交パフォーマンスで、国内政治での失点をごまかそうとの魂胆ではないかと思われますが、これ以上さらに日本に災いをもたらさぬことと、九州国立博物館が災い発祥の地にならぬことを、切に願わずにはおられません。

なお前号からは、広告掲載アピールのために、広告枠に少し工夫を加えています。どんな広告にも対応できますよ、とのご案内です。ご協力よろしくお願い申し上げます。

 

(4) 性別の撹乱 12/4

数カ月前のことですが、朝日新聞に奇怪な記事が掲載されていました。女性に性転換した男性を紹介した記事ですが、かなり大きな写真入りの記事でした。その男性は、外見と一致しない性の不一致に悩んでいたとのことですが、何と、女性に性転換する前には、男性は普通に女性と結婚して3人も子供をつくっていたという。つまりその男性は奥さんとの間に3人も子供をなした後、自分の男性としての外見と女性であるという自分の性との不一致に悩み、女性に性転換したという。新聞によると子供さんは小学生でしたので、10年かそれ以上、3



人の子供の父親であった男性が、外見と性の不一致に悩むなどということがあるのでしょうか。素人判断とはいえ、どう考えてもありえぬことだと思われます。少なくとも、先天的なものではなかったはず。

余りにも異常な記事でしたので、読み間違えなのかと繰返し読んだせいで記憶もはっきりしているのですが、その男性は性転換手術を受ける前に、すでに女性ホルモンの薬を投与されていたという。その結果体が丸味を帯びはじめ、手術まで勧められ、性転換手術を受けたという。この成行き事態奇怪至極ですが、さらに奇々怪々なのは、これほど重大な治療、手術が施されたにもかかわらず、その男性の伴侶である奥さんには相談もなければ、了解もなしに進められ、奥さんには事後報告だったという。当然のことながら奥さんは大変なショックを受けて、その男性のもとを去ったという。奥さんとの離婚後は、その男性は晴れて女性として生活しているそうですが、子供さんは女性になったかつての父親が育てているという。

通常ならばどんな手術であれ、当人のみならず、必ず奥さんやご主人や子供さんなど、患者の家族の了解を得た上でなされるものですが、この事件では、最後まで奥さんを除外したまま事が進められています。薬の投与にしても風邪薬ぐらいならばともかく、性転換誘導のために女性ホルモンを投与するという重大治療が、奥さんとの相談もなく行われること自体異常です。ただ、この男性が何をきっかけに自分

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の男性としての性に疑問を抱きはじめたのかは記事には書かれておらず、詳しい経緯は不明ながらも、先天的な疾患でないことだけは明らかだと思われます。つまりこの男性は、男生としてその生をまっとうできたはずであるにもかかわらず、過剰な医学的治療を加えられることによって、女性に変えられたのではないかということです。

義務や責任の重い男性よりも女生として生きた方が楽だという場合も多いので、女性への性転換治療を受けて社会的な意味合いで男性の苦痛が仮に和らぎ、解消することがあったとしても、奥さんや子供さんたちが受けたであろう衝撃はどう解消されるのか。おそらく永遠に解消されることはないはずです。ごく普通の家庭を襲ったこの事件は、現代の医学は男女の身体そのものまでをも簡単に改造することができるのだという見本としても、社会が受けた衝撃も非常に大きい。にもかかわらず、敢えてなされたこの過剰医療は、誰もが信じて疑わない、男女の生物的な差異は絶対的なものではなく、いつでも人為的に転換可能なものなのだという思想を広めるために実施されたものではないかと思われます。これまで人類が築いてきた秩序の、究極の破壊策です。日本や世界で進行中のパラダイム変換と呼ばれる伝統破壊、秩序破壊が、生物学的レベルにまで達しているということを意味しています。

こうした動きは子供たちの世界にまで及んでいます。小泉自公政権下の竹中平蔵総務大臣時代に、NHKの番組にも若者向けの番組を増やせとのお達しが出されましたが、その結果生まれた番組の一つに「キラ

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リ十代」という番組があります。ここ10年ほど、我が家にはテレビはなく、もっぱらラジオですが、それもニュースが主ですので、NHKのラジオ番組の中でもごく一部しか知りません。そのごく限られた聴取範囲で耳にしたのがこの番組です。10代とありますが、リスナーには小学校の低学年も含まれているようです。ニュースを聞いたついでにだいたい初めの内はそのまま聞いているのですが、いつも途中まで、最後まで聞いたことはありません。若者のウケを狙った番組作りの効果もあってのことなのか、類似番組が他にはないせいなのか、若者には人気があるようですが、非常に問題の多い番組ではないかと思います。

小中高で不登校時が増える一方の昨今(意図的に隠されているのか余り話題になりませんが、不登校は現在も増え続けており、かなりの数に達しています。)、はたまたフリータや派遣でしか働けない若者が増える一方の昨今、NHKが若者番組を作るのであれば、日本の若者が抱えている問題に切り込むような番組、少なくとも彼らの様々な悩みに応えるような番組にすべきではないかと思われますが、ここで取上げるのは、ほとんど毎週恋愛問題ばかり。10代といえば確かに異性を意識する年代であり、恋愛も若者にとっては切実なテーマかもしれませんが、この番組を聞いていると、今の若者は恋愛以外にはほとんど何も考えていないのではないか、他には何の悩みもないのではないかと思われてきます。さらには、若者ならば恋愛しなければならないと、恋愛できない若者にはプレッシャーを与えずにはいない番組です。後はお笑い。はっきりいって非常に志の低い、低すぎる番組です。

ここまでなら恋愛狂いの若者生産を狙った番組の範疇に留まりますが、さらにその先に進んでいます。ここ最近は、同性愛をテーマを繰返し取上げています。番組ホームページのお悩みコーナーに書き込まれた悩みを取上げているとのことですが、番組を聞いていると、最近の高校生の間では同性愛が蔓延しているのかと驚かずにはおれないほどです。これも現実の反映というよりも、この番組作成者の意図によって作られたテーマであることはいうまでもありません。マンガのみならず昨今の小説では性に関してはかなり過激な内容が遠慮会釈なく描かれているようですので、この番組での取りあげ方はおとなしい方だといえるのかもしれませんが、NHKのラジオで堂々と取り上げられるとなると、量的な影響はもとより、質的な影響ははるかに甚大なものとなるはずです。

この番組ではいうまでもなく、同性愛を肯定しています。堂々と取上げること自体、同性愛の認知促進を狙ったものであることは明らかですが、心身の揺らぎの激しい10代に向かって、同性愛を喧伝する結果にしかならない番組を作ることが果たして子供たちのためになるのか。マイナスでしかないことはいうまでもありません。同性愛者は先天的な身体の異変によるケースもあるとはいえ、物理的な環境から人

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為的に生み出される要素がかなり大きいはず。男女の付き合いが自由ではなかった昔は、女学生の間では美しい上級生に憧れることは珍しくはなく、吉屋信子はその種の作品の大家としてかつて一世を風靡しました。わたしも昔吉屋信子の作品を熱心に読んだものでしたが、同性愛などいう言葉そのものを知らなかったとはいえ、同性に対する恋愛だなどとは考えたこともありませんでした。美しいものへの憧れの発露としか感じていませんでした。

もちろんこの同性に対する憧れの感情は、やがて芽生えるであろう異性に対する恋愛感情の先駆的なものだと解釈することも可能かもしれませんが、この時点ではあくまでも精神的な領分に属するものであることはいうまでもありません。身体的には男女の別が明瞭であっても、精神的には未だ未分明な部分のある時代に同性に憧れるということは、自分にはないものを補完しようとする精神の働きでもあるはずです。それを即、身体的なレベルにまで直結する同性愛という範疇に誘導しようとする、NHKラジオ制作者の思考レベルの低さ、志操の低さには、怒りをすら覚えずにはいられません。NHKではテレビでも同性愛認知番組を放映しているらしい。こちらは週刊誌で知ったもので、テレビそのものは見ていませんが、さもありなんというところです。

しかしNHKの異常は10代向け番組だけではありません。さらに小さな幼児向け番組にも現れています。夏休みに入ると、確か番組名は「夏休み科学電話相談」だったと思いますが、科学に関する子供たちの疑問に専門家が答えるという番組です。わたしは朝の出社までと車中で聞いていたのですが、昨年から、体に関する疑問も相談項目に加わりました。この中で、確か5歳くらいの女の子だったと思いますが、異性に対する反応についての女の子の質問に対して、専門家がそれは恋愛というもので、恋愛感情を脳と身体の仕組みから説明していたのには唖然としました。電話が繋がらないというほど質問が数多く寄せられる中で、こういう質問を取上げたNHKの番組制作者そのものが異常です。医学の専門家を配したNHKの意図は、幼児にも恋愛感情を喚起することにあったことは明らかです。

早熟はテレビやアニメやマンガの影響も大だと思われますが、幼児の頃から異

蔵出いっぽん

性に対して恋愛感情を抱くということが、子供たちにとって幸せだといえるのか。これは異常な事態だといわざるをえません。小学生や中学生にまで整形手術が広がっているという恐るべきニュースを何かで目にしましたが、早熟な子供たちは、こうした美顔業界の有望な顧客にもなりうるのはいうまでもありません。しかしさらに問題なのは、幼児を含めて10代という、心身の成長にとってもっとも重要な時期にある子供たちに対して、恋愛感情を刺激し続けることに、公共放送であるNHKが非常に熱を入れていることです。

同性愛や性転換への誘導は、社会の秩序を生物学的レベルから破壊すると同時に、人口減少をさらに加速させることを狙ったものであることはいうまでもありません。昨今のNHKの一部番組は、日本の社会が根底から破壊されようとしていることに手を貸しています。

 

(5) 宇宙開発とIT 12/12

2、3週間ほど前だったと思いますが、朝日新聞で奇妙な記事を目にしました。宇宙開発機構が、宇宙開発事業でインドとベトナムと提携を結び、両国から研究者を受け入れることを決めたとのこと。しかも上部機関である文科省もこの新事業を資金面でも全面的に支援するとのことです。具体的には、次回の宇宙衛星打ち上げに両国を参加させるとのことですが、宇宙打ち上げの実績はゼロであるのはもとより、おそらく研究実績もほとんどない両国からの人材に対する教育費用も含めて、衛星打ち上げにかかる巨額費用は全部日本持ちだという。日本の研究者への費用は削りに削り続けているというのに、一体何を考えて、こんな事業を考えついたのか。

しかも不可解なことには、日本国民にとっては全く益のない事業に巨額の国

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税を浪費するこの事業は、国会で審議されなかったのはもとより、政治家が関与した気配すらありません。宇宙開発機構と文科省が勝手に発案して実施に移しているとしか思われませんが、文科省はもとより、宇宙開発機構も創価学会の影響が非常に強い。アメリカ創価大学が開学早々に衛星打ち上げに成功したということは、衛星を使った情報収集やその他諸々の工作、実験に利用するという直接的な目的がまず第一点としてあったことはいうまでもありませんが、宇宙開発分野においても、創価学会の影響力を強めることも重要な目標に定め、そのための準備をかなり以前から進めてきたことを物語っています。

加えて、創価学会が日本の政権の実質的な操縦者であることを思えば、創価学会と宇宙開発機構との結びつきが緊密になったとしても不思議ではありません。当然のことながら、インドとベトナムを日本の宇宙開発に参加させるという決定も、創価学会の意向に沿ったものだろうと思われます。なぜインドやベトナムなのか。日本人研究者集団では、いくら創価学会といえども完全に意のままに操縦することは不可能だからです。インド人やベトナム人研究者を増やすことで、日本人研究者の影響力や地位を質量両面において弱め、日本の宇宙開発事業を完全に牛耳ろうとの魂胆ではないかと思われます。

さらに日本で教育を受けたインドやベトナムの研究者をアメリカ創価大学の宇宙衛星研究に参加させる。創価大学でゼロから教育するには人的にも資金的に負担がかかるので、まず日本の宇宙開発機構で日本の国税を使ってみっちり教育するという算段だろうと思われます。両国における創価学会の影響力が増大することはいうまでもありませんが、さらに加えて、将来インドやベトナムで衛星が打ち上げられる暁には、両国の宇宙開発事業を、創価学会が事実上牛耳ることになるであろうことはいうまでもありません。

また宇宙開発事業は、一般の参入の難しい巨大な国家利権です。軍需産業にもなりえますが、防衛省管轄の軍需産業には官僚や業者のみならず、与野党の政治家も群がっていますが、宇宙利権には利権に目のない政治家といえども、いささか近寄り難いものがあり、創価学会の動きをキャッチする外部の目すら届かない、一種の聖域となっているのではないか。インドやベトナム人研究者が増えると、この聖域はさらに強固なものとなり、日本人はただ納税させられるだけということにもなりかねません。

しかしさらに問題なのは、宇宙衛星は、国家の情報のみならず、個人の情報、個人の所在地までをも収集、特定する装置としても使われま

蔵出いっぽん

す。もちろん企業や大学や地方の役所や様々な組織、機関も例外ではありません。IT時代の現代、日々進化するIT技術により、デジタル化された情報のみならず、生きている人間の脳内情報すら読み取られるという異常な事態を迎えています。宇宙衛星を使えば、世界中のどこからでも、狙い定めた情報を搾取することも可能となっています。かかる時代にあっては、宇宙衛星を誰が管理運営するのかは、非常に重要な問題となってきます。名目でではなく、実質の操作管理主体は誰なのか。

日本政府と官僚のIT無策批判でも繰返し指摘してきましたが、IT技術の超先端領域にある宇宙開発においても、当然のことながら事情はさほど変りはありません。宇宙開発機構の専門家は、技術が悪用される危険性があろうとは、おそらく考えたこともないはずです。しかし創価学会の存在がひとたび認められるならば、事態は深刻です。IT技術の悪用の仕方を知識として熟知すると同時に、それを実行する装置と部隊とを恒常的に実際に保持し、行使しうる組織団体は、世界広しといえども、国家を除けば、おそらく創価学会ぐらいではなかと思われるからです。自公政権はこの危険な創価学会に支えられて、日本破壊策を推進してきましたが、それが宇宙開発にまで及びはじめているということです。なぜ日本人ではなく、インドやベトナムなのか。国民はもとより、政治家すら関与する機会のないまま、なぜかかる重大な事業決定をしたのか、文科省と宇宙開発機構は国民にきちんと説明すべきです。

IT無知は国家の存亡を危うくするばかりか、個人の生命をも脅かすことは繰返しても繰返しても繰返し足りないほどですが、本号「(1)IT特許死蔵」では、せっかくの発明品も死蔵する結果を招いていることもご紹介しました。この時は具体的に書くことをためらい、概略しか書いておりません。具体的に書いた結果起こるであろうリアクションを怖れたからですが、抽象的に概略だけを紹介したのでは事態の深刻さは伝わらないのではないかと思い、思いきって具体的に紹介することにします。

8点の特許広報を読んでからかなり時間が経ちますし、繰返し読み返したとはいえ通常の文章とは違い、細部まで記憶しておりませんし、これらの広報にあらためて目を通す時間はありませんので、特に印象に残っているものだけ取上げることにします。わたしが最も驚いたのは、日立製作所が出願している「特開平9-50441」の「電子新聞システム」という特許です。これは平成9年(1997年)2月18日に特

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許公開されていますので、出願日は当然それより前の前々年のことです。発明の名称は「電子新聞システム」となっていますが、この発明品の眼目は、コンテンツ(記事や画像)の内容に即した広告を、コンテンツと同時に端末に表示するシステムを開発したところにあります。多種多様な大量のコンテンツと多種多様な大量の広告を蓄積したサーバーから、端末(パソコンや携帯電話)を操作するユーザーが呼び出したコンテンツからユーザーの好みを瞬時に判断し、その好みに即した広告をコンテンツと同時に端末に表示するシステムです。

ここまでの説明でもお分かりのように、名称は「電子新聞システム」となっていますが、今ではWEBではごく一般的に見られるコンテンツと広告の表示方法です。現在稼動中のWEB表示が、この発明のようにユーザーの好みに合致した広告表示なっているのかどうかまでは不明ですが、この発明システムはコンテンツ閲覧者の好みを特定することによってその機能を発揮しますので、個人情報が知らぬ間に外部(この場合はサーバー)にキャッチされ、蓄積されることになります。コンピュータによって個人の好みが特定されることには、今では誰もが当然のこととして怪しむこともしませんが、インターネットそのものが、個々の識別をすることで初めて機能することを思えば、当然の成行きだという外ないのかもしれません。

したがってこの日立の発明品も、IT化時代が生み出した必然の産物だったというべきかもしれませんが、今から10数年前にこのシステムを発明したということは先駆的であり、驚きだといわざるをえません。この発明がなされて数年後に、インターネットが一般にも普及しはじめ、あっという間に爆発的に拡がりました。インターネットの拡大を目にしながら、この発明品が特許審査請求がなされぬままであったのはなぜなのか。この発明をされた日立製作所マルチメディアシステム開発本部の二人の発明者はご健在なのかどうか。お元気ならば、請求期限内に必ず審査請求されたはずですが、特許広報には未請求と表示されています。審査請求をし、正式に特許を取得していたならば、日立は莫大な利益を手にしたはずですし、巨額の法人税も納められたはずですが、残念なことです。

10年ほど前といえば、日本ではマンガやアニメが異様なほどの急速

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度で、世界に誇れる日本文化の輸出品の花形商品の位置へと急上昇しはじめた頃です。日本国内ではもとより、海外からもヤンヤンの喝采を浴び、他の産業などは時代遅れだとの風潮すら漂っていました。この異様なマンガ、アニメブームはつい最近まで続き、自公政権はもとより、省庁あげてのマンガやアニメ産業振興策が図られてきました。そしてついにマンガ狂の総理大臣誕生にまで至りました。しかしマンガ好きの総理大臣はいかにもマンガ的な言動を繰返し、野党や国民からはもとより、与党内からも批判、離反を招くに至っています。その結果だろうと思われますが、さしもの長期に渡るマンガブームにも陰りが見えはじめています。

この異様なマンガ、アニメブームは、日本のIT技術の正当な評価と健全な発展を阻害する要因になったことは、紛れもない事実だろうと思われます。

もう1つ記憶に残る発明品を紹介します。アメリカのカリフォルニア州にあるキャノンの出願した「特開平10-162003」(公開日は平成10年 1998年6月19日)です。発明の名称は長過ぎるので省きますが、紙製新聞や雑誌のレイアウト形態をそのままWEB上に表示する発明です。発明者は名前からすると中国人のようですが、これも審査未請求です。日本の新聞社はWEB新聞は特にレイアウトには凝っていませんが、アメリカの新聞社はWEB新聞のレイアウトも紙製新聞に似せています。しかしこれは言うは易しで、実際にWEBで表示するのは難しいはず。非常に詳細に書かれているキャノンの特許広報を読むと、その難しさが素人にも伝わってきます。

わたしはこのキャノンの特許広報を読んで内容が理解できるや否や、すぐさま「ワシントンポスト」だったかの、アメリカのWEB新聞を思い出しました。東京在住中の9.11テロ勃発時、英語は読めもしないのに何度も覗いていたのですが、日本の新聞社のWEB新聞とはまったく違う紙製並みのレイアウトに驚き、さすがにアメリカだなあと感心し

既刊本

ながら眺めていました。おそらく特許があって、特許料が高くて日本では使えないのだろうと思っていましたが、まさかアメリカ法人とはいえ、日本のキャノンが似たようなWEB新聞の発明をしていたとは夢想だにしていませんでした。ただし先ほど、9.11テロ勃発時以来始めて覗いたところ、「ワシントンポスト」のサイトの構成そのものがかなり変っています。当社のパソコンのバージョンの低さが原因なのか、レイアウトそのものを大幅に変更したからなのか、レイアウト枠が崩れています。9.11テロの頃見た、紙製並のレイアウトは非常に見やすかったのですが、なぜ変えたのでしょうか。残念です。

しかしキャノンも特許審査請求をしていませんので、仮に世界初の発明で、需要があったとしても特許料は入ってこないはず。8点の中には、素人目にも、商品化してもまず利用されないだろうと考えざるをえないものもありましたが、IT時代に対応した発明がいくつもなされていながら、それらの発明は活かされぬままです。政官財のIT無知が真の意味でのIT教育の導入を阻害すると同時に、その応用や活用をも阻害しているわけです。その結果、日本のIT技術は正当な評価を受ける機会すら奪われたまま、静かに眠らされています。のみならず、IT技術を外国人に委ねようととの動きが絶えることなく続き、ついには宇宙開発分野にまで、その動きが広がろうとしています。恐ろしいことですが、その恐ろしさを真に理解しうる人材が、政官財はもとより、マスコミ界にもほとんどいないのではないか。わたしのような素人が、警告を発しつづけざるをえないゆえんです。

なお、わたしの特許出願番号は「特願2005-147301」です。大企業の発明品と並べて紹介いたしますのはいささかおこがましい限りですが、ぜひとも合わせてご覧くださ。わたしが格闘しました、8点の特許広報も紹介されています。初めての方は途惑われるかもしれませんが、わたしの特許は未だ審査中ですので「経過情報検索」ページに入ります。「番号照会」を選択して次ページに入り、「特許」を選択して「2005-147301」の数字の部分だけ入力するとリンクが表示されます。これをクリックすると目的地に到着です。 

 

  (6) ITと派遣と難民と 12/19

 

通常ですと、ここから号が新しくなるところですが、今年も残り少なくなりましたので、今年の記事はこの13号に収めようと思います。ただ特別に付け足しますので、区別を持たせるために、上記(5)までとは違う枠を設けました。

本題に入る前にもう一点、付け足します。前回「(5)宇宙開発とIT」の最後に、わたしの特許出願番号と特許庁HPでの検索の仕方をご案内しています。この部分は後で追記したのですが、これまでのような色付けをしていません。上記「(3)博物館と韓国」では赤色で追記していますので、それに合わせると字数が多いせいで余りにも赤が目立ちすぎますので、黒のままにしました。あらためてご案内する次第です。

IT関連で続けますと、先日偶々検索していて国立情報学研究所のホームページを見つけました。時代状況からするならば、国立のIT専門の研究所があるのは当然といえば当然すぎますが、つい先日初めてネットで見つけるまでは、その存在をまったく知らなかったので驚いてしまいました。かなり注意して新聞に目を通しているわたしですら、まったくその存在を知らなかったということは、マスコミではほとんど取り上げられたことがなかったということです。言かえれば、国立の機関でありながら国民にはまったくその存在が知らされずにいたということに外なりません。

わたしは、日本のIT政策を統括する核となる機関が見当たらないことに不可解さを感じていましたが、専門機関そのものは存在していたわけです。しかしその存在がほとんど知られていないということは、その活動の幅が非常に限られているからではないかと思われます。おそらく優秀な専門家が集まっているのではないかと思われますが、役所も企業も家庭も学校も、ありとあらゆる場がITに取り囲まれているという現代の状況下にあって、国のIT専門機関が広く国民に啓蒙する活動をしていないということは、国立情報学研究所の責任であると同時に、政治家の責任でもあるといわざるをえません。政治家の使命が国家と国民を守ることにあるのであれば、現代の政治家にはIT無知は許されず、IT無知では政治家になる資格はないというべきでしょう。

ITの高度な技術を独占すれば、国家はもとより個人も丸ごと支配することも簡単です。国民をIT無知のまま放置することは、一握りの高度なIT技術保持者の、目には見えぬ日本支配を可能にします。国立情報学研究所が、広く国民の前で活動していないということは、IT独占を狙う、ある特定の集団にひそかに利用されている可能性が非常に高い。

実は国立情報学研究所を発見したのは、九州大学の新総長(以前は学長と呼んでいたはずですが、いつから総長に変身?)を検索していて偶然見つけたものでした。検索の結果によれば、副学長(元を付けていましたが、間違いでした。)として梶山総長を補佐してきた有川節夫氏がこの10月から(4月ではなく、10月から!!!)総長に就任したとのことですが、同氏は情報学の専門家で、情報学研究所の客員教授だったとのこと。その関連で情報学研究所を見つけたのですが、なぜ九大の新総長を調べていたのかといえば、何を専門にしているのかを知りたかったからです。

確か、5月頃だったかと思いますが、珍しい経歴の九大教授が朝日新聞の福岡版に紹介されていました。ある電気メーカーのIT部門の元技術者A氏が、九大教授として抜擢されたとのこと。最近では大学以外からの変わり種教授は珍しくもありませんが、わたしが今もこのニュースが忘れられないのは、その教授の仕事に大いに疑問を感じたからでした。

民間出身者にしかできない仕事ぶりだとして新聞記事で紹介されていたA氏の仕事とは、まず一つは、同僚教授が業者を使ってした仕事に対する支払を、業者と交渉して安くしたということ。二つ目は、新しい仕事として、ゲームソフトの新しいアイディアを研究するために、ゲームソフト作りの盛んなオランダに行くとのことでした。大きな写真入りの目立つ記事でしたが、その内容の驚くべきお粗末さには唖然とせざるをえませんでした。より厳密にいえば、民間出身者A教授のお脳のお粗末さに唖然といたしました。

A氏は高等専門学校卒の40歳代、授業を持たなくてもよい特別待遇職の教授らしい。授業を持たなくてよいことは、学生にとっては幸いだと思われますが、人件費のムダ遣いではないのか。外部の理事会が総長を決めるという、独立行政法人化後の九大の人事には、あっけにとられるような人事がつづきます。(参照1 九大総長選考結果 参照2 学内意向投票結果「学内意向投票」とは何たる用語か。なお参照2は、公開後すぐにリンクを切られたようです。調べましたところ、九大のホームページ本体でリンクが切られていましたので、わたしが控えておいた投票結果を紹介します。歯学部大学院教授赤峰昭文 655票 有川節夫 599票 医学部大学院教授柴田洋三郎 588票。隠すようでは、今後は不正が行われる恐れすらあるのではないかと危惧されます。12/24 追記)

授業を持たなくてもよいとえば、前任の梶山総長時代にマスコミで派手な話題となった、作家の高樹のぶ子氏の起用を思い出します。高樹氏の場合は「特任」教授ですので、A氏とは違い、常勤ではないのだろうと思われますが、高樹氏の起用は、独立行政法人化後の九大の基本路線であるらしい、アジアとの連携、アジアとの一体化策の一環だと思われます。アジアの作家との作品コラボが、特任教授としての高樹氏の仕事だとのことでしたが、これもきわめて皮相な政策だと思わずにいられません。これまでいくつかの作品を文芸誌に発表されたようですが、このような仕事に、九大教授を「特任」すべき必然性は皆無ではないのか。

高樹氏とアジアの作家との作品コラボレーションが、大学教授の「特任」仕事になるのか。マスコミの話題になって目立ったという以外、何の意味もないばかりか、高樹氏のこの「仕事」には、数千万円の予算が使われたはず。地道な研究には予算が削られつづけるという異常事態が続く中での、驚くべき税金のムダ使いです。大学の商品化を進めてきた、自公政権の教育政策の最も悪しき成果の一つです。同時に、九大関係者の呆れ果てた見識には言葉もありません。九大の内外から批判があっても当然ですが、高樹氏がマスコミの全面的支援も受けているせいか、どこからも批判は聞こえてきません。憎まれついでに、兼ねてからの疑問も書き加えることにしました。(12/27)

また、オランダがゲームソフト先進国だとは、朝日のA氏紹介記事で初めて知りましたが、後にも先にもこの記事以外では見たことも聞いたこともありません。ということは、A教授は、別の目的でオランダに行こうとしていたのではないか。研究といえば、当然のことながら長期滞在になります。オランダといえば王室。気になります。日本の皇室は、今や不埒な外部勢力の撹乱工作に見舞われています。撹乱工作が海外にまで拡がらぬことを祈らずにはいられません。

ということで、この人事には総長も関与しているはずだと思い、新総長の経歴調べをいたしました。案の定というべきか、おそらく同じ専門の有川総長もA氏を支援しているはずです。というよりも、総長が某電気メーカからA氏を引っこ抜いたのではないか。九大は最近盛んに、感性融合(意味のよく分からぬ言葉ですが)を謳った事業を展開しています。具体的には、ITを使ったアート作品のアジア各国からの募集に力を入れています。アジア製作品を生み出したいとのこと。しかしゲームソフト作りといい、ITでアートといい、発想がワンパターンで貧相です。天下の九大のやることなのか、もっと他にやるべきことは山とあるはずなのにと、ひそかに嘆いていましたが、総長は情報学の専門家であるとのことを知り、さらに驚いてしまいました。しかもその上、国立情報学研究所にも在籍していたとは。(参照3「 銭谷文部科学事務次官が(九大)来訪」・・・コートを着たまま、ポケットに手を突っ込んでおられるのが有川総長です。こちらはリンクは切られていませんでした。有川氏個人の品性が疑われるようなこのページは隠されず、学内選挙結果のページだけが隠されたということですが、総長人事の異様なほどの重大性を窺わせています。12/24)

 とはいえ、国立情報学研究所には多彩な才能が集っているようですし、定期的に市民講座を開催して、研究成果を一般国民にも伝えようという活動は続けているようです。新年早々の講座は、09/1/19 言語情報とコンピュータとなっていますが、ごくごく狭い範囲でひっそりと行われているようで、広く国民が共有できるものではないようです。ITに関しては、原理的なその仕組みの概略的な基礎知識は、義務教育で習得させるべきです。なぜ同研究所は、そのための事業を提案しないのか。政治家や官僚は、なぜこの研究所をもっと活用しないのか。

日本の政治のIT無策は、目前で進行中の、容赦のない派遣労働者の大量派遣切りとも無関係ではありません。いずれも、日本国民の生命の安全と暮らしを守るという、政治に求められる最も重要な基本政策を、自公政権が放棄してきた結果に外ならないからです。各国政府に求められる最も重要な仕事は、自国民の生命と生活を守ることにありますが、昨今、喧伝されるのは、国内よりも海外支援です。海外事業や海外絡みの行事は派手で目立ちますので、政治家にとっては簡単に点が稼ぎやすい。しかも「国際」と名がつけば、どこからも文句がこない。これほど楽に「実績」作りができる分野は他にはありません。

数日前に、ミャンマーからの難民が日本に押し寄せて、難民支援用に当初計上していた予算が足らなくなり、急遽、難民のための宿舎や生活や日本語教育のために必要な予算を追加したとのニュースが報道されていました。日本の派遣労働者が、容赦なく派遣切りの嵐に見舞われている渦中の出来事です。仕事を失ったばかりか、寮まで追い出されて住む所さえ奪われしまったという自国民の派遣労働者に対しては、政府がこれほど迅速な対応をしたとの話は、未だ見たことも聞いたこともありません。のみならず、時間が経った今でも、自公政権が派遣切りの嵐に対して、具体的に動いた形跡すらありません。

当初、麻生総理もこの問題では、一回だけ直接動いたようです。経団連の御手洗会長と会談して、派遣切りをしないようにとの要請をしたとの報道はありました。しかしその直後、キャノンが大量の派遣切りを発表。それで麻生総理は自分の無力を悟ったのか、それ以降は、政権や政府としての動きはほとんど伝わってきません。厚労省がハローワークを使って、派遣対応に積極的に動いているのがせめてもの救いです。自治体も救済に動いていますが、肝心要の政府の存在が非常に薄い。この異常事態に対して、すべてあなた任せの様子で、日本国の総理大臣が先頭に立って動こうとはしないのは、異常ではないのか。

にもかかわらず、海外支援には即座に対応する。難民問題は昔からありましたが、昨今の難民受け入れ圧力は、非常に不自然きわまりない。ミャンマー難民とは呼ばれていますが、意図的に難民が生産されていることは間違いありません。いうまでもなく外国人を増やし、日本の人口構成を変えることを狙ったもので、日本解体策の一環にほかなりません。同じ頃、インドネシアから来日した看護士の卵に対しても、日本語教育のための支援が開始されたとの報道もなされていました。派遣切りに泣く日本人との何たる違いか。日本の派遣労働者を看護士としてゼロから養成しても、日本人の方が養成費用ははるかに少なくて済むはずですが、にもかかわらず、日本語をまったく話すことすらできないインドネシア人を、なぜ看護士として養成するのか。いうまでもなく以前にも指摘したように、医療や介護現場からの日本人排除を狙ったものです。

政府あって政府なし。無気味な状況です。

 
 













 








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(7) 派遣と金融 12/27

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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本題に入る前に、前回の追記について一言。九大関連で重大な追記をしています。美観よりも目立たたせることを優先して12/24と本日12/27に赤文字で書いております。是非ご覧ください。

もう一点、前回の注です。国立情報学研究所の新年早々開催の市民講座、 未来へつながる情報学をご紹介しましたが、内容は非常にユニークで興味深いものです。講師ご自身の子供さんの言語習得過程と、IT言語との対比を研究した成果を報告されるとのことですが、言語研究にも、新しい地平を開くきっかけとなりうるテーマではないかと思います。ITには無縁の文系分野の方々にも、是非聴講していただきたいと願っています。近くなら、わたしも是非聞きに行きたいところです。

しかしこのテーマは同時に、IT技術にも、新しい展開を促すきっかけにもなりうるのではないか。人間の子供が言語を習得する過程を詳細に分析し、IT言語の仕組みとを対比するという研究は、その展開次第では、IT言語をより人間の言語に近付ける、新たな機械言語の開発につながりうるのではないのか。IT言語が人間の言語により近づくということは、当然のことながら、IT機器の動きがより人間に近づくということを意味します。恐ろしいといえば恐ろしい。わたしは、この危険な連想を公表すべきかどうか迷いましたが、科学は隠蔽する方がより危険だとも考え、今回、冒頭に書き加えることにしました。

さて本題に入りますが、問答無用で大量の派遣労働者の首が切られ、寒々とした大晦日を迎えようとしています。突如、首を切られ、宿舎を追い出されたた派遣労働者の中には、寒風吹きすさぶ中、路上生活を余儀なくされる人々も出始めているとのこと。異様な事態ですが、麻生自公政権は年明け後の第2次補正予算で対策を打つと言うばかりで、派遣切りの嵐が吹き始めて一月近く経ちますが、具体的な救助策はもとより、麻生総理のまともなメッセージすら聞こえてこない。数日前、麻生総理が都内のハローワークに出向き、首を切られて必死に職探しをしている失職者に対し、「目的意識を持って探さないと見つからないよと」とアドバイスをしたとのことが、新聞に出ていました。素で見せる姿こそがその人物を最もよく語るもの。もともと異常なほどピントがズレすぎだ総理大臣であるとは承知していましたが、年末ぎりぎりになってまで職探しをせざるをえない、失職者たちの切羽詰まった状況などは全く分かっていないということに、唖然とするよりも激しい衝撃を受けました。

こんな人物がこの国の総理大臣なのか、これほど人材が払底しているのかとの衝撃です。日本の政治を司る最高責任者だとの意識は皆無です。田母神航空幕僚長のアパ論文問題の時も、防衛大臣の管轄でわしゃ知らんとばかりの対応を示した時にも唖然としましたが、この無責任さというか、総理大臣という職務に対する認識の希薄さ、軽さは、歴代の総理大臣の中にもかつて例を見ないのではないか。年明けの国会で論議するから、それまで寒風にさらされながら年末年始を過ごしなさい。持ちこたえられず、命を落とすことになっても仕方がないとでも考えているのではないか、としか思えぬ麻生自公政権の対応も、この流れの中で考えるならば、軽さと無責任さにおいては一貫しています。麻生総理は昨日が仕事納めで、3ヶ月間の総理大臣としての自身を振り返って、よく闘ったと自画自賛しています。何というノーテンキな総理大臣なのか。

しかし田母神氏も軽さと無責任さにおいては、麻生総理といい勝負です。アパ論文の杜撰さはいうまでもありませんが、航空自衛隊のイラク派兵を違憲だとした名古屋高裁判決を「そんなの関係ねえ」というお笑いタレントの口真似(TVを見ないわたしは、この報道で初めて知った流行り言葉。)で応えたということは(当時は石破防衛大臣と福田総理大臣)、田母神氏は法を完全に無視しているということであり、自衛隊こそが国家の最高機関だとでも考えているのではないかと思わざるをえない言動であり、航空自衛隊の最高責任者だとは思えぬ軽さです。仮に判決に不服があるにしても、立場上、軽々に批判を口にしてもいいのか。しかもお笑いの口真似で判決を一蹴するとは、唖然とするほどに品性が欠如しているのみならず、司法を完全に無視した態度であり、驚愕と憤りを感じずにはおられません。しかし内閣総理大臣も軽くて無責任だとなれば、文民統制などあってなきが如し。

それにしても、野党の要求を無視しつづけ、目前の緊急事態に対して、年明けまで対策を打たないという自公政権の姿勢の強固さは異常です。その強固さ堅持の最大の理由は、緊急対策を主眼にした第二次補正予算案と定額給付金をセットにして国会に出し、遮二無二通そうとの魂胆からであるのは明々白々です。麻生自公政権は野党からはもとより、国民の大多数も反対している定額給付金だけを単独で審議すれば、紛糾して成立が危ぶまれるのはもとより、自公政権崩壊に直結しかねないとの判断から、野党も反対しない、反対できない、緊急の不況対策法案とセットにして出せば、定額給付金法案を成立させることができるとの判断から、緊急対策を年明けまで放置したことは明らかです。年が明け、事態がいよいよ切迫してきて法案を提出すると、仮に野党が反対し、批判しても、逆に野党の方が国民から批判されることになる。そういう事態に持ち込むために、麻生自公政権は、年末の国会会期終了まで一月近くあったにもかかわらず、第二次補正予算案の提出を延ばしに延ばしてきたわけです。

ただひたすら、麻生自公政権延命のためと定額給付金の成立を狙った予算案提出怠業作戦です。年末から年始、役所も企業もすべて閉まります。我が身の延命だけを考える自公政権と自公議員たちは、寒風の中、行き所もなく路上に放り出された失職者たちのことを考えたことはあるのか。彼らは労働法制の自由化を促進した、自公政権の犠牲者ですが、自公議員たちは自らの責任を自覚したことはないのでしょう。それどころか我が身の延命だけを考えています。定額給付金は公明党が出した政策ですが、公明党は創価学会への利権誘導策として、何が何でも定額給付金を通そうとしています。国民の大半が反対している定額給付金を、いくら盲従的な創価学会員とはいえ、全員が待ち望んでいるとは思えませんが、公明党にとっては、定額給付金成立は絶対命題になっています。傀儡政権の麻生総理も当然のことながら、同じ路線を走らされています。

ではなぜ、公明党はそれほど定額給付金に必死なのか。いうまでもなく創価学会の勢力維持と拡大のためにほかなりません。この給付金の最大の特徴は、観光客や一時滞在者を除く、日本に住んでいる外国人にも漏れなく支給されることです。この給付金は、支給対象も支給方法も非常にあいまいで、何か無規律なばらまきだとの印象が非常に強い、異様な給付金ですが、最も基礎となる肝心要の支給対象があいまいなまま、年明けに強引に成立させられそうです。収入制限については紛糾するほど論議を呼びましたが、支給対象となる外国人の範囲も非常に曖昧です。観光客と一時滞在者以外の日本に暮らす外国人というだけでは、判断基準とはなりえません。何をもって受給資格ありと判断するのか、その具体的な条件は全く示されぬままですが、この曖昧さにこそ謎を解く鍵が潜んでいます。

公明党が異常なほど定額給付金に固執するのは、日本にいる外国人に給付金を支給させるためです。近年、日本でも外国人労働者が激増していますが、派遣労働が自由化されて以降の顕著な変化です。創価学会は日本ではこの先、勢力衰退することは必死です。学会員以外の一般の日本人は創価学会を宗教教団だとはほとんど誰も考えてはいないはず。しかし実態を知らない海外の一部では、創価学会とご本尊の池田大作氏に対して、宗教的な尊敬を抱く人々もいます。少なくとも一般の日本人を相手にするよりは、外国人の方が折伏(しゃくふく)しやすい。実際に勤行などの宗教的な活動はせずとも、創価学会の勢力圏に囲い込みやすい。

創価学会は世界中に、そのすべてが宗教的な活動拠点といえぬとは思われるものの、広く活動拠点をもっています。海外から労働者を日本に送り込むのは雑作もないことです。仕事の乏しい国の人々にとっては、日本で職に就けるのはこの上もない現世利益です。労働者の全員が創価学会の会員やシンパにならずとも、各国の手配師(派遣業者)との関係は非常に緊密なものになり、その国への影響力の拡大に大いに貢献します。しかし日本に派遣した労働者が突如職を失い、一気に不満が高まった。その不満を解消するためには、外国人にまで支給されるような、無条件給付金でなければならない。しかも外国人への給付条件を非常に曖昧にすることで、業者にまで給付金の一部が流れるような抜け道を作っているのではないか。住民登録はしていない外国人への給付金支給は、派遣会社かどこかの組織、団体が代理で申請することになるはずですが、新聞で報道されたのを見た記憶はないので、この仕組みを知っているのは創価学会かその周辺ぐらいではないのか。基準が曖昧であるというのは、即、不正の温床になりやすい。異様なほどの、無規律なばらまきだといわざるをえないゆえんです。

無規律だといえば、ますます激しくなる世界同時不況も、まさに無規律の世界化の産物です。世界が注目していた、アメリカのビック3への米政府による公的支援はひとまず認められることになりました。この問題でわたしが最も不可解だったのは、企業経営に対して非常にシビアだと言われているアメリカの株主が、どこからどう見ても有能だとは思われないビック3の経営者共々、危機がここに至るまで放置してきたとしか思われない状況に対して、どこからも論評がなされていないことです。株主も経営者も揃って無能なのか。一体、誰が株主なのかと思っていましたが、つい先日、朝日新聞にGMの筆頭株主が投資会社であることが出ていました。やっぱり、というのが正直な感想です。おそらく残る2社も株主は似たようなものだと思われます。

呼び名は多少違うとはいえ、投資会社も投資ファンドも正体は一つ。企業の健全な発展を考えて投資するのではなく、目先の利益を上げること以外はまったく考えていない。当然、経営者も株主のこの意向に忠実な人物が選ばれます。ビック3といえば、世界の自動車産業のトップに君臨してきたその長い歴史を思うならば、日本人には想像もできないほどの優良資産が蓄積されていたはずです。投資会社は車の販売実績を上げて利益を得るよりも、もっと手っとり早く、蓄積されてきたビック3の優良資産を食いつぶしながら、巨額の利益を手にしていたのではないのか。経営者たちも共々、そのおこぼれに与ってきたというのが真相ではないのか。そう考えると、業績が悪化の一途を辿っているにもかかわらず、アメリカでは経営に厳しいはずの株主からは、経営者の責任を問う声がまったく聞こえてこないという不可解さも、経営者たちが異様なほど分不相応な役員報酬さえもらい、自家用飛行機まで乗り回していたという贅沢三昧ぶりの謎も解けてきます。

アメリカ政府は支援は決めたものの、経営者たちの贅沢禁止と責任を明確にすることを条件にして監視することになったようですが、株主は全く責任は問われていません。わたしは経済についての専門知識が乏しいので、法的には株主は免責されているのかもしれませんが、アメリカのみならず、近年世界中の市場を荒らし回っている投資会社や投資ファンドは巨額の資金を背景に経営者の上に君臨して、企業の経営に強力な影響を行使しています。事実上の経営者だといっても過言ではないはず。これら巨額資金を動かし、企業を牛耳る投資会社や投資ファンドに対する規制なしには、健全な企業経営は望めないはず。投資会社や投資ファンドは、従来の投資家とは違い、投資先企業の、健全で末永い企業活動を考えて投資をするのではなく、どんな方法、手段をとってでも目先の利益を上げさせ、過剰な利益が入って来さえすればよい。その結果、それらの企業が潰れようがどうしようが、そんなの知ったことではないというのが本音であり、その本音どおりの市場荒らしをつづけてきました。

これらの投資会社や投資ファンドの中には、企業なり国家なりを潰すことを目的に巨額資金を集め、投資している所もあるはずです。世界が金融資本に覆われた今や、武器を使わずとも一国を潰すことも簡単です。真の株主が匿名であるがゆえに巨額の資金が集ってくるわけですが、その正体を隠したまま巨額資金を動かすことが可能だという、投資会社や投資ファンドの現行制度が無規律に放置されるならば、例えば創価学会や統一教会やその他の組織、団体や、あるいはヤクザやマフィアやイスラム原理主義者やその支援者が、このような投資活動を展開していても、資金の流れは誰も把握することは不可能です。経済活動のヤクザ化は経済のみならず、社会そのもを荒廃させるだけです。

匿名ゆえに巨額の資金が集り、巨額の投資が可能になるとはいえ、投資された事業のすべてが確実に収益を上げるなどということは物理的に不可能です。世界市場が消化可能である以上の、過剰すぎる資金が流れ込み、一握りの集団にのみ利益をもたらす、瞬間的なバブル景気を生み出すことはあっても、たちまち弾けてしまう。しかも、これら過剰な資金は、本来ならば、企業や社会的な優良資産として代々継承されていくはずの優良資産のほとんどすべてをカネに変えているがゆえに、過剰になったものも含まれています。また将来のための研究に投じられるならば、企業や社会の未来の優良資産として新たに蓄積されていくはずの資金すら蓄積を許されず、株主と経営者の懐に入る。これが昨今、けたたましく喧伝される「資金の流動性」の正体ではないのか。資金の流動性のみを追い求める金融資本主義は、市場の基盤そのものを貧困化するだけの経済理論ではないのか。

しかもそのツケは余りにも大きい。金融の暴走を許さず、資金の流れの透明化を図り(一般企業並に課税し)、もっと健全な経済活動をつづけていたならば、経済活動の瞬間的な規模の拡大は小さくても、持続的な発展が望めたはずです。結果的に、金融バブルで、企業や社会の一部が瞬間的に得た巨額な利益は、この未曾有の不況脱出のために投じられる税金と比較するならば、単純に言ってどちらがプラスか。答は明白です。金融バブル政策を推進してきた日本の自公政権はもとより、欧米各国政府も、ただ財政出動するだけではなく、根本的に政策が間違っていたことを反省すべきです。その反省なしにただ税金を投じるのは犯罪ではないのか。しかも投資会社は法人税を払わないにもかかわらず、巨額の国税投入を懇願する経営者を通して、税金投入の恩恵にも浴しています。あさましいの一言。

金融資本主義とは、一握りの人間に富が集中するシステムに外なりませんが、大昔とは違い消費資本主義でもある現代は、広大な消費者層をも同時に生み出し続けなければ、経済はたちまち停滞します。世界がアメリカ一国の消費に頼ってきたという異常さ。しかもこのアメリカの消費能力も、実態のないただの泡にすぎなかったことが判明しています。日本では労働者人口の4割近くが消費能力を持たない、非正規労働者です。目前の派遣労働者の有り様は、労働者に対する搾取が過酷であった戦前以上の苛酷さです。「蟹工船」や「女工哀史」を生み出した戦前の資本家ですら、労働者を裸で路上に放り出すなどいう非道なことはしなかったはず。しかもたとえ貧しくとも、子供を生み、育てるぐらいの賃金は払っていました。それを思うと、消費能力の破壊と人口減少をもたらすだけの現在の状況は、経済原則すら踏み外した異常さだといわざるをえません。その結果、国内需要は減少の一途を辿り、最優良企業のトヨタですら、海外輸出に依存してきたツケをもろに受けています。バブルに依存した脆さを、ある種の恐怖を感じながら、誰もが受け止めたのではないのでしょうか。

しかしこれは、日本だけの特殊事情ではありません。世界同時進行です。先日、ギリシャで若者の激しい暴動が起こりました。働く場所のない若者の怒りが爆発したものです。暴動が起きたのはギリシャだけですが、大学や学校を卒業しても職のない若者はギリシャだけではありません。アメリカはいうまでもなく、ヨーロッパ各国でも深刻です。若年失業率は、いずれも20数%もの高さです。韓国でも同様です。おそらく中国でも同様です。世界は今、金融資本主義に盲従してきた手酷いツケを払わされていますが、その最も苛酷な被害者は、バブル渦中にあっても、苛酷に搾取されつづけてきた、モノ言わぬ弱者たちです。

今年はこれで最後となりますが、来る年が少しでもよき年となることを念じつつ、終わりとしたいと思います。来年も、ご愛読くださいますよう、お願い申し上げます。皆様、健やかによき新年をお迎えください。

 

久本福子
HISAMOTO Yoshiko

葦書房有限会社
福岡市中央区警固2丁目2-11
シャンボール警固202号(〒810-0023)
TEL092-761-2895 FAX092-761-2836
ashi@gold.ocn.ne.jp
http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/

 

  

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