追悼・稲尾和久氏
11/13
今日、稲尾和久氏が急死されました。先ほど夕刊の訃報記事を読んだばかりですが、なぜか涙がこみあげてきて止まりません。わたしは稲尾さんの投球は見たことはありませんが、ラジオでホークスの野球中継を聞き始めてからは、稲尾さんの野球解説を聞くのを楽しみにしていました。稲尾さんの語る声には、今時得難いほどの、しみじみとした温かみがありました。稲尾さんの語りを聞いているだけで、何かほっとするような気分に誘われたものです。それでいて解説は明晰で鋭い。色々思うところあり、最近はまったく野球中継を聞かなくなりましたが、稲尾さん急死の報に接し、わたしの野球への関心はさらに遠のきそうです。
70歳という若さでの急死です。稲尾氏のこの急死にも不可解なものを感じずにはいられません。今年、稲尾氏の故郷の大分に、記念館と球場が完成し、今月18日には名球会のメンバーとして凱旋する予定だったという。その記念すべき日を直前にしての急死です。わたしがこれまで数々挙げてきました、怪死者の方々とまったく同じ形で急死を余儀なくされたと判断せざるをえません。ご遺族の哀しみを思いますとこれ以上書くことは憚れますが、怪死を余儀なくされた方々の無念の思いと、わたし個人の怒りとは同じ一つのものだと感じています。
稲尾和久氏の死を悼み、西鉄ライオンズ関連の書籍、河村英文著『西鉄ライオンズ 伝説の武士球団』とスポーツニッポン新聞西部本社編『記者たちの平和台』をご紹介させていただきます。稲尾氏をはじめ、西鉄ライオンズそのものが今なお現役であるかのような、そんな熱さが読む者の胸に飛び込んできます。
●スキャナー異変 画像つきで公開したのですが、画像が表示されておりません。移転後はスキャナーを使うヒマもなかったのですが、11/1の「佐野眞一氏提訴」お知らせ時に、スキャナーの梱包を解き、移転後初めてスキャナーを使って画像を撮って転送しました。ところが、web上には表示されませんでした。原因を調べたところ、画像は「jpg」の拡張子をつけて保存したものを転送するのですが、転送先のサーバー内には「jpg」のあとに「.bin」という余計な文字が付着していました。web上に表示されないはずです。画像を何度転送し直しても結果は同じです。初めからスキャンし直しても結果は同じです。移転時にスキャナーにまで細工されたのかと思いましたが、まさかここまでするのかとの思いもあり、この異変は公開しませんでした。
しかし今夜、追悼の画像が表示されないという事態に直面し、あらためてこの異変の実態を調べてみました。やはり今回も拡張子「jpg」のあとに「.bin」が付いています。このパソコン内に保存している画像ファイルには、わたしが付けた拡張子「jpg」しか表示されていません。サーバーに転送される時に「.bin」が付着するらしい。サーバー内で名前を変更して「.bin」を削除してもwebには表示されません。
そこでサーバーを一旦閉じて、再びサーバーを開き画像ファイルを調べると、「.bin」を削除した画像ファイルそのものが消えています。webに表示されないはずです。ということは名前変更で「.bin」を削除すると、画像ファイルそのものが消えるプログラムが組込まれているらしいと思われます。「.bin」が付着していても表示されませんし、削除しても表示されないという複雑な仕掛けがさされています。サーバー内の文字が余りにも小さいので見落としていました。画像ファイルはサーバーに残っていました。しかしwebには表示されません。紫部は誤認部分です。(11/4)
昨夜は時間が遅くなり、検証途中で当ページを公開して帰ったのですが、本日出社して検証し直したところ、異変の原因がやや違ったところにあることが分かりました。画像ファイルを保存しているパソコン内の保管場所では、わたしが付けた「.jpg」の拡張子だけしか表示されていませんが、転送ツールFetchを使って転送する時に表示されるファイル名には「.bin」が付着していました。そこで「.bin」を削除して転送したところ、サーバーには「.bin」の付かない「jpg」だけの拡張子のファイルが保存されました。しかしwebで当ページを開いても画像は表示されません。ということは、このパソコン内で保存されている画像ファイルは、表面上では「jpg」の拡張子だけになっていますが、実際には「.bin」の付いた、隠しファイル名が組込まれているのではないかと思われます。
ファイル名が一致しないと、いくらサーバーにファイルを転送しても表示されません。しかしかといって画像ファイル名そのものを「.bin」付きに変えてしまうと、ファイルの性質そのものが損なわれしまいます。いずれにしてもこの細工のなされたスキャナーを使う限り、画像は表示されないということです。
東京でエディター・ショップの仕事を続けていた時に、メールアドレスに、隠しアドレスが組込まれるという事態に遭遇したことがあります。表面上のアドレスは知人のアドレスですので、安心してメールを何度か送ったのですが、相手には届いていないということが分かりました。不審に思ってメールアドレスを何かよく分かるぬまま、操作している渦中で、表面に見えるアドレスとはまったく別の見知らぬアドレスが組込まれていることを発見しました。パソコンの仕組みなどほとんど分からぬ頃の出来事で、まったく偶然の発見だったのですが、すぐさま、エディター・ショップのホームページで、「隠しアドレス」にご用心」という警告文を公開しています。
当時の体験からも、このスキャナーにも、隠しファイル名のプログラムが組込まれているはずだと判断した次第です。CGIを使ったカウンター表示も隠すという意味の「bihind」を入れるとweb上には表示されませんので、隠し文字そのものはプログラム言語としてはごくありふれたものだろうと思いますが、システム全体の動きの中で隠し文字を目的(今回の場合は乗っ取りのための悪目的)達成のために有効に使うには、かなり専門的な知識がないと不可能だろうと思います。(11/14)
これらの異変は、移転後にスキャンした画像にのみ起こっている怪奇現象です。移転前にスキャンして転送した画像には、まったく異変はありません。サーバー内で細工されたものではないのは明らかです。移転前も移転後も同じスキャナーを使っていますので、スキャナーに細工されていることは明らかです。このスキャナーも含めて、パソコンとパソコン関係機器のすべてが佐川引越しセンター(本当は別の場所?)に一週間留置されていましたので、その間に細工されたものだと判断せざるをえません。これほど手のこんだ細工をするとは、かなりのIT技術の知識の持ち主が関与しているものと思われますが、当社の移転に際し、当社のパソコンと関連機器に細工する計画が、そもそもの初めから立てられていたことは明らかです。告発の思いをこめて画像なしのまま公開します。参照佐川事件。
●告別式 11/22
本日午後2時より、積善社福岡斎場にて稲尾和久氏の告別式が行われました。わたしも斎場に出向き、稲尾氏とお別れをしてきました。昨今は「お別れ会」という呼称が拡がっていますので、告別式という言葉を目にするのは、本当に久々でした。告別も別れを告げるという意味の熟語ですので、両者の意味はほぼ同じですが、死者との別れの場には、厳しい音の響きを伴う「告別式」という言葉こそが、やはりふさわしいと思われます。
斎場の中も外も、稲尾氏の死を悼んで集まった人々で溢れていましたが、まず故人を偲んで、稲尾氏の生涯を7分にまとめたフィルムが上映されました。長年テレビを見ていないわたしには、球界以外の場でも幅広く活躍されている近年の稲尾氏を映した場面の数々は、特に印象的でした。球界のみならず、福岡にとっても重石のような存在であったことを、あらためて思い知らされる映像でした。
また、故郷大分県の別府市に開設された稲尾和久記念球場という名称(人また人の頭の間から遠望していましたので、正確な名称かどうかは自信はありませんが、この球場には稲尾氏の名前が冠せられていたということだけははっきり確認しています。)は、稲尾氏生前にすでに命名されていたことも知り、驚きました。なぜ驚いたのかといえば、主なき同球場で、さる11/18に名球会メンバーによる追悼試合が行われましたが、試合後金田正一氏が、この球場を「稲尾和久記念球場」と命名してほしいと宣言したとのことが、朝日新聞に報道されていたからです。
11/13の朝日新聞夕刊の訃報、追悼記事にも、同球場は稲尾氏を記念して作られたものだとの記事が出ていましたので、金田氏の宣言にはオヤ?とは思いましたが、11/13の夕刊をわざわざ引っ張り出そうとまでは思いませんでした。ところが今日、式場で図らずも、お元気そうな稲尾氏と共に映し出された、稲尾和久記念球場という名前を目にいたしました。命名提唱者は金田氏ではないということであり、やはり、驚きを禁じえないという気持ちがいたします。
さらに稲尾氏は、この球場を舞台に子供たちに元気と夢を与え、日本球界に活気をもたらすような人材育成にも、力を入れたいと自ら抱負を語っておられました。思い半ばというよりも、一歩踏み出す、その直前に急逝されました。無念の思いは如何ばかりかと、あらためて胸が痛みます。
弔辞はソフトバンクホークスの王貞治監督が、熱く思いをこめて読まれました。一部紹介された弔電や式場内外にびっしりと並んだ弔花の数々からは、稲尾氏が球界はもとより、政財界にまで及ぶ幅広い人脈の持ち主であることが伝わってきました。驚いたことには、小泉純一郎元総理の弔花も並んでいました。
すでにご親族だけで密葬を済ませておられていたこともあり、告別式は宗教色を完全に排したものでした。ご遺族のご意向であれば、まことに失礼な感想になり、申し訳なく思いますが、正直に述べさせていただきますと、宗教色を完全に排除した告別式には、大事な心棒が抜かれたような心許なさを感じました。当然のことながら祭壇もなく、白い花に囲まれた骨壷と遺影とユニフォームと帽子を前に、式次第が進みます。
かつては亡骸の納められた棺(ひつぎ)を前に、亡くなられたばかりの故人との、文字通り直の別れをしたものでした。ご遺族の間ではおそらく、読経の流れる中、そうした告別の儀が執り行なわれたものと思われます。しかし死者との別れは、ご遺族のみならず、故人の死を悼む人々すべてが、同じように亡骸を前に死者との直接的な別れの場に立ち会うことにこそ意味があると思います。
近年流行の葬儀と告別式(お別れ会と呼ばれていますが)を分離する新方式は、亡骸を目前にした生々しい直接性を完全に排斥、脱色した、死者の死をショー化したものでしかないと断言せざるをえません。亡骸を前に告別(別れを告げる)式を行えば、如何なる人といえども、宗教者の立ち会いを排除することはできないだろうと思いますが、亡骸が排除された脱色空間では、どれほど芝居めいた演出でも、自由自在に展開可能となってきます。
亡骸との直接的な別れの場に立ってこそ、死者とのほんとうの別れの場となりうるのではないのでしょうか。死は突然、ふいに襲ってくるものです。亡骸を前にした従来型の告別式は、悲しみの真っただ中にある遺族にとっては大変なことですが、事前の準備も何もなく、突然襲ってくるのが死である以上、死者を送る儀式も、ふいを襲われた不全さの残るものとならざるをえないはずです。事前の準備を許さぬ生々しい不全さにこそ、告別式の告別式たる所以があるはずです。
この日の告別式の最後に、参列者は順番に白いカーネーションをお骨と遺影に手向けましたが、式場をあとに外に出ますと、着物を着た女性からおしぼりを渡されました。葬儀に出ておしぼりを渡されたのは初めてでしたので、まるで料理屋にでも入ったようで、無気味にも怪訝にも思いましたが、なぜなのか、すぐには理由が思いつきませんでした。しかしこの告別式参列記を書き終えた後、やっとその理由らしきものに思い至り、追記をしている次第です。従来の告別式では、参列者には浄めの塩が渡されますが、この日の会葬御礼(よくよく見ると、「ご参列お礼」と書かれていました。)の封筒の中には浄めの塩は入っていませんでした。従来の故人の亡骸と直接別れを告げる告別式とは違い、すでにお骨となった故人の遺影との別れには、浄めの塩も不要だということなのでしょう。おしぼりのサービスだけでよろしいということなのだと、やっと思い至った次第です。
これは想像していた以上に、日本の葬儀を根本から変容、変質させるものであると、驚愕せずにはいられません。これほどまでの破壊的な葬儀の変容は、日本人の死生観をも根本から破壊せずにはいないはずです。日本破壊を狙った勢力が、葬儀業界を牛耳っているわけですが、葬儀社と葬儀業界は、自らが如何なる犯罪に加担しているのかを、とくと自覚すべきです。二度も告別式をやらざるをえない、分離新方式を即刻廃止し、従来型の葬儀、告別式に戻せといいたい。いくら商売とはえ、特殊な業界です。死者を弔う気持ちが根本になければ、葬儀屋など廃業せよと言いたい。
もっとも、ふいを襲う死に対応した、亡骸を前にした従来型の告別式であれば、手落ちなく儀式を進行するためには、葬儀屋にも相当の能力が要求されますが、新式の分離新方式ならば、誰にでもすぐに葬儀屋が開業できます。この新方式による「お別れ会」という呼称を初めて目にしたのは、2000年頃、東京在住中のことです。この分離新方式の発案者は、堤清二氏だと思われますが、清二氏が現在も葬儀業界に関与されているとは思われません。おそらくその後は、新勢力がこの業界にも進出してきたのではないかと思われます。葬祭コーディネーターという新職業の登場も、葬儀の脱色化をさらに加速させています。ここで当社の書籍の宣伝をするのはいささか憚られますが、当社刊の葬儀屋さんには、脱色前の葬儀業界の様子が活写されています。
三多もこの同じ斎場で見送りましたが、お棺に収められた三多の亡骸を前に、曹洞宗のお坊様お三方の読経を頂く中、お線香やお焼香の煙や香りに包まれて、私たち遺族や親族や多数ご参列いただいた皆様との別れを終えました。死者の亡骸を前に、告別の辞、告別の思いを伝えずしてなぜ告別式といえるのか、なぜ別れの場といえるのか、激しく問い返さずにはいられぬ思いに襲われています。
とはいえ今日の稲尾氏の告別式は、お骨とのお別れではありましたが、シンプルなものでした。色々と余計なことまで書いてしまいましたが、鉄腕稲尾様、今はただただ、安らかにお休みくださいとお祈りするばかりです。合掌。
<参照>葦レポート9号
05/3/29
葬儀社ばかりがなぜ増える? デジタル新聞葦2号
9/8 葬儀の変容
●画像復活!2/6
一部画像が復活しました。08/2/1
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1983年初版刊・1998年2版刊/四六版/442頁/2200円+税
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西鉄ライオンズ
ジュンク堂書店福岡店にて販売中!
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1993年刊/四六版/333頁/1650円+税
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記者たちの平和台
もう一冊ご紹介します。11/26
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1989年刊/四六版/261頁/1165円+税
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本日球診
久本福子
Yoshiko HISAMOTO