けたたましいサイレンとともに、パトカーは真夜中過ぎの街を突っ走る。頭上に頂く真っ赤な光を四方八方撒き散らしながら。

腕組みをした緒沢は助手席に背中を預け目を閉じていた。
口はへの字に曲がり、眉間は深い皺が刻まれている。しかし、その顔色はライトに照らされたものではない赤味をわずかに帯びていた。
運転席にいる制服警官はその横顔をちらりと盗み見て、密かにため息をついた。



話は一時間前に遡る。


宮部が運んだ身代金の金塊は廃工場でパチンコ玉状に加工され、下水を利用して運び出された。水道局の協力を得て、緒沢たちが下水道の出口に到着したときには犯人は金とともに逃走した後だった。
すぐさま現場に残されたホイールベースから車種を特定するよう指示を出し、下水に浸かりながら手がかりになりそうものを隈なく探したが、出口に置き去りにされた管と、遅れて流れてきたいくつかの金の玉しか見つけることができなかった。
犯人に出し抜かれたことを実感した緒沢は腰のポケットから無線機のマイクを取り出して彼女の名前を呼んだ。
「桐子!緒沢だ」
「どう?そっちは」
少し間をおいてイヤホンから聞こえてきた声はノイズ混じりだが良く通った。
緒沢が手短に状況を説明していると、車両の特定をやらせていた中澤が水しぶきを上げながら戻ってきた。手渡されたメモを読み上げる。
「シボレー・・・。トラックだな」
「その情報に捕らわれ過ぎないで。途中で車を乗り換えている場合もある」
瞬時の迷いもなく放たれる的確な桐子の分析に、緒沢も負けじと言い返す。
「網は完璧に張り巡らせた。・・・火事場に向かう消防車の中まで調べろとな」
緒沢の言葉が終わった途端、桐子の哄笑が耳のなかに響いた。
「出たよ、やりすぎ君」
左隣にいた中澤が桐子の揶揄に吹き出す。それに気づいた緒沢は中澤を睨みつけ、次の配備に行けと吐き捨てた。
背中を丸めて去っていく中澤を見送り、現場をもう一度見回す。すると緒沢の胸のなかは不意に生じた強い予感でいっぱいになった。それをどうしても吐き出さずにはいられなくなって、緒沢は無線機に呼びかける。
「桐子よぉ、早く終わってよ、一杯呑みに行こうぜ」
「え?」
怪訝な、桐子の言葉にならない声に緒沢は当然の反応だと思った。言い出した緒沢自身が一番驚いているのだから。
「誤解すんな、白砂と三人でだ。じゃあな」
最後の言葉は自分でもとってつけたような台詞だと思った。


鑑識が到着するとその場にいた全員を集め、引き継ぎと今後の捜査についての打ち合わせを行い、緒沢は次々と指示を出した。そして、各自持ち場へ向かうために解散となったとき、緒沢は妙に絡みつく視線を感じて顔を上げた。そこには中澤と保田が興味津々という顔つきで緒沢を見ていた。
「どうした?」
「いいえ、何でもありません。課長!頑張りましょう!」
「そうだよな、早く終わらせましょう!課長」
妙に気合の入った言葉を残して二人は去っていった。
「なんだ、あいつら」
呟きながら、緒沢は周辺に張り巡らせた検問のチェックに行くべくパトカーに乗り込んだ。運転手は地理に詳しい地元の制服警官の若い男だった。初めて同乗する警官は運転の途中、何度か横目で緒沢の顔を見た。
「どうかしたか?」
「いいえ、なんでもありません」
緒沢の問いかけに警官はそそくさと前を向いた。
訝しく思いながら検問地図を広げて見ていると耳にいれたイヤホンから声が聞こえた。
「桐子さん!森村です」
「何?」
優作が無線で桐子を呼び出していた。なんでも検問のことで見て欲しいものがあるということで、後で指揮車で落ち合うそうだ。
その会話を聞くともなしに聞いているうちに緒沢ははたと気づいた。
さっき自分と桐子との会話が、無線の聞いていた全ての人間に伝わったことに。
緒沢の身体は自分の迂闊さに対する怒りで一気に熱くなった。



憮然とする緒沢を乗せてパトカーは検問場所を目指して走る。

ちらちらとまとわりつく運転席の視線がうっとおしい。何より自分の間抜けさに腹が立つ。
マッハの速度で噂は駆け巡るだろう。こういうネタは逃さない奴らだ。
ギリギリのプライドで平静を装ってはいるが、本当は頭を抱えて叫びたいほどだった。

一緒に苦労した仲間に対して、仕事が終わりを迎えようとしている今、呑みに誘って何がおかしい。

頭のなかでそう考えるが、さっきの自分の発言がそれだけではないことは緒沢自身がよくわかっていた。

では、なんだ?

緒沢は自問する。
そして、行き着いた答えは「終わり」だからだった。

この事件はもうすぐ終わる。これは身代金の受け渡しが行われた以上、予想でも勘でもなく、事実だった。
そして、事件の終わりは捜査本部の解体、桐子との別れを意味する。
出逢ってまだ幾日も経っていないというのに、いつのまにか桐子が隣にいることが当たり前になっていた。
だから、終わりの予感を感じたとき、桐子に言わずにはいられなかった。
事件は終わっても、この出逢いを終わりにはしたくない。

信号で停止した気配に緒沢は目を開けた。フロントガラスの向こうには海辺に乱立する高層ビルのライトが見える。
そのきらめきのなかで周りよりも一段高く、ゆっくりと点滅を繰り返す、赤い光があった。
星とは違い、冷たく人工的な光、なのに心臓の鼓動のような弛みなさに惹きつけられる。
まるで桐子のようだ、と緒沢は思う。
空ではなく、この腐敗した地上にあって星よりも強く美しく輝く。
そして、その明かりは疑いようもなく緒沢の胸に灯っていた。

こんなこと、そうあるものじゃない。
ならば、あの灯りを目指して進むだけだ。
何とでも言いやがれ、そんなことに拘るプライドなんざ、芦ノ湖に捨てちまったさ。

緒沢はおもむろに無線機のマイクを取り出した。運転席の警官がぎょっとした視線を送るのも構わずに叫ぶ。

「桐子!緒沢だ」
「何?」
「車の所有者の線からの情報は?」
「まだ上がってきてない。鑑識の仮報告も受けたけど収穫はなし」
「そうか、じゃあ後は検問頼みだな」
「・・・そうね」
「何か思いついたらすぐに連絡しろ」
「あら、随分と頼りにしてくれるわね」
「当たり前だ。お前がいなきゃここまで来れなかった」
「・・・」
「今度こそ終わらせるぞ」
「ええ」
「じゃあな」

マイクをポケットに戻し、緒沢は再び赤いライトを見上げた。

終わらせることと、始めることを胸に誓いながら。




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