ベッドから上半身を起こし、後頭部に貼られたガーゼをむしり取りながら、桐子は優作に声をかけた。
「あたしの服は?」
「そこにあります」
緒沢に思いっきり叩かれた頭をさすりながら、優作は桐子の隣のベッドを指差した。
処置室から桐子を乗せたストレッチャーが出てきたときに、優作は看護婦から綺麗に畳まれた桐子の服を手渡された。桐子が病室のベッドに移された後、空いているとなりのベッドの上にそのままの形で置いておいたのだ。
「とって」
桐子が手を伸ばす。優作は立ち上がって両手で服を持って渡した。
毛布に覆われた膝のうえで、自分の服を広げる桐子。
黒いレザーのパンツ、明るいベージュのジャケット。その下から白いブラジャーらしきかたちのものが目にはいって、優作は慌てて目をそらした。
「何、広げてんだよ。おまえ、少しは人の目を考えろ」
緒沢が照れと焦りを含んだ声で怒鳴った。少しも気にすることなく、服をひろげていた桐子が手を止めて言う。
「優作、Tシャツ、買ってきて」
「はぁ?」
一瞬に何を言われたのか理解できなくて、優作は聞き返した。
「着てたの、ないのよ。なんでもいいから、すぐに買ってきて」
ボーガンの矢に射抜かれ、血まみれになった青いTシャツはそこにはなかった。
「わかりました」
優作は真面目な顔で言うと、病室を飛び出していった。
病院の玄関を出てしばらく行くと、店の立ち並ぶ大通りに突き当った。あたりを見回すと、はす向かいに大きな西武の看板が見えた。ここならなんとかなるだろう。そう思って優作は横断歩道を渡った。
西武の一階には無印良品の大きな売り場があった。開店して間もない店内には客は一人もおらず、がらんとしている。優作は婦人衣料品売り場に直行した。
ビニールに包まれたTシャツが整然と棚に並んでいた。
サイズは?・・・たぶんMでいいはず。
色が白、グレイ、紺の3色あった。
何色にしようか?
優作は桐子の顔を思い浮かべた。
まっさきに浮かんだのは夕べの寝顔だった。
真犯人に襲われて傷を負った桐子は、かけつけた緒沢と優作に状況を説明しおわると意識を失って倒れた。それから間もなくして救急車が到着し、救急隊員は軽々と桐子の身体をストレッチャーにのせ、車内に収容した。
緒沢の指示で優作は付き添い用の座席に乗り込んだ。
「なんかあったら、すぐに知らせろ」
眉を寄せて呟く緒沢の表情を見て、優作は、すごい変わりようだ、と思った。
桐子の手当てが済んだときには午前3時をまわっていた。優作が緒沢に容態を知らせようと、廊下の公衆電話から捜査本部を呼び出すと後藤が出た。緒沢はまだ現場検証中で戻っていないと言われたので、後藤に桐子の怪我の程度と自分もこのまま病院に泊まることを報告して、受話器を置いた。
音を立てないように注意しながら、病室のドアをあける。4人部屋の一番ドアに近いベッドに桐子は寝かされていた。他には誰も患者がいなかった。
無造作に置かれた丸い椅子を引き寄せて、桐子の顔が見える位置に座る。
桐子は病院の寝巻きを着て、頭には白い包帯をし、白いカバーのかかった毛布に包まれていた。壁に取り付けられた白熱灯がほのかに顔を照らしている。
「お前は監視役だ」
優作の耳に蓮見から言われた言葉がよみがえる。
蓮見が言ったことは桐子が暴走しないように見張ることだと優作は思っていた。実際、桐子はめちゃくちゃだった。いきなり人の鞄を勝手に開ける、車の中で髪を切る、年上の男をビンで殴る。あげればキリがない。
「あいつを理解しようとするな」
理解なんてしたくもなかった。手負いの獣のように手がつけられない。
仕事だから、命令だから、しょうがなく追いかけるけど、そうじゃなかったら、絶対に近寄りたくない。
でも、いつからだろう?
この人が走っていく方向に犯人がいることを信じられるようになっていったのは。
そして、今、自分の目の前で眠っているこの人には、いつもの鋭角的な雰囲気はない。周囲を威嚇する鋭い目線も、毒を撒き散らす唇も固く閉じられており、静かな横顔にはどんな表情も浮かんでいない。
頼りない白熱灯の光が整った顔立ちを浮かび上がらせる。
・・・普通の、女の人みたいだ。
優作は思った。
ずっと、こうしててくれれば、行き過ぎた聞き込みを見てハラハラすることも、突拍子もない行動に振り回されることもないのになぁ。
でも、桐子が真犯人に傷を負わされるほど近づくことができたことがはっきりと示している。この事件を解決するのは、桐子しかいない。そして、桐子はどんなに傷を負っても、諦めることなく、立ち上がるのだろう。自分には到底理解できない、力でもって。
そんな桐子を見ていたいと思う。
蓮見の命令とは違うかもしれないけれど。
そして、今、この眠りを守ることを任されている自分が少しだけ誇らしい気がした。
・・・自分もだいぶ変ったみたいだ、あの人と同じで。
ほの暗い病室に浮かび上がった横顔。
病室の壁、包帯、ベッドのシーツ。
清潔で潔癖で、色であって色でない色。
棚から白いTシャツを取ると優作はレジへと走った。