朝のミーティングが終わると、赤い大きな紙袋を手にした窓口業務の女性署員がデスクに近寄ってきた。
「緒沢課長、いつもお世話になってます。これ受け取ってください」
赤いリボンがかけられた小さな包みを差し出す。
「え?なんだ?」
「日ごろの感謝をこめて、私たち女性署員一同からバレンタインのプレゼントです。」
ふと目線を回りに走らせると、向い側にある市井さんや白砂のデスクでも、同じようにプレゼントを差し出されているのが見えた。
「おお、ありがとう」
礼を言いながらそれを受け取った。義理だとわかっていても、プレゼントをもらうというのはこそばゆい。
「絶対に家に帰ってから、開けてくださいね。」
人差し指を立てて、真剣な眼差しで女性署員がにじり寄った。
「なんでだ?」
「ひとりひとりものが違うんですよ。皆さんのイメージで選んだんです。ここで開けられてけんかになっちゃったら、困りますから」
「ふうん、なんだか今年のは凝ってるな」
「課長、森村さんの住所ってご存知ですか?」
「なんだ、優作にもあるのか?」
「あの事件ではお世話になりましたから」
そう言って彼女はにっこりと笑った。その顔を見てなんだかとても嬉しくなった。多摩東署にとって、いろいろな意味で転機になったあの事件。それを一緒に頑張った仲間のことをこんな時間がたっても忘れないでいてくれるなんて。
「明日本庁で会議だから、俺が持ってってやろうか」
「そんなぁ、課長をお使い立てするなんて」
「ついでだから、かまわんぞ」
「じゃあ、こちらが森村さんので、こっちが課長のです。お願いします」
差し出された優作の分には名前の書いた付箋がつけられていた。
そうだった。今日はバレンタインデーだよ。
もらったプレゼントを見つめながら、俺はひとつため息をついた。
俺が今、つきあっている女はこの手のイベントにまったく無関心。クリスマスでしっかりと学習済だ。俺だって絶対にデートしなくちゃいけないとか、プレゼントをもらわなくちゃいけないとか、そんなことにこだわるほどガキじゃない。
ただ、物事にはタイミングって奴があるだろう。
「二月十四日、お前んとこ泊めてくれよ。次の日、本庁で会議なんだよ」
出張が決まった一週間前、あいつの携帯に電話したときのこと。
「その日、研修が入ってて帰りが遅いから、いや」
案の定、そっけない返事が返ってきた。
こいつは一度として俺が泊まりに行くと言って、素直に頷いためしがない。バレンタインだから少しはましかなという淡い期待はもろくも崩れ去った。だが、気を取り直していつもの作戦に出る。
「お前の好きな東急百貨店地下食品売り場、雅の懐石弁当買ってってやるから」
「・・・お酒は?」
「ふなぐち菊水一番しぼり、でどうだ」
「オッケー。八時頃には帰れると思う」
「じゃあ、その頃行く」
電話を切りながら込み上げる理不尽な思い。
緒沢在昌、三十九歳。生まれてこのかた、こんなに女に尽くしたことがあっただろうか。
浮かれ気分の街を尻目に右手にずっしりと重たい買い物袋、左手にいつもの鞄を提げて、午後八時五分、俺は桐子の部屋のチャイムを鳴らした。
「いらっしゃい」
紺色の厚手のカーディガン、ゆったりとしたカーゴパンツの桐子が迎えに出る。
「おなかすいたー。あれ食べようかと思ったわ」
俺の手にした買い物袋を受け取りながら、ダイニングテーブルの上の金色のリボンのかかった平たい箱を指差す。
「桐子、あれ・・」
そうだよ、いくら桐子でもこれぐらいはするだろう。俺の心臓は一気に期待で高鳴った。
「職場の女の子からもらったのよ。バレンタインチョコだって」
・・・やっぱり、お前ってそういう奴だよ。
「そうだ、優作に預かってきたんだ。お前、渡してくれよ」
食事が終わって、残った酒をゆっくりと飲みながら話をしていたときに、今朝のプレゼントのことを思い出した。テーブル脇に置いておいた鞄を膝の上に取り上げる。
「誰から?」
「うちの女性署員一同から。今年は一人に一つずつくれたぜ」
「ふーん」
「あれ、どっちが優作のだっけ?」
鞄の中に突っ込まれた赤いリボンの包みを一つずつひっぱりだすと、受け取ったときに、貼ってあった付箋が見事に落っこちて、どっちがどっちだかわからなくなっていた。
「ひとりひとり中味が違うって言ってたよなぁ」
「まぬけ」
「しょうがない、開ければなんかわかるだろ」
包装紙を壊さないように、注意深くテープを外し、折り目にそって紙を開き、白くつやつやとした化粧箱を取り出した。
そうっと蓋を開けると中から出てきたのは、黒っぽいストライプの、木綿の、小さな布。
手にとって広げて驚いた。
「・・・これってトランクスだよな」
「・・・他にどう見えるのよ?」
桐子の冷たい目線を感じつつ、もう一つの包みも開けてみた。こちらの中味は真っ白いボクサーブリーフだった。
「カードが入っているわよ」
唖然とする俺に、桐子が化粧箱の蓋にはりついていた小さなカードを見つけて差し出した。
「あなたのイメージで選びました。お気に召しました?今度の慰安旅行にはいてきてくださいね」
・・・そういうことか。
だから、その場で開けるなとかなんとか言ってたわけか。
なんというプレゼントを贈ってくれるんだ。
「で、どっちがどっち?」
桐子は呆れた表情で俺を見ている。
「わかんねーよ。お前も女だろう?お前の方がわかるんじゃないか?」
「そんなこと、想像したこともないわよ」
二つのパンツを前にして、俺たちの間になんとも居心地の悪い沈黙が流れた。
「そういえば、優作はこれに近いのだったわよ。こっちじゃない?」
桐子は白いほうを指差して言った。
「じゃあ、そうしよう」
とにかく、このことについては何も考えたくない俺は、桐子の言葉にすがった。元のとおりに包みなおそうと動きかけたその瞬間、俺の頭の中にある疑問がわきあがった。
「・・・なんで、おまえ、優作のパンツなんか知ってんだよ」
「・・・何、考えてんの?」
桐子の目が鋭く細められた。やばい、怒らせちまった。でも、どうして、よりによって優作の?どこで?
「お風呂入ろっと。後片付けよろしく」
ひとしきり俺をにらみつけると、桐子は立ち上がってバスルームに消えてしまった。俺の心に大きな疑惑の影を落として。
「おい、きりこぉー、答えろよー」
「課長は何もらいました?昨日の」
昼過ぎに署に戻り、刑事課のドアを開けたとたんに中澤が笑顔で近づいてきた。
「聞いてくださいよ、俺なんかピンクのトランクスだったんですよ」
「私は白のブリーフでした。なんで、知ってるんでしょう?」
「わしなんか、六尺でしたよ。ははははは」
「で?課長は」
「・・・ノーコメントだ!」
俺は耐え切れず、一声怒鳴りつけた。周りを取り囲んでいた奴らが押し黙る。保田と中澤の間をかき分けて席に戻り、机の上に鞄を投げ出し、どっかりと腰を降ろした。白砂たちがひそひそと話しながら、遠巻きに俺を見ているが、そんなことも気にならない。
あの後も散々だった。ねちねちと嫌味を言われ、コンビニに買い物に行かされ、結局触ることも許してもらえず、ソファで一夜を明かすことになった。
まったく、とんだバレンタインだぜ。
あいつとつきあっているかぎり、金輪際イベントなんかには期待しない。するもんか。
「優作。これ」
「なんですか?」
桐子が差し出した赤いリボンのかかった包みを見て、優作は怯えた表情を浮かべて、一歩下がった。
「あたしじゃないわよ。多摩東署の女性署員からバレンタインのプレゼントだって」
「ああ」
優作は安堵のため息と同時に、腑に落ちたという表情をした。
「なに?」
「桐子さんもバレンタインはデートだったんですね?」
「・・・こないだ、借りたお金、やっぱり返さない」
桐子は片眉を上げてぼそっと呟いた。
「え、いくら立て替えたと思ってるんですか?急な出張で持ち合わせがないからって、ホテル代に、食事代に、着替えまで買わせて」
「何年かすれば、あんたの方が高給取りになるんだから、出世払いよ」
「そんなぁ」
嘆く優作の手にプレゼントを押し付けて、桐子は自分のデスクに戻った。
今朝、一緒に登庁してきた男の、別れ際の恨めしそうな顔を思い出して、くすりと笑う。
わかってないなぁ。バレンタインデーは女が男を翻弄する日なのよ。
>Top