有楽町、午後7時45分。
改札口から少し外れたところに、人待ち顔の男女が何人かいる。
その中で、頭一つ飛び出した背の高い男。
ベージュのワイシャツ、濃紺のスーツ、トレンチコートをはおり、脇に抱えたブリーフケース。タバコをくわえて、あたりを見回している。

待ち合わせの時間まで、まだ15分もあるって言うのに、いつから待ってんのかなぁ、あいつ。地下鉄の駅から登ってきた桐子は、待ち合わせ場所の50メートル手前から緒沢の姿を見つけてしまった。

だって、なんか、目立つのよ。
すらりとした長身。堂々とした立ち姿。
内ポケットから取り出した紫色の100円ライターを扱う長い指。
骨ばっていて大きな手。

不意に、あの手のひらに触れられた時のことを思い出して、顔が熱くなった。

恋なんて、もう二度と自分に訪れることはなく、周りにあふれる恋人たちを、ただこうして見つめているだけのものだと思っていた。それなのに。

最初に出会った時は、単純で能天気なところが癇に障った。
でも、一緒に事件を追いかけていくにつれて、いろんなあいつが見えてきた。
いつだって、恥ずかしいほど正直で、馬鹿がつくほど真面目。あのくらいの年になったらあるはずの、自己防衛や自己弁護が何もない。悪く言えば要領が悪い、良く言えば潔い。こんな奴、そういない。

「高野よりも、白砂よりも、男前だし。お前みたいに、ひねくれてて、嫌味な女がいいって言うのは、俺ぐらいしかいないぞ」
照れ屋なあいつの精一杯の告白のあと、恐る恐る抱きしめてきた腕を振り解けなかった。重なった唇から、触れ合った肌から、伝わる思いに眩暈がした。
それを受け止めながら、心のどこかで思っていた。
きっといつか、私はこの人を傷つけてしまう。私が抱えている運命で。とても大切なのに、傷つけたくなんてないのに。それがわかっているのに、このまま付き合ってていいんだろうか?今からでも遅くない、ここから私、いなくなるべきじゃない?

8時を知らせるからくり時計の華やかな音が、私の思考を止めた。同時に、音につられて顔を上げたあいつが、私を見つけた。しょうがなく、私はあいつの側に行った。
「時間どおりだな」
大きな口をあけて、嬉しそうに笑って言う。その顔に私の胸は脈打つ。けれども、そんなことはおくびにも出さず。
「こんなとこまで人を呼び出して。何?」
いつもの口調で言った。
「ふぐ、食いに行こう。うまいとこあんだよ」
私の言葉のトゲなどおかまいなしで、楽しそうにあいつは言う。
緒沢は食べることが好きだ。自分でも料理をするし、おいしいものを良く知っている。これまでも、いろんなものを食べに連れて行かれた。
「何、変な面してんだよ。ふぐ、嫌いか?」
急に心配そうな顔になって、私の目を覗き込む。
「・・・食べたことないよ」
「おまえ、本当に食べることを知らないなぁ」
また、すぐに笑顔になって、何にも知らない子どもをあやすような声で言う。
「こっちだ」
すたすたとあいつは歩き出した。追いかけて横に並ぶ。
やっぱり、もう少し、この人のくるくる変る表情を見ていたい。怒る顔、笑う顔、誇らしげな顔。
「そう言えば、遅刻、どうした?」
前に会ったとき、初めて泊まった桐子の部屋で寝過ごした緒沢は、大慌てて飛び出していった。
「いやなことを思い出させる奴だなぁ。すっかり忘れてたんだが、署長も出席する月に一度の会議があったんだよ、一時間も遅れて、えらい怒られた」
「遅れた理由、なんて言ったの?」
「・・寝坊したって」
「正直に言ったわねぇ」
「誰のせいだよ」
「私は何もしてないわよ」
「・・・目覚まし時計、あるのかよ?」
「はぁ?」
「ないのかよ?」
「・・・ある」
「じゃあ、いいだろ。今日はちゃんとセットすれば」
小さな声でそういうと、歩調を速めた。でも、一瞬浮かんだ表情を見逃しはしなかった。
この顔がもっと見てみたい。そう思いながら、あいつの背中を追いかけた。


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