「あんたも物好きね」
腕の中から聞こえる声に、緒沢はようやく自分が何をしているのか気づかされた。考えるよりも先に体が動いてしまう自分の性分を呪ったが、後の祭りだった。
「別に守ってくれなくてもいいわ」
冷静なもの言いに、身体の中の熱が一気に上昇する。
桐子の肩を掴んでいる手を離して、軽いジョークを口にして、この場から立ち去ろうかとも思ったが、それでは自分がしてしまったことが、全部なかったことになってしまう気がしてやめた。
それよりも、桐子が口にした言葉の意味が気になった。
俺を突き動かした衝動は、そんな言葉で言い切れるものだろうか?
二人の周りを取り囲む、指揮車に積み込まれた機械の作動音が耳につく。
右腕に抱えた身体は固く強張っていて、その力がなくなることはなかった。しかし、緒沢がまわした腕を振り解こうともしない。
鼻先にある茶色い頭を見つめていると、緒沢の中に一つの確信がこみ上げてきた。
「そういう女だよな、おまえ」
今まで出会ったどんな女とも違う。媚びたり、甘えたりしない、どんな痛みにも苦しみにも、たった一人で立ち向かう。可愛くないことこの上ない。こいつはそういう女だ。
だからこそ、俺はこの女を抱きしめずにはいられなかったのだ。言葉ではなく、伝えたかった、俺はそんなおまえの力になりたいのだということを。
「痛い」
決して短くはない沈黙の後、桐子が小さな声で呟いた。
「え?」
聞き返すと、桐子は緒沢の右の手の甲を軽く叩いた。桐子の左肩を掴んでいる手を。
ここには傷がある。緒沢が矢を抜いた傷が。
「ああ、ごめん」
緒沢が手を離すと同時に桐子は一歩前に踏み出し、二人の身体は離れた。
「痛かったか?悪い」
後姿に向かって声をかける。桐子は何も答えない。いたたまれない気持ちから逃れるように、緒沢は車のドアに向かった。
「下水道の出口、行ってくるわ」
ハンドルに手をかけたそのとき、
「緒沢さん」
桐子が呼び止めた。
振り返ると桐子は、自分の左肩を手で押さえ、緒沢の顔よりも10センチぐらい上のところを見ていた。
「気を、つけて」
「おう」
その言葉を聞いて、緒沢には自分の気持ちが桐子に伝わったということがわかった。こみ上げてくる、くすぐったい気持ちを抱えて外に出た。
春の夜の風がほてった頬を冷やす。
「おっしゃ、行くか!」
中澤の車めがけて全力で走り出した。


独り分の熱量が失われた車内で、桐子は左肩を押さえていた。

掴まれた肩が痛い。
与えられた指の力よりも、伝わる温もりが痛い。

桐子は天を仰いだ。
目に映るのは指揮車の天井に張られた灰色のクロス。

まだ、事件は終わっていない、まだ、この甘い痛みの中に、座り込んでしまうわけにはいかない。私が仕掛けた罠にはまるあいつを捕らえ、生くんを助け出すまでは。

明らかになる真実は、あの馬鹿正直で単純な男を深く傷つけることになるだろう。
それでも、あたしはやらなければならない。それが、あたしの仕事だから。
そして、真実を知ったとき、あなたは傷ついた目をして、それでも、あたしを許すのだろう。

こんなふうに、誰かを信じるときがくるなんて、思ってもいなかった。

いつか、あたしは伝えられるだろうか。
あなたがくれた痛みは、かけがえのないものだいうことを。

次々と浮かぶ思いを振り切りながら、桐子はマイクの前に戻った。深く息を吸い込んで吐き出すと、マイクのスイッチを入れた。
「検問配備、急げ!」




>Top