季節展でございます
最後の季節展展示は、2005年2月いっぱいで消滅する、寝台特急のレポートです。
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(画像は当時の寝台特急の復刻パンフレット) ブルトレブームというのを覚えてらっしゃる方はいますでしょうか?大勢の子供達が、カメ ラ片手に東京駅や上野駅などで、寝台特急、いわゆるブルートレインを待ち構えてい た時代。鮮やかなブルーの塗装は、イタリアの紺碧海岸、「ル・トラン・ブルー」から 来ています。高度経済成長の少し前は、電車、列車は汚れが目立たない茶色の 塗装や黒塗装がほとんどでした。そんな昭和33年、青い塗装に白い帯が3本 施された画期的な列車が登場し、脚光を浴びました。
(復刻パンフレット掲載、食堂車の車内風景) それがブルートレイン「あさかぜ」です。後に、「さくら」も登場しました。一人用個室、 食堂車、展望窓付き座席車、全冷暖房完備、集中電源方式の発電車などバラエティ に飛んだ車両は、編成美を乱す事無く、利用客に「走るホテル」と呼ばれました。
(2005.1.20撮影、下関駅ホームには長距離列車用の洗面台がある) 経済成長が進むと共に、交通網の発達、高速道路や旅客機、新幹線の登場で、 寝台特急の黄金期も影が差し出します。普通寝台車はベッドが三段式が普通 だったのが、利用客の狭いなどの不満や、早く現地に到着したいサラリーマン達 に敬遠されていきます。現在の普通寝台車のベッド二段式は昭和50年代、 この頃に、改善されました。
(まさにブルトレブーム時代に撮った画像、もはや語る必要もない東京駅ホーム) さてブルートレインが何故、ブームになったのか?ブームなら昭和33年から始まって いても、おかしくない筈、やはり経済成長により今まで高嶺の花であったカメラが鉄道 好きな子供達にも所有出来る時代になってから始まったのではないか、と私的な 考えです。皮肉なことに経済の成長で寝台特急の座がゆるんで来た頃に、 綺麗なブルーの編成美を写真に収めようと、 お小遣いなどで買ったカメラで子供達が殺到したのでした。
(2005.1.20下関撮影、人気機関車EF66の牽引でも歯止めは無理だった。) 利用客の減少を止めようと、国鉄からJRになった頃、ちょうど日本はバブルの時期 でした。二人用個室や四人用個室、食堂車もオリエント急行を真似てお洒落な 車内に変更、普通寝台用個室など、利用客の減少の打開策として「あさかぜ」が 往年の豪華さを放ちました。白い帯は、金色の帯になり「デラックスあさかぜ」と 呼ばれ、渾身の策になる筈だったのです。
(2005.1.20撮影、「さくら」と「はやぶさ」のドアも見れなくなります。) しかし、新幹線、旅客機の低料金化、自家用車の普及には、 勝てませんでした。平成も年を重ねると共に、ブルートレインも1本、2本と姿を 消して行きます。「デラックスあさかぜ」も姿を消し、残りのリーズナブルな 「あさかぜ」がかろうじて残り、「さくら」は「はやぶさ」と列車を 併合して運転するという、消滅の影が迫って来ます。
(2005.1.19あさかぜラウンジカー撮影、くつろぎのスペースも寂しそう。) そして、今年平成17年3月の時刻表改正で元祖ブルートレイン「あさかぜ」、 そして列車番号1番の座をブームの頃維持してきた「さくら」が消滅します。時代の変化に 寝台特急は、ビジネスからリゾート列車へと変化し、それに対応できない寝台特急は残念 ながら消滅せざるを得ません。ブームの頃、カメラを持った子供の私でさえも、 消滅してしまうのは残念ですが、現状維持で走らせる理由が思いつきません。
(2005.1.20下関撮影、上り「あさかぜ」) 二度と乗車出来なくなる前に、乗車をし、別れの挨拶としました。
(2005.1.21東京駅撮影、「さくら」) そして、私の以前トップページであった古いページのコンテンツも、HPの明確化のため 同じく消去させていただきます。この最後の季節展の内容 だけを残し、約5年間の役目を終らせてもらいます。
(2005.1.20門司港鉄道記念館内にて、歴代の「つばめ」マーク) いろいろな方々との出会いがあり、私の思いも詰まった、思い出のページです。
(2005.1.19東京駅撮影、別れを惜しむかの様な御家族が印象的) 別件になりますが、この古いページにご協力くださった方々へ、感謝いたします。 ありがとうございました。
(2005.1.21撮影、「さくら」を一路東京へ引っ張る機関車) ハイテクロコ
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