闘病の日記です

施術後からから起きた地獄の症状は無知な松井病院の医師による
首の後ろの2本の筋を横につなぎ起きたことでした

ワープロにて記録した日記です。(記録時のままですから誤字が多くあります)
平成2年9月8日に、針から帰りに松井へ薬を貰いに行き、しんどくていけないので、早くしてほしいと言ったところ。受付の女の子が診察を受けるように言ったので、誤診をしたうえに、珍しいからといって、首の突起を切るようなとこでは、診察は受けないと言い怒り、家族がどれほど辛く自分はどれ程えらく辛いか、そして子供が高校を止めなくては、ならなくなつた子供のつらさ、子供の招来がでたらめだと言って、怒ると看護婦、事務員の顔が引きった。そしてワープローで作った文章と妄想の薬を付けていたのをわたし。
その時村上先生が居て、診察室に来るように言ったので、嫌だと言ったが無理に来いと言ったので入り話をすると、そこまでやられたら、出るとこへ出てやらないかんと、先生からから言い、村上先生は首の突起も切られとると言い。首の骨の要らん物はないと言い。
私が先生は私のある知り合いが知っていて。とても良い先生と言っていたと言った。
私もそう思っていた。
話を聞いてやりたいが、今日は帰りが急ぐので、聞けないと言ったので、先生こんなバカな事に、関わらないいほうがよいと言ったが。
院長が居れば呼ぶのだが、今日は居ない。
H2/9/18日、今日も熱37、2゜有り体調悪い、目も悪く文字が見ぬくくひどく疲れる。そしてやはり、首の突起を切り取られているために、頭が重く思う様に、動かず目が見えにくくなくなるので、文字を間違う。直ぐに疲れる。
『今まで怒った事はなかった。』帰り熱を計ると、38゜有りそれから、五日程熱が続く。H2/9月23日『むくみは殆ど取れるがまだまだえらい。』
9月24日体調少し良い。昨日針治療にいかないと、なぜか尿の出が悪くしんどく『450CC』夕方から夜中に多くでた。『1000CC』先先週から、針治療に毎日行くと、夕方までに1200CC程出て一日1500〜2000CC出て手がすばり、やっとむくみが取れる。首が緊張するとなぜか解らないがそをなる。入院していた時も、松井のバカが首の突起を、切るからこうなる。やっと首を回す事が出来るよぅになる。昨日気が付いたのだが、首の一番は、頭を前後に動かしても全く動かない。二番と全く分離している、そのためにいろんなことが起きる。誰も体験したことが、ないので何が起きても不思議でない。9/28日この頃は、だいぶ体調が良くなってきたが、まだまだ夢の中自分の頭を、意識して支えなくてはならない、他人には全く解らないだろう。首が直ぐに疲れて、物がづれてみえる。耳鳴りも酷くなり、頭はふわあっとする。それでも、気力で一日でも早く此の文章を仕上げて、私と家族の苦しみを、松井たちに、この苦しみを******* 10/11、※7日間続いた熱がやっと下がった。軽い肺炎になっていたように思う。
やっと本当にむくみがとれる。もう死ぬことはないと思う。(実際には一年あまり後まで有った。)10/3日の日に熱がありとても体調が悪いが。水中ポンプが二月以来故障していたのを聞き修理して余計に熱が出た。
くろうとうにも判らないものでも私には判る。
やっとポ−タブルの便器を使わなくてもなんとか、和式の便所で事が出来るようになる。手が異常にすばるが熱が出ると耳鳴りがひどい、まだまだつらい日が続く。
早く良くなりたい首の緊張もだいぶとれ針治療も一週間に二回にする。
喉の乾きがOPをしてから一度も判らない。しかも首が疲れると物が二重見える、二回目のOPの前にはこんなことはなかった、やっと夢から覚め現実ちかくなった。
しかし歯が柔らかく感じるのと、唾液がゼ−リのようになったり粘くなる。
首に緊張が入ると何故かそうなる。一度に一錠デパスを飲んでもどうもなくなる。
『何故か5月頃からお腹が動かなくなり、一度に半分しか飲むことができなかった。』
10/20、昨日針の帰りに、眼鏡の三木に行きデンズを変え6万1800円いる。1時間掛り頭がとても重く、首に緊張が入り又熱が出る。37゜5何時がきたら良くなるかとても苦しく不安。やっと首を回しても目が霞んだり頭がぼうとしなくなってきた。早く元気になり、松井のバカを怒鳴りたい。
10/24、昨日病院に行き今までの経過を書いた書類を医大に渡し見てほしいと、すると労災の神経内科に行くように言ったので、行くことができないと言い薬を貰い帰る。
医大で首のことを聞いてほしいと言ってをいた。医師は親切であった。
食欲がなく3月に肝臓が、悪くなった事があるので血液検査をしてもらう。
(大杉医院で目まいもしないのに目まい止めの薬を使ったり、点滴の薬が合わなく頭が割れそうになると言ったら。大杉医師はそれは薬で首が緊張してそうなると言いながら、私が薬を代えてほしいといっても聞かずビタミンも、アリナミンなら合うと言ったのに外の薬も数も嘘を言い使い肝臓が悪くなった。また腸用剤のオレンジ色の痛み止めを飲まされ神経も大分回復していたのが悪くなった。医大でも判らないと言ったので先生に命を預けると言ったら、薬を変えず松井より酷い金儲けしか考えない医師だった。医師が言った数と私が3/20日に三度目に怒り帰るときに朝看護婦について行き、見たらアリナミンは無く他の薬も数が二つ多かった。)今日も、熱が37゜3分程出てしんどくて食欲なし。養命酒を飲み神経が悪くなったのと、感覚異常は少しまし。
2月に大杉医院に行き薬で、悪くなり体中が、ぴくぴくするのは取れない。歯が柔らかく感じたり、唾液が粘くなったりするょうになったのは、首に力をつけるために、8月になり体そうをする様うになってから。首の緊張が強いとひどくなる。歯は、ケイツイの1番が神経を圧迫しているためと思う。
10/25、今日も耳鳴りがひどく、熱が37、5゜もあり手の感覚異常うもまだまだ強い。しんどくて眼鏡を取りに行くことができず、タクシーに頼み行ってもらう。イロハの人は皆親切。
bP8の後のことを記したいが体がもたない。首が疲れるととてもえらくなる。
10/26、今日もやはり熱がある。富士商事の専務の言うことには、松井の院長の妻の髪が白髪になっていたと言った。5月には髪は全く白髪はなかった。私のことで心配してなったと思う。自分で自分の首を絞めると夜も寝られないだろう。少しは私たちの苦しみが判ったらろう、冷凍庫のことでももっと言い方があっただろうに、それでも体が悪くないだけましである。何時になると元の体になるのか早くよくならなくては、手も足もしびれはほとんどない。
11/1、この間から熱が出て感覚異常が強くとても辛い。体中がぴくぴくして、手足は少しひりひりし、手の指はつるつる感じるのとしびれ感が多少強く出てきた、すこしづつ良くなっていたのにまた逆もどりをしていくようで不安である。それでも某病院の先生は、とても親切な人柄の様である。なんとか労災に行くことが出来るようになりたい。
バルサンが良くなかったのかもしれない、神経に作用する薬にとても弱い。
大杉脳神経外科で大杉のバカが薬が合わないといっても全く聞いてくれないからこうなった。大杉に行く前えには大分良くなっていたのに、金儲けしか考えないバカ医師。
63年10〜11月に歯を抜いたところが、何故かやっとこの頃になり治ってきた。
11/3、今日はこの頃で一番体調が良い。しかし首の骨がくの字に曲がっているように思われる。変形をしたら大変な手術をしなくてはいけないだろう。熱が下がったようだ。11/13、退院してから初めて頭が大分良くなってきた。鶏糞の乾燥機を見てきた。
見て私がいないと全く養鶏場をやて行くことができないのが判る。
世間並みには行けるだろうがこの厳しい時代に、やはりむりのようである。
11/15、子供たちは機械にまったく弱くて私が居ないと、とても大変で皆に食い物にされているような感じがする。自分で機械の整備をまつたくしていない。私が見ればすぐに判るのに事故が一番怖い。子供たちにはとてもとても、大変でつらいらろうと思われる。松井、大杉、浜野、あいつらを許すことはできない。体がとてもえらいが三時間かかり整備をし。熱37、5゜
11/16、今日も昨日と同じく四時間掛り整備をして帰る。熱38゜整備屋でも気がつかない物でも私には判る。放って置くと大事故になる。首の骨を切られていないと仕事が少しずっ出来るのに。子供たちがかわいそうで仕方がない。それでも怒らなくてはいけない、ここまで来るとどうしてもヤッテ行かなければならない。
11/21、今日も昨日と同じく37゜5分の熱が出た。針に行き帰りに30分ほど歩のがいけなかった。少し長く歩いたり話を長くすると、熱が出ていけない大分良くなって来たがまだまだいけない。入院をしていたときも同じであった。首の突起を切られているのですぐに頭が重くなってボ−トしていけない。やはり熱が出ると感覚が悪くなる。
『手の感覚が、つるつる感じ耳鳴りがひどくなり体中がぴくぴくしていけない。』何時になると良くなるのか不安。
11/24日今日も朝から熱がありとても不安。何時になると熱が出なくなるのか………今日で一週間熱が続く。昨日、姉に電話をして話をしたが、『大杉のOPの前後の説明でも絵を描き、腫瘍の状態を説明したときもOPのために首の突起は、切るとはいわなかったと言った。』
二度目のOPの後の症状のことが、日に日に良く判るようになってきた。
やはりあまり私の症状のことは、理解できないようである。首に大変な負担がかかり歩くと熱が出るが歩かないと足が弱くなりいけない。毎日が地獄である。
もし治らないのなら松井たちを殺す。必ず殺す。子供たちに養鶏の技術移転が終わり次第にやる。何年掛かるか判らないが生きていても子供たちの足手まといになるだけである
11/27日、二日前から夜二度目のOPの後初めて喉の乾きを覚える。味が薄く感じるのが治り、苦い味がわかる様うになったのは6月だったと思う。しかし歯が柔らく感じたり、唾液が粘くなったりする他の症状はまだ治らない。信じられないだろうが二回目のOPの後初めてこの二三日少し頭痛がする。38゜の熱が出ても頭痛は無くて、体がしんどいだけであった。頭のどこかの神経が良くなって来たのかもしれない、それで喉の乾きが判る様になったのかもしれない。今日の昼るはっきりと初めて覚えた。今までは唾液の出が悪くなると水を飲んでいた。入院をしているときもそうしていた。嘘みたいだが本当だから仕方がない。夜寝ていると暑くなくても体から、少し汗が出る様になってきた。今まではかさかさだった。少しずつ体が元にもどりかけたのかもしれない。
11/29、今日松井脳神経外科に入院証明書を、タクシ−に持っていってもらう。
首の突起のことを詳しく書く様に言ってをいた。松井脳神経外科は困るだろう。
今日も熱が有りしんどい。観音寺民商に入る。理情を言って自分で所得の申告等に行くことが出来ないために、書類を揃えていたら全てをあちらでしてくれると言ったので。昨日気がついたのだが、起きているときは首の後ろの筋肉が、ものすごく緊張していることに気がついた。首の突起を切られているために寝ると柔らかくなる他の人は変わらない。そのために熱が出るこれでは、何時になると良くなるか解らない。やはりOPをしなくてはいけないのか?しかし今はとても出来ない。薬に弱くとてもだめだ。
もう一つは子供に養鶏の技術を、教えてからでなくてはいけない。やっと子供が判ってくれる様になってきたところだから。熱37、5゜
11/30、今日舛方の姉に詳しく二度目のOPの前後のことを聞いたが、腫瘍を除けるOPのために首の突起を切らなくては、ならないとはやはり言わなかったそうだ。
大杉が絵を書き後ろから見ると左側に腫瘍が有り、そして腫瘍が血管を圧迫し、そして首の骨も腫瘍により左側が少し変形していると言ったそうである。骨が硬くてなかなか切れなかったと言った。昨日民商の人と話をした為か、今日は朝脈が80も打って心臓がえらくていけなかった。この頃は60前後であった。リポビタンを飲むと少し楽になる。松井脳神経外科に居たときも心臓がえらくて毎朝飲んでいた。非常に良く効く。
12/2、今日朝10時にタクシ−で養鶏場に行き機械の修理をして帰る。2時間ほどかかり少しだけする。やはり首が疲れてポ−となり目が見えなくなる。しかしこの前の時よりは少し良くなってきた。午後に高松の妹うと夫婦がきた。
12/3、下の子供が疲れて又喘息がひどくなった、可哀相だがもう少し辛抱をしてもらはないと仕方がない。松井たちを許さない。タクシ−で徳島に行った。
12/5、今日も昼1時半から、タクシ−て行った。前日と同じく鶏糞乾燥機の改良と、修理をする。37、2゜
12/6、前日と同じ
12/7、今日針の帰りに5分ほど歩くと熱が又出た。針を打つと首が疲れて重くなり、ふらふらする。歩くのがやはり一番悪いようだ。入院をしていた時も歩いたり話をして首を動かしたら熱が出たのが良く判ってきた。4月になり低周波を当てたりすると熱が出ていけなかった。7月に首の骨を切られていることに気がつかないと死んでいたであろう此のことは、本人にしか判らないことである。37、5゜
12/9、大杉医院から入院証明書が返送された。文字を見るとノイロ−ゼになっているようである。
12/11、昨日下の子供に部屋をきれいにするように言いそして。ビデオを二つ買っているのを見て怒ると、私の顔お見て恨めしいそうな、目をしてにらまれたのが昨夜から頭から離れない。生まれた時から喘息で苦しい思いをさし、その上に高校まで止めさして、日曜も休まさずに仕事ばかりさして親を恨むのが当然である。
そのために友達もいなくなりつまらないとタクシ−の運転士に言ったそうである。
遊びたくて仕方がないのは、良く解るでも親としては今どうする事もできない。
私にはやれるだけのことは、やるからゆっくり養生しろとゆうのだが。
私に生きていても仕方がないとこの頃よく言うようになった。言葉と胸のうちが大変違うのか、それともいろいろ思うのか判らない。親としてどうしたら良いのか判らなくなってきた。どうしても私が一日も早く良くなり何とかしなくては、大変な事になるように思えてきた。
上の子は私のことを判っているように思うが本当は、そうでないのかもしれない。
高松から財田に来るときも嫌だと言ったのを無理に連れてきた。
首の骨を切られてないともうとっくに仕事が出来るようになっていると思える。
子供たちのことを思うと、松井、大杉、浜野、その外の医師たちを許せない。私は運命と思ってもいいが子供が不幸になるのを見るとたえられない。
感覚異常も大分良くなて来ているのに。然しまだ耳鳴りが治らないOPの前の音がするしかし音が頭にしみるとゆうことはなくなった。 自分の手をつまむとコンニャクをつまんだ様な感じがしていたのが治ってきた。しかし首が疲れると手が痺れていけない。OP前の痺れかたとは、全く違う専門の医師と本人にしか判らないことである。
おそらく首の骨を切られているために、筋肉が神経を圧迫しているのだろう。OPの後も上を向き寝ていた時手を腹の上において寝ると痺れて一度も置いて寝られかった。今になりOPの後の色々のことが記録を見るとすべてが納得できる。
医学的にも大変に貴重なことであると思われる。医師にも判らないのが当たり前である。まして松井の馬鹿にはなおのことであろう。
12/12、今日は朝からからだがしんどくていけない。熱はあまりない。昨日子供のことを思い耐えられなかった。とにかく親として出来るだけのことをして、どんなことがあろうと体を治してやらなくては耐えられない。
12/14、近ごろになり気がついたのだが、2度目のOPの前から手を水で冷やしても、冷たくならなかったのが、体がしっとりとするのと同時に、冷えるようになって来た。
頭のほうが少しずつ良くなってきているのだろうか。近ごろ大分首に力が付いてきた。
12/15、今日気がついたのだが人と話をしたり。歩いたりすると首が腫れて太くなりそのために熱が出ることに気がついた。
首の突起を切られジンタイがないために首の後ろが、他人とは全く形が違うそのためにおそらく神経を圧迫して手が痺れるのだろう。手術の前は足も芯が入ったようになつていた。足のほうは、もう治ってきたのに手は、首が緊張すると腕全体が痺れていけない。以前の感じとは全く違う。この二日ほど手の感覚がまた悪くなってきた。          12/16、※今日朝テレビを(16)見ていると声のことを言っていた。
東大の医学博士。頭から神経がきているのでどこかで神経が圧迫されると声がかすれたりすると言っていた。やはり私の思っていたとうりである。
まだまだ首が疲れると熱が出て背中や胸がヒリヒリする。
やはり頭がハッキリしなくなり、目も見えにくくなり現実からかけ離れた夢である。
何時になると元の体に返るのか………やはり死にたくなるしかし今は出来ない。
元の体にすこしづつ近づいているようだが判らない。
養鶏場の命の育スウ場に去年H1/7月以来17ヵ月ぶりに初めて見てきた。
やはり養鶏のイロハノいの字が解ってない。私が居ないととてもやって行く事ができない。見ると怒らなくてはいけない。
今年の所得は卵だけでざっと計算をしても、1300万は少ない様に思える。
一日に約卵が180sほど少ない1s当たり200円としたら。今年だと私が元気であれば3000万ぐらいは利益が有ると思う。
今すぐに私が治ったとしても後二年は影響が残る。
卵の生産量が一割程以上少なく、飼料要求率がものすごく悪くどうする事もできない。
(私が入院する前は全要求率2、6以下)その上雛の育成が悪く一羽当たり育成費が高くつき、そして卵の生産が少ないのに一羽当たり飼料を多く食べている。今の成績は世間並みだろう。
(私が相談に乗れる様になったから、もし私が死んでいたらやはり無理であっただろう。去年中村さんが死ぬことはないと言った、そして遅くとも50歳に成ると良くなると言ったのを信じている。)
夜6時頃帰前に成鶏を去年から始めて見て来た、見ても私にはどうする事も出来ない。
やはり全く私が言っていたことが出来ていない見ると怒りたくなるので見なかった。
今日湿布を首の後ろに張ると、首の腫れがとれビックリするほど、触ってみると後ろの形が変わったこれでは、何時になると良くなるか解らない。
12/17、今日はまた熱が出て感覚異常が強くなる。37、3゜
やはり昨日の仕事がすぎたのか絶望的になる。
役場に電話で事情を言って身体障害者のてつずきの仕方を聞いた。松井脳神経外科は多分書いてくれないだろう。
12/18、去年の今日二度目のOPをした。二カ月ぶりに鏡で首の後ろを見た。
すると首の後ろが他人とは、もちろん自分の以前の方と全く変わってしまっていた。首の横の筋肉が異常に膨れている。そのために顔の形も変わってきたのが判った。やはりOPをしなくてはいけないのか。今は耐えるだけ耐えて行かないといけない。37、2゜
12/19?、今日高松の第一生命に電話をし。首の手術をして今までに頭が重くて意識をして支えなくては、ならないとゆうことも無いだろうと聞くとそうですと言った。
ヘルニアと腫瘍とは、全く関連が無いのではと言ったところ無いと言った。
私がヘルニアで死ぬことは、無いだろうと言ったらそうだと言った、私は誤診で去年12月に脊髄腫瘍でもう少しで死ぬところれ有ったと言い。そして今も仕事ができずに居ると言い、診断書に軽快退院と書きそして、合併症と書いてるのではと言つたらそうだと言った。
大同生命の外交の者は別扱いで。給付してくれると言ったところ診断書を、送ると再審査をするとゆう事であった。
余りにも酷い今に思い知らせてやる。おそらく浜野が書いたものと思われる。
12/20、今日久しぶりに10時に養鶏場に行き大雛の移動を見て、雛のできが大変悪いのが判る。そして機械の修理を少して帰る。
頭が重くなり首が緊張すると鼻から胸にかけすかすかに感じるのと、唾液がねばくなり、手がやはり痺れ頭は、ボ−オとし目は見えなくなりそして熱もまた、37−3゜出たそして、胸背中がヒリヒリとやはりする。
此のところ特に忙しく、下の子が疲れから喘息が出て可哀相である。早く私が良くなり仕事がどんどん出来ないと困ってしまう。
12/22、頭がボーとして耐え難きえらさになるが。今日卵の生産量の計算をしてみたが、やはり私が思っていたとうりの数字が出た。
あまりにも子供たちには負担が大きいのが良く判る。私は養鶏を初めて30年近くなるが入院する前まで研究勉強の毎日であった。私には、鶏の少しの異常も直ぐに判る。
12/24、なんとか考えることが少し前から、出来るようになったので養鶏の収支計算をしてみたが、私が仕事も出来ずその上に指示も出来なかったので、今年一年で申告所得が少なく見ても1500万少ないように思える。今年はおそらく6〜700万だろうそれでも一般よりははるかに成績が良い。
(今年の卵価は、185円前後と思われる。去年私が入院する大分前に計算をしていたのと今年の卵価はピッタリである。私は昭和60年から雛の動向を、計算し今までも計算どうりの数字が出ていた。皆に聞いたが皆は200円以上していると言った。此の三年間は、マレックのワクチンが改良されそのために雛の育ちが一割以上良くなり、そして生産過剰になったために卵価が思わぬ水準になった。この考えは私だけであるが皆に計算をして説明をすると、大変感し私に明くる年の卵価を聞いていた。私の計算は、60年対比5%の雛が減れば180〜185円になると見ていた。今までも毎年私の計算は合っていた。
しかし去年の卵価は、判らない去年の計算をするだけの体力も、気力もデ−タも無い。
今はこれから先のことを考えるのが精一杯である。来年はおそらく190〜200円程度と思われ。これはあくまで池田養鶏場の手取り卵価である。今年みたいに冬卵の生産が減ったのは初めてである。)
今日昼三時からタクシ−で養鶏場に行き、乾燥機の制業盤を改良しそして、成鶏舎には入り給餌機を見て絶望感を覚える。全く私の言ったことが出来ていない。それでも私の体は、少しずつ軽い仕事が出来るようになってきた。
12/28日、今日は昼前から頭が変で気分が悪くていけない。針の帰りに十分たらず歩いたのが悪いのか、それとも昨日生命保険の人と長話をしたのが悪いのか、昼前にシンナで、ワ−プロを拭いたのがいけないのか、それとも風かとにかく、頭と体中の感覚が変な感でいつもは、ピクピクあまりしない右の足のほうがよけいになり、そして気分が悪く試しに上向きに寝てみると、(5月以来上向きに夜寝たことは、無い上に向いて寝ると鼻から下がスカスカになったり息苦しくなったりいろんな症状が出て上に向き寝て夜中に目が覚めると手が痺れたりする。)7月以来少し逆立ち状態になる。おそらくシンナ−が悪かったのだろう。耳鳴りも酷く辛い。熱37.3゜横向きに寝られる様になつたは、松井脳神経外科に入院していた5月21日である。日記に書いてあるそれまでは、OPをしてから、2/19日に、善通寺の大杉医院に行った日に針を首に打ち、たった一日だけであった。その明くる日から薬で首が緊張し、(大杉がそう言っった。)頭が割れそうになり大杉に言っても、聞いてくれず食欲が全くなくなり。それでも私は無理して無理して食べたしかし便を見ると原形のまま出ていた。
だんだん体が弱り肝臓も少し悪くなり毎日が地獄であった。本文で詳しく記すしかし今は、思い出すだけで涙が出て夜寝られなくなるので、もう少し体調が良くなると記す。
11/5日に善通寺国立病院の院長宛に、知り合いに持っていってもらった、今までの経過を書いた書類の返事が無い。看護婦が電話を取り直ぐ横に居るのにあんなきついことを言えるはずがないと思った。
12/31日、昨日やっと熱が下がつたがしんどくていけないのだが、午後から久しぶりに養鶏場に行き、少し仕事(機械の修理)をして帰る。頭がボートするが、ポリネックをしているとだいぶ楽になってきた。
夜風呂に20日ぶりに短時間5分入る。感覚異常は起きなかったが疲れて、頭が重く長くは起きて居れなくなる。36.7゜
今日また子供に怒らなくてはならなかった。大雛の移動の後の管理が、私の書いた雛の育成方針を読み頭に全くいれてない、こんなとではこれからやっていく事ができない。
夜最近の産卵成績を計算してみるが、私が飼っていたときに比べると一割近く雛のピーク時の産卵率が悪く生存率も非常に悪い。今までは私が入院の前に育成をした鳥が居たがもう全て入れ代わる。これから先どうして行けば良いのか、子供立ちの事を考えると気が狂いそうになるもうすでに狂っているのかもしれない、私は他人より気力があるのか、それとも他人より弱いのか…………………どんなにしんどくえらくても養鶏場に行かなくては、どうにもならない。従業員は自分の権利だけ言い義務を果たさない。皆自分勝手である私が健康であればこんな惨めなことにはならないですんだ。            1991年1月1日、※湿布を毎日張ったのが良かったのか首の腫れが取れ、(首に負担がかかるとこんなに、腫れるとは、思わなかった。)熱が下がり先週から七日ぶりに朝からタク−シで、養鶏場に行き午前中ヒヨコを見たり成鶏舎を見て、17ヵ月の歳月の長さを感じる。首輪をしたらななんとかかんとか、頭はボ−オとしてでも少しずっ仕事ができた。午後も行き夕方になると、考える事が出来なくなる。表現のしょうが無い感じになる。1/2、昨日と同じく朝から行き、夜まで機械の修理その外のことなどして帰る。やはり、夢見る感じになる。しかし首輪をし湿布を張っていると、とてもしんどいが何とか、仕事が出来る。去年8月に入院する時のえらさに比べたら、今のほうが楽である。首の突起を切られてなかったら、とくに仕事もできる様になっていたのに。1/3昨日と同じく、機械の修理改造をする。どんなにえらく辛くても。それれも少しず頭がハッキりし体力が付いてきた。しかし首が緊張すると目がトロントし、頭がボ−トして耐えがたきさになる。1/4、今日朝一週間ぶりに針治療に行く(これから七日間隔にする。)昼からしんどくてふらふらするが、どうしても私が養鶏場に行かなくては、技術的に限界にきている。しかし熱は今日も無く夕方になり少し楽になる。首輪をしないと、三十分もすると頭が重く感じ首に緊張が入り頭が、ボートし目は、物が二重に見える様になり考える事ができなくなる。。このあいだからうちから首の感じは、変わらない。もうこれ以上首に力がつくことは無いのか、やはりOPをしないといけないのか、しかしOPで良くなるのか。2度目のOPをしてから今は、顔をどの方向にしても手の痺れは、強くならない。精神せいしてくれていたら感謝感謝であったのに。今日も乾燥機の改造をして、その他の指導をしたりすると、子供立ちもだいぶ安心をしてきたようである。毎日湿布を首と、胸に貼りそれでも仕事が出来るようになつた。湿布は、おと年の11月16日に首の骨が外れたようになった頃に一ケ−ス買っていたのを、今になり使っている。今掛かり付けの病院の、医師はとても親切で精神的に大変安心である。誤診をした上に、目印として突起を切ったた医師とは大違いである。松井、大杉、浜野、高井、西庄、真屋、その他の医師は、自分で撒いた種は自分で始末をしてもらう事になる。取引先の神原薬業の主任が来たので神経の働きを強くする薬が有るかと聞くと有ると言った。2度目のOP後の事がこれでだんだん判ってきた。大杉医院で薬による神経炎になったのだろう。S63年の症状とよくにていた。大杉の大馬鹿。1/5、今日は、10時に養鶏場に行き鶏糞乾燥機の改造をする。大分体がしっかりしてきた。しかし冷えると背中がひりひりする。S63年の冬にもなった。二度目のOPの後のH2年2月に治っていたのに、善通寺の大杉医院で薬が合わずに、いくら言っても聞いてくれなかったからなった。しかし少しずっは良くなってきているようだ。少し塗装を(ラッカ)したのが悪いのかよる頭が変で困る。1/6、昨日と同じく機械の改造をする。昨日ほんの少し塗装をしたのが悪いのか、今日はいつもより頭が変で手の感覚が変である。しんどくてえらいが私がしないと誰もできないたおれないよにしないといけない。1/7、今日はコンクリをショベルで運ぶ頭がボ−トしてしまう少しぐらいだと機械に乗れる、しかしとにかくえらい。今の病院の医師は無理をしないように言ってくれる。1/8、某病院で某県立中央病院の整形の先生に診察を受け、レントゲンを撮り見て首の一番と二番と二番の先も切っていると言った。去年の三月に大杉医院で見たときよりは、だいぶかたが変わり骨が丸くなっていた。ジンタイは写らないのかと聞くと写らないと言った。先生が首は力が付いてくると言ったのでH1/12/18日に手術たのだと言うと。もう一年も経っているのなら、治ってしまうことはないだろうとの事であった。
難しいところを手術をしていると言った。私が某医大で手術出来ないかと言ったら先生は、首の手術はたぶん出来手もするとは言わないだろうとのことであった。一番と二番をつなぐと首が左右に動かなくなるから、医大でもするとは言わないだろうと言い、握力は、40sじかく有った。握力は、十分有ると言われ、左の足はまだ大分悪く首もまだ大分腫れているといった。病院から直ぐにタク−シで松井に行き身体障害者の診断書を受付で、院長に書いてくれるように言ったが、受付の四人の女の子は顔の色を変え診察を受けないといけないと言ったのでしんどくていけないから受けられないと言い、院長は全て知っているからとにかく預けておくと言ったのに取り合わない。(受付の者にはすまないと思ったが)リハビリの先生が書くのだと言ったが、リハビリもした事がない外見では、全く判らないOPにかかわりの有る院長しか書けるはずがない。料金は8000円だと言ったがいくら言っても中の医師にも聞こうとはしない。仕方なく持ち帰る。11/29日にタクシ−に持て行ってもらった診断書も早く書くようにいい、診断書も書けないような事はするなと受付に言いまた出直すと言い仕方なく持ち帰る。出るところに出て、白黒をつけると言い帰る。
1/9、財田の役場に電話をして話をすると住民課は、親切に話を聞いてくれ困ったことが有ったら相談に乗りますと言ったのだが、税務課に変わると全然話し方がちがう(今年の所得の申告は、民商にしてもらいますと言ったらとても嫌がっているのが言葉ににありあり出ていた。なぜごまかせないのにあゆうのか)私が松井で誤診の上に、目印として首の骨を切り取られそのためにタクシ−を、使わなければならないことを言い、何とかならないかと言ったら、四角四面のことを言い腹が立つ、所得の有るときには、それなりの納税をしていたのに。(こちらに落ち度があるのはわかるが帳面を付けてない)専従者控除うも来年は、すると言いながらニ年つずけてしてれずに。高松では事情を言ったらいろいろ聞き親身にそれなりしてくれていた。私が入院してから、私が仕事が出来ないので、下の子供が高等学校も退学し喘息で体が悪く妻も腰が悪くても朝7時から夜7時過迄、親子三人が日曜はもちろん正月も盆も休まず疲れて(技術がないので精神的にも肉体的にも帳面を付けるだけの余裕はなかったと思う。)一年中一日も休まず仕事を手伝っているのに、余りにも格式ばった言い方をする。自分たちは、日曜祭日土曜も休み年次休暇も有り必要な時に休み全く腹が立つ。自分たちは、どんなに偉いと思っているのかこちらの家の事情も聞かず。1月に入院していた時に、大杉が二月頃になると車にも乗れると言い、4月になると多少の仕事は出来ると言ったので、道貴を休学さしたので一年遅れの学年になるから、否だとゆうのを一月だけでも良いから行ってくれと言い復学の手つずきをしたが全く良くならず、私は涙を流しすまぬと言い子供に学校を辞めてくれといって頼んだこの気持ちが税務課の奴には、判らんのだろうか高松に居た時にはこんなに格式ばった事は言わなかった。今であれば山本で家も借りているから何処にでも住所を変えられる。 
首の骨を目印として切られていたの知らずに、一日でも早く帰ろうと、歩くと歩くほど悪くなり、五月になると体力の限界を感じ、5月20日頃になると点滴もできず(尿が出ずお腹が膨れるので)浜野医師に此処に居ても何もしてもらえないから帰ると言ったら、いいですよと言った。5/29日の退院の前の日に頭を手術した大西さんと話をして夕方になり38゜の熱が出てお腹が動かずガスが溜りえらいからと言い医師に見てくれるように、妻に言い二階のICUに浜野が居り見てほしいと言ったら今は、検査があるから検査が済んだら行きますと言いながら浜野は来ず、看護婦に7時頃妻が行って聞いたら先生は、皆帰りましたとの事であった。(何時もえらいから見て欲しいと言っても診察をしているからとか今手術をしているからと言い医師は殆ど回診日以外は来なかった。見舞いに来た人に言っても誰も信用しなかった。そのためにえらくなると養鶏場に電話をして妻を呼んでいた。首の骨を切られていたために。私がえらくなっていたのを浜野医師以外は判らなかったのだろう、しかしこの頃には浜野医師は突起を切った事でそうなっている事に気がついていた。)帰った頃には、レパツも一つ飲むとお腹が動かず、然し飲まないと首が左右に動かず、薬も飲めずいつ自分は死ぬか判らんから、死んだらお前たちでは、養鶏の技術がないからようやっていかんと思ったら、自分の生命保険で借金のしまいはつく、養鶏場を売ると一億円ぐらいにはなるので高松に帰れと再び言った。すると家族は私が死ぬと皆死ぬと言ったので、高松には、両方の親も兄弟も居るから絶対に死ぬなと言ったが、どうしても私が死ぬと皆死ぬと言い私には、辛いがどうすることも出来なかった。本当の地獄であった。そして7月になり首の突起を切られていることに気がつき、なんとか死ななくてすんだ。四月に院長はもうどこも悪いところがないと言った。(首のシヨウの膨れていたところに針を打たないで欲しいと言ったのに打ち、お前を治せるのは、ワシだけだと言い嘘と思ったら日本中を捜せと言った。私は、その時の事を妻に日記に書かしているそうだろうだからしてはいけない事をしたのだろう。)看護士の山田も六ヵ月したら治ると言ったので、そう思い大した金額にはならないと思い書いていなかった。(下に向き書くことがどれ程の負担か他人には判らないだろう)10月頃は、日に日に首に力がつき良くなっていたのだが今は、あまり変わらない、もう元の体にはならない、これから生涯首輪をして多少の仕事は、出来るがいっになると、高松の運転免許センタに行けるやら今はとても判らない。今日もタクシ−で10時前に養鶏場に行きコンクリをしたり、いろいろして6時半頃に帰る。とてもえらいが仕方がない。力のいる仕事は出来ない。此のワ−プロを打つのも首が緊張し目が変になり文字が二つに見え頭は、考える事が出来にくくなり大変な負担である。それでも私は記録を残すために記す。
1/10、今日健康堂に針に行き、午後養鶏場に行こうとしたが昨日の仕事が過ぎてえらくていけない。夕方になり手の感覚異常が強く頭も変な感じで辛い。
農協の保険もでたらめを書くから四ヵ月になるのに金の振り込みがない。
1/11、今日は、朝とても仕事ができるような体調ではないが、私が養鶏場に行かないともうどうすることも出来ない状態になっている。タクシ−で行った。他人には、脊髄が悪くそして薬も使えない事はとても理解はできないだろう。
1/12、昨日の仕事が過ぎたのか今日は、体中が感覚異常が多少あり養鶏場に行くことができない。(サンマコの粉剤が悪いのかも〔カ−バメイト系〕多分違うと思うが)私が散布したのではない。とにかく神経に作用する薬が怖い。
仕事をしているときは、とてもしんどいが何とかなるが、明くる日になるとたいてい手の感覚異常が出る。そして首も首輪をして仕事をしているとまだ何とかなるのだが、寝ると首に違和感が強く熟睡することもできない。気持ちだけが焦るがどうすることも出来ない。1/13、八日の日に松井に行ってから熱が出たのかあの日から体調がとても悪くつらい。左足両方の手その上に、首の違和感が強く(何時もあるが)寝てもえらくてどうすることも出来ない。やはり熱を計ると37゜3分ある(このところ計ってない。)この頃は、この程度の熱では、計らないと判らない。以前はこのくらい熱があると感じとしてはっきりと判った。出雲大社節分祭を郵送するからと言い頼む。薬王寺にも鳥の供養を頼み石碑も何処かで作て欲しいと言っておいた。これで長い間気になっていた事をかたずける事が出来た。卵を産まし御用済みになると全て殺してしまうのは可哀相である。
1/14、今日も体が大変調子が悪いのだが、鳥の産卵成績を昨夜計算してみたら全体に悪いが特に古い鳥の成績が今までに経験したことがない程の悪い成績であった。(40g以下であった今までは、15カ月のアウト時でも47g以下にはならなかった。他の養鶏場では、年間の平均である。同じ種類の鳥)
朝9/30分にタクシ−で養鶏場に行き悪い鳥を出す。17カ月ぶりにどんなにエラクトモ私がしないともうどうにもならない。給餌機の時間が昼夜逆になっていた。また鶏舎の温度管理も上手くできず、とにかく養鶏の管理が全く出来てない。育成は悪く成鶏管理も悪くどうしても私が行かないとどうにもならない。一昨年入院の前に5ヵ月教えていたのにヤハリどうしても無理のようである。(私は、鳥の温度に対しての換気量とか餌の成分とかその他のこと、鳥に関する殆どの必要な事は、頭の中に入っていた。入院するまでは、新聞も農業、経済、四国、サンケイ、の四部隅から隅まで読んでいた。読むことは頭が余りえらくはならなかった。とにかく、どんなにえらくとも毎日が研究勉強であった。然し今は、その頭コンピ−ュ−タが全く細かいデ−タを忘れてしまっている。今までの、30年近い研究勉強の積重ねの私の頭のコンピ−ユ−タがハァドは覚えているが、その時々に対応するソフトが殆ど頭から消えている。今から勉強しょうにも首の突起を切られているために、すぐに首に緊張が入り目が見えなくなり、又頭がすぐに疲れて熱が出てどうすることもできない。今でも此のワ−プロを打ても、三度、ぐらい見直しても間違いだらけ。とにかくH1年11月からOPの終たH2年1月10日迄いくら頭の中に思浮かべようとしても養鶏場の風景も子供の顔も出ず、夢も全く見たことはなかった。初めて見た夢は、怖いものであった。10月頃まで養鶏場の風景も子供の顔も、小学生の高松に居た頃のものだった。今になり思い出すとこんな病気があるのかと思う)12:に帰ろうと思い乾燥機を見ると異常音がしていたので調べるとベアリングのカバが割れていたので1時間掛り修理して1時にタクシ−で帰る。エライとにかくえらい帰り顔を鏡で見ると血の気がなかった。熱は37゜1。前年で1300万所得が少ない、今年はいくらになるやら今のままでいたらおそらく、2000万は、少ないだろう。(今年は卵価が200円ぐらいと思われる。)今日夕方にコピ−の機械がきた。(安物)こでれ院長が四月にお前を治せるのは、日本中でワシだけだから、嘘と思うのなら探してみろと言った。此の事は私が何も言わないのに、院長があちらから言った。(大杉医院から良くならず帰ってきたのが嬉しかったのだろう)〔3月20日に大杉医院から帰った時に、浜野が何かりゅうが無いと又向こうともめるからと言った。その時私は、長びくので妻が向こうに通うのが大変だからと言ったらそれなら理由になると言った。〕本当は、首のことを良く知っていると思ったので、(電話で松井にないしょうで薬の事とかいろんなことを聞いていた。『松井は大杉の電話も居所も全く教えてくれなかった。311号の院長の父親の家政婦に聞いた。去年の9月にOPに関わりの有る物の住所と名前を聞いても教えなかった。』大杉は首の事はあまり知らなかったのだった。良く知っていたら、首の突起を目印として切り取ることはない。)H/2/2月14日の院長回診の時無理を言ってすまないのだが、大杉医院が2/15日に開業するので、妹さんも居る事だし(大杉の妻)始めは、入院患者も居ないから一人でも行ったら、向こうも多少の足りになるからと言ったら。松井の院長は、ろうばいしてお前向こうに行くのは良いが向こうは、針しか無いんだと言い、そしてお前の首は筋肉と違うぞと言い針で治るのかとそればかり、何度も一人言を言い、312号のフランク永井の部屋に行った。明くる2/15日の病院での選挙の時に、院長は池田はん首の筋肉は、70%回復していると言ったが、私には頭を首でほとんど支えることができなかった。それでも院長の言う事だからこんなものかと思った。本当は、院長も首の突起を切り取ったらこんな事になるとは、思いもしなかったのだろう。その頃は、まだ風が吹いたら飛ばされる程度の体重しか感じていなかった。この頃も自分で何も持く大変えらいが、首輪をしていたら病院のそばの川の端のリバブウル?まで歩いて行けるほどに回復していた。しかし首は、左右に殆ど動かず)
1/15、今日も朝10時に養鶏場に行き多少機械の修理をして12:30分に帰る。
1/16、9:養鶏場に行き廃鶏を出し帰ろうとしたが、また機械が故障をしていたので修理して1:30分に帰るタクシ−で。大変に疲れた。
高松の第一生命保険会社に電話をし、入院証明書のコピ−を送ってくれるように言っておいた。夜取引先の専務がくる。   
3/1/17日、※今日は体がしんどくて養鶏場に行くことができない。朝針に行く
1/18日、今日もしんどくて養鶏場に行くことができない。午後3時に病院にタクシ−で行き首輪(ポリネック)をこれで四コ目購入、そして受付で松井が診断書を書いてくれないと言い。此処の病院でもこんな事があるのかと聞くと受付は笑っていた。
タクシ−で帰りに養鶏場に行くすぐ帰る。2400円要る。
1/19日、今日もしんどいが、タクシ−で朝養鶏場に行き機械の改造をし昼に帰る。昼3時からなんとか行くことができる。どうしても私がしないと誰もできない。
頭が変でとてもつらい。安定剤を飲むとこの所頭の変な感じが少し良くなるようになってきた。タクシ−で二往復すると4340円要る。
1/20、朝8:30、タクシ−で養鶏場に行くそして、私がH1/8月の入院の前に仕事の仕方を全てを子供たちに教えなかったために、(時間から言って無理ではあったが)もう少し楽にできることも要領が悪くとても大変で手間がかかる。
無理はないとは思うが私は気短なので、もう少し考えてやれとすぐに怒る。
子供や妻はそれなりに考えて自分なりに精一杯の事をしているのは判るが。
私にはそのことは判るが私には考えてすれば簡単に思え怒る。(昼に帰る。)
〔H1/8月の入院の時に私は生きて返れないかもしれないと思ったが。大杉医師は9月の中には、退院でき10月になるとどんな仕事でもできると言ったが、私にはそうは思えなかった。しかし人はそう思っていても良い方を取るものだ。
私は生きて帰れないかもしれないと思ったが家族にはそうは言えなかった。
そのために子供たちはなおのこと大変であったのだろう。去年退院してH2/7月二十日過ぎに松井の浜野医師に、電話をして誤診がなかったら、二度OPをしても十一月には退院できただろうと言ったらそう思われると言った。
私が5月2日に松井脳神経外科に居ると死ぬと思い。浜野医師に許可を貰い。
事情を労災の医師に電話で予約して行ったのに、労災病院でデントゲンを取ると言ったら診療拒否に合い。その二、三日後の夜7時頃に三階の階段の所で帰ろうとして、四階から下りてきた浜野に会い、労災の事を言ったらそれはおかしいと浜野は言ったので、松井は何かやましいことが有るのと違うかと言って、浜野には院長回診の時にその事を聞きテ−プに録音すると言い、また高松合同法律事務所を知っているので診療拒否の事を聞くと言ったら、(回診の時にその事は聞かなかったが)浜野はそれから怖がり5月12日の院長回診日(松井院長、浜野、大山、は中に居た。浜野は院長が馬鹿なことを言ったので目を真ん丸くしていた。インターンの出口医師は外に居た丸岡の婦長が外でウロウロして居た。そしてそう病で入院していた中野武に早く飯を食べるように言ってほいと。明くる日だったと思うが出口医師はこんな出来の悪い病院はないから院長は気が弱いから、池田さんシッカリいじめてくれと言った。)に録音したら次の週の院長の代わりの回診の時に、(浜野と大山医師鹿児島医大)浜野はドアを開け首だけ入れ此処で良いかと言い入ろうとしないので、心配するな録音はしないと言い入れと言ったらやっと入ってきた。自分も誤診をしたの怖かったものと思われる。〕
その時に私は首の突起を切られているのを知っていたが、浜野は物凄く腕の良い医師で将来のことを思いその事は言わなかった。
然し私は人間の体は何処かがカバをし、こんなに長く治らないとは思わなかった。
浜野も松井の被害者だと思い貴方のおかげで、睡眠薬も日曜でも貰えたので死なずに助かったとそう言い、松井の馬鹿をこてんぱにやってやると言ったら浜野も言葉にありあり出ていた。そして此のことが公になると、医大からも医師が来る事ができなくなり、松井は病院をヤッテ行けないだろうと私しが言ったら、浜野もおそらくそうなると思うと言った。H1/8月に来た時にはものすごく良い人柄であったのに、十月に私の体が酷く悪くなったときに、体重は水ですから体力とは何等関係は有りませんと言った。(本当に水であった。)その頃、浜野は月に一度、流産した双子の子供の墓参りに帰っていた。
そして中村さんや皆が先祖の供養が出来てないから治らないと言ったが、浜野も大杉も私は科学者だからそんなことは、信じないと言ったのに、なぜに検査をしなかったか。
7月20日頃に井の中の蛙と人生と、言うテ−プを渡し浜野が聞き余計に怖がった。
私はその時は本当に浜野には責任はないと思っていたのだが。
あまりにも大きい誤診をしたので浜野は信用しなかった。
しかし浜野も松井で、こき使われたために人が変わり同じ穴のムジナであった。この頃のことはまた後で詳しく述べる。
昼間養鶏場で10分程子供にユンボの乗り方をおしえて首に負担が掛かった為にまた首が腫れた。この所首の回りは、40pだったのが、夜計ると41.5pになっていた。何時になると腫れなくなるのやら。
1/21日、今日も朝から養鶏場に行き機械の改造をする。
しかし長く下を向いて同じことをしていると、首に負担がかかり頭が重くなり首がが緊張して頭は考える事ができにくくなり、体がしんどくて夢と現実の世界になる。
昼に帰りまた少し楽になったので3時頃に再び養鶏場に行き6時頃に帰る。
いくらしんどくても私が養鶏場に行かないともうどうする事もできない。
他人には判らないだろう。然し夢と現実の世界と言ったら少しは理解ができるかも、今に高松の運転免許センタ−にも、とても行くことができない。タクシ−A4300
1/22日、今日は朝から首が腫れそして緊張も入り熱が少し出て(37゜3)しんどくて養鶏場に行くことができない。熱が出るとやはり耳鳴りが酷く手の感覚異常も強くなる。無理してタクシーで。午後観音寺の民所に法律相談に行く。
(十月にワープローで記した文章を送っていた。)相談をするが弁護士はこれは誤診だと言い。私は医療に関しては全くのしろうとうと思って欲しいと言い。MRIとは何かと聞きまるでだめ。そして養鶏は(卵)儲からないだろうと言い。人を馬鹿にしたようなものの言い方。それでも裁判所に分かってもらいますと言った。{タクシ−3450}
1/23日、今日は、午前中養鶏場行き機械の修理をする。{タクシ−2200}
1/24日、今日朝針治療に行く、午後とてもしんどくて、頭が少し痛く養鶏場に行けるような体調ではないが行き機械の修理と仕事の指示をして5時にタクシ−で帰る。頭の痛いのは本当に久しぶりであった。頭が痛いのに頭がハッキりしている(4040)
1/25日、今日の朝病院に寄りそれから養鶏場に行く。
機械の修理をして。病院で薬を貰い昼前に帰る。養鶏場に人が来て話を少ししたところ仕事で首が疲れていたので。電気の線が二本に見える様になり頭がボ−としてしまった。
今日は湿布をしていなかったのが悪かったのか。タクシ−(2480)
1/26日、今日はワ−プロのフロッピに入力した文章の整理をして首に緊張が入ったが、夢の世界にはならない1/24日から少し頭痛がしている。なぜか一回目の手術をした時も頭痛がすると頭がハッキりしてきた。然し頭が重くなり目はやはり首に緊張が入ると物が二重に見え米かみが痛い。此のところ両手の感覚異常が治らない(つるつるの感じ)風呂に入ると明くる日に酷くなりやはり一週間に一度程度しか入れない。
(64年8/1日の入院の前には毎日入っていたのに。H/2年の5/29日の退院までに10ヵ月でたったの10回程しか入ることができなかった入ると足が立ぬくくなり、感覚異常も酷くなりなっていた。足の重さも感じずしかも自分は頭がイカレテ居たので判断がつかなかった。そして針治療に行き首の緊張が取れ足の重さが感じるようになりそのことが判った。それでも軽快退院なのかあまりにも酷いではないか。そしてどうしても入らなくては、はいけないときにだけ入っている。)
一回目の手術の前には、(63年12月になると)手の感覚異常は全くなくなっていた。(ツルツルの感覚)手は少し左手の痺れ感があっただけである。
1/27日、養鶏場タクシ―(3340)
1/28日、養鶏場タクシ―(4500)
1/29日、養鶏場に朝行き機械の改造をしていて、80キロ近くのタンクが30センチの高さから落ちてきて、アングルとタンクに挟まれ手の指四本を骨折するところれあった。奇跡てきに骨節はないが痛くまた夢の世界に少し戻った。
三時過に業者にニップルを付けてもらっているので、どうすればよいか判らないからとの事で行くひどく疲れる。首の骨を切られていないと全て自分で出来るのに。8/1日の入院の前には材料だけを買い全を自分で工事をしていた。10万円程の違いがある。タクシ―(3340)
1/30日、養鶏場に朝に行き力の要る仕事を、昨日の夕方と今日の朝にすると首に緊張が入り首の違和感が強くなりとてもエラクなり、米かみが痛く鼻から下がスカスカになり声も鼻から抜けたようになる。此の処あまりこんなことはなかったのだがやはりまだまだ無理である。タクシ―(2250)
1/31日、健康堂、養鶏場、タクシ−(2810)
2/1日、病院、散髪、タクシ−(1680)H1/8/1日の入院以来18ヵ月ぶりに、初めて散髪に行くしかしやはり思ったとうり首に負担が掛り、家に帰る頃になると首に緊張が入り頭と声が変に変になってきた。やはり一定の方向に向いているのはまだまだ無理である。
今日は松本薬品の外交の田尾さんと鶏の薬について話した。久し振りに細かい計算をして首に緊張が入り夕方になり大分また腫れそして頭も変になる。しかし以前のような鶏の薬の使い方の複雑な計算の仕方が少しずつ出来るようになってきた。
外交の者が感心をしていた。しかし下を向き計算をすると首に負担が掛り頭がボ−トしそして物は二重に見えてくるそれでも少しずつは良くなってきてる。
2/2日、今日は18か月ぶりに本格的に下の子と成鶏舎を見て悪い鳥に印をつけて回るがポリネック(首輪)を付けていると鳥が暴れるのでるので、付けないで居たところせいぜい20分が限界である頭が耐え難く重くなり。変になりそして鼻から下がカスカスになり、目は物が二重に見えどうする事もできない。(家はできる限り除けているのだが)
夕方に首輪を外すとどうしても首の緊張が取れずに頭が重くて重くて。大分体力が付いてきたのだがとても首輪をのけて仕事ができる状態ではない。松井たちが馬鹿な事をしないともうとっくに良くなってきているのに。養鶏場タクシ−(2160)
2/3日、養鶏場タクシ−(1170)2/4日、養鶏場タクシ−(1170)2/5日、養鶏場タクシ−(1170)2/6日、養鶏場タクシ−(1090)
2/7日、針に行く、タクシ−1600
このところ少しは体が良くなってきたので、養鶏場に行くと18ヵ月間私が出て行き仕事はもちろん指導をもしていなかったので余りにもすることが多くて、少し無理をすると首が疲れ頭が重くなり、その上に脊髄がまだまだ回復していないので、背中がヒリヒリしたり感覚異常が強くなりどんなにあせっても、どうすることもできない。しかし今どんなに苦しくとも今養鶏場の体質強化をしないともうこれ以上悪くなるととてもやっていくことは出来ない。今日は育成の管理方針のヘンコウをする。(ワクチン、投薬の変更)
2/8日、少し前から背中がヒリヒリ手の感覚異常がし左足のほうも少し変なのが、痔の座薬の(痛み止めが入っているそうだ)せいで有るのが判る。やはりまだまだ痛み止めの強いものは使えない。やはり神経に作用する薬は使えない。オロナイン軟膏はどうもない。診察を受けて神経がまだまだ相当に悪いそうだ。やはり医師は親切であった。
去年の二月か三月に大杉医院で、オレンジ色の痛み止めの腸溶剤を飲まされ背中がひりひりするのと、左側の神経が悪くなり左足が悪くなったのが判った。脊髄が悪くなるととにかく治らない。養鶏場タクシ−(1170)病院(600)
2/9、養鶏場タクシ−(1170)森川賢悟午前で退職
2/10、養鶏場タクシ−(1170)2/11、ハイケイを出しとにかく疲れる。養鶏場タクシ−(1170)2/12、養鶏場タクシ−
2/13、今日の朝雛が入り、H1/8月の入院以来初めて育スウの仕方を見ることがやっと出来るようになった。思ったとうリ教えたことができてなかったので直しておいた。
然し暑いところに30分余り入ると、やはりまだ体力がないのでとても疲れた。
薬屋に聞くとやはり痔の薬には、強い痛み止めが入っているそうだ。昨日もしんどいが今日はとにかくエラクテいけない、仕事を休みたいが休むことは出来ない。
2/14、今日は頭が少しいつもよりすごく変でしんどいので熱を計ると、37/2゜有ったしかし実感として以前のようには感覚として熱があるのは全く判らない。
針、タクシ−(1770)
2/15、今日初めて、H1/8月の入院以来初めて、中ス大雛舎に入り本格的に管理の仕方を教える事ができるようになる然し、ポリネックを付けていないと頭が重くなりやはりどうすることもできない。(付けていても重いが付けていないと長くてまだ30分が限界である、しかしポリネックを着けて仕事をすることがどけ程大変か松井たちに判るまい。ポリネックを付けていても、前向きに同じ方に短時間しかできない。)
午後から夕方にかけてとても疲れるが。それでも少しずっ体力が付いてきた。感覚異常も此の処少良くなってきた、ぴくぴくするのも少なくなってきた。顔のつや、皮膚のの感じも大分以前のようになってきたもう少し体力がほしい。2/16.2/17,2/18,2/19,毎日タクシ−で、養鶏場毎日機械の改造と修理である。少し変わったことをすると、首に負担が掛り腫れるのと緊張が入り鼻から下がカスカスになり、とてもしんどくて気分が悪いが私がしなくては誰も出来ない。
ふつう首が少し緊張をしただけでも気分が誰でも悪くなり困るのに。
私は首の骨を誰も除けだれた事がないところをそうされている。
他人はただそれだけのことかとしか言わない、その事がどんなに大変なことであるか専門の医師には判るだろう?。首の筋が少し変になっただけでも大変なのに。
脊髄が悪くなりここまで回復したのも奇跡に近いことであろう。
おそらく生まれた時から徐々に圧迫を受けたためにここまで回復したのだろう。退院してビタノイジンを飲みここまで回復した。松井でも大杉でもアリナミンを使ってくれなかった手術の後すぐにビタノイジンを使っていたら神経はもっと早く回復していたのに。
浜野に言っても松井に無い薬は使えないと言い、また丸岡にに言っても貴方が院長に言ってくれといい相手にしなかった。
2/25、このところ毎日養鶏場に行くので首に緊張が入り日記をつけるのが大変でワープローをしてない。とにかく首が疲れると言いようの無い気持ちになる。養鶏場タクシ−このところ毎日ぬるい風呂にやっと入れるようになつてきた。自分の事業でないのならとてもつらく働くことは出来ない。
2/26、今日は、とくに気分が朝のうち悪いが休むわけには行かない。夕方ユンボに少し乗り家に帰り頭が変になる。とても辛いが何としても少しずつどうしても慣らさないと、何もできない。大方機械の改造が済む。この頃機械の修理を、私がするので修理代が少なく、また故障もひどく減ってきた。然し材料代が非常に多く掛かる。私は前々から機械のことには、特に強く機械をいじり改造修理をするのが特に好きであった。今年はとにかく大変である。とにかく頑張らなくてはいけない。      養鶏場タクシ−
2/28、※今日は昨日朝十時頃に養鶏場に行き夕方6:45、まで鶏糞乾燥械の改造をしたら首に緊張が特に強く気分が悪い。(気分の良いは一日もないが)一度目の入院の前に、改造をやりかけていた製造元でもできない事を今私が何時もしている。
金を掛ければ出来るかもしれないが手間が掛からず良い製品ができるようにしている。
そのために当養鶏場は全て鶏糞が売れている。他の養鶏場はとても困っている。
とにかく早くもう少し良くならないと、子供たちに楽をさしてやりたくても、どうすることもできない。
毎日仕事をするので此のところ特にワ−プロを打つのが大変辛い。
首が疲れ緊張をすると考える事もできにくくなるのと、手が思うように動かず、また意識して首を左右に動かさなくてはならない。
この事がどれほど大変なことか他人には全く理解ができないだろう。
仕事をしている時は、多少良いのだが後で首に緊張が入りどうすることもできない。
このワ−プロを打て居ても文字が二つに見え頭がボートしてしまう。二度目の手術の後一日として気分の良い日はない。入院をしていた時のえらさは耐え難いものであった。
今も起きていたらしんどくても、寝るとやはり首の違和感が強くどうすれば良いのか本当に精神的に参ってしまう。
歯を磨いた後直ぐにでも体調が良いと、唾液が甘く感じ、悪いと辛くなったり、酸っぱく感じたり、本当に唾液がそのようになっているのか。歯が柔らかく感じるのと、首に緊張が入ると声が変わるのは治らない。
首を松井の馬鹿が。馬鹿な事をしないとこんなに苦しまなくても良いのに。
座りテレビを見ることは、二度目の手術をしてからは、五分以上は一度もできない。
それでももう直ぐに、臼井弁護士の力により私の家族が味ている苦しみを松井たちにも、この苦しみがどれ程のものかを判らせる事ができるであろう。とてもしんどいが機械の改造がもう少しで済むので、午後三時に養鶏場にタクシ−(1090)で行き五時半に帰る。朝針に行くタクシ−やはり帰ってから首の違和感が強くとても辛い。今も子供には八月の入院から今日までの私の体験を書いた、日記も何も見せることができない。子供は私の今までのことを有る程度知っているので、余りにもシヨックが大きいと思いまだ私は見せることができない。今になり三年前の体調が悪くなり一度目の入院をするまでのことからからH3年5/29日の退院をするまでのの余りにも辛かったことが、このところとくに思い出される。忘れていた事もまた近いうちに記す。
3/1、やっと鶏糞乾燥機の改造がほぼ終わる。昼まへに社会保険の三好さんと座り話を30分程したら、首に緊張が入り夕方になり声が変わり頭が変になりとても辛い。
首の突起を切られてないと、もうとっくに良くなっていると自分では思える。
本当に誰もこんな経験をしたことがないので、どんなに話をして自分のことを言っても誰も本当に判ってくれるものは居ないとにかく辛い。
第一生命から電話が掛かり、入院証明書のコピ−をやっとくれるとのことである。
(一ヵ月かかる)養鶏場、1890.病院、600.タクシ−、
3/2、養鶏場、病院、タクシ−、(2770)今日病院で脳波を採るときに、退院して初めて真上に30分程ど上に向き枕が首の突起を切り取っているところを圧迫すると、呼吸が気になり体が緊張していくら楽にしょうとしても出来なかった。
二度目の手術の後に真上に向くと息ができなくて、左肩の下にバスタオルをひき体と頭を斜めに約15゜向けないと息ができなくなり苦しかったのが判ってきた。松井の医師たちは、腫瘍を除けたのにそんなことはないと言った。
おそらく首の突起を切ったためと手術をしてはれたために、神経を圧迫しその上に薬で緊張してそうなったのだろう。退院前の5/20日に初めて横に向き寝てから一度も真上に向き寝ることができない。とにかく入院をしている時に寝ると苦しく。起きていると頭が重くて、「入院しているときに、針をするために三十分程待つのが死ぬ思いであった。
看護婦に男のくせにと馬鹿にされ辛かった、馬鹿にされたことは大したことではない。
とにかく誰も経験をしたことがないことほど辛いことはない。
だから誰に言ってもただそれだけのことかとしか言わない、だからどれ程大変なことか思わなのだろう。地獄とは此のことであろう。
(手術の日に病室で椅子に座り、頭を散髪するのに40分ほど掛かったが、自分で手にアイスノンや氷ノウを持ち冷やしながらしたが、頭が重いとはおもはなかった。その時握力は右が六キロ左は、八キロ、そして体の感覚は全く無いところが方々に有ったが、頭が重いとは感じなかった。)人間の頭の重さはどれ程のものか誰も自分では、経験をした者は居ない。立ていてもえらくそのために椅子に座ると、普通は楽なのだが反対に疲れ酷いものであつた。」松井脳神経外科と大杉医院に入院していた時は、(今もだが)体が非常に疲れて、そして頭がボ−トしてしまい自分の体重を感じなくなり、大変でとにかく言い表せない苦しい事ばかりであった。おそらく松井にあと一月居たら死んでいたであろう。
3/4、今日は廃鶏を出しまた頭と声が変になる。全部の鶏舎はとても見ることは出来ない。歩くと首に緊張が入り後で声が変わり鼻から下が、カスカスになるすると頭がとても変になり大変である。
やはり鶏の出来が大変悪い、まだまだ私が子供たちと雛の管理をすることは出来ない。
体力がないのと、暑い所に入ると感覚異常が強くなりとてもしんどくてできない。
午後二時頃になり少しし体調が良くなり。ユンボに少し乗ると両方の手が痺れて、頭は変になり目は電気の線が二本に見えるようになる。
先月に屋根を吹き替えをしてもらったら全体で30万余りで、自分でするより二十万ほど高く、ニップルドリンカも十五万円程高くついた全て自分でやっていた。とにかくもう少しなんとか体がゆう事を聞いてくれないととても大変だ。タクシ−1090
大杉、松井院長、浜野、達の私に対して行ったことに自分達はどれ程の責任を感じているのか。おそらくあいつらは恐怖におののいて居るらろう。?
3/5、今日は鶏糞袋詰め機の改造をする。H/1/8月の入院の前にやりかけていたことを今までほおっていたのを、どうしてもしなければならない。
一度目の入院の前に大杉医師が普通の者は、一月で退院さすがお前は帰ると直ぐに仕事をするので、一月半入院してもらうと言った。
大杉医師が言ったとうり退院できるものと思い、(生きて帰れないものと思う心が半分あったが、手術が怖いとは二度とも思うことはなかった。体が本当にえらいとそんなことは絶対に思わない。去年の四月末に頭の手術を松井脳神経外科でした大西さんに手術の前に目の縁、涙腺のところが黒くなっているので手術は、怖くなく一日も早いほうがよいと思うだろうと言ったらそう思っていると言った、そして手術が終わり一週間ほどして目の縁の黒いのも取れたのを見て、今は怖いだろうと言ったらそう思うと言っていた。)そしてH1/10月になると、どんな仕事でもできると大杉が言ったので、やりかけた仕事もそのままにして入院をしたので。
一年半は余りにも長かった。何もかもとにかくすることが余りにも多い。
とにかく首を松井の馬鹿が、馬鹿なことをしないとと、の思いにつきる。
自分でゆうのは、他人は大げさに言っていると思うかもしれないが、S/63/6月頃から善通寺国立病院に掛かっていた頃から10月頃までは、体温が口で36.8分を越え37゜2分になると、手足が痺れて自分では国立にも通うことが出来ないほどであった。そのために他人に連れていってもらっていた。それでも毎日仕事をしていた。
私がしないとどうする事も出なかった。
財田に59/1月に来て事業を始めてまもなく従業員が事故を起こしどんなにえらくとも、無理をしなければどうにもならなかった。)
しかしいろいろな機械を使い行うので時たま首に衝撃が入るとその時は、どうもないのだが後で緊張が入り夕方になり帰る頃になると声が変わり頭が特に変になり目が回りそうになり遠くの信号の赤い光が円を描くように四個か、五個に見えるようになりとても気分が悪くえらくてどうする事もできない。タクシ−1170
3/6、退院して初めて鶏にワクチンの注射を40分程行う、やはり首に負担がかかり目と頭が変になり辛い、少しずつ良くなってきているのだがやはり肉体的にも精神的にも、もう限界に思える日がこのところある。
自分の事だけを考えると大杉、松井、浜野、等を殺し死んだほうがどんなに楽で良いと思う日が多いことか……。
今も冷えると背中がヒリヒリと痛く何時になると治るやら。始めの入院の前には、全くそのようなことはなかった。
今も刺激物も怖くて全然取ることができない。松井に入院をしていた時にはほとんど判らないほどの刺激物でも体中がヒリヒリ痛くなっていた。
(大杉脳神経外科に行く前には治っていた。大杉医師に薬が合わないと言っても変えず。そのために再び刺激物に弱くなる。大杉医院に行く前には、相当治っていたのにあの馬鹿がいくら私が薬が合わないと言っても止めずに神経が悪くなった。
そして医大にに行くと言ったら、わしは薬が合わない時はゼロから出発すると言いながら変えず。その上に大杉医師は、お前は医大に行くとモルモットにされるぞと言いその時は一時薬を変えるが。そのために松井脳神経外科よりも薬代が高くついた。そして妻がある知り合いの医大の医師に間接的に聞くが今の症状は医大でも判らないから、労災か、国立に行くように言ったので、私は大杉医師に命を預けると言ったところそれからまたうそを言い薬を使い。神経と肝臓が悪くなった。)
そして松井でも大杉でも首の骨を切り取られていたので、少し起きて歩いたり他の人と話をしたりすると、とにかくえらくて夜になると、何度泣き家に電話をし妻に手術をしたら楽になると言ったのに前よりえらくなるばかしではないかと言い。何度死のうと思ったことかそれでも下の子供の喘息の事を思い、(私は親として何としても治してやらないと)死ぬに死ねなかった。
大杉医院で、H/2/3/19、に少し肝臓が悪いと言われる。12月にほとんど死んでいたものに、肝臓が悪くなるような薬の使い方をすればどんなことになるか素人にも判るはずである。
まして脊髄はいくら急いでも時間がたたないと治ることはない。
そして3/20に朝電話を家に掛けようとして、看護婦の後について行き薬を見るとアリナミンンは無く、また薬の数も言っていたより二つか三多く嘘の塊であった。
そしてここに居たら殺されると思い家に帰ったが、首の骨を切り取られていたために、家ではどうにもならなかった。体を回し横や下に向き起きることができず(此の頃は、手術をしてまる三ヵ月経っていたのに、下向きに頭を全く支えることができずにベットの手すりに捕まり上向きにしか起きる事ができなかった。首の後ろ骨を外し手術をしても三ヵ月するとほとんど回復するものだ。)
頭はだいぶ考える事ができるようになったが体が思うようにならず、今の私は地獄の一言に尽きる。やはり家族にも私の体ことを、本当に理解はできてないようだ。
タクシ−1170
3/7、タクシ−仕事、3410.病院1340
先週このごろとくにしんどく、食欲がなくて、血液検査をしてもらったのでけっかを聞くと、此のところ無理をしたのが悪いのかやはり少し肝臓が悪いそうである。
3/8、タクシ−1170、3/9、タクシ−1170、3/10、タクシ−1160
3/11、昨日廃鶏を見て首が疲れ頭が重くなり頭が変になり、昼二時間ほど寝ると少し良くなり、(毎日)そして機械の修理を殆ど下向きに(何時も首輪をして)夕方まですると、今日は朝から首が緊張し特に違和感が強く辛いが、何時と同じく朝9:半に養鶏場に行きまた同じ事をすると、夕方になりまた首が腫れてきた。
ほんの少しは日に日に良くなってきているようだが、自分でも元のようには治らないと思う。頭が重いのはまだ何とか辛抱をすればよいが、目が回りそうになり考えることができにくくなったり目が見えにくくなり、新聞も目を通す程度しか見ることができない。
まして本を読むなんて土台無理である。しかし仕方なく少しずつ見ることはあるしかしその後でとにかくえらくていけない。
3/12、タクシ−1170
3/13、今日初めてポタブルミシンを持ち袋を縫い。40本ぐらいそしてパレットに、積んだので首に負担がかかったのが悪かったのか、背中と胸がヒリヒリして夜になり首の後ろが平たくなり頭が変になったので首回りを計るとやはり、1センチほど太くなっていたとにかく頭が重い。目も口の中も、手の感覚も今は変わらない何とかしたい。
タクシ−4580、3/14、タクシ−1170、3/15、1170、3/16、1170、3/17、タクシ−1170
3/18、夜妻と話をしたが、一度目の入院の前のから今までのことを話をしたが、自分の夫のことを全く理解をしてないことがわかった。
(一回目の入院の時のことはまだよいが、H1/10/26日音に耐えられずに退院をしてから、次第に悪くなりどうする事もできなくなり、松井脳神経外科の医師に言っても検査をしてくれずに、地獄を味わったのを11月から今までずう見ていながら全く理解をしてないのがはっきりとわかる。
H/2/5/29もうこれ以上松井脳神経外科に居たら殺されると思い帰り、そして私がまだ全く体が良くなってないときにもうすぐ暇になると言ったのに、何時がきても忙しいと言われ余りにも辛かったことを今も思い出す。あのときどれ程死のうと思ったことか。H/2/19に、大杉医院に転医をした時には、自分でお膳も持った事がなかった。
茶碗を持つと目まいがして。自分の体重が感じなくなる程の体調であった。
体重を感じなくなると言う事がどれほどのえらさか、口では言い表せない。
自分の顔を自分の手で初めて洗う事ができるようになったのは、H/2/5/30日である。(下に向くことができるようになった。)それでも妻が帰らないと、子供と従業員では養鶏場が駄目になると思いとても一人では、何もできない状態であったが、大杉医師は親切そうに言ったので。大杉脳神経外科に行けば何とかなると思い転医をした。言葉と本心は全く違う酷い藪医者であった。自分の専門外は私よりも知らない井の中の蛙であった。。然し逆に悪くなり腹に水がたまりとても大変な目にあった。目のはたは黒くなり顔色も悪く点滴の針も上手く入らず。この頃は腸が動くのも、胃の中に食べ物が入っているのも分かっていた。手術の前の感覚であった。)
タクシ−1170、3/19、タクシ−1170
追信、お知らせします。4/26、昨日から体調が悪く熱も少しあり、首の緊張感が強くとてもしんどくて困る。熱が出ると手足が少しヒリヒリして、感覚異常も強くなり、耳鳴りも酷く、またこのところピクピクするのも少なくなっていたのが今日は酷い。
今日も、昨日も全く仕事は出来なかった。毎週木曜日の午後に、健康堂に針に行き、帰りに橋本病院に寄り薬を貰って帰る。何時もは針をすれば、明くる日だいぶ良くなるのだが、今日は駄目。一昨日仕事をして、首が疲れているのに、夕方松井の院長に電話をして、頭にきたので首をかばう事なく座り話をしたのが悪かったようだ。(ポリネックは、していたが)
(今は首を前後に一定に、動かすか、前に向き同じ事をするのが、一番負担が掛かる左右その他に動かすのは何ともなく、だから機械に乗るのはまだ良い。(誰もそんな馬鹿なと思うであろうしかし現実である。)タクシ−1170.1250.600.6004/27、今日午後四時頃に、疲れて帰ろうとしていた時に。松井脳神経外科の事務の者二名が、院長の使いと言い院長が説明があるといって来て欲しいと来るが、私は今更説明は受けなくてもよいと断わる。そして弁護士とほんとに話ができているのかと聞き何処の弁護士かと聞いたので。高松合同と言い。私が一月二十二日まで非常に体調が悪くて、弁護士の先生に会うことができなかったのだと言い、お腹が動かず尿が出たり出なかったりするのは、死ぬようになると皆なると言った。本当に医者にまだ掛かっているのかと聞き、何処の病院かと聞いたが教えられないと言った。(この頃はまだお腹が動くのが実感として、判っていた。)誤診でも酷いばあいは、刑事責任を追及されるのだと言い、(少し前にNHKで医療訴訟のことをテレビで聞いていた。私はあの程度の誤診で刑事責任を追及されると、医師も大変だなあと思った。二週間後に死んだが私は、医師はそれなりの処置をしていたのを聞いた。松井では私が二度目の手術をしたときに、交通事故で救急で来たのにその前に看護婦が浜野に受けるか受けないか、電話をして聞くが五分したら来れるほどの距離だと言っていたのに四十分も来なかった。インターンの馬場医師がとても困っていた、後に死んだ。 )その外いろいろ話をしたが、とても困っていた。
(本当はしんどくて行くことができなかった。)手術の後も一切説明はなく、二十四日の日に電話をしてこちらから行こうかといっても、来てくれとは言わないで。今更何の話があるのかと断わりMRIを撮ってないだけでも責任はあるのだと言い断わる。そして首に触らし自分のと比べてみろと言いい。突起を目印で切られ今も頭を支え切れないのだと言いうそと思うなら触ってみろと言ったら。触り本当に私とは違うと言い。私は誤診もなく悪い事をしてないのなら、名誉棄損で訴えて欲しいと言ったが、そうするとは言わなかった。院長はもアメリカでMRIの研究開発に参加したのだと患者に(磯と言うスナックの人が言った。)嘘を言っていると言ったら。そんな物に参加するはずがないと言った。
一時間余り話をしていろいろ言ったら、何故そんなに知っているのかと聞き、弁護士の先生にもう送ったと言ったところ、困った顔をして帰る。タクシ−1170◎
4/28、今日は少し下向きに一時間程、仕事をして首に緊張が入り、昨日帰ろうとした時に、松井の院長の使いの者とたてり話をしたのが悪く、朝からとてもえらくて、十時半頃になり養鶏場になんとか行くことができた。(体力がないのでご飯を食べると心臓が(脈拍)が早くなり75程度になる。シンドクていけない。健康なときは横になると脈は、56ぐらいが普通))昼寝を二時間程して(いつもだが)仕事に掛かるがえらくて、またそれから寝て四時頃に少し落ち着いたので、マグウオ−タを取り付けるが二時間ほどで終わるつもりが、長引き七時頃まで掛えらくて子供たちに当たる。自分は、えらくて殆ど出来ない。自分ですれば直ぐに上手くできるが、体がついていかない。
とにかく頭が重く、その上に脊髄が悪いので疲れて自分ではどんなに頑張っても、えらくなってくるとどうすることもできない。
家に帰り自分に対して、余りの情けなさに(子供に当たる事に)泣く。
医者に掛かってもどうする事もできないとは、余りにも辛すぎるではないか。
あの時手術が失敗して、死んでいたらこんなに苦しまなくてもよいと思うことが……
タクシ−1170.4/29タクシ−1170.4/30.1170.
5/1、朝から手足に過敏症が出て体調が悪く辛い。とくに手が酷くピクピクと体がするまた耳鳴りも酷くとにかく辛い。
昨日換気扇を付けて誇りを吸ったのが悪いのか(二十日ほど前にサンマコの粉剤を散布していた。)松井脳神経外科に初めて掛かったときにはまだサンマコでは、まだそんなことはなかった。松井に行くようになり、労災の神経内科の通院は止めることとなる。
そのために、ビタノイジンを飲むのを止めたために、神経が余計に悪くなったのだろう。ビタノイジンのB十二は中枢神経に効くのである。
松井を退院してから、自分で松本薬品から取りよせ飲むと、急速に感覚神経が回復する。徳島の薩摩医院にも、S63年十二月になると自分で通院できるようになる。
そして最後に薩摩医院に行ったのは、H1/六月二十二日である。診察券に書いてある。薩摩医院には、子供の喘息の治療のためと、私のアレルギ−の治療のために行っていた。十五年来の付き合いであった。
松井の村上先生にあの、ワ−プロの文章に住所と電話番号を入れていたために、おそらく村上先生は、人柄が良いので私の文章を読み頭にきたので院長に、見せたのだろう。
初めに電話をした時と、子供が三回目に行った時とまるで話が違っていた。
子供が帰り言ったことに。おかしいと、松井の手が回っているのでわと。
必要が有ったから切ったのだと言い自分で努力して一人で治すのだと言ったり。
亡くなってないから、裁判をしても勝てないと言ったりまるで前に行ったときと違っていたとのことであった。
そして最後に行ったときには、もうこのことに関わりたくないと、の態度であったそうだ。三回目に行ったときに、皆を乗せてやったと書いている文章を渡していた。
それから薩摩医院には、一度も子供は行ってない。タクシ−1170
5/2、今日会社設立のために、香川県共同経営センタ−の副所長の津田貴民さんと話をしたり、保険屋、その他の人と多く話をしたために、たいへん首に負担が掛とても辛い。針の帰りに橋本病院に寄り診察を受け医大の医師と話をするが、香川医大であれば麻酔医(教授助教授)も何時もいて、緊急の場合であれば手術まで何日もは掛からないとのことであった。
しかし松井は、阪大から十八日に麻酔医が来るので、貴方の手術を一番にしてあげると、浜野が言い、馬場医師に言ったが医大でも最低二週間は、掛かると言ったのは嘘であった。余りにも酷い出はないか。
しかし今掛かっている、医師は弁護士に話を持っていっているといってから、松井さんの肩を持つのではないがと言い、松井をかばうような話し方をする。
松井で手術をしたから死ななかったのだと言い本当に不信感を持つ。
少し前には、釣りに行っているのかと言い、余りにも専門外とはいえあきれる。
誰が何と言おうとも今の体調であれば、普通のものであれば仕事はできない。
医師に対して不審を持つ、松井からの圧力が掛かっているのではない事はわかるが。
(松井の事務の者が今どこの病院に掛かっているのかと、妻に聞いたが教えるわけにはいけないと言ったそうだ。また私にも今医者に行っているのかと聞いたので、当たり前だと言った。そして頭がこのくらい重いのだと言い、頭をおさえた。)
今掛かっている医師に私は、何度も手術の時死んでいれば運命と思い、家族も誰も松井を、攻めないだろうと何時も言っている。
大杉は、もう何時死んでもおかしくないほどの体力であったから、非常に難しいと言ったのであって、手術事態はそう難しいものではなかったのだ。
なぜなら、手術の後で真鍋さんの手術を中川医師がしたことを、大杉医師は、わしでもあれくらいの物であればできると言った。私の場合は、骨を外す事なく腫瘍が取り除けたのに、誰が何と言おうとも、松井は私のことを隠していたのだ。
(少し日にちが違うかもしれんが、真鍋さんは体力がないので、八月の一日に入院して十月まで待ち手術をしたのだ。首の後ろの骨を外しイクツ外したかわからないが、八時間半掛無事すんだ。(私が入院していた時に。中村さんがそう言った。)真鍋さんはICUに四十日も居たのだ、私の場合は八日間であった。そして元気になり五月の初めに私より先に退院したと思う。)忘れていたのだが浜野との話のなかで、腕をたたき折ると言って私が怒ったのは、浜野は上から先に手術をしょうが下からしょうがこちらのかってだと言い、診断書もでたらめを書いたので、十月二十六日に退院した時が軽快退院とはと、余りにも馬鹿にしているではないかと、すると浜野は一番悪い時よりは少しは良くなっていたと言ったので私が怒ったのである。
医師は皆とは言わないがあまり人間としては出来が良くない。
浜野はある患者さんだが、下から先にした事例もあると言った。
その人は私は誰であるかはっきりと知っている。
この人は、316号の岡田学さんで、大西さんのいとこだったと思う。
去年私が入院をしていたときに、この人は半身不随に今から六、七年前になり。
方々で調べたが判らずに、松井でMRIを撮り、そして中川医師が見て腫瘍が有ることが初めて判り、中川医師が手術をしたのである。
しかし大西さんの言ったことに、首の上にも小さいものだが腫瘍が有るのが判ったのだと、しかし今は、まだ影響がないので本人に言ったらショツクが大きいので隠していると私にはっきりと大西さんが言った。私がH/2/5/12日の院長回診で薬で首が腫れていたと言ったら。(テープに収録)岡田さんは手術の後一週間で点滴も何もかも止めた。
私が薬で首がかちかちになったと言ったので。(本当は薬のためとと首の突起を切ったためになっていたのだろう。)五月十二日の回診日の明くる日から、院長は毎日私に判らないように十一時半頃に見にきていた。私も見たし中野武も見ている。私は気がついていたので退院してから、浜野に聞いて確認をした。
また、あのテ−プの中で院長が心臓のことを言った人は、満濃町のお婆さんのことである。携帯用の心電図計を付け、私とも話をしてはっきりと本人から聞いている。
方々でいろいろ検査をしてと、いいながら私には何の検査もしないで、まして首の突起を、切り取っていたら誰にも判らない症状が出て当たり前である。2.3.タクシ−11705/4、今日もやはり、午後に少し下に向き殆ど一定の方に向き仕事をすると、やはり首に緊張が入り物が二重に見えるようになり、耐え難いえらさに見舞われる。
唾液がこのところ、辛く感じ食欲なし、無理して無理して食べなくてはならない辛さは、毎日毎日何時まで続くのか、以前とちがい今の食事の量は三分の一程度である。
しかし今のほうが以前の健康な時に比べて二キロ程重く、しかし以前のように判らない。二十歳頃から六十三キロを、越えると太ったのが自分でははっきり判り、じっとして居てお腹や、胸が圧迫感があり食欲がなくなり、六十二キロから六十三キロの間を上下していた。だから太った人を見るとえらくないのかと何時も思っていた。
本当は、私のほうが異常であったのだ。タクシ−1170、5日1170
また他の人が皆顔が横にすごく向くのが不思議でならなかった。
5/6、昨日ユンボに乗って疲れたのか、今日は朝から体がピクピクして体調が悪くていけないが、子供と鳥を見てハイケイを出すが、十一時半になりとにかくえらくて、午後三時まで寝てなんとか少し良くなり機械に乗るが、帰る時に赤い信号がまた丸く円を描くように四つ五つに見え、家に着くとどうする事もできないほどのえらになる。
実感はないがやはり熱が少しあった。37、1゜
また首の置き場がなくどうしたら良いか判らなくなり、こんな状態になると、何もかも絶望的な思いになり、松井の馬鹿を殺し自分も死のうかと思う。この前の松井の院長の余りにも馬鹿なことを、言ったことが(あそこを手術すると皆切ると)頭に浮かび殺しても飽きたらん思いになる。タクシ−1170
やはり首が疲れて重く感じるときに、ポリネックを外すと手が痺れてくる。二度目の手術をする前には、下に向いても手が痺れることはなかった。
タクシ−5/7.1170.5/8.1170.5/8、今日はまた地獄を味わいました。夜九時になり少し楽になりこの、ワ−プロを打ちました。こないだ松井の院長が、あまりにも人を馬鹿にした言い方を聞きあれから、こうふんして夢を多く見てこの所特に体調が悪いです。今も首が疲れ文字二つに見えています。
高松合同法律事務所臼井弁護士に送る。  前略大変お世話になっています。
5/8日お忙しいとは思いますが、二通お送りしたものを、ご覧いただけたと思われますがいかがでしたか。お願いがあるのですが、もう少しすると、香川医大で診察を受けたいのですが、手術の時のフイルムがないとどうにもならないとの事です。大変とは思いますが、どうしても保全処分をして頂きたいのですが。
5/9、橋本病院の医長に診察を受け話をするが、やはり松井の馬鹿院長をかばうような言い方をする。物はおもいようだと、悪いほうばかり考えずにと言い。
あまり感じが良くない。良性の腫瘍だったから死ななくてすんだのだと言い(私に気を使い、思い詰めないように気ずかっているのかもしれないが)慰めるような言い方をする。しかし私は、生きているから飯も食わなくてはいけないと言い。
生きていたらどうしても生活を、するために仕事をしないといけないのだと言い返す。
もし手術で死んでいたらこんなに苦しむこともなく。
借入金も私の生命保険でしまいがつくと言い、(今は殆ど返済は済んだが)子供も高校にも行け、また養鶏場を売れば一億ぐらいにはなり、家族が困ることはなかったのだと言い返した。良性の腫瘍だから怒るのだと、あの部分に癌ができていれば、どうすることもできなかっただろうと、悪性であって手術が遅れてなくとも死んでいたであろうと言い返す。血液検査を受ける。労災の金曜日の神経内科の早原医師?に診察を受けるようにすすめたが、紹介状とフイルムとカルテがないと見てくれないと言われたので。
私の首を医大で見てもらいなんとかなるのなら何とかしてもらいたいと言い、どうする事もできないのなら、そのように仕事のことも考えなくてはならないので、松井の院長は私が紹介状を持っていても、まずフイルムはくれないだろうと言い、弁護士の先生にフイルムを保全処分をしてくれるように言っているので、フイルムが手に入ると紹介状を書いてほしいとたのむ。タクシ−1170.1170.600.600.
5/10、妻と下の子供が私にすぐ反感をする。つくずく疲れてしまう本当に弁護士の先生が公にしてくれないのなら。私は松井の馬鹿を本当に殺すであろう、これ程の仕打ちをせられたら世間も判ってくれるであろう。誤診で酷い苦しみを、私だけでなく家族にもかけ、すまぬの一言も言わずに、その上にもう殆ど死にかけていた者に、(入院の時に院長はもう少しで死ぬところであったと言った。)治療以外のことをして人間のすることではない。その上いこうとする病院を、次々と押さえて自分さえ良ければ良い人間だ。医師であれば人の病気を治すのが当たり前で、絶対にしてはならない事を私にしたのだ。だからすべてが公になると、私の家族を攻めるものはいないであろう。 
5/11.5/12.5/13.5/14.5/14.5/15.タクシ-1170.
5/16、この一週間ほど、手のひらにしわがより顔がしだいに細くなり、入院前の顔に近くなる。そして脈拍が以前のように横になると、55〜60程度になる。
もうとっくにむくみは、取れたと思っていたのだが、やはりまだむくんでいたのだ、本当にむくみが取れてきたようだ。
以前労災病院の神経内科に掛かったときも、むくんでいることを自分でも気がつかなかったが、体調が少し良くなると手がすばりむくんでいることに気がついた。
(この時も医師には判らなかった。 )
初めて松井で診察を受けた時には、はっきりとむくんでいることが私には判り、大杉医師に言ったがそんなことはないと言ったが、しばらく通院すると手がすばりむくみが取れ、大杉医師に言ったが、信用しなかった。
(善通寺の大杉医院で点滴をすると頭が割れるようになり、大杉医師に言ったところ、それは薬で首が緊張してなるのだと言ったので、妻に松井で使っていた薬を、書いてもらって大杉医師に見せ同じものを使ってほしいと、アリナミンなら合うと言ったところ、ダイアリビタは、アリナミンではなく。
ダイアリビタであった、ダアリビタをアリナミンと松井は嘘を言って使っていたのだ。
入院の一年前にも深田病院で使ったのも、おそらく同じであろう、血管痛が強く全く効かない。(交通事故の後と高松でも同じ匂いの、薬を使ったが全く効かなかった。)
私はアリナミンを使ってほしいと言ったところ、アリナミンは高松から取り寄せるので三日は掛かると嘘を言って、ダマシその上にダイアリビタを、おそらく使ったと思う、なぜなら匂いがよく似ているので、私に薬を変えた時に、アリナミンに変わっただろうと言い確かめたが、本当は薬価が安いために使ったのだろう。
変えたと言って、本当にアリナミンなら私には、どうしてか判らないが本当に良く効く薬だのに、合わず体が自分では衰弱していくのが判り、(点滴の針が上手く入らなくなるり、また自分で洗たくもしていたのも、とてもえらくて全然できなくなった。)いくら言っても止めないので、医大に行きたく、その時大杉医師に私は怒り薬を変えないのなら、医大に知り合いが居るので、大杉医師に医大に行くと言ったところ、お前医大に行くとモルモットにされるぞと言い、その時は薬の弱い物に変えるが、医大の医師に間接的に今の症状を言い聞くが、そんな症状は医大でも判らないから、(誰もせられたことがない事をされているので。)医大でも判るはずなく国立か、労災に行くように言われたので、紹介状がないとどこにも行くことができないので、(一度目の手術の後いろんなことがあっても、全く無責任な扱いであった)紹介状は書いてくれないと思い、先生に命を預けると言ったところ、また以前と同じような薬の使い方をせられて、その上に頓服のオレンジ色の腸用剤を飲まされ、『ふわあっとするのなら頓服を飲めば良いと言い飲ます、何か少し重いもの濡れタオル程度の物を十分程持つと、体重を感じなくなりそれでも皆こんな事になるのだとばかり思い、無理して無理して体力を付けようとして余計に悪くなる。
しかし体重を感じなくなる程でも、同じふわあとする事である、大杉医師も体重を感じなくなつているとは思いもしなかったのだろう、首の突起を切り取ったらこんな事になるとは思わなかったのだろう。
とにかくどちらに行っても酷い目にあった、『この頃も手で頭を支えないと、下に向くことが全くできなかった。』首の突起を切られていたために首に緊張が入り、そうなりこの頃は目がトロントして、バカと思っていたのだろう、その頃見舞いに来ていた人に今になり聞くと、目がトロントしていたと言いった。今も時たまなる。
また見舞いに来た者のが、首も酷いこと腫れていたと言った。
神経がだぶ回復していたのに悪くなり、腹に水がたまり顔がむくみ、肝臓も少し悪くなり、目の付け根のくまも取れていたのがまたは入り、体力的に限界を感じ看護婦のせいにして帰る。松井に帰りたしか、加藤看護婦がお腹を見て、その腹はどうしたのと言ったので。私は腹に水が溜まっているのだといった。(この頃はお腹の中のことがわかっていた。)そしてこの頃になると、普通の健康な人には、聞こえない低周波の音が聞こえるようになり、音が気になり寝られなくなる。
大杉医院にいく前には全く、音は気にならなくなっていた。(家に帰るがベットの柵を持たないと起きることができないので、仕方なく松井脳神経外科に電話をして、)入院させてもらう、この時は、首の突起を切られているのを知らなかったので、出来が悪いが院長を信用していた。
その日に普通の点滴をしても吐き気をもようおし止める熱も出た。
大杉医院ではとにかくひどい目にあった、どちらの医師も人間ではない。
退院の前に、二度怒り帰ろうとした事がある、三回目に帰る。
針治療に行き、(今も一週間に一度)帰りに某病院で今日診察を受け、血液検査の結果を聞くがまたGOTが52程に上がった。(一月前は、40)
コリエステラ−ゼは、279であった、三年前の時体調を崩したときは、(たしか80余りであったと思う)殺虫剤も作用していたのだろう。
しかし頭が重くなるのは変わらない。(朝三十分ほどはあまり感じない、しかし仕事をして首が疲れていると、ポリネックを外すと頭が重く感じ、直ぐに両方の手が痺れてくる。そして手の指がびりびりとする、これは手術をしてからずうと続いている。少しは良くなったのだが、耳がカリカリトやはり音がする、そして、あごの付け根が異常に膨らんできた。ポリネックを付けていても、前下に向き同じ事をしていると頭が重くて大変な負担が首に掛かり頭がボーウとして大変なえらさを感じてくる。
またあじが辛く感じたり、甘く感じたり、酸っぱく感じたり、唾液が粘く感じる味のほうも、首の筋肉が神経を圧迫してそうなるようだ。
首に力がついてくるのと同時に歯が柔らかく感じているのは全然変わらない。
医大に行き何とかなるものなら何とかしてもらいたい。
どうにもならないのなら、ギブスでなんとか保護できるものならそうしてもらいたい。
とにかく、これから先のことを考えると、何としても医大に行き診察を受け、相談をしこれから先のことを、決めないとどうにもならない。
松井脳神経外科は、退院してから何度もフイルムを貸してほしいと言い、その都度紹介状を持って来いといわれ 断わられるので保全処分してもらいますといっても絶対に貸してくれなかった。
家庭の医学書にフイルムを貸さない医師は、信用してはいけないと書いてあるのを思い出した。
余談だが当養鶏場で、六年前に事故があり、三豊総合病院の医師にその時の状態を言い、頭を打つているので良く調べてくれるように言ったが、全く相手にしなく本人が頭が痛いといっても調べずに、一ヵ月たちもう退院するように言い、そしてCTを撮り後頭部に内出血を認め、絶対安静と言ったので、誤診をする医師は、経験不足だからここに居ても治らないから、フイルムを貸してもらうように家族に言い、医師に言ったがフイルムが要るのならよそで撮れと言いどうしても貸してくれなかった。
こんな病院は信用できないから高松に行こうと私は何度も言ったが、本人が行くと言わずに、また家族もほっていてほしいといい、今に頭痛は治らない。
(私が同じ目に合うとは思いもしなかった。)この事故は、小松重機の機械の欠陥が大部分であった、詳しく言ったら時間が掛かるのではぶく。
警察は私には全く責任はなく不思議な事故だと。
私は機械に強いのでその後で実験をして、そして高松合同法律事務所に行き、弁護士と話をして二十万で受けると言い話ができたが本人が医師の診断書を持ってこないために立ち消えになる。(居眠り運転をしたためと思う、本人に聞いている。)
小松重機は、何とか話合いでと言ったが本人が大きなことを言い話にならなかった。
その時から高松合同法律事務所を知る事となる。ここまで(弁護士に送る。)
5/17.5/18 .5/19.5/20.5/21.5/22.毎日、1170.5/23.1170.1170.660.600.5/24.5/26.5/27.
5/28.5/29.毎日1170.5/30.1170.1170.660.600.5/31.6/1.6/2.6/3.6/4.毎日1170.6/6.11701170.660.600.6/7.6/8.6/9.1170.
6/10日、今日初めて廃鶏を出すために、九時から昼間で三時間ほど、なんとかポリネックをはずし鳥を見て歩くことができた。しかし、頭が重く首に違和感が強くなり、緊張が入り目がトロントして頭がボウとし変な感じになる。
誰が何と言おうとも、首の突起を切られてないとと思う。
耳の後ろの筋肉が他人より発達してきたが、首の真後ろは他人とは全く違う、普通は、首の後ろの上のほうが丸くもりあがっているのに、私は反対に引っ込んでいる。
突起を切られたために、他の筋肉が発達しているのだろう。(首の突起は筋肉が何本も付いているのだ。)
何とか、ポリネックを付けなくても良くなるかも、少し前から肝臓の薬とアリナミンを打つているのが良いのか、体調も少しずつ良くなり汗が良く出るようになり、体力もついてきた。
然し、新聞とかワ−プロなど首を一定の方向に向きじいっと見て居ると、頭が耐え難く重くなり、首に緊張が入り物が二重に見え、目がトロントして、考える事ができなくなる。ポリネックを付けてもどうにもならなくなる。
こうなると横になり寝るより仕方がなく、どんなにあせってもどうする事もできない。
6/19、肝臓の薬と、アリナミンの注射で、この所少しずつ体調が良くなってきているが、一日良ければ明くる日は、必ず悪くそれでも無理をして仕事をするが、耐え難きえらさにみまわれる。(とにかく首に緊張が入ると耐え難きえらさになる。)
この所少し頭の調子が良くなり(64年8月1日の入院から今年の初めで、十年もの昔に戻った頭が、少し治ってきた少しずつ入院の前の仕事の事が判ってきた。
いくら考えても鶏舎を建てたりいろいろ自分でした事を忘れたが、判り始めたが首に緊張が入るとやはりいけない。文字もほとんど忘れたトンと、いたような簡単な物も、NTと書き、tこうだと言って笑われる。医師に診察を受け、二ヵ月も夢も見ないほどの頭の状態の患者を見たことがあるかと言ったら未だ無いと。)
ニップルの取り付けは、入院の前の年8月から、四号から始め、16.7.6.8.10.11.13.雛の1.2.3号迄付けて入院をしたのである。 12.14号だけを残していたのだつた。後の12.14号は退院してからと思い残していたのであった。
今はとてもそんなことをするだけの体力はない。今の体調は入院の前よりもはるかに悪い。とにかくどんなにえらくとも私がしないとどうにもならない。
私とて今の体調であれば仕事はしたくはない。
松井の院長たち、誤診だけであればすまぬと言って、ことわりを入れられると許すが、してはならないことをしたのだから私は絶対に許さない。
6/22、今日はとにかくえらくていけない。
二日前に夜子供を、怒ると死ぬといい、出て行き私はタクシ−で一時間程捜して疲れてから特に体調が悪い。
そして妻と長男が捜し当てて連れ帰り大事にはならなかった。未だ子供には此の文面を、見せた事はなかったがどれほど親として、心配をしすまぬと思っているか判ってもらうために、少しだけ抜粋して見せてから落ち着いた。二、三度教えても守らないと口やかましく言わなくてはいけない。
本当に、子供にはすまないと思うが穏やかに言っても、仕事はよくするのだが、計算などをしろと言ってもしないと(子供も妻も取引先の人も私と同じには誰もできないとゆうのだが、私にはすればれきると思う、私は今の子供の年頃には、親が心配するほど遊んだしかし計算はしていた。)養鶏をやっていく事ができない。
三十年間の研究が無駄になる、畜産業の中で養鶏ほど個人差のあるものもまた珍しいと思う、今度も日本のハイデオが取引先の、出口種鶏場をとうし当養鶏場、で新鶏種の試験を頼まれ引き受ける。
当養鶏場の全郡の成績は、私を知らない者に言っても信用はしない、日本でも一二の浮卵場がはっきりと私に言っている。
こんな体調になると、つくずく養鶏をやるのがしんどくなる。
養鶏を私の体調で出来なくなると、松井の院長を殺すであろう。
6/24、今日半年ぶりに某中央病院の整形の医師に、診察を受け首の腫瘍を除けるために、首の突起を切ることがあるかと聞くと、時と場合によるとのことであった。
首の骨を外すか、上にずらすか、また突起を削りそのまま脊髄まで穴をあけることがあるとの事であったが、一番患者に負担が掛からない方法を取るとのことであった。
(松井脳神経外科でも患者に聞いたのだが、小さい物であれば、骨に穴を開けそのまま取るとのことであった。)
そのために多少は頭が重く感じることもあるとの事であった。
私はの場合は左に有ったから突起とは無関係だと言ったら。医師は首の左に有ったのかと言い驚いていた。握力も強くなりだいぶよくなったと言った。
私だけが他の人と変わっていたことを話して聞いてもらった。
松井では、どんなに悪くなっても医師もこず、全く放置されたと言ったところ驚いていた。私は首の一番の骨と二番の骨が分離して、一番は上にひっつき動かないのだと言ったら、驚き触診をし本とうだと言い、なんとか首を支えるのに、良いギブスはないかと言ったが無いとのことであった。そして私は手術の後全く頭を支えることができなく、大変な目にあったと言ったら、そのとうりだろうと言った。
そして医師に大杉医師は、下を向くと目まいがするから下を向くなとは言ったり。
階段を下に降りぬなと言いまた、寒い所に出ると肩がこると言った。首が頭を支えられないとは言わなかったと言ったら。某医師は首に緊張が入ると目まいがすると。もっといろいろ聞きたかった、が次の患者が居るのでとの事で質問を打ち切る、また聞くつもり。
7/23,このところ体温が昔みたいに口で計って、37,2゜では熱がある感じはしなくなってきた。十日ほど前から非常に疲れしんどい体力の限界を感じる。むりがいけなかったのか今のままでは寝こむであろう。
二ヵ月ほど前から、肝臓の薬と同時にアリナミンFを同時に打ちだしてから、感覚異常も大分良くなってきたのと、同時に37,2゜では全く熱がある感じがしなくなり、以前の夏のように汗が多く出ずに、喉の渇きも少なくその代わり、体温が他の人と同じように、暑い所に居たら体温が上がるようになつたようである。
また胃がここに有るとゆう感じもなくなり、また心臓の有る所で脈を打つ感じはしなくなった。頭を打っても痛さを今までの半分程度に感じ、直ぐに痛くなくなる。
体全体が余りにも私は他人と違っていた。
しかし首で脈を打つ感じがするのは治らない。
耳鳴りも首の緊張が強くなるのと、熱が出てくるとくに酷くなる。
8/21日、※今日9時過に朝針治療に行き10時半に帰る。
なぜか知れないが帰ると尿をもよおしする。
そして朝から昼までに950ccもの尿が出る。前日にも今日も多くの水分も取らないし、不思議なことが起きる。とにかく首か緊張するとこうなるのだろう。やはり首の筋肉が交感神経に何か作用しているのだろう。寝る迄に1700ccもの尿が出て、顔、腹、足がすばり喉か湧きもある。
やはりむくんでいたのだろう。 62.5s今日高松の福井整形から返事があったが。内容を見てとても失望した。又々全く不思議なことを言ってきた。文面を此処に記録する。
経過が悪く残念です。
詳細な経過と病名から考えて。簡単に症状がとれてしまうものではないと思われます。
(精密検査や手術「貴方自身」の対応が遅れた様ですね。)しかし過去に振り返って、苦しんでも解決出来ません。今後残された課題は機能訓練(運動療法=リハビリテーション)以外にありません。苦しいでしょうが。一に努力。二に努力で頑張ってください。期待致しています。{原文のまま}あまりにも私をバカにした文面である。こんな事を言いたくはないが悪くも言いたくなる(西症医師は触診をして病気の事を知っていたのに、あの当時福井整形の医師は触診もしなくただ単にそう思い言ったのだろう。通院していた三年の間始めより良くなりはっきり言い誤診をしたのだ。釣りに行っても怒らなくなり手の痺れに低周波を当てる治療を続けた。小林整形でも同じ誤診をした。誤診の事は大したことではない。)
首のリハビリが自分で出来るくらいなら力になって欲しいとは頼まない。首の事にたいして強いと思ったから便りを出したのに。「全く不信感をもつ。」私がこの文面から受けた心証は、おそらく松井か西庄医師に頼まれ書いたのだろう。首のことに(突起)何等触れないばかりか、私自身が何もかも悪い様に言っている。 先に送った便りでは。詳細な事は判らない。(今の私には余り重要な事ではないが、私は松井の院長が、そこをOPすると皆切取り何等影響なしと言ったので、そのことを含め少しの事を聞き)首の突起の修復手術が出来るか聞き今のままでも、良くなるのか医大等に紹介をしてもらいたく便りをしたのに。親身になり相談を出来る人が(医師)居ないので相談に乗ってもらおうとしたのにとても残念。(とにかく首を始め神経の事に強い人に相談をしないとどうする事も出来なく)退院の後に首の突起の事に気づき(そのことは言わずに、去年の7/20日頃に)電話で浜野に首の補助器具を作って欲しいと言ったが、全く相手にしてもらえず今も困っているのでその事を含め、今掛かり付けの医師も余りにも対応が悪いので。
(今だに行く事が出来る状態ではないが、医大に紹介してくれないので)そのことを相談に乗ってもらおとしたのに。この文面から見る限り松井たちは大変に困っているのが判る。8/22日、今日昼までに600ccの尿が出て体調が良かったが、午後になり出が悪く全部で1000ccしか出ない。(昨夜からは昼までに900cc)
午後から首に緊張が入りとてもしんどい。62.5s体が弱りやはり首に緊張が入るとそうなるのか……とにかく不思議な事になったものだ。
8/23日、感覚異常大分改善、まだ体全体多少有り(体全体の温感及び、手足が特に強い風当たるとヒリヒリ)体調崩して一月目に夕方初めて少し食欲有り。喉の渇きも有り。此のところずうとお粥だけである。1000cc.62.8s 
8/24日、今日は朝から尿の出が良い(昼までに900cc)
やはり昨日左の首の付け根の所が夕方になり痛くなる。
なぜかそこの所が痛くなり固くなると尿が出なくなる。
足を重ねて寝る事が出来なかつたのがに三日前から治った。以前薬で悪くなった時と同じ手術の前は上に向き寝る事が出来たが、今首の付け根が気持ちが悪くそれが出来ず大変辛かった。今日は前日よりお粥も水分も多く取ってないのに尿が1500cc出て、体重が62.2sなる。ふくらはぎが細くなり足の裏にもしわがより、顔もすばる。
目の方は副視が酷くて、頭もボートしているが。それでも此のところ確実に体調が良くなっている。おそらく後二週間程すると養鶏場に何とか行けるだろう。
8/25日、今日は朝尿の出が悪く(朝から昼過ぎまでに400cc)気分が悪く、頭の左の付け根が痛く物が二重に見え困ったので。昼から指圧器で首と背中をを押すとなぜか目の副視が取れて、それから尿が沢山出て喉が渇く。とにかく不思議な事である。
合計1500cc.62s
8/26日、当養鶏場に豊田節子再就職。
感覚異常多少良い。午後計算をして疲れ(OP前の様に頭がえらくはない)体がしんどく微熱が出る。だんだんむくみが取れてきたしかし、体力が全く無く長くは立っておれない。目の方は一時に比べると多少良い。今日も尿の出が良く1600cc.61.8s
8/27日、今日は朝六時に目覚めると体中が痺れ感がありとても体調悪い。
此のところ特に食欲がなく此のままあの世に行くのかと時々思う。下の子供も疲れから喘息が酷く徳島の医院にタクシーで行く、十日ほど前に行ったのだが少し良くなると無理をするから(無理をしなければやっていけなかった。)子供には本当にすまないと思っている。豊田さんが来てくれる様になり助かる。とにかく病気を治すことに専念できる。
私の場合はどんなにあせっても仕方がない。本当に今日のような体調になると死にたくなる。今はどんなことが有っても死ねない。夕方体温37.5゜
前日より水分摂取量少ない。1000cc.62s
8/28日、今日も前日と同じ様に朝四時頃目が覚めると、やはり体中が昨日程ではないが痺れが有り気分が悪いが、辛抱して七時前に安定剤を飲みマッサージを妻にさすと治る。もしかすると昨日の夜右足の甲を虫に刺され腫れたのが原因かもしれない。
此のところ睡眠薬(ハルシオン)を飲んでいたのをやめたのが良いのか少し頭の感じと、耳鳴りが少ない。睡眠薬は殆ど効かない。昼三時半頃になり急激に足冷えと、耳鳴りも酷くなり気分が悪くなり安定剤を飲むが治らずひどく辛い。首に緊張が入りどうすることも出来ずに。
こんな症状が出ると松井に入院して居たときの事を思い出す。寝ると首の違和感が強く、起きていたら頭が重く疲れて本当に地獄であった。それでも無理して首に力を付けようと、ポリネックを外しとにかく酷い目にあった。もっと体力が付いてきたらきちんと説明を受けるつもり。二度目のOPの後に寝られないので、看護婦に睡眠薬を注射してもらうと耳鳴りが取れていたのが、猛烈な耳鳴りが起きそれ以来治らない。その時睡眠薬は何度か打ってもらったが全く聞かずに耳鳴りだけが激しくなる。(そして薬、点滴を大杉医師に言い変えてもらうと寝られる様になる。)62s1000cc
8/29日、今日針治療の帰りに、松房医院に行き酷い目にあった。
三十分ほど待たされて、此のところ十分程度しか起きていられないので、診察室に入りえらいからと言い寝て診察をして欲しいと、ベットに横になるといきなり、胸倉をつかみ引き起こし押し出そうとまるで暴力団の様な扱いを受ける。以前少し怒らしたことが有るので何か勘違いをしたのか医師のすることではない。只の肝臓の注射を頼むが、橋本病院で検査結果と紹介状がないと見られないと言い、まるででたらめである。橋本病院にいちゃもんを付け、院長を目の敵にしている感じがした。緊急の事でもないのに、ファクスで十分以内に検査結果を送る様にでたらめを言った。私がとにかくえらいから横にして欲しいと言っても駄目だと言い。私はとにかくえらくていけないから、見たくないのなら帰ると言っても帰さずに何を考えているのか判らない。此方のゆうことを全然聞かず(首の事を、症状も聞かず、検査結果が来るまでただ待ての一言で、一時間余り待てど橋本病院から返事がなく、松房医師が橋本病院の院長に電話をしたら今担当医がいないとのことで、ただでたらめを言い何もせずに帰す。)
全く酷い医師が居たものだ。一時間余り椅子に座らせ。あれこそ精神病だ。
帰り三時頃になり37゜7分の熱が出る。
二度とあんな藪医者には行かない。体重62s安定したむくみも取れたのか。此の一月余り37゜3分ほどの熱が付いているのに酷い医師だ。寝ついてからただの一度も、おやつも食べた事もないしジュースも飲んだことがない。全く体が要求しない。ごはんも欲しいと思い食べた事は、35日間で二三度しかない。
8/30日、昨日松房医院で酷い目に合い今日は体が普段よりもしんどい。
昨日昼過ぎに体がやはり痺れたので、首の牽引をすると取れる。
夜にも牽引をすると、今日の朝は痺れが無い。此のところ寝るばかりしているので、首が曲がっているのかもしれない。私が一番恐れていたことが現実になったのかもしれない。やはり熱が37゜5分ほど出た。尿は出ているようだ。まだまだ感覚異常が有る、手足がまだ大分酷い。
足は冷えた感じがして少しひりひりして(その日により多少は違いがある)手もひりひり少しして温度感覚が少し悪く、指はつるつるの感じがしていけない。
この体調が狂う前には、体中の感覚異常は治っていたのに、(十年来の左の親指の痺れ)何時になると治るのかとても不安。医者に行く事ができないことはどれ程の不安と、辛さがあるか誰も判ってくれない。とにかく首を悪いことをせられなければと思う。何故こんなに辛い目をしなくてはいけないのか、今は何としても死ねない。
この分では何時になると良くなるのか判らない。食欲なく夕食殆ど取れない。61.7s8/31日、朝目覚めると体が痺れ特に手足、息が少し気になり意識して息をしないと呼吸が止まる。妻にマッサージをしてもらい、安定剤を飲み少し眠ると大分良くなる。熱が続いていたので自立神経が狂い、軽い多呼吸症になったのか?。今日妻がある人から聞いたところによると、橋本病院に入院をしていた患者が悪くなり(自分で車の運転も出来なくなり他人に乗せて行ってもらって。私が以前殺虫剤を散布し悪くなったときと同じ、此の回も前と同じ症状が出たので気がついた。)井の下病院に変わり良くなったそうだ。その人の父親も喘息で死んでいる。(下の子供も喘息の治療で橋本病院で点滴を打って貰っていたが。行っても効かずえらくなるばかりと言い止めた。7月になり冷房が入り換気をしなくなり殺虫剤がやはりさわっていたのだろう。)やはり橋本病院の殺虫剤が悪かったのだろう。37.3゜61.7s 今日松房医院から言い訳の手紙がくる。馬鹿。
9/1日、今日首に触ると頭の付け根が段がついた感じがしたので、首の回りを計ると昨日まで此のところ同じく40.5p有ったのが38.5pに2pも細くなっていた。
今だにこんなに腫れているとは思いもしなかった。
これで熱が下がるかもしれない。37.1゜61.8s
9/2日、今日尿が沢山出て体重が昨日より0.4s減り61.4になる。まだまだむくんでいたのか。朝から大変体がえらくてどうすることも出来ず、死ぬ思いをする。首に緊張が入り、急にどうする事も出来ない程のえらさが襲う、他人には全く理解ができないであろう。熱も37.4゜程出る。感覚異常も強く手がまた前のように温くてなかなか寝られない。上に向き寝る事が出来ると楽なのだがそれができない。
9/3日、今日手の指、足の甲にしわが出来る。
どうやら本当にムクミが取れたようだ。去年の十月にも同じ様な事が起きた。
昨夜7月から寝こんでから初めて喉が乾き、ジュースを飲む。此の四十日程全く飲み物も体が受け付けなかったのが、今日も午後になり飲む事ができた。食事の時におかずも取れる様になる。これから回復するのか。昨夜無理して上に向き寝ると体の痺れも大分少なくなり、今日は昨日の体調が嘘のように楽に感じる。(首の突起の間隔が開く)やはり首の骨が曲がっていたのだろう(一番と二番がくの字形になっていたのだろう。指が二本ほど入るだけ開いていた所が全く指で触っても間隔が無くなっていた。)しかし松房医院で暴力を受け首に緊張が入り歯が何時もより柔らかく感じるのが治らず、また頭の左後頭部の髪が誰かにに触られる感じがしている。此の感じは二度目のOPの後から続いていたのが、去年の年末には無くなっていたのに。61.6s
9/4日、今日は寝冷えをしてお腹を壊し、下痢をして食欲全く無く食事を取れない。
(症状は軽いが)アピアンを飲めば特効的に効き良いのだが、怖くて定量飲む事ができない。二度目のOPの後善通寺の大杉医院で飲み体中が痛くなる。(H/1/8/1日)の入院の前にはこんなことはなかった。『少し前に定量四錠飲むとえらくなり怖い。』昨日は久しぶりに体調が良くなっていたのに。夕方二錠飲むと一時間ほどして薬のためか背中が痛くなる。今日もまた尿が多く出て(1600cc)体重が60.8sになる。
そのためか体中に細かいしわが出来る。手足が特に酷い。
9/5日、朝は熱も有り下痢を少して、その上に尿の量が午前中多くとにかくえらくてどうする事も出来ない、午後になり少し体調が良いので起きて計算をすると首の付け根が、頭との境目が判らなくなるほど緊張する。すると午後三時から夜九時過ぎまでに尿が150ccしか出ない。安定剤の量を少なくしたのが悪かったのか。61s
9/6日、今日は体調が少し良いが熱が出る。程々の尿の出が有り。
9/7日、昨日から少しずつ体調が良くなる。しかし昨日は午前中は尿の出が悪くて、針治療に朝行くと、むくみがまた少し出るが午後になりむくみが取れたようだ。今日は朝から体調がこの頃では一番良く気が休まる。神経炎もも大分良くなり、手の痺れも大分取れてきた。下痢も殆ど治まり少し副食も取れる様になる。61.6s.尿1000cc食道、胃、など、特に胃が無くなり何かとても変である。
9/8日、今日朝体調が良くむくみは取れたと思っていたが、午前中は尿が500cc出たので、順調と思っていたが午後になり多少熱が出てしんどいが、午後になりものすごい量の尿が出た。午後一時から夜七時迄に(1100cc)もの量が出る。昨夜体重がやや重いと思ったが、むくみは直ぐには取れないのか。昨日より多くの水分は取ってない。
尿1800cc.61.4s
松房医院での暴行を受け、体調が余計に悪くなり思うように回復しない。此のところ熱が出ると頭痛がよく起きる。頭痛の経験はなく歯痛たで頭痛が有ったが、風ひきで少し熱が出ても頭痛の経験はない。
9/9日、今日も午前中は体調が少し良いが、午後になり体調悪く体温を計ると37゜4分程有る。(計らないと判らない。)午後になると毎日熱が出ているのか。尿1300cc.61.4s
9/10日、今日道貴が初めて自分で、車を運転して徳島の薩摩医院に喘息の治療に行き無事に午後一時半に帰る。私は今日夢を見て疲れる。
今日も大量の尿が出て体重が61sを割、手首が細くなり、足の裏も酷いことしわが出来る。まだまだむくんでいるのか、何時になると本当にむくみが取れるのか。
手の痺れもまだまだ大分有り、温度感覚もまだ多少ある。
風が当たると気持ちが悪るい。
去年はこの様な温度感覚異常は無かった。やはり薬による神経炎だろう以前になった時と大変よく似ている。夕方になり体調が多少良くなり久しぶりに何時もより多く食事がとれる。お粥から普通食になる。尿1400cc.61s
9/11日、※今日朝体調がよく新聞を座り読んだためか、それとも肩こりの薬を飲むのを忘れたためか、9時半頃から頭から足の先まで痺れてきてとても気分が悪くなる。
養鶏場に電話をして妻に帰って来てもらい、マッサージをしてもらい落ち着く。
午後になり熱が37゜5五分程出てとてもしんどくなる。
一昨日のテレビで、PRCの訴訟の事を考えて電話局、東大、等で聞き調べ、東大医学部第一内科の本田勝紀医師に電話をして、松井脳神経外科での事を相談に乗ってもらおうとして、話をすると松井の院長とは同級生との事、またフランク永井の入院して居る所だろうと言われ驚いた。世間は狭い。   
どうゆう事か事情を郵便で知らせてほしいとの事であった。
ショックで熱が37゜8分まで上がる。〒113 東京文京区本郷731  東大医学部第一内科 本田勝紀様今日も尿が良く出て手足がすばる。      1400cc  60.9s昨日よりも多く食事を取ることが出来る様になったので、体重が軽くなる事はない。9/12日、昨日のショックで今日も熱が37゜5分迄上がる。
松井脳神経外科の夢も見た。そのために朝から体がしんどく、首も緊張している。
今日は余り多く尿が出ない。これが正常か少し手首が太くなっているからまたむくみが入ったのか。 尿600cc 61.2sそれにしても世間は広い様で狭い。
ある人の言った事には、松井脳神経外科にフランク永井は今は居ないとの事である。夜富士商事の専務に電話で殺虫剤(バポナ)のことを言ったら、液卵加工の所に吊しているとの事で。二週間前に十八才の男の子を、GP(使ってない)からそこに回したら体調を壊し、顔が血の気が無くなり元気がなくなり、手足が冷えると言ったので、それは薬のせいだと私が言ったらそう思うと言い原因が判ったと大変喜ぶ。五人居るがその子だけがおかしくなった。全く蠅が寄りつかなくまた死んでしまうとのこと。
今年から冷房をして全く換気をしてないと言い、明日除けるとの事。昨年から使用しているとの事、昨年迄は冷房をしてなかったとのこと。
9/13日、針治療に行くそのためか、今日は昨日の倍の尿が出る。1300cc
今日も熱が37゜6分まで上がる。                61.2s今日は大分手の痺れが取れ食事も昨日よりも多少多く取れる。(一度に多くて普通の茶碗に一膳)副食も少し取ることが出来るようになる。
手足がまた昨日よりもしわができる。少し白目が黄色くなっていたのが治る。
今日東大の本田勝紀医師に当てた手紙を、ワープロで作る。明日出す。
どのような返事が有るか楽しみ。
9/14日、東大に便りを出すために、昨日ワープロを長い時間打つたためか、頭が重くまた首の後ろが緊張して、平たく変形して(腫れているのかも)体調悪く足冷え痛み有り。食欲も無いがそれでも無理すれば体重を維持する程度はとれる様になる後は日々薬か。
ピクピクするのが大分少なくなる。手足の痺れは少しずつ良くなってきた。
今日もやはり熱が有る。37゜4 (午後になり軽い下痢をする最近は治っていた)ソニア(雛)の入雛がある。しかし此の回は雛を見に行く事ができない。
今日も尿の出が良い。               尿1300cc 61.2s9/15日、朝体調が少し良くて、安定剤を一つしか飲まないと十時半頃になりえらくなり、足に痺れも出て、耳鳴りも酷くなり辛い。安定剤を飲み昼前になると落ち着く。
今日もなぜか昨夜から、朝10時半迄に350ccの尿しか出なかったが、その後3時半迄に800cc.もの尿が出てまた手にしわが一段と出来血管が浮き出てきた。
まだまだむくみが有るのか、何時になると取れるのか。4時過に体温37゜6分迄上がる。口で計るも、腋の下も布団の中で計るとやはり同じ。今はやはり熱が出ても以前の様には判らない。二度目のOPの前なら大騒ぎ。
二度目のOPの後も口で37゜8分迄しか上がらなかった。妻は口で計っても36゜5分腹の皮が昨日より少し厚くなる。          尿1600cc 60.9s何時も夜八時頃になると37゜程度まで下がる。9/16日、朝少し体調が良いと、日々今日は少し良くなるかと思うが、10時頃になると体調が悪くなり痺れが出る。こんな日が続くと絶望的になる。
午後になり軽い下痢。朝牛乳を飲むといけない。(神経炎になる前には下痢はしくなっていた。)今の指の感覚は髪の毛の、一本を摘んでも判らない。(神経炎になる前には治っていたのに)本当に子供にはすまないと思う、何時悪化してしまうか判らなく精神力が何時まで続くか松井の院長達に償いをさす迄はと思う、精神力で生きている。
それにしても私に関わりの有る医師は無責任。(こんな事を言ってはいけないのは判っているが)それにしても医師としての使命感は全く無い。      
全国の何処かに力になってくれる医師が居るだろう。   二時熱37゜2分今日昼二時半頃高松の姉、兄、弟嫁、が見舞いにくる。気長にする様にとゆうがなかなか気長くもしていられない。話をして疲れたのか七時頃に37゜4分迄熱が出る。(何時もは此の時間になると熱が下がる。)    尿1200cc 60.8s9/17日、今日は朝から体調が非常に悪く朝飯殆ど取れず、無理して少し食べるが脈拍が85程になりえらいが、首の緊張が強く無理して針治療に行くがとてもしんどくなる。また不思議な事が起きる。昨夜九時から朝九時半迄に尿が300cc程しか出ないのに、針から帰り一時半までに900cc(合計1200cc)一時間に200ccの割に出る。何故にこうなるのか、とてもえらくなる。出るとやはり体中にしわができる。
ぴかぴかに皮膚が光っていたのは水が溜まりそうなっていたのか?            37゜5分   尿1500cc  60.8s9/18日、今日からエレン(脳代謝改善剤)を久しぶりに飲んでみる。
以前は松井にから退院して飲むと、白い鳥等が本物の上に一羽見え止める。
入院中も車の上に車が見え白い鳥も二羽に見えた。飲むのを止めると治る。
一度目の入院の前にはそうゆう事はなかった。今は何もかもが下に見える。
一度目の入院の時の十月になり頭の薬を止めると、頭がはっきりするのと同時に熱が出てそれを風邪引きと思いカプセルの風邪薬を飲み、頭に水が溜まっていたために反対に熱が出たのだった。
十月に一度三日ほど家に帰り熱が有るので、バッハリンを飲むとやはり熱が出た。
昨日より水分摂取少ないが手首太くなる。耳鳴り酷い。薬のせいか昼寝3時間半37゜2分    熱夕方37゜4分  尿750cc   61s 9/19日、今日は体調この頃で一番悪くエレンをのんだのがわるいのか?胸がえらくてとうすることもどうする事も出来ず。耳鳴りも酷い
食欲無く飯の代わりに今日から蜂蜜を飲む。熱37゜4分 尿1600cc 61s9/20日、今日は少し体調良い。しかし食欲はない。神経炎の症状は少しずつ良くなってきている。むくみも殆ど取れた様だ?薬を飲む時に蜂蜜を薄めた物を飲むためか体重が同じ(飯の量が違うのに)入院中も退院後も食欲が無くて体力の無くなった時に飲んでいた。(一日100cc)
富士商事のGPの液卵加工場に吊していた殺虫剤を除けて、一週間程なるので聞くと男の子は体調が良くなったとの事。熱37゜2分尿1300cc61s9/21日、体調昨日より悪い、朝体痺れ有り。首牽引しほぼ取れる。
熱が36.8分越えると大変えらくなり、耳鳴り酷い。
熱37゜3分.尿1300cc.60.8s.9/22日、昨夜は睡眠薬を飲まずに寝る事が出来る。
朝目覚めると、夢を見たためか体がしんどくて、妻にマッサージをしてもらう。
ヒリヒリ体がするので七時前に安定剤を飲む。なぜか何時も十時半頃になると猛烈にえらくなるのがならない。運動も久しぶりに出来る。
安定剤はやはり朝起き抜けに飲み食後と九時半頃にも飲む。
昼も十二時に飲み一時半にも飲む。
飲むと感覚異常が多少良くなる。そして頭も少しはっきりしてくる。
昨日安定剤を夕方四時半に飲む分を、ひかえると夜になり首に物凄い緊張が入り、頭と首の境が判らなくなる程の緊張が入り、頭の付け根で脈を打ち、目は副視が酷く見えなくなり、また計算も出来なくなる。
安定剤を一日に9個入るようだ。あまり神経しつになる必様はないようだ(悪影響の事)今日は朝起きて直ぐに安定剤を飲むと楽になり、何時もより朝食が多く取れ。昼も何時もと違い、十二時に食事前に飲む安定剤の効き目が切れる前に飲んだせいか、久しぶりに今日一日中楽であった。食事も何時もより多く取れた。むくみ取れ尿計量中止         熱37゜1分 61.s9/23日、今日朝七時前に目が覚め体中が痺れていたので、安定剤を飲む二十分程すると痺れがほぼとれる。九時過ぎに酷い下痢をする。十時にもする。
体全体が感覚異常があり、寒く肌じばんを冬物に変えると付着感が有り気持ち悪く、また冷えると少し体中が痛く(胸、背中、足首)が特に酷く辛い。安定剤を今は一日に九錠飲まなくてはいられない。安定剤が切れるとシヨック状態になる。
以前にサンモス殺虫剤でなった時と全く同じであるが、医師は認めない。
首の突起を切り取られていないと、何処の医師に事情を説明して見てもらえるのだがそれが今は出来ない。
斜め上向きに寝る事ができるととても楽なのだが、鼻から下がスカスカになり気分が悪くてそれができない。抹消神経炎は気持ちが悪くてどうする事も自分では出来ず、また医師が対応をしてくれ無い程辛いことはない。
此のところ特に味の感覚がおかしい。牛乳を飲めば辛く感じ、また他の物も酸っぱく感じたりとにかく体全体が感覚が変である。多少は良くなっていたのだが。
松井脳神経外科の事と、子供の喘息が無ければ死んだ方がどれ程楽か。
首は絶対的に良くなるとは思えない。熱37゜2分9/24日、安定剤を飲む量と時期を変えたのが良かったのか、今日は昨日よりも体調が良い。多少の運動も出来るようになる。道貴喘息の治療のため徳島に行く。熱37゜2分9/25日、今日は朝室内で足踏み、エキスバンド、ボート漕ぎ、腕立て伏せなどの運動を一時間程する事が出来るが、やはりまだ体力がなく神経炎も治ってないので、汗が出ないそのために熱がやはり37゜5分出る。午後はしない。
以前になった時も汗が出なかった。38゜近くになると汗が出るが体力を消耗して食事を取れなくなる。まだまだ軽い運動しか出来ない。しかし此の向きで行けば来週には養鶏場を見に行く事ぐらいは出来そう。9/26日、今日も昨日よりも、体調が良く朝九時頃に隣のハウスに行き一時間ほど話す。午後子供の車を購入することで一時間半ほど話を、するがやはり疲れる。
やはり首に負担が掛辛い。それでも確実に良くなっている。熱37゜2分9/27日、昨日車の事で話をして疲れたのか朝から熱が有り。
しかし以前の様には、全く判らない。午前中に一時間ほど体操をする。
今日初めてその場かけ足を十分程する。(ポリネック無しで)多少は体力がついてきたがやはり熱が出る。
37゜を越えると感覚異常が強くなり。そして37゜4分を越えると手足の甲がヒリヒリして、それと同時に背中と横腹の所当たりも酷くヒリヒリと痛い。37゜6分東大の本田勝紀医師に手紙を出して、二週間になるが返事がない。
テレホンカードを同付していたのにおかしい。(電話をできない程暇がなくはない。)テレビの報道で本田医師は医者を神様と思うなと言った事が良く判る。人情、義理、欲得のからんだやはり人間か。しかし人間であれば1000万では少ない。9/28日、今日は昨日台風が来て気疲れしたのと、昨日の運動疲れでしんどい。
養鶏場に今だ見に行く事は出来ないが被害は大した事はないとの事である。朝少し外に出て日に当たったのが良くないのか、午後になり頭も痛くつらい。
もう少しすれば行けるであろう。昼飯のおかずの魚を無理して、食べすぎよけいにしんどくなる。午前中平熱しかし午後になり少し熱が出る。
午後四時頃より体中が痛くなる。(背中が特に)腫瘍を除ける前と同じような痛み。
食事を多く取る様になったので尿も多い。約1800cc 37゜2分9/29日、今日も午前中は体調良く外に出る事が出来るが、午後になり背中がヒリヒリ痛くて、体温を計ると37゜4分程の熱が有る。感覚として熱が有る感じ無し。
ただ朝より昼からの方が背中が寒く感じる。何故一日置きに熱が出るか?
朝安定剤を何時も(二錠)より一錠少なく飲んだためか、首の緊張が強く困る。何度も言うがお腹の中の感じが丸で変わった。他の人はおならが何時出るか判らない方が多いそうだが、私にはまだ全部判り意識して出す。しかし胃に空気が溜まった感じは全く以前の様には判らない。
此のところ尿がすぐに出たくなる。神経炎になる前には治っていたのに。
しかし一番悪い時よりは良い。(残尿感はあまりない。) 体温37゜5分、体重62sこのところ下痢が止まる。(食欲はないが)9/30日、今日は体調悪く、足がヒリヒリして冷え、胸も同じくヒリヒリする。とにかくえらい。体温37゜3分  体重62s10/1日、今日朝し七時前に目覚めると、また頭から足の先までしびれ感が有りとても気分が悪く安定剤を飲む、三十分ほど寝ると痺れ感は取れるが、昨日松井院長宛に妥協の手紙をワープロ似て記したために大変疲れる。
一週間以内にと言っておいた。何と言って来るか。
今日は朝から耳鳴り(頭鳴り)が酷くまた首に緊張が入りとてもえらい。
昨夜は何時もより多く睡眠を取れたが(少なくとも五回は朝迄に目が覚める。)とても今日はだめ。何故熱が出ると手の感覚異常が強くなるのか。
七月の始めまでは感覚異常は全く無く、また親指の痺れもアリナミンを打ち全く無くなっていた。                  熱37゜3分10/2日、今日は食欲なく昼る無理して食べたら、それから後とてもしんどい。道路工事の音と振動が頭に響き9/30日、から体調悪い。熱37゜3分10/8日、この三日程特に工事の音と振動で体調特に悪い。10/12日、今日は朝下痢をして体調悪い。しかし針治療に行く事が出来ずに、昨日とその二日前に来てもらい治療すると首の緊張が大分取れ楽になる。昨夜安定剤のコンスタンを飲み寝ると足も体も久しぶりにほかほかして、気持ち良く寝られる。以前労災病院でもらった物が一個だけ残っていたのを飲んだ。初めて労災に行き神経内科でもらい夜飲み直ぐに感覚異常が取れ体調が良くなった時とよくにている。とにかく藪医者(自信過剰の事)に掛かると大変で有る。
10/16日、※昨日から少し体調が良く、運動をする事が出来た。
少し過ぎたのか今日は、昨日ほど体調が良くない。
昨日は過敏症は全く無く、今日は午後三時過ぎから酷く、胸背中の皮膚が痛くていけない。昨日は体温が36゜9分迄しか上がらなかったが。今日は37゜4分まで上がる、何故37゜を越えると過敏症が強くなるのか。過敏症が強くなると温度感覚が悪くなる。昨年は深部の酷い痛みは有ったが、皮膚はこんなに痛くはなくまた、温度感覚も全く正常であった。今の症状は殺虫剤による末梢神経炎と思うのだが。
針治療に来てもらえる様になり、首の緊張が取れ楽になる。
15日になるが松井脳神経外科から返事なし。
10/20日、今日三ヵ月ぶりに養鶏場に行くことがなんとか出来た。
十六号の産卵率が何時もより5%程悪くて、この三日間程夜に、子供に聞くか余りはっきり言わず私が怒ると少し言ったが、記録が無く確実には判らず(大雛の飼育が悪い)見に行き判る。一番肝心な時に給餌の量が少なく、また成鶏でもやはり、給餌機調整が出来ずに。やはり私が三ヵ月行く事が出来ないと子供には、どんなに説明をしてもどだい無理である事が判った。
此の二三日体調が次第に良くなり何とかかんとか、鳥を見て給餌機を調整して、また鶏糞乾燥機の修理も出来た。しかし足が弱りいけない。頭も長い間熱が出たので変な感じである。首も緊張が入りなおの事大変であった。熱はないようである。
昨日はあった。37゜2分11/1日、この前十日ほど無理して養鶏場に行き寝こむ。とにかく首に緊張が入り熱が出ていけない。正常の者でも年が行くと肩がこるのに、とても大変。気持ちばかりあせっても、どうにもならない。11/14日、少し前に養鶏場に行き、仕事ができるような体調でないが、無理して行き仕事をしたために、この所体調が悪く日記も記してない。
偶然と言うものは怖い。
松井院長夫人宛に出した手紙の、明くる日から、徳島で外科医の学会が三日間開かれている。テレビの画面ちらりと写った時に椅子に座っていたのが院長と思われた。初めて院長夫人宛に手紙を出したから、私が此のことを知り出したと思ったであろう。
どんなに気丈夫であっても、自分所のミス恥じを指摘されれば傷つくであろう。11/15日、昨日十日ぶりに少し体調が良く、雛の事が気にかかり午後二時半過ぎに養鶏場に行き、見るがやはり思ったとうり、出来が悪く私が見てやらないととても養鶏事業を、やって行く事は無理。
私の体調はとても今のところ、毎日見に行く事が出来るような状態ではない。神経炎で37゜5分前後の熱が90日も続き、脊髄も大分悪くなった。つま先に力が掛様に歩くと、ガクガクとなりとても回復してしまうものとは思えない。
少し暑いと感覚異常も強くなり、とても不安。大分熱も下がったが微熱は毎日ある。体重は63s弱に回復したがなぜか手、足、体全体にこじわが出来やはりまだまだ、むくんでいたのだ、背中と胸が一日置きにヒリヒリ痛くなり辛い。手足の症状大分軽くなる。しかし靴下の締まりの良い物を履くと痛くて困る。
また熱が37゜3分前後になると足の温度感覚が悪くなり、コタツに入っていると温い感じと痛い感じが半々ぐらい。今年神経炎になる前は(手術をする前も後もこんな事はなかった。二度目のOPの後一時有ったが。すねから下全体が今のような感じとは違うとにかく酷い神経炎になったものだ)医師は何故調べようとしないのか?。酷い不信感を持つ。医師は皆とは言いはしないが自分を患者より偉いと思っているのか。
11/17日、今日は昨日尿が多く出て、(1600cc)体重手首が細くなり手にしわが出来、皮が剥けてきた。食事の量はだんだん多くなってきた。此のところむくみは、もうとっくに取れたと思っていたが、やはりまだむくんでいたのだ。体調も少しずつ此のところ良くなりだした。しかし十分程ワープローを打つたり、帳面を付けると首に緊張が入り頭が変になる。耳鳴りが此のところ特に酷い。
11/20日、今日二三日前より体調が良くなり、書類の整理などをすることができるようになる。昨夜今日は運動したので感覚異常が強く、痺れ感もある。
しかし体調が良いからと言い。運動など汗が少し出るほどしたり。また風呂にも温まる程に入るとか、(今は汗が出るほど長くは入らない。ひどく疲れる)寝て布団で暑く感じるほどになると明くる日に必ず感覚異常が強くなり痺れ感もある。7月に体調をくずす迄は汗が出ても、感覚異常とか痺れ感んはでなかった。
S63/7月頃に体温が上がると(風呂には入っても)痺れていたが、風呂に入ったりしても感覚異常が強くはならなかった。 (今の感覚異常とは違う)
12/6日、二日ほど前に、一、二時間二日程夕方に養鶏場に行き熱が出て、とても大変。とにかくあせってもどうにもならない。神経炎が治らないと、どうすることもできない。この二ヵ月余り針治療も向こうから来てもらっている。一週間に3.4度程とても助かる。12/10日、生命保険会社と全て話がつく。十か月ぶりに私の勝ち。
12/12日、二日前に高松の共同経営センターの津田さんが来たので、九月に共同経営センターの所長に臼井弁護士に裁判の事を聞いてほしいと言っていたので、聞くと小切手は、預かりのかたとしていたが返したと言ったと。ほんとなら子供だましもはなはだしい。そのために、確認の電話を高松合同法律事務所にしたら、此方から調べ返事をするとの事。いくら考えても不思議な話し。此のところ体調が少しずつ良くなる。
12/14日、昼に大杉医院から、事務の者だがと言い妻に電話があり、診断書の事で相談が有るから、何時でも良いから来てほしいと、妻に言ったが断わる。
内容は知っているのかと聞いたので、妻は知っていますと答ええる。その時私にかわるかと言ったら、そのひつようはないと言ったが。
私が出ると『その後いかがですか』と言いバカにしている。(あの声は大杉院長の妻の声)そして私がこんな所を切られて、良いはずがないではないかと言い怒鳴り、赤丸印の所にどのよう書いたら良いかと、聞くのでに好きに書けと言い。
出るところに出てカルテを押さえたら、本当の事がわかると言ったら。
それはそうですねと言い怒る。私の考えだが、弁護士も一枚かんでいるものと思う。
11月松井脳神経外科の妻にに出した手紙の返事がないから、不思議であった。
12/18日、今日も高松合同からも、返事がない。
大杉医院からも同じ。(おそらく松井脳神経外科の院長もこのことに関わりがあると思われる。)収支の事を全てワープローに打ち込む。
今日は首に緊張が入り辛い。何時がきたら頭が重いのが治るか。12/19日、大杉医院から返送されるも、白紙。ワープロー文に日付け印が無い。12/21日、昨日大杉医院とやりとりして疲れ。
今日は体調悪し、熱もあり、下痢もする。午後になり背中、足がヒリヒリ痛くて困る。体温37゜4少し暑くても汗が出ない。今年体調をくずしてから(神経炎)余りにも人を馬鹿にした言いかたを、事務の女にさす。(全て録音向こうにも言った)なぜ腫瘍の確認年月日を書けないか。紹介状とフイルムを持ち、行ったのに全く理解できない。12/22日、今日も少し下痢をする。
そのために下痢止めの。アピアンを半量(2錠)恐る恐る飲んでみるが体が痛くはならない。大杉医院に入院していた時に、飲むとものすごく痛くなった。
今年の夏も下痢が続いた時に、飲むとえらくなり、また体が痛くなり飲めなかった。
しかし今日は感じない。大分神経が回復したのか、またハルシオンを飲むと歯が痛くなり息苦しくなるのも治った。大杉医院にはがきを出す。(様も、殿も、先生も、一切形容詞は、付けずに私の怒りの心の赤色で打つ。12/21日付け、印鑑を押しておいた)
12/23日、今日は昨日年賀状をワープローにて作ったのがこたえた。37゜3
しんどくて、少し熱もありそう。とにかく、一日少し体調が良かったら、必ず翌日は悪い。12/24日、今日も体調悪い。
大杉医院と、電話でやり取りしてから、首に緊張が入りそれが取れない。
針治療を受けてもあれから緊張が取れない。朝から少し体がヒリヒリしていたのが、夕方四時頃になり猛烈な痛みに襲われる。今はじっと我慢の子である。37゜4
12/27、大杉医院とやり取りしてから、体調がひどく悪い。
今日松井脳神経外科の院長宛に妥協の手紙を出す。
大杉医院に出した葉書も入れて出す。これが本当の最後通告、とにかく体を治さないといけない。妥協はしがたいが、相手の子供の事を思うと。…………
大杉医院のあの馬鹿があれ程の悪とは思わなかった。松井脳神経外科にどう出るか。
体が第一である。大杉医院とやり取りしてから、熱が37゜3〜5ある。今日大杉医院とのテープを聞くが、支離滅裂あの馬鹿院長。夜になり松井脳神経外科に出した手紙を、確認すると、またまちがいがあった。
十分以上ワープロを打つと、首に緊張が入り目も、頭も変になりどうする事もできない。12/28、今日はこの頃では一番体調が悪い。日に日に悪くなる。
睡眠薬のせいかもしれない。とにかくしんどくていけない。
松井脳神経外科が話に出るか、出ないか、判らないが話に乗らねば、松井脳神経外科は自滅になる。息苦しく食欲全く無く、夜お腹に触ると胃が固くなっていた。
この所いくら針治療を受けても、首の緊張が取れず不思議であった。
鼻から下がカスカスになり、また胸もスカスカになり大変えらくていけない。神経炎の症状も大分取れ、睡眠薬のせいであれば良くなるであろう。
12/30日、昨夜猫の黒を殺す。
夏頃から体調を壊し、抗生物質などで治療するが次第に悪くなり、
もうこれ以上治療してもだめと思い。昨日は治療をやめる。今日は猫が私の顔を見て、哀れそうに泣き、今までは鳴かなかったのに、昨夜薬を飲まさなかったので、えらいのだろう。今日は水も飲まずほとんど、歩くこともできず、口から血を出し苦しむのを、見るのに耐えられず楽にする事を思い。
睡眠薬を注射器で飲ませ、眠らし妻に首をしめさせ、殺すあまり苦しまなかったように思うが………あまりにも辛く涙が止まらなかった。
三年前にも兄弟の猫が、(妻に聞き分かる)同じようになり死ぬおそらく癌であろう。
いつの間にか牙も一本抜け、その頃から体調を壊し、血が少しそこから出て止まらず。
黒にはすまぬと思うが、それでも死ねるだけよい。(私は死にたくても………)
私は何度死のうと思ったか、それても今はどうしても死ねない。
生き地獄とはこのことである。体温37゜4
大杉は絶対に許さない。松井脳神経外科も今年中に、人間味のある回答をしないと絶対に許さない。
12/31日、今日高松合同法律事務所に手紙をワープローにて作成。
疲れる。夕方少し熱が出る。37゜2来年こそ私の体が、良くなりますように。
1992/1/1日、今日久しぶりに近くの神社に朝初もうでに行く。
今年こそ良い年でありますように。
九時過ぎに帰るとお腹が痛くなり、ひどい下痢をする。
やがて体が少し痛くなり。昼頃から猛烈に痛くてひどく辛い。
神社に参り、今年こそ体が良くなりますようにと、手を合わしたのに。
やはり熱が後になり37゜4分程出る。、なぜ37゜4分を越える熱が出る時に。痛くなるのか。年始からこれでは今年も先が思いやられる。
昨日高松合同法律に、ワープローを打つたのがこたえた。今年は松井脳神経外科、大杉脳神経外科償いをさす。1/2日、高松合同法律事務所の所長宛に手紙を出す。
電話も無く返送されるようだと大変な事である。おそらく変な事を言ってくると思う。高松合同法律事務所と、松井脳神経外科とができていたと言った事になる。1/6、この所首に緊張が入り針を打つもあまり効かない。この所低周波の音が聞こえまた耳鳴りが酷い。とにかく体調が悪い。熱もあり下痢もする。1/9、今日高松合同法律事務所の、臼井弁護士から全て返送される。思ったとうり変な事を言っている。全く子供だましの返答。所長の返事は全く無い。1/10、首の緊張の原因が分かる。睡眠薬のハルシオンで首に緊張が入りまた。
耳鳴り、他人に聞こえない低周波の音が聞こえていたことが判る。
薬であれば、次第に良くなるであろう。1/14、今日は12/5日以来養鶏場に午後の三時過ぎにタクシーで行く事が出来る。やはり、私が養鶏場に行かないととても、養鶏はやっていくことが出来ないのが判る。
換気不良になり、多少トサカの色も悪く糞にも青い色が付き。
私にはすぐに判るのになぜ判らないか。簡単な計算であるが。一昨年は私が養鶏場を見れないがために1100万所得が少なく。また去年も。1300万以上少ない。今年はどうなるやら
1/17、今日妻が、法務局に印鑑証明を貰いに行き。松井脳神経外科の訴訟のことをが相談するとやはり弁護士がおかしいと、言った感じを受けた松井脳神経外科に分からないように。早く弁護士に相談し時効の停止をするようにとのこと。(内容証明を送る。私は知っていた確認ができた。)(私が不審に思うことを別紙に)1/18、今日家の新築の話がまとまる。少しずつ人と話をしても疲れなくなってきた。1/19、昨夜思い出したのだが。弁護士に完全にしてやられた。深田病院で今の大杉脳神経外科の医師に誤診を受けたのが、去年の9月に時効になっている。1/20、昨日体がヒリヒリ痛く。夕方熱を計ると37゜2分ほど有った。
やはりまだ熱出ると痛くなるようだ。
去年体調を崩してから、汗が出ない。そのために熱い風呂にも入れず困る。
少し熱いと感覚異常が出て。大変疲れる。
首を悪いことをせられないと、どこの医師にも掛かれるのだが。タクシーにも長く乗れず大変辛い。去年の事。橋本病院の松原医長から、電話が掛かった時に。殺虫剤の事を言ったら貴方のはちがうと言ったので。私が血液検査(コリエステラーアゼの数字の低下)をしたら分かると言ったら返事をしなかった。ある人が夏が来たら、橋本病院では年寄りが多く死ぬと言った事が分かった。全ての病室にも吊しているとのこと。医長が進めたのか(呼吸器の指定病院。喘息)自分を名医と思う医師ほど藪医者で有る。香川医大から三年も四年も、同じ病院に置かれるようではだめ。医師はなかなか自分の過失を認めない。
1/20日、今日高松市の法律事務所に妻が行く。(県弁護士協会から紹介を受け)
今度はうまく行くのか?。妻に聞くと早く時効停止をすると言い。医療に関係の無いことをしていると、大変な事になると言い。レントゲンフイルムを見て決めるとのこと。しかし今度の弁護士もMIRの事はやはり知らないとのこと。不安夜私が荻原弁護士に電話をすると。先生は専門家が見ると判るのかと言ったので、目印で突起を切ってのけたところは判るが。腫瘍をのける為の手術で除けたところは判らないと言ったらそうとかと。専門の医師が見てコピーの必要が有ればすると言い。タクシーにたのむら費用はいくらかと聞くと要れば後から請求をするからとの事。
1/21日、今日NHK放送で、弁護士のことを言っていた。一年で二十人程か悪いことをして、資格停止になっているそうである。
フイルムをタクシーに持って行ってもらった。体がこの二三日とてもしんどくていけない。1/25日、この所特に体が朝しんどくていけない。卵も今年は私の予想どうり安い。(しかし思ったよりも20円程今のところ)三月には上がると思うのだが。餌付け羽数が多くなったのは確かだが。私は台風の影響で今の卵価になっていると思うのだが。
卵が安いだけなら私はどうも無い。しかし体がなかなか良くならない。
とにかく養鶏場に行くことが出来さえすればの一言につきる。
少し長く起きていると疲れるし。寝ると首の力がなくなり、今度起きると緊張が入りどうすることも出来ない。地獄の一言につきる。橋本の馬鹿医者患者のことを聞こうとはしない。子供たちに任せたら雛の育成を失敗する。とにかく養鶏場に行きたい。健康であればの一言につきる。親の責任を果たせたら私は今のような体であれば死ぬ。
子供のことを思うと涙涙である。今もワープローを打ちながら目が涙で霞む。松井脳神経外科私のオペに関わった医師を私は許さない。(何の様な事があろうとも)
後十年どんなに地獄の世界でも、何としても生きなくてはならない。障害者がテレビに写っても。筋力が有り私のように首を支えられない人はいない。
1/27日、今日高松の経営センターの副所長さんがきた。経理のことで色々教えてもらう。帰る前になり、高松合同法律の臼井弁護士からよく電話がかかると言い。
今度の弁護士はどんなだと言ったり。色々聞くそうだ全く不思議。
(私のほうから依頼を取り下げたのになぜ心配するのか。なぜであろう。 )
1月28日、悪魔への便りに(はがき)嘘を書いて出した。
1月31日、今日妻が夕方橋本病院に行くと。松原医師がフイルムを返してほしいと言ったそうだ。松井脳神経外科から圧力が掛かったのか?あのはがきが効いたと思う。
6カ月で唯の一度馬鹿なことを言って、電話があったきり妻が薬を貰いに行っても一度か二度少し、私のことを聞いただけである。それにしても医師はやはり自分を神様と思っているのか。病院にガスが出て蠅が死ぬほどの殺虫剤を吊すとは馬鹿を通り越し気違いである。風とうしの悪い所に使っては、いけないと使用書に書いてあるのに。
一度目の入院の時に見舞いに来た人が。橋本病院では夏になると年寄りがよく死ぬと言っていた。松原医師はずうと前から使い。病室にまで吊していると妻に言った馬鹿医者。荻原弁護士にフイルムを返してほしいと言っていると言ったら。コピーができたからよいと言い。20600円だとの事。松井脳神経外科から圧力が、松原医師に掛かったと思うと言ったら。松井脳神経外科に説明をしてもらうと言ったが。私か松井脳神経外科には説明はしてくれないと思うと、言ったら弁護士は説明をしてくれないと仕方がないがと。
2月1日、この所体調が少し良くなってたが。なるべく起きるようにしていたのが、さわったのかこのに三日、以前と同じように、胸と背中がヒリヒリ痛く熱を計るとやはり少し有る。朝目覚めると体中が少し痺れ気分が悪い。37゜2
今日49歳になった。松井脳神経外科で一度目の手術をしてから二年半になる。
子供のことを思うと気が狂いそうになる。首をなんとか出来るものなら何としても治したい。
2月3日、昨夜体調が少し良く。風呂に入り暖まったのがやはり悪く。(ふだんはあたたまずに出る。)今日朝目覚めると手足の痺れが出て気分が悪い。やはり無理して起きたのがこたえたのか、しんどくていけない。少し良くなっていたのにまた元に戻った。
生きるのがしんどい。自分の責任であれば………………フイルムを戻す。
2月4日、今日高松の実家に電話をすると。母親が危篤とのことしかし、私は今の体調では行くことができない。親の死に目にも会えず余りにも惨めではないか。
養鶏場に電話をしてすぐに。私の代わりに妻と子供に行かす。
顔の状態を聞くと、目の付近にチアノーゼが出ているので長くて三日、四日で有ろう。
松井脳神経外科の馬鹿が。首をとの一言に尽きる。
死んでも葬儀にも行くことが出来ない。恨んでも恨み切れない。
妻が訳を言い。今日から他の医者に掛かる。
2月9日、今日母逝く(午前一時十七分。)
危篤と電話が有るが私は行けない。どれ程の辛さか。母には悪いが私の体の悪い所を持っていってもらいたい。
松井脳神経外科の医師。大杉脳神経外科の医師たちを、生涯恨む。
妻に聞くと最後に母と私が会ったのは。三年前の明日、上の子が運転免許センターに行ったのを。私が徳島の薩摩医院の帰りに時間があり会ったのが最後であった。(私には時間の経過が判らない。)
2月12日、今日は朝から体調悪く多少過敏症が強く辛い。
午後四時前に養鶏場に電話をして鳥の飼育の仕方を伝えていた時に。
松井脳神経外科の使いの者が二人が青い顔をして来る。一人は昨年の四月に来た者だそうである。前に来た者は電話には出ようとはしなかったそうである。電話で話をするが、あんな物を送られると迷惑で、(そのために送っているのに当たり前)此方にも考えがあると言い脅迫めいた話し方で腫瘍を全部除けたのに何が不足かと言ったので、私が癌であったら何も言わないと言い。腫瘍は除けても首の突起を何故除けたと言い怒るり。
私が院長と話そうと思い。何度電話しても言い訳をして電話に出ないと言ったら。
使いの者が院長はいそがしいからとと言ったので。
私が馬鹿言うな、始めの入院の時はゴルフにばかり行っていて。今は(私が入院中は)午後になると事務室に毎日は入っているではないかと言ったら返事をしない。
昨年の暮れの12/19日に明日電話を昼に掛けるからと、事務の森さんに言っておいたのにやはり出かけていると言い出なかったと言い。私が入院の時には院長も、院長婦人も飯の時間になると、四階に自分で食事を持って行っていたのにと、言ったらやはり返事をしない。うそばかり言うなと怒るとぼそぼそものを言う。
すこし電話で話したら、何処の弁護士に話を持って行っているのかと聞き。
私が教えられないと言い、握力が四五十キロも有るのになぜ頭が支え切れないと言い。何故入院中に浜野医師に、許可を取り労災に行きレントゲンを撮ると言ったら放り出されたのかと言い。首の突起を切っているのが判るのが困るからだろうと言ったところ返事をしない。手術の後に院長が心配してICUに来たのかと思ったら、学会で発表するために来たのだと言ったら。そんな事はないと言ったので。松井脳神経外科の村上の医師が私にはっきり言ったと言ったらまた返事をしない。お前は知らないからそんな事が言えるのだと言い私が怒ると返事をしない。MRIでは私が生まれて三ヵ月の時の首の手術の中の傷あとががはっきり判るから。(松井脳神経外科のMRIの技師が言った。)
悪いことをしてないのなら。MRIで今度の首の手術のところを、輪切りに撮ったら何の様な手術をしたか判ると一言い怒ると返事をしない。
今度は刑事事件としてやるといっていると言ったら急に弱気になり。また鳥舎はすべて自分で建てたと言い。一億六千万掛、昨年と一昨年とで三千万以上儲けが違うと言ったら、(事実二年で三千三百万程違う)ひどく弱気になり。内の子供に家まで連れてきてもらえと言っても、来ると言わず今は体調が非常に悪く、眠れなくても睡眠薬も飲めず飲むと首に緊張が入りどうすることもできず、また痛いからといって痛み止めを飲むとお腹が固くなり、薬は殆ど飲めず地獄だと言い死ぬより辛いと言い。
手術の後上に向き息ができなかったのは、首の突起を切っていたからだと言い。今も上に向き寝られないと怒る。死んだら六七千万の生命保険が入るから、死んでも構わんから家にこいと言ったら弱気になり。何を書けばよいのかと言い。
私が銭がないから、そちらから何故名誉棄損で提訴せぬかと言い、そうしてくれると金が掛からず助かると言ったが。そうするとは言わず。
私がいろいろ言ったら次第に弱気になる。お前もほうり込んでやると言いい、くら名前を聞いても言わず。ワープローの文を見てないからそんな事を言えるのだと言い見せてやるるから。家にくるように言っても来ると言わず殆どものを言わず馬鹿。
ワープローでお前のところで起きたことを、全てを記し阪大にも送ると言ったら。
ワープローは打てるのかと言ったので。十分が限界だが必ず打つと言ったらまた物を言わない。(前に記したのは多少記憶違いがあり。十年ほど記憶が無くなっていたので。)松井脳神経外科の院長。国立の西庄。大杉。浜野。大阪北野病院の医師。を連れてこいと言ったら弱気になり。高井整形も診察を受けると薬をくれると言ったので。H2年8月8日に診察を受け20日頃に薬を貰いに妻が行ったら、馬鹿医者が本人が来れないのなら。松井脳神経外科に行けと言った。高井整形も言わしてやると言い噛みつく。
松井脳神経外科に行けるようになると必ず行き、院長に説明をしてもらうと行って怒る。悪いことをしてないのなら、フイルムを松井脳神経外科に今も来ている。中川医師に見せろと言ったら。中川医師の事は一切言わずまた。(松井脳神経外科の院長が日本一の整形の医師と言っていた。姫路から来ているとのことアルバイトで。12/19日に松井脳神経外科の事務の森さんに確認。録音済み)損害は保証してもらい。私の狙いは松井脳神経外科をつぶす事だと言ったら。使いの者は趣旨が判ったから院長に伝えておくと言い電話を切る。(話し出して直ぐに弁護士の名前を聞く不思議。)
夜妻に聞くと青い顔をしていたそうだ。一人は昨年の四月に来た者だったとのこと松井。その者は電話には出ようとはしなかったそうだ。体調悪く寝ていたのに熱が上がる。
2/13日、直ぐにまた赤文字で葉書を出す。体調ひどく悪い。
2/15日、松井脳神経外科の馬鹿と話をして、熱が上がりこの三日ほど、体十がヒリヒリしていたのが治る。
2/16日、昨日体調よく少し長く起きると今日は、体調大変悪い。
昨夜足が痛くて寝られなかった。(ふくらはぎから下。)
2/24日、この所体調は少しずつ良くなるが、少し無理をすると首に緊張が入り非常に疲れ、すぐに熱が出る大した熱ではないが。汗が出ないために直ぐに体温が上がる。
するとふくらはぎかしたが痛くなり、コタツ敷毛布などので暖めると、暖かいのはあまり感じなく痛くて。そして手の感覚異常が強くなり辛い。
今日高松の荻原法律事務所に、電話をするが1/31日、には松井脳神経外科に説明をしてもらうと言っていたのに。明後日に知り合いの医師にフイルムを見てもらい受理するか決めるとのこと。1/31日に電話をしたときは、医師が見たような言い方だったのに。全く不審。突起らしきものを切っているがと言い、何処に腫瘍があったのと聞き、なぜ切ったのかと言ったので。私が誤診で死にそうになり精神状態がおかしくなったからだろうと言ったら。弁護士は貴方がかと言ったので何で私がなるのかと言ったら。手紙は日曜日に見たと言い。あんな葉書を出すと脅迫になると言い。弁護士の言った事の方が余程脅迫になる。(医師とか弁護士は一般の人間を丸々無知と思い。人間と思ってないのか。)
私は自分で損害を弁償してくれとか。言ったら脅迫になると思い弁護士に公にして頂き。第三者に正当に判断をしてもらおうとして居るのに。弁護士がこんな事を言うとは全く変な話。刑事事件になると言って居ながら、何故か聞かず全く不審。行きさつのワープローの文書はいらないとの事。弁護士の方から受任するかしないかから便をするとのこと。
共同経営センターの津田さんが明後日くる変な感じ。
2/26日、経理で三時間かかり疲れる。弁護士の事は一切言わず。私がじわじわといじめると言った。
2/27日、今日夜中に暑く汗が去年の体調をくずしてから、初めて少し出る。
この調子であれば元気が出てくると思う。しかし足は痛い。昼に電話で雛の事を聞き呼び返し記録を見て怒る。養鶏場に行くやはり行くと目に付き仕事がある。やはり私がいないと無理。
2/28日、今日から悪魔えの葉書をだす。見破られたと思うだろう、松井脳神経外科。大杉医院は困るだろう。この文も絶対に脅迫にはならない。事実を言っているのだから。松井脳神経外科の院長。大杉医院の院長はノイローゼになるであろう。
私は余計にファーイトが湧いた。
2/29日、昨日から今日ワープローで複式簿記を付け終わる。目が二重に見え大変。大分間違っていた。(目が見えなくなり考えることが出来なくなるために)大分体調が良くなった。今日初めて祇園山の(八幡)山に登る。ぶらぶら歩いたり休み約一時間程かかり、ポリネックを持って行ってなかったので。頭が重く何度も途中でしゃがみ手で支えて休憩を取る。しかしやはり重くて頭が変になり目が二重に見えるようになる。
3/3日、今日再び悪魔えの便りの葉書を出す。体調悪い。
3/4日、今日養鶏場にタクシーで九時過ぎに行く。しんどいがユンボーに乗る。
首の突起を切られてないと何でもできるのに。一定方向に向かないと首の緊張がちがう。しかし目が変になる(二重)。手術の前は振動すると背中が痛くて困ったが今は全くならない。もう少しすると、限定てきでは、あるが仕事ができると思う。やはり両の手がしびれる。手術の前とは全くちがう。昼家に帰り酷く疲れ、首に緊張も入り腫れる。神経炎の症状は少しは良くなっているがまだまだひどい。葉書は昨日着いたはず松井脳神経外科。大杉医院。怒って来れば良いのに。弁護士も医師にフイルムを見せてから(3/26日見せると言った)七日以上経つのに何も言わない。
3/5日、今日はとてもしんどいが、鶏糞の袋詰めのために。養鶏場にタクシーで行く。ショベルとリフトーに乗る。少ししか乗らないのに大変疲れる。首も緊張と腫れが酷くなり夕方湿布を張る。それでも去年の初めに行ったときのように、顔は血の気が無くなることはない。医者に毎日アリナミンと肝臓の注射に行き。神経炎が少しずつ日に日に少しは良くなってきている。それにしても医師により大変人柄がちがい。責任感のちがいが酷い。3/6日、今日弁護士お荻原当一より5日ずけで。フイルムが速達書留内容証明により返送された。内容はさすがに法に触れないようにうまい。3/3日に松井脳神経外科、大杉医院にまた悪魔えの便りを出したのが効いたのだろう。あくまで私の考えではあるが。少しでも返事を引き延ばすつもりであったが、松井脳神経外科、大杉医院に出した葉書によりあわてたのだろう。そうでなければ配達証明便を使わなくて良い。何の様な事があっても松井脳神経外科等に償いをさすまでは絶対に私はあきらめない。今日も養鶏場にタクシーで行き。私は少しは仕事が出来るようになった無理は出来ない。じわじわいじめるのも良いものだ。
H/4/4/14日、今日給餌機の調整をしていて、手が外れもう少しで横倒しに、頭から落ちるところであった。とっさにレールに掴まり落ちる事はなかったが。
首に衝撃が入りまた首が腫れる。手術の前には此の程度のシヨックでは何ともない。
昼過ぎになり左側の横腹、左手の過敏症が強くなり、左足も多少手術の前のような感じになる。
いまだに首が頭を支え切れず。夕方になると頭が耐え難く重くて疲れ熱が少し出る。
それでも神経炎の方は少しずつ良くなってきた。
食欲も此のところ大分出て。何とか養鶏場に行くことが出来る。
毎日タクシーで養鶏場に1200円程いる。
午後針治療に行く先週は何とか一度で良かったが。
(今までは週に三度此方から行くと、一回三千三百円来てもらうと四千円大変な負担である。しかしそれよりも首に緊張が入ると耐え難きえらさになる。何故にえらいからと言い寝ると余計に首が緊張が強くなるのか。治療と関係のない目印として突起等を切り取ったために無理に引張接合しているためになるのかもしれない。MRIで検査をすれば分かる)今日大西医院の先生が親切に早く何とかして。医大に行き首の筋をつないでもらうように言ってくれる。先生は臓器ではないから、多分修復出来るのと違うかと言い心配してくれた。薬は橋本病院で貰ってほしいと言う。(橋本病院に気を使い)妻が橋本病院で私(私は行かない頭にきている)の薬を貰い。松原医長に話をして、デパスの事を言い相談すると一日十個程度で有れば、一度に飲まなければ、害はないと言い保険で出せるからと言いくれる。少しは良くなったかと聞き愛想が良かったそうだ。
今までは橋本病院の、殺虫剤による神経炎で体調を悪ししてからも始めの一二ヵ月で二三度聞いたが。その後去年の八月から、今まで全く聞かずにいて。(おそらく私が大西医院で、アリナミンと肝臓の薬の注射をを受け体調が少し良くなった事を知っているのだろう。五時過に私が大西医院に通院をしているその頃に。
前を通りマンションに帰っているので。私が首にポリネックを付けているので一目見れば分かるために知っているのだろう。それにしても自分が不利な時は全く患者の事を聞かず全く不信感をもつ…………)
4/16日、朝耐え難きえらさに襲われる。朝起きて耳鳴りが酷いときになる何故か。
(またこんな状態になると死んだほうがよほど楽くに思え泣く。他人が見ればほとんど分からない。入院のの時にも医師さえ理解をしてくれなかった。入院の時の日記に首を悪いことを、せられているのを知らずに医師にも分からない変な病気になったものだと書いてある。始めの入院の時から最後の退院の後のことを思うによく死なずにすんだと思う。)養鶏場に行くのを止めようと思い寝るが。寝ると余計に首に緊張が強くなる。起きれる限りは養鶏場に行く。今は養鶏の経営を立て直すのに精一杯。(雛の仕上がりが悪く)
行き無理して動くと少しは楽になりしかし夕方になるとまた。朝ほどではないがえらくなる。それでも感覚異常は確実に良くなって来ている。(4/17に記録)
4/17日、今日大同生命の外交の久葉から書留にて。目減り部は全て私が支払うと言い掛け捨て保険も4/16で解約の処理を完了と返事がある。何故に元金保証形の物を世話しなかったか気の毒に。言葉も言い様で角が立つ。(やりとりのテープ有り)
おそらく大同生命のように出来の悪い保険会社からは返事はないだろう。今日は機械の修理が多く夕方になると頭が重くとにかく大変に疲れる。それでも昨日よりは楽。(健康で有れば大した事ではないが。)松井脳神経外科の院長を恨む。
4/18日、今日も機械の修理調整が多く首に負担が掛り、首の後ろが変形したので計ると40.五センチ程有った。三日前には38.5センチであった。
首が腫れたり緊張したりすると、必ずカラカラと聞こえる耳鳴りがして熱が出る。
一日多少良いと明くる日は体調が酷く悪くなる。何時になると良くなるのやら。
4/19日、体調悪くて寝ていたが寝ていると余計に悪くなり。
十時頃に養鶏場に行く。そして機械の修理をして三時頃に帰る。
体調が少し良くなる。ワープローを打つ。このところ少し読み返しが出来るようになる。4/20日、今日は頭の付け根の首の所が痛く、酷く体調が悪いが寝ていると余計に首に緊張が強くなり辛く養鶏場に行く。頭が重くどうすることもできない。(21日に記録)4/24日、此のところ一日少し良いと明くる日には、必ず体調が悪く熱も少し出るようである。(計ってはない)熱が出ると感覚異常が強くなり、また背中と胸が特にヒリヒリ痛く特に辛い。今だにポリネックを短時間しか外せない。無理に外すと首に緊張がまだ酷くなり酷い苦しみに見舞われる。今に医大に行く事もできず絶望感に襲われる。
松井脳神経外科の医師達に仕返しをする気力が無いと死ぬ。何としても仕返しをする。
去年病院の殺虫剤で体調を壊さないと医大に今頃は行っていたのに。
首の筋もつなぐ事が出来るか相談できたのに。
今の医師は今の私の体では、仕事は出来ないと言うがどうしてもしないと養鶏場をやれない。(医師には分かるが。他人が見たら全く分からないが。子供にも判らないと……)
今日ある人が、やはり橋本病院は駄目だとその人も始めは良いと言っていたのだが。
(頭が痛くて通院していて目が見えなくなり入院したが。対応が悪く国立に変わったが目が殆ど見えなくなった。今となっては原因がはっきり分からず手遅れとのこと。病気の進行は止まったが回復の見込みは殆ど無い)
4/26日、日曜日、今日も朝から熱がありしんどくて、養鶏場に行きたくないが今の借家に居ると頭を押さえられるような嫌な感じがして。『今の家を借るときも嫌な感じがしてとにかく。え体の知れない者が居るような感じがした。この家を貸そうとしても借り手はなく何年も空き家であったそうである。しかし私には一度に二方向から話が有り直ぐに出来た。後で聞くと元の持ち主は商売をしていて、酷い悪で皆を詐欺に掛け家を差し押さえられ。その後間もなく癌で死んだそうである。』無理して養鶏場に行くとやはり機械が故障して子供が修理を出来なく困っていた。昼に家に皆帰り夕方しんどいがやはり何かしらん養鶏場に行かないとと、いった感じに襲われ行くとやはりまた私に用事があった。
(昔から私には不思議な出来事が多い。今の養鶏場の用地も他の人に売ろうとしたが売れなくて。私とは直ぐに話が出来た。そのために思ったよりも安く買えた。しかし土をいらうと事故が起きたりいろんな事が起きお払いをすると起きなくなった。事実で有るが他人は信用しないかもしれないが。松井脳神経外科での事も普通では考えられない)6月の末になると養鶏場のすぐ近くに家ができる。後二ヵ月の辛抱である。
私が養鶏場の管理、指示が出来れば絶対に他の養鶏家には負けない。
4/27日、今日香川県共同経営センターの副所長の津田計理士と経理を三時間して頭が変になり辛いが。午後二時半頃に養鶏場に行く。
また計理士が帰る時に。今度の弁護士はどんなだと聞いたので。荻原弁護士との、いきさつを言いまたやられたと言いつたら。『連合(共同経営センターと高松合同法律事務所は『共産党』同じ系列で。顧問弁護士で所長どうしは久しいとのこと。)でないと駄目なのかなと。』なぜ聞くのか不思議。(先月に来ると言いながら来ず。来月は来なくても良いと言ったのに計理士は来ると言い何か気にかかる。)
今度は医療過誤の原告の会に入ったから必ずやると言い。松井脳神経外科の院長は、定かではないが人の言う事に酒の飲みすぎで、手に震いがきてしまったそうだと。
副所長はあまり深くは考えてない感じ。
今日医療過誤の原告の会の関西地位区に手紙を出す。
4/28日、昨日計理士と経理を三時間程したために。今日は首の緊張が強く(頭と首の境が判らないほどになる。)酷くえらい。熱があり耳鳴りが酷く辛いが。朝無理して養鶏場に行き少し仕事をするが物が二重に見え。熱が出ると筋力が落ち頭が重くてとにかく地獄。毎日タクシーで養鶏場に行くのが大変な苦痛。他人には全く理解できないと思う。針治療に行き少し楽になる。
4/29日、やはり針治療をすると明くる日は楽である。しかしせいぜい二日。
5/1日、今日初めて下向きに機械の修理をするのに。ポりネックを外し非常にえらいが二時間ほどできた。近い内に何とか医大に行く事が出来るかも。
夕方針治療に行き。先生か何時もとは違う首の緊張の仕方だと言う。何時もより強めの針を打つ。一週間で一度で良くなると体か楽になるのだが。
5/2日、今の医師はレパツ(安定剤)を飲む数(10個。通常は三個中毒になり体も弱ると。)を減らすように言うが。私は今はとてもだめだと言った。握力を計ると。左は40s右は43s医師は強いなという。手にもう少し合わすともっと力が強く出るとをもう。(始めは手に合わず25s)今日もポリりネックを外しやはり一時間ほど仕事ができた。今日から午後は三時間ほど休養を取り何とか体を良くして医大に行く事を考える。
何としても手術で治してもらう。
少し本を読む事ができるようになり。養鶏の実態を見るととても水準が上がったと言っているが。私のところに比べるとやはり遥かに及ばない。だのに何故経営が成り立つのか。。飼料メーカも私の所はレベルが全く違うと言うのだが。私の体が治ると絶対的な自信は有るが。子供も私の言うことを聞き少しは腕が上がったが間だとてもだめ。
世間は四年続きの低卵価で。一年程度の好転では、やはり全く体力を回復してないと飼料会社。卵屋。その他の人も言い。また農業新聞に書いてあった。
5/4日、今日は昨日体調が多少良く無理をしたのが悪く。
(昼に帰るつもりが。鳥を見ると少し病気が出て。昼飯も遅くなり昼休みを殆ど取れず、また給餌機の調整があり夜七時半に帰る。それでも何時もよりは体調が良く。)
やはり今日はひどく辛いが養鶏場に朝7半に行く何とか十時までは持ったがやはりだめ。暑くても汗がほとんど出ず。そのために熱が出て直ぐに疲れ神経も悪くなる。
体調が多少良い日は将来のこと(養鶏場)を思うが。明くる日になると少しの事をしてもひどく疲れ。つくずく何もかもが絶望的な考えになる。
首が修復でき、また神経も良くなるかとても不安。今日の様な体調になると。子供の事を思う酷く不安になる。(体調が悪い日に記録のために。多く文面に意味不明の所があるかもしれない。)
5/5日、今日原告の会の関西支部の長尾さんに夜九時半頃に電話をし。長く二時間近く(長尾さんには悪いが)ろいろ話すがやはり人は、それぞれ考えが違うことが判る。私の場合は医療と、松井脳神経外科の院長が金をいろんな方面に送っているのは明らか。そのために贈賄、収賄が絡んでいるのは明らかであるから刑事事件で行けると思う。
5/6日、昨日夜長電話をして疲れたのと。医院が連休で注射に行ってないので。感覚異常が少し強くなり。足が冷え体調が悪いが、午後になり少し楽になる。
5/9日、この所ポリネックをしなくても。無理をすると仕事が出来る。しかし夕方になるととにかく頭が重く酷く疲れる。首の後ろも少しずつ丸みが出てきた。(一定方向にには数分が限界。)感覚異常も少しずつ良くなっては来ているがまだとてもだめ、手足の痺れも有り。熱が出ると体中がやはりヒリヒリする。冷えても背中が同じ様になる。
5/10日、この所体調が多少良くなり、この二三日朝子供に車で養鶏場に連れていってもらい無理をしたのが悪く。朝から多少熱があり頭鳴り(耳鳴)が酷いが。無理をして養鶏場に子供と朝七時半に行き廃鶏を出したのが悪く。
十一時頃に帰るが午後に養鶏場には行けない。この所鼻から下がスカスカになる感じは無くなっていたが今日は少しある。やはりこの様な症状が出ると非常に辛い。
5/15日、今日は体調悪い、昨日はこの頃で一番体調が良く無理して仕事をしたのがやはり悪く。(夜に収支計算を確認して)
朝から熱と頭の付け根が痛くてえらくて養鶏場に行くがとても仕事にはならない。それでも以前に比べるとまだ大分楽もう死のうとは思わなくなった。
頭はこの所特にはっきりしてきた。(子供に聞くと目がやはり変わったと)
本も少し読めるようになり読むと、酷く後から疲れる。余りにも情けない………
5/17日日曜日、今日機械の改造をする酷い疲れに襲われる。下向きに一定の方向に向きしがために。子供も少し喘息が出ている。
5/19日、今日もまた子供たちに怒る。(私の体がじゅうになるのなら怒らないが…)何故に仕事(養鶏)の事で分からないことがあると。私しに聞かないのか何の仕事でも始めからは誰も分からない。聞けば怒らなくても良いのにだのに聞くことをしない。妻も私の事を余り理解をしてない。少しの事にも直ぐに態度に出る。
つくずく世の中が嫌になる。いくら私が精神力が有ってもこの様な事が続くとウツになる。医大にも今に行けず。今日の様な日は地獄の一言に尽きる。
散髪にも今だに行けず。(前に向き一定の方向に向いて居れない。)この様な体ででも仕事をしないと養鶏をヤッテ行けない。
松井脳神経外科の医師等を恨む。誤診だけであればあきらめもつくが。こういにしては行けない事をして何の様なことがあろうとも。また何年先になろうとも必ず恨みをはらす。入院してから去年の末までに三千万以上のの所得が違い。その上に人件費医療費その他を入れると三千五百万以上違う。私の体が良くなると養鶏には絶対の自信があるのだが。
他人は頼りには出来ない。5/24日日曜日、この所体調が少しずつ良くなり。子供に朝車で養鶏場に行く。
体重が4キロも増えたのに顔は細くなる。(66キロ)やはりムクンでいたのだヒリヒリする感じも大分改善され。首にも力が付いてきた。しかしやはり首の緊張が強い時に首の回りを計ると2センチ程太くなっている。今日も機械修理改造をするが。首に湿布を張らずにしたがために。酷く緊張が入り少し熱が出る。
今も針治療は一週間に二度も通う。医院にも休みの日以外は毎日毎日必ず行きアリナミンと肝臓の薬を打つ。5/25日、この所体調が次第に良くなり何を食べても、本当に何処に入ったか全く分からず。またお腹がおきても少しすると。何か欲しいなと感じ食べるとやはり入る。妻に聞いたら皆その様になり我慢ができず食べて太るのだと言う。体重この三日程で1.5キロも太るが全くそのような感覚はない。以前は一キロ太っても圧迫感が出て分かり。また食欲がなくなり63キロ以上には太らなかったのに。これからは皆と同じようにひもじい思いをするのか。首が悪い上にこんな馬鹿な事があるのか神はびどい事をする。
5/27日、月曜日の六時前にバポナの宣伝を16チャンネル(テレビ瀬戸内)で余りにも消費者をだますような言い方の宣伝をするのを見て。昨日夜にワープローにて文書を作り今日シェール化学に抗議の葉書を出す。宣伝の内容ただ吊すだけで蠅とか蚊ゴキブリが退治できると言い。購入の時にハンコウがいるから効き目が良いのだと。ハンコウが要るのは危険であるからで有る事は明らかである。今日は昨日仕事で首に負担をかけたのが悪く。首が腫れえらい。
医院に行くと仕事が出来ない体でするからだと言い心配してくれる。5/28日、今日は朝から体が少しヒリヒリ痛い。このところ養鶏場に行き無理をしたのが良くなく首が腫れ、疲れが溜り熱が出たようだ。帰り計ると37゜3、あったが。やはり実感としては分からない。何故37゜を越えるとヒリヒリするのか。
5/29日、今日もしんどくて辛いが。養鶏場に行きハイケイを出す。
全くポリネックを外す事ができず。熱も少しありまた首の緊張が強く頭が変で辛い。昼三時まで寝て針に行き少し楽になる。首の腫れも昨日も少なく昨日のようにヒリヒリもあまりなく。
大西医院で医師に事情を言い。定剤のコンスタンと同じものをもらう。橋本病院には無くあきらめていたのにおろどいた。
医師の言うことにはこの薬は手足のシビレを取るとの事。橋本病院の松原医師はわしはあの薬には良いイメージは持ってなくだから置いてないという。大変医師を信頼できた。6/2日、今日は朝から下痢をしてとてもしんどい。脈拍が80ほど打ちとてもだめ。
コンスタンと同じ種類の安定剤を飲み昨日は体調が良く。汗も良く出て夜寝る前にカップに入った、かき氷を食べたのが良くなかったようだ。
今までは昼でも水などは全然欲しくなかったのが昨日は。汗が出て喉乾きがあり水も飲んだ。また手にもしわができやはりむくんでいたのだ。以前もコンスタンを飲みムクミが取れ一週間程すると仕事が出来るようになった。やはり良くきくようだ。
今は首を悪いことをされているので。仕事が普通の人と同じように出来るとは思わないが医大には行けるようになると思う。6/4日、今日、夕方シェル化学の人が二人くる。成分の話をし詳しく聞きと。やはり有機燐製剤で二十五年前から販売とのこと。私がバポナでの印鑑の事をいろいろ抗議をする。私の言う事が正しいと素直には認めないが。私の主張を押せば私が勝つと私は思ったた。今日も下痢が止まらない。
6/6日、今日まだ下痢が止まらない。強い薬は飲めない。
昨日下痢止めのアピアンを定量(4錠)飲むと背中が(体は少しで)ヒリヒリし今日の朝目ざめると。体中が少し痺れていた。この所全くこの様な症状は無くなっていたのに。
やはり神経に作用する薬にはまだまだ弱い。(劇薬が入っていると書いてある。)去年の体調を崩し下痢をした時に半量飲むとしんどくなり。火曜日から半量飲んでみたら全くそのような症状はなく。三錠ノンでも同じであったので飲んだのが悪かったようだ。こんなに長く下痢をするのは。声が少し変なので、やはり風から来ているのか(喉が少し変な感じ以前とは全く感じが変わっているので分からない。)
6/8日、今日計理士と経理で酷く疲れる。首に緊張が入り熱が出る。
大分経理にもなれるが次第に難しい事を言う。
始めから色々教えず後から次第に難しいことを言うから大変。
今日妻が橋本病院に薬を貰いに行くと。また馬鹿医者がバポナを吊していたとのこと。
あの精神科の医師は死んでも治らない精神病。患者を見る資格は全く無い。
私はバポナでなった神経炎は今に治らない。(バポナに絶対的に自信はある。)
シェル科学の人が私に使用上の注意には危険であると書いてあると言うのに。
馬鹿(患者の事)は死なないと治らないと言うから薬で殺すのか?
6/11日、今日も大して変わりなし。
一週間続いた下痢も昨日で治る。しかし二キロ体重が減る。
とにかくこの所午後になると。首に緊張が入りえらくてどうすることもできない。
昨日アルバイトに来ていた、去年高校を卒業した子と話すと。
やはり私が以前養鶏場で飯を食べるときに。食道を通り胃に入るのが分かると言った。
胃の中に食べ物が残っているのが分かり。そのためにご飯が食べられないと言う事が変に思っていたとのこと。誰に聞いてもそのような事は全く分からないと言う。
何度も言うがやはり私だけが異常であった。
6/12日、午前中は多少良いが。昼寝を三時間しても午後になるととても体がついてこない。首は今は殆ど改善なく、体調が悪いと首の力が全く足らず緊張が入り地獄の一言。神経炎も日に日に少しは改善するが、少し無理をすると直ぐに悪くなり大変。
以前も一年程余り掛かったので今度はもうすこし長く掛かると思われる。6/13日、今日はこの所で体調が一番良い。汗も良く出るようになり。
首は余り変かわなく。神経炎も少しずつ改善されているがまだ大分悪い。
手が肘から先がヒリヒリ少しして。足はやはりスネから下が冷え痛い。
松井脳神経外科を退院して。ビタノイジンを飲み良くなっていたのに(背中の方はまだヒリヒリする事もあったが)今の症状は始めに体調を崩した時とよくにている。
馬鹿医者が劇薬の有機燐の殺虫剤を吊ったがために。
6/16日、今日も余り変化はない。
相変わらず首には力が付かない。去年の体調を壊す前だけの体力はまだ無い。
昼寝をやはり三時間程しないと夕方になるとどうする事もできない。
然し去年と違い今は細かい修理も少しの間は静止して出来るようになった。昨日も私が入院している時に壊れ。製造元に何度も修理に出しても治らず使わずに埃をかぶっていたハンドミシンも私には修理できた。(一台約15万前後)
首さえ良ければ私には機械で。特別な工具等が要らないものであれば専門家よりも私の方がうまく直す。
6/17日、今日大西医院で。医師が昨日の血液検査の説明があり聞くとGOTも全く正常になったと言い。肝臓の注射をやめても良いと言いアリナミンも毎日しなくても良いと言ったが。今日も体が少しヒリヒリするので、私は後一月程様子を見て欲しいと無理に頼む。医師は余り無理をしないようにと親切に言ってくれる。今日思い出したのではあるが。小林整形に行っていた時にも肝臓が悪かったように思う。小林整形の医師はその時にGOTが200以上になると入院をして治療を行わないといけないと言った。おそらくあの時も肝臓が悪くなっていたのだろう。
今GOTが250の入院患者が居ると言ったのでその時には私は今度と同じように。食欲がなく下痢も有り酷く疲れた。あの時はすでに神経炎になっていた。今度と全く始めのうちは同じであった。
馬鹿医者が病院に劇薬の有機燐製剤の薬を吊すとは私は全く思いもしなかった。
そのために気をつける事は出来ずに酷い事になった。
高松に居た時にもルータップと言う動物用医薬品の有機燐製剤の殺虫剤で肝臓を少し悪くした事があり医院に三月ほど通院して治った。あのまま空中散布をして体に浴びていたらおそらく慢性中毒の神経炎になっていたであろう。あれ以来高松に居たときは有機燐製剤には特に気をつけ散布をすると直ぐに風呂に入り石鹸で良く洗っていた。此方にきても同じ薬を使っていたが活性炭のマスクを付けて散布をしていたが蓄積したのだろう。
此方にきてからは薬を掛けても風呂には直ぐに入ることは全く無かった。
6/23日、この所体がとてもえらく付いてこない。
19日に給餌機の故障があり原因が分からずに。四時間ほど掛首に緊張が入り首の付け根が痛くなり熱が少し出て毎日がとてもえらくて昨日は特に大変であった。早く修復手術ができるものならしてもらいたいが。
医大にも今に行くだけの体力がない。熱が少し出ると必ず神経炎が悪化して今は無理をしてもとても行くことができない。
今日も手がヒリヒリ少しする。背中は以前に比べるとはるかに良くなったが。
手と足はとてもまだまだいけない。やはり熱が出ると頭鳴りが酷くなる。
医療過誤の方からも何も言ってこない。このようなものの言い方は悪いのは分かっているが。やはり他人は当てにするほうが悪いのか。今日新築の家を見たがやはりたいしたことはない。
6/26日、今日はこのところでは一番体調が悪い。
新築の家のこと等で多くの人と会い首に負担が掛かったのと疲れからと思うが。
首と頭の境目が分からなくなる程固くなり酷く辛い。
針治療にに行き少しは楽になるが。食欲もこの前に下痢をしてから無く、無理をして食べるとその次には食べられないまた腹も張り。以前であれば胃に食べたものが残っているのが分かったり、腸にガスが溜まったのが分かり良かったが今はだめ。
6/28日、食欲なく医者で漢方薬をもらい飲むと気分が悪くやはり薬は何でも飲めない。6/29日、今日も体調悪い。この所の体調は自分でもどうしてもコントロール出来ない。6/30日、今日一号の雛35日令が大量に死ぬ。(5日前よりガンボロと思われる。)4号のソニア185日令もEIの症状が出て産卵低下小玉が出来る。(四五日前より)やはり体調悪い。新築の家のガスが体に合わず。
養鶏場の食堂で寝泊まり。私も同じように移れない。私のお祖母さんも、脳梗塞で寝たきりになり家が新築になったが。動かすと痛がり古家で死ぬ。お祖母さんも記憶を失い子供になる。私も記憶を無くしたが大分戻る。
少し無理をすると熱が出て首の筋力が落ち。首に緊張入り何の様に無理をしても自分の体が自由にならないそのために子供に仕事で怒る。どうしても怒らないと養鶏場をやれない私とて人並みに子供を思う親である。何が因果か子供には大変にすまないと思うが許して欲しい。今のような状態になると死ぬほうがよほど私には楽に思える。
前世が有るとすればよほど悪いことをしたのだろう。家を建てると仕事で地獄を見るのは分かっていたが。新しい家に入ることも出来ないとはよほどの悪であったのだろう。
7/1日、今日観信の支店長が来る。私は住宅ローンで契約違反強くと怒る。
おそらく客に怒っても怒られたことは無いであろう。去年の八月には二千五百万円貸すから家をと言いながら。二千万も貸さない全く無責任な銀行である。
7/3日、今日松井脳神経外科、大杉脳神経外科に医療過誤に入った事を示した手紙を出す。おそらく双方の馬鹿は血の気が無くなり、夜も寝られなくなるであろう。
首は相変わらずで有るが。体調は少し良くなる。SXLの業務課長が監督と同乗して来たので住宅融資の事を聞くが。
やはりそれはおかしいと。住宅資金は制度資金であるから会社と絡めて話を進めるのは全く不可思議との事。融資も2500万以上は確実で有ると。(3000万)
7/6日、昨日今日と体の調子が良い。熱も昨日から出なくなったようだ。
今の体調であれば何とかしんぼうができる。一号のIBDも何とか治まった。しかし一割余り死ぬ。私か指示して抗生物質等を与え被害がまだ少ない。
私が管理が出来るとこんなには死なずにすんだのに……馬鹿の出来の悪い医師に腹が立つ。今掛かっている医師は別。金曜に出した手紙が松井脳神経外科。大杉脳神経外科に今日着いたはず。平静では居られないだろう。
7/7日、昨日新築した家に夕方に行きエヤコンの調子が悪くみて長く(二時間程)居たのが悪かったのか。今日は朝から感覚異常強く。(扇風機の風が体にしみ)三号の鳥の嘴を焼こうとしたが体がえらくて出来ず一日寝る。
やはり白蟻の薬が悪いようだ。蠅も窓を開け放しているのに死ぬそうだ昨日は風がなく刺激臭が有りあまり良くはないとは思ったが。まさか体にさわるとは思いもしなかった。
7/8日、今日は少し体調が良くなるが手の痺れ感が強い。
7/9日、今日は体調は大分良くなる。毎日医院に通っているのでそれで早く良くなったのだろう。
7/13日、今日は体調がやや悪い。毎日機械の故障で修繕をしたのが悪いようだ。神経炎の方は大分良くピクピクするのもほぼ治まり感覚異常も大分改善され。
首の力も少し付いてきたが機械の修理等で一定方向に向き少し長くすると首が腫れ。鼻から下がスカスカになり少し熱も出てやはり耐え難きえらさと気分になる。余りにも私がすることが多すぎる。しかしたとえどれだけの地獄を見ても私がやらないと何ともならない。他の養鶏場よりも数段成績がちがう。自分でも全群の成績は驚く程の成績である。それでも私が見て十分に指導を行ってない群は悪い。他の養鶏場では普通の成績で有るが私の所では絶対に許される成績ではない。 
そのために中スの管理は私が行い。大雛の管理も少しして子供に教えた。家が出来此方に来ると地獄を見ると思ったがやはり思ったとうりであった。それでも今を乗り越えると今年の秋からは極楽であろう。確信がある。暑さには思ったよりも少し耐えられるだけの体力が有る。何とか今年の夏を乗り越えられそうである。
秋には医大に行ける思うそして検査を受け。修復手術をしてもらいたい。修復が出来ると地獄は終わる。松井脳神経外科の院長。大杉脳神経外科の院長らはその時が本当の地獄の始まりである。修復が出来ないと余計に松井大杉等は酷い事になる。
今掛かっている医師はやはり親切。それでも私のような患者には手を焼いているようだ。・今日も何か知らん雛の鳥舎に用事があると思い行くとやはりそのような現象が有った。
昔からの事が今も同じに私には感じるのか。
7/16日、今日朝ポリネックを付けずに、人と話をして頭が重くなりポリネックを付けようと思ったが。あいにく持ってなく辛抱をして話をしたのが悪く昼から首が腫れ、緊張が入り熱が出た。そして少し寝るが頭重く(実感)また感覚異常強くて気分が悪くなり吐き気をもようしどうすることもできない。
この程度でこんなに悪くなるとは思わなかった。何時になると地獄が終わるのか……。
7/17日、今日も首の緊張が強くどうする事もできないが。
三号の大スの嘴の修正を子供たちで行っているのを見ていたが、余りにも技術的に未熟で見かねて私が行うが。雛を見て雛の管理が私が言ったようにとても出来ているとは思われなかった。子供に何の様に教えても直ぐに忘れどうする事も出来ない。何故私があの年の頃には出来ていたのに出来ないのか。いくら私が言っても勉強をしない何故にもう少し自覚を持ち責任の有る仕事が行えないのか、余りにも情けないではないか(私が手を取り教えることができず。どんなに私は努力を行っても首が緊張して何とも出来ない)子供には自覚が余りにも欠けている。いくら言っても二三日は覚えているが直ぐに忘れる何故で有ろうか…………不満が蓄積され頭が付いてこないので有ろう。息抜きを私が悪くなってから全くしてない。
私は今の子供の年令の時には親が(二月に逝った母)が酷く心配をする程に遊んだ。しかし私は子供を遊ばしてやれるだけの体力がない。(仕事が出来ないその上に色々金が掛かる。)私は今少し無理をすると直ぐに熱が出て神経炎が悪化する今は何とも出来ない。松井、大杉等を恨む。何の様な手段を使っても必ず地獄に送ってやる私の家族が受けた精神的、肉体的、経済的に受けた事を必ず必ず何倍にもして戻してやる。7/22日、このところ少し体調が良いが無理は全く出来ない。
朝起きて一時間ほどは頭が正常である。
一時間余りすると頭が重く感じ首が緊張してくると気分も悪く。とにかくえらくなる。このところ大西医院で貰った安定剤を飲み(朝夕二回)汗が良く出るようになる。それでも二三日前に無理して首に緊張が強くなり。鼻から下がスカスカになり熱が出て。背中と手足(体中)がヒリヒリして辛かった。背中はこのところ無くなっていたのに大分何時もより熱が高かったのだろう。血液検査をする。
7/24日、今日血液検査の結果を聞く。筋肉が壊れると多く出る物質が多いそうである。今も首が腫れたりするので。それで多いのだろう。
8/1日、三年前の今日H1/8/1日、松井脳神経外科に入院この日から今の地獄が始まった。いくら穏やかな気持ちになろうと思っても。私の心と体が忘れない。松井脳神経外科の医師等に何の様な事が有ろうともそれなりの責任をとらす。
子供の事、松井脳神経外科のやり方を考えると許すことは出来ない。
養鶏場に住むようになり。する事があまりにも多く疲れ日記を記せない。
養鶏場の体質を強化するのに大変首を馬鹿医者が悪い事をとの一言に尽きる。体調は少しずつ良くなっては来ているがとても大変。
8/9日、台風が来て酷い風が吹く少しビニールトタンが壊れる。酷く疲れる。
8/10日、今日は昨日の台風で疲れて辛い。
昼から計理士が来る。
8/12日、今日はこのところ無理して々仕事をしたのがさわり体調が酷く悪い。
確実に体調は少しずつ良いが無理に無理を重ねているのでとても辛く。
やはり首の方は相変わらず良くならない。
手術をして修復できないととても人間をできない。
今は仕事で酷く疲れ首が緊張し、また文字が直ぐに二重に見え、頭が変になりワープローで日記を記すもとても大変。
今も週に二度針治療に通う。何時になると一度で良くなるのか、(楽になる)
8/13日、今日タイムスイチを修理して(六台一台6000円)首の緊張が強くなり頭が変になる。
8/14日、今日は朝から体調が悪く。頭がボートしてしんどくていけない。
雨が降るので無理して台風で少し壊れたビニールトタンを直す。
何時ものように針に行くと頭が少しハッキりする。しかし首をマッサージすると逆に物が二重に見える様になり逆効果であった。(今日はしないように言い行わなかった。)
やはり首の緊張が強いと頭がボートするようである。
手術の後に起きてからずうと酷く頭がボートして、夢の世界に居たのは首の緊張のせいで有った。とにかく今は少しは頭の具合が良くなっているが修復手術ができないと何ともならない。
8/16日日曜日、屋根に上がりビニールトタンを直しものすごく汗が出るようになる。大西医院に行けなかったら今年の夏は越せなかったであろう。親切な医師に感謝をする。今の体調であれば秋には医大に行き首を相談することができるだろう。
何としても今の地獄から抜け出し。私に悪さをした医師等に仕返しをする。悪をした医師等が地獄を見る番である。日本も、アメリカのように医師も正当に裁きを受けさせられるようになれば良いが。余り遠い時間は掛からないであろう。
8/17日、昨日台風で壊れたビニールトタンを直し。酷く汗をかき疲れたが朝から半分休みもって、育スウ舎のニップルを付けるが。首に酷く負担が掛夕方になり酷く疲れる。医者が盆休みで三日程休むが思った程には体調が悪くならなかった。
明日仕上がれば良いがとても駄目全てを自分ですると経費が半分以下で良い物ができる。此のところ暑いと汗が良く出るようになってきた。しかしその後が大変に疲れ地獄を見る・しかし確実に体力が付いて来ているのは分かる。
医療過誤にパネル展に手紙を出す。
8/18日、育スウ舎のニップル付ををほぼ終わる酷く疲れる。それでも汗が良く出て体力が付いてきた。とにかく以前と違い体の感覚が変わり変である。
8/19日、この四五日無理して首に負担を掛けたのが悪くて首が腫れ、その上に緊張が強く朝から熱があるしかし仕事を休めない。雛の管理をしたり色々指図をしなくてはならず。
養鶏場に住むようになり余りにも子供達に負担の大きさが改めて分かる。
どれ程に私が悪くなり死にそうになった時には、精神的肉体的に辛かったのが良く分かる。二度目の手術が医師が上手く行ったと言ったのを信じ緊張がが切れ少し手抜きをしたくなったのも良く分かつた。
その後父親が何時になっても良くならず再び精神的肉体的に負担が掛り雛の育成が上手く出来なくなったのが良く分かった。
今日は久しぶりに頭の付け根が痛く辛い。
どうしても修復手術で治してもらう。頭を支えるのが大変に辛い。毎日毎日この様な状態になると精神的にも肉体的にも……。
8/23日曜日、私が健康で有れば私一人で出来る仕事で子供に休みを取らせない。かわいそう親として責任を感じる。
初めて松井脳神経外科に行った頃の体調で有れば。
8/24日、昨夜首の腫れがなく湿布を張らずに寝ると。今日の朝に起きると首が腫れ熱も少しある。毎日毎日朝昼夜湿布を首と背中に張り。熱が有ると胸にも張り。何時になると首が腫れなくなるのか、首の修復手術は出来るのか、毎日毎日首の緊張が強くなり体調が酷く悪くなると考える毎日。感覚異常もまだ少し有り。手の痺れはその日により酷く違う。それでも何とか私が鳥の管理を少し出来るようになった。
今の体調で有れば何とか養鶏場をやれる。成鶏もだが雛の管理は経験が無いと他人では。(子供等)どうする事もできない。何としても雛は自分の所で育てないととてもやって行けない。(一羽300円程コストが違い。一年に三万羽育成する事により900万程違い。その上私方で良い雛を作ると産卵成績は一割程良い。)
8/27日、動噴のエンジンの調子が悪く修理をして。手が疲れ手が腫れ痺れる。
8/29日、今日大雛の移動が有り体調少し良く手伝うが酷く疲れる。
昼寝を一時間程するがやはり熱が出る。やはりまだまだ無理は出来ない。
今掛り付の医師はとても親切、(職員も)今の医師は橋本病院の医師の様に態度が変わるとは思えない。医師が皆今掛かっている医師の様な精神の持ち主であれば……………。
8/30日、やっと今日の日曜日は余り仕事は無く子供等を遊びに行かせることができた。8/31日、疲れから熱が少し有り体調悪い。
今に神経炎が取れず熱が出ると体がヒリヒリして酷く疲れる。
首は力が相変わらず足らず直ぐに緊張が強くなり。無理をすると頭がボーとしそして直ぐに物が二重に見え何ともしがたい。どうする事もできず疲れ横になり寝ようとしても。
首の後ろの違和感が強く(突っ張り感)何故に医師がバカをしたか生涯恨む。
私の事に関しやはり人は当てに出来ないのか…………………………。
9/5日、仕事で(雛の飼育その他を子供たちに手を取り教えているので。)この一週間程むりしたで体調悪い。首の緊張が強く熱も少し有り手の痺れも少ある。
疲れから歯ぐきが腫れ目も物貰いが出来。普通でも見えにくいのになおのこと。
昨日医師に見てもらったら疲れからとの事。医師はあまり仕事はしない様にと言うが…。医大に行く事が出来るようになると行き。修復手術が出来るとすれば二ヵ月は全く仕事は出来ないと思い。今の間に無理して仕事を子供に教えたり修繕がが出来る所はしておかないとどうする事も出来なくなる。
9/6日、今日は昨日よりは少体調良いが瞼が腫れ気分が悪い。それでも仕事をしなくてはならない。此のところの猛暑が終わり、夜は最低気温が16゜(夜23゜昼35゜)まで下がり昼間も30゜程度になる少し体が楽になると思うが。
9/7日、今日朝目覚めると首の違和感が強く(此のところ何時も一時よりも有ったが)少し熱もあり体調悪いが大雛に配餌車で餌をやるが感覚異常と手の痺れも強くなり。
脊髄、神経炎が悪くなる。(ニ三日足冷え感覚異常が少しは有ったが少し良くなると無理をしたのが悪いのかわからない。)
首に負担が掛り配餌車で雛の餌やりはやはり無理と思われる。(わずか二十分程度)
子供はどうしても経験不足のために、私のように制限給餌(養鶏業界で殆ど皆上手くできない)が上手くできず良い雛が出来ずに私が無理して何とか此の十日程替わったがやはり限界。首の修復手術が出来ないと何ともしようがない事がわかり涙………………。
私が此のところ無理をして仕事をするので。子供等に日曜日に少し休みをやれる様になったのだが。先週の9/3日木曜に子供たちの段取りが悪く。私は体調が悪いが怒り一人で廃鶏を出し、手で持ち首に負担が掛りそれ以来首の緊張が強くどうにもならない。
二度目の手術以来少し重たい物を手で長(2分程度が限界。)く持ったことはない。
誰も私の事を本当に判ってくれる者は居ない。
今日は夕方になりとにかく首の緊張が強く鼻から下がスカスカになり辛い。
熱が出ると感覚異常が強く手足の皮膚がヒリヒリ痛く足が冷え辛い。
去年橋本病院で殺虫剤による神経炎になる迄は、退院の後に背中など深部の痛みは有ったが今の痛みとは全く違う。藪医者には困ったものである。
私がこの様になると子供は余り頭を使わず。私に頼りきりでこれから先の事を思うととても不安。
私は子供には判って怒っている。早く一人前にしたく私に万が一の事が有っても私の技術を受け継いでくれると。兄弟仲良く協力してやれば絶対に他の養鶏場には負ける事はない。9/10日、松井脳神経外科、深田病院とが合併したとのこと。
9/12日、医療過誤にアンケートを出す。書くことが長くできず(手を浮かすと頭の付け根に力が掛りすぐに頭がボーとし目が二重に見え手も思うよう動かなくなる。そのためにワープローで文章を記す。
9/14日、今日医師が私を見て何処が悪いのかと言い。少し不信感が出る先生も私と同じように首の筋を切られると判ると言う。とにかく疲れるの一言。
9/17日、此のところ体調が悪く熱も有ったが少し良くなる。
しかし神経炎の方はなかなか良くならず。足が冷えたり感覚異常がなにかなか治らない。首は相変わらず殆ど良くならない。
養鶏場に来て余りにもすることが多すぎる。昨日私が幼スを育てたのを移動するが。
子供の育てたものとは余りにも違いが有りすぎるやはり子供には無理と言うことが判る。9/21日、今日血液検査の結果を聞くと肝臓がまた少し悪くなったとのこと(GOTちがうもう一つの方)おそらく過労からと思う。養鶏場に来てから毎日が地獄である。体が酷く疲れ思うようにならず何をするにも酷い苦痛。
9/25日、今日夜7:30分頃に子供が車で急にバックし、一週間程前に拾ってきた捨て(三匹の子目が開いたばかり)猫をひきすぐに死ぬ子供に怒る。
目を開けていたので私が目を閉じさそうするがいくら目を押さえても目を開け可哀相であった。一度も刺身を食べさせてやってなく今日は妻が夕飯に持ってきていたので、刺身と肉とを穴に入れ目を押さえるとすぐに目を閉じる。此の世に未練が有ったのだろう。大事にしてやっていたのに捨てられる前には余り可愛がってなかったようで有った。
夜抱いて寝ると便がしたくなると鳴き私を起こしのに家の中では絶対にしなかった。
一週間程可愛がってやったのがせめてもの救い。何故私が可愛がっている鳩等直ぐに死ぬのか(事故で)不思議又のきかいに私が今までに色々あった不思議な事を記す。
9/26日、今日は特に体調悪いしかし仕事をどうしても行わなくてはならない。
二日前に子供にいくら言っても教えても私が言うように仕事ができず(仕事は非常によくするのだが)余りにも私は子供に対して辛く。
子供に私に頼るなと言っても仕事が出来ないのなら先の見込みはないから養鶏場を処分して。私の体は自分で終いをするからと言い怒る。
毎日が子供には地獄と思う。私は仕方がないが子供に地獄を何時までも味わせたくない。私が怒ると妻は子供と共に出ていくと言う何時も。
毎日日記を記すのも辛い。記すことは辛い事ばかり。養鶏場の収支は大変な赤字。しかし他の養鶏場より手取り卵価二十円程高く。他の養鶏場より個卵重が重くそのために今の卵価は私には余り苦にはならない。
しかし体が思うようにならず。子供が私を頼りにするのが仕方はないが私には養鶏場をやっていくのが辛い。養鶏業の今のかんきょうを乗り越えれば必ず良い事が有るのは判っているのだが。
(養鶏場を止めるような事があれば松井脳神経外科の院長大杉脳神経外科の院長を殺す。)9/28日、今日は朝から体調悪く首の緊張も強くどうにもならない。
9/30水曜日、今日無理して高速道路を使い香川医大に行くが二十分程車の後ろに乗ると、首の後ろのの緊張が強くなり。電線が二本に見えだしやがて山が上下に二重に見えてきて(手術の前の見え方とは全くちがう)とてもえらくなり、やがて道路の白線が二本に見えてきて、車のテルランプも二重に見えとても行くことができず。
私の本籍地の兄弟がやっている養鶏場の所の中間町高松西インタでユーターンして帰る。初めからおそらく医大には行くことは出来ないとは思ったが。どの程度の体調になるか確かめた。行くことは無理をすれば出来るが行ってから待ち時間に耐えられず帰った。
たった五十分程車に乗るととても疲れ酷いものであった。それでも後一ヵ月程の内には行けるであろう。
10/1日、今日は昨日医大に無理して行こうとしたために。
首の緊張が酷く頭がボーとし熱もあり、体中がひりひりしとてもだめ。
それでも昼迄は無理して仕事をする。私とて今の体調で有れば仕事はしたくないしかし私がしないと子供に負担が掛り喘息が酷くなる。夕方に針治療に行き少し良くなる。
10/6日、明日医大に行くことができるかもしれない。10/7日、医大に行くことができたが。あまりにも医師の言動に不審がありこの日記に詳細は文章表示の残りが少なく記せず次の文章に記録。
10/7日、今日香川医大に診察に無理して行く。(医師との話は前後している)
診察室に入ると先ず医師は、レントゲンを撮ってくるように言い。
首のレントゲン撮り見て。腫瘍の手術のため首の骨はこのように(突起)切り取ることがあると言う。医師は診察を始めて間もなく。六番七番なら命に関わらないが一番二番だと命さえなくなると言い、医師は死ななかったので感謝をしても良いくらいだと言い医大の医師とは思えない不思議な発言この言葉で私は完全に不信感を持ち。誠意の有る診察は受けられないとお思った。私は死ぬより辛い目をしてきたと言い死んだほうが良かったと言い返す。私は先週に来ようとしたがとても無理で。目が二重に見えとにかくえらくてだめで引き返したと。今日も子供に乗せてきてもらったのだと言い運転免許も切れたと。
医師からは返事はなく雰囲気が変であった。(始めに診察室に入った時から何か変な感じであった。前の患者には親切に言っているのが診察室の外にも聞こえたのに。)
(松井脳神経外科の院長が言ったことと同じことを言い。この言葉で私は完全に不信感を持ったそのためにこの後の医師の言うことは余り信用できなかった。)
そして手術の前のフイルムイルムが有るとどのような手術をしたか判ると言うが紹介状も書くとは言わず全く不思議であった。
二度手術をしたのかと聞きヘルニアのときは骨を入れたかと詳しく聞く。私はヘルニアでは入れなかったと。しかし腫瘍の事は一切聞かずとにかく不思議であった。
また今はどの程度ポリネックを除けて居れるのかと聞いたので。私は普通は三十分程無理をすれば二三時間は除けられるが、その後で首に酷い緊張が入り酷くえらくなると言い。そして医師は仕事は何をしているのかと聞く。私は養鶏場をしていると言うと。
医師は養鶏場をやめたのかと聞いたので。私はやっていると。医師は仕事はできるのかと。私は出来ないがつぶれるので無理に少ししていると。
フイルムを見て首の骨には異常はないと言い。(がたつき、安定)
そのために首の骨を金具で固定をする必要はないと。
私は先に見てもらったフイルムを撮った時(H3/1)酷く安定感が無かったと反論。
医師は骨の固定は三時間程度の軽い手術だと。
医師は全く心配そうな感じ、気の毒そうなことも一切言わずとても医師とは思えなかった。今も週に二三度針治療に行っていると言うと。医師は針を打つと首が柔らかくなるからと言い。また医師は首の突起の外側に太い筋があるから、普通は首を支えられないという事はないと言いながら検査をするとも言わず詳しく症状も聞かず、見るだけで首に触りもしない。それでも私は修復できないかと言うと。
医師は筋はつなぐ事はできないと言いながら、そして筋を切らないと手術はできないと言う。そして医師は筋は自然につながる事もあるという。
私は筋を切るとつなぐ事ができないのなら、手術をすると皆首を支えられなくなると思うのだが。私はこの時点で医師の態度、言動で全く失望。
余り真剣には診察を行っているとは思えず。手足の触診をし神経症状はまだ少しはあると言う。(自分でも判っている)手は動くか、足は歩くのに支障はないかとか聞き。
医師は何故手術をしたのかと言ったので。
新しい殺虫剤を使いそれから体調が悪くなり医師に掛りそして。
松井脳神経外科に行きMRIでヘルニアが見つかるが、松井脳神経外科の医師はOPは来年でも良いと言ったが。私はテレビで脊髄は遅れると治らないと言い、今は手術は心配はないから早くするようにと言った事を言い私から手術をして欲しいと言ったのだと。
MRIを撮るが90゜交差していたので右から撮ったために見おとされたのだと言うが。私がMRIの事を言っても。医師はMRIの事は一切言わず。(意識して避けた感じ)
普通であれば医師は腫瘍が何処にどのようにあったか等と聞くと思うのだが全く聞かず不思議であった。
左側に有ったからMRIを右から撮った、ために写らず見落とされたと(本当は三分の一程写っていた)腫瘍が後ろに有れば見落としは無かったと言う。
入院院して脊髄造影で首の骨の横に腫瘍が写るが影響なしと検査をされず。(此処にこの様に有ったと手で示すが医師は全く返事もしなかった。)
その上に精神病にされ薬もくれて相手にされずに。もう少しで死ぬところであったと言うと。(この当たりの医師との会話は私は。診察と医師の言葉で動揺して全く前後している。医師を怒らすような事は絶対に私のほうからは先には一切言ってない。)
腹が立ち。私だけが専門医が手術をしなかったのだと言いあまり難しい手術ではなかったと思うと言い。松井脳神経外科の医師は腫瘍の手術で首の骨の一二三番の左側を三分の一切り取ったと言ったが。首の後ろは切り取ったとは言わずまた後遺症も出るとは一切言わずまた腫瘍は神経根にできていて、骨を切り取ると直ぐに(簡単に)取り除けたと言ったと言い。そして四月頃から少しは仕事もできるようになると言ったと。
何時になっても頭を支えられずに不思議であったと。そしてふと首の後ろを触ると骨が無く切り取られていたのに気がついたのだと言う。
そして退院の後に国立善通寺病院の医師に電話をすると。腫瘍がある事を知っていたと言いすごく心配したのに。その後に電話で全く反対のでたらめを言ったと。
とにかく診察に誠意は見られず。あれでも大学病院(公)の医師かと疑う。
身体障害の現状の信断書も書くとは言わず不思議。(前に妹とうが診察を受けた時には書くと言ったのに)
私は松井脳神経外科の院長はあそこを手術すると、皆切取り何等影響なしと相手にしないから困って身体障害の証明をして欲しいと言うが書けないといい。
なおのこと腹が立ちその他のことを言う目印のこと、逆立ち、足の重さのこと、手術の後の説明も一切なく、(少しだけ口で大杉医師がしたと)
CTで腫瘍が見つかり呼吸不全で何時死ぬかも知れないのに、手術まで二週間も放置された事を言うと。
医師は色々検査があるからと言ったので。
私は検査をできるような状態ではなく。阪大の麻酔医が予定で来るまで放置されたと。
医師はそれは少し酷いがと言うが仕方なしに返事をしたという感じ。
先生は知っているかどうかは知れないが、姫路から来ている専門医の中川医師の事を言い。その上に中川と言う専門医が手術を行わずに。
松井脳神経外科の専門外の医師が手術し私は隠されたのだと言う。
松井脳神経外科の担当の阪大から来ていた浜野医師に、許可を取り香川労災病院に行き。労災での神経内科医師が首のレントゲンを撮る予約をするからと言って十分ほど待たされた後とで診療拒否の事、なぜレントゲンを撮ると言うと一切見られないと言ったかと。
首の後ろを切り取っていたからではないのかと言うが返事をしない。
医師に医大に脳外の三野先生が居るだろうと言うと医師は居ると。三野先生に手術後の症状を言い(逆立ち、体重を感じない)聞くが医大でも判らないと言い労災か国立に行くように言ったと言うが返事をしない。(三野先生は脳外科の助教授。妻が私と結婚前に看護婦で勤めていた所の娘婿養子。)
何処に目印がしてあるのかと言うと。医師は治療と関係のないことはしてないと思うと言いあまり聞きたくないといった感じであった。私は余りにも不思議で不審を持ちそのために試すような事を質問すると殆ど返事をしない。
診断書も全くデタラメを書いていると言うがまた返事をしない。
やがて医師は手術で悪くなったのなら手術をした病院と話をするように言う。
私は医師の発言としては言過ぎと思う。(三十五六才の開業前の見習い医師であるのに、当事者の医師がこの言葉を聞くと怒ると思う。)
私は酷く不信感を医師に持ったがきつい調子では一切言ってない。自分を殺し最後にまた何か有ったら宜しく頼みますと言うと。医師ははいと返事をする診察室を失望と不審を持ち出る。診察時間はわずか五分余りでとにかく不思議な診察であった。
診察の時に看護婦も立ち会わず変な感じであり。また全く医師とは思えない感じであった。医大に行くと今の症状以前の事など詳しく聞くと、医大に言った人に聞いていたが全くそのような事はなく全く変であった。
なんともならずに溺れる者は何とかで行ったのに県内の公の医師は信じられなくなった。疲れなどで体調が悪くこの文章は前後をしているところが多い。10/8日、今日皆に聞くがやはり変だと言う。
私が暑中見舞いを出したと言ったら(手紙で医療過誤に入った事、その他嘘を言ってやった。妹が医大でフイルムを見てもらったことを)松井脳神経外科に頼まれたのとちがうかと。
医師が手術で悪くなったのなら。松井脳神経外科と話をするようには普通は言わないと。10/14日、体調悪い。
医大に行ってから唾液が辛く感じるようになった。
以前はこの様な感覚が有ったがこの所は無くなっていたのに。
唾液がネバく感じるのとその他のは同じである。
10/15日、体調酷く悪い午前中はとにかく辛かった。
何時ものように医院行く注射をして寝ると午後になり少しよくなる。10/17日、今日夜ある人と電話で話をする。医大のことを言うと、松井脳神経外科に手紙を出すからと言われる。
10/20日、この所酷く体調悪い。
10/22日、今日初めて首輪をせずに廃鶏を出す。午後になり酷頭が重く首が緊張して熱が少し何時もより高くなる。
10/23日、このところ尿が良く出て手がスバル。やはりまたいつの間にかむくんでいたのだろう。朝から昼間で尿が出ずに不思議であった。
10/24日、今日も午後はえらくて仕事はできない。
11/10日、しばらく日記を付けてない。(体調があまり思わしくなく)10/28日に雛のデビークをし酷く疲れる。(入院してから初めてである。三年半)子供では余りにも迷いが有り上手くできないために。私が無理を承知で手伝い教える。
デビークの後の処置を誤り雛を病気にする。
私に言えば直ぐに手を打つのだが。子供は私に怒られると思い隠す。
一週間後の十一月四日の日に不審に思い。雛を私が見ると酷く雛が不揃いになり何をしたかと怒る。(私には直ぐに原因は判ったがわざとうに言わす。子供にデビーク後に温源の温度が下がり抵抗力が落ち雑菌が入りなると言い処置の仕方を詳しく教える。)
なぜ私に直ぐに言わぬと言い誰でも雛を飼っていたら病気は付き物だが直ぐに処置をするかしないかの違いだと言う。私が飼っていても何度かに一度は病気になる。直ぐに薬を与え温度をふだんよりも三度ほど高くする。五日ほどすると見違えるように治るが。羽が変形しているために温度を何時もより高くしないと何ともできない。私が飼っていたときには何時も同じ雛ができ何時も同じような産卵成績が出ていた。
11/11日、今日も体調悪く首の緊張が強いために。
針治療に週に三度にしてから多少体調が良く無理とは思わず仕事をするとやはり、その後に地獄が待っているしかし無理をしてでも私が養鶏をしないと他の者では技術がなくやれない。やはり熱が少し出ると(計らないから分からないが)体中がヒリヒリと痛い。去年藪医者が殺虫剤を病院に吊っていたために。(医大の医師も殺虫剤の事は知っていた。)今は今年は今までと違いその病院で十月にバポナと言う殺虫剤はのけているとのこと。
去年はいくら言っても反対に余計に吊し聞く耳を持たなかったのに。メーカーに注意をしたためと思う。
11/21日、この所子供の雛の飼い方に酷く不満が強まり体調が悪い。暑い所に入ると神経が悪くなり、私は指導をできず不安が高まる。
また配餌車にも乗れる将来が不安。(無理をすれば乗れるが後で酷い苦痛が)
11/22日、この所寒くなり冷えると体の表面が(特に胸と背中)ヒリヒリ痛く辛い。寝て寒いからと敷毛布を少し温くすると。暖かいよりも痛い感じが強く辛い。
去年の殺虫剤がさわりなった。手足の感じは今年の冬(H/4)よりは良いがヒリヒリする感じは今年の冬よりも悪い感じ。
S/63年の時になった感じとほとんど同じ(今の方がヒリヒリの感じは強い)。やはり殺虫剤での神経炎であった。首の方はほとんど良くならない。
医大の医師は私は絶対に嘘を言ったと思う。
筋が突起の外にあるのならそんなに難しい手術とは思えない。
全く検査もするとは言わず私は全く信じてない。
11/25日、今日実家からお祖母さんの、33回忌が29日の日曜日にあると連絡がある。
今の体調では行くことができるかできないかは、全く分からない。
ぜひ行きお祖母さんと、母にわびをしなくてはいけないと思うのだが……………。
11/28日、今日の体調であれば明日は行くことができると思うが。
一日体調が良いと必ず明くる日は悪いので心配。
11/29日、やはり体調が悪く熱があるようだ。
法事に行きたいが後の事を考えると二の足を踏む。(熱が出て苦しくなる)
妻が無理しても行くように言うのでしんどいが行くことに決め、電話をすると弟嫁が酷く喜ぶ。長くは居られないがお参りして直ぐに帰ると言っておく。高速道路ができ40分程度で行けるのだが、その四十分が大変辛い。
長男に車の運転をさし。9:10分に出て10前に着く。弟嫁と親父は大層喜んでくれるが。他の兄弟は全く心配もあまり話もしない。
長男と直ぐに仏壇で手を合わしお祖母さん、母にわびる直ぐに帰ろうとするが父がもう少し居るように言うので、頭を両方の手で支えて。無理して一度目の法要のお勤めが終わるまで居るが。とにかく頭が重くて首が緊張してえらい。やがて体がヒリヒリとしてきて足がだるくなり、熱が出たようである。
帰るとすごくヒリヒリとして足がだるく辛い。
12/2日、医療過誤にワープローで手紙を出す。
後で読み返すと字余り等が多くあるがそのまま出す。
法事に行ってから疲れと首の緊張が強く体調が悪く、すぐに頭が変になりあまり考えられなくなる。
12/4日、この所体調が悪いが今日はひどく辛い。
朝少し仕事をするがどうする事もできず寝る。
少し無理を(普通の人であれば何ともない程度)するとひどく疲れすぐに熱が出て、体がヒリヒリし明くる朝目覚めると少しシビレが有る。この所少しひどくなる。
H4−12/11日、
今日長男に幼雛の育成をさせていたのをやめさす。私が何度も々教えても進歩がない。
12/9日に雛が入るがまたも同じ失敗をくり返すような状態で有ったのでやもえず。私は三十年間研究勉強の毎日であったが。今は私は記憶が大部分無くなっている。
勉強しょうにも本を読む事も首の緊張が強くなり少しの時間しかできない。(本当は全くと言ったほうが良い)
長男は勉強も学習も全くしているとは思えない。計算は無論のことまた私に聞くこともせず脳みそが有るのか不思議な感じ。なぜに学習をしないか?不思議。私が怒ったとき少しの間は考えて行うのだが直ぐに元に返ってしまう。その外色々な事にかんし余りにも欠陥が多すぎる。今年も雛の育て方が次第に悪くなりこれ以上辛抱が私にはできない。病気が出ても私に隠そうとする。私が雛を飼っても病気には必ずなるが私でも初めての時は一度は少し手当てが遅れることがあるが。二度目からはそれを経験にして(薬)処置の仕方をまちがう事はない。去年と一昨年で4500万程の利益のちがいがあり今年も五百万程赤字が多くなる。このまま長男に任せると来年は壊滅的な状態になる。
私が今も仕事ができるような状態ではないが無理をして行っている。
少し仕事をすると熱が出てえらくて何ともならなくなる。
退院してから一度も何処にも遊びに行ったことも、マーケットにも行ったことはない。
いくら行きたくても体がもたない。今年の冬民商に行った時もその後に熱が続き大変であった。昨日も計理士が来て年末調整をするが頭が重くて々、首に緊張が強くなり熱が出る。何度も言うが他人には全く理解できず医師でさえわかってはいない。私ができなかったら養鶏場を止めなくてはならないであろうと思う。
それにしてもつくずくいやになった。今も十一月二十九日の高松の実家の法事に行った時の疲れがとれない。
私は今も松井の院長を殺しても飽きたらない。私に行った事で殺されても仕方がないであろう。あれ程の誤診をしていながら医療と何等関係のない目印で首の突起等を切取り私との家族の一生をでたらめにした。大杉のバカ医師も必ず仕返しをする。
医療過誤の方に力になってもらいたいが以前の返事もないから余り期待はできない。このワープローを打つも大変な負担である。しかし変わったことが有ったときには無理でも記録をしておかないと後で困る。12/15日、今日手術から初めてヒヨコに餌をやるが頭の付け根に酷く負担が係り大変に疲れる。たった10s程度のバケツを持ち八杯しかやらないのに、これでは雛の管理はとてもできない余りにも情けない。やはり子供に雛を見させないと何ともならない。12/16日、昨日雛に餌をやったのが応え首の緊張が強く少し熱が出る。しかし今日は雛のデビークの日であるから寝るに寝られないやはり子供は私が教えたようにはデビークを行っていなかった。何時もこんなに血が出るのかと聞くとそうだと言う、これでは良い雛はできない。少しでも血が出るようであれば刃の交換等を適切な処置を行うことを教えていたがそれが分からない。12/18日、今日松井脳神経外科と元深田病院院長婦人に手紙を出す。おそらく平常心ではいられないらろう。
   H1−12−18日の今日私と家族の運命を松井脳神経外科の院長が変えた日。12/19日、今日も医療過誤の近藤会長から返事が無い以前の返事もなく不審を持つ。雛の体重測定をすると私が切った雛とでは、子供が切った雛は5gの差がある。私が子供のデビークのしかたが悪く起こり私と同じように切った雛は同じであった。私のは130g子供のは125g、知らぬ人はわずか5gと思うがそれだけちがえば。雛に与えるストレスは酷いちがいである。その鳥が成鶏になった時の生産性が大変なちがいがあるのだ私の長い経験ではそれが良く分かる。私が管理していた時は何時も同じ成績であったが。子供の飼った鳥は何時も成績のちがいがある。一般も同じ。
12/20日、今日から私ではやはりヒヨコの管理は、無理なので子供を連れて行き教える酷く疲れる。精神的にも肉体的にも………………
雛の体重はやはり約10gの差がある。135gと145g。子供も納得したようである。これから先の事を思えば地獄である。明日月曜日に松井脳神経外科、元深田病院院長婦人にに手紙が着くだろう。
今からが私の復讐の始まりである松井脳神経外科の院長達は今から地獄を見る番である。12/26日、今日の夜中十二時半過ぎに目が覚めると、体中が痛くて寒くて震いがくる熱を計ると三十七度六分程有りノーシンを飲み(怖いが)妻を呼び頭を冷やしてもらうが。やがて三十八度一分まで上がり朝まで三十八度の熱が続き、妻が六時に帰りそれから一時間半ほど寝ると三十七度四分まで下がる。九時半から無理して仕事を少しする。
二度目の手術の前に。私は深田病院で大杉医師漢方薬を飲まされ酷い熱が出たが。
今までには37度8分を絶対に越えた経験をしたことがなかった。やはり脊髄は大分回復したのだろうそして普通の人になったようである。今の症状はバポナの神経炎だろう。
12/27日、今日卵を買いに来た人の姉が松井脳神経外科に交通事故で入院していて二三日前に六ヵ月ほど入院して退院したと言うので。
松井脳神経外科の院長の事を聞くと口が悪くあまり良い感じは持てないと言い。
また少し頭を手術したのだがあまり良くないと言う。
私は院長の顔色は良いかと聞くと青白くてあまり良くなく、また半年前とならどうだと聞くとそれはもう、大変悪くなったと言ったので先週はどうだと聞くと。なおのこと悪くなったとそして元気がないと言ったので。私が入院していた時は色は黒くて元気であったと言い。私はあの葉書を見せ先週にも手紙を出し七月にも出したと言い。松井脳神経外科は病室はやはり空き部屋が多くあまりはやってないとのことであった元の深田病院は一杯。
私が医大の事、国立、労災、高井その他のことをいろいろ話し、院長はあまり腕は良くないから他の病院にもぜひ行ってみるように言うと。姉にそういっておくと言い喜ぶ。
やはり私のやり方が一番良いようだ、少しずつ締めつけて痛めて私たち家族の苦しみを味わせてやるのが一番良いようだ。風邪を引き昨日熱が出たのが治り少し体調が良い。
ノーシンを飲むと頭がはっきりして調子が良いようだ。神経にも全く悪影響はないようである。
12/31日、今日は今年最後日である。今日は風も大分回復し体調少し良い。
今年は体も仕事も最低の年であった。来年こそ良い年になりますように、首の修復手術もでき地獄から早く家族共々抜けられますように。
来年は松井脳神経外科の馬鹿、大杉脳神経外科の馬鹿、浜野の馬鹿、国立の院長と、西庄の馬鹿、高井の馬鹿、大阪北の病院の馬鹿、真屋きよみの馬鹿、労災の脳外の馬鹿、香川医大の馬鹿、某弁護士、荻原法律事務所の馬鹿、福井整形の馬鹿。に復讐の年である。
1993年1月1日、(H5−1−1日、)今年こそ体が良くなりますように。
そして仕事も良い年でありますように。
今年こそ松井孝嘉(松井脳神経外科)らに仕返しの年である。
向こうの対応で足腰が立たなくしてやる。
1−3日、松井脳神経外科の院長松井孝嘉に手紙を出す。
1−6日、この所体調酷く悪い。
1−8日、今日再び元深田病院の院長婦人に手紙を出す。
1−11日、今日から次男に中雛の管理を再びさす。私がなんとか頑張ろうとしたがやはり無理であった。管理する時間は一日わずか三十分足らずであるが、配自車で給餌をするのでわずか十分余り、餌ならしも一回五分程度だが首に負担が掛り酷く緊張が入りそのために酷く疲れるあまりにも惨めである。医療過誤の上長さんに手紙を出す。1−22日、今日も医療過誤から返事はない何のために医療過誤に入ったか分からない。困っている者を皆で助けるのではないのか、会に入る前に会長に電話をすると弁護士も紹介すると言っておきながら。何故に相談に乗ってもらえないのか不信感と困惑を覚える。松井脳神経外科も何も言って来ないのも変である。
体調はこの所少しずつ良くなっては来ているが。首は手術ができないと何ともしょうがない。とにかく疲れてその上に直ぐに頭が変になる毎日が地獄である。2−4日、風が少し良くなる。しかし体調は最低。2−8日計理士の津田さんが来て最後に医療裁判のことを言う。
2−9日、今日は風がぶり返し酷い熱が出る。39゜3分3−7日,今日医療過誤の関西支部の長尾さんに脱会の手紙を出す。おそらく返事はないであろう。会長に出すともみ消しにされると思いあえて長尾さんにだす。
4−20日、風も何とか大方治るがとても酷いものであった。ワープローに記すことはと今もてもできるような状態ではない。
4−25日、長い間日記を記すことができなかった。
昨年の10月に医大に行き体調をくずしそれ以来無理したのが悪く。
2月に津田さんが来てから特に体調が悪くなり毎日が地獄であった。
風を何度々もひき熱も39゜を超え薬は飲めず酷いものであった。医師に掛かっても風の直接的な治療は(栄養剤と抗性剤だけ)受けられず酷いものであった。熱が出でば首の力が酷く弱くなり言葉でひょうげんはとてもできない。
しいて言えば足が立ちにくくなるのと同じように思ってもらえばよい。ノーシンもやはり神経にさわりまた耳鳴りも酷くなり。熱冷ましも飲めず飲めば首に緊張が入り。また神経も悪くなりとにかく酷いものであった。
医療過誤も会長が始めに私と話を電話でした時のとは全くちがうものであった。
会長には二度手紙を出すが返事すらなく、全く相談に乗ってもらえず不審になり脱会の葉書を出すが全く返事はなかったとにかく変な話であった。
皆松井脳神経外科の院長松井孝嘉に知らすと態度が変わる全く不思議な話であった。しかし私は絶対に松井孝嘉等を絶対に許さない。金銭だけでも4000万以上の損害を受けた。私も家族もそれ以上に死の苦しみを味わらせられたから私も同じ事をあいつ等にも同じ目にあわす。
4−30日、今日次男が喘息の治療のために徳島の薩摩医院に行く。
次男の言うには医師がいつもは、こちらから私のことを言わないと何も言わないのに今日は医師の方から首を早く治さないといけないと言ったそうで不思議であったとのこと。
その時子供は松井脳神経外科の院長が妨害をして治療に行くことが出来ないのだと言ったとのこと。時たまこちらから首の事を言い。親父はエライエライト言って困っていると言うと。医師は早く良くなると良いがと言う程度で仕方がなく返事をしていると言った感じだったと。
私の考えだが、おそらく医療過誤の近藤会長から松井脳神経外科の院長に私の脱会の事を知らされ。そして頼まれ言ったのだろう。
5−6日、この所子供が雛の飼育が良くなり気分的に楽になる。子供はこんなに雛の管理が難しいとは思いもしなかったと言い。子供も私の言うことが次第に納得出来たようである。
首は何ともならないが。体のほうは少しずつ体力がついてきたが。しかし少し無理をすると必ず熱が出る、仕事が思うように出来ず情けない。子供には今年もゴールデウイクに全く休ませられなかった。なんとか今年中に首を治し。人間にならなくてはならない。
5−9日、妻が結婚前に勤めていた元医院住まいの新築祝いに行き。私のことを言い話すと皆が返事に困ったそうである。
5−10日、今日計理士の津田さんが来る。
経理がすみ松井脳神経外科の事をいろいろ言い、K弁護士に保全処分と時効停止の事を頼む。伝えておくとのことであった。
5−11日、妻の医院での同僚からよる電話があり今の医師は、なかま意識が強く何処々で手術で変になったと言わずに症状だけを言い、掛からないと補償問題が有るから何処もまともには見てくれないとのことであった。が私は医師が困るように言ったことはない。医大でも妹がワープローの文を持ち前もって聞いていたのにそのようなことはない。医大でも診察にかかり直ぐに医師があのような事を言うと。誰でもまた松井脳神経外科にやられたと思い、不信感を抱き少しは感情的になる。善通寺国立の西庄医師も私が言ってないことを言いいろいろ嘘を言う。(手術をした医師でないと分からないこと。)
労災でも事情を言い前もって了解をしてもらってから行ったのにケントゲンを撮るためにといって待たされそのあと診療拒否にあった。大分この所体調が良くなる。首も少しは良くなるが同じ方向に向くと直ぐに緊張が入り頭がボーとしてしまう。しかし無理をすれば針治療に二週間以上行かなくても良くなった。いつまで持つか分からない。針に一週間に一度は行けば良いのだがとにかく面倒である。やっとワープローで日記を記すことができるようになる。
5−25日、今日薬屋が来て言うには松井脳神経外科の院長は今はゴルフには全く行ってないとのこと。担当の薬屋が誘ってもそのような気分にはなれないとのことであった。
5−26日、今日夕方4時頃に計理士の津田氏から保全処分等の事で電話が有り。
K弁護士は松井脳神経外科の院長と友達ほどの付き合いが有りまた、顧問んになって欲しいと言われているの松井脳神経外科の事は受けられないとの事で。
津田氏はK弁護士は少しまずいと思い余り詳しくは言わなかったとのことである。
津田氏は自分で弁護士を捜すかと言うが私はそちらで紹介を頼むという。津田氏は松井脳神経外科は非常に有名という事が分かったと言いい。K弁護士は津田氏に、松井脳神経外科の院長は家にも帰らず病院で寝泊まりをしてとのことでとにかく困っているのは確かだと言い。
津田氏は解決は金でしなくては仕方がないと言うが。私は現実に去年迄に4000万以上の損害を受けその上に治療の妨害をするから。松井脳神経外科が損害と私の治療に協力をすれば話に乗っても良いと言っておいた。
K弁護士は香川県には腕の良い弁護士は居ないので。私は眉唾ものと思ったが。広島に知り合いの弁護士が居るから紹介をすると言い医療には弱いがまじめと。
そして費用は数十万との事。
津田氏は世間はせまいと言い驚いていた。K弁護士は松井から大分詳しく聞いていると思われる。5−30日、この所大分体調が良く針治療に5週間程行ってない。しかしとにかく疲れ頭が重く首に緊張が入り頭ははっきりしなく地獄の毎日にはちがいがない。体の感覚も以前と変わり変な感じ。橋本病院にはバポナはやはり吊してないとのこと松原の藪医者。
3/11日、※今日大西医院で首のレンドケンを取る。
前回から約15ヵ月経っているので、首の骨の変形がどの程度か。
今の医師も看護婦もとても親切。病院によりこんなに違いがあるとは。
他の人は此処の医師は頼りないと言うが。私には良い医師に思える。医師も人間であるから誤診がある。だから病気も頭から何々と決めてかからずに。絶えず疑いを持ち患者と接するのが名医と私は思う。今の医師はその感じが他の人には不安(頼りなく)に思えるのだろう。家庭の医学書にも私は概念で患者を見ると誤診をするからと。この所アリナミンと肝臓の薬を注射してもらい体調が次第に良くなった。しかし頭が重くて首の緊張が酷い。七ヵ月も寝ても医師にすてをかれ。まだまだ体力が無く辛い。直ぐに熱が出て体がヒリヒリする。
夜NHKの教育放送で医療過誤の原告会のことを見る。何としても調べて助けてもらう。3/12日、今日は午後から疲れ首が腫れ熱が出る。
3/13日、今日はこの所の無理がこたえ、首が大分腫れ緊張が入り頭の付け根が痛く。熱が多少ありえらくてとても養鶏場にはいけない。
やはり熱が出ると、耳鳴りと感覚異常が強くなったり、手足がヒリヒリ少しする。
そして安定剤の利きが悪くて。直ぐに頭がボートする目は物が直ぐに二重に見えるようになる。湿布を首に張ると午後になり腫れが少し取れる。今日レントゲンフイルムを見る。以前のより少し変形している。今の医師はやはり人柄は大変良い。酷いことをしていると思った感じを受けたが医師そうは言わなかった。
3/14日、今日も養鶏場を休む。しんどいが産卵成績を入力する。酷く疲れる。
3/16日、今日二日ぶりに養鶏場に行く、廃鶏を出すのでどうしても、それと鳥に病気が出ているのでしんとくていけないが行く。
3/17日、今日7号のトタン屋根が腐っているのを見つけ直す。
一時間半ほどするととても、起きていられないような体調になり、十時半から寝るが次第にえらくなり体が少し痺れ。この所殆どしなくなっていた、体がピクピクするようになり頭鳴(耳鳴りと言うよりも後頭部から酷い金属音がする。)りが酷く、首を支えられなくり気持ちが悪く耐えられない気分になる。
後で子供に聞いたのだが。7、16号にサンマコの粉剤を散布したのを、知らずに16号に前日に入り。そして7号のトタンを直すときに、小屋根からガスを吸ったのがいけなかったのか、下向きに仕事をしたが為に首に緊張が入り熱が出てなったのか。
松井脳神経外科に掛る前にはこんなには弱くはなかった。体力がないためか。こんな状態になると生きるのがしんどい。
3/18日、午後になり少し体調が良くなり。NHKに聞き、医療過誤り原告の会の代表者の、近藤さんに電話をする。力になってくれるそうだ。時効までにはまだ時間があるとのこと。これで松井脳神経外科で私に関わりのある者にふくしゅうができるだろう。
3/19日、午前中は少し体調が良かったが、熱が少し出て頭鳴りが酷く午後になりひどい苦しみに襲われる。この様な状態になると生て行く自信が持てない。
少し良くなると直ぐに悪くなり。治る見込みが無いのであれば。親の責任を果たさずに、子供たちにはすまないが医療過誤原告の会に全てを託し私は死にたい。
3/21日、昨日多少体調が良く、この四五日風呂に入ってなかったので風呂に(ぬるい)のに入ったのが良くなかったのか、朝目覚めると体が多少痺れ体調が悪い。
3/26日、熱があり耳鳴り酷く辛い。
3/27日、今日熱がありとてもしんどいが。大雛の移動があるので無理して養鶏場に行たが手伝うことはできない。午後になり熱が多少高くなり背中から胸がひりひり痛くなり。やかて体中がひりひりする。医療過誤の原告会から手紙が来たので。夕方に近藤さんに電話をする。
3/28日、体調多少良いがケージの間仕切りを十分ほど切るとえらくなり止める。
顔色が青くなる。やはりまだまだ一定の方向に向き仕事は出来ない。中腰で少しの間足にちからを入れると、足に震えがきてとても仕事は出来ない。H/3/7月迄は少しは良くなっていたのに。
今日手に豆が出来たが触らないと痛くない。(以前は豆に水が溜まると痛くて、直ぐに穴をあけて水を抜いていた。血豆も同じ)妻が言うには裂けるとヒリヒリ痛いが触らないと痛くないとの事。手を少し切っても同じ、以前の事を思うと全く不思議。
医療過誤の原告会に入会の手紙を出す。
今日は母の四十九日の法事が有るが私は行けない。
妻が首の写真を妹に渡す医大で見てもらうため。兄弟に見せると。首突起を切り取られている所には腫瘍は無かったと言ったそうだ。
早く良くなれば良いがと心配したと言っていた。しかし金のある兄弟は薄情。精神的に。松井脳神経外科、大杉脳神経外科、に最後の便りを打つ。
夕方42チャンネルで医療での事故の事を放送していたのを聞くと。松井脳神経外科は私の場合は大変に困ると思われる。
H/3/31日の日曜日に松井脳神経外科にタクシーで行き事務所の横の壁に4/10迄に返送しないと医師会、厚生省等に通報するとワープローで記し張ったら。4/23日の日付で返送されたのが良く判った。
3/29日日曜日、朝体調が少し良く安定剤をひかえると。昼前になりやはり首に緊張が入り少し熱が出てきた。やはり体中がひりひりするひどく辛い。
3/30日、朝養鶏場に早く(8:30)タクシーで行く。
今日久しぶりに体調が多少よく機械に少し乗れた。今週から針治療を二回にすることができそう。此の所医者に掛かっているので、アリナミンAをの飲むのを控えていたがやっぱり飲むと感覚異常だいぶん改善される。コタツに入っても足が少し痛くなくなる。
夜目が覚めてこれから先の事を考えるとなかなか寝られない。
無理をしても養鶏場に行かないと体が余計に悪くなる。
3/31日、体調大分良く朝8:30タクシーにて養鶏場に行く。
機械に昨日より長く乗ることが出来た。何故機械に乗るよりも一定に向き仕事をするとか人と話をすると酷い苦しみになるのか。今に電話を手で持ち話すと頭の付け根の首が緊張して酷く疲れる。ワープローを打つのは手を支えて打つのでまだ良いが。
書くことは手を浮かしてするので。直ぐに思うように動かなくなり文字が酷い。
4/1日、養鶏場を見て歩くと屋根の所々を修繕をしないとならない。後二年もすると全て張り替えしなくてはならない。自分ですると半金で出来るのに…………。
夕方医療過誤の原告会の代表者の、近藤さんから電話があり手紙を受け取ったと連絡がある。資料を送るとのこと。これで松井脳神経外科等にに仕返しができる。この程度のワープローを打つも。仕事を出来ない体でするので大変な負担。(十分程度)
4/2日、朝からしんどくていけない。それでも私が行かないとどうする事もできないるとにかく今日は足はだるいは、頭は重くて酷く疲れる。(単純に症状を言うと今の首の状態は歩いたら足が疲れて立てって居るのがしんどい時に、休むと少し楽になる、あの感じである。しかし首が疲れると頭はボートしてしまう。)
4/3日、朝早く起きると(7時前に)体調悪い。何時もは7時半前後。首に緊張がやはりはいる。大分感覚異常も改善された。その日により相当違いは有るが。
夜に大同生命の外交の者から電話が掛かり支離滅裂を言う。大同生命の外交の者は去年。契約が取れてないので。三月の末までにぜひ契約をしてほしいと言い。百万円だと率が悪いので二百万円してほしいと言い。一時払い養老年金に入る時には銀行よりも良いからと言い。二年か三年かは置いてほしいとは言ったが。解約すると元金が戻らないとは妻も、私も聞いてはない。去年入る時には銀行に借入金がまだ二百万円残っているのにと言ったが。損はさせないからと言ったのでに入ったが。しかしそのような事は一切言ってないと言い。詐欺に等しい事を言う。株が下がったら損をするのは当たり前と、言い全く話しにならない。高松の支社に行き、1/23日に直ぐに解約をして欲しいと言ったら。今解約をすると元金が戻らないと言い一年経つ三月の末にして欲しいと言った。(八月にも保険金の支払いで馬鹿を言ったので。解約して元金を返して欲しいと葉書を出した。それから何度も解約を迫ったがしないでいながら。今なら三十万円目減りをすると言った。)外交の者が言う事には株があの時よりも下がるとは思わなかったと馬鹿を言う。あの外交の者は直ぐに被害妄想だと客に言う仕事に信念が全くない。久葉お前こそ精神異常と思う。何故に銀行に同じだけの借入金が有るのに。解約をしても元金が戻ると思ったから入ったのだ。解約しても元金が戻る保証がないのなら株を買う。
(安定性がないのなら)だから今までにも一度も株は買った事はない。
4/4日、今日は昨日保険の外交の馬鹿と(自分勝手。無責任。)話をしたが為に、疲れと熱が出てとても大変。上司も部下が出来が悪いと大変。
私も経営者で有り。人も使っていたが(今も)出来が悪く大変であった。私の所は客商売ではないのでまだ良いが客を相手の仕事では。今の部下では先が思いやられる。少し仕事をするが熱があり、体中がヒリヒリ痛く足ががたがたそれでも私がしないとどうにもならない。それでも夕方に酷く腹が空いた。これからは次第に良くなるであろう。
医者に行くと患者が私の顔を見て。一月前に比べると顔つきが変わり、(むくみが取れたこと)大分元気そうになったと言い。声に張りができものの言い方が変わったと。
私が此処の先生は親切で腕も良いからと言い、医師も聞いていてニコニコしていた。
本当は今日は疲れて酷くえらかったのだが。他人が見て元気になって来ているのならそうだろう。夜酷く疲れたが日記を、ワープローから呼び出し印字をする。大同生命に送る。余りにも人を馬鹿にした。首になればよい。
4/5日、今日朝は体調悪いが機械の修理に。10:半に養鶏場に行きが午後になりは体調が多少よくなりするがやはりとても無理。
今日大西医院で看護婦が。喘息の患者が大分前に(昨年の夏頃に)朝に大西医院に来て治療をしたので。二度は駄目なのかと思い。橋本病院に行き青い色した(本当は透明の薬がラベルで青く見えるとのこと。子供に聞き分かる。)点滴をしてものすごくえらくなり殺されよったと言って来たと言ったので。私がそれは殺虫剤のせいだと言ったらお驚いていた。私のの子供も同じであった。(先に述べた)
4/6日、朝8時に養鶏場に行き、鳥を見て廃鶏を出す酷く疲れる。しかし私がどうしても見ないと養鶏をヤッていけない。屋根も少し修繕するとにかく辛い。頭は重いは、足はつま先で立てるとガクガクし、脊髄が入院前に比べ酷く悪い。ほんの少し手術が遅れていれば死ななくとも、どうする事もできないところであろう。
今日血液検査をする。通院は毎日(アリナミンF.肝臓の薬。)医師は安定剤を減らすように言うが今はとてもだめ。顔が(目が釣り上がり)頭が変になり目がトローンとする。大分良くなったが。
4/7日、今日はこの頃では体調が良いほうである。それでもやはり顔が疲れてくると変形する。夜になり体が楽になると治る。何故になるのか入院の時に点滴をすると顔が酷く引き釣るので鏡を見ると酷く変形してえらいので安定剤を飲むと治る。
今年に入り卵の安値が続いていたが今の時期にしては記録的な安値。(手取り110円)4/8日、今日朝屋根を直し日に当たり大変に疲れる。仕事をしていると看護婦に言ったら無茶をすると言って怒られるが、どうしても私がやらないと養鶏場をやれない。
午後に昼寝をすると少し楽になり仕事をするが、体かついてこない。
足はガタガタ、首もガタガタ横になると首で脈を打つ体はヒリヒリする。熱があるのかもしれない分からない。足はその日により違う。(足がだるい時は首も支えるのが大変)六ヵ月寝ていたのに仕事は、本当なら出来ない。しかし寝ると首の力が落ちどうする事もできない。それでも日に日に少しは良くなってきている。
今日大西医院で血液検査の結果を聞く。大分良くなり肝臓はGOTが48。
2/4日の時は、コリエスーテラーアゼは検査をしてもらわなかった。
コリエーステラアゼは236との事以前は(1991/5/16には279であった。)まだ去年の体調を崩す前に比べると。ヒリヒリ手足がする。感覚異常も相当強い。
しかしこの調子であれば後二三月すれば首以外は何とかなるであろう。とにかく今の医師、看護婦はとても親切大変に気持ちが休まる。大同生命に書留を出すも今日も返事なし。夜四国配合の部長に電話で、今の卵の値段の事を話すと。とにかく加工筋が全くだめ。
本社の冷凍食品も販売が全く不振との事。未だかってない卵の消費不振との事。
私のデータでは今のような単価水準は出ない。未だかって予測は外れたことはない。
バブルの余波が卵の値段にまで関わることは思いもしなかった。
4/9日、今日は昨日より体調は良いがやはりヒリヒリする。
4/11日、今日は此のところで一番体調が良く。少しは首に力が付いてきたがしかし、ポリネックを外しては仕事ができない。(頭が重くとにかくしんどい)
タクシーで養鶏場に行くときに。運転手の言った事に。松井脳神経外科の院長は手に震えがきて手術はもう出来ないと言い。酒の飲みすぎからだと言ったので。
私に絶対にしてはいけない事をしたために心配して。そうなったのだろうと言った。
去年の十月に子供の事を思い。妥協の手紙を出したのに何故に乗らなかったか。
自分を名医と思っている一部の(弁護士も)人間は我々普通の者を無知で。虫けらくらいにしか思ってないのだろう。院長も妻も誤診をした事を。知っていながらあまりにも身勝手な行動、言どうで仕方がないが、子供がかわいそう。
夜に妹に電話で医大で首の写真を見てもらった事を、聞くがやはり医師は手術の前のフイルムを見ないと何とも言えないと言い。(国立善通寺病院の西庄医師は、フイルムは要らないと嘘を言った。)此のフイルムを見る限りにおいては手術はうまく言っていると言い。通常ではあまり後遺症は出ないと言ったとのことである。
(医師で有ろうが。誰が考えても目印で首の後ろを切り取るとは思わない。筋かつながっているかいないかはフイルムでは分からない、手術前後の経過は言わずに見てもらった。)本人が医大まで来れるようになり、(今掛かっている医師も、首の筋がつながってない事は認めた。)診察をし検査をしないと分からないとのことであった。それでも最悪の場合は首の骨を金で固定すると言ったとのこと。そのかわり首がやはり左右に回らなくなると言ったという。(妹にはとにかく首を修復出来るかただそれだけを聞いてもらった。)
それでも私は今の頭の重さから開放され、いろいろの症状から開放される可能性が有り少しは安心できた。
4/12日日曜日、しんどくて朝はとても駄目。午後養鶏場に行く。
4/13日、朝初めて七時前にワープローで。(今までは八時より後)大同生命に葉書を出す。そのために首に極度に緊張が入り。頭は変で手は過敏症が強くなる。
首に緊張が入り、えらいからと言い家で寝ると余計に緊張が強くなりどうする事もできなくなる。そのために無理しても養鶏場に行く。恐らく誰も分かってはもらえないと思う。それでも体調は確実に良くなっている。今掛かっている医師も看護婦もとても親切。松房医院に行かずに。大西医院に行っていたら今頃は神経炎は良くなっていたのに。
8−22日、ある人に内容を話不審とのことで。丁重な言葉で礼状の弁護士に葉書を出す6−3日この所体調が次第に良くなり針にも長く行ってない。しかし汗はあまりでない。少し体調が良いからと言い仕事をするとえらくて困る。
しかし他人に聞いても体調は悪くは見えないと言う。6−15日、計理士の津田氏の紹介で妻が弁護士に会いに高松に行く。早くワープローの文と今の症状を送るようにと。しかし私はどんなに無理しても十日以上は掛かると思う。6−27日、今日弁護士に送る日記等の印字が終わる酷く疲れる。明日速達で送るように言う妻は内容は知らない。無理して一日二時間程してとにかく疲れ頭はボーとして辛い。6−29、少し熱があるようだ。
朝二週間目に私は一時間半ほど廃鶏を出すが。サンマコ散布を少し前にしているので怖くて七鶏舎には入れない。この所少し神経の状態が悪くなる。
大雨で道にひびが入り夕方に体調が悪いがしかたなくユンボが故障のためにショベルに乗る。ユンボであれば少しの時間で応急処置ができるのだが。しかし後の体調の事を思うと恐ろしい。ポリネックを久しぶりにする。六月になりなんとか無理すれば。頭が重くて困るとしばらく手で支えると何とかなったが今日はだめ。酷く疲れる。
6−30今日はやはり疲れから少し熱が出る。朝からしんどくていけない。神経炎の症状が強くなる。
7−2日、夜ユンボの修理が終わり。一時間程度だが道の補修を行うが酷く疲れる。
医療過誤の会長から手紙がくる言い訳もはなはだしい。
何故か私が松井に対して動くと関わりのある者が動く。
7−3日、道の補修をするのに無理して。ポリネックを付けないで機械に乗り首が腫れる。夕方になり少し熱も出る。(後でこの様になるのは分かっているが……)
7−6日、共同経営センターの計理士の津田氏が来る。
いろいろ話をする、松井脳神経外科は非常に有名と言う事が改めて分かったと言い。
アメリカから講師も来ていると言い、また院長は今は家に帰れず病院で寝泊まりとの事。津田氏の話では弁護士は腰をすえてすると言う感じであった。
橋本病院に妻が薬をもらいに行くと。医長の松原医師が転勤したと言う。
またボポナを吊しているとの事。そして診察を受けに私に来てほしいと言ったとのこと。有機燐の殺虫剤により神経炎になったのに何故行ける病院の馬鹿医者。
7−7日、道を補修し体調があまり良くなかったのに。
昨日計理士と話したのと、薬屋と話したのがこたえた。今日は朝から首の力が弱くて頭が重くて困るが。無理してポリネックを付けないでいたら昼から熱が出る。昼寝をするがあまリ体調は良くならず夕方になり。六月以来今月昨日の夕方と同じくポリネックを付ける。布団乾燥機で布団が温もり足を入れると。熱い感じより痛い感じのほうが強くて困る。
朝から感覚異常が強くて困っていたらやはり思ったとうりであった。
首が悪く疲れから熱が直ぐに出るので神経炎はやはりなかなか治らない。7−8日、今日医療過誤の会員から二通目の葉書がくる。やはり酷く不満を持っているようである。
文字が余りにも崩れて読みずらい。(読めない所が多くあり他の人に読んでもらう。)
役員の石井さんが、医師に名誉棄損で逆に訴えられたとのこと。
会長から会報が送られたのを見るとやはりそのとうりであった。医療過誤の存続に関わるから皆で応援をして欲しいと言っていた馬鹿たれ……。写真パネル展に出した文に実名が出てなく抗議をすると。会の方から訴訟を起こしてないと名誉棄損になると言ったのはやはり嘘であった。事実であれば絶対に名誉棄損にはならない。7−9日、今日は体調が少しよく見つめる様な事をすると、やはり酷く疲れる。
(とにかく首を治さないと何ともならない。)
7−10日、今日妻の友達の看護婦が私を心配して来る。
話をするが、始めのうちは話が噛み合わず。皆やはりあまり理解をしなかったが、話をしているうちに納得し酷い目に合ったという事を理解してくれた。
しかし私の体のことはあまり分からない感じを受ける。
7−13日、このところ急に暑くなり。首の緊張が強くて疲れ熱もあり体調悪い。
今日は廃鶏を出すことができない。
7−21日、このところ疲れから体調悪く熱も少しあり、仕事は全くできないと。言って良いほどの体調で頭が重くて。ついにポリネックを付ける。付けないと夕方になると酷く疲れ苦しく。頭鳴りが無くなっていたのが再び軽くする。
いくら無理しても首の筋がないとどうすることもできない。神経もまた悪くなる。
私が鏡で首付け根の後ろの肩の筋肉が手術前のようになく。そのために子供に私の肩の筋肉と手で触らせ。長男のと比べると私には首の後ろの後頭部に行っている筋肉が無いやはり無いとのことであった。これ以上無理してポリネックを除けると疲れから余計に体調を崩すことが分かり。やはりシヨック。何とかしたいが私だけでは何ともできない。7−27日、このところ体調が酷く悪く廃鶏等とてもニワトリの管理はできない。
とにかく辛いポリネックを付けると少しは楽だが何ともならない。
餌屋等に応援を頼むときには。無理してワクチンなどの軽い作業はするがその後が大変。このところ皆もあまり私の首の事に関心はないようである。今度の弁護士も何の連絡もなく、便りがないのは良い便りと思わないといけないのか。
8−1日、今日は私の生涯忘れられない日である。
 四年前の今日私たちの家族の。運命を松井脳神経外科の医師等が変えた。
私は何時かは分からないが絶対に復讐をする。今日夜松井、大杉脳神経外科に葉書、封書に赤色で文をワープローにて記す。8−3日、三週間ぶりに廃鶏出す事ができる程度の体調に回復する。
雨が多く今年は大変。体が丈夫でも困るのに悪いからなおの事大変。松井、大杉脳神経外科に葉書と封書に記し出したのが、今日か明日には着くであろう。
大杉保、松井孝嘉等は困るだろう。
また弁護士など動きが出るかもしれない。とにかく人は信用できない。弁護士から暑中見舞いが来る信用できそう。前の法律事務所からは一切来ない。8−5日、今日仕事で皆に困らすことをする。酷く体が酷くえらくて八つ当たり。自分が酷く情けない事をしているのは良く分かっているが、どうすることもできない。
8−6日、今日から再びポリネックをはずす。付けていてもやはり今は何ともしがたい。修復手術が出来ないと一生人間は出来ない。
頭が重く酷く疲れすぐに熱が出ても仕事を仕方なく無理してするがとにかく辛い。熱が出ると神経が悪くなり生きるのが辛い。
このところ体調が悪いために今日も子供たちにあたる。
この様な自分には愛想がつきるが誰かにあたらないとノイローゼになる。
とにかく松井脳神経外科、大杉脳神経外科の医師達に償いをさすまでは死ねない。
8−7日、昨夜湿布を何時もより多く張って寝ると朝になり首の後ろの形が変わる。
朝は少し体調が良かったが。昼から体調が再び悪くなる。8−8日日曜日、頭を支え切れず首の緊張が酷く強く辛いが仕事をする。もう少し体力が付くと。三豊総合病院にまず始めに行きなんともならない時には、香川労災病院の整形、日赤等に行きたい。今はまだ酷く疲れそのためにと思うが。薬に酷く弱い無理をすれば行けるとは思うが後のことを思うと行くことができない。
私は絶対に首の筋はつなぐ事は出来ると思っている。
もし出来ないのなら私はどうなってもかまわないから松井孝嘉、大杉保、浜野信彦、国立の整形の西庄医師等に責任を取らす。大杉、松井、浜野は殺すかもしれない。
何度も言うが誤診だけであれば私は怒らない。手術を失敗したと思い、全く検査もせずに自分達が可愛いから徹底的に隠した。松井脳神経外科の院長の松井孝嘉はその上に私が行くところを全て妨害する。医師の行うことではない絶対に許すことは出来ない。
一度目の退院の前に大杉医師、松井医師は行為誤診をし。二度目の手術でに私の体をだめにした。首の筋などを目印に切り。
私の体がこの様な状態になるとは思ってもいなかったとは思うが。医師として行ってはならないことをしたのだから絶対に責任を取らす。
ニワトリの管理も殆ど出来ずとにかく辛い。子供の事を思うと私が死ねば一番負担が軽くなるのは分かるが今は出来ない。松井等に責任を取らすまでは。今もえらくて寝るとやはり余計に首の緊張が強くなる。眠れれば少しは取れるのだが。8−12日、大スウの移動が有ったが。私は前日に少し移動を行うのを手伝った為に。
今日は体調が酷く悪く(他人には全く感じないようである。)今度も鳥の移動は全く行うことは出来ず。
それでも無理して給餌機の調整を行い移動の後を見て歩くそのために。酷く疲れて夕方になり少し熱が出る。8−15日、昨日大スウ舎の鶏糞を出しダンプに少し乗りそのために。今日は体調が悪いが電気の点滅器を修理する。
午後になり乾燥場が空いているので仕方なくショベルに乗り鶏糞を乾燥場に運ぶ。
夕方になりやはり酷く疲れるのと首の緊張が入り首が腫れる。そして熱も出る感覚異常も酷くなる。仕事が殆ど出来ずとにかく辛いの一言。
(子供このところ反発し妻も皆私の体調の事は分かってない。私が無理して汗をかく程度に仕事をすると。必ず明くる日には熱が出て神経が悪くなり何ともしがたい地獄。)
今日妻が高松の両方の里え墓参りに行きく。聞くと実家の父も元気とのこと。
妻の里で妻のイトコの主人が。酒を飲み交通事故で内蔵破裂で。もう少しで死ぬところであったと言い今は足に金を入れているとのことであった。
私はそれでも時が経てば殆ど元の体に戻るから良いと思う。自分で撒いた種である。(妻が見舞は済ませている)私は焼き餅を焼く……………………
妻はあまり話したがらないが。皆が酷く心配していたような感じを私は受ける。
私は自分が悪い事もしてなく。医師に行為にこんな体にされ何度も死ぬ目に会わされ……双方の親も私の事などほとんど気にしてないとのことであった。(私の感触)8−16日、昨夜から体調悪く今日は酷いものである。一度目の入院中から明かりにはやはり弱い。(寝て居て窓の外が明るいと頭が変になりえらくなる。体調が悪く熱があると特に酷い。赤い光には特別弱い。) 円高で酷い不況になり。今年の卵価は予想が立たなくなってきた。テレビで、長尾クニ子の娘の交通事故で死んだ時の事を。ドラマかして放送しているのを見ると(医師の誤診も事故と私は思う。)あんなにまでして医師をいじめることはないと私は思う。医師が無知であったが為でああなったので、その後の他の病院に転送され死んだが。裁判で勝ち保証も取りそれ相応の責任を取らしたのだから。敗者をあんなになぶり者にしなくてもよいではないか。
私も体調がもう少し良くなれば今までの病気の経過をもっと詳しく。また二年の一月から十月までの分をワープローで記し世間に知らす。8−20日、此のところ首も神経も悪くて体調が悪いが仕方なく。私が今日から再び大スウに餌をやる。子供の話では私が言ったとうりの制限給餌をしていると言ったが。三号の大雛を見て、子供はやはり私が言ったとうりにはしていないのが分かりはどうしても私のようには出来ないようである。四号舎に入った雛もやはり私が油断をしたのが悪く。
思ったほどは産まないそれでも世間並み以上ではあるが。
当養鶏場は四万羽程度で規模が小さく、経費が多く掛り世間よりは一割程の産卵成績を上げなければ到底やっていけない。長男は都合の悪いことは隠す。しかし私は雛を一目見れば何時頃に病気をしたとか、餌の量を変えたということがすぐに分かる。65日の中スの移動の後は自信を持ちやっているが、少し餌が思ったより早くなくなると急激に餌の量を増やす。反動食いをしその後に餌を持ってくる、あわてて今度は餌をへするそのために発育の良い鳥が進み雛に不同が多くなる。絶対一羽当たり十日で五グラム以上増やしてはいけない事なのだが学習が全く出来ない。首さえ悪くないと雛は私が主に管理をする。辛い……………
全て松井脳神経外科の院長等のせいである私は絶対にそれなりの責任を取らす。
8−21日、今日の昼に重哲朗弁護士から書留にて私が6月28日に送ったワープローの文などが返送される。内容は弁護士は私の力では貴方の思うようには出来ないから受任できませんと言う丁寧な言い回しであったが。また内容には不審なところがある。
一、保全処分だけを依頼したのに。津田氏の話では妻が相談に行って話したが。保全処分をするには理由が要り。妻の話だけでは弁護士は不安がありワープローの文書が要ると言った。
今は相談に行った時から弁護士は裁判だと銭が多く掛かるから裁判はしないでも。松井に落ち度が少しでも有れば保全処分をして調停を裁判所に申し立てれば松井は乗ってくると思うと言っていたのに松井に落ち度は余りにも多い。
二、あまりにも時間がかかり過ぎである。深田病院で今日の事態が起きる原因となる。カルテ、フイルムの保存期間が間もなく切れる。今からだと絶対に間に合わない。
三、弁護士が私の力量ではとても貴殿の期待にはそえませんからと言うことは言わない。他の人が知り合いの弁護士に言ったら。始めから私は医療は相談は受けないと言ったとのこと。
四、弁護士からのワープローでの文書のコピーである。何故ゆえに原文でないのか悪く取れば何通も何処かえ送る必要が有ったのではないか。
五、何故ワープローの文を前もって打っていたのか。平成五年八月日と書き一九日と後か書き入れている。
津田氏が七月六日に来たときに。弁護士の方から直接返事があると言ったのを七月の末になり全く電話もなく、余りにも長く掛かったがために。私は裏切られたと思っていたのだが。暑中見舞が来たので信用したがうまくだまされた。
おそらく津田氏が七月に来た時にはこうすることは決まっていたのであろう。しかし私は八月十日頃になり今からだと保全処分は間に合わずおそらくまたやられたと。妻に話したおそらく盆休みに三者が会い最終的に決めたのであろうう。
六、私のワープローの文のところどころに黄色で印をしている。白黒のコピーでは印は写らない印をするのならピンクですれば良い。またおそらくコピーをしたのだろう。
七、用紙の感じでは一人が読んだとはとても思えない。あれ程は傷まない。
八、これは私の憶測ではあるが弁護士がワープローの文を読み余りにも事が大きく。
また私が金銭的な事よりも松井脳神経外科等に公の席にて裁かれることを望むと。
重弁護士が見て余りにも酷く。またK弁護士がも見。松井の院長に会い言いこれは余りにも酷いから刑事事件になるから。保全処分はさせられないと思ったのではないか。
8−27、妻の話では津田氏から電話が夕方に掛り。弁護士から返事があったかと言い困った事にになったと言ったとの事。今度行った時に話すと言い電話を切る。
8−31、今日計理士の津田氏が決算で来る。話では妻が6−15日に弁護士に会いに行った明くる日に受けられないと言ったのを。
津田氏が無理に頼んだとのことであった。
私は弁護士が保全処分で力量不足とは言わないという。
保全処分は理由さえあればあまり難しくはないと言い完全にしてやられたという。
津田氏はそのような事はないと言うから。
あの病院は非常に有名でアメリカから教授が毎年一度五月頃に来て。
全国から医師が講演を聞きにきているのだと言い。その為に絶対に公には出来ないのだと言う。私が葉書に子供よりわが身が可愛い鬼より酷い松井孝嘉と書いて出したと言い。
医師はプライドが高いから誤診も無く悪い事もしてなければ名誉棄損で訴えると言う。
深田病院での誤診の事のカルテ、フイルムの保存期間が切れたと。そして弁護士から来たワープローの文を見せ何故日々だけ空白で手書きをし。またコピーなのかと言う、何通過何処かえ送る必要が有ったからではないかという。貴方が7−6日に来た時に決まっていたのだと言い。理由は電話の録音と弁護士から連絡し夏休みに読むと言った事等。
妻が行った時には弁護士は文章が多くても、一日有れば読めるだろうと言ったのに。
そして私は高松合同へH3−12−12日に電話をしたが何時がきても返事もなく。
怒り手紙を出すと。出来もしないことを言い返送されたこと。
臼井弁護士の保全処分の話と。また荻原弁護士の事等を種々する。
津田氏は納得しまずかったと言い謝る。
私は全て向こうに知られたという。いじめの葉書を出してもかまわないかと聞き。今日の日付で松井、大杉脳神経外科に葉書を出す。
9−7日、日経に厚生省の医の倫理の事が載っていた。
松井と大杉脳神経外科に葉書にコピーを夜し明日送る。
徳島の弁護士に出す手紙の内容の修正(詳しく)する。
津田氏か来てから首の緊張が強くなり少し熱もあり、体調悪く辛い。
9−10日、津田氏が来る経理が終わり。
弁護士の話をする。家内が行ったその日の夕方に断わってきたのだという。
種々話すと津田氏の話では全く弁護士の言うことが納得できない。
私のことを重弁護士は交通事故との関連があるから裁判を起こしても難しいと言ったと。またこの様な馬鹿な事を言うと全てが弁護士の事が余りにも我々庶民の事を馬鹿にしていように思える。弁護士自身のことが情けなくなる。
保全処分しか頼まなかったのに。裁判まで言うのは変だと私は言う。
すると今度は広島の弁護士に頼めばと言うが。
私は松井と関連の有る弁護士は信用できないから自分で捜すと。
検査もされずに手術が遅れたこと。また手術で首支えられない事と等が関連があると言うことは全く理解しがたい。私は再びワープローの文がコピーで有り、また日付だけが手書きとは余りにも不思議だと言う。津田氏に電話の録音テープを少し聞かす上手く録音出来ていると感心する。
やはり私は金銭のことはワープローの文にはほとんどはめてない為に困ったのだろうと。松井等に精神的に責任をとらす事しか書いてなかったから松井は私は困っていると思う。
9−22日、徳島での医療過誤で講演した徳島の弁護士に七日に体を治すがために。
此方の弁護士ではどうにもならないから保全の処分をんの依頼を頼むが。
徳島の弁護士では経費が高く付くので。先ず香川の弁護士に依頼する様にと断りの葉書がくる何か変な感じ。二三日前に妻等に日々が掛かりすぎるので、おそらく断わられるだろうと言っていたらそのとうりであった。それでも多少のショツクはあった。
10月16日に電話相談が香川で有ると言ってくれるが何の様にすれば弁護士を捜すことが出来るのか判らず困る。香川県には医療に強い者は多くは居ない。(K弁護士の他には)18土,19日曜日朝目覚めると体調が良く体温を調べたくて。少しして口で体温を計るとやはり35.6゜であった昔の健康な時と同じである。
此のところ体温は計ったことがなかったが。しかし熱が有れば体がいまに少しヒリヒリする。退院して一番体調が良く仕事を多くしたがために首が腫れ、熱がありそれ以来体調悪い。体調は日に日に少しは良くなってきているが首が悪く何ともしがたい。
10−16日、徳島の弁護士が言った日が来たが何処に電話をすれば良いかわからず困っていたら。NHKの放送を午後になり聞くが時間内には掛からなかった。
10−18日、今日豊田節子が先日テレビで医療で困ったことがあれば。
久保とか言う弁護士が電話を受け相談にのると言っていたとのこと。しばらくワープローを打ってない。(日記)打てば恨みつらみだけで何か自分が惨めになる。
11−4日、今日共同経営センターの津田氏が来る。経理が終わるとまた何とも理解しがたいことを言う。松井が何も言ってこないかと言う。そして原因は交通事故かという。
交通事故は誤診の原因ではあるがそのような事はないという。
計理士が。私には何も考えずに言ったとは思えない。
私はその時は収支計算で頭が変になっていたので。あまり深く考えなかったが後になり思うととても変な感じ。
私は初めのカルテが無くなったので。あまり慌てずジワジワトやるという。
今無理をすれば私の体が悪くなると元もこもなくなるという。時々手紙でイジメルと言い、もう少し元気になると必ず償いをさす。今の体調は少しは良くなってきた。しかし少し無理をすれば必ず首が腫れるそして以前とは違い今は。首の真後ろに近い頭の付け根が痛くなり頭まで痛くなる。
少し前までは首の真後ろより三センチ程横によった所が痛くなっていたのだが。やはり首の付け根が痛くなると熱が出る様である。以前よりも熱も少しは低くなったようである。

11−12日、昨日体調が悪く今日なんとか無理して、高松の運転免許センターに行くが免許の更新はしてくれず没収される。
退院したH2−7月に電話で事情を言いどうすれば良いかといって聞いていたが。
絶対にできないと言われ、何とも割り切れない感情で帰る。私は入院の時。退院時その後の事など種々話し聞いてもらうが。
係の人は話を聞けば本当に気の毒ではあるが何ともできないとの一点張りであった。
その上にそのような首では車の運転は無理ではないのかという。
帰りやはり疲れから多少熱が出る。背中、胸がヒリヒリする。
11−13日、昨日の高松行きがこたえ今日の朝に目覚めると体が多少痺れていた。
首が腫れ緊張も強く熱もあるとにかく酷く疲れた。今日はやはり辛い。松井孝嘉等を絶対に許さない。これからいじめの葉書を出す。松井は直接は出てこないと思う多分無視するだろうが。弁護士が出てくるまでは止めない。今掛かっている医師は親切ではあるが。今日ももう首のほうは良くなったのと違うかという。私は筋が無いのに良くなるはずがないという。
すると医師はもう時間が経っているから。退化して首の筋はつなぐ事はできないだろうという。現在医学で臓器さえ移植ができるのに私は希望を捨てない。金属音の耳鳴りも今日はひさしぶりにある。
11−14日、やはり運転免許センターに行ったのが体にさわり。
熱も少し有り体中がヒリヒリ酷く痛い。午後になり特に辛い。
また首の緊張感も酷くて、違和感も酷くあるこのような体調になると生きていく自信が持てない。ゆるされるものなら松井の馬鹿医師等を殺し死にたい。この様な気持ちになったことはこのところなかった。昨年現実になり(夢の世界からこの世に戻る)辛いことばかりであった。
最近になり体調も少しは良くなり。かりに修復ができなくても苦痛からは開放されて。やがて人間に戻れると思っていたのに今日はまた涙の人生に戻る…………………養鶏の方も卵価は記録的な最悪状況ではあるが。
産卵成績は他人には信じられないほどに回復した。(平均日卵量。56g以上)

11−29日、今日後藤孵卵場の宣伝で鶏鳴新聞から取材に来る。
成績の記録を見せ今までの種々な事を話すと酷く感心する。種々話すが信じられない程の成績とのことであった。育成のマニアルが欲しいと言って持ち帰る。私が首の筋が切れていて、今も体調が悪く今も人間ができないのだと。松井の事を話すと全く酷いと言い。私が弁護士の態度が松井の院長が知ると態度が急変すると言うと。
弁護士は直ぐに自分が得する方に付くという。朝九時から昼三時過ぎまで応対するが酷く疲れる。
12−4日、電話をすると後藤孵卵場の専務はあの成績は絶対に日本一だといって喜ぶ。私には大変に不満であるが。よほど世間は成績が悪いのだろう。
12−8日、家内の高松市の里の。母親が手術したとのことである。
糖尿病で入院していて検査で。胃癌が見つかり肝臓にも転移をしているとのことで。
後一月の命とのことである。やはり私は見舞にも行けない。
免許センターに行き疲れ。また鶏鳴新聞の取材があり疲れこの所体調が悪くとてもだめ。
12−10日、この所体調が少しずつ善くなり。そのために仕事を少し無理したのが悪く最近三日程前から体調が悪く辛い。少し熱があり頭が重く首が張り頭の付け根が痛く。
また歯も痛く頭と米かみが酷く痛い。今に熱が出ると神経が悪くなる。(痺れ感覚異常)
12−11日、年末調整に計理士がくる今日も体調が悪い。
夜になり頭痛と歯痛が酷く。怖いが仕方なくノーシンを一錠飲む少し治まる。
12−20日、鶏鳴新聞の取材から首が酷く緊張し体中が疲れ。
疲れと肩こりで歯ぐきが化膿して、顔から首の後ろまで腫れて熱も少し出て毎日が辛かったが大方治る。しかし顔が腫れた事には余りきずかず何か変だと思い聞くとだいぶ腫れているという。ズキズキと痛み痛み止めを飲むと始めはよく効いた。しかし効きかたが悪くなり聞くと。顔が腫れているという。腫れてくると薬が余り効かなくなるそうである。
以前は少し腫れても判っていたのに今は判らず不便である。
また今度のように痛みが切り傷をした時に。直ぐに感じる痛みと同じであった。
しかし以前は痛くなると波を打つような痛みでも。余り大きな波ではなく痛くなると痛み止めも効かず酷いものであった。
12−30日、今日高松から昼に電話があり家内の母親が少し悪くなったと言い電話が掛かる。そして夜7時過に急に死んだと言って電話が掛かる。
妻と長男が行く私はやはり行くことができない。松井孝嘉等を恨む。
高松に居た頃に家内の母親の家は宗価学会で。部落のもようおしで私と意見が合わずその時に家内に死んでも、ワシは行かんと言ったことが今になり現実のものになる。何故か人が言ったり私自身が言ったことが現実になる。
12−31日、今日四時から入棺。家内と長男次男が行く。私は後の体調の事を思うと、怖くてとても行く気になれない。
私の兄の長男、次男、弟は一切私の事は聞くことはせず。私には判っていたが薄情。
上の兄は卵のできる量の事を言い自慢をしたとのことである。しかし私の事を知っている家内の親戚と他の人は心配してくれたとのことである。

H6−1−2日、今日が葬式家内だけが行くる私には何とも割り切れない感情。
1−21日、家内の父親が交通事故に会い相手から電話があるり。来てほしいと言うが寒く交通事故の恐れが有るから行かさず。夜に家内が父に電話をする。酷く痛く辛いというので私は相手に無理を言わずに自分では飯も作れないからすまないが入院させて欲しいと言うように言う。父はそうすると言ったが、もし相手が悪なら私が話をつけると言う。
1−26日、今日共同経営センターの津田氏がくる経理が終わり。
まだ葉書を出しているのかと聞く。私は出していると言い松井孝嘉院長は精神的に参ると思うという。津田氏は松井には酷い目にあったなぁと言い松井に何とかしてやらないと困るという。
医者の帰りに松井孝嘉等は精神的に参っていると思うが。絶対に何も言ってこない事は考えられない。事務の者も院長にだまされたからおそらく来ないだろうと長男に話す。
1−27日、松井病院院長の松井孝嘉、院長夫人、大杉脳神経外科、丸岡婦長、大阪北野病院の院長宛に11月出した葉書の効果があり。
朝9時過に、高松の久保法律事務所から速達で配達証明が来る。私には松井孝嘉に頼まれ久保弁護士からという事は見る前に判った。内容は見ないでも有る程度は判ったが。
やはりあの葉書、手紙は名誉棄損になると言うことで。私には一部脅(脅迫ではないが)しの文章がが有るように思う。私の思ったとうりの内容で有った。
松井は裁判はしたくないと言う感触に思う。今後は久保弁護士が窓口になるとのことで。松井孝嘉等との接触は今後一切やめて欲しいという内容であった。
私は経営センターに直ぐに電話をする久保弁護士の人物をを聞く。
経営センターの話では依頼を受けると徹底して追求するとのことであった。
私は依頼者が悪くてもかと言うと(不利)そのような事はないと思うと言う。
無理を言う弁護士であれば私とて絶対に負けることはないから。私は葉書を出し今の事態を起こしたのだから、悪の精神病の松井孝嘉等を絶対に地獄に落とす覚悟を決める。
久保弁護士に電話をするが留守で。久保弁護士の方から掛けるとのことで、12時半に電話が有る。やはり名誉棄損でヤルトは言わない。しかし私を押さえ込もうと言う意図が感じられ。私は頭にくる色々言いたいが一時に法廷に出るとのことで時間がない、私とて覚悟の上で葉書を出したのだから弁護士が無理を言うと後には引かない。
再び2時20分に電話をするが話中で、再度2時半に電話をする。
色々話したいが3時に法廷に行くとのことで、やはり時間がないそれでも国立、労災、医大他の病院の責任にしたことなどを言う。久保弁護士は始めの時とは違い一ランク低い調子でものを言う。最後に私の意向にそえるように、松井孝嘉に言うと言い。また手紙を送るのを少し待って欲しいと言ったので、医大等にかと聞くとそうだと言う。
私は判りましたと言う。来週中には返事をするとのことであった。松井孝嘉は友達のそれも依頼した弁護士に嘘を言うあきれる。皆に言うと良い方に向いたと喜んでくれる。
始めの入院の時に中村さんが言った50才までに善くなるとのこと現実になるのか。卵価の予想も私の思ったようになってきた。昨年の雛の孵化羽数は前年より微減である。一昨年までは孵化羽数と出荷羽数を同時に掲載していたのが、孵化羽数だけになる。
孵化羽数と出荷羽数との開きが約5%と程度の開きがある。出荷の方が低い。何故に皆は気がつかないのか不思議である。私には好意に羽数を多くしていると思う。
1−28日、朝四国配合の東常務に電話で昨日の事を言い、弁護士がもし来るようであれば立会人になってほしいと頼む。興奮から睡眠で不足体調が悪くヒリヒリ体が痛い。
H6−1−29日、昨日共同経営センターに電話をして。久保弁護士か来たかと聞くが来ないという。私は鶏鳴新聞の記事を見に行くようになっているので頼むという。
色々話すが私は体を治すためにしたのだと言い。
所長の泉保氏は池田さんの言うことは筋が通ているのでその主張を通せば良いと言い。
また久保弁護士のほうから前もって今のようなことを起こすと言う連絡が三日程前に有ったとのことであった。
津田氏は知らなかったのか不思議。私の所と他の養鶏場の経理に行くのを間違えてきた。いくら考えても松井孝嘉は嘘の固まりである。
それでも久保弁護士は私と争うのかもし争えば。久保弁護士は酷いことになると思う。
多くの医師を相手に医療過誤で医者いじめをしているから恨みを持った人が多いと思う。私の事は絶対に良識の有る医師であれば判ってくれると思うが。
久保弁護士も判ってくれれば良いのだが………。
私とて松井孝嘉等は良いとしても、松井孝嘉等の子供には全く責任はないがもし争いになると親の犯した罪を知り子供は酷く傷つくと思う。
私の体が悪くなりそのために、子供が地獄を味わったのを私は骨身にしみている。
二度目の手術の後に大杉医師等は腫瘍を見せ。私の兄弟、知りあい、子供たちに手術は大成功と言い何等後遺症は無く治ると説明したそうである。
また私にも大杉医師は松井脳神経外科を辞めてから、311号の松井の院長(大杉医師の妻は松井孝嘉の妹)の親父の見舞いに来た時に私に後遺症は無く、大杉医師はワシも若い頃に腹を手術したが違和感は少しの間はあるが(2,3ヵ月)、私に四月頃から仕事もできると言い、また腫瘍を見せようかと言った。2−3日、今日も弁護士から返事がないイライラする。遅くても土曜日が期限で返事はあると思うが、しかし確実な(具体性の有る)返事は無いと思う。
首が緊張し体調が悪く少し熱が有り体がヒリヒリ痛く辛い。
2−4日、今日も返事がない。首の緊張が強く体調悪い。2−5日、土曜日久保弁護士との約束の日が来たが全く連絡無く不信感をいだく。
我々とは次元の違う世界の人間だから。弁護士も医師も人の死ぬことには何も情けは持たない次元の人間と思う。もし私をだましたのであれば、私とて再び前にも増して鬼になる。四国配合の常務は。向こうの戦略であるから絶対に沈黙を守れと言う。
私は良いように取りたい。首の修復の手術ができるか聞き合わせていると思いたい。
また弁護士と松井孝嘉とが意見が会わず返事が遅れたとも……あれ程の優秀な弁護士が戦略で好意に返事を遅らし。私を怒らし自分の戦術に引きこむとは思いたくはない。 今日突然高松の幼なじみの友から一時頃に電話があり行くと言い。小学校から中学までの同級生が二人来る。二人とも中の良い友達で有った。一人は二十年以上会ってないがごく久しい友であった。幼い頃中学生まではよく遊んだ懐かしい友で。家も直ぐ近くであった。二時間ほど話て帰って行く私は首に緊張が入り酷く疲れた。それでも幼友達は善いものであった。私の方からは今の体調では行くことができずとにかく嬉しかった。
2−6日、今日母の三回忌にはやはり行くことができない。
昨日友が来て無理して話て首の緊張が強く。また弁護士が約束を守らないので、イラついたがために体調が悪くて熱が有り体がヒリヒリ痛くて。 後のことを思うとやはり無理はできない。
医師弁護士は私たち一般の人間とは時現の違う世界の人間だが。松井孝嘉と同じ人間とは思いたくないが。私が電話で話した感じでは。誠意が感じられたのだが先生呼ばれる、人間は皆しんじられないのか………。やはりお人好しではいけないのか。
医療過誤の長尾クニ子のように人の良い顔した悪の人間にならないといけないのか。
長尾クニ子は自分では気がついていないのか、それとも知ってええ子ぶっているのか?。2−14日、確定申告と経理で経理士津田氏が来る。私は久保弁護士のことを前もって知っていたのだろうと言うが。津田氏は私は居なく知らなかったと言う。
返事が約束の2−5日はおろか今に無く返事をするように言ってほしいと言う。
津田氏は経営センターの顧問弁護士で悪い考えはしないと思う言い善かったと。
明日センターに行くから所長に伝えるとのことであった。
それでも我々とは次元の異なる世界の人間だから考えていることがわからないと私は言う。2−16日、確定申告のことで経営センターに電話をする。
弁護士に伝えたか聞く。所長が直ぐに電話をしたが弁護士は留守であったから事務の女性に話をしたとのことであった。
2−18日、今日午後に観信の支店長が養鶏場来て話をしたし帰った直ぐ後に。
久保法律事務所から電話があり今日は弁護士は留守なのでと言い事務の女性から。経営センターの所長から電話があり私が待っているから直ぐに行くように言ったのですが。
弁護士は松井からカルテを見てから決めるという。
私は約束の期限に返事もなく今になり全く以前と違う事を言うので。
また今までの弁護士等と同じく時間稼ぎをするのかと言い怒る。私は今後一切貴女の先生とは話さないと言い。また名誉棄損で訴訟を起こせという。
そして必ず法廷にて白黒をつけると言い。またカルテの保存期限も来年の早い時期でも5月末まではあり、また契約違反は十年だから時間は十分だと言って怒る。最後に貴女にきつい事を言いすまないがわかって欲しいと言い。貴女の所の先生は今までは患者側に立ち訴訟を起こしていたのに。ただ友だとと言う事だけで松井に付き松井の息の係った人間は信用できないからと言い電話を切る。
その後直ぐに経営センターに電話をして。所長に骨を負ってもらったのに申しわけないが弁護士が約束を守らない以上今は話には乗れないと言い。訴訟で白黒をつけるから所長には本当にすみませんと言って断わると。所長も言葉の調子から落胆したように思えた。『私の力になってくれた人には本当に申しわけなく思います池田昇。』夜四国配合の東常務に今日のことを電話で話しやはり、常務の言う事が合っていたと。
常務は近い時期に来るとのことである。松井孝嘉にワープローにて手紙を夜打つひどく疲れる。弁護士に種々工作されずイライラしなくてすむ。必ず弁護士共々松井孝嘉等を地獄に落とす。
弁護士と話した後日に子供が徳島に喘息の治療に行き医師に話すと。
医師は弁護士を立てなければ絶対に負けると言ったことがわかった。
弁護士どうしの話だと事は簡単にかたずくからと私は思えた。?とにかく身体を治すことに集中しないといけない。
2−19日、イライラとワープローで体調悪くひどく辛い。
これからは身体を治すことに集中できる。
松井孝嘉等も弁護士を付けた限りには。今までのようには自分の考えだけでは何もできない。松井、大杉、浜野等の子供の事を思い裁判だけは避けたかったが仕方がない。子供たちはひどく傷つくことになると私は思うのだが………………。
何故か首が緊張すると手が痺れ、また熱が出るすると神経が悪くなる。
ほんの少しは日増しに善くなっ来ているのだが地獄の世界には違いない。
2−25、久保弁護士から24日ずけで午後に内容証明がくる。
内容は私が松井に出した手紙に対して馬鹿を言ってきたものである。
直ぐに電話をする弁護士に何故約束どうりに返事をしなかったかと言う。
すると弁護士は、返事が遅れたことは悪かったと。私は今までの弁護士などの経緯があるので信用できず。あのような内容の手紙を出したのだという。弁護士は松井(先生と言うがあえて私は先生をはぶくあんな医者が先生とは今更思いたくもない。また人間とも自分の子供の親とも思ってはいない。)は怒り金は払わないと言っていると分かり切ったこという。『そのようなことを言わなくても返事が遅れたことと、代理で電話で事務の女性がカルテを見て決めるということで始めからわかっていた。』私は私は金を出せとは一度も言ったことはないという。『損害をこれだけ受けたということは何等さしつかえはないと思う。』松井の代理人であるから松井孝嘉と話ができなくても仕方がないとは思っていたのだと言い。弁護士はそれ程気になるのであれば電話をしてくれればよいのにという。
私が期限を切り返答を迫ったのでないから此方から電話をする筋ではないと反論し返事が遅れるのであれば何故遅れると言わないかと、そして今先生の言うことと。事務の女性の言うこととは話が違うと言い。私は意思のそつうができずこう言うことになるから直接電話をして欲しかったと言い。電話ぐらいできないかと私は切り返す。
すると貴方と話すと話が長くなるからと言う。私は再度ただ少し待って欲しいと電話をすけばよかったのだと。私はイライラしただけで熱が出るから、これ以上以前の話とは違うことを言い引き延ばされたら体が悪くなるのでと言う。
すると弁護士は貴方の手紙に対しては私は何も怒っては言って書いてないと言う。
少し話すうちに弁護士はカルテの保存期限が五年だから早くするようにと言う。
また契約違反は五年と思うと言い。十年と思い勘違いをしているとエライ目にあうという。そしてそして少し待って欲しいと言い、六法全書を見るがわからないという。
私たちとは次元が違う人間だからわからないが…私が思うに。久保弁護士は友達として信じて代理人になり松井孝嘉に嘘を言われたことがわかったのではなかろうか?。
弁護士はそれだけのこんきょが有り出したのだとは思うが、あの赤い葉書だけは出さないで欲しいとい。弁護士は最後に本当は裁判はしたくないのだという。今日は予定があり長くは話せないという。
3−1、弁護士から電話があり。私が松井に送った身体障害者の証明のことで。
弁護士は池田さんの気に入るようには松井は書かないから書いてもらわなくてもいいだろうという。私は以前こちらの病院で徳島の中央病院の医師に診察を受け。首の筋が切れていて一生治らないと言われて。松井脳神経外科に行ったが受付が医師に聞くこともせず相手にもしなかったから、松井は書くことはないと思っていたのだと言い。
全国に病気の経過文を送るのを3−10の期限まで待つつもりで出したのだと言う。
そして、私が昨日手紙を出したと言うと着いたと言い。葉書は預かっておくという。
私はもったいないから皆出そうかと思ったがと言い、私のところに有れば出したくなると。弁護士はカルテの保存期限は五年で、時効は十年だという。
私が弁護士に距離的に遠いので断わられたと言うと。弁護士はどこの弁護士かという。私が答えないとかまわないから言ってみろという。私は徳島の松原だと言うとやはりなあとあの弁護士は。こんな医療の事の全国の幹事をしているのだという。徳島からだと大変だと言い。裁判は観音寺ですることになるとの事である。私が先生弁護士を紹介して欲しいと言い先生はそれはできなだろうと言うと返事をしない。久保弁護士は問題が問題だけに香川県にはおそらく居ないと思うという。そして大阪であれば居るとは思うかと。しかし距離的に大変だという。こんな問題は時間が掛かればそれだけ難しくなるから早くしたほうがよいという。私は経営センターの所長が言うには、先生は香川県で腕が一二で非常にまじめだと言ったという。私は松井の代理人を辞めて私についてくれでばよいのにと言うと。弁護士は今のところ松井を下りるつもりはないと言い。また仮に何等かの事で下りても。松井の事情を聞いたから今からは貴方のほうには付けないのだと言う。
この所ポリネックーを付けなければいけなくなる。
3−5、高松市の96歳の父親が風邪で肺炎になり入院したと電話がある。
ぜひ行きたいが明日にならないとわからない。
3−6、私はやはりいけない。昼に高松のすぐ上の兄が父の見舞いから帰りに来る。親父は心配はないという。喘息を持っているから息苦しいのは仕方がないという。
私は兄の言うことは信用できない。私が悪くなった時に私が腫瘍が影響していると言うと兄はノイローゼと言い相手にしなかった。顔を見て分からないようでは情けない。
帰り夕方に子供と妻に容体を聞いたら昨日の電話とは違い私の聞いた感じでは今の状態を放置するとあまり長くは持たないと思われる感じであった。
私は電話で弟嫁に容体を再度詳しく聞き。足にムクミがきたと言いう、痰が出るのかと聞くと出ないのだという。また点滴をしてもすぐには尿が出ず点滴が終わる頃には酷く疲れるとゆう感じが見えると。私は今のままでは覚悟をしないといけないと言い。そして私は子供と妻に聞いた感じだと。今はまだ体力を付けることに徹すると回復の望みは大いにあると言う。私の今まで経験から力をつけるには。卵の生とはちみつを混ぜて食べさせ、心臓にはリポビDタンスーパが良く(アミノ酸のタウリン)、おなかが張り便が出ないのであればビオヘルミン、を飲ませばなんとか回復するかもしれないと言う。
3−9、昨夜電話をすると少しよくなったように言う。電話で毎日容体を聞く。
3−13日曜日、私は朝体調はあまり良くないが。とにかく父親の容体を一目見て来る必要がある。高松市天神前の高松病院の病院に入院している父親の見舞いに行く。
肺炎のために呼吸がえらそうで酸素吸入をしていたが。私が見た感じでは父親はむくみもほとんど取れ今は生命にべつじょうがない程に元気に見え安心する。子供と妻がこんなに元気になるとは思いもしなかったと言う。
松井脳神経外科で入院の時にも多くの患者を私が見るに見かねてこうすればよいと教えた。また院長は病気の事を知らないからと言い私に患者が何人もが聞きにきた。
名前を言うがやはり顔は分からないという。そしてワシハボケて居るという。
『昨年当養鶏場に私が入院する前年まで。集卵に来ていた女性と医院で会い私が名前を言うが顔が変わり全く分からないという。』私が色々親父に言うとうんうんと返事をする。えらくはないかと聞くと今はえらくはないという。尿も良く出ると言う。しかし見るからに四年の十一月に比べればやつれていた。入院が遅れたのがはっきり分かる後一月は最低入院をしないといけないと言い聞かせる。そうかと言う。帰りにまた来ると言うと父親は来てくれという。私は嬉しかった。家に着く頃には首の緊張が強くなり物が二重に見え疲れる。夕方に高松市の本家に電話をすると私が言った事を(栄養をつけること等)実行したら元気になったといって喜んでくれた。そしてあした先生に病状を聞くという。
3−14、昨日の高松行きがこたえた。首の緊張が強く体調が悪い。熱も少しはある。夜に高松の親父の家の弟嫁に電話をする。医師に病状を聞くと。すると先生の言うことは最悪のことを考えなくてはなないと言ったという。詳しく聞くと3−2、9日の胸部のレントゲンフイルムと心連図とを見せ。医師は胸に水が溜りそれが全く取れないという。それと心臓も弱り初めのと全く改善がないと言ったというが。しかし弟嫁はむくみは大分取れたとようだという。しかし私が栄養の付け方を言った事を実行してから一日しか経過してないから、今度検査をすると私は必ず良くなったと医師が言うという。
弟嫁は兄さんの言った事が『親父の最悪』良く合っていたと言い感心する。
とにかく腎臓は悪くないから栄養を付けることの一言という。
そして兄弟が近くの病院に変えると言った事に馬鹿と言って。絶対にするなと今変わると必ずかんきょうの急変で病状が悪くなり死ぬと言い。するとそのようにしますと言い。分からないことがあったら聞きますという。
H6−1−29日、昨日共同経営センターに電話をして。久保弁護士か来たかと聞くが来ないという。私は鶏鳴新聞の記事を見に行くようになっているので頼むという。
色々話すが私は体を治すためにしたのだと言い。
所長の泉保氏は池田さんの言うことは筋が通ているのでその主張を通せば良いと言い。
また久保弁護士のほうから前もって今のようなことを起こすと言う連絡が三日程前に有ったとのことであった。
津田氏は知らなかったのか不思議。私の所と他の養鶏場の経理に行くのを間違えてきた。いくら考えても松井孝嘉は嘘の固まりである。
それでも久保弁護士は私と争うのかもし争えば。久保弁護士は酷いことになると思う。
多くの医師を相手に医療過誤で医者いじめをしているから恨みを持った人が多いと思う。私の事は絶対に良識の有る医師であれば判ってくれると思う。
久保弁護士も判ってくれれば良いのだが………。
私とて松井孝嘉等は良いとしても、松井孝嘉等の子供には全く責任はないがもし争いになると親の犯した罪を知り子供は酷く傷つくと思う。
私の体が悪くなりそのために、子供が地獄を味わったのを私は骨身にしみている。
二度目の手術の後に大杉医師等は腫瘍を見せ。私の兄弟、知りあいに、子供たちに手術は大成功と言い何等後遺症は無く治ると説明したそうである。
また私にも大杉医師は松井脳神経外科を辞めてから、311号の松井の院長(大杉医師の妻は松井孝嘉の妹)の親父の見舞いに来た時に私に後遺症は無く、大杉医師はワシも若い頃に腹を手術したが違和感は少しの間はあるが(2,3ヵ月)、私に四月頃から仕事もできると言い、また腫瘍を見せようかと言った。2−3日、今日も弁護士から返事がないイライラする。早くても土曜日が期限で返事はあると思うが、しかし確実な(具体性の有る)返事は無いと思う。
首が緊張し体調が悪く少し熱が有り体がヒリヒリ痛く辛い。
2−4日、今日も返事がない。首の緊張が強く体調悪い。2−5日、土曜日久保弁護士との約束の日が来たが全く連絡無く不信感をいだく。
我々とは次元の違う世界の人間だから。弁護士も医師も人の死ぬことには何も情けは持たない次元の人間と思う。もし私をだましたのであれば、私とて再び前にも増して鬼になる。四国配合の常務は。向こうの戦略であるから絶対に沈黙を守れと言う。
私は良いように取りたい。首の修復の手術ができるか聞き合わせていると思いたい。
また弁護士と松井孝嘉とが意見が会わず返事が遅れたとも……あれ程の優秀な弁護士が戦略で好意に返事を遅らし。私を怒らし自分の戦術に引きこむとは思いたくはない。 今日突然高松の幼なじみの友から一時頃に電話があり行くと言い。小学校から中学までの同級生が二人来る。二人とも中の良い友達で有った。一人は二十年以上会ってないがごく久しい友であった。幼い頃中学生まではよく遊んだ懐かしい友で。家も直ぐ近くであった。二時間ほど話て帰って行く私は首に緊張が入り酷く疲れた。それでも幼友達は善いものであった。私の方からは今の体調では行くことができずとにかく嬉しかった。
2−6日、今日はやはり母の三回忌には行くことができない。昨日友が来て無理して話て首の緊張が強く熱が有り体がヒリヒリ痛くまた弁護士が約束を守らないので、イラついたがために体調が悪い。後のことを思うとやはり無理はできない。
医師弁護士は私たち一般の人間とは時現の違う世界の人間だが。松井孝嘉と同じ人間とは思いたくないが。私が電話で話した感じでは。誠意が感じられたのだが先生呼ばれる、人間は皆しんじられないのか………。やはりお人好しではいけないのか。
 医療過誤の長尾クニ子のように人の良い顔した悪の人間にならないといけないのか。
長尾クニ子は自分では気がついていないのか、それとも知ってええ子ぶっているのか?。2−14日、確定申告と経理で経理士津田氏が来る。私は久保弁護士のことを前もって知っていたのだろうと言うが。津田氏は私は居なく知らなかったと言う。
返事が約束の2−5日はおろか今に無く返事をするように言ってほしいと言う。
津田氏は経営センターの顧問弁護士で悪考えはしないと言い善かったという。
明日センターに行くから所長に伝えるとのことであった。それでも我々とは次元の異なる世界の人間だから考えていることがわからないと私は言う。2−16日、確定申告のことで経営センターに電話をする。
弁護士に伝えたか聞く。所長が直ぐに電話をしたが弁護士は留守であったから事務の女性に話をしたとのことであった。2−18日、今日午後に観信の支店長が養鶏場来て話をしたし帰った直ぐ後に。
 久保法律事務所から電話があり今日は弁護士は留守なのでと言い事務の女性から。経営センターの所長から電話があり私が待っているから直ぐに行くように言ったのですが。
弁護士は松井のカルテを見てから決めるという。
私は約束の期限に返事もなく今になり全く以前と違う事を言うので。
また今までの弁護士等と同じく時間稼ぎをするのかと言い怒る。私は今後一切貴女の先生とは話さないと言い。また名誉棄損で訴訟を起こせという。
そして必ず法廷にて白黒をつけると言い。またカルテの保存期限も来年の早い時期でも5月末まではあり、また契約違反は十年だから時間は十分だと言って怒る。最後に貴女にきつい事を言いすまないがわかって欲しいと言い。貴女の所の先生は今までは患者側に立ち訴訟を起こしていたのに。ただ友だとと言う事だけで松井に付き松井の息の係った人間は信用できないからと言い電話を切る。 その後直ぐに経営センターに電話をして。所長に骨を負ってもらったのに申しわけないが弁護士が約束を守らない以上今は話には乗れないと言い。訴訟で白黒をつけるから所長には本当にすみませんと言って断わると。所長も言葉の調子から落胆したように思えた。 『私の力になってくれた人には本当に申しわけなく思います池田昇。』夜四国配合の東常務に今日のことを電話で話しやはり、常務の言う事が合っていたと。
常務は近い時期に来るとのことである。松井孝嘉にワープローにて手紙を夜打つひどく疲れる。弁護士に種々工作されずイライラしなくてすむ。必ず弁護士共々松井孝嘉等を地獄に落とす。弁護士と話した後日に子供が徳島に喘息の治療に行き医師に話すと。
医師は弁護士を立てなければ絶対に負けると言ったことがわかった。
弁護士どうしの話だと事は簡単にかたずくからと私は思えた。?とにかく身体を治すことに集中しないといけない。2−19日、イライラとワープローで体調悪くひどく辛い。
これからは身体を治すことに集中できる。
松井孝嘉等も弁護士を付けた限りには。今までのようには自分の考えだけでは何もできない。松井、大杉、浜野等の子供の事を思い裁判だけは避けたかったが仕方がない。子供たちはひどく傷つくことになると私は思うのだが………………。何故か首が緊張すると手が痺れ、また熱が出るすると神経が悪くなる。
ほんの少しは日増しに善くなっ来ているのだが地獄の世界には違いない。
2−25、久保弁護士から24日ずけで午後に内容証明がくる。
内容は私が松井に出した手紙に対して馬鹿を言ってきたものである。直ぐに電話をする弁護士に何故約束どうりに返事をしなかったかと言う。
すると弁護士は、返事が遅れたことは悪かったと。私は今までの弁護士などの経緯があるので信用できず。あのような内容の手紙を出したのだという。弁護士は松井(先生と言うがあえて私は先生をはぶくあんな医者が先生とは今更思いたくもない。また人間とも自分の子供の親とも思ってはいない。)は怒り金は払わないと言っているという。
『そのようなことを言わなくても返事が遅れたことと、代理で電話で事務の女性がカルテを見て決めるということで始めからわかっていた。』
私は私は金を出せとは一度も言ったことはないという。『損害をこれだけ受けたということは何等さしつかえはないと思う。』松井の代理人であるから松井孝嘉と話ができなくても仕方がないとは思っていたのだと言い。弁護士はそれ程気になるのであれば電話をしてくれればよいのにという。私が期限を切り返答を迫ったのでないから此方から電話をする筋ではないと反論し返事が遅れるのであれば何故遅れると言う、そして今先生の言うことと。事務の女性の言うこととは話が違うと言い。私は意思のそつうができずこう言うことになるから直接電話をして欲しかったと言い。電話ぐらいできないかと私は切り返す。すると貴方と話すと話が長くなるからと言う。私は再度ただ少し待って欲しいと電話をすけばよかったのだと。私はイライラしただけで熱が出るから、これ以上以前の話とは違うことを言い引き延ばされたら体が悪くなるのでと言う。
すると弁護士は貴方の手紙に対しては私は何も怒っては言ってないという。
少し話すうちに弁護士はカルテの保存期限が五年だから早くするようにという。
また契約違反は五年と思うと言い。十年と思い勘違いをしているとエライ目にあうという。そしてそして少し待って欲しいと言い、六法全書を見るがわからないという。
私たちとは次元が違う人間だからわからないが…私が思うに。久保弁護士は友達として信じて代理人になり松井孝嘉に嘘を言われたことがわかったのではなかろうか?。
弁護士はそれだけのこんきょが有り出したのだとは思うが、あの赤い葉書だけは出さないで欲しいとい。弁護士は最後に本当は裁判はしたくないのだという。今日は予定があり長くは話せないという。3−1、弁護士から電話があり。私が松井に送った身体障害者の証明のことで。
弁護士は池田さんの気に入るようには松井は書かないから書いてもらわなくてもいいだろうという。私は以前こちらの病院で徳島の中央病院の医師に診察を受け。首の筋が切れていて一生治らないと言われて。松井脳神経外科に行ったが受付が医師に聞くこともせず相手にもしなかったから、書くことはないと思っていたのだと言い。病気の経過を送るのを返事があるか3−10の期限まで待つつもり出したのだと言う。
そして、私が昨日手紙を出したと言うと着いたと言い。葉書は預かっておくという。
もったいないから皆出そうかと思ったがと言い、私のところに有れば出したくなると。そしてカルテの保存期限は五年で、時効は十年だという。
私は弁護士に距離的に遠いので断わられたと言うと。弁護士はどこの弁護士かという。私が答えないとかまわないから言ってみろという。私は徳島の松原だと言うとやはりなあとあの弁護士は。こんな医療の事の全国の幹事をしているのだという。徳島からだと大変だと言い。裁判は観音寺ですることになるとの事である。私が先生弁護士を紹介して欲しいと言い先生はそれはできなだろうと言うと返事をしない。久保弁護士は問題が問題だけに香川県にはおそらく居ないと思うという。そして大阪であれば居るとは思うかと。しかし距離的に大変だという。こんな問題は時間が掛かればそれだけ難しくなるから早くしたほうがよいという。私は経営センターの所長が言うには、先生は香川県で腕が一二で非常にまじめだと言ったという。私は松井の代理人を辞めるとて私についてくれでばよいのにと言うと。弁護士は今のところ松井を下りるつもりはないと言い。また仮に何等かの事で下りても。松井の事情を聞いたから今からは貴方のほうには着けないのだと言う。この所ポリネックーを付けなければいけなくなる。
3−5、高松市の96歳の父親が風邪で肺炎になり入院したと電話がある。
ぜひ行きたいが明日にならないとわからない。
3−6、私はやはりいけない。昼に高松のすぐ上の兄が父の見舞いから帰りにくる。親父は心配はないという。喘息を持っているから息苦しいのは仕方がないという。私は兄の言うことは信用できない。私が悪くなった時に私が腫瘍が影響していると言うと兄はノイローゼと言い相手にしなかった。顔を見て分からないようでは情けない。
帰り夕方に子供と妻に容体を聞いたら昨日の電話とは違い私の聞いた感じでは今の状態を放置するとあまり長くは持たないと思われる感じであった。
私は電話で弟嫁に容体を再度詳しく聞き。足にムクミがきたと言いう、痰が出るのかと聞くと出ないのだという。また点滴をしてもすぐには尿が出ず点滴が終わる頃には酷く疲れるとゆう感じが見えると。私は今のままでは覚悟をしないといけないと言い。そして私は子供と妻に聞いた感じだと。今はまだ体力を付けることに徹すると回復の望みは大いにあると言う。私の今まで経験から力をつけるには。卵の生とはちみつを混ぜて食べさせ、心臓にはリポビDタンスーパが良く(アミノ酸のタウリン)、おなかが張り便が出ないのであればビオヘルミン、を飲ませばなんとか回復するかもしれないという。
3−9、昨夜電話をすると少しよくなったように言う。
電話毎日容体を聞く。
3−13日曜日、私は朝体調はあまり良くないが。とにかく父親の容体を一目見て来る必要がある。高松市天神前の高松病院の病院に入院している父親の見舞いに行く。
肺炎のために呼吸がえらそうで酸素吸入をしていたが。私が見た感じでは父親はむくみもほとんど取れ今は生命にべつじょうがない程に元気に見え安心する。子供と妻がこんなに元気になるとは思いもしなかったと言う。
松井脳神経外科で入院の時にも多くの患者を私が見るに見かねてこうすればよいと教えた。また院長は病気の事を知らないからと言い私に患者が何人もが聞きにきた。
名前を言うがやはり顔は分からないという。そしてワシハボケて居るという。
『昨年当養鶏場に私が入院する前年まで。集卵に来ていた女性と医院で会い私が名前を言うが顔が変わり全く分からないという。』私が色々親父に言うとうんうんと返事をする。えらくはないかと聞くと今はえらくはないという。尿も良く出ると言う。しかし見るからに四年の十一月に比べればやつれていた。入院が遅れたのがはっきり分かる後一月は入院をしないといけないと言い聞かせる。そうかと言う。帰りにまた来ると言うと父親は来てくれという。私は嬉しかった。家に着く頃には首の緊張が強くなり物が二重に見え疲れる。夕方に高松市の本家に電話をすると私が言った事を(栄養をつけること等)実行したら元気になったといって喜んでくれた。そしてあした先生に病状を聞くという。3−14、昨日の高松行きがこたえた。首の緊張が強く体調が悪い。熱も少しはある。夜に高松の親父の家の弟嫁に電話をする。医師に病状を聞くと。すると先生の言うことは最悪のことを考えなくてはなないと言ったという。詳しく聞くと3−2、9日の胸部のレントゲンフイルムと心連図とを見せ。医師は胸に水が溜りそれが全く取れないという。それと心臓も弱り初めのと全く改善がないと言ったという。しかしむくみは大分取れたという。しかし私が栄養の付け方を言った事を実行してから一日しか経過してないから今度検査をすると私は必ず良くなったと医師が言うという。
弟嫁は兄さんの言った事が『親父の最悪』良く合っていたと言い感心する。
とにかく腎臓は悪くないから栄養を付けることの一言という。
そして兄弟が近くの病院に変えると言った事に馬鹿と言って。絶対にするなと今変わると必ずかんきょうの急変で病状が悪くなり死ぬと言い。するとそのようにしますと言い。分からないことがあったら聞きますという。
3−26日、今日久保弁護士から午後二時頃に電話があり。
私には手術の説明はできないという。そして弁護士が来たら話をするという。
私は何故書面で返事をしないかと言うと。弁護士は手紙を出すとすぐに電話が掛かるからと言う。
そしてまた支離滅裂を言う。私がCTを撮りその後に入院の時に持って行った。
緊急に豊電社に頼み高松から取り寄せた、冷凍庫の事で精神病以外の何物でもない事を言う。内容は松井孝嘉院長が嘘を言ったとは思うが。
弁護士は松井の院長が持ってきたらいかんというのに持ち込み、また治療の妨げになるのに冷やすなというのに勝手に冷やしという。
食べ物を冷やす冷蔵庫であれば分かるが『初めての時には持っていった』。二度目の入院のときには治療に必要の無いものは一切何も持ってい行った物はない。それだけの精神的にも体力的にも余裕無かった。もし体力があれば他の病院(高松の日赤)に行った。
私は口で体温を計って37゜1分で冷やさないと呼吸困難になり。松井ではアイスノンを貸してくれないから仕方なく高松から取り寄せたのだと怒る。
するとまた久保弁護士はごじやごじや言うのなら。松井のほうから裁判を起こし。
責任はないというようにしようかと脅すと私が怖がると思いいう。
私はやるのならやれば良いという。私は名誉も何も失うものはないからやれば良いと言う。池田さんに損害を掛けるためのものではないという。(松井に責任が無いということは私に償いをしないと言うことである)余りにも馬鹿にしている。私はぜひ裁判を起こせというと。弁護士は声のトーンが下がりやはり本当は裁判はしたくないとという。
そして池田さんが自分で良いと思う病院に行けば。その病院から手術の経過を欲しいというのなら送るという。私はこの前は全く治療に協力はしないと言ったではないかと言うと変わることもあるという。
私に説明ができないのに何故弁護士を立てたら話をすると考えられない事をいう。
私には頭にきたというより余りにも松井孝嘉院長と同じく、弁護士も精神病以外の何物でもないと思った。
私は今も医師に掛かっているのだと言うと今もかという。
そしてその医師は何というと言う。私は同じ地域くの医師がになも言うはずがないという。そして国立の医師のこと、その他のことを言い。何故松井に言うと医師などが態度が急変するといい。弁護士は私には分かりませんととぼけたいかたをする。
私は内容を知られてもかまわないから何だったら病気の経過を送ろうかといって怒る。弁護士はその必要はないという。そして私が怒ると弁護士は弱気になる。
私が共同経営センターの所長泉保、津田氏が私のほうに付いていたらなんでも無かったのにと言い松井に何故協力をするのかと言うと。
弁護士は脳外の過誤も受けることがあり。松井院長に協力をしてもらっていたのだという。友達ではなく欲得の付き合いであった。
私が強く出ればすぐに本当のことを言う。弁護士もやはり秀才で精神的にはもろいところがあると私には思えた。早く弁護士を立てろといい。私は体力的に弁護士にも会いに行けないと言うと妻に行かせろという。
普通では考えられないことなので私が行くことができればすぐに代理人ができるのだがと言う。すると弁護士は出張をしてもらえば良いといい。
再度私に直接は話はできないが弁護士には話をするという。
私はとにかく書面でそのむねを欲しいという。
弁護士はその程度であれば月曜に書き送るという。とにかく松井と弁護士は困っているのは確かである。
私は後藤孵卵場に電話をして弁護士をなんとか捜して欲しいという。しかしやはり他人は頼りにはならない。
後で子供に冷凍庫のことを言うと。子供は怒り松井の馬鹿院長を殺してやろかと怒る。
4−10、親父が無理に退院したというので見に行く。
私の感じでは。医師が進めて退院すれば良いというような状態ではなかった。
今すぐにどうこうと言う事はないがやはり安心できるような状態ではなく。おそらく父は死ぬことになるであろう。とにかく体力をつけないといけない。退院の前頃は父は点滴も注射も無く飲み薬だけであったとのことで。悪くなったら直ぐに再入院さすように言ったそうである。父の居た部屋は寒かった退院してから大分悪くなったような感じであった。五月まで入院させるように言っていたのだが退院した後に便があった。
弟の嫁にいろいろ話して二時間いて帰る。帰りに家族におそらく父は死ぬであろうと言う。4−12、高松に行った疲れから体調が悪く辛い。
日記を付ければ泣き言ばかりで自分が惨めになる。
3−26日に久保弁護士の冷凍庫の事の言い方が余りにも酷く。日に日に許しがたき気分になる。
父が悪く死に目に会えないといけないと思い。また日記を付ければ辛く惨めなことばかりである。
父が8−26日PM9:40に逝く電話が姉から有った。体調悪く8−31に記す。今日も37゜5分の熱がある。疲れから肝臓も悪くなりこの所食欲無い。
直ぐに弟嫁に電話を掛け事情を聞く。二日ほど前から全く尿が出ず今日の朝二度目に行くと反応がなく医師を呼び見てもらうと死んでいると言ったと言い。弟嫁はすみませんと私に謝る。前日は元気で歌を歌わされたと言った。しかし全く水分も取らず夕方になりえらいえらいと言ったとのことであった。
誰にも見取られる事なく一人で死んでいった。私には少しは救われた気持ちがした。この様なことを言っても仕方がないが。後一月入院させていれば。私には父は元気に今はなっていたと思う。午後に妻と長男をやる。
私には今の体調ではとても行くことができそうに無い。
夕方医院に行きその足で。行けるところまで行き最悪の場合引き返すつもりで行く。
なんとか顔を見に行けた。
行くと親父が死に衣装に変えているところであった。
二十分ほどで終わり。棺桶に入れのでかいて欲しいといわれ私と直ぐ上の兄と喪主の弟と葬儀者の人で入れる。
まだ生きているようなような感じであった。親父は左目を少し開けていて私を見ているような感じであった。私は嬉しかった。
最後の親コウコができたと思う。
11−27、葬儀にはいけない。一つはスイカが好きで今年は良く出来30個以上六月から持って行った。スイカの汁を食べ一時は持ち直した。しかし死ぬことは判かっていた。
父はその時に大きいなあと言い。嫁が絞り飲ますと甘くてすごく旨いと言い喜ぶ。
しかしほんの少し飲んだだけであった。一日にコップ一杯が限度であった。
そして医師は七月までは持たないと言っと言うがが。スイカを飲みなんとか今まで持った。6−27日にエヤコンを父の部屋に付けるその日から、猛暑が始まる。
8−7日に行ったときには父は寝ていて全く話をしなかった。
私は父を見て後二週間は持つと言い、うまく行けば9月までは生きるかもしれないと思ったがやはり駄目であった。通夜に行ったときに弟嫁は酷く喜んでくれた。
私には出来るだけの事はしたがそれでも親コウコは出来なかった。
私のからだが悪くなければ。父は絶対に今は元気であると私は断言をする。これからは私の体の治療に専念する。
H6−8−31。松井との話が少し付き。また疲れ長い間日記を記さないなかった。
そして必ず松井孝嘉等に償いをさす。しかし松井孝嘉等の子供のことを思えば気が重い。11−15、今日三豊総合病院に行く。八月になり首の筋の綱議方の異常にきずく。
医師がいま何が困っているのかというので。私は首を支え切れずに困っているという。そして私は筋をつなぎ間違えているようだと言うが。医師はそんなことは考えられないという。専門の医師が触り全く異常がないというのには驚いた。
手足の触診をするが私には酷く脊髄が悪く感じたが医師は全く善いとも悪いともいわず。首をいろいろ触り、X線フイルムを見るが何処も悪くはないという。
また医師の態度が変なので。手術の前の腫瘍の有ったところが判れば何の様な手術をするか判るだろうと言うと。医師は全く判らないとでたらめを言う。
私には考えられない医師の言葉であった。手術前の検査は何のためにするのか。
いろいろ検査をすれば判るらろうと言うが医師は取り合わない。普通は検査をして何の様な手術をするというのだが信じられない言葉であった。
私はMRIを撮れば判るだろうと言うと判らないという。
私は松井では私が生まれて三ヵ月の時の首の手術の首の中の傷がはっきりと判ると言ったと言い筋肉が写るだろうと言うと写らないという。そして医師は他人のMRIのフイルムを見せ内のは判らないと嘘をいう。私は松井のよりも性能が悪いのかという。
医師は悪いのか悪くないのかは知らないという。
私は写し方で(コンピーュタ)何とでもなる思う。それでも万分の一でも可能性の有るものであればMRIを撮ってほしいという。医師は不機嫌で怒ったものの言い方をしどうするのかと言う。私はぜひにとそれれはと言い11−22午後1時に予約するという。
診察を受けるが医師は納得の行く説明はなかった。最後にしかし入院証明はほしいという。しかし弁護士からきた内容証明は要らないという。全く変であった。
11−24日、総合に行き医師の説明を聞く。
MRIのフイルムを見て医師はこれが筋肉だと言い。筋肉が太くしっかりしていると言いまた脊髄の圧迫を受けていた所も丸く回復しているという。
松井脳神経外科に入院の時に判っていた。筋肉は写らないと言っていながらこれが筋肉だという。不思議である。この写真を見ても判らないという。私には異常に見えた。首の後ろの二本の筋肉の普通より間あきまた首の後ろの骨に異常にへばり付いているように見えたが。
この日の診察は医師は言葉ずかいも全く親切なものであった。12−11日、最近運転免許センターに行き体調を酷く壊す。
自分の体力の限界を身にしみて感じる。松井脳神経外科の馬鹿は相変わらず異常な診察を今もしいてるとのことである。
今日は体調は最悪である。最近は精神的に酷く不安定でうつになる事が多く。死にたくなることが多くなる。
松井孝嘉等のの子供のことは考えないことにし。私のほうのことだけ考えることにする。今一度病院に行き医師の態度で公にする。経費は生命保険で何とかなりそうである。借りると700万程度になり。解約すると1000万になりそうである。