芸に対する飽くなき探究心の源を探る
 
<寄席囃子>、<女道楽>の内海英華。その姿はほのかな色気を漂わす…と思いきや、<天神祭>では、腹掛け姿で肌も露わに双盤を鳴らす姿も勇ましい。
そんな内海英華の素顔と、そして、絶妙な話術、三味線のセンス、芸に対する飽くなき探究心の源を探る。

プロフール
1960年 大阪生まれ。
1978年 旭堂南陵に女流講釈として入門。
1979年 初舞台。
1981年 漫才師内海カッパに師事。
     現在、大阪で唯一の<女道楽>で舞台や落語会に活躍。
1982年 桑原ふみ子(杵屋柳翁)に師事。
1996年 咲くやこの花賞

本業の「女道楽」のみならず、貴重な「寄席囃子」の継承者として、また、「南京玉すだれ」「寄席の踊り」と、その芸域は多岐にわたる。
三味線を弾きながら語る舞台は、ほのかな色気と話術、三味線の抜群なセンスで、根強いファンが多い。また、「天神祭」の「落語船」や
「彦八まつり」で、豪快に双盤を鳴らす姿も勇ましい。
生い立ちから、今まで師事してきた師匠たちの話、寄席の話、三味線の話…それらの中から、内海英華の素顔と、芸に対する飽くなき探究心
の源を探る。

文 石淵文榮

天神祭も終わり、急に静かになった大阪天満宮の表門前。
近づいてくる台風がじとっとした熱い空気を運んでくる。

場所は、割烹『豐(とよ)』。
ちょっと早めに着いたかな〜と思いきや、すでに内海英華師匠は店の前にご到着で、忙しくお仕事の電話中。

「あついっ!」
「うわぁあああ、すんまへん、すぐ開けてもらいますぅ」

暑いと言いながら、とっても涼やかなお姿。
黒地の絽に雪が散ったような染めの着物、膝のあたりに、上品に小さく白鷺の縫いが施してある。
帯は白地に波兎文様の絽つづれ。
女から見ても、はっと目を止めるような艶っぽさである。

さて、ひと息ついて…「おかぁさ〜ん、ビールくださ〜い、ちめたいのぉ」
えー、早速ですが…英華師匠の三味線の芸のジャンルなんですが、物によって、<女道楽(おんなどうらく)」と書いてあったり>、<女放談(おんなほうだん)>と書いてあったり…、この二つは同じものなんですか?<三味線漫談>というのも耳にしますけど…

英華「私が<女道楽>を習ったのは、二代目春團治師匠の奥様でね。お若い時に<女道楽>で舞台にも上がられてたんですけど、そのおっしょさんが仰るには、“花柳界の方とか一般の方も芸事をいろいろやってはるけど、それとはちょっと違うところがないと、お客さんに感銘してもらえない。玄人筋から見て、ああ、こんなことも出来んねんな、ほぉ、粋やな、というところがないと、<道楽>ではない”と。で、一人でするのも<道楽>やねんけど、例えば、三味線を弾く人、唄のすごい上手な人、踊りの上手い人っていう人たちが、舞台の上に何人も集まってするのも<道楽>なんです。まぁ、多少の軽口とかはあったと思いますけど、それよりもまず、芸を見ていただくっていうのんが、<女道楽>です」

うむむぅ…
英華「<三味線漫談>は三味線を弾きながら漫談をするもので、吾妻ひな子師匠は<女放談>て言うてはったんですけど、時事ネタがないと<女放談>とは言わない。<道楽>も多少そういう部分はあると思うけれども、<女放談>のほうは、政治のことであったり、“うちのお父ちゃんがな…”というような…まぁ言うたら、今の世相を如何にとらえて、お客さんに笑うてもらえるか、というのです」

<女道楽>のほうは、おしゃべり=漫談ではなくて、いろんな芸を見てもらう、というほうを重視している寄席芸なんですねぇ

英華「私が習ったんは、一人でやるんやから、最初、<お座付(ざつき)>があって、<端唄(はうた)>がちょっとあって、<都々逸(どどいつ)>唄うて、で、最後に<踊り>が踊れたら、というスタイルなんやけど、最初は若いし、まだ<女道楽>の舞台をどうしたらええかわからへんかったので、まず、なんか目玉になるものをと思うて、浮世節の『たぬき』というのを、うちの師匠に習いに行ったんです」

浮世節というのは…


英華「東京に、有名な立花家橘之助(たちばなや・きつのすけ/明治〜大正)さんがいてはって、この方が<浮世節>を考え出さはったんやけど、『たぬき』というのは長唄にもあるけど、この人が作った『たぬき』は、長唄のとはまた違う、寄席の弾き方があるんです。山田五十鈴さんが芸術祭大賞を受賞しはった『たぬき』というお芝居の中で実際に演りはったんやけど」
英華「私は、その『たぬき』をいただきに、師匠のとこへお稽古に伺ったんやけど、朝の10時から夕方の5時6時までずっとお稽古してくれはるという…」

ずっとですか!?
英華「はいっ!お昼ごはんをいただいたりはするけど、昔の寄席の話を聞いたり、“こんな面白い唄があったんやで”って、間にちょっとやってくれはったり」

なんと贅沢なっ!


英華「すっごい贅沢でしょう?」

他にお弟子さんはいらっしゃらなかったんですか?

英華「他にはいらっしゃらなかったし、そういうお稽古やった」

週に何回ぐらい行ってはったんですか?

英華「週に1回は必ず。行ければ2回は伺ってた」

ええなぁ

英華「むずかしいねん、『たぬき』って…。端唄風のとこがあったり、小唄風のとこがあったり、<新内(しんない)>のとこもあるし。さっき言うたような、いろんな芸を見ていただくという<女道楽>の要素が、まことにたくさん詰まってる、<女道楽>が集約されたようなネタやから、そんなもん、なんも知らん人間が習いに行ったら、まず、声の出し方から違う。“ここは小唄ぶりで”って言われても、もう何にもわかれへん。真っ白の状態で伺ったので、“これはえらいこっちゃ!”って伺ってからわかった。ただ覚えたから出来るというもんではないねん」

それまでお三味線は?

英華「ほとんど<寄席囃子>だけかな、その時は。自分の高座ってほとんどやってなかった」

三味線のお稽古はいつからですか?

英華「22歳の時。それから、十年以上、<寄席囃子>をやってた。もうこのまんまやったら、お囃子さんになってもええかな、って腹をくくったぐらい」

そう思うてはったんはいつごろまでですか?

英華「十年目に<咲くやこの花賞>いただいて、それからもうしばらく」

ってことは、この『たぬき』を習いに行かはったのは、<咲くやこの花賞>を受賞されてから後の話なんですねぇ

英華「そう。もう、ずっと後の話。今、三味線始めて22年目やから、17、8年はずっと<寄席囃子>やってて、その間に、染丸師匠が、“せっかく<女放談>演ろ思て、三味線の稽古に行ったんやから、ちょっとは舞台に出てみたらどうや?”っていう話をしてくれはって。“でも、私なんにもしたことないし、どうやって作ったらええかもわかれへん”て言うたら、“こういう構成にしたらどうや”って、一緒に考えてくれはってね。染丸師匠は、実際に琴月(きんげつ)のおっしょさんとか、<三人奴>のおっしょさんとかに稽古してもろうてはるから。それを惜しみなく、教えてくれはって」

へぇ〜…。


英華「それで、何日かお稽古に伺って、替え唄作ったりして、なんの時やったかなぁ…『浪花座落語会』っていうのを毎月10日間やってたんですよ、昼夜2回公演で。私はお囃子でずっと行ってから、で、そこへいっぺん出てみるかっていうことで、出番割ってもらって、初めて<三味線漫談>で出してもらって。で、そのデビューの時に…と言うても芸人になってから15年ぐらい経ってたんやけど(笑)…私、松竹(浪花座は松竹)でしょ、染丸師匠は吉本やのに、わざわざ見に来てくれはってん!よけ緊張するがな!(笑)」

わはははは(笑)

英華「何が緊張するて、教えてくれた人が横に来てることほど、こんな緊張するもんないで(笑)。そんでもう、お客さんで緊張するは、声ふるえるは、なにしてるやらわかれへんは…15分、もう、どうしょうかしらっていう…。でも、それをさしてくれはったから、“こんなん、昔、ひな子師匠がやってはったよ”って、先輩がテープくれはったり。ほな、それを覚えて、自分なりにアレンジして舞台に掛けたりすると、やっぱりネタがしっかりしてるから、そこそこウケるのよ。自分の力かしら、私、名人かなって錯覚するぐらい(笑)。で、だいたい、ひな子師匠のネタに<都々逸>入れてやってたんやけども…でも、やっぱり『たぬき』やってみたいと思って」

いよいよ<三味線漫談>から<女道楽>への道ですな

英華「『たぬき』は全編演ると15分くらいあるんですよ。ほな、舞台でいきなり『たぬき』で始めて『たぬき』で終わることが出来るわけ。それもちょっと演ってみたかったから…。大阪のお客さんは、せっかく笑いに来はったのに、何も笑わさんと、15分ただ舞台に座って去ってゆくっていうのは、きっと許してはくれへんやろけども…。芸があれば、見てもらえると思ったから…。それで、二代目(=二代目桂春團治)の奥様のところへ伺ったんです。んで、高座の構成とか教えていただいて、それにいろいろ混ぜて、今の私の高座に近いものが出来上がったんやけどね」

英華師匠が高座にデビューされた時って、吾妻ひな子師匠が引退されてから、というか、他にそういう方が出られなくなってからどのくらい経ってたんでしょうか。私は吾妻ひな子師匠しかわかりませんけど



英華「ひな子師匠は、私が入門してからすぐに亡くなってはるからねぇ。その後、天王寺村に住んではったおっしょさんとか…すごい古い方で…でも、劇場には出てはれへんかったかな…私が中学や高校の時分には、浜お竜さんが<女道楽>で出てはって、私も見に行ったことあるけど、最後に八百八橋を言うことぐらいしか、それをなんの曲に乗して演ったんか、内容はほとんどおぼえてない」

んー。<三味線漫談>に<女放談>に<女道楽>…

英華「東京へ行けば、<粋曲(すいきょく)>とか。<俗曲(ぞっきょく)>とか。それは、<端唄>を紹介するっていうのんが重視されてるねんけどね」

東京のそういう方々は寄席に出てはるんですか?

英華「東京は7、8人。玉川スミ師匠が90歳くらいで現役でやってはるよ」
<咲くやこの花賞>は、<女道楽>ではなしに、<寄席囃子>の継承とか、後進の指導が受賞理由ですか?

英華「林家トミのおっしょさんが、無形文化財に裏方として賞をいただきはってから、お囃子さんに賞をもらった人がいなくって、で、私がいただいたので、それで、みんながものすごぅ大事にしてくれはったん」

それまで何にもなかったんですか


英華「だいたい、目立つことがないでしょ。演者さんには(賞が)行くけど。で、たまたま、あの時期は、お囃子のほうの上のおっしょさん方が、亡くなったり引退しはったりでね。ちょうど、私らに時代が回って来て、テレビの露出度であるとか、舞台へ出てのお囃子紹介であるとか、そういうのが、ものすごく増えてた時でね。新聞とかにも、よう書いてもうてたし。それで憧れて、お囃子さんになりたい言う子ぉがたくさんいた時分やった」

お囃子紹介って、ちょっと裏を見せてもらうみたいで楽しいですよ

英華「うん。普通にいったんではおもしろないから、解説してくれはるおっしょさんが、こっちへ振るやん(笑)。ほな、私は一応、芸人ですから(笑)、ボケたり、ツッコんだりするやん(笑)。それで、お囃子紹介もおもしろいもんやっていうのを知ってもらえたんやろな」

寄席囃子だけをやってる人と全然違いますもんね(笑)

英華「うん。しゃべれるのんがね(笑)」

その頃、なんかおもしろいことってありましたか?

英華「染語楼師匠と二人だけのお囃子紹介ていうのを」

二人?
英華「普通、お囃子紹介いうたら、解説やしぐさなんかをする人が一人おって、で、三味線弾きがいてて、太鼓たたく人、鉦打つ人、ほんで笛吹く人…最低でも、5人、舞台の上に並んでやるねんけど、予算がないとかで(笑)、ほな、二人でしよかと(笑)」

たいへんだ(笑)

英華「最初は一番太鼓の紹介で、“太鼓がモノ言います〜”(太鼓に耳をつけて)“えっ?もしもし?”っていうようなギャグばっかりしてて(笑)。“違うがな〜、♪ドンドンドンと来い♪って鳴ります”(笑)っていうところへもっていくねんけど、そこへ行くまでにボケたおすから、もう、お客さんは大爆笑やったけどね(笑)」

紹介するまでにえらい時間がかかる(笑)


英華「はい(笑)。出囃子いくまでに何分かかんねん、みたいな(笑)」

最初はどんなとこでやったんですか?

英華「落語会の余興みたいな感じで、なんか音のもんって言われて考えたんやけどね。それが妙にウケたりなんかして。まぁでも、二人でやるのは苦肉の策で(笑)、やっぱり、鉦も入り、笛も入り、拍子木も入りした上で、お笑いを混ぜながらするのが、一番いいねんけどね」

高座で噺家さんが一人でしゃべってんのに、裏方がこんなにぎょうさんいてはるん見たら、びっくりしますよね

英華「そうそうそう、何人出てくるねんみたいな(笑)」

テープでしないし、こんなんナマでやってるのん、えらい贅沢ですよね

英華「うん。でも、いまだに、大きいとこ(=会場)やとマイクを通すでしょ、テープや思うてはる人いてはるよ。ナマで入れてるっちゅうのに(笑)。ハメモノ入ってる!って思うねんけど(笑)」

大劇場の商業演劇はテープで流してるから、そう思い込んではるんでしょうね

英華「うん、そうやと思うわ」

もったいないなぁ。ナマでこれだけの人数でやってるって思ったら、贅沢な気分になれると思うのに…

英華「いや、それはね、私ら、御簾の中にいるっていうことは、『無』っていうことやから、演者さんが立てへんかったら、それは邪魔になることになるから、そういうことは、あんまり思ったことないねん。お囃子紹介と、舞台の袖にいる時とでは、全く考え方が変わるから」
なるほど。でも、中には“今日は英華さんが弾いてはるんや”って気がつく人もいるんじゃないですか?

英華「うん、それはそれで嬉しいよ。でも、それとこれとは話が別で、出来たら、私ら音だけで消えてたいもんね。かえって、そういうことをあまり意識せずに、もっと落語を楽しんでくださいって、言うことはあるよ。私ら、舞台袖の一番ええとこで落語聴かしてもうて、一番笑てるわけやからね(笑)」

笑てるんですか?(笑)

英華「私、ものすっっごぅ笑うよ」

へえ〜

英華「好きやっていうのもあるし、何べんも聴いてる噺でも、演者さんによって、息も違うし。もう、覚えるほど聴いてるから。ほな、若い子の噺聴いてても、“この子の声なぁ…、一年二年経ったら変わんねやろけどなぁ”と思てたら、久しぶりに会うたら、“おっ、ええ口跡になってるやん”って、高座降りてきた時に、“あんた、声良うなったなあ”って、つい言うてまうねん。あんまり楽屋でそんな言うたらいかんのかも知れへんけど、なんか褒めてあげたくなってしまって」

ああ、でも、いろんな人の噺を一番近いところで聴いてるプロの人に褒めてもらったら、そら嬉しいし、励みになりますよ

英華「そのかわり、嫌なことも言うからね、私(笑)」

(笑)だからこそ、褒めた時に、よけ嬉しいんやと思いますけど(笑)

英華「あ〜、言うてしもた〜(笑)みたいな」



ひゃははははは(笑)どんなこと言わはるんですか?

英華「向こうから“お姐さんどうでしたか”って訊いてくる時があって、“訊いてくるなら言うたろかぁ?”言うて(笑)。“立て弁で速くしゃべらなあかん時は、速くしゃべるんじゃなくて、一つ一つの言葉を粒立ててしゃべったら、速く聞こえるように、なると、思うよ?”とか言いながら(笑)。ほんまに速くしゃべってしもたら、何言うてるかわからなくなるからね」

ああ、でも、それ、ほんとにそうや

英華「そら、私の三味線かて、若い時はすんごい速いのよ。稽古もしてるし、手ぇもまわるんやろなぁ」

そうでしょうねえ

英華「そのかわり雑よぉ?(笑)。雑な回り方なんやな、やっぱり。弾(はじ)くところも、弾いた音を出さずに、弾いた、という行動だけでいくから、すごい速く弾けるのよ。でも、ある程度の年齢が来て、お稽古の方法とかが変わってきて、一つ一つの音を大事にしたりすると、そんなに速くは弾けない。で、心地好いテンポっていうのが自分でわかってくるんかなぁ…弾きながら、しっかり息が出来るからかもわかれへんけど…。若い時は息が浅いから、速く弾いて、自分で息があがってしまうねん」

ところで、英華師匠から見て気持ちのいい落語の舞台ってどんなんですか?

英華「トップで出てきた前座の子ぉが、落語というのはこういうもんです、みたいなんをしゃべって、お客さんも落語とはこういう雰囲気やというのがわかって、空気が出来て、二ツ目さんがちょっと滑稽噺をして、中トリさんが大爆笑とって。んで、<中入>があって、中入り後すぐの人のことを大阪では<カブリ>、東京では<食いつき>と言うねんけど、ここへ出る人は、<中入>で休憩した後の一人目やから、また少し、落語のモードに戻して、ほいで、トリへもって行った時に、もう!拍手喝采で終わるというような、尻上がりの興行が理想やねんけどね」

常設の寄席じゃないからかもしれませんけど、そういう、出てくる人がその役割をきっちりこなすような落語会には、なかなか出会えないんですが…

英華「私、この世界に入って、どこやったかなぁ、小さなところで机並べて舞台にして毛せん敷くようなとこやったんやけど、まことに、今言うたような状態で、トリに入ったら、お客さん、もう大爆笑やねん。もう、クレッシェンドぉおっ!っていう(笑)。私、“ひゃあ〜!ええ落語会やなあ”思うて。こういうのってないなあ。一つの興行としてみると、そういうことがあってもええと思うねんけど…。演芸場なんかは、しまいには人気者ばっかり出てくるから、お客さんの食い合いやし、そんな時は、落語も必死やけどね、漫才との戦いやし」

あのぉ、小さい頃のことをお訊きしたいんですけど

英華「普通や、普通」

(笑)いいや、絶対ちがうと思う(笑)。本人だけやと思うな、普通や言うてんの(笑)

英華「そやねん!」

はははははは(笑)

英華「しょっちゅう言われるねん、“それ、おかしいでっせ”て」

やっぱり〜(笑)絶対おかしいはずやと思いますよ

英華「なんで決めんねんっ。ヤラしいなぁ、この編集長」

こりゃ失礼こきました(笑)。え〜、そいじゃ、その普通の子のことを(笑)。好きなものは何でしたか?

英華「きつねうどんとご飯」

ぶっ

英華「それとぉ〜、ブリの照り焼き♪」

今、目ぇ輝きましたけど(笑)、今でもお好きなんですね

英華「はい。お母ちゃんのブリの照り焼き♪」

お母ちゃんの

英華「うん♪なんか好きやねん、今でも。お母ちゃんのっ♪」


えー、では、今でも好きなお母ちゃんのブリの照り焼きが好きだったちっちゃい頃(笑)

英華「おっ(笑)、そうもってくるか(笑)」

へへへ(笑)

英華「私ら、スポーツウーマンやってん。体育会系やったから、小学校の時は。中学年になると夏は水泳の選手を募るねん。ほんで、秋やったか春やったかはソフトボール。大会があるし、とりあえず、走るの速いし。四年生からずっとキャッチャーやって。水泳は平泳ぎで。そんで、中学校に入ってソフトボール部に入ったんやけど、虚弱体質のため、野外の運動部は止めて。卓球部に入ってんけど、陰気臭いから止めて」

陰気臭かったんや(笑)あっ、卓球愛好家の方、失礼致しましたっ!(笑)

英華「そいで、落研作ろうと思たんかな。そんで、お楽しみ会ってあるやん。そこで、大喜利をやったで」

その頃には、もう寄席とか落語とか好きやったんですか?

英華「ん?だって、それは当たり前のことやから」

ほぉら、普通とちゃうやないですか(笑)。落語好きが当たり前て(笑)。寄席とか、まわりにあったんですか?

英華「そら、私らの小さいころにはもうテレビというものがありましたから(笑)。年寄りが家におったから、松竹新喜劇なんか見るわな」

見てました、見てました、土曜日の昼!

英華「あの頃は、吉本さんでは『サモンゴールド劇場』とか…」

あったなーっ!

英華「それを見るより、『道頓堀アワー』派やってん」

はい、はい

英華「吉本さんも見るねんけど、どっちかいうと、松竹系やってん」

最初はテレビですか

英華「子どもやから、行けないやないですか。幼稚園の時には城東区に住んでて、大阪城見ながらおっきなった子やから。“大きくなってお金をためて大阪城買うんだー”言うて(笑)」

あははははは(笑)めちゃ可愛いーっ!

英華「その頃、OBPのビルとかないから、物干し台に上ったら、もう大阪城までズボーッと見えるやん?夕陽に輝く大阪城を見ながら、姉弟でお父ちゃんと夕涼みするわけや」

ああ、なんか懐かしい感じの風景や

英華「その時分はね、鴻池新田のお祖母ちゃんのうちに行くと、村祭で、あれは天王寺村の芸人さんやったんかな、葦_張りの舞台作って、万歳(まんざい)やったかな…古い万歳(まんざい)や。帽子取ったら髪の毛も一緒に取れるっていうようなネタの」

はははははは(笑)

英華「そんなん楽しく見てて。んで、幼稚園の時に和泉へ引っ越したから、大阪市内へ出て行くっていうのは、お祖母ちゃんとこやおばちゃんとこに遊びに行く時くらいだけで。あとは家でテレビとかやな、小学校の時は。何の番組やったかな、大喜利やってて。なぞかけやったり。そんで、友達呼んできて、赤いモンのしりとりやったり」

友達呼んできて!(笑)

英華「お楽しみ会の出しモンやもん(笑)。私、<無理問答>とか好きで」

どこが普通の子っ!

英華「普通の子ぉやんかぁ(笑)」

どう考えても変ですよ、姐さん(笑)。友達って男の子ですか?

英華「だいたい女の子」

へえっ、女の子


英華「なぜか私の言うことをきくメンバー(笑)。そのメンバーは水泳もソフトボールも必ずメンバーいっしょやねん。鍵っ子の子とかいっぱいいてて。うちの家、小学校の真ぁ裏やねん」

いい位置ですなーっ!

英華「今、うちの姪っ子が小学生で、同じ教室なんやけど、皆が授業中に“おばちゃーん♪”って手ぇ振るから、授業中はカーテン閉めたぁんねん(笑)」

あははははははは(笑)

英華「せやから、そのメンバー、しょっちゅう、うちの家におったし。私帰ってないのに、皆、“ただいま〜”って家におんねん(笑)。私まだクラブやってるちゅうに(笑)」

うはははははは(笑)。なんとのぅ、男の子と外で遊んでたイメージありますけど

英華「その時分は、家まで上ってくる男の子はおれへんかったな。誘いには来るけど。ビー弾しよう、とか、ポッコンしよう、とか」

あ、また、ビー玉とか全部巻き上げたんちがいますのん?

英華「それが弱いねん。そういう勝負運はないねん(笑)」

ポッコンってなんです?

英華「牛乳瓶のフタ、手でポッコンって風送って、裏返ったらもらえるねん。ま、そーゆー、普通の子ぉでしたけど?(笑)」

え、いや、どうです?(笑)なぁんかちがう(笑)

英華「そう?」

だって、別に手ぇ引かれて寄席に行ったわけでもないのに、落語好きって

英華「小学校の時は落語より漫才師になりたかったかな」

…普通とちゃう(笑)。落語が好きになったのは?

英華「中学校に入って」

なんでです?

英華「おもろかってん」

んー、その頃の憧れの噺家さんとかは?

英華「そらもうっ!春團治(=三代目)師匠っ!!!」

あー、ちょっと色気のある芸風が好きなんや。それが中学ですか?

英華「小学校の時から。『道頓堀アワー』見てて」

(笑)小学校の時から色気のある芸が好きですかっ!

英華「んで、中学校の時に、ものっすっごいお笑い番組が増えたやん」

はい

英華「ラジオで、土曜日やったら、昼から、『ジャンボサタデーMBS』いうの、やってたし、お昼の寄席が1時間か2時間、漫才やら落語やらが流れてたし、夜は、9時半から『パルコ10円寄席』」

よぉ覚えてはりますねえ

英華「そんで、遊んでたグループの中にも寄席の好きな子ぉがおって、“交換日記しよう”言うて。それが、今日はいったい何本、寄席の番組を聴いたか、いう(笑)感想文を書いて(笑)」

普通、女の子の交換日記に書くことちゃうと思う(笑)。インターネットの落語サイトの掲示板みたいやないですか(笑)

英華「そうそう、掲示板みたいなん。“誰々の落語を聞いたが、マクラではウケるが落語ではウケない”とかな(笑)」

うぅわっ(笑)

英華「嫌な中学生やったよ〜(笑)。ほんで、ぼちぼち落語会に行きたいなと。その頃は、落語家になりたいという強い決意があったので」

それは中学の…

英華「中2の終わり。その時分のちょっと前に、『米朝落語全集』が何枚組かで出て、円都師匠との対談が付いてくるというのんがあって。あれ高価やったんかなぁ、お父ちゃんのお友達が三人でお金出し合うて買いはって、それをテープにダビングして。それを私、ずーっと聴いてたなぁ。せやから、私、この世界に入って、ハメもんのネタなんか苦労せぇへんかったんは、それで全部、きっかけも覚えてたから」

相当な数のネタですよねえ…

英華「それ聴いてて、なんと落語っちゅもんはおもろいもんやねやろ。すごいなと思ってね」


で、その普通の(笑)女子中学生は、噺家になると決意して、どうしたんですか?

英華「うん。弟子入りに行ったよ。角座へ」

えっ、いきなり!?どなたのところへ?

英華「楽屋へ行って、“すんません、春蝶(しゅんちょう)師匠いらっしゃいますか〜?”て、楽屋のおばちゃんに言うて」

桂春蝶さん?

英華「うん。私、春蝶師匠が好きでね。ほんで、終わるまで待ってて、んで、法善寺横丁の<路(みち)>へ連れてってもうて」

それが<路>さんへの行き始めですか?

英華「うん。こないだ訊いたら、マスター、その時のこと、覚えてくれてはったよ。“そういえば、”ここに座っとったなぁ”言うて…。んで、春蝶師匠が“いくつや”て訊かはって、“はぁ、14です。中3になります”言うたら、“今、お客さんのほうがなぁ、大学出て聴きに来はるから、高校へは行っとくほうがええで”言わはって。これは師匠からの命令や、と思うから、それから受験勉強したんや(笑)。私、噺家になろうと思ってたから、勉強もなにもしてへんかったもん」

で、高校へ入ってからは?

英華「その間に、落語会とか、あっちこっち行った。ほんで、高校2年生…んー、3年生になるっていう春休みに“もうあと1年で卒業しますっ!”って言いに行ったら、“なんや、オマエまだ…しつこいやっちゃのうっ”言われて(笑)」

あきらめたと思ってたのに!あははははは(笑)

英華「(笑)やっぱりびっくりしはったみたいよ」

それまでは訪ねて行かずだったんですか?

英華「いや、時々行ってたよ。“遊びに来たらええがな”って言うてくれてはったし」
で、どないでしたん?

英華「うん。せやけど、どうしても女の弟子は取られへん。“頼むさかい諦めてくれ”って言われて」

うーむ。なんかそこにいろいろありそうやけど(笑)。春蝶師匠もまだお若かったやろし(笑)

英華「(笑)私が行った時、34、5やったかな」

奥さんいてはるのに、こんな可愛い弟子取ったら、そら、アブナイわ(笑)。

華「ほんで、その頃、あっちこっちの落語会へ、最初はお客さんで行ってたんやけど、そのうち、スタッフみたいに椅子出したりとかしてて。そしたら、講談道場に誘われて。どうせ芸人になるんやったら、私もなんかしといたほうがええかな、と思てね」

ほ?噺家はそこで諦めはったんですか?

英華「その時点では、とりあえず、師匠を替えてとかは考えてなかったので。でも、しゃべる商売としたらいっしょやし、その教室は素人さんに教えるとこやったから、それなら、まぁ、芸を一つ身につけといたらええわっていう軽い気持ちで行ったんやけど。ちょうど、講釈師を増やしたかったときやったんかな、“落語では女の真打はいてないけど、講談界では女の真打、出来てんで”って。なんか、その<真打>っていう言葉にフラフラッとしたんやろね(笑)」

ふふふふ(笑)

英華「女子高生の講釈師っていうたら、講談界にとっても話題にもなるからっていうことやったんかな。南陵先生は、すっごい期待してくれてはったみたい」

南陵先生はおいくつくらいの時ですかねえ

英華「昭和53年か4年ぐらいのことやから…。先生は大正6年のお生まれやねん。せやから、還暦すぎたくらいかな」

まだまだお若い時ですね

英華「いろいろ連れて行ってくださってね。何よりもまず、お酒を教えていただきましたね」

高校生やって(笑)
英華「はじめてお宅へお稽古に伺ったときに、“お酒は呑めますか”って。“はいっ。ちょっといただけます”って言うて。“この世界は、お付き合いがあるので、呑めないよりは呑めたほうがよろしい。お酒は呑んでもええけど、女の子なので、呑まれてはいけません。” “わかりました”って」

ほう

英華「その時分、ネタを稽古していただく前に、とりあえず、皆でビール呑んで。兄さんはあんまり呑まれへんわけや。ストーブ焚いた、もう、温(ぬ)っくい部屋でビールいただいて、皆、真っ赤っかな顔になって。ほんなら、その時分に、南陵先生は本調子になるわけや(笑)。“ほな、しょうか”って(笑)。可笑しかったな〜。ほんで、お稽古が済んだら、“お酒の稽古しょうか”って、今度は日本酒に代わって」

先生、お好きやったんですねえ(笑)

英華「ご自分が呑みたい口実もあるんやろけど(笑)。一升近く呑んだかな。あの時分、先生は長瀬に住んではったんやけど、私、天王寺に着いたらもう、フラッフラや(笑)。とりあえず、一回、天王寺の便所で吐いて」

うはははははは(笑)。吐くんや〜(笑)

英華「家帰ったらおこられるやんかっ(笑)。まぁ、親は、お酒呑んで帰ってくんの、わかってるけどな(笑)。日曜日ごとに酔うて帰ってくるわけや(笑)」
おっかし〜っ(笑)

英華「ほんで、高校3年生の春休みの時に、女流大会ってのが、新花月であって。そこへ出していただいて、はじめて高校生講談師っていうて出て、黄門さんの話やったんかな。それで、その時に、春野百合子という素晴らしい女性と出遭ってん!」

その女流大会に出てはったんですね

英華「うん。仲トリで出てはって、こっちからご挨拶に行かなあかんのに、“春野百合子でございます”って、ものすごぅ丁寧に言わはんねん、ちっちゃい声で。“はっ、こっちからご挨拶せんなりませんのにっ。あの、南陵先生の弟子の…”“あ、南陵先生の。今日はネタは何をおやりになりました?”“はい、『水戸黄門漫遊記』を”“南陵先生は『太閤記』がお得意なので、私も『太閤記』をやりますし、ちょっと聴かせていただこうと思って”って言わはって…。そんで、(舞台に)上がりはって『両国夫婦花火(りょうごくめおとはなび)』やってん!これでハマりました!!毎日、客席見に行って」

ほぉおおお

英華「それから百合子先生とのお付き合いがはじまんねんけど。んで、高校3年で新花月に出てた時に…」

それは、講談師で出てはったんですか?

英華「そうです。旭堂南蝶。南のちょうちょ」

ちょうちょの蝶?…え!?春蝶の蝶!?

英華「そう!春蝶の弟子になって、貰いたかった蝶の字が、講談師になって付くと思わへんやん!」

ひゃあ!すごぉっ!それはどなたが付けはったんですか?

英華「南陵先生」

春蝶さんの弟子になりたかったなんてご存じないのに?へえ〜、しかも綺麗な名前や

英華「先生が、“今までは女の弟子に花の名前を付けたけど、花は散るさかいに、ちょうちょにした”って言わはって。で、その後、私は辞めることになるねんけど、後日、兄弟子が“師匠はちょうちょに羽が付いてるていうことをご存じなかったみたいね(笑)”言うて“どっか飛んでってしまいよった”(笑)」

わはははははは(笑)
英華「ほんで、1年くらい休んで…。私、そういうとこ体育会系なんかな、休んでるんやから、名前は返さな、と思て、お宅に伺って、“お世話になりましたが、南蝶の名前を返させていただきます”って言うて…。あの時、南陵先生、そない何にも言わはれへんかたなぁ…“ふぅん”言わはって…。で、そんなんしてるうちに、ちょっとまた楽屋をウロウロしだしてん。ほんなら、今のうちの師匠がね、“若いのに、よぅ気がつく子ぉや”って前から言うてはって。ほんで、“あんた、舞台やりたいねんやろ”って。“はぁ…でも、もう辞めてますし…。辞めるっていうことは、もうこの世界にもどらないっていうことですから”って言うたら、そしたら、“うちの内輪やったら、世間、何も言えへんから、帰ってきたらどないや”って言うてくれはって…。ほんまに、拾うてもうたようなもんやねん」

その師匠というのが…

英華「内海カッパ師匠。ふんで、名前いただいて。うちの師匠は比叡山のお坊さんやから、英華の英は、中野英賢先生の英をいただいたから、よぅお坊さんみたいな名前ですねぇって言われるんやけど
内海カッパさんて、どんな師匠ですか?

英華「うちの師匠?そぉら、芸人らしかったでぇ!病気をたくさんして、今は舞台に出てはる回数はまことに少ないねんけど。角座出てる時なんか、すごかったなぁ。ほん…まに、芸人さんやねん。ひと時代前の芸人の雰囲気やね。私はもともと、どっちかいうたら古い、というか、前の形のほうが好きやから。私にはぴったりやねん」

そこで、三味線へってどういうふうに繋がるんですか?

英華「カッパ師匠は私をボードビリアンにしたくって、“かしまし娘みたいな音楽ショーをせえ”って言わはったんやけど、漫才とかはものすごく難しいもんやと、師匠に付いてて思ったんで、“ひとりで、ひな子師匠みたいにやりたいんですけど”って言うたら、“かまへんで”って。その時は何も持たんと漫談やってたんやけど、やっぱり、ひな子師匠みたいにするんやったら、三味線の稽古したほうがええよなぁと思って」

それまで楽器は?

英華「高校の吹奏楽でフルートしか吹いたことない」

フルート!なんか、えらい今までの話と毛色の違うもん出てきましたな(笑)

英華「高校の時に、なんかクラブせなあかんと思って、でも、炎天下は倒れるので(笑)、吹奏楽部をちょっと見に行って、面白そうやなぁって。んで、クラリネットやサックスもあったのに、そんなとこだけ女の子なんかなぁ(笑)、フルートって色っぽいよな、と思って(笑)」

あははははははは(笑)わかるわかる(笑)

英華「なっ」

わっかる〜(笑)、私も中学の時、フルートやってたもん(笑)

英華「フルートやってたら、よぅモテてん(笑)。高校の時、むちゃくちゃモテてたもん。エラいことやってんで。親友同士は喧嘩するは、他の女の子が、私のん取らんといていう話になるは(笑)」

うわ、なんかの歌みたいや(笑)。あ、その頃も髪の毛長かったでしょ!そら、モテるわな(笑)

英華「ハーフみたいやったもん、その頃。髪の毛、ビールで脱色して(笑)。お風呂に大ビン持って入って、半分、頭にかぶって、シャワーキャップして、ほいで、その間に残りのビール呑むねん(笑)」

ぎゃははははは(笑)。髪長くて細くてフルート吹いて綺麗な女の子のやることちがう〜(笑)

英華「(笑)私、ほんまに舞台の見た目と、家でやってることと正反対やから(笑)…あ、こんなんも書くん?」

書きますよん(笑)。あきませんか(笑)

英華「ええよ(笑)」

話を元にもどして(笑)、三味線を始められる頃のことを

英華「当時、舞台へ出ても、そんなにしゃべりも上手くないし、これから先々、なんか一つ飛び道具を持ってたほうがいいやろと思って。年いったときのこと考えて、三味線が弾けるほうがいいしと思って、紹介していただいたおっしょさんが、長唄の家元の杵屋柳翁という師匠。猿之助さんが舞台でやらはる『鯉つかみ』なんかを作曲しはったんが、先代の柳翁という人なんやけど、おっしょさんは、そのお弟子さんで」

へえ〜

英華「そこへ伺ったら、“英華ちゃんは寄席の人やから、長唄より出囃子のほうが入りやすいでしょ”って向こうから言うてくれはって、それ、ちょっと嬉しいかな〜って思って。ふんで、出囃子から稽古をやってん」

柳翁おっしょさんは出囃子もよくご存知やったんですか?

英華「おっしょさんの旦那さんは、望月太津八郎という鳴り物師で、中田つるじ師匠が鼓とかを録音したりしはる時に行ってはったわけ。結婚しはった時、戦後すぐで寄席は出来たけど、お囃子さんが足らなくて、おっしょさんもかり出されて、ま、3歳からお三味線弾いてはるような人やから、なんでもすぐ出来はるねんけど、林トミのおっしょさんのとこに習いに行って。うちの師匠は譜が書けるから、弾いて、それが落語会ですぐ使えるやん」

はいはい

英華「ほんで、出囃子稽古して、“こんな手癖のわるいっ”言うて、よぅ怒られたわ、始めの間。“勘悪いな、あんた”言うて」

えええ!?そんなんやったんですか!?

英華「だから、稽古終わってから。大学の落研の子ぉとか来て、皆楽しそうにしてんねんけど、、誰も私にしゃべりかけてくれへんから、私はとっとと帰るわけ。で、そのうちに、若い同期の子ぉとかが、“勉強会やってんねんけど、おっしょさん呼ばれへんから、来てくれる?”て言われて、“いいよ、行く行く”言うて。それで、請負い仕事みたいなんが始まったんや。“次は誰それが出るから、出囃子はこれとこれです、ネタはこれとこれですから、ハメものはこれです”みたいなんでやってたら、そら、家で稽古してるだけとちがうから、上っていくのが早いわな」

必要に迫られてですからねぇ

英華「あの時は、なんぼ忙しくても、三味線は30分は必ず持つって決めてて、時間がある時は一日弾いてるし、時間のない時でも、持ってるだけでも三味線の形が違うと思うてお稽古してた」

なんか、最初っから、けっこう出来てたっていう雰囲気があるんですけど(笑)。するするっと

英華「いや、私、踊りの時もそうやったけど、勘悪いねん。覚えられへんねん」

ひゃ〜、とてもそんなふうには見えへん

英華「自分で納得してなかったら覚えられへんねん」

踊りは?

英華「踊りはね、染丸師匠が高座のおしまいに、ちょっと立って踊ってはるのを見て、ああ、ええなぁと思ってね。こういうのんも出来たらええのにな、と思って。で、そや、稽古行こっと思って。一つの素養として」

講談やって、漫談やって、三味線やって、踊りも…。今まで他に何々なさいましたか?

英華「そんなもんちゃうか?」

ええ?だって、プロフィールに<南京玉すだれ>って書いたぁる(笑)

英華「ああ、南京玉すだれは、講談の時に、大道芸が流行ってたんかな。バナナのたたき売りとか、講談師でやってて。で、玉すだれを教えてもらってん」

たとえば、『たちぎれ線香』には、地歌の『雪』が出てきますけど、ああいうものを稽古する時は、地歌のおっしょさんのとこへ習いに行かはるんですか?それとも、お囃子さんのおっしょさんに習うんですか?

英華「昔はね、浄瑠璃する時は浄瑠璃するおっしょさんを別に雇うてはったみたいやな」

ほぉん

英華「地歌なんかは、一番初歩の地歌を何段か上げてから、長唄とかをしてたので、それは必須アイテムやったわけ。せやから、昔のお囃子さんやったら、東京から来た人やったら新内弾けるとか、こっちの人やったら、地歌や上方唄が唄えて当り前やってん。太棹(=義太夫節)だけは別やったけど」

はあ、なるほど〜

英華「うちのおっしょさんの教え方、おもしろかったな。“地歌はな、病人さんみたいに唄うねん。息継ぎぎょうさんしてな”言うて(笑)」

ふふ(笑)

これからやってみたいことはなんですか?

英華「あーーうーん…。ええ舞台やりたいねぇ。ネタ数増やして」

それは<女道楽>ですよね

英華「うん。昔の漫談やる人は、ご主人が新聞記者やったり構成作家やったりして、ご主人がネタを書いてくれる場合があったけど、ひな子師匠の場合は、松竹に文芸部があって、そこに台本書いてくれはる先生がいてはったけど、今はそういうのは…落語作家の方はいてはるけど…。放談にしたら使い捨てやろ?時事ネタは昔とちごうてサイクル早すぎんねん。ひとネタ、三週間がアブナイねん。その間に、事件、山盛り出来てるから…。すぐ作ってやるっていう…私に創作能力があればいいねんけど…。あとは、いろんな大阪の古い唄とか芸妓さんに習いに行ったりしたいねん」

わぁ!それ、ぜひぜひお願いしたいです

英華「あと、今、姪っ子がタップやってて、一緒に。それと、サックス吹いてんねん」

ひょ〜、こりゃまたそこまで行きますか。リサイタルっていうか、独演会みたいなこと、してほしいなぁ

英華「うーん…。いや…、まだ、私の中では、まだお客様に対して、商品になってないというか…。お金をいただいて2時間なり2時間半なりお見せするというのが、自分ではまだ嫌なの。もっと、なんか…なんか、足らんねん。自分が真っ直ぐ向いてるもんが…まだ、道路が整備されてなかったり、橋が架かってなかったり…。んで、橋架けたら、私の後ろにおる人が、またしてくれるかもしれへん。大阪でひとりでやってますっていうのでは、あかんわけやん?私が<女道楽>をやって、これを誰かが“ええな”と思って来てくれる魅力がまだないから、それがないわけやからな」

気がつけば、5時間ほどしゃべりっぱなし。
それでも話は尽きない。
一つ一つの逸話が臨場感たっぷりで、セリフごとお聴かせできないのが残念だ。

英華師匠は、私にこう言った。
「芸に関わってる人間は、みんな芸人や。あんたも芸人なんやで」

落語が好きで好きで、噺家を蔭で支え、これからも支え続けてゆく人だけに、その言葉は、私にとって、いろいろな意味を含んでいるようで、そして、何よりも嬉しかった。
噺家に憧れた少女が、巡り巡って、寄席囃子という、噺家にとってなくてはならない、というより、噺家と一体になって舞台を創る裏方になった。
ほんまに好きで好きで堪らん世界に生きている喜びが、全身から伝わってくる。
だから、ひたすら自分を磨きつづけているのか。
その姿勢は、貪欲で、だが、あくまでも謙虚だ。
<寄席囃子>、<女道楽>の内海英華。
ここにも、<一期初心(いちごしょしん)>の道を行く人がいる。
※一期初心(いちごしょしん)…生涯、たゆまず芸の高みを追求し続ける、能役者のあるべき姿を世阿弥が表した言葉。その時々の初心(=グレードが上るごとの、謙虚で緊張した気持ち)を忘れなければ、終生、芸は衰えないという。