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■表 紙 | ||||
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具志川村の沿革 昔、具志川村は具志川間切と称し、字の変遷は、1668年(寛文9年)、まだ、現在の字が村と称されていた頃、仲村渠、具志川、武富、与那覇、玉那覇、西平、新垣、垣花、兼城、久根城、浜川、我那覇、真仲地、山城の14村で構成されていました。 1670年頃から、村の配置分合があり、仲村渠、具志川がそのままで、与那覇は仲地村、西平は上江洲村に、玉那覇と武富が山里村、垣花と新垣が西銘村とそれぞれ合併、真仲地は自然廃村、久根城は兼城村に移住して廃村となり、我那覇と浜川村は兼城と合併され、兼城村の一部が移住して大田村となりました。 1714年には西銘から32戸が移動して久間地村が、1744年(延亨元年)31代地頭代上江洲智英の時代に山城と嘉手苅村が交換されました。 明治12年に廃藩置県があり、明治31年に旧制のまま間切に改められ、沖縄島嶼市町村制が施行されてから間切が村に、村が字に改められました。また、明治18年から20年の間に首里、那覇から10家族が、当時の上江洲村内に移住、開墾した土地が、明治39年に字大原となりました。 明治38年には字山里の武富が字仲地に編入され、大正9年には字大原の一部(後原)が字北原となりました。 更に、明治37年に硫黄鳥島の住民が移住してきた地を字鳥島、昭和12年に字大田から分離した字仲泊を最後に、現在ある14の字が確立しました。 ![]() [村章] 具志川(グシ川)の文字を図案化した「平和で明るく活力に満ちた具志川村 美しい豊かな自然と文化の村 ゆるぎない村民の和で躍進する具志川村」を表現している。 昭和57年1月に制定。
わたしたちは、美しい自然と伝統文化に恵まれた具志川村民であることに誇りと喜びを持ち、平和で明るく豊かな村づくりをめざしてみんなが力を合わせ、前進する道しるべとして、ここに具志川村民憲章を定めます。 | |||||
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[位置と面積]本村は、沖縄本島那覇の西方100km、北緯26度10分、東経126度48分の東シナ海に浮かぶ久米島をほぼ二分した西側部分と、さらに沖縄本島のはるか北方、徳之島の西方64km、北緯27度51分、東経128度14分に位置する硫黄鳥島から構成されます。総面積は25.48ku、村の西部は東シナ海に面し、東部は仲里村と接しています。 [地勢] 村の北寄りに、大岳、田幸、山蔵の山脈が走り、仲里村の字江城岳、中森岳へと連なっています。南西海岸はゆるやかな砂丘海岸で、北西海岸は発達したサンゴ礁が帯状に延び、島を囲むように広大な内海を形成しています。耕地は山麓から南部と西部に広がり、地質はほとんどが安山岩土壌で占められています。 | |||||
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![]() ■村花 クメジマツツジ |
![]() ■村木 リュウキュウマツ | ||||
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■具志川村役場〒901-3124 沖縄県具志川村字仲泊699 TEL.098-985-2001 FAX.098-985-2850 | |||||
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