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【浄慶寺電子瓦版】 その3 Jokeiji Digital Newsletter
このページは、毎月出しているご門徒さんへの電子メール(浄慶寺電子瓦版)を転載したものです。ホームページ容量の関係で写真は割愛しました。
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#016
お元気ですか?九州から東海地方まで、いっきに入梅だそうです。先月本山参拝・大谷本廟への納骨・京都古寺参拝は、あいにくの雨でしたが、しっとりとして新緑の古都を感じました。40名のご参加を頂きました。雨の中結構歩く場所もあり、申し訳ありませんでしたが、何事もなく意義深いひと時を過ごすことが出来ました。画像の容量が大きくなるので小さいサイズで先日の様子を下のデジカメ写真でお届けします。左から本山阿弥陀堂・聖護院門跡内陣・聖護院庭園・光明寺山門です。
今月のお知らせ
常例法座 6月13日(水)午後2時より。今回のご講師は、鎌田宗雲先生(滋賀教区愛知上組報恩寺)です。是非お友達をお誘いあってお参りください。
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月のことば
若藤会月のことば(#594)
「最近、人間の生きざまを見ていると、私も含めて何だか生き方そのものが薄っぺらになってきたような気がするんです。生きるってことは、こんなことではないんじゃないかと・・・・・・・・・・・」、これは、ある主婦の述懐である。
私達は、物質的、環境的な豊かさの中で、内面的には、いささかも満たされていないのではないか。時代が貧しく、生きている現実がむなしくなると、限りなく「まつり」が増えてくるという。そういえば、今、イベントという名のまつりの何と多いことだろう。
私達の先祖は、み教えを通して、深い人間観に支えられ、人生の深淵に畏怖の念をもって生きぬいた。比べて、現代の人間観の何と痩せていることか。今こそ、心して聞法につとめ、人生の意義を見つめ直す時ではなかろうか。
生きている幸せを
忘れている人がある。
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仏教の豆知識 その1
栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し
栴檀は、サンスクリット語の「ちゃんだな」の音写語で、いわゆる香木の白檀(びゃくだん)をいみします。伝説によれば、お釈迦様が亡くなったとき、その遺体を焼くのに、この木を使ったそうです。この栴檀の芳香は、精神安定・神経集中にも効果があり、暑くてイライラするときなども気分をリフレッシュしてくれるものだそうです。
さて、問題のことわざは、これほどすばらしい香りをもつ栴檀は、双葉のときから、つまり芽が出た第一年目の段階から芳香をもっています。それと同じように、世にこの人ありとうたわれるような人は、幼いときからそのきざしがありありと見えるということを意味します。最近でいえば、お隣の愛知県豊山町出身のイチロー選手でしょうか。小学生の頃より大リーガーの素質があったそうです。そんな話題がのぼったときは、「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」だね〜っとさりげなく使うのもかっこいいですね。
#017
御門徒の皆様
毎日蒸し暑い日が続いていますが、夏ばてしてませんか?小泉首相は、参議院選挙応援演説に四国に出かけ、暑さと過労のため体調を壊されたとのニュース・・・やっぱり大変です。昨日梅雨明け宣言が出されましたが、今日は激しい雨、日本の天気どうなっているのでしょうか?
先頃、岐阜新聞に発見された柳原コレクションの記事が記載されました。みなさん読みました?もし読んでいない人がありましたら、「ようこそ浄慶寺のホームページ」にアップロードしましたので、こちらの方でも是非読んでください。
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月のことば
若藤会月のことば(#595)
現代は医学の進歩によって確かに寿命は延びた。しかし、その中に私自身が含まれているとは言え、相変わらず日々あくせくとして健康志向で生き、苦から逃れようとするが、別れが足下にあって苦しんでいることは、いつの世にあってもいささかも変わらない。
ある地方の葬儀のとき、赤飯とトウガラシ汁をつくってふるまうという。赤飯は、この世の命が終わったとしても、信心によって必ず仏にならせて頂いた、めでたい生涯であったということを表し、トウガラシ汁は、如何なるものも別れに至っては悲しみの涙を催すものであることを表すという。
この世に生きることは、悲喜こもごも、長くなった寿命もあっという間に過ぎる。日頃に人生の意味を味わい、信心をいただこう。
草や木は自然の中に生きるが 人間は自分勝手に生きようとする
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今月の行事
「お経を習いましょう」
夏休み恒例の「お経を習いましょう」が7月23日(月)〜7月30日(月)の期間開催されます。午前7時からお東(上宮寺さん)、午前7時半からお西(浄慶寺)の予定です。「正信偈」を一人であげられるようになる為にも、参加してみませんか?子供達だけではなく、大人の方々のご参加も歓迎いたします。是非どうぞ。
「おみがき」
7月31日(火)午前9時から、おみがきがあります。昨年までは9月の永代経法要の準備の時におみがきをしていましたが、11月の報恩講と期間が開いていないので、9月のおみがきを夏休みに移しました。こちらの方もお手伝いお願い致します。
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仏教の豆知識 その2
「無限大」:仏教徒も含めて、インド人は「無限に大きい」とかということを、ただそう言うだけでは気がすまず、さまざまな表現を工夫しました。「ガンジス河の砂(漢訳されて「恒河沙(ごうがしゃ)」)の数というのもその一つです。
「ガンジス河」というのは、ヒマラヤの氷河に発し、ベンガル湾に注ぐ、全長2506kmの大河で、昔から天上から降ってくる聖河としてあがめられています。この大河の河岸や河底にある砂の数がいったい幾つあるのか、とても想像の及ぶところではありません。ある数え方では十の56乗なのだそうですが、仏教によれば、これだけの数の仏さまがいて、その一人一人の仏さまが一の世界(仏国土)を持っているといわれます。これだけでも大変なものですが、これでもまだ言い足りない人たちがいて、「ガンジス河の砂の数と同じ数のガンジス河があったとして、そのすべてのガンジス河の砂の数」という言い方を考え出しました。お暇な方がおいででしたら、ぜひご試算ください。
#018
連日猛烈な暑さにみまわれている東海地方です。一昨日の岐阜市の気温は、39.7℃と信じられない温度でした。自分の体温以上の温度に、お葬式の最中吹き出る汗をどうすることもできませんでした。みなさまも熱中症などには、充分気をつけてください。
八月の特別な行事はありません。先日7月31日(火)の仏具のおみがき、沢山の婦人会員のお手伝いを頂きました。暑い中ご苦労様でした。ありがとうございました。
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月のことば
若藤会月のことば(#596)
最近、ことに同世代の人の訃報に接することが多くなったことは、自らが確実に他人事ですまされない歳になったことを痛感する。弔いとは、訪(とぶ)らいの意があるという。亡くなった人の生きざまを訪ねて、みちびかれるままに私が人生の意味を聞き学ぶことなのである。この世でいろいろなご縁に出会うたびに、故人の生きざま、死にざまを通して、私が目覚め、気づくべきことがあることを、催促されているのではないかと感ずるようになってきた。
仏さまからの催促は、無常の今生において信心の生活こそ、なすべき事と示される。どうにもならない私が、如来からの呼び声の中に生かされていることを、聞き学ことによって信知するとき、そこに深々と頭の下がる世界に恵まれる。
今日は 他人ごと 明日は わが身
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仏教の豆知識 その3
仏教では、なにかを行うと、それは必ずや何らかの結果をもたらすと考えられています。「行い」のことを漢訳で「業」といい、この善し悪しが結果の善し悪しを決定しますので、「善因楽果(ぜんいんらっか)」「悪因苦果(あくいんくか)」などといいます。このことを逆にいいますと、現在、これこれしかじかの境遇にあるというのは、以前の、特に前世での自分の行いの結果だということにもなります。わが国では特にこの点が強調されて、どんなにひどい目にあっても「前世の因果とあきらめる」といった、消極性まるだしの宿命論にかたむいて行きました。
しかし、「因果応報」という考えの本来の趣旨は、そういった宿命論ではなかったはずです。いまこうであることが過去の行いの結果であるとしても、これから先、とくに来世の自分のありかたを決めていくのは自分の行いでしかないのです。
お釈迦様の活躍された時代にも宿命論はありました。その中でもゴーサーラという人のとなえたものが有名です。それによりますと、生きとし生けるものが輪廻して、さまざまなものに生まれ変わっては死ぬということをつづけていることは、なんの原因もないのだと言います。ということは、つまり、何をやろうとやるまいと、それが未来の自分のあり方を左右することはないと言うのです。何をやってもムダなのです。糸をグルグルまいて作ったボールを、糸のはしをつまんだまま転がしますと、そのボールは、糸が解きほぐされてお終いになるまで転がり続けます。生きとし生けるものもこれと同じで、自分に定められた運命の糸マリの糸がなくなるまで、コロコロと輪廻転生を繰り返し、糸がなくなったところで解脱とあいなる、というわけです。
ですからバカでもチョンでも天才でも、修行を積もうが積むまいが、寝ていようが起きていようが、何をやろうがやるまいが、来るべきときが来なければ解脱できないし、来るときが来ればみんな解脱で一巻の終わり、ということになります。
お釈迦様やお弟子さん達は、自分の努力や責任を全く否定するこうした宿命論に強く反対し、努力によって自分の未来を切り開いていけるという立場を主張しました。これが「因果応報」という考えのバックグランドになっているのです。
#019
拝啓門信徒の皆様、浄慶寺電子瓦版すっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、朝晩は温度が下がり肌寒くなってまいりました。しばらく皆様にメールを出しそびれている間に、狂牛病や同時多発テロなど衝撃的なニュースが世間を騒がせております。ニューヨーク仏教会駐在開教使の友達の安否が心配になり電話をしましたが不通でした。メールで家族全員の無事を確かめることができました。今回の事件でe-mailが緊急のときの情報のやり取りの手段として、効果のある事がニュースなどでも伝えられておりました。
今月のお知らせ
『虹の会写真展』
宇佐美達夫さん(切通のご門徒さん)写真展が開かれます。第六回『虹の会写真展』「葉っぱ・ハッパ・はっぱ」10月1日(月)から7日(日)まで。県民ふれあい会館2階ふれあいギャラリーで午前9時から午後9時まで(ただし、7日は午後4時まで)開催されます。入場は無料です。是非ご来場ください。
今月の常例法座
常例法座(説教) 10月13日(土)午後2時より 御講師に向井了暢先生(滋賀教区栗太組教願寺)をお招きして開かれます。是非お友達をお誘い合ってお参りください。
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月のことば
若藤会月のことば(#597)
子供の頃『ガリバー旅行記』を読んで未知の国に憧れた。主人公のガリバーの未知の体験が面白かった。当時の世相が風刺されていることは大人になって知った。
我国に於いても江戸時代にそれと似た巨人の物語が作られていることを聞いた。巨人が日本を舞台に悪事を重ねる話だが、その中で大名行列のお姫様を誘拐した時、家老が責任上切腹しようとする。巨人はそれを見て哀れに思い、もとの行列に返しておくくだりを聞いてホッとした。日本の巨人は慈悲の心を持っていた。慈悲の心は我国に於いて綿々と受け継がれている。これを先祖から伝えられて来た智恵、ひいては「弥陀如来」の賜物である。非情を強いられる今日この頃、生き残れるだけの巨人より、慈悲ある巨人を多くが渇望しているように思えてならない。
教えは聞く程に 恥ずかしくなるけれども うれしさが宿ってくる
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月のことば
若藤会月のことば(#598)
古典落語の中に、お坊さんのお説教と、お同行のやりとりの話がある。『― のう皆の衆、念仏というものは、回数を称えたならば、助かるというものではない。昔、ある婆さんが、来る日も来る日も朝から晩まで、ナンマンダブ・ナンマンダブと称えておった。しかし、死んでエンマ大王に言われたのじゃ「お前は何万回も念仏を称えたが、本当に心をこめた念仏は、いまわの際のナンマンダブ、たったこれだけじゃったのう・・・・・」これ、そこのお同行何をイビキをかいて寝ていなさる。起きなされ、これ!お説教のじゃまじゃ―』。
笑いの中に人の気持ちを表し、世の潤いと教えともなっていたが、今の世間はギスギスして円やかさが欠けているのではないか。
何事も おまかせしたる うらやすさ 寝ても覚めても 南無阿弥陀仏
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仏教の基礎知識 その4
「ニューヨーク仏教会って?」
ニューヨークは世界の中心地、あらゆるものがここにあります。お寺もその例外ではありません。お寺らしいお寺はあまりありませんが、実際、仏教のオーガニゼイションは私の知るだけでも、ニューヨーク市とその近郊に100近くあります。日本の仏教だけでなく、チベット、韓国、中国、ベトナム、スリランカ、ビルマ、バングラディッシュなど様々なお寺があるのです。私はその一寺院で7年前から住職をしています。
特殊な仕事でありますので、普通にアメリカに住む人たちにはあまり経験できないようなことも多々あります。そのあたりをこれから書いていこうと思います。これは日本国内で僧侶をしていても経験できなかったことですし、私がニューヨークに来る以前、9年間いた西海岸のお寺とも違います。 前置きはこれぐらいにして、今日は手始めに、ニューヨークのお寺で働くというのはどういうことなのか、どんなことをやっているのか、というところから書いてみます。 お寺の一日が朝のお参りから始まるのは、日本と同じです。午前5時半に起きて、6時30分より朝のお参りをします。6時15分過ぎにはドアを開き、一般の方々も来れるようにしています。始めた時は「まあ、こんな早くからニューヨークの人は来ないだろう」と思っていたのですが、来る人は来るのです。毎日の日課のようにして来る人、毎週水曜日だけ来る人、ジョギングの前に来る人、人数はあまりいませんが、結構入れ代わり立ち代わりやってきます。7年間、月曜から金曜までやっていますので、多くなったり少なくなったりもします。ニューヨークの人はよく引っ越しをしますので、以前は近所に住んでいたので来れたが、引っ越しをしたのでお参りできなくなったという人が結構多いのに驚かされます。こうしてお参りにくるのは日本人ではなく、たいてい近所に住むアメリカ人なのです。 具体的には、床に座ぶとんをひいて、静かに坐ること15分、それから、お経を一緒にあげ、念仏を百八回称え、回向句で終わります。30分ほどですが、その後も坐っていたい人は坐ってもらい、皆、焼香をして帰ります。一度「何故毎日来るのか」と尋ねてみたことがありました。そのアメリカ人は「毎日動き回っている私には、静かに坐る時間が必要なんだ」と言っておられました。 今回は朝のお参りで終わってしまいました。この分だといつ一日が終わるのやら・・・
中垣顕實/『ニューヨーク本願寺仏教会』住職
#020
みなさまお元気でしょうか?(^o^)丿 今日から急に寒くなりましたね。お寺の銀杏の葉も色づき、今年もギンナンの実を実らせてくれています。境内の掃除がたいへんです(@_@)。今月は当山の報恩講(ほうおんこう)が勤まります。是非お参りください。
浄慶寺電子瓦版を皆様のもとへお届けしていますが、画像や添付ファイルをつけると受ける側の接続状況によっては送受信に時間がかかりすぎるので、今回からはベタ書きにしました。また添付ファイルでは、最近のウイルス感染の可能性がありますので、添付ファイルは控えるようにしています。
【今月のお知らせ】
※当山報恩講が11月24日(土)25日(日)の両日つとまります。報恩講とは親鸞聖人の御命日法要のことで、宗祖親鸞聖人を偲び、仏徳を讚仰する法要です。
23日(金・勤労感謝の日)午後1時よりお磨き・清掃・お仏華立て 24日(土)9時半〜朝の法座・午後12時お斎(おとき)・午後1時半〜午後の法座 25日(日)午後1時半〜午後の法座 御講師の先生は、大阪教区池田市託明寺の葛野洋明先生です。
お手伝いの男性陣の方々も手を休めて、法話が始まりましたら必ず本堂にてご聴聞してください。
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月のことば
若藤会月のことば(#599)
戦後まもなくの頃でした。羽毛をむしりとられた一羽のニワトリを手にして、裏の藪から台所に入ってきたのは母でした。母は私に「母さん 地獄よ」と言って、料理にかかったことを事あるごとに思い出すのです。ニワトリは卵を産ますために、庭先で飼っていたうちの一羽でした。栄養不足になりがちな我が子を無事に育てがためにと、自ら地獄に落ちていくことを覚悟し、決断してのことではなかったでしょうか。
尽きることなく芽を出す煩悩と共に、一生を過ごさなくてはならない、この私を仏にせんがために、法蔵菩薩は南無阿弥陀仏を完成し阿弥陀如来となられたのです。釈迦如来がこの世にお生まれになったのは、ただ阿弥陀如来の大慈悲を私に説き聴かさんがためでありました。
聞けば私には念仏より ほかに道はなかった
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仏教の基礎知識 その5
非常時だからこその宗教−爆破テロの中でー
重い話題ですが、避けて通れないことですので、書くことにしました。9月11日、あまり電話も鳴らない静かな朝、天気もよく、朝のお参りの後、お寺の図書館の整理を手伝っていました。10時半頃に、お寺の会員の方(イザベルさんはダウンタウンのオフィスで働いていた)が、取り乱した声で「やっと電話がつながりました。ニュースを聞かれましたか。先生、とうとう戦争が始まってしまった! 目の前で貿易センターが襲撃され、ワシントンのペンタゴンもやられました。この先、どうなっていくのでしょうか。」と電話があった時初めて、テロリストの攻撃があったことを知りました。
その後、テレビをつけたのですが、ケーブルをとっていないと、どこも映らないのです。(テレビ局も貿易センター内にあったのです。)やっとのことで、21チャネルが映ることがわかり、そこで経過等を知ることができました。ひどいことになったものだと思うとともに、今何をすべきなのか、ということを考えはじめました。まずは、日本の両親などに電話をし、皆に無事であることを知らせました。それから、次に思ったことは宗教家として、僧侶として何ができるかということを考えていました。 そんな時、コロンビア大学の幾人かの学生が突然お寺にやってきて、今日の午後5時から大学の聖堂でお祈りをするから、仏教を代表して祈念をしてほしい」と言ってきました。実は、私も色々な宗教者が集まって、人々の心を癒す場を与えていかねばならないと思い、インターフェイスのオーガニゼーションに電話をかけていた最中でしたので、即座に引き受けました。お寺は105通りとリバーサイド・ドライブのところにあり、コロンビア大学に近いのですが、学生たちは電話が通じなかったので歩いてきたとのことでした。 5時にはじまった祈念集会には、聖堂に入りきらない程の人が集まりました。終ってからわかったのですが、聖堂の外にも人の山ができていました。千人近くの学生たちが集まっていたのです。激しく揺れ動く心に、落ち着きを取り戻させ、安心を与えていくのが宗教の世界なので、この後、毎日のように色々なインターフェイスのセレモニーに参加することになりました。もちろん、自坊においても、毎日曜日の11時30分より七日ごとの法要をすることに致しました。 今ニューヨークでは、様々な人々が各々にできることを精一杯努力して励んでいます。一日も早く、平穏な日々が再び訪れますことを願ってやみません。 「怒りによって怒りをしずめることはできない。怒りなきところに平和の道が開ける。」(法句経)
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非常時だからこその宗教−その2ー
9月11日のテロ事件は多くのアメリカ人を教会や寺院に足を運ばせることとなりました。ブッシュ大統領自身が「9月14日はお昼時間を使って、正午からすべての教会・寺院で祈念をするように」と全米の国民に近くの教会・寺院に行くように促していました。アメリカ人の宗教に対する考え方がここにあらわれていると感じました。日本で非常事態が起こったとき、首相が寺院や教会に行くように呼び掛けるようなことはまず考えられないだろうと思います。
テロ事件後、最初の日曜の9月16日の礼拝は、マンハッタンにあるどこの教会・寺院もあふれんばかりの人が集まったとニュースが伝えていました。私のお寺も例外ではなく、その日は本堂には入り切らない程の人々(主にアメリカ人)が詰めかけました。 一人ひとりの表情もいつもとは違い、張り詰めたような、また同時に安心したような方や、とにかく事件以来お寺に来たいと願っていたという方も多くおられました。 アメリカ人にとって宗教は、その人を根底から支えるものであり、本当に困った時に最も頼りとなるものなのでしょう。大変な時だからこそ、なるべくお寺を開けるようにせねばならないと感じましたし、私自身にとって今できることは、仏教を必要としている人にその場を提供していくことだ、と思いました。 そうした状況の中で、キリスト教やユダヤ教に比べれば少数派のニューヨークに住む仏教徒のために何かできないか、という気持ちが湧いてきました。そのように思っている時、韓国仏教連盟の会長を務めていられる妙智師やスリランカの長老ピヤティッサ師からも電話があり、ニューヨーク仏教連盟(現在、私が会長をさせて頂いている)の主催で追悼法要をしようということになりました。緊急ではありましたが、9月22日に私のお寺で仏教連盟主催の祈念式典を催しました。さらには、仏教では世界共通の四十九日の法要を10月29日(月)にユニオン・スクェア・パ−クで午後5時〜8時に行なうこととなり、それに向けて今準備を進めています。この法要には、日本、アメリカをはじめ、韓国、中国、チベット、スリランカ、ビルマ、バングラデッシュ、タイ等の多くの仏教徒が賛同し、是非とも参加、協力したいと申し出てくれています。ありがたいことです。
ニューヨーク駐在開教使 中垣顕実師
#021 (^○^)新年明けましておめでとうございます。今年はどのようなお正月を迎えられましたか?岐阜市では、2日の晩より思わぬ大雪で30cmの積雪がありました。雪の中を犬を連れてこどもと一緒に雪中行軍を行いました。大したことありませんが、お寺を出て荒田川沿いを歩く30分ほどの散歩です。しかし雪によって結構足の抵抗になり、1時間の散歩になりました。途中ワンちゃんは脱走し、こどもは犬を追って家に帰ってしまい、私は雪の中をひとり淋しくでお寺へ帰りました。寒かった・・・・・・・・・・ホント(*_*) さてさて、新しい年を迎え、それぞれに新年の抱負をいだいたことと存じます。よく使われる言葉に「初心忘るべからず」というのがあります。やりはじめた時の謙虚で新鮮な気持ちを忘れるなと、今日多用されるのはその意味です。この名言の創始者、能役者の世阿弥は著書「花鏡」の中で、初心を三つに分けています。 第一は“是非の初心”。最初に学んだ芸の長所や欠点、若い頃の失敗をしっかり覚えていると、後々の役に立つという。第二は“時々の初心”。若い頃、壮年の頃、老後に至るまで、その時その時の初心、これによって芸が体得されていくもの、という。第三は“老後の初心”。それぞれの段階で芸を学んできて老人になり、老人にふさわしい芸を習うのは、これまた初体験で、これが老後の初心という。世阿弥の“初心忘るべからず”には、奥深い初心があるのです。 今月の電子瓦版は、遅くなり12月と1月の合同号になりました。始めた頃の「初心を忘れず」に、気持ちをリフレッシュして今年も頑張りたいと思います。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
月のことば
若藤会月のことば(#600より)
人間というものは、財産が一山あれば二山欲しいと思い、二山あれば三山欲しくなり、もっともっとどんどん増やしたいと思う。この考えを「貪欲(とんよく)」と言い、誰にもでも備わっている性質であり、いかに振り払おうとしても消えない。このことは、人間の向上心ともなるが、世の中を乱す根源でもあり、ここをどう生きるかを、み仏の教えに聞き学ぶのが念仏者である。
私たちは、豊になりたい、便利でありたい、長生きしたいと夢を見続けているが、それでも如来は私を包む。念仏の教えを聞き続けてきた友達が、生前「これ以上生きれば邪魔になるかもしれない。不必要な延命治療はしないでおきましょう。」と、奥さんに言っていたことを弔問に行って聞いたのは、耳に痛かった。
私の 人生そのままが 如来の願いの中だった
月のことば(#601より)
新年を迎えると、なぜか身も心も改まるような、すがすがしい気分になる。年末に今まで不行き届きだった部屋の整理・整頓・清掃をして、新しい年を迎える習慣を、親から教えられ、節目ごとに惰性に流されがちな日常生活に新鮮な感動をよみがえらせる知恵のように思えるようになった。蓮如上人は、年始に訪れた道徳に、「道徳いくつになるぞ、道徳よ念仏申さるべし」と言われたという。うかうかと年月を送るのではなく、いつでもわが身の上に阿弥陀如来の願いがそそがれているという、念仏のいわれをよく聞いて、あり難さを思い、よろこびの中に生きるべきだと教えられた。自分の考えを主とすると、不平不満ばかりとなるからだが、さて実行となると出来ない私には、ご催促と聞こう。
まいにち まいにち み仏の ひかりといのちを仰ぐ
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ウイルス情報
badtrans bというウイルスが猛威をふるっています。みなさんのお手元にも来てませんか?有用なウイルス情報を「法蔵館」さまより戴きましたので、皆様にもお知らせします。お役に立てれば光栄です。
特にメールソフトにOutlook Expressをお使いの方は早速下記の方法を実行してください。
けっこうウイルスメールが来るものですね。ウイルス撃退ソフトを導入するのが今のところ一番いい手段だと思います。それと新しいウイルスに対応するために、まめにファイルのアップデートをするのが大切です。それではまた。
#022
みなさんこんにちわ。早や二月。暦の上では春ですが、外の雪かなり積もりそうな気配です。朝早くの通勤くれぐれも気をつけて下さい。遅くなりましたが、今月の電子瓦版送らせてもらいました。
今月の法座
常例説教 2月13日(水)午後2時から 御講師:武藤幸久先生(本巣郡巣南町善徳寺住職)是非おまいりください。
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月のことば
若藤会月のことば(#602より)
過日<十二単着付け実演と王朝舞>が催されて参加し、十二単は通称名で、実は「五衣唐衣裳(いつつぎぬからごろもも)」が正式な名称だと聞く。重ね着の枚数が十二でなく、たくさんという意味で、「十二分堪能した」と同じ用法の言葉とも教わった。
数字の単位の百、千、万、億、・・・不可思議にいたるまで仏教の経典から出たとも聞くが、特に「十二」については、「十二因縁」とか、「十二礼」など数多くあって、こちらは分類して余すことなく説明するためによく出てくる単位である。
阿弥陀さまも知恵の光明が、はかりしれないことを、十二の光を放って四方八方の国を照らし、生きとし生けるものを光明の中におさめ取ろうとされるとある。「無量光仏」とは、利益の長遠、過去・現在・未来にわたり、その限量なし、比べる数がないという。いつのまにか、広大無辺のお慈悲のご縁となった。
人の心は鬼か蛇か 外顔は人面を装う
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今回の浄慶寺便りには、先日朝日新聞の「声」の欄に記載された、芋島の御門徒さんで若婦人の会員でもある木方洋子さんの記事をご紹介します。
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「声」 アフガン復興 今度こそ期待 岐阜新聞平成14年1月25日版
私は77年12月から1年余り、主人の仕事の関係でアフガニスタンで暮らした。2歳の娘と6ヶ月の娘と6ヶ月の息子を連れての生活。赤茶けた山肌や日干しれんがの家々、ブルカで体を覆った女性、人々の鋭い目つき・・・・。首都カブールに着いて、その風土にショックを受けたが、人々はそんな私にも親切だった。
中でも使用人のハザラ族のアブドゥルさんは、言葉を教えてくれたり、奥さんを呼んできてアフガン流の子供のあやし方を教えてくれたり、現地の人しか行けないバザールにも連れていってくれたりした。翌78年4月に起きた軍部クーデターの時は、出張中の主人に代わって恐怖の私たち家族を守ってくれた。日本はその当時、農業や医療、教育、放送などの分野に専門家を派遣して援助していた。しかし、私たちの帰国後に起きたソ連(当時)の介入やタリバン支配などで、これらのプロジェクトは中断された。携わっていた人たちの味わったむなしさは察するにあまりある。
今回東京でアフガン復興支援国際会議が開催されたが、この支援をもとに、アフガン人自らの手で自国を立ち直らせてほしい。平和になったアフガンを子供たちが訪れることができれば、と願っている。
#023
みなさんこんにちわ。お元気でしょうか?はや三月。春の足音を間近に聞くようになりました。
さて、先日愛知県美術館で開催されている『ポンペイ展』を見てきました。古代ローマ時代、イタリア半島のナポリ湾に面したポンペイは、農業や貿易で栄え、1万数千人が暮らしていました。しかし西暦79年、ヴェスヴィオ山が噴火し、6メートルもの火山灰の下にまるごと埋もれてしまいました。18世紀に始まった発掘で、地中からは舗装された道路や公共広場、闘技場などが次々と姿をあらわしました。2000年前、ポンペイの人々は商売、選挙、娯楽などが盛んな豊かな都市生活を送り、水道や医学など優れた技術をもっていたのです。
現在、世界遺産に指定され、世界中から人々が遺跡を訪れています。中でも『パン屋の夫婦』の肖像画は、なぜかしら印象に残りました。「ポンペイで発掘された肖像画は、あまり多くありません。その中で最も有名な肖像画。邸宅の壁に刻まれていた選挙推薦文から、長い間、パクイウス・プロクルスとその妻の肖像と考えられていました。しかし現在では、家の主人でパン屋のテレンティウス・ネオとその妻であると理解されています。洗練された知識人として描かれていて、パピルスの巻物や、鉄筆、二つ折りの書き板をもっています。」との説明があります。2000年も前の肖像画で日本で言えば、弥生中期の時代です。つい最近の二人を表した肖像画のように、新鮮に思われました。この若い夫婦も、火山の噴火で一瞬のうちに命を失ったのかもしれません。貧富の差が明暗を分けたとも言われていました。財産のある者は、家財を守るために屋敷や家に留まり、命を失い。そうでない貧しい者は、取るものも取らずに海岸線を逃げたと言われます。来月の7日(日)までだそうです。是非拝観してみてはいかがでしょうか!
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今月の予定
春季永代経法要 3月16日(土)午前9時半 春季永代経法要・午後1時半 婦人会会員追弔会法要と勤修されます。御講師の先生は、奈良教区光雲寺ご住職の久堀勝敏先生をお招きしております。飽きることなく参詣者を引き付ける先生の話術もさることながら、身近なことから仏法・御法義を一番にされる先生の御法話に共感されるかたも多いと思います。是非だまされたと思ってお参りしてくださいね。
蓮如上人御一代記聞書(155)
仏法には世間のひまを闕きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきや うに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよ しの仰せに候ふ。「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名 をきくひとは ながく不退にかなふなり」と、『和讃』(浄土和讃・三一)にあそ ばされ候ふ。
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月のことば若藤会月のことば(#603)より
少年犯罪が過激になり、殺人をも簡単に行ってしまうニュースを聞き、世間の人々の嘆きの声が聞こえる。もう少し自分の行動について、思慮、分別があってもよさそうであるが、普通の誰でもが、善悪の判断に欠けてしまっている結果とすると、恐ろしいのであるが、実はその辺りが疑われている。
経済とか自立とかで、生まれて間もなく保育園に預けられ、家庭で親の苦労を見て育っていないところに問題がありはしないかと古老の声。
あるお経には、言葉の乱れが末世を表しているとある。言葉は心から発せられる。敬愛の心があれば敬語を使い丁寧となる。言葉は心の中身を照らし出す鏡である。み仏の声を聞き学ばずして、自己変革はない。
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不足しているものを数えるな
恵まれていることを数えてみよう
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ブックレビュー:
『ひらがな真宗』森田真円著B6版/定価840円/本願寺出版社
【説明】「仏教は言葉がむずかしい…・」「やさしく気軽に読める本がほしい」読者の声に応えて登場した親しみのある真宗入門の書。日常の身近な話題をもとにして真宗のこころへといざなう。若い人とともに肩の力を抜いて気軽に読めるのが特長です。
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