きものへの誘い theきものユートピア
HOME ご案内 theきものユートピア



お問合せ先

the きものユートピア
(きもの総合教室《和裁・着付け他》)
   タウンページはこちらへ

フォトスタジオ フルフル
(撮影/ヘアメイク・着付け
 /貸衣装トータルプロデュース)
   タウンページはこちらへ

〒211-0002
川崎市中原区上丸子山王町
1-872-5

 

web会員登録ご希望の方は
kimono_u@yahoo.co.jp
まで。

人生の行事ときもの  

  弥生(やよい) 別名「花月」「桃月」「桜月」などと言われるように花がほころび始めます。
 ◆ひなまつり 
 五節句の一つであるこの日は、旧暦の三月三日が一二支の巳にあたることから「上巳の節句」とも呼ばれ古くから邪気祓いの行事が行われていました、紙人形で体を撫でて身のけがれや禍(わざわい)を人形に移しそれを川に流すとゆう行事が、後に平安時代から盛んだった子どもの遊びの一つである雛遊びの習慣と合わさり人形を室内に飾るようになり、しだいに豪華な人形が作られ雛祭りには菱餅や白酒を供えて祝うようになりました。現在のような段飾りの内裏雛になったのは江戸後期のことで、これは天皇家の生活を摸して作られたものですから、天皇家の伝統に従い向かって右に男雛で左に女雛と言う形でしたが大正時代に大正天皇が外国の風習を取り入れて以来その逆の形が今日まで受け継がれています、しかし関西では現在でも大正時代以前の形をとる処が多いようです。
 ○女の子が生まれて初めて迎える初雛に誕生祝いの意味を持たせるようになったのは、江戸中期からで町人社会がお家繁盛・子孫繁栄を願う風習からのようです。初節句祝いの女児には今日では、お宮参り着を着せるようですが、今から十年程前までは当和裁教室でも教材で唐ちりめんの「一ッ身袷きものと綿入れちゃんちゃんこ」の対を製作し、お孫さんや親せきの赤ちゃんのお祝い品になさったものです。雛祭りには、お雛様を飾った部屋で女性が集まり白酒を飲みご馳走を食べ楽しいひと時をすごしました、また初節句では“やさしい娘に育つように”願い知人や親せきに菱餅や雛あられを配る習慣もありました。
 ○雛祭りは寛いだお祭りですから、とくに改まった服装をされることもありませんが、お招きを受けたら親しい間柄でしたら小紋程度のきもので、お嬢様でしたら京小紋がちょっと華やかでこの場に相応しいでしょう、お身内のご年配の方でしたら江戸小紋など落ち着いた中にも趣きがあります、いずれにしても、小紋は着る人の体格を選びませんので、安心できるものです、あとは帯や小物で自分らしく風情を出したいものです。「二人して雛にかしずく楽しさよ」 漱石  
                     「雛菓子の美しかりし世もありし」 
 ○小紋とは、小さい文様を型染したもので、元は大紋・中型に対するものですが、現在は小紋と言うときは文様の大小にかかわらず型染の着尺地を総称して言うっていますが、なかでも「江戸小紋」は極細かい柄で一色染めをいいます、しかし今日では色彩的なものも多く型友禅と同じにとらえられています。
 ◆卒業式
 ゆきつ戻りつ春の気配が色濃くなる三月、全身に春が感じられる三月も半ばすぎると街角に袴姿の女子大生が見うけられます。心弾む嬉しさと寂しさが入り交じった卒業式。この日は正装でよい儀式ですので振袖かそれに準じる装いにします。かっては色無地紋付のきものに紺サージの袴でやや高めに袴紐を結び垂れ、きりっと後ろあがりに着つけた姿は凛凛しく見とれたものでした。
 この女子の礼装に式典などの際に、紋付の長着と袴が準礼装として用いられたのは、明治以降であり、職業にもよりますが男子の礼装である羽織袴の影響であったのでしょう、つまり明治維新は服装の上にも一大変革をもたらせたと言えるでしょう、袴(はかま)は男女の制服・象徴として用いられ、女子学生の紫色の矢絣のきものに海老茶の袴に編上げ靴というハイカラさんスタイルは明治の女学生が作りあげたものでした。
 ○最近ではレンタルなどで小振り袖の可愛らしい多彩色のきものに、袴の色もさまざまでぼかし・刺繍入りとそのバリエーションも多く、また髪には大きな花かんざしで華やかなスタイルがtrendのようです、いずれにしても生涯思いでに残るでしょう素敵な卒業式でありますように!
      「桜餅われうつくしき友をもち」 青邨
                                    「咲きみだす桃の中よりはつ桜」 芭蕉
 ◆遅れ馳せながらの、ご報告・新年会
 一月二十四日私ども和裁教室の生徒さん方との、贅沢な一日をブログ気分で一寸書かせて頂きます。浅草・花やしきから入谷の方へ一・二分歩いた処にある料亭・助六ゆかりの「貞千代」にて恒例の新年会を致しました。まずは宿のご主人の江戸小咄で、いい雰囲気になったところで芸者さんのおどりを楽しみながらの食事・「江戸町衆料理」鬼平犯科帳で紹介されている料理とのこと!さつま芋のてんぷら等も有り、ホットするような献立に江戸の町人気分で舌鼓をうっている内にお開きとなり帰りには若旦那さんのご愛嬌で人力車に乗せて頂いたり、と江戸情緒をたっぷりと堪能し一同ご満悦で貞千代を後にしました。申すまでもなく浅草寺でお参り・淡島堂で折れ針を納め、針への感謝と裁縫上達を祈願しました。境内は正月ともあって、きもの姿のお嬢さん方も多く、あちらこちらでデジカメ向けてハイポーズ!こんな光景を見るだけで嬉しくなります、日本文化の原点である日本のきものがいつまでも愛されるように時代の一頁を私たちが担わなければなりません、それは日本人の心=きものの心を深く理解して伝えていくことではないでしょうか。
 ○日本文化とアートを体感
 浅草寺境内東側、重要文化財「二天門」に隣接してアミューズミュージアムが誕生し、オープニング企画展として「布を愛した人たちのものがたり展」を鑑賞しました、民俗学者・田中忠三郎氏所有の国指定重要有形民俗文化財「津軽刺し子きもの」は極めて高い針仕事の技術に裏打ちされた工芸品です、それは無駄のない美しさです、布を織りそして刺し綴った当時の女性たちの想いがこめられていることに胸が熱くなるおもいがしました、布や糸にも命のあることを感じ僅かな布・糸を大切に織上げた暖かくて美しい刺し子きものは、愛しい娘の嫁入り支度にしたそうです。
 また江戸時代から何代にも亘り農村・漁村民たちが着つがれてきた衣服“ぼろ”と呼ばれる布類が多数ありました、丁度、大河ドラマの岩崎弥太郎が着ているきものと同じで親しみを憶えましたがまさにエコロジーの極地であり、これこそ日本人の“もったいない”の精神性文化と言えるでしょう。
こうした百年の時を越えたコレクションを元め浮世絵ほか江戸の町民文化・風俗などを鑑賞し下町人情あふれる浅草での楽しい実りある初春でした。
 ◆遅れ馳せながら、節分祭の私
 地元の日枝神社において、私・年女として豆まきに参加(奉納)させていただきました、裃を着けて高いところから豆をまくのは生まれて初めてのこと、感動しました!若かった頃、ある折りに、お世話になっていた店主・七十歳ぐらいだったでしょうか!その方が“人生って幾つになってもその時そのときの年代に青春があるのだよ”と私に訓えてくれたことが、何故か甦ったのです。今・此の時(寅年)から始まる「十二支」の一巡を実りある人生にしたい!と誓い次の年女(八四歳)我楽しみに迎えんとする、今の気丈夫に励まされ、帰路祝い酒にほてる頬に小雪が心地よくなでる夜道、充足した七十二歳に感謝・感謝でした。 では次回まで 御機嫌よう。

       
  
HOMEへ

バックナンバー 2009年20010年
4月 6月 8月 11月 1 月 3 月