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きものの品格 --- きものの常識 et cetera< 家紋について>(6)

  家紋(紋章)のモチーフ
 家紋の由来や変遷については、これまでに述べてきましたが、文様を母体とした家紋は絵模様や字模様でありそれは宇宙の森羅万象を写しだしています、すべての自然的・人為的物品から自然現象や記号・文字の類までを一個の図案に美しく巧妙にまとめ上げており、しかもそれぞれの紋章には重要な意味が込められているのです。                      
その種類四百ともいわれバリエーションを含む数は約一万はあると言われます。日本紋章学によるとこれを便宜上下記の八部門に区別しています。
 その紋章のモチーフは①「天文地理紋」②「植物紋」③「動物紋」④「器物紋」⑤「建造物紋」⑥「文字図符紋」⑦「文様紋」⑧「その他(以上の各部に属さないもの)」などあらゆる分野にわたっています。これらの各モチーフの中から、掻い摘んで幾つかの紋を今回からご紹介しましょう。
 ①天文地理紋
 ◆日紋は日の丸紋ともいい、日輪・太陽を形象化したものです、太陽信仰はきわめて古く天照大神は日の神であり、歴代の天皇はその子孫であるという信念が根づよく皇室が太陽を尊んだことは「古事記」・「日本書紀」にもみられ、やがて国名も「日の本」あるいは「日本」と云うようになりました。「源平盛衰記」で那須の与一が射落とした扇にも日の丸のマークがあります。
 戦国時代になると、日の丸紋は武田信玄他多くの武将がマークとして用いました、後、安政元年七月五日に幕府が日本国の船印と定め、そして明治三年には国旗として「白地に日の丸」が制定されたのです。また日の丸紋の光芒(こうぼう)を模様化したものが「日足紋」(ひあしもん)でその光芒の数によって「六日足紋」・「七日足紋」・「十二日足紋」等といいます、日本海軍の軍艦旗もその一つで国旗として制定される前、古くから使用され限りない威力と栄光をシンボライズしました
 ◆日月紋は太陽と月を対照に並べ組み合わせた紋です。太陽の丸と同じく月も昔は丸で表したので、同じ丸を二つ並べ“日を金色”で“月を銀色”で表しました。後に月を“三日月”に変え、形で区別する様になりました、因みに皇室のシンボル(紋章)は正式には菊を用いず「日月紋」(金・銀)の錦旗が即位の式典に用いられています。
 この日月紋は二つの天体のコンビで“日の神の力と月の神の美”を表わした信仰から生まれたと考えられています。光と熱をもって万物をはぐくむ太陽が沈めば、宵の空に女神のような月がのぼる、この昼と夜・陰と陽とのコントラストによって、はじめて地上の調和が保てていることにあらためて宇宙の神秘に感動しますね、なお日本人の美的感性の豊かさにおどろかされます。
 ◆月紋は、形状による種類が多く「三日月紋」「八日月紋」「半月紋」「満月紋」「朧月紋」など月の形の変化によって紋章も変化し、なお、月に雲や流水などと組み合わせたバリエーションも多く用いられています、なかでも弓張り月(三日月)は武士に多く用いられました、戦国時代の伊達正宗もまた兜の前立てに使っています。月の変化を永遠のものと見ていた武将たちは不死を願って月をシンボライズしたのでしょうか。月は陰と優しさをもち、しかも形と色に無限の変化を宿していますから古来、信仰の対象となり、最澄が唐からの帰路に海上で生命保全を月に祈ったと言われています、また月祭りもその信仰の一つだったのでしょう。太陽にくらべて美的・ロマン的です、唐の白楽天の詩やまた我が国でも竹取物語のかぐや姫が月の世界に帰っていく物語はなじみぶかいものですね。
     
                      
◆月星紋は月と星を組み合わせたもので「月と星紋」「月と三つ星紋」「月に北斗七星紋」「月に八曜紋」「月に九曜紋」など色々あります。すなわち北辰や北斗七星などと組み合わせたものです。古代中国の思想では北極星(北辰とも言う))は天帝(天皇大帝)と見なされていました。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったのです、妙見とは優れた視力の意味で善悪や真理を見通すといわれ、妙見菩薩は仏教の信仰対象で妙見尊星王とか北辰妙見菩薩ともよばれます。つまり北極星・北斗七星の神格化された姿であり中国伝来の信仰からきているものですが、最澄が叡山に妙見菩薩の像を祀ったのが始まりだと言われています、その像は武神に相応しい姿で七つの星の妙光をもっていた為に北辰信仰と結びついたと言うことです、その信仰は奈良・平安時代にかなり、盛んになったようです。 さて前置きが長くなりましたが 月星紋は平氏良文流千葉氏(千葉氏は良文の曽孫・常将のとき下総千葉郡に住んでいたので地名を氏とした)とその一族専用の家紋となっています。その訳は、延長九年(九三一年)に良文は戦場で九死に一生を得た時に、妙見菩薩を信仰していたからだといいます。(千葉伝記考)
 今日でも千葉市には妙見菩薩と同一と見なされている神社等があるとのことです。   
 ◆星紋には「三つ星紋」「六星紋」「七曜紋」「九曜紋」の他に多くのバリエーションがあります。「三つ星紋」はオリオン座中央の三星をかたどった紋ですが、将軍星ともいい、中央を大将軍・両わき(南北)に左右将軍がくるので三武とも言います、衣服の文様に用いられたり武家の家紋に使われました、また三星の上下に一文字を添えた複紋は武士が戦場で一番乗り・一番槍などと縁起と結びついたものであり、また“一”を“カツ”と読んだりするのも同じ意です。「七曜紋」は北斗七星を形象化した紋章で「北斗星紋」とも言われます、中国の天文学では、日、月、火、水、木、金、土、の七曜(光る意)をさし、時をはかる指針とされているため妙見信仰に結びついています。仏教ではそれぞれ七菩薩にあて、これらの星の来臨を請い、不老長寿と幸福を祈ったといいます、その為に北斗堂を設け本尊として妙見菩薩を祀りました。紋のパターンは九曜紋と同じですが星の数が七個です「七曜紋」を用いたのは、やはり信仰上から平氏良文の流れから出た長井氏などが用いました     
 「九曜紋」は真ん中の丸を中心に、少し小さい丸を八個周りにめぐらせたのが基本パターンで後にさまざまな変形がうまれています。九曜とは古代インドで占いに用いた星(守護神)のことで、七曜の他に羅睺(らご)と計都(けつ)の二つの星を加えて九曜と言いこれを九つの仏身「不動明王」「聖観音」「弥勒」「阿弥陀」「千手観音」「虚空蔵」「釈迦」「勢至」「薬師」に具象化して、集めたものが九曜曼荼羅(くようまんだら)という文様です。この九曜は天地を守る仏神であるとして平安時代末にその信仰は広まり、九曜文様が衣服や牛車にさかんに描かれました、お守りとして安全を願う民衆の気持ちを表わしていたのでしょうか。九曜紋はやはり千葉氏一門が用いていますが、徳川期には諸大名の間でおおいに流行りました。
    
 以上のように一つ々の家紋には深い意味が隠されています、がここでは限られたスペースの中で掻い摘んだ程度しか御紹介できませんことをご容赦ください。この続きの波紋・雪紋・山紋等は次回にさせていただきます。                                ではご機嫌よう

    
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