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きものの染織 --- 江戸小紋編(3)型紙彫刻とその型地紙 千二百年もの伝統を受け継ぐ伊勢型紙の里、三重県鈴鹿市の伊勢湾に面した白子町と寺家町に、私たち学院の生徒さん達と研修旅行に訪れたのは、かれこれ三十年程前になりますでしょうか、白子の古い町がいかにも歴史ある町に来た、という感じを抱いたことを思いだします。当時は人間国宝に選ばれた型紙の彫り師をはじめ、多くの職人さん達の仕事場である格子戸の二階屋の古い家屋がずうっと並んでいました。かってはこの町全体が型彫り職人の町だったと言うことです。喜多川歌麿 (手にしている 反物は薄墨色 の行儀小紋に 五三の桐 彫り師の家→ 中二階が仕事 場 ところで、<型を彫った紙を「型紙」>と呼ぶのに対して<型を彫る紙は「地紙」または「型地紙」>と呼ばれますが、この地紙を専門に作る業者を地紙屋といい、やはり三重県鈴鹿市の白子町と寺家町で作られています。こちらも研修をさせていただきました、地紙は美濃の手漉きの楮和紙を縦・横交互に三〜四枚合わせて、裂けやすい欠点を補うために和紙の接着に濃い柿渋が用いられますが、この柿渋 の効力を強める為に“自然枯らし”や“室枯らし”が繰り返し行われますが、その工程は並々ならぬ手間と労力・日数を要するもので、まさに“縁の下の力もち”的存在は型を彫る彫り師と同じで、いずれも根気と忍耐につきると言えるでしょう。しかし、柿渋の匂う質素な仕事場でご年配の彫り師が言いました、“この仕事に愛着と誇りを抱いているから”と実におだやかな口調で語ってくれたその人のお顔が今でも私の胸に焼きついています。伊勢型紙は室町時代から現在の白子町で作られてきましたが、日本の染織史上に一躍重きをなすようになったのは江戸時代に紀州藩に保護された型紙商人が、地紙製造業・型紙彫刻業・型紙販売業等を一手に行い紀州公の権威に守られて栄えた歴史的背景があってのことのようです。 ←地紙の天日干し ![]() 突き彫り作業→ この三位一体の業は、先ず地紙屋が作る良質の手漉きの美濃和紙を三〜四枚柿渋でベニヤ状に張り合わせて、燻煙と干しを繰り返して、強靭で伸縮しない型地紙がつくられます。 この地紙に彫り師が独特の彫刻刀で伝統的な技法(前回で記述)を駆使し多彩な模様や柄を彫り上げます。(彫刻技法は下記に) このようにそれぞれ神業に近い業によって作られた伊勢型紙は型紙販売業者によって全国津々浦々の染め物業者に行き渡り各地で染められていました、なかでも小紋染めの本場といえば徳川歴代将軍のお膝下江戸城下であったことは云うまでもありません。現在でも“紺屋町”という町名が残っていて江戸の往時がしのばれますね。その後、関東大震災後から昭和のはじめにかけて小紋型染を伝統技法のもとに江戸小紋型染に確立し重要無形文化財保持者に指定され、江戸小紋の間接的命名者となった小宮康助氏(故人)をはじめ染色師たちの職人気質やエピソードとともに型染技法などを次回にお話しいたします。 縞彫りとその刃物 さて順序が後先になってしまいましたが伊勢型紙の彫刻技法について簡単に触れてみましょう。 技法の一つの「錐彫り」はもっとも古い技法で、針のように細い刃物の錐で地紙に小さな穴を彫り、その点の連続によって文様をつくります、(鮫小紋・行儀小紋・通し小紋)は文様の格調が高く、俗に“錐小紋の三役”といわれます。「極鮫」・「極霰」と称されるものは、約3p四方に八百から千二百粒もの穴が彫られる極限の技術で一型(縦15p)を彫りあげる一ヵ月間は一瞬々が息がつまるような緊張の連続だということです。 また「引き彫り=縞彫り」においては、最高1p幅に十一本の縞を彫りあげる、といいますが現在の職人さんでは出来ないとも言われていますが?・・現に縞小紋と言われるものには、「大名筋」から始まって、「極毛万筋」・「毛万二つ割」・「微塵筋」などと言ってその技術は神業といわれます。 この縞彫りや突き彫りでは、不安定な型紙を糸で固定させる「糸入れ」とゆう非常に難しい補強工程があります。 次の「突き彫り」は鋭く尖った小刀(幅2mm厚さ1o)で細かい柄を直角に、上から下へと突くようにして彫られます、(青海波・市松・七宝・紗綾形・菊菱)等があり、正確に彫る根気のいる仕事です 四つ目の技法は「道具彫り」で刃物を一単位の形に、例えば(桜・菊などの花びらや三角・四角と言った模様)作った刃物で型抜きをするように彫りますが、型地紙十枚重ねて、一気にむらなく突き抜くという難しい技術の上に、柄に合わせた刃物(道具)作りも彫刻師自身で作るので、これだけでも十年の修行を要するといいます。 他「一枚突き」技法は一枚の直線刃で一突き彫りするものですが、現在は「道具彫り」に取って変わられた物もあるとのことです。 ![]() 十二縞の一部(引き彫り) 浮世絵(突き彫り) 七宝(道具彫り) 渦巻き(錐彫り) 以上のように精微を極めた江戸小紋は、いずれも伝統技術を体得した職人の卓越した技なくして江戸小紋の誕生はあり得なかったことでしょう。昭和三十年に伊勢型紙の彫り師六人が人間国宝に選ばれました、この方がたが御存命なら、とうに百歳を越えていらっしゃることでしょうが、この方達の時代は小学校を終えた農家の次男坊や三男坊はみんな彫り師や型屋などへ年期奉公に出されたと云うことですから、一通りの習得だけでも十年以上の歳月は要し、さらに重要無形文化財に認定されている人の水準に達するには何十年もの修行と経験が必要であることは申すまでもないことです。しかしきものの需要が減るとともに職人さんの数も当時の三百五十人から現在は四十人ほどに激減してしまったとのことですが寂しいかぎりです。きもの業界の一人として<日本の伝統の技術のすばらしさ、手の文化の貴重さ>を多くの人たちに知って頂きたいと思います。 ![]() 次回は<型染め>についてお話し致します。ではご機嫌よう
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