播州織

播州織は、寛政4年(1792年)比延の大工 飛田安兵衛が京都西陣織の技術を導入してはじまったといわれ、以来、農家の副業として普及し、江戸時代末期には産地が形成されていました。明治中期には組合を組織し、大正、昭和を経て国内用から輸出向けに転進し発展してきました。戦後、アメリカなど先進諾国への輸出が多くなっていましたが、最近では国内向けが中心となっています。

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国内の中心市場である東京での展示会は、平成7年度から毎年開催しています。

展示会03

また、地域団体商標制度の施行に伴い、地域ブランド「播州織」の構築に産地全体で取り組んでいます。

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地域ブランド「播州織」

しなやかに世界へ、未来へ。
私たち「播州織」のシンボルマーク、ロゴタイプです。

「播州織」のめざすところ

北播磨の地で 地域の人々が育み続けた「播州織」がイノベーションを積み重ねながら安心と豊かさをお伝えしていく。

地域ブランド「播州織」とは?(定義)

北播磨地域で製造されたテキスタイルは播州織と呼ばれています。
この地域で考案され、糸染めされ、織られ、加工されたものの中で、一定の品質基準に達したものを地域ブランド「播州織」として認定することとします。

「播州織」は北播磨地域の自然と人が育んできた珠玉のテキスタイルです。(歴史)

「播州織」はいまから約220年前に、宮大工の飛田安兵衛が京都から持ち帰った技術を基礎として産声を上げました。 以来、稲作に代表される豊かな農産物を栽培する農家が閑農期の業として取り組み始めました。

「播州織」は自然のたまものです(豊かさへの決意)

産業として開花するためにはいくつかの条件が必要でした。
この地に流れる加古川、杉原川、野間川の豊かな流れが染色にもっとも適した「軟水」を与えてくれました。
自然の恵みをえて、この地の人々が、この地の自然と共生しながら育んできたものが「播州織」です。
このように「播州織」は北播磨の自然と人々が育んできたものです。
よって、「播州織」が自然を破壊するようなことがあってはいけない、自然に対して常に優しくなければいけない、と私たちは考えます。
そのために、私たちは常にきれいな水を自然に戻すよう努めてきました。
瀬戸内海環境保全臨時措置法で定められた基準を満たし、世界レベルでの厳しい基準をクリアーする排水処理施設はその一例です。
「播州織」に関わる全ての場(工程)でお使い頂く方が安心いただけるテキスタイルであるように心がけてきました。
それも私たちがいつまでも自然とともにありたい、北播磨の地が清流に鳥や魚であふれる所でありたい、と考えるからです。
そして、そのような地域を次の世代に引き継いでいきたいのです。
そのような地で作られたテキスタイルはみなさんに豊かさをお届けできると信じているからです。

地域の財産としての「播州織」(地域での位置づけ)

北播磨地域では多くの人々が「播州織」に関わってきました。
消費者やアパレル企業のウオンツやニーズをキャッチするとともに産地の可能性をアピールする産元、豊かな自然の恵みの中で最高の技術をもって糸を染める染色業者、磨き続けた最高の技術で対応する織物業者、顧客ニーズを踏まえて仕上げをおこなう加工業者、全ての人々が共同で作り上げ、育んできたのが「播州織」なのです。
私たちはお互いに切磋琢磨しつつ「播州織」を織り上げてきました。
これからもみんなで、優しく厳しく「播州織」を育てていきます。
「播州織」でみなさんに豊かになってもらうことを通じて、地域もまた豊かになっていきます。

「播州織」は伝えていきます-技と誇りを(イノベーション)

長い歴史の中で「播州織」は種々のイノベーションを起こしてきました。
たとえば、織機の改良、織り方の工夫、エレクトロニクスを駆使した奇跡のような模様。
永く「播州織」をお客様にお届けするため、私たちはいままで積み上げてきた色々な有形・無形の財産を次の世代に伝えていきます。
これからも最新の技術を取り入れながら最高の人材を育て続けていきます。
そして私たちの誇りも伝えていきます。その目印が、地域ブランドとしての「播州織」なのです。
「播州織」ブランドには今までの歴史とともに未来の歴史を刻み込みます。

「播州織」の品質管理(安心への決意)

お客様に安心と豊かさと幸福をお届けするために、「播州織」の品質管理は万全を期します。
従来から北播磨産のテキスタイルの品質管理のレベルは最高水準であったと自負しておりますが、「播州織」についてもその水準を維持するとともに、播州織ブランド委員会が責任を持って対応を見守ります。

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