こんぴらの歴史・こんぴらの観光・金刀比羅宮あれこれ

こんぴらの歴史
こんぴらの観光
金刀比羅宮あれこれ
こんぴらの歴史 1.こんぴらさんが栄えた時代
・町は金刀比羅宮の門前町として古くから開け、特に江戸中期(18世紀)以降、全国からの金毘羅参りの庶民で賑わった.
 これは、海の守り神としてこの宮を尊崇した塩飽 諸島の舟人たちが、神徳を各地に宣伝したことや、 高松藩や丸亀藩などの
 政策によるものがあった.
 さらに、十辺舎一九の「金毘羅道中膝栗毛(ひざくりげ)」や、滝沢馬琴の「金毘羅船利生記(りしょうき)」といった読み物が 
 もてはやされ、文人墨客が多く訪れ るようになったのも、金刀比羅宮繁盛の大きな要因となった.
 当時金毘羅参りは、伊勢参り、京参りとともに庶民の三大行事の一つとされ、上方から参詣者のための船便が、毎日のように
 大阪道頓掘界わいから出船して 丸亀に着き、又、西からの参拝者は多度津港につき、人々は街道の茶店で小休止を重ねながら、
 琴平への道を旅した. 今も街道沿いに遭存する常夜燈が、昔を忍ばせる.今も街中に高燈篭や、橋桁をもたない屋根橋「鞘橋」が
 往時のままに残り、参道石段沿いに軒を連なる旅 館、土産物屋の家並みなど、昔ながらの風情を留めている.

2.こんぴら五街道
 ・金刀比羅宮参詣のため、いわゆる琴平5五街道は
  高松街道   丸亀街道   多度津街道   伊予・土佐街道   阿波街道
・開基の年代は明らかではないが、社伝によると、その昔、インドの王舎城の守護神であるクンピーラ(梵語:インドのガンジス川に
 住むワニの 化身)がこの地に 仮に姿を現し、金毘羅大権現と称した.これが起こりと言われ、又、早い時代には、大物主神を
 まつり、 平安時代の頃から 士庶の尊崇を集めていたとも言う.神 仏習合して金光院松尾寺を別当寺とし、室町時代には
 すでに相当の信者があり、 一大神域を形勢して いたと見られる。
・明治時代に入ると、神仏分離令により、社号は琴平神社・事比羅官等に改められ、明治22年(1889) 現在の金刀比羅宮
 となった.

・天正年中(1573〜92)、讃岐を席捲した長宗我部基親は、金毘羅大権現の神域を恐れて仁王堂を建て、賢木門(さかき)を
 寄進した と伝える.

・代々の讃岐の領主の崇敬が厚く、生駒高俊は寺領 330石を寄せ、高松藩松平氏初代頼重は、経蔵・燈篭などを造立。
 寺領を安堵して 慶安5年(1648)、 それを徳川幕府に願い出て朱印地としたために、琴平の門前町は歌舞音曲が自由
 となり、賭博も黙認され、参詣を 兼ねた庶民のレクリエーション地として発 展 した。

・象頭山・正式には、琴平山と言うが、一般に山容が、遠望すると象の頭のようだと言われこの名がついた。
 象の眼の笑ひかけたる山桜と三日月の牙とぎだすや象頭山
 江戸中期ここを訪れた俳人与謝蕪村(1716〜83)の句である。
・寛政年間(1763〜1827)、2度にわたって讃岐を訪れた小林一茶は、観音寺市の専念寺に逗留したと言う記録が残っている.
 「おんひらひら蝶も金比羅参哉」
・俳諧の大成者、松尾芭蕉(1644〜1694)の句碑 も境内の中に建っている.なお、芭蕉が琴平に来たという記録は、残念ながら
 残っていないが、こんぴら信仰を 中心に日本各地から多くの文人たちが集まった.
・明治時代の文豪、森鴎外(1862〜1922)は、琴平の旅館「花壇」に1泊して、小説「金毘羅」を発表している.
 「花壇」には、北原白秋や吉井勇も宿泊している.
・宮本百合子(1899〜1951)の紀行文「琴平」に講演に来て丸い軒灯の店に投宿した旅館は「虎丸旅館」である.
・俳句は一般に広く理解されていくのは、明治時代に入ってからである.「俳句は文学の一部なり」と俳句革新を唱えた正岡子規の
 もとに集ったのが、 河東碧梧桐(へきごどう)【1873〜1937)、高浜虚子(1874〜1959)らであった.
 いわゆる碧梧桐はことのほか琴平が気に入ったらしく、〜6回来ている.被らの常宿は「寿し駒」で玄関の看板は碧梧桐の字です.
こんぴらの観光 巌魂(いずたま)神社
(奥社)1,368段

・御祭神は、巌魂彦命(いずたま)で、金刀比羅宮本教教祖を祀る奥社として親しまれています.(山岳信仰の跡)
 奥社の西側岸壁には、天狗面が掲げられている.
御本宮
(785段

・御祭神は、大物主神と崇徳天皇を合祀する.
 高台の権現造り、槍皮葺の建物で、明治11年に改築されています.
・こんぴらさんは、昔から海の神様として信仰され その年、豊穣な海の幸に恵まれることを祈り、又、航海の安全の
 願いを込めます.
 又、どうか今年も 豊かな実りをお授けくださいますよう、大地からの収穫が豊かなものとなりますよう、おごそかに
 祈願いたしま す.
・現在、平成16年秋の遷座祭に向けて大工事が行われています。
絵馬堂
・寛延元年の建築で、祈願成就の絵馬を始め、流し樽や大漁旗など数多く納められています。
一段下がった階段 ・こんぴらさんの石段で1段下がった石段があります.これは、786(なやむ)段と数が悪いため、
 1段下げ 785段にしたと言われています.
旭社
(重要文化財)
・天保8年の建立で、屋根裏まで施された彫刻は、 天保美術の粋と言われています.
奥書院
(重要文化財)


・表書院北側に連なる一重入母屋造り建物で、伊藤若沖筆などの障壁画が飾られています.
表書院
(重要文化財)
・入母屋造りの建物で、別名を千畳敷とも言い、円山応拳筆の障壁が90画などがあります.
宝物館・学芸館 ・明治後期の特徴を残した建物の中には、国指定の貴重な重要文化財があり、裏参道を行くと高橋由一の
 作品が展示されている学芸館がある.
五人百姓
・5人の露天商は、古くから金毘羅大権現の神事に協力して経済的援助を惜しまなかったので、特に境内での営業が許された.加美代飴.
大門
・慶安2年、松平頼重の寄進による堂々とした2重門です.
旧金毘羅大芝居
(金丸座)

・琴平公園に、大阪道頓堀三芝居の一つの大西座の 結構を模して建てられた歌舞枝専用の常設小屋で 天保年間に建てられた
 日本最古の歌舞伎小屋.
 今も昔ながらのやり方で、毎年春にこんぴら大芝 居が開催され人気を集めています.

海の科学館

・金刀比羅宮表参道に近い、琴平公園の入口にある.
 昭和49年10月にオープンし、建物は鉄筋4階 建てで、岩頭にあたって砕ける波をデザインしたと言う.三角錐状のモダンなもの.
 1階は、海をテーマに、2階は日本の海運と貿易 3階は、日本の水軍展.
世界一周したヨット ・世界一周をヨットで航海した、堀江謙一氏ののヨットも無事帰還の記念として、奉納されております.
高灯籠
・瀬戸内海を航行する船の指標として建てられた、 高さ27・6mの灯籠
鞘橋(重要文化財)
・別名を浮橋と言い、刀の鞘のような屋根のある橋で、南神苑潮川にかかる奇橋です.
金陵の郷 ・酒の博物館金陵の郷はこんぴらさんの参道に面している.
・金陵と言う言葉は、中国の南京の古称だと言う.江戸後期、頼山陽が琴平を訪れた際、この地が金陵(南京)を
 想わせるものがあり、 ここを金陵と呼んだことに由 来すると言う.中に入ると、その昔、こんぴらさんの天狗が
 休息したと言う伝説のある大楠にまず驚かされる.
・讃岐三白のひとつとして食前に供えられた讃岐米と霊験あらたかな象頭山の湧水、そして冬寒い高台の澄んだ
 空気とから生まれた。 清酒金陵は今もその豊潤な味と香りを伝える.




金刀比羅宮あれこれ
こんぴら狗(いぬ)

・昔、こんぴらさんから遠く離れた国の人々が、犬を代参にたてたと言う習わしで、「こんぴら参り」と記した札と
 道中の費用や初穂料を入れた 銭袋を犬の首に結んで旅人に託したと言うものです.
・犬は旅人の手から手へと受け継がれながら無事こんぴら参りを済ませたそうです.
流し樽 ・瀬戸内海を航行する船が、こんぴらさんに近づいた所で、初穂や清酒を入れた樽を流し、それを拾いあげた
 漁師が流し主に替わって 代参すると言う信仰で現在 も続いております.
金比羅講 ・かつて、一度はこんぴら詣でをと願う村人たちが、こんぴら信仰の講を組み、代表者がお参りしたと言うもので、
 季節や年ごとに輪番で 出掛けたたそうです.
手水の作法 ・まず、柄酌に清水を汲み、左手を清めます.
 次に、右手を清めた後、更に清水を左手の掌に受けて、(留めて)口をすすぎます.そして更に左手を薄めます.
2拝2拍手1拝 ・神前にて心を清め、心願の成就を祈る時、神のご加護麓信じ、心静かに手を合わせます.
・まず、神前にて2度のお辞儀(礼)をします.そして両手を合わせて心願成就の奉告と祈願をします.
 再び、2度お辞儀(礼)をして 2度拍手をし、最後に再びお辞儀(礼)をします.