★2004.08.05
7/13新潟県水害ボランティア活動報告 |
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8月2〜3日の2日間、7月13日の水害被害を受けた新潟県三条市の方へ行って来ました。目的はボランティアとして、少しでも被害者の方々の役に立ちたいと思ったからです。ただ、今までにちゃんとしたボランティアの経験が無かったので、行くまでは非常に不安がありました。皆さんの中にもそういう意欲はあってもなかなか参加するまでには至らないという方は多いのではないでしょうか?そういう方々に少しでの参加してみようかなとかできることがあるんだなと思って頂ければ光栄です。どういう感じで参加したのかを時系列に記述していきたいと思います。
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●7月中旬:
TVニュースで水害の事を知る。ゴムボートで避難している様子や、車が流されている様子を見て衝撃を受ける。無くなった方もいる。行政側の避難誘導の不備を指摘した特集番組を見て怒りを覚える。なぜ、もっと早く、そして適切に警報を出さなかったのかと。ただ、それでも現実の出来事としては認識できていなかったように思う。
●7月24〜25日:
TVニュースで、未だに粗大ゴミの収集がされていないということを知る。この暑い中だととんでもない臭いがするんだろうなと漠然と思う。何となく災害ボランティアのホームページを探して見た。ボランティアの募集はしているが、新潟までやはり遠い。しかも三条市と中ノ島町のどちらも募集をしており、どちらに行けば良いのか分からないので、新潟県も一括して募集して、振り分けるぐらいの事をすれば良いのにと思った。
●7月27日:
会社から新潟県水害ボランティア募集の周知があった。7月31日〜8月1日の2日間でバスでの送迎付だという。もちろん交通費、食費は会社持ち。ただし、その日はAFL Spiritsの合宿と重なっている。正直なところ、少しは気持ちが揺らいだが、仕方が無いと思いあきらめる。
●7月28日:
新聞で、拉致被害者の地村さんが福井県水害のボランティアに参加したことを見る。それをきっかけに自分も何かできないかと本気で思い始める。ただし、「何かできないかと思う」=「何もできないかも知れないと思う」となり、決心はつかない。
●7月29日:
昼食の際、たまたま水害の話になった。話の流れで「合宿が無かったら絶対に行っていたのに・・・」と言った自分がいた。何と恥ずかしい発言だろう。そして、もう一人の自分が言った。「自分の事ばかり考えずに、たまには人の役にやってみろよ!」。そしてその日に8月2日〜3日の休暇を申請、上司も快くOKを出してくれた。
●7月30日:
ホームページを見ると、中ノ島では一般ボランティアの募集を締め切っていた。よって、残るは三条市のみ。これでどちらに行けば良いかという悩みは解消された。早速三条市ボランティアセンターに電話。必要な物や現状を聞く。この土日で一気にボランティアを集めてある程度の目処をつけるつもりであり、2日以降の予定についてはその進捗次第なので、再度日曜日の夕方に連絡をして欲しいとのこと。
●8月1日:
昨日から行っていたAFL Spirits合宿から夕方帰宅。再度三条市ボランティアセンターに電話をし、状況と集合時間を確認。8:00頃までに来て欲しいとの事。すぐその足でホームセンターへ向かい、作業着、長靴、ゴム手袋等を購入。何となく身が引き締まり、実感が湧いて来た。
●8月2日:
午前2:00ごろに起床。昨日買った道具と1日分の着替え等を車に詰め込み、3:30頃に出発。いよいよという気持ちになる。高速を1時間ほど走って環八道路に出る。この時間なのにものすごくトラックが多い。そうしているうちに練馬ICに到着し、関越自動車道へ乗る。それからは山間の道が続き、継続的に眠気が襲う。一人での運転はこういうところがきつい。ただし、関越に乗るまでに思ったよりも時間をロスしてしまい、休むことができないので、ミスチルを絶叫しながらの運転が続く。そうこうしている間に7:30頃、最寄の三条燕ICに到着。朝の渋滞が始まっているらしく、なかなか列が進まない。時間も8:00に近づき、焦りが出てくる。信濃川を横切る三条大橋に差し掛かった時、初めて水害の被害を実感した。川岸に大量のゴミが集められており、埋め立てをしているところであった。おそらく処理場だけでは処理できないぐらいの量が出たのだろう。あらためて緊張感が湧いて来た。
それからまもなく、ボランティアセンターが設置されている目的地の三条市総合福祉センターに到着した。すぐに作業着と長靴姿に着替え、受付に向かった。センターにはすでに多くのボランティアの方々が集まっており、ある意味非常に活気があった。受付に行くと「受入票」のようなものに氏名、住所、連絡先、ボランティア経験の有無等を記述し提出、それからガムテープにフルネームを記述し、肩口に貼り、その場で待機するよう指示された。その日のボランティア数は約500名、前の日に比べると約半分になっていたそうである。
それから全体のミーティングおよび注意事項の周知が行われ、いよいよ作業割り当てがはじまった。依頼内容、場所、必要な人数と道具が書かれた紙をボランティア事務局の方が持ち、「側溝泥上げ作業でーす。男性5人、女性3人募集してますのでこちらに集まってくださーい。」という感じで呼びかけていくのである。ひとつ感じたのは、こういう所に進んで来る人たちは、非常に積極的だし、仕事の内容を選ぶような人がいないという所は非常に感心させられました。普段の生活では、やはり楽な仕事とか、自分に都合の良いものを選ぶということの方が多いと思うが、そういうことを超越して何とか役に立ちたいという雰囲気がひしひしと伝わる光景であった。
そのうち、「民家の泥上げ作業でーす。あと一人いませんかー。」という声が聞こえて来たので、早速その声に近づき、参加の意思表示をする。一緒に作業をするグループは男性6人、女性1人で、近くの豊栄市の商工会議所から来られたとのことであった。
早速、ショベル、鋤簾、土嚢袋等を準備し、マイクロバスで現場へ移動。移動中、町の中を通ると、やはり泥で汚れているのが目立ったり、庭が白いのが気になった。白いのは消石灰で消毒をしているからである。5分程度で現場に到着した。いよいよ作業の開始である。現場は86歳のおばあさんの家で、床上浸水の被害を受けていた。すでに畳上げは終わっていたが、床下の泥はそのままであった。もう2週間以上も経っているというのに、どろどろとした茶色の泥が表面を覆っている。これを除去しないと消石灰の消毒も効果が薄れるそうで、とても大事な作業だということであった。早速作業に入ったが、これが以上に暑い。泥のかき出しも床の梁が邪魔をして、大きなショベルではなかなか捗らない。鋤簾で地道にかき集めようとするが、これもうまくいかない。最終的に最も効果的だったのは鋤簾+自分の足。ここまで辿り着くのは結構時間もかかったが、その後は順調に作業も進んだ。休憩中に、この作業を依頼した親戚の方に話を聞くと、住んでいたおばあさんはまだ避難所にいて、まだショックから立ち直れていないとのこと。家族は修理をするよりもケアハウスのような所に行った方が良いのでは思っているらしく、なかなか難しいということであった。まさに災害被害からの出直しの難しさを垣間見た。この現場の作業は2時間ほどで終了し、再度ボランティアセンターの方に戻ることになった。ちょうどお昼の時間だったので、簡単な昼食を済ませて次の作業を待った。
午後からは側溝泥上げの作業チームに合流することになった。すでに午前中から実施しているチームがあったが、進捗が遅れていて、ヘルプとして午前中と同じメンバーで行く事になった。現場に到着してすぐに、チームに合流し、作業に入った。だが、ここで大きな障害があった。側溝の蓋がなかなか開かないのである。バールは持って行ったのだが、一つ開けるのがとにかく大変なのである。とにかく暑い!汗はだらだら、頭はふらふら。持って行った2リットルのペットボトルはあっという間に減っていく。さらに辛さを増長したのは、溝の臭いであった。溝には20cmぐらいのいわゆるヘドロが溜まっており、それを鋤簾ですくうのだが、すくう度に物凄い臭いが襲って来るのである。何しろ色々な物が溝に流れ込んでおり、それが2週間の間に発酵したと書くとイメージしてもらえるかと思う。それこそ色々な物である。作業中に、溝に面した店の人が出てきて、「本当に助かります。やらなきゃいけないと思っていたんですが、なかなかやる気が出なかったんです。これを機会にまた頑張ります。」という言葉を頂いた。たかが数時間しかやっていないボランティアであるが、それでもこういう事を言って頂ける活動に対して大きな喜びを感じた瞬間であった。新たにヘルプのチームの力を借りながら、数時間後何とか作業は終了した。暑さとハードな作業で、今までに経験したことの無い程ふらふらになりながら、センターに戻り、道具の洗浄や消毒を実施して、初日の作業は終了した。
それから宿泊場所を探すことになるのだが、これが結構困難を極めた。市内の小学校が避難所になっていて、そこに泊まる事もできたのだが、できればゆっくりしたかったので敢えて自分で探す事にした。ただその日はたまたま隣の長岡市で夏祭りが行われており、どこのホテルも満室であった。そこでこの辺りで最も都会で、ホテルがたくさんありそうな新潟市に行く事にした。高速で30分、新潟市に到着し、駅近くのホテルも確保して一安心。とりあえずシャワーで汗を流し、翌日のために作業着の洗濯をして一安心。しばらく休んで食事にでも行こうかと横になった瞬間、あっという間に眠ってしまっていた。まさにKO状態で初日は終わったのであった。
●8月3日:
早朝に起床。天気も良さそうである。しっかり寝たせいか特に疲れは無い。昨日洗濯した作業着が多少湿って入るが、この熱気だったらすぐに乾くだろう。今日も頑張ろう。7:00頃にホテルを出て、再度三条市の方へ向かった。
福祉センターに到着し、すぐにボランティア受付を行った。心なしか昨日よりは人数が少ない気がする。しばらく待っていると、作業割り当てが始まった。今日も泥上げ作業がメインのようで、次々と順番に決まって行く。その時、「車をお持ちの方いらっしゃいませんか?配達作業です。」という声が聞こえた。車はあるが、全く地理的に分かっていないのでちょっと難しいかなと思って見ていたが、なかなか人数が集まらない。正直、配達=非肉体労働と思っていたのであまり乗り気では無かったが、あまり集まりが良くないので、意を決して申し出てみた。作業内容は、ボランティアセンターに全国から届けられたタオルを、被害の大きかった地域の皆さんに一軒一軒届けるというものであった。タオルを集めるというのは阪神大震災の時から始まったそうで、救援物資の中でも被災者の皆さんで共通的に使えて、長期の保管も可能なため、災害時にはタオルが集められるようになったそうである。
結局、地元の方と組んで、2人組みで配達に行く事になった。渡された地図の中に対象となるお宅は60件。10枚ずつセットになったタオルとボランティアセンターが8日に閉鎖すること等を周知するチラシが入ったビニール袋を車に詰め込むと後部座席とトランクは一杯になった。準備はOK、早速出発だ。一軒一軒、主旨の説明をしながら配って回るのだが、皆さん本当に暖かく迎えてくれる。ボランティアに対しては大変友好的に思ってくれているようだ。自分は2日程度しか活動していないため少し恥ずかしい気もする。部屋を乾燥させるためどの家も畳が取り除いてあり、消石灰が撒かれた白い床がむき出しになっている。まだまだ復興というにはほど遠い状況に見えた。
それにしても暑い。一軒一軒回る度に汗が噴出してくる。普段はクーラーの効いた部屋で仕事をしている事が多いのでそれと比べ大変な環境だが、働いているという実感もあり何となく嬉しい気もする。訪問した際の暖かい対応も嬉しかった。ただその中で聞いた「被害にあったのは自分だけでは無いから・・・」という言葉は非常に印象に残ったし、何故か救われた感じがした。人間ってやっぱり強い!それから約1時間半で全ての家を回り終えた。一度センターに戻り、皆で食事をとった後、午後の予定を確認し、再度準備に入った。
午後は約150件の訪問を行った。センターからできるだけ要望や苦情も聞いて欲しいという指示があったため、できるだけ一軒一軒丁寧に訪問することを心掛けた。中にはボランティアセンターがあること自体知らなかったという方もいたが、全体的には好意的に対応して頂き、特に苦情のようなものは無かった。ここはボランティアセンターのこれまでの地道な取り組みが評価された部分だと思う。役所の対応に関してはいくつか苦情が聞かれたが、主旨と違うのでここでは伏せておくことにしよう。午後5:00頃全ての訪問を終えて、帰る途中で法事が行われている家がいくつかあった。その全てが7月13日没と書いてあり、何ともやるせない気持ちになった。ここがまさに現場なのだ。
センターに戻り、後片付けをしてボランティアセンターを後にした。ボランティアの雰囲気にも慣れてきたので、本当は次の日も参加したかったが、次の日はどうしても外せない仕事があったので、泣く泣く帰ることにした。帰りはどうしても風呂だけは入って帰りたかったので、すぐに高速には乗らず国道8号線を南下することにした。30分程走ると大きなショッピングセンターがあり、運のいいことに温泉センターが見つかった。回転寿司屋で食事をした後に一風呂浴びてすっきり。すぐに高速に乗り帰途についた。さすがに途中途中で眠気が襲ってきたため、頻繁に休みながらようやく家に着いたのは午前2:00頃。とりあえず無事に着いて良かった。これで充実した2日間が終了したのである。
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●最後に
非常に長く、退屈な文章になってしまいました。この文章を書こうと思った目的は、人間は瞬間的な感動や経験を忘れがちなので残しておきたかったということと、ボランティアというと重苦しく、面倒な感じを持っていた私でも何となくやれることがあったということを伝えたいと思ったためです。まだまだ復興には時間がかかるとは思いますが、被災者の皆さんがぜひ早いうちに元の生活に戻れる事をお祈りしてこの文章を終わりたいと思います。 |
| Shunsuke Oda |
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