綾波レイに関しての個人的考察(日記より抜粋・修正)
今回は、原作に於ける綾波レイの描かれ方と、それに伴う個人的見解(というよりも願望か?)を考察した。
『新世紀エヴァンゲリオン』自分でも完全に観たのは96〜97年の冬。再放送で完全に見た物。95年の僅か数回を群馬でオリジナルで見た物。群馬で見た頃は、そんなに見なかった(仕事で見る事が出来なかった)から、いい物が出来たんだ位の感覚だったのが、その後函館で観た時にかなり自分でも逝ってしまったと思った。
その設定もさる事ながら、綾波レイの持つ儚さが自分の心に染み入った。当時は逆に惣流アスカラングレーには嫌悪しか抱かなかったが・・・。その事は設定をこの1ヶ月見なおしても変わらない。・・・貞本版は好きなんだけどね・・・。
この作品にのめり込んだのは、大まかな形とはいえ、ユダヤ・キリスト教的世界観を具に持ち出した物であるという事と、例えステレオタイプ的な物でも、人の心理をその題材に使った事による。心を主題に扱ったが故に、碇シンジと、綾波レイ、惣流アスカ、更に葛城ミサト、赤木リツコ、と主要人物の心理的葛藤が凄まじく描かれているから。更に、物語の世界観が陰謀史観に彩られた自分の世界の見方に十分に感応出来る位の物だったからだ。
しかし、その4年ぶりに熱にうなされて見た(腰の故障の為に本当に熱にうなされてた)のがこの有り様だ。綾波レイには、碇シンジしかいない(そう、彼女自身を捧げるのも)という先入観に支配されて(何故なら、リリスだから)、その設定を外れた物には自分でもはっきり解るくらいに身悶えするくらい嫌う方向に逝ってしまってる。
例え、その先にハッピーが待っているとしても、他人に何の疑問も無く抱かれてしまう綾波には、涙を禁じえないくらいに悲しくなってくる・・・。
確かに、GAINAXはそれを匂わせる設定を彼女にした。
水、気持ちのいい事、碇司令
という14話のモノローグ。23話でシンジを求める心を強く認識した直後に、自爆する寸前に見た碇ゲンドウの幻。何故、ここでシンジではない!!という焦燥感に苛まされた記憶。
心を持たないクローン。使徒と同じ身体を持つ少女。蒼銀の髪。深紅の瞳。
その儚き存在が、シンジ以外の人間に因って汚されていく事。それも自分でもその行為の持つ意味が生殖行為という物以外に存在しない彼女の心。心が無い故に自分の心が壊れる事無く、他者との積極的関わりを持たない。
絶対的な存在に服従するただそれだけの存在・・・・。それは、あまりにも悲しく、遣る瀬無い。
綾波レイの求める物。無への回帰。死。唯それだけ。その凍り付いた心を、たどたどしくも碇シンジが開いていった。
しかし・・・。
しかし、そのシンジも、レイが人外のクローン(単純な意味でのクローンではない)と解った時に(原作では)彼女を拒否する。まぁ、自分も再放送で23話を見た時は、前半のレイの献身さを覆すかのような後半のターミナルドグマのシーンは美しくもショックだった事を今でも覚えている。それは、今見なおしてもそうだ・・・。
一旦心を開きかけた少年に対して、その対象から改めて拒否される事。これ程薄幸な物は無いだろう・・・。そして彼女自身それを苦に思わない。・・・否、苦に思うがそれを表現する術を再び忘れてしまったのだ。
だからこそ、LRSというジャンルが構築されたのかもしれない。・・・・まぁ、それは自我崩壊に陥ったアスカにも同じ事が言えるのだが、それでも自分的にアスカの崩壊は人間として解る物だけに、逆にレイのそれは常ならずという事に於いては突出した物故に自分ではレイの方が比重が高い。というよりもアスカの性格が例え自分の本当の欲求の完全裏返しだとしても嫌悪してしまうから、レイに偶像を求めてしまうのだけど・・・。
劇場版は、完全に語り部としての役割になり切ってしまったレイが自分としては非常に悲しかった。ゲンドウを裏切って「碇君が呼んでる」と踵を返した先に、『神としての』レイしか存在しなかった。
重要な補完が始まる時からBACKに流れてた(シンジの首締めのシーンから)『Komm.susser
Tod(甘き死よ来れ)』が、当に断腸の思いでシンジを諦めて"神"として自分を無に帰すと決心したレイの心を表しているのがイタイけど、救いだ。そして最もこの作品で美しいシーンである。最初に見た時は心が震えた物だ。今でも・・・。
しかし、シンジの為に良かれと彼女のする事全てが、裏目に出てしまった事は(騎乗位綾波も、アスカとのみ個体を維持してサードインパクトを乗り越えたのも)、どうしてもシンジにとってもレイにとっても不幸としか言い様が無い。レイも、カヲルもシンジの望みを履き違えたとしか言い様が無いのだ。"傷付いても個体を維持し、人と触れ合って生きて行きたい"というシンジの願いは、あんな物ではないだろう。
まして最後には「気持ち悪い」とアスカに言い切られてるのだ・・・。確かに泣きながら自分の上に騎乗してる14歳の少年は『気持ち悪い』が・・・。
レイは、自分の取ったシンジの為の行動が正しいと思っていたのだろうか・・・・・?カヲルにしてもそうだ。セントラルドグマで、結界を通り抜けたレイと自分と対峙する初号機(シンジ)を見て「君"達"には未来が必要だ」と言ったのは、シンジとレイが結ばれる事で、人類の新たな未来を象徴するという様にあの時は解釈したというのに・・・。あっさり25話、26話でどんでん返しを喰らってしまった苦い思い。
・・・・・それにしても何とかならんのか?『水、気持ちいい事、碇司令』には・・・・。直接的に結び付ける事が出来ない様に屁理屈でもそんな解釈を避ける説明が欲しい・・・。・・・無理だな。リリスである綾波レイが黙示録の大淫婦という観点で見れば、誰とそんな関係を持っても何ら不思議ではないし、違和感は無いのが自分の中では在るのだが、それでも碇ゲンドウとその関係というのはどうしても嫌悪しか抱かない物がある。勝手な思いなのだがね。・・・。
勝手に強引に解釈してみるか・・・。
『水 気持ちのいい事 碇司令』
上記科白。第14話、相互互換試験にて、初号機搭乗時のレイのモノローグの一節。これには、LRS的にまいった記憶がある。リリスという彼女の正体が明かされない時の物だけに、「あうぅ、やはりその関係かぁ」と嘆いた記憶がある。 第23話、碇シンジと一つになりたいという思い、それを思っても、シンジを失いたくないという思いから自爆する瞬間に浮かんだのはシンジではなく碇ゲンドウであった事による焦燥感があった。
リリスの事が明らかになり、黙示録の大淫婦だったなと自分で納得した時でも、やはり自分的にはシンジとのみの関係を連想していた。
その問題の根源が表題である。同人誌は、結果シンジとする物でも、先にゲンドウとしてる物も多く、それによって、逆説的にシンジの愛に目覚めるというストーリーの物もあった。
あぁ、いやだ。とまるで10代の少年のような思いが心に芽生えたが、自分が切っ掛けがあれば拒まずの性格だから、人の事言えない。
二次元キャラが誰としてても別にいいというのは、一般的であるが、ストーリーを考慮した上でレイとゲンドウが結ばれているというのは、ナオコとリツコの親子がゲンドウとその関係であった事を考慮すれば、余りにもゲンドウがいい思いしてるなぁという乾いた笑いしか出て来ない物に成り果ててしまう。
レイは、性交渉を持った事があるのか?という問題は、初期数話の盲目的にゲンドウに付き従うレイの存在がそれを匂わせるが故に、何とかその可能性の否定を模索していた事もあった。
今も、リリスだからしょうがないかという思いもあるが基本的にシンジとのみそんな関係になって欲しいという淡い希望がある。
考察してみよう。
上記表題。話し言葉であるから、主語と述語の希薄さは仕方がないとして、
架ける言葉を考察してみたい。
言葉の意味
水・・・文字通り水
・・・LCL
・・・レイの深層心理のイメージ(第23話)光と水
気持ちのいい事・・・水の中にたゆたう事
・・・LCLにたゆたう事
碇司令・・・文字通り
水に掛けて気持ちいいと言っている。それは、レイのキャラクターならそうであろう。
これで一つの文節が作られる。それの補足的扱いとして、碇司令が出て来る。
水に碇司令が掛かるのなら、ターミナルドグマでシリンダーの中に入っている時は何時も(かどうか解らんが)碇司令がいる。水の中にいる時が気持ちいいのなら、何時も傍にいる自分に優しい目をする司令(しかも創物主だ)が連想されるのは不思議ではない。
気持ちのいい事に掛かるのなら、文字通りの事だ。気持ちいいという感覚は、最大なのは誰もが否定しないであろうがSEXだ(少なくとも自分がそうだ)。それに関われる存在が、その時点では碇司令に尽きる。それぞれの男女関係を洗い直した第15話、ターミナルドグマ大深度地下施設中央部。二人で微笑み会うレイとゲンドウ。レイは前半でシンジの言葉にどぎまぎしてるにも関わらず、墓参りは司令と一緒だったし。第17話、同じくターミナルドグマで傍にいるリツコの冷たすぎる眼差しを思い出せば、リツコが嫉妬の炎に燃えている事は首肯出来よう。
レイの感情が『親』の対する物だったら、・・・10代の少女の心は解らんから、盲目的に付き従えば、レイのような事になるのか?男だから解らない・・・。レイの思いは親に対する感情か・・・。無理かなぁ・・・。
う〜みゅ。どうしてもそうなってしまうのか?この言葉を覆すには、かなり無理があるような気が・・・。碇ゲンドウがレイに手を出してない(もしくは出せない)という解釈は、自分のSSである『Rei』で記述してるように、アダムとリリスの交配は、関係無い時にサードインパクトなのじゃないのか?という解釈をしてるが。レイ側からの設定を見るとなんとも心許ないような気が・・・。・・・頭冷やそう。
閑話
裸関係か・・・。GAINX自体がキャラの裸で商売する集団だから・・・・。昔から変わらぬオタクの味方・・・だけどなぁ・・・・。中学の頃に見た『愛国戦隊大日本』とか(・・・確か、ゼネプロだったよな?記憶違いであったらごめん)、『DAICONフィルム』とか、ペーパークラフトのメーサー殺獣光線車とか・・・。楽しませて貰った事は間違い無いのだがね。今の人達はプリメとか、そっちの関係が強い印象か・・・?
人造人間か・・・。手塚治虫の『メトロポリス』を見たが、心の中で綾波を思い描いてしまった自分ってもう終わってるよ・・・。きちんと、ミッティ(映画ではティマだったしかも女の娘)が死んだ事は自分でも解ってる事し、納得出来てるとはいえ、鬱になった。基本的に人造人間というコンセプトがスゴイ好きで(だからこそのアヤナミスト)、キカイダーから連綿と続く自分の嗜好は、綾波レイで完成されたと30を超えた年齢になって思う。
閑話休題
話を元に戻そう・・・。
綾波レイが確かに碇ユイのクローンであったとしても、彼女の心は、完全にシンジに向いていた物と捕らえる事が出来たと思う。23話の描き方を見ればそれが顕著だ・・・・。余りにも悲し過ぎる。
1・・惣流・アスカ・ラングレーの22話での追加シーンでの自分に関わる人達の空間の共有までも拒否する心は、人間としての完全なる拒否であったと思う。
2・・人類補完計画が結局発動されて、人類の全てがLCLの海に融合してしまった後、希望を見出して個体に戻った碇シンジと異なり、アスカはシンジを拒否したが故に個体に戻った(と解釈出来る)。その心理経過は先の22話と、劇場版のアスカの科白全てに確認する事が出来る。シンジを求めてる心を持つ故にシンジを断固拒否するというジレンマをアスカは抱えている。
3・・綾波レイは三人目である。クローンである事を知った後のシンジは完全に綾波に対し恐怖を持つまでになってしまったし、補完計画が発動される前のレイの心理もシンジを省みてない。それは『最後のシ者』でのレイのモノローグで碇シンジ(碇君)の”い”の字も出て来ない事にも解るというもの。しかし、セントラルドグマ下降シーンのレイ、劇場版での「碇君が呼んでる」、その後の“一つになった状態(騎乗位綾波)での彼等の会話、その直後の会話で、レイのシンジに対する心が読み取れると思う。シンジもまた然りだ。非常に肯定的な彼女の心は、例え三人目だとしても今迄築き上げた記憶はリセット如きでは消え失せる事は無かったのだと信じたい。それが本能に根付いた物であるというなら尚更だと思う。
4・・23話に於ける彼女の心の欲求はLD(DVD)版でより解り易く描かれた。使徒に侵食され初号機と物理的接触を欲求した彼女の状態を視覚的に解るように描かれたのは個人的に良かったと思う。確かにシンジはそれに恐怖していたが・・・。ただ、あの描き方はレイの心を描いた物として自分的にベストの位置に入った。
5・・23話で消える瞬間に、碇ゲンドウの顔を最後に心に描いたのは、“人間”として最後に縋るのはやはり『親』なのではないのか?というのが自分の取り得た持論だ。それは日本の特別攻撃隊の隊員達の最後の心理状態が母親、若しくは父親を描いたという証言でも解る事と思う。また、ベビー師団と揶揄されつつも、SS師団最高の働きをして見せた第12SS装甲師団ヒトラーユーゲントの少年兵達も手記を見る限り、死ぬ間際は(死ぬ直前まで逝った間際は)自身の親の姿を浮かべたという指摘からも解る・・・。絆の始まりは何時も如何なる時代も、例えレイのような環境でも『親』であると思うし・・・。赤木リツコ博士がレイの心に齎した物は“女”の情念であったと思うし。それに気付いていたかもしれないレイの最後の拠所にはリツコは成り得なかった。娘の自分を憎む母に対する拒否か?だからこその自分に(例え道具として、あるいはじぶんの向こうに居る彼の本当に求める人に対する欲求だとしても)対して思いを見せる父であるゲンドウに縋った偽りの絆だと思う。偽りでも『父』としての存在は彼女の中に確実にあったかもしれない(というよりあったという描かれ方をしてる)。
6・・それ以前に、レイの遺伝子パターンは実の母親である碇ユイの物である事は過ごす事の出来ない要因ではないのか?・・・これは近親相姦というタブーにも直結する母親の息子に対する無償の愛が根底に浮かんだ。シンジの無意識に縋る母親の存在への渇望という観点からも見る事が出来る。綾波レイが完全な碇ユイのクローンではなく、更に人としての遺伝子とも異なる配列を持つという設定で、近親相姦という悪夢を免れさせ得るという結果には、自分では満足出来る。子宮回帰的な設定になっている(母親や、近親者の魂をコアに取り込んで操縦者とのシンクロを得るという兵器として前代未聞の設定)エヴァだからこそだとは思うのだが・・・。
これ以降にも自分で感じたものがあるのかもしれないが、それは思い出したら書いて行く事にして、倫理的にレイとシンジが結ばれる事が出来るかどうかをもうちょっと詳しく考察してみたいと思う。
レイは碇シンジの母親たる碇ユイの遺伝子情報から産み出されたクーロン人間である。しかもその個体はバックアップという特殊な環境に因って複数の個体が存在する物でもある。それは一般的に普通の人間には無い状態であり、それにシンジのような普通の人間を結ばせる事が可能なのかどうか?
碇ユイの100%のクローンであるならば現在の倫理観では非常に辛い物がある事は明白ではある。近過ぎる血を配合すれば、その遺伝子は濁って来る。人間で言えば白痴や、身体的障害、精神的障害を持つ者が生まれる可能性が高い故に、科学的データが存在しなかった古来より忌み嫌われていた。例外は余程近親者しかいない状態であるか、血の濃さを誇示する一族(日本の天皇家)で無ければそれは無かった。血の純粋さを求めるのは日本だけの物ではなく、遠くヨーロッパに於いても同じ事が行われた。
だからといって100%クローンの母親を異性として認識したとしても倫理的に問題があるという事は認めざるを得ない・・・。自分的には『個々人が良ければそれでいいんじゃない?』が本音ではあるが・・・。
しかし、作品は“逃げ道”を用意している。
1・・レイが人間と異なり、使徒と同じく0.11%誤差のある遺伝子を持つと言う事実。
2・・碇ユイの遺伝子をベースとしていたとしても、その配合に使徒の遺伝子が使われたという事(新たな問題を内包するが)。
3・・僅か0.11%の誤差で使徒間で見られた様に個体差が非常に激しく出て来る事実。
この三つが有る為に綾波レイと碇シンジの関係を『背徳』と決め付ける事は自分的に出来ないと思う。
完全にクローンではない故に、彼等の可能性は現実に存在するのだ。しかし個人的に非常に綾波が哀れでならない。本編で余りきちんと描かれてないが故に、綾波レイの心がLD版で少ないながらきちんと描かれたのは数少ない救いか?その心は非常に儚い物を思わせる・・・・・・。それでも綾波レイと碇シンジが結ばれる事を自分的に望んでいる。・・・劇場板は確かにアダムとイブという事で、シンジとアスカだったさ。それでも、他の見解で記したように、アダムとイブとリリスという観点から見れば、ユダヤ人以外の民である我々からすれば、その始祖たるリリスに結ばれて欲しいというのが個人的思いという事で・・・。
綾波レイのレーゾンデートル。それは造物主である碇ゲンドウの目的に追従する事。それは彼女が生まれ出でた最大の理由であり、それが完遂すれば彼女の存在理由は潰えてしまう(というより彼女自身が抹殺=抹消される)。それを彼女は自分で知り尽くしている。それがレーゾンデートル故に・・・。しかし、心を成長させて貰えなかったが故に、彼女に碇シンジが与えた物は非常に大きく、それ故に彼女の存在理由は変化を遂げて行く。
劇場版でのゲンドウの描くサードインパクトを拒否してまでもシンジの元へ向かったが故にゼーレの予備の補完計画に則った形になってしまった。その事はゲンドウも許容出来るかも知れない範囲ではないのかというのが、見た素直な感想だが、ゲンドウの補完計画は、もっと個々人(個体)の意識を強く持つ物ではなかったのではないか?
綾波レイの望みは只管『碇シンジ』に向けられた「守りたい」「呼んでいる」という事に尽きる。本当に23話がいい作りになった事が自分的に一番いい事だったのではないのではないのかと。思っている。
それにしても十万円掛けてエヴァDVDフルセットを購入したのは間違ってないと思う(デッキ込み)。生活は最早後戻りは出来ない所まで逝ってしまってるが。自分的に何時までも影響を持つ作品になってしまってると思うから、仮に10年たってこいつを見た時に自分の中で変わっていない事を切に祈る。数々の作品が生まれていたが、この作品程社会に影響を与えた物は無いと思う。それは監督の知名度とか、原作の知名度とかを超越した作品であったと思う。
と言うよりも自分に影響を与えまくったアニメとしては久し振りな作品だった。この先に自分の心をどう持って行くのか・・・。全ての鍵をこの作品に求める事になりそうだ。大体今一番お気に入りの曲がBOWIEでもDOORSでもなくエヴァのKommn〜なのだ。ゴスペルビート(FUNK)に乗せて"明るく"無への回帰を誘っているというこの曲は、はっきり言って遺書に出来るくらいに完成されてる。これを聴いて死にたくなった人も居るんではないのか?・・・自分がそうだからな・・・。これを聴いて綾波の事を思い、涙に暮れてあまりの彼女の不幸に自分を投影してしまう電波な状態。オタでヒッキ―な状態を容易く作ってしまう力を持ってる・・・・。
当分付き合って行こうか。綾波に。というよりも、リリスにか・・・。
補足・・・"あのゲーム"に関して
GAINAXの『綾波育成計画』。自爆する瞬間の思い人を描く顔を碇ゲンドウと、碇シンジと、いらないのだがプレイヤーと3パターンある。
それはつまり、あの状態になって(自分の心を確認した後でも)綾波レイは碇ゲンドウを選んだというのが、オリジナル設定なのか?自分的には、自分の父を最後の拠り所とせずに、自分の思い人を最後の拠り所にするには、更なる心の成長、自我の確立が必須と思うのだが。それでもシンジを思い浮かべる事と、ゲンドウを思い浮かべる事を分けてしまったのは、解り易くする為だけなのだろうか?シンジ中心の攻略(学校に行かせる)では無事にシンジの顔を思い描くから・・・。よほどファザコンに仕立て上げたいのか、それとも結局はレイの思い人は碇ゲンドウなのか。二人目の思いに対するGAINAXの意図が解らん。・・・そりゃさ、14年(少なくとも10年以上)の歳月をかけて育んで来た思いと、僅か数ヶ月で打ち込まれた楔とでは比較対象にすらならないのかもしれんが・・・。しかし、ダムを決壊させるのは、小さな亀裂だ・・・。
救いは、本編に描かれた三人目の存在。あれだけ大事にしていた眼鏡をぶち壊してドグマを降りる事になる三人目の存在。シンジ自身がそれどころじゃないというのに(多分あの時点シンジには"綾波レイ"の"あ"の字も心に無かったろうに)、『碇君が呼んでる』とゲンドウを振り切った三人目。ゲンドウの無残な(ある意味悲しい)補完後に彼のサングラスを拾い上げたレイはやはり二人目。だけど、・・・普通にあれ以降二人目が成長したとしてもゲンドウを振り切れる何かを得る事が出来得る可能性を示唆してる。いや、何らのしがらみも持たない三人目故に自分の心でシンジの元に向かう事が出来たのかもしれないが・・・。
・・・ちなみにゲームはプレイヤーが綾波レイと何らかのそれ以上に関係を深くするのははっきり言っていらないので、どうしてもシンジを思う綾波レイにしてしまった事で、最早満足してしまったという・・・。エンディングは全部見てない。・・・考えれば昔から『プリメ』シリーズは全部そうだった。
・・・いや、『綾波育成計画』はいいのだよ。別に・・・。ただちょっと、自分の得てる考察とぶつかるかなぁ・・・、何て。
あうぅぅ。話飛びまくりだよ・・・。もうちょっと校正して上げ直そうかね・・・。
綾波レイに関しての個人的考察(010805追記)
買っていて、読んでいないエヴァの本として、富士見書房から出版された『新世紀エヴァンゲリオン絵コンテ集1〜5』がある。何か知らねど、函館時代に大枚10000円も出して買った本だ。本棚の肥やしになって、もう数年は経過したが、昨日、今日とぱらぱらと捲ってみる。科白がラフで入ってるのは知っていたが、製本(というより校正)ミス部分である、『ゼーレ、魂の座』の所のレイのモノローグを読み返した・・・。引用という事で、抜き出してみる。・・・引用は著作権法でも認められてる筈だ。ちゃんと最後に参考文献として入れる。
山 重い山
空 青い空
太陽 光り輝く太陽
水 流れる水 キラキラしてる水
花 さいてる花 さかない花
空 赤い、赤い、赤い空
赤い色 赤い色は嫌い
流れる水
血 血の匂い 血を流さない女
赤い土から作られた人間
流された血から作られた人間
男と女から作られた人間
これは街 人の造り出したモノ
これはエヴァ 人の造り出したモノ
人は何? 神様が造り出したもの?
人は人が造り出したもの?
私にあるものは命
命
命の容れ物
エントリープラグ
それは 魂の座
これは誰? これは私
私はなに?
私は何?
私は何?
私は何?
私は何?
私はわたし
この物体が自分
自分を作っている形
眼に見える私
でも自分が自分でない感じ
とてもヘン
身体が溶けていく感じがする
自分がわからなくなる
自分のフィールドが消えていく
他の人を、感じる
誰かいるの? この先に?
碇君?
この人知ってる 葛城三佐
赤木博士
クラスメイト
弐号機パイロット
碇司令?
あなた、だれ?
あなた、だれ?
あなた、だれ?
が絵コンテ集第3巻に掲載されているモノローグ。概ね決定稿もそれに準えているものの、決定的に異なるのが最初の『山』『空』『太陽』『水』『花』。驚くべき事に、水の項目であの永遠に煩悶を誘うあの文句が無い。という事は、初期稿、若しくは第二稿が存在するなら第二稿まで、あの
水 気持ちのいい事 碇司令?
が無い。
・・・今気付いた。フィルムブックでは碇司令にクエスチョンマークが貼っている。この『?』がある事で、かなり解釈を変える事が可能になる。つまり、レイは碇司令を更に連想しつつも、それに対し確信を抱いていないという事になる。決定稿でもそうなるという事は、そんな関係が無い可能性も極めて増加するという事で・・・。
絵コンテ集の記述を見れば、全くそのレイ自身の考察は無い事になる。
例え、設定ブロットで、『裸で碇司令を部屋で待つ綾波レイ』という"感じ"にしたいといっても、適確な意味でそれを描けなければ、それは推測でしかない。ゴシップだ。・・・ゴシップは事実になり得る可能性を持つが、事実ではない。
リリスであるが故に何があってもおかしくないのだが、シンジといっしょに新しい世界を生きて貰いたかった者としては、やはりその父親と"する"というのは非常にいただけないという事で。いやっ。あってもいいよ?別に。ただなぁというのがねぇ・・・。
・・・まぁ、何が言いたいのかというと、絵コンテ作成の頃までは、そんな科白は無かったんだぁと、初心なガキのように叫んでみたかったという事だ。無いなら、そんな事は無かったんだぁぁと叫んでみたりする・・・。
いいさ!!厨と笑うなら笑えよ。・・・・と走って逃げていく。
・・・という事で。
<参考文献>
『新世紀エヴァンゲリオン絵コンテ集』第3巻
富士見書房 編/GAINAX
ISBN4-8291-7349-1
定価2000円
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