本棚の隣人  デナンクスとピエール・ルイス

 『記憶のための殺人』(草思社)の作家デナンクスの論敵たちについては『ディディエ・デナンクスの戦い』で書いています。

 中でもお互い一番憎たらしく思っていそうなのがセルジュ・ティヨンSerge Thion(ユダヤ人虐殺の史的真実性を否定する「ガス室は幻」派としても知られる)、ですが―

 

  1997年の文章でデナンクスは、ピエール・ルイス)の『女の子のためのお作法読本』のテクストをティヨンがセリーヌの反ユダヤ文書と共に自分のサイトに載せたのを非難している。

このデナンクスの文は http://www.abbc.com/aaargh/fran/arvs/bavarde/DDhuma.ht

 私はこちらまで怒られているような気がした。自分の本棚にも『女の子の…』があるからだ。しかもデナンクスの『地下鉄のナチ』と並んでいる!―同じ頃(1996年)に出たせいだ。

ルイスの本はPierre Louÿs, Manuel de civilité pour les petites filles à l'usage des maisons d'éducation (Ed. Allia,1996)

 しかしデナンクスが『女の子の…』はun récit qui relate la vente d'une fillette de neuf ans à des fins de viol (慰みものにされるため売られる9才の女の子の物語)だと書いているのはどうかと思う。 

 これはお作法読本のパロディで、手っ取り早く例を引けば

 AU MUSÉE

 Ne grimpez pas sur les socles des statues antiques pour vous servir de leurs organes virils. Il ne faut pas toucher aux objets exposés;  ni avec la main, ni avec le cul.

  [ ... ]Ne demandez pas au gardien de salle pourquoi l'Hermaphrodite a des couilles et des tétons. Cette question n'est pas de sa compétence.

美術館で

  古代の立像の台座によじのぼりその男性器官を弄(もてあそ)んではいけません。手でも尻でも、展示物に触れてはいけません。

 (中略)警備員に両性具有神(ヘルマフロディトス)は何故きんたまとおっぱいがあるのか尋ねてはいけません。警備員の専門外です。

*「ヘルマフロディトス」はルーブルの『まどろむヘルマフロディトス』か? 。

  写真は  http://www.louvre.fr/francais/collec/ager/ma0231/ager_f.htm 

 

 それにしてもデナンクスはこの作品をちゃんと読んだのだろうか。

 vousで呼びかけられる女の子たちは、海水浴、舞踏会を体験し、家には使用人がいて、家族で芝居に行き、「親の自動車」まですでに登場する。デナンクスのことばが想像させるような悲惨な境遇の子はいない。

 例外はある。だが「万一ご両親が零落しやむなく法定年齢以前にあなたを売春させるとしても」と始まる章(AU LIT AVEC UN VIEUX MONSIEUR)さえ、「あなたの庇護者に閣下、猊下、上院副議長殿、などとみだりに尊称をつけてはなりません」と、あきらかに笑いが勝っている。

  暴行violと称すべき野蛮さはこの遊戯精神あふれるテクストからは注意深く遠ざけられている。デナンクスの「9才の女の子」がどこから出てくるのか不可解だ。走り読むうち、「8才になって女の子が処女であるのは望ましくない」(p.85)とあるのを見つけた。

 デナンクスの言い方だと、一人の少女を主人公に書かれた陰惨で《写実的》な物語(レシ)だと誤解されるだろう。

 文学史的には―というか、私の「想像の図書館」ではアルフォンス・アレのコント、フローベール『紋切り型辞典』(反・物語としてのこま切れ形式と毒のある笑い)、「アリス」のルイス・キャロルの近くに位置するものである。さらに仲間をあげれば、ブルトン、バタイユ、美術でのベルメール、バルテュス、ラビッス、フィニー、金子國義などシュルレアリスム系放蕩娘との重なり。

 

 デナンクスの読者としては複雑な気持がする。彼はしばしば論争過程で資料からの恣意的引用や、amalgame(本質的に違うものをわざと同一視すること)を非難されているからだ。それらこみいった論争の細部まで検証する力は私にはない。とにかく心情的にはデナンクス寄りであったのが、ひっくり返りはしないにしても、この人の判断力を信用できなくなってしまう。

 さらに言えば、彼はティヨンを叩いたと同じ頃(1997年)、初期作を全面書き改めたという『緒戦に死す (Mort au premier tour) 』で幼児性愛を描いている。

 『緒戦に死す』は『女の子の…』と違ってユーモアの希薄な、暗い話である。おまけに被害者は東欧から来た(ジプシーらしい)子供で、社会問題一手引受けみたいな無理を感じる。安直、とは言わないが、欲張りすぎではないか。


 もし幼児性愛を描くことそれ自体に害があるのなら、デナンクスは、自分の本の描写に刺激を受ける人間がいるかもしれないという問題をどう考えるのか。

 もっとも彼は、自分は幼児性愛を憎むべき悪として書いたのだ、ピエール・ルイスは笑いや可愛らしさでおぞましさを薄めているのがけしからんと答えるかもしれない―ボードレールも昔そんなふうに『悪の華』の逆説的道徳性を説いたのではなかったろうか。

 著者の意志で長く絶版にされていたという『緒戦に死す』初版と97年版を比較することができればいいのだが。おそらく幼児性愛は初版にはなく、97年版ではじめて、<火急の>問題として主題にされたのだと思う。

 

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