優雅な泥棒と怠惰な殺人者
ジョルジュ・シムノン『メグレと優雅な泥棒』(榊原晃三訳 河出書房新社 1977)
Georges Simenon Crime impuni (『罰されざる罪』) Presses de la cité 1992
原著初版はそれぞれ1961、1954年。
メグレと優雅な泥棒
訳者の榊原氏も「あとがき」でことわっておられるように、タイトルのle
voleur paresseuxは直訳すれば「怠惰な泥棒」。「優雅な泥棒」は編集部の発案だったらしい。
メグレとも旧知の泥棒、オノレ・キュアンデが惨殺死体で見つかる。検事たちはどうせやくざどうしの殺し合いと考える。メグレはべつの事件を捜査中にもかかわらず、キュアンデの死の謎を解こうとする。
オノレ・キュアンデはどんな男だったのか。
メグレ自身の証言。「昔彼を逮捕したのはこの私ですが、それから彼は五、六回私の部屋へ来たことがありました。ふつうの泥棒ではありませんでした。共犯者はもたず、やくざの世界ともつきあわずに、堅実な生活をしていました。ときどき、新聞や雑誌を読んでは、仕事をするところに目星をつけ、それから何週間も、一つ家の中の動静をうかがっていました……」
「怠惰」といえばぐうたら、仕事嫌い、無精、のイメージをともなう。キュアンデはしかし仕事には細心、やくざどころか、品行方正、かたぎの泥棒なのだ。
「とてもおとなしい人で、店の隅で、白ブドウ酒を飲んだり、新聞を読んだり、通りをながめたりして、何時間でもすわっていました……」(あるカフェでの証言)
この間も彼は偵察中なのだ。「実際、彼はある家の主人たちや召使たちの動静を観察し、彼らの習慣や時間の使い方を研究し、それから、窓から、彼らの家の内部をうかがっていた。
こうして、しばらくすると、その家屋全体は、彼にとってもう秘密がなくなってしまった」
生活時間の何割か、ぼんやりしているのか仕事なのか、傍目(はため)にはわかりにくくなる、そんな職業は泥棒以外にもあるはずである―たとえば小説家。
第二次大戦中、シムノンがヴァンデ県のサン=メマンに住んだことがある。村の住民の目にシムノンはどううつったか。彼は言葉や身なり、なにもかも奇矯な変人である。また「はったり屋だがにくめない、半裸で庭に出て、手は白いくせに畜産・農業の真似をして得意になるこの男を面白がる者がいる。さらに自分たちを絶えず観察するこのパリジャンをあやしむ者もいる。あの作家は何か盗もうとしているみたいだ、住民の魂、彼らのアイデンティティー、彼らの伝統、それらを盗んですぐに小説のねたにするために」(ピエール・アスリーヌ(1)による)
ビストロでもパン屋でもシムノンは村人の会話に注意をおこたらない。住民のあるものは後年シムノンの作品を読んで自分たちの村と人間が書かれていると感じるだろう。
シムノンはスパイにも泥棒にも不適格だったようだ。観察はさりげなくやらねばならない。人目を引く身なりも禁物。おとなしく、辛抱づよく、ちょうどオノレ・キュアンデのように。
捜査が進むうち、女っ気がなさそうに見えたキュアンデに恋人(帽子デザイナーのエヴリーヌ・シュネデール)がいたことがわかる。
メグレはふたりがよく行ったレストランで話を聞く。「二人ともおとなしい人たちでしてね、ご夫人のほうは酢づけキャベツ(シュークルート)が大好きです。ゆっくりと食べて、コーヒーを飲んで、それから小さなグラスを手に持って味わいながら飲むんです」
メグレはエヴリーヌのアパートに向かう。「階段はよく掃除してあり、アパート自身も清潔で静かだった。そして各部屋のドアの前には靴拭いがおいてあり、あちこちに真鍮か琺瑯のプレートが張ってあった」
アパートはこまごました仕事の好きなキュアンデの手で壁紙が張られ、たくさんの鏡、「ルイ十六世時代風の家具」が備えられている。
キュアンデはいつも肱掛椅子で旅行の本を読んだ。エヴリーヌと旅もした。だが彼はホテルが嫌いだった。彼が落ちつくのは慣れ親しんだ場所であり、繰り返しが生む安逸なのだ。
この作品でシムノンは、ふたつの種類の人間を対照させる。メグレの部下で綴字法も知らないフュメルのように、古いタイプの(「ドタ靴」)刑事たち。そして資格試験で昇進して行く若手や内務省、検事局の官僚的人間。やくざや娼婦と顔見知りなのはメグレたち旧世代の人間である(メグレは停年退職まであとニ年だ)。
やくざとつきあっていないキュアンデは、その意味ではモダンな泥棒だったのかもしれない。彼はエヴリーヌには最後まで本職をあかさない。仮面で護られた二重生活。母にはエヴリーヌのことをまたエヴリーヌには母のことを知らせない。
キュアンデが連想させるのはマグリットの山高帽の紳士、あるいはジョージ・シーガルの日常的空間から椅子やバスタブごと切り取られた真白の人物たちだ。メグレやほかの人々の記憶をつなぎあわせてキュアンデという人間がうかびあがるとしても、彼の心理が内部に踏み込むかたちで語られることはない。それでもこの優雅でおとなしい泥棒は充分魅力的だ。そしてこんな秘密の生を可能にする不思議な場所としての都市空間。
シュルレアリストたちは怪盗ファントマ(スーヴェストル=アラン原作のシリーズ)を好んだという(2)。メグレ警視は彼らのお気にめさなかったのだろうか。
罰されざる罪
エリが下宿の娘ルイーズに好意を持つとしてもそれは情欲ぬき、また一方的で、成熟した大人の愛ではない。「彼女がそこにいることにはなにかやさしい、ほっとさせるものがあった。彼女は家の一部だった。エリから見るとこの家を人格化したのが彼女だった。ここでふたりで暮らすことだってできたろう、死ぬまでここで、外の喧騒から逃れて」
フランス人がシムノン的人間を論じるとよくveule(無気力な)という形容を使う。彼が火のそばを好むのは『優雅な泥棒』でのキュアンデさらにメグレと共通する。片隅の暖かい空間はシムノン作品のあちこちで見られる(4)。
永遠に続けばいい安楽。ルーマニア人学生ミシェルが外部からの侵入者となる。同じユダヤ人なのにすべて正反対。ミシェルは鉱山主の息子、誰からも好意をもたれる魅力的な青年。
エリはルイーズとミシェルがキスしあうのを見る。やがて彼らはランジュ夫人の留守にミシェルの部屋でヌード写真を取るような仲になる。エリは鍵穴からふたりを覗く。ミシェルはルイーズに恥知らずなポーズを取らせている。
ミシェルの秘密を知ったことでエリは道徳的に優位な立場になるはずだ。ところがミシェルはなに食わぬ顔、逆にエリを嘲笑するような態度。エリは鍵穴からの覗きをまたやってしまう。なにもできない人間は、覗くという卑小な行為で罪悪感に苦しむ。
どうやらミシェルはエリが覗いているのを知っているらしい。承知の上でルイーズに恥ずかしい行為をさせるのだ…。
次第に現実とエリの妄想の区別がつかなくなる。この系列のシムノン作品ではおなじみの、主人公にとって周囲の世界が現実感を失った状態。
エリがピストルでミシェルを撃つ場面で第一部が終わる。
第二部 二十六年過ぎた戦後のアメリカ。アリゾナのさびれた鉱山町カールソン・シティ。エリは今はホテルの受付けにいる。妻はメキシコ人。銅山が売却され、ホテルでは新しい持ち主がニューヨークから着くのを待ちうける。
エリは電話交換もしていて、メグレものでもあるように、矢継ぎ早の電話のやりとりと共に緊張が高まっていく。町のおえらがたが前オーナーの離婚に端を発し銅山の運命にはらはらするさまを、エリはすべての情報が集まる場所にいて逐一知る。
数学者になりそこねたエリだがホテルの経理をまかされている。『ロンドンの男』でも主人公は駅や港を一望する「ガラスの檻」が職場だった。せまい場所で動かず(身体が場所と融合してしまうほどに)、人や情報の行き交いを眺める仕事。『罰されざる罪』ではこの状況が固定観念や妄想を煽ることになる。
ついに現れた新鉱山主はミシェルだった。顔を撃たれたミシェルは死ななかったのだ。だが顔の下半分は自由に動かず、「わきかけの湯のようにひゅうひゅういう」声でしかしゃべれない。
ミシェルも今では醜く太った受付けの男がエリだと気づいたらしい。エリはどうしてもミシェルと一対一で話がしたい。
ミシェルは自分のことを部下に調査させているらしい。どういうつもりなのか。やっと見つけた居場所をまた逃亡しなければならないのか。
ミシェルはエリにとって第一部でも微笑をうかべた仮面のような存在だった。シムノンは、いまや怪我のために文字通り仮面となったミシェルの不気味なな顔と声を強調する。
ミシェルの意図はついに最後までわからない。どうしても会ってもらえないエリは衝動的にミシェルを殺害する。エレベーターで降りてきたミシェルがロビーに出たところでエリは受付けの引出しにある護身用の銃でミシェルを撃つ。
「テーブルの上の、青い花瓶は砕け散っていた。残りの三発は命中していた。ミシェルは倒れ、柵の下に伏していた時(リエージュで撃たれた時のこと)とほとんど同じ姿勢で、もう動かずにいた。
今度こそ死んでいた。」
※
泥棒キュアンデの手口は独特だった。留守をねらうのではなく、住人の帰りを待ちうけて家に入り込む。なぜかというエヴリーヌの問いにメグレは答える。
「彼にはスリルが必要だったのでしょうか?わたしにはどうもはっきりわかりません。ねえ、彼はただ見ず知らずのアパートに忍び込んだだけでなく、言わば、人の生活の中に忍び込んで行ったのです.人々がベッドで眠っているところを掠めたのです。どうやら、他人の宝石を奪う以上に、他人の団欒の一部を持ち去ったようですね……」
メグレがさらっと言えばいいところで、『罰されざる罪』は多くの言葉を費やす。
「なんで嫉妬することがあるのか?彼は一介の下宿人、ほかの学生と変らない。いや彼らと同じでさえない、一番貧乏で、ランジュ夫人は彼を住まわせても儲けにならないはずだから。彼はキッチンと食堂の暖かさから得るものがあった。みんなの存在、声の響きで彼が利益を得ていた。(…)エリは彼らから盗んでいた、誰にもましてルイーズから。[強調は松本。Il les volait, Louise plus que les autres.] 求愛してすげなくされる危険をおかすかわりに彼女にくっつき、彼女の存在、呼吸のリズムを感じ、彼女の血の気のない顔[ルイーズは病弱、結核らしい]を目にすることで満足していた。
いま彼は、彼女が男と女なら当然するようにほかの男とセックスをしたからといって、嫉妬している。こうなる前から嫉妬していたのだ。彼女とミシェルの間になにもなくても嫉妬しただろう。
要するに彼は他人の人生に入りこんで居座った、そしてこんな暮らしが変ることを望んでいないのだから」
非メグレ作品は一般に、主人公ひとりに密着し、彼が体験する世界を記述する。主人公は犯罪者の場合もある。ただサイコパスでも怪物でもない、ごくふつうの人間で、だから彼の精神は不安や葛藤を抱えている。彼は社会的地位はあっても実は孤立した、シムノンふうに言えば「裸の人間」である。
主人公が「彼女」な例は少ないと思う。『癲癇』のポントロー夫人は心理描写なしのメグレ式で描かれている。
メグレものは重苦しい葛藤をじかに書こうとはしない。都市を自在に動き回る媒介者メグレがいて、、やがてついにある人間ドラマが浮上するとしても、書きようではいくらでも長くなる話(たとえば『メグレと首無し死体』、アリーヌ・カラの少女時代のできごと)は、字数にすればごく簡単に片付けられる。点と点が必ずしも結ばれず点のまま放り出されているこの感じをとりあえず俳味と呼ぼう。
この少女の内部に入りこみ、彼女にとって世界がどんなふうに知覚・体験されていたかを追えば非メグレ型の作品になるだろう。
非メグレを読みなれた目でメグレものに向かうと、むこうとこちらで内と外、近くと遠くが逆になっているからくらくらする。
しかし主人公の葛藤につきあわされるのが息ぐるしくなり、悲劇へと一直線に進むところがワンパターンに見え出すとき、メグレものの魅力、暗示にとどめ、肉薄も直進もしないことの優雅さを感じる。
シムノンの日記(1961年1月6日)から― "A force de chercher une vérité plus vraie, on risque de s'en écarter ."(しゃにむに真実にせまろうとすると真実から離れてしまう危険がある)
追記 おばさんのいる下宿屋―1934年の『下宿人(Le Locataire)』は未見だが長島良三『メグレ警視のパリ』(読売新聞社 1984)に紹介されている。やはりエリという名の主人公が犯罪をおかし、娼婦シルヴィアの母の下宿屋でいっとき穏やかな日々を過ごす。おもに貧乏な青年が集まる下宿屋は、シムノンの物語には格好の舞台だった。
二十年を経て書かれた『罰されざる罪』との類似、そのぐらいシムノンは気にもとめなかったかもしれない。あれほどの多作。非メグレも量産品を含む。
長島氏も書かれているようにシムノンの母はリエージュで東欧の学生相手に下宿屋をしていた。このあたりは自伝的な『血統("Pedigree" 1948)』に詳しい。人間は幼時から老年までほとんど変らないという独特の時間感覚をシムノンは持っていた。
すでに『メグレのいないシムノン』で非メグレ作品をいくつか要約しています。こうして見てくると物語がある共通のパターンを持つのがわかります。ただ型におさまらない傑作もあるようで、私の読んだ範囲では『ビセートルの環』(集英社文庫 古書なら手に入るようです)をおすすめします。この作品は堀江敏幸『おぱらばん』、「音の環」に登場するのでご記憶のかたもあるでしょう。
(1) Pierre Assouline Simenon ("Folio", Gallimard 1996)
(2)千葉文夫『ファントマ幻想―30年代パリのメディアと芸術家たち』(青土社、1998)
(3)1961年1月23日の日記。Quand j'étais vieux. Tome U (Presses de la cité, 1970)
(4) Bernard Alavoine, George Simenon : Parcours d'une æuvre (Encrage, 1998) 小さな入門書だが音、色、匂いのシムノン的感覚宇宙、巣に似た空間、など示唆に富む。メグレ・非メグレの関係について鋭い考察もある。この本にはずいぶん助けられた。
上記アラヴォワーヌの本、そして次の文章は書きながらいつも頭にあった。
小林信彦「シムノンの語り口」 (『読書中毒』 文春文庫 2000)
田中 博「探偵小説作家シムノン」(『メグレと消えた死体』 河出文庫 2000 解説)
横井 司「《運命の修理人》メグレとその〈謎〉とき」 (『メグレと首無し死体』 河出文庫 2000 解説)