ジョルジュ・シムノン『家の中の見知らぬ者たち』

 (長島良三訳 読売新聞社 1993)

 

 妻が男と駆け落ちして十八年、弁護士エクトール・ルールサは酒と本に憂さを晴らす。成長していく娘のニコルとも口を聞かない。ある夜、屋根裏部屋で銃声らしき音。彼の目の前で、ベッドに寝た見知らぬ男が絶命する。

 いつのまにか屋根裏部屋は娘と男友達のたまり場になっていた。死んだのは大男ビッグ・ルイ。少年たちの一人エミール・マニュに嫌疑が。マニュは書店員、母親は夫の死後ピアノを教え生計を立てる。

 若者グループにも支配と服従、媚び・へつらいがある。リーダー格はエドモン・ドサン。エドモンの父はルールサの義弟で「ドサン脱穀機」を経営。家来役は新入りのマニュやユダヤ人商店主の子ジュスタン・リュスカ。

 アリエ県の県庁所在地ムーランが舞台。シムノンは駆け出しの頃、トラシー侯爵le marquis de Tracy の秘書として近くのパレー・ル・フレジルParay-le-Frésil (メグレの出生地サン・フィアクル村のモデルとされる)で暮らした。

 名士の子を巻き込む事件が、縁故関係で結ばれた町に起す波紋。検事の妻はルールサのいとこだし、予審判事は大臣に電話して助言を求める。

 無実を訴えるマニュ。自尊心と貧しさゆえの劣等感をあわせもつ少年に共感するものがあり、ルールサは弁護を引き受ける。

 弁護士は妻に去られてから「病気の獣のよう」だった。「快適なストーブ、暗赤色のワイン、棚と床の上いっぱいに積み上げられた本」の中で澱(よど)んだ時間が徐々に動き出す。町を奔走し、「人々を、においを、音を、店を、灯りを、いろんな感情を、深刻な生活を好まないうじゃうじゃした人の群れを発見」する。

 「非メグレ」にも類型があり、主人公が犯罪をおかす型だと、誰のしわざかは問題でなくなる。『家の中の見知らぬ者たち』では事件の真相は最後まで明かされない。

 原題 は"Les Inconnus dans la maison"(1940)  執筆の時期、夫人のティジーはシムノンの最初の子マルクの出産(1939年4月)を控えていた。家という空間、家族、下宿人のような「家の中の他人」、これらの主題をシムノンは執拗に繰り返す。家族でもほんとは知らないどうし、という感覚は彼の作品の根本にある。

 鬱屈し、幼さを残しながら時には「人間ばなれのした落ちつき un calme inhumain 」を見せる少年少女。戦後の『雪は汚れていた』(1948)のフランクと仲間はもっと荒(すさ)んでいるが、彼らに共感するシムノンの視線は変らない。

 『下宿人』のエリなど三十代の男だが、下宿屋のバロン夫人の目に、貧弱な彼の体つきは少年の体(un corps de gamin)」とうつる。成人男性に適用される「子供のように」「ボーイスカウトのように」・・・をひろえば切りがない。大人の中にひそむ無力な子供。ならずものビッグ・ルイが死ぬ間際、口からもれるのは「生まれたばかりの赤ん坊の産声のような音」である。

 『家の中の見知らぬ者たち』のすべり出し、ルールサと娘が押し黙って食事をする場面で、彼は「牛が草を食べるようにくちゃくちゃと咀嚼し、ときおり当惑げな、疲れたような溜め息をつく」

 シムノンは人間を動物にたとえるのを好む。ルールサは「おとなしい犬のように」ストーブに近づき、「仔犬が犬小屋のわらの下にパンのかけらを隠すようなしぐさで」本を机に持っていく。自伝的小説『血統 (Pedigree)』で母親のエリーズは、いつもびくぶくしている小さなハツカネズミ(souris)、その友達ヴァレリーはアリ、ハツカネズミ。『雪は汚れていた』(三輪秀彦訳)でも「シシーはやってきた。ハツカネズミのように」(主に無力な小さい動物が選ばれている)

 『家の中の見知らぬ者たち』には「のように」「ような」が頻出し、少々うるさい。それでも「ルールサは老人や農民のように、まずハンカチを大きくひろげ、らっぱのような音を立てて三度、四度と洟(はな)をかむ。ついでハンカチを丹念に折り畳む」の迫力に、誰が文句を言えるだろう。

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