青山会OTMがたどった歴史&治療効果

1991(平成3)年に青山会を開業してから今年(2011年)で20年が経過し、この間様々なお客さんを診てきました。
1977(昭和52)年に鍼灸指圧師の免許資格取得してから、総合病院のリハビリテーションのチーフとして10年近く勤務し、その後整形外科に勤務しながら専門学校で東洋医学を教え、自宅で開業し、企業とのジョイントで働く戦士達の安らぎの場(治療院)作りを計画しと、二足の草鞋ならず五足もの草鞋を履いて頑張っていました。
この間いろいろな経験をしました。働きだしたのは、中学を卒業し高校に入ってからでした。
夜間高校に通い、昼は病院の臨床検査室で検査一般の見習いとして努めていました。ほとんど病院勤務の経験だけで、いろいろなことにチャレンジしてきました。
働く戦士安らぎの場(治療院)は、日本の経済が円高で、新規事業がストップし、物を作っていた工場は東南アジアにその拠点を移しと、社内は新規事業の計画推進どころではなくなり、計画が頓挫してしまう事になってしまったのでした。その会社は一部上場されている社歴も古い会社でした。その話を持ってきた人はその会社の部長でしたが、後に青山会が発行した診断書と領収書で詐欺まがいのことをしていました。
その後も、他社からの誘いもあり、別会社で計画がまた動き出したのですが、今度はバブルの波をもろにあびて、計画もあと一歩というところで、組んでいた会社が、投資してくれた現金2億近くを、傾いた自分の会社につぎ込み、泡と消えてしまったのでした。
経済は生き物だからといわれても、何から何まで計画書を書き試算計算まで出して、その上人まで確保しての計画頓挫は、大嘘つきになってしまう。
ちょうど昭和から平成に時代が変わる、まさにその真っ直中での出来事、1988年の暮れから1989年の年の始めは鮮明に覚えていて忘れられない出来事がたくさんありました。
青山会OTMの生い立ち
1988年(昭和63年)2月に、青山会は講習会を主に行う会として発足しました。
1991年(平成3年)4月に埼玉県新座市で治療院として開業しました。
1993年(平成5年)9月に諸事情のため埼玉県志木市へ移転しました。
1999年(平成11年)3月にお借りしていたビルが老朽化のため解体されることになり、埼玉県朝霞市へ移転しました。
この時に、自然あふれる場所で治療をと、長野県の北信地区を探し、豊田村に一部を移転しました。四年が経過した段階で、突然家賃値上げという話になり(この当たりの不動産相場だから)「不動産というかそのような店は見たこともありません。近所の人もそんな相場なんか聞いたこともないと言うことでした」それで、山田温泉の老舗旅館「風景館」のご厚意で、借家を探してもらいま下が、高い家賃を請求されましたが、豊田村でお借りしていた家賃まで下がった段階で移転しました。
その後、「風景館」で開業することができ、小生が病魔に倒れる2010年までお世話になりました。
2008年(平成20年)1月に青山会FMTを青山会OTMと改名しました。(十二支のはじめの干支《ねどし》にちなんでの改名)
2009年(平成19年)10月、義母との同居で埼玉県朝霞市から埼玉県富士見市関沢に移転。
2010年(平成20年)1月元旦、体調不良で朝霞台中央病院受診、高血圧・高血糖・高コレステロールそしてそれらが引き金となって脳梗塞発症、二週間入院。

リハビリと血糖コントロールで見た目には脳梗塞の左半身麻痺はわからないまでになり仕事もこなしています。ただ、あっちこっちとアクシデントは起こっていますが、青山会での治療と、掛かり付けのDrを近医の増永医院に変えて、ここの先生と馬が合うと言うか気が合うというかとてもいい関係で良好です。

そんなわけで、長野の山田温泉での診療は止めることになりました。自然の地で癒され、治療を受け、身心共に好調な身体作りは、小生の躓きで中断となりました。
2009年10月に義母との同居と言うこともあり、強いストレスも影響したようです。何でも知ったかぶりし、何の根拠も考えもなく話をする行為を娘である妻は、聞き流して気にしなければいいと言いますが、小生にはそんなことはできず、とても頭に来てしまうのです。
愚痴ってもしょうがないですが、今は生活面で世話になり頭が上がらない始末。情けない限りです。
青山会を開業してから、患者さんは、お客さまとしてお迎えし、お客様として接するようにと心がけて、今現在私の奥さんになっているパートナーと、治療は私が担当し、接客を始めお客様からの情報の聞き取り、世間話は彼女の担当というように振り分けて分業の形で行っています。
青山会には、大事にしている五つの教訓というか会則があります。

T

患者さんとしてではなく、お客様として接すること。
(心に串を刺すような見方をせず、各々を敬うような接客を大切に)

U

症状より証を大切にすること。
(やまいだれに正しいと書く症だけでなく、東洋医学の証を大切に)

V

病気だけを治そうとするな。
(病気を治すだけではなく、身心を含めた全体の立て直しを大切に)

W

病気と共生する生き方を考える。
(病気があっても、自然治癒力と免疫力を大切に)

X

末期の人の命を生き方を考える。
(命ある人生、余命を与命と改め、与えられた命を見守ることを大切に)

青山会を開業してから、ずうっとこの五つを大切に考え、お客様と接し治療をしています。

お客様を診るときに、舌診や腹診、そして脈診を診ますが、特に脈をとるのは難しいですがよく当たります。
その脈の中でも、七死脈というのがあり、雀啄脈:脾胃の絶脈、屋漏脈:胃の絶脈、弾石脈:腎肺の絶脈、解索脈:五臓の絶脈、魚翔脈:腎の絶脈、蝦遊脈:脾胃の絶脈、釜沸脈:まもなく死を迎える脈、この七つの脈が出てくるとあと何日も持たないことを指しますが、状態がすぐれないときはこの脈を考えに入れてみます。
今までに何名かがこのいずれかの脈で、見送ることができました。義父もその一人です。
青山会での治療を受けていると、死が辛いというのではなく、す〜〜うっとお迎えが来て、眠るように旅立たれます。
ずう〜〜っと、生と死について考えていましたが、この間に病老(やまいとおい)という厄介な物がはびこってきます。人は生まれてから死を迎えるまで、生活していかなければならない宿命のようなものがありますが、楽しく愉快に過ごしたいものです。この責任は政府にも問題が出てきます。
人は「いきいき」として日々の営みをこなしていかなければなりません。
私はこのように思っています。幼年期から青年期までは『生き生き』と、青年期から壮年期までは『活き活き』と、壮年期から老年期までは『粋・粋』と、老年期からは『逝き』にむかって極楽浄土。このように人生を『いき』に生きたいと思っています。
人間は「やまいの器」といわれ、人は生まれてから死を迎えるまで、病気にならずまったく健康で死を迎える人はいないといっていいでしょう。
しかし、今のようにやたらと病気を探し出すような社会は嫌いです。病気があっても病気に勝る元気があればそれでいいのではないですか。
病気について、徹底的に戦うべきという書物もあれば、病気と仲良く付き合おうという書物もあります。どちらを選ぶかは医者ではなく病気を持っているあなたです。
特に末期症状になれば、その選別は難しいですが、よく家族達とも考えて結果を出すべきで、何もかにもお任せしますから宜しくお願いいたしますというのは、無責任きわまりないことだと思います。
医者の方も一昔前と、かなり違ってきたとはいえ、検査数値とMRIやCTなどの画像を見せてたたき込むように、早期治療を勧め考える余地を与えず、治療体制をとろうとしますが、手術や放射線、異常なまでの薬の投与。でも、それ以外の選択をする時間を与えてもいいし、その化学的治療と併用して、病気にかかっている人の要望も聞き入れて、統合的な治療をするべきだと思います。
病院の医師達の多くは、伝承医学のような治療を軽視するというより、非科学的で最新の化学治療が一番と思っているようで、他の治療との併用を嫌う感があります。
しかし、医者達の多くは、過激な治療は選ばず、伝承医学のような分野の治療に当たり、ゆっくりと死を迎えたいと望んでいるというのが現状で、そのパーセンテージは70〜80%というのには驚かされます。
癌研で抗ガン剤治療ををし、青山会での治療も併用して行い、すこぶる元気になり、副作用も軽減し一時はガン細胞が消えたのですが、その方は青山会での治療は病院側の先生達には話さず、内緒にしていたのです。話すと見てもらえなくなるからと言っていましたが、まだまだそのような傾向が強いのかなぁと思いがあります。
青山会での治療を受けていると、ほんとに元気になり、力強い身体に変わっていきます。特にガンなどの重い病気には、指圧とオイル治療に合わせて遠赤外線で全身を温めて、体温が42℃までになると細胞によい意味での変化が起きます。
@痛みがやわらぎ気分爽快になってくる
A元気で生きられ、日常生活に活力が出る
Bガンであれば細胞は縮小したり消失する
C本人の身体が軽やかになり、表情が柔和になる
ただ温めるのと違い、全身の指圧とオイルマッサージで、何ともいえない心持ちになり、気が底から湧いてくる感じが実感できます。
欧米における現代医学が、人間機械論という二元論が出発点であり、身体と心を別にすることで発展してきたのです。それはいま、臓器移植が問題化され、脳死と心臓死について論じられることなく、脳の機能が停止したら死として扱うとするようですが、これは死に対する文化の差があり、日本のように初七日、四十九日と死者が極楽浄土に旅立つまでは魂を大事に扱い、その後も何回忌と称して魂を奉って敬う文化と、死んだら直ぐに処置して、使えるものは取って使おうという文化とは大きな差があり、死後も内臓がないと動き回ることができないと考える文化とは違います。
東洋医学では五臓に心が宿ると言われ、死後もその考え方は大事にされています。火葬にしても土葬にしても心を取り去り、あの世へ送るという発想がない文化で欧米諸国とは違うという原点に立ってから論議すべきです。
この人間機械論の提唱者は、フランスのルネ・デカルト(1596〜1650)ですが、当初は「動物機械論」で人間だけに脳の中の松果体(しょうかたい)という器官に「霊魂」の安住の場を残したのです。
ルネ・デカルトの「動物機械論」をさらに徹底させ、「人間機械論」を唱えたのが、ほぼ1世紀後のフランスの唯物論者ラ・メトリー(1709〜1751)です。この時期、ヨーロッパでは精巧な自動機械が盛んに作られ、それらはラ・メトリーに大きな影響を与えたのです。ラ・メトリーは、ついに人間からも「霊魂」を追放して、「人間機械論」に「それゆえに大胆に結論しようではないか。人間は機械である。また、世界には種々雑多な様相化の与えられた唯一の物質が存在するのみである」と書いています。
この背景には、紀元前4世紀の古代ギリシアに生きたアリストテレス(紀元前384〜紀元前322)「生物学の父」の存在があります。
人間は機械ではないということは感覚でわかっていても、現代医学はどう見ても機械論が基盤にあって事を推し進めている感があります。
思うようにいかないようで、機械であるはずの細胞達は、同じ方向をむかずそれぞれの違った細胞を作りだしているようなのです。というのは、『長船健二(おさふねけんじ)・京都大学特任講師は、留学先の米ハーバード大学で、人間のES細胞を2種類培養していた。何も加えないのに、一方は自然に膵臓のもととなる細胞に変わった。もう片方はほとんど変化しなかった。「ES細胞は、どんな細胞にも等しく変化できると考えていたが、実は違うのかも」。そう感じた長船講師は、次の実験に移った。17種類のES細胞に、変化を促すいろいろなタンパク質を加え、反応を徹底的比較した。あるES細胞は70%が腸や肺のもとになる細胞になったが、別の細胞は15%にとどまった。心臓のもとになる細胞に変化する割合も、ES細胞によって10%、44%とばらつきがあった。』
どうしてばらつきが出るのか、機械なら自分の考えはないし、同じものが複写されなければならないはずがどうしてばらつき、勝手な方向に働きだすのか。人間は本当に機械で片付けられるのか?????。
治療をするのは、人間を構成している60兆個の細胞一つ一つではなく、その人丸ごと一人の治療で、細分化して細胞レベルで再生医療をする分野は限られてくるでしょう。
あくまでも一人の人を見ることを忘れてはいけないのと、人は感情と心という精神的な、科学や機械では納得できない複雑なからくりがあるのです。それは未知の分野で開けてはいけない扉なのです。人間は操り人形ではありません。
古代医学が生まれた地中海沿岸で、医学を体系づけたと言われているヒポクラテス(BC460〜BC375年頃)は、「医者の仕事は自然治癒力に手を貸すことだ」と考え、治療より自然治癒力に注目したのです。
ヒポクラテスの時代から二千数百年経って、薬で全部の病気を撲滅し、だめな器官は手術で切り取り、つかえなくなった臓器は移植で変えてしはまう、そんな現代医学が大手を振って偉そうに歩んでいます。しかしその多くの病気は撲滅できないでいるのが現状です。
ヒポクラテスの時代から医学は進歩しているのか。ラ・メトリーのような人達が医学を科学の視点で見ようとして進歩してきましたが、人間のもつ病気や医学に対する考えは、科学的な知識の進歩とは関係なく、普遍的なものなのだと考えている人達が多くいるのも現実です。
日本はというと、中国からの宗教的・医学的考え方が根底に脈々と流れ、五臓にも魂が宿るという考え方を持っています。
中医学の古典、素問宣明五気篇第22に、魂は肝の臓に、神は心の臓に、意智は脾の臓に、気魄は肺の臓に、精志は腎の臓に宿ると記載されています。
脳死といわれても、五臓の営みがあるうちは、魂を無惨に身体から引き離すような考え方が定着されていないのです。
人間の身体をただ単に機械論で扱ってきた医学と科学が基盤にある考え方と、人間の身体を身心一如として、五臓に至るまで心が宿るという考え方をする、このからだの文化史の違いは簡単に相容れないものがあるようです。
日本の場合、通夜は死の確認の手続きで、「魂(たま)よばい」といわれるように、蘇生を願いかつ死を確認する儀礼が行われているという奉りごとに何か意味があるように思えます。
ホッとする感覚。これが青山会OTMの治療です。
全身の指圧治療と全身のオイルマッサージは、緊張している身体と心をリラックスさせ、ホッホルモンが出て至福の時間を脳内ホルモンが作り出します。
そとて、全身への遠赤外線照射は、免疫力を上げ、治癒力を増強させるという複雑の働きを心地よい眠りの中で作られます。
ガンの初期から末期まで、抗ガン剤治療の副作用も改善され、苦しみが無くなります。
また、不妊症で悩んでいる方も、二児三児の子宝に恵まれています。
これらは、治療で増大されたホッ・ホルモンが身体の不具合を改善させるのです。

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