中国医学の神髄

参考文献⇒高橋晄正著:漢方の認識。読売新聞社:漢方の旅

日本では、天然の生薬を使う医療をひとまとめにして「漢方」と呼んでいます。漢方イコール中国医学と思っている人が多いようですが、中国では伝統医学を「中医学」と呼んでいて、漢方という言葉は使われてはいないのです。漢方という言葉は、江戸時代中期ごろに、西洋医学である「蘭方」に対して生まれた日本語なのです。基本的には中国の中医学と、「和漢」と呼ばれる日本の漢方医学は違うのです。
日本の漢方は、症状に合わせて処方が決められています。例えば、寒気がして首筋が凝り、汗をかいていない。このような風邪の初期症状の時は、理屈抜きで葛根湯の処方名があげられます。ところが中国医学の場合は、症状は同じでも、その人の体質、その時の身体の状態で処方が違ってきます。表裏(病気が浅いか、深いか)、寒熱(寒気を伴う状態か、熱を伴う状態か)、虚実(栄養状態、人体の抵抗力が不足の状態か、過剰の状態か)、陰陽(活力が消極的状態か、積極的状態か)などの中医学的診断により、個人差に基づいた処方がなされるわけです。
私たちが良く知る漢方というのは、日本の伝統医学です。平安から室町時代にかけて中国から日本に輸入された漢方は、曲折を経て現代に至っています。その間、鎖国、蘭学の隆盛などの特殊事情のなかで、しだいに本来の中国医学の体系から離れ、独自の発達を遂げたのです。現在の漢方のルーツは中国であっても、その中身は伝統的な中国医学と異質なものに変容してしまっているのです。
中国医学は、紀元前168年ごろから体系化が進み、三世紀ころ大成したといわれ、約二千年の歴史を持ちます。それは長い年月のなかで育まれ、その基礎に古代中国の自然哲学思想を抱く知の体系とでもいうべきものです。その豊かな包容力と全体性は、きわめて専門化し細分化された現代医学と、根本において異質なものです。
西洋医学が主流の現代で、私たちは病気というと、注射や薬品(化学薬)で病原菌を退治すると考えがちです。それに対して中国医学では、人が生物として根本的に持っている、病気を治そうという力、すなわち自然治癒力をいかに引き出すかという、その一点に全知を注ぎます。つまり、現代医学と中国医学では、発想がまったく違うのです。
自然治癒力。これが中国医学を理解するキーワードです。つまり、人間の身体を自然の一部ととらえ、身体をいかに自然と調和させるかということです。ここには、中国医学の最も基本的な考え方、古代の人々により体系付けられた自然哲学思想が息づいています。哲学思想といっても、そこには複雑でややこしい論理が展開されているわけではないのです。その理論体系の基礎は、驚くほど単純明快です。陰陽・五行という、たった四文字に集約されます。
世界が精気によって構成されていると信じていた古代中国人の人々は、宇宙の創造を、無形の気から変化してきたものとみたのです。つまり、何もなかった混とんの宇宙に一点の気が生じ(太極)、やがてそれが陽と陰とに分かれ、この陰陽の運動の中から万物が生まれた。自然界すべての物の生成と発展は、バランスを取りながら絶えず変化している陰陽によって促進される。そう考えたわけです。したがって、自然の一部である人間の身体についてもまた、その生理現象、病気すべてにわたって、この陰陽学説によって説明したのです。
健康な身体とは、この陰陽のバランスが相対的に保たれているということです。病気とはその失調であるとしています。そのため中国医学では、陰陽を調節し、そのバランスを整えることによって、自然治癒力を高め、全身の調和を図ることが、治療のすべてになっているわけです。
古代中国の人が生活していく上で、木・火・土・金・水の五種類の物質の特性と相互関係を応用して、自然界の一切の事物(人体および人体内も)を分類、理解しようとしたのが、五行学説です。これは、主として相生(滋養、助長)、相剋(相互抑制)などの理論で、事物間の相互関係を明らかにするものです。すなわち、五行相生を例にとると、木(肝)→火(心)→土(脾)→金(肺)→水(腎)→木(肝)→‥‥という生成の循環を、自然は無限に繰り返している。五行に分類された人体内の臓器もまた、かように有機的に関連づけられるという理論なのです。
人間の身体の各部位はすべて有機的に関連しあい、しかもそれらの関係は絶えず変化し続けているという、西洋医学にはないユニークな見方があります。ここに、陰陽・五行学説を基本思想とする中国医学の神髄があります。

西洋医学と中国医学の違い

西洋医学と中国医学の診断法や治療法の違いは、人間の身体をどのようにとらえているか、つまり身体観の相違によるところが大きいのです。現在の西洋医学は、十七世紀のデカルトが確立した心身二元論が、相変わらず主流です。精神と肉体を二つに分けて考え、人間の肉体のみを中心に発達してきたのです。
これに対して、中国医学では、身体を“整体観念”でとらえています。つまり、身体を自然界の中に存在する一個の統一体とみなします。では、この統一体である身体はどのように作られているのでしょうか。
中国医学では、人間の身体には五臓六腑があり、その活動により気・血・神(スピリット)・津液(血液以外の体液)を生んでいると考えます。気・血・神・津液というのは、人体の生命活動を維持する基礎物質、人体に不可欠の構成要素です。中でも中国医学では、とりわけ気の作用を重要視しています。気は人体の新陳代謝のエネルギー源であり、臓腑の機能を活性化するエネルギー源でもあると見ているからです。
また、古くから『気行則血行、気滞則血oketu.jpg (854 バイト)』という有名な言葉があるように、気と血は相互に関係しあっています。気がスムーズに流通していれば、血もまたしかりです。気が滞れば血は「oketu.jpg (854 バイト)」(血が滞り、古血になること)となってしまいます。気と血とは切り離して考えられないのです。
内臓器官に対する外科的手術が発達した西洋医学と異なり、中国医学では内臓の解剖学的な理解は、ほとんど意味をもたなかったように見えます。中国医学には臓器の摘出という発想はなかったからです。しかし、古代の解剖学の知識に基づいて、中国医学は独自な臓腑学説を形作ったのです。それは、西洋医学とは決定的に異なるユニークな原理に支えられているのです。
治ったと治したとの違い
西洋医学と中国医学を含めた伝承医学の違いは、治ったのと治したとの違いがあります。病気になった人間は、治療をしなかったら絶対に治らないわけではないのです。それが、壊れたラジオと病人の人間との違いです。壊れたラジオは修理しないのに直るということはないですが、病気の人間には、病気に打ち勝ってひとりで治っていく力があります。それを生体工学の研究者たちは、生体の「自動制御のしくみ」と呼んでいます。
もちろん、生体の自然回復力には限界があって、ガンのような病気に対しては、それはあまり強力に発揮されないこともあります。しかし、肺炎や細菌の感染によって起こる病気では、白血球の食菌作用の増加とか免疫抗体の産生という自然快復力のしくみが、かなり良く解ってきています。
人間がいろいろな病気になったときに発揮できる自然回復力には、その人間のおかれている環境条件や生まれつきの個体差によって、著しくバラツキが見られます。しかし、病人の中には、何か治療的処置がおこなわれると、それが強い心理効果を及ぼし、それだけで病気の自然回復力によい影響を与えることがあります。
アメリカの臨床薬理学者ビーチャーの報告に、症状にもよるけれども30〜60%の人たちは、ただ単に乳糖や重曹の内服または食塩水の注射などで症状がとれているというものがあります。これは、ブラシボー(にせ薬)効果といわれるものですが、人間は心理効果の十分に期待されるような状態のもとでは、このような現象を生み出すのです。
自然快復力、あるいは自然治癒力といわれるものを、バナールは「生きている池」という仮説を述べています。一方から流れ込む物質が、次から次へと化学変化を受けながら、曲がりくねった途を通って流れていくという状態を考えてみます。そのうねりのいろいろなところで別の反応がからまり合い、反応の鎖の最後のものが第一の反応に影響を与えるようになると、それは外界から半ば独立し、外界と一定のバランスを取りながら、自動的に動いていくことのできる状態となるであろうというものです。
このような系は、外界からほんのわずかばかりの流入があり、また外界へのほんのわずかばかりの流出が可能であるなら、内部での反応は活発に進行していながら、系の全体としての水準は低下しにくいものとなります。これが、さらにいくつかの緩衝系をかかえこみ、また系の調節水準の変動を知る検出器が組み込まれたときに、「原始的な自動制御系」としての「原始生物」ができるのだというのが、その仮説なのです。
このような考え方からすると、生物はもともと、ある範囲内の外界の変動に対して、それを受け流すだけの能力を持ったものと考えなければならないのです。
感染がはじまってある程度の日数がたつと、侵入した微生物体の構成成分を抗原として、生体は抗体を大量に生産しはじめます。やがて、侵入した微生物は抗体によって弱められ、それら微生物の産出した毒物も、抗体の中の抗毒素によって無毒化されていきます。一方、感染によって破壊された組織は、細胞の再生や結合組織の増殖によって修復されはじめます。
外傷による出血も、血管の収縮や、血液の凝固のしくみによって止まるようになりますし、切り離された組織も、修復されていきます。このように、自然回復のしくみは、生物が生物として生きているということと本質的に結びついていることに注目すべきなのです。
したがって、中国医学を含む伝承医学は、病人の自然回復の力、あるいは自然治癒力といわれるものを、最大限に発揮させてやり、これを傷つけないようにするというのが原則です。ただ、病気になった個体において、彼がどれだけの自然快復力、あるいは自然治癒力といわれるものを持っているかを、個別に見極めることが必要になりますが、きわめて難しい問題です。
西洋医学は、スーパーマーケットで、トレーに切り身になった状態で梱包されて売られている魚や、肉のようなもので、中国医学を含む伝承医学は、生きた状態の秋刀魚であったり、鮭であったり、豚や牛、羊のようなもので、丸ごと見て、その活きの善し悪しを見る、そんな医学などと例えられることがあります。
また、木桶に入っていた水が、よどんで腐り、ボウフラがわき、異臭を発している状態になっているものを、西洋医学は、木桶の腐った水を丸ごと捨てて、きれいに洗い、真水に取り替えて、今後腐らないように防腐剤を入れるようなもので、できれば木桶ではなく、ポリか何かに変えてしまおうと考える医学です。
しかし、中国医学を含む伝承医学は、木桶の中に、徐々に新しい水を注ぎ入れ、新しい水が入った分だけ、木桶の腐った水を流そうと考えます。そして、きれいに洗い流すことなく、その木桶の風情までも、回りの情況にマッチさせようと考える医学です。これは、きれいにしたと、きれいになったとの違いで、病気の身体を治したという考え方と、治ったという考え方と一致するものです。
生体ではとくに、「部分」と「全体」との間の関係が複雑であって、「部分」についての治療をいくらしても、「全体」においてどのような現象が起こっているのかを知らなければ、さまざまな解決にはならないでしょう。
「部分」についての治療が必要なときには、その治療を先行し、それと相まって身体の自然回復力、あるいは自然治癒力といわれる「全体」を見ようという考え方が必要です。

 

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