| ツボ圧しの利点 |
| ツボ圧しは、気軽に誰でも出きる生活の中に根ざした医療です。医療は病院だけで行われるものではなく、日々の生活の中にあるものです。 |
| たとえば、血圧が高いと病院で診断され、すぐに薬を出す医者と、薬を飲んでいれば治ると信じ薬を飲んでいる国民は多くいます。その原因が肩こりだったり、胃腸の働きが悪かったり、各臓器の不調だったり、運動不足だったり、職業病だったりと原因は多義に渡っていますが、血圧だけを診てその血圧を標準的な正常値にして、イャー健康ですねと言って喜んでいる連中には、何を考えているのか不思議に思う。 |
| その高血圧の人の体重や年齢、また生活環境での食生活、睡眠時間、嗜好品の有無などのいろいろな事柄が絡んでその一つの結果として血圧が上がってきます。 |
| 体重が肥満といわれる状態だったり、年齢が高年齢になると必然的に血圧は高くなります。体重が増えると、全身に血液を送らなければいけない心臓には負担がかかり、一生懸命圧力をあげて動くため、血圧は上昇してきます。年齢も高齢になると、血管が固くなり動脈硬化をきたし、身体を動かすことが少なくなり筋肉の働きも弱体化して心臓から送られる血液を一定に保とうとすると、どうしても血圧は上昇してきます。 |
| ほとんどの病院では、血圧降下剤といわれる種類の薬が出されますが、その内容は血管拡張剤と利尿剤の2種類ありますが、血管がコレステロールや脂肪で狭くなっている状態は、自分自身の栄養を補給している自養血管という栄養血管が詰まり、血管が栄養不足となりもろくなってきます。そのもろくなった血管を無理に拡張すると、その管は壊れてしまいます。 |
| 利尿剤は、血管を流れる水量を減らすために、漿液を少なくして血圧を下げようと言うものです。しかしドロドロした血液をさらに液体を抜くことで血管の中を流れる量を減らしたため、水気の少ない血液が体内を巡るため、腎臓を流れる血管が詰まって腎臓の働きを阻害し、透析をしなければならなくなってしまいます。 |
| 人間の身体は、その人その人の生まれ育ってきた生活環境で違ってきます。ひとつの障害(病気)は、万人に等しいわけではなく、万人みな違います。医療とは病気を見るのではなく、病人を見なければなりません。 |
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| 人間の身体をシンプルに見て、対処しようという考え方がツボ圧しです。 |
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| 朝鮮を経由して中国から日本に入ってきた中国医学は、古代の日本の法治として「大宝律令(701年)」に、鍼灸を専門とする「博士」の称号が明記されています。 |
| 戦乱に明け暮れた鎌倉、室町の時代に、灸は緊急医療として刀や槍による傷の治療によく用いられたことは、当時の軍記物語にも多く描かれています。これは現代の科学で分かっていることですが、灸などのモグサの熱による治療は、熱ストレスタンパク質が関与して、治癒に導かれることがわかっています。 |
| 江戸中期の名医である後藤艮山(ごとうこんざん)(1659〜1733)は、「百病は一気の留滞により生じる」と主張し、灸を中心とした治療を行っていました。 |
| 西洋医学の始祖として知られているヒポクラテス(古代ギリシアの医師、医術の父と称される。(前460頃〜前375頃))が、「薬が治さなければ鉄で治し、鉄が治さなければ火で治し、火が治さなければ不治である」という箴言(しんげん)を残しています。 |
| 何と古くさい非科学的なことをと思われる人がいるかも知れなませんが、電子波とかラジオ波という現代的な医療電磁器機を使って、焼灼術という方法で臓器の患部(ガン細胞など)を、直接針をさし込みそして焼くという治療法が行われています。 |
| 日本では、明治28(1895)年に旧医師法が制定されてからは、鍼灸は中心的な医療行為として認められなくなり、とくに灸治療は衰退が著しいです。 |
| 一度、抹殺された中国医学は、根強い支援者とその医療的効果が再認識され、昭和2年に「皇漢医学」を発刊した湯本求真氏という金沢医学専門学校出身の彼が大きな功績を残しました。 |
| 昭和11年には、日本医学研究会が現在「漢方の臨床」を発刊しています。 |
| 昭和25年には、千葉大学医学部に東洋医学研究室をおき、中国医学は東洋医学として再び芽吹いたのです。 |
| 昭和30年には、東洋医学への関心が世界的に高まり、昭和47年には、財団法人の日本漢方医学研究所、次いで北里研究所付属東洋医学総合研究所が認可となり、その動きは本格的になったのです。 |
| 東洋医学といっても、漢方薬の研究は世界的に進み、草根木皮のからくりがいろいろわかってきました。 |
| ツボ圧しは、まだまだ理解されていないし、研究も進んでいないのが現状です。 |