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〜組曲「サヨンの鐘」を聴いて 野口 久光〜
「サヨンの鐘」という昭和18年に封切られた映画を記憶している日本人は、いまはもうほんの少数だろう。名匠清水宏監督作品であり、当時「李香蘭」といわれて人気絶頂だった山口淑子女史の主演映画だった。
この映画は半世紀にわたって日本の支配下に台湾の奥地に住む少数民族である高砂族の娘サヨンの悲劇を描いたものだが、当時「八紘一宇。撃ちてし止まん」といった軍国色濃い映画ばかりの中で、かすかなロマンティシズム、エキゾティックなムードで人気を呼んだ。私はたまたま、清水監督や李香蘭に呼ばれて、この映画のオープン・セットを訪れた事があり、人並み以上の思い出がある。そして、太平洋戦争でその高砂族の青年たちが「羲勇隊」の美名のもとに日本軍に徴用され、その生残りの一人中村さんが奇蹟の生還を遂げたと聞いた時に、その事を改めて痛ましく思い出さずには、いられなかった。
そうしたとき「誰も書かなかった台湾」をはじめ、「南京大虐殺のまぼろし」「リリー・マルレーンを聞いた事がありますか」などの一連のノンフィクション作家で知られる鈴木明氏が、中村さんの故郷を訪ねると共に日本民族が冒した高砂族への圧政、悪業についての氏独特の推理小説を読んでいるような好奇心、行動力を注いだ新書、「高砂族に捧げる」を発表した。この本の中に「サヨンの幻」という一節があるが(近著「そして我が歌」のなかにもサヨンの鐘」の一章がある)その中で私が記憶していた李香蘭のうたった「サヨンの鐘」のほかに、もう一つ別の「サヨンの鐘」という歌があり当時の台湾で大流行した事も始めて知った。そしてこの物語の背景にある日本軍国主義ヘの怒りや少数民族の悲劇について思いを馳せたのである。
前置きが長くなったが、今回その「サヨン」をテーマに東海林修氏が初めて書いたこの組曲サヨンの鐘」のテープを聞き、いろいろな意味で驚き且つ深い感動を覚えた。
東海林修さんといえば、かってジャズピアニストとして平岡精二クインテットに在籍、そのご中尾ミエの「可愛いベイビー」の編曲でアレンジャーとしての活動に入り、そのごは作曲、編曲の世界で売れっ子として活躍していることはよく知られている。澤田研二、野口五郎、菅原洋一などのコンサートやレコーディングには必ずといってよい程編曲やステージに協力している。NHKのテレビ番組(ステージ101)のアレンジも2年間にわたって担当。そのご作曲編曲の勉強を志してアメリカに2年を過ごしている。これだけの実績からも歌謡曲を含め日本のポップス界で最右翼の実力者であり、これからがたのしみなひとだが、彼が鈴木さんの「サヨンの鐘」の伝説(実話)にインスパイアされて本格的な管弦楽組曲をものし、それが今迄日本にはほとんどなかったクラシックとポピュラーの間の大きな溝を、断層を埋めるという困難な仕事に挑んだ勇気、情熱に、まず心からの共感を覚えたが、その作品のアレンジ手法の確かさに敬服したのだった。
ソングライターはメロディーを書きアレンジはアレンジの専門家に依頼するという分業システムが常識化されているこんにちのことではあるが、13曲からなるこの組曲は歌曲作者が時々手掛ける作品に多いテクニックの拙さはどこにもない。この作品について、そうした作品を引き合いに出す事は作者に対して失礼をを欠く事になるが、東海林さんが歌謡曲、ポップス界の人という先入観年があるので、つい筆にしてしまったことをお許し願いたい。アメリカやヨーロッパではクラシックファンもよくポップス系の音楽を区別しないときき、楽しんでいるが日本では戦前の長い間違った音楽教育から、ポピュラーに対する偏見が今も尾を引いているのは困ったことである。
それにしてもこんかいの東海林さんの作品は日本にはあまり未だ書かれていない本格的ポップスというか、アメリカで云う中間音楽、コンサート・ステージにのせて鑑賞にたえる、そしてレコードで誰もが、くりかえしききたくなるようなメロディーのうつくしさ、アレンジのおもしろさをもっている。
作品のテーマは高砂族の間、台湾在住の中国人のあいだにも既に伝説となっている幻の少女サヨンの悲劇をもとにしたものであり、戦争への怒り、平和への祈りの込められた作品と言えるが、私としては日本のポップス界の若い人の間から、こんなすばらしい、誰もが理屈を越えて楽しめる作品が生まれた事を心から嬉しく思っている。
そして、東海林さんのこれからのご活躍、次の作品を心待ちにしたいと思う。
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