いとこは殺され、私は助かった【崔 金貴さん】
 「12月15日、私は日本軍につかまりました。いとこも一緒でした。西善橋で、服をぬがされ銃剣
で刺されました。いとこは殺され、私は首のあたりを2ヵ所刺されましたが、首のまわりの服が厚か
ったので助かりました。この時、相手の剣をつかんでしまったので、手にも傷跡があります。あとは
気を失ってしまいました。
 その後、2ヵ月ぐらい家で過ごしましたが、血がたくさん流れて、なかなか回復しませんでした。
神様はどうしてこんな運命をさずけたのか【諸 鴻宝さん】
 「私はその時15才でした。日本兵は銃剣を抜いてバシッバシッと私の頭を切りつけてきました。
 血がダラダラ流れるので帽子をとってみると、帽子がズタズタになっていました。頭は大きくはれ
あがってしまいました。お父さんはそれを見て、ショックで気がくるってしまいました。
 おばあさんは、傷口をお茶で洗いながら涙を流し、「どうして、お前がこんな目に会ったのか?神
様は私の孫にどうしてこんな運命を授けられたのか?と泣きました」
虐殺のいたみを忘れることはできない【陳 徳貴さん】
 「私は当時19才でした。12月14日、私は和記洋行から煤炭港に連行されました。3000人ぐら
いの人が倉庫に押し込められたのです。
 10人ぐらいずつ連れ出され、揚子江で銃殺されました。私も連れ出されましたが、すきを見て川
の中へ飛び込み、転覆していた貨物列車の中へかくれました。
 夜遅くぬけ出し、死体からはぎとった毛布を冷えきった体にまきつけました。翌朝、日本兵に見つ
かって撃たれました。この時、左手の薬指の先をとばされ、両足のももの内側を弾が貫通しけがを
しました」
私たちが何をしたというのですか!【夏 淑琴さん】
 押し入ってきた日本兵は、いきなり父とおばあさんを撃ち殺しました。まだ赤ちゃんだった妹は、床
にたたきつけられて殺され、母は強姦されたあと刺し殺されました。
 いちばん悲しかったのは、二人の姉さんのことです。15才だった上の姉はテーブルの上で強姦さ
れ殺されました。13才の姉もズボンをおろされて殺されていました。私もフトンの上からメチャメチャ
に刺され、気が付いたとき、9人家族のうち生き残ったのは7才の私と3才の妹だけでした。
 その後、助けられるまで、鍋の底のおこげを食べ水を飲んで、家族の死体の中で暮らしたのです。
 私たちがどうしてこんな目に会わなくてはならないのですか!私たちがいったい何をしたというの
ですか!


                  


 

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