■東アジア研究(大阪経済法科大学アジア研究所)
第31号,2001年2月,15−31ページより

駐韓米軍とは何か

韓 桂 玉

1.はじめに
2.米軍機が住民の頭上に爆弾投下ー梅香里射爆場の惨事
3.米軍犯罪の横行と不平等な米軍地位協定
4.老斥里事件など朝鮮戦争中の米軍による住民虐殺
5.北派武装工作隠密部隊も明るみに
6.軍事境界線に撒かれた枯葉剤
7.北朝鮮地域でも大量虐殺、生物兵器を使用ー米・加の学者も指摘
8.朝鮮半島情勢の急進展と駐韓米軍への影響



キーワード
:韓米行政協定、劣化ウラン弾、済州島4・3事件、DMZ
        枯葉剤、南北共同宣言、駐韓米軍の役割変更、韓米行政協定

■朝鮮の分割と朝鮮戦争
1945. 8…日本の敗戦により植民地から解放される。
1945. 9…米ソによる朝鮮南北分割管理。
1948. 8…大韓民国成立。
1948. 9…朝鮮民主主義人民共和国成立。
1948.12…ソ連軍が北朝鮮から撤退。
1949. 6…アメリカ軍が韓国から撤退。
1950. 6…朝鮮戦争勃発(国連の安保理が即時停戦案を決議)
        アメリカ大統領トルーマンが対韓援助軍事行動を命令
        安保理、韓国へ軍事援助韓国
1950.10…国連軍、38度線を突破
         中国の義勇軍出動
1951. 4…マッカーサー総司令官解任
1951. 5…国連総会、中国・北朝鮮への武器禁輸を決議
1951. 7…開城で休戦会談開始
1951.10…板門店で休戦会談再開
1953. 7…休戦協定調印

1.はじめに

 米中央情報局(CIA)などで構成されている米国家情報会議(NIC)がまとめた報告書ー
『東アジアと米国一現状と今後5年の展望』は、在日、在韓米軍について「現状維持の米
国の姿勢」は日本や韓国で民族主義的な反発を呼び、米国と両国の関係を「悪化させる」
と警告、人権、民主化などを強調し各国の主権を犠牲にする米国の一方的な介入への抵
抗が強まると指摘している(『東京新聞』、2000年10月4日付)。
 指摘のように、日本の沖縄では駐留米軍兵士による強盗や暴行、女子中学生へのわい
せつ行為やひき逃げなどが続発して反発の声が高まっている。とくに韓国では、米軍射爆
場訓練機の住民頭上への爆弾投下による被害、基地周辺での米軍による殺人などの犯
罪、米軍基地からの汚水の垂れ流しなどが続発しているところへ、朝鮮戦争当時に米軍
が多数の住民虐殺を行った事実が判明するなどで反米感情が一挙に増大し、不平等な
米軍地位協定を対等な関係に改善せよとの要求が高まっている。
 そこへ更に、2000年6月の南北首脳会談で発表された南北共同宣言が実現されつつ
あり、米ソによる朝鮮半島南北分断以米、55年にわたって敵対関係にあった南北が握手
し、和解と協力関係に変わった。そのうえ、10月には北朝鮮の『国防委員会第1副委員
長(ナンバ−3)が訪米してクリントン大統領らと会談し、朝米双方は「敵対的な意思のな
いことを宣言し新たな関係を樹立すること」を宣明する共同コミュニケに調印した。
 こうした歴史的な潮流は、アジアに配備されている米軍、とくに在韓米軍の地位協定の
不平等性を明るみに出し、在韓米軍の削減や撤退へ向けての動きを加速化させるだろう
し、在日米軍への影響も避けられないだろう。駐韓米軍とは何かーが改めて問われてい
る。


2.米軍機が住民の頭上に爆弾投下 梅香里射爆場の惨事

 訓練中の米軍A−10地上攻撃機(劣化ウラン弾搭載で知られている)が故障を起こし、
機体の重量を減らすために積んでいた実戦用「MK82」500ポンド爆弾6個を一度に投
下、そのため近隣の住民6人が負傷し、農家700余戸の窓ガラスが割れるなどの被害を
受けた。2000年5月8日、韓国・京畿道華城郡梅香里にある米軍射爆場での出来事で
ある(『ハンギョレ』新聞、2000年5月9日付)。
 首都ソウルから南西へわずか60kmほど離れたこの海辺の村は、地名のとおり「梅の香
る里」であった。だが韓米行政協定(駐韓米軍地位協定)によって1951年に梅香里の沖
合に、61年からは陸上にまで米空軍第51射爆場(KOONI FIRE RANCE)が作られて以
来、「梅香里は行政的には大韓民国の領土であるが、実質的には米国の土地となり、また
仮想的には北韓(朝鮮民主主義人民共和国)になってしまった」のである。
 それから48年間にわたって米軍機の機銃射撃と爆弾投下訓練は年間250日間も休み
なく、1日平均11.5時間に600〜700回の射爆が続けられてきた。とくに「チーム・スピ
リット」や「フォール・イーグル」など米韓連合演習期間中はF16、A−10などによる射撃、
投下訓練は1日に180回にも達する。梅香里沖合1.6キロに浮かぶクビ島はロケット砲や
レーザー砲の標的として破壊された結果、干潮時にその姿をわずかに海面に見せるだけ
になってしまった。また、その横に位置しているノン島は砲撃目標としてスクラップ自動車が
配置され、毎日激しい砲撃演習が繰り広げられている。
 そのため、射爆場(719万坪)周辺の梅香里など9つの村の約720世帯・3500人の住
民のうち、流れ弾や誤爆、不発弾などによって13人が死亡、23人が重傷を負った。深刻
なのは、150デシベルにも及ぶ騒音のため、住民の多くが難聴に悩み、家畜の不妊が続
いていることである。
 こうした基地公害に悩む住民たちは早くから基地反対の運動を続け、98年には政府を
相手に集団損害賠償請求訴訟を起こすなど、運動が広がっていた矢先に、今回の爆弾投
下事件が起きたのである。米軍側は、住民の抗議、デモが行われている最中にも夜間訓
練まで継続して住民の非難を浴びた。
 とくに問題なのは、今回の事件を契機に米空軍が梅香里射爆場で劣化ウラン弾を使用し
ていることが判明したことである。同じころ韓国訪問中の元米空軍パイロットで反戦平和
運動家のブライアン・ウィルソン氏が同5月16日に証言した(『韓国日報』、2000年5月
17日)。
 劣化ウラン弾は、原発などのウラン廃棄物を使用した、厚い金属板を貫通するもので、
その放射能汚染によってガンや奇形胎児出生など人体に深刻な影響を及ぼすとされてい
る。この問題について駐韓米軍側は「訓練弾の中には劣化ウラン弾はない」と否認してお
り、実弾の保有については「肯定も否定もしない」と返答してきた(同上)。
 しかし米軍側は、イラク、プエルトリコ、コソボなどでも劣化ウラン弾を使用したことを認め
ている。アメリカではイラク戦争に参戦した兵士たちの間で起きているイラク戦症候群の原
因が劣化ウラン弾であるといわれている。日本でも96年に沖縄・鳥島で数千発が米軍の
訓練に使われたことが判明、その後、米国防省は1997年8月13日、これを韓国に移送
したことを明らかにした(『毎日新聞』、1997年8月15日付)。さらに97年3月27日、ジ
ム・コルソン駐韓米軍スポークスマンは保有を認め、「朝鮮半島有事に使用するためのもの
で、管理上問題はない」と返答した。
 その後さらに同年5月中句に、京畿道漣川郡の米軍部隊で対戦車破壊用120ミリ劣化
ウラン弾を爆破処理したことが明るみに出て、またまた論議を呼び反基地、反米運動に拍
車がかかった。「駐韓米軍犯罪根絶運動本部」「緑色連合」などの市民団体は声明を発表、
劣化ウラン弾の完全撤収を米軍側に要求する運動が続いている。
 米軍が「梅香里はアジア地域で最適の射爆場」だとして、グァム島や沖縄で行うべき訓練
までここでやっているのは、梅香里が米第7空軍司令部のある烏山基地まで2〜3分の距
離にあり、陸上と海上訓練を同時に行うことができる点にある。だが、もっと衝撃的なのは、
「半径2.4キロ以内に200戸・700余名の住民が居住しており、これが操縦士にとっては
実戦に近い緊張感を与えるから」という米軍側の言い分である(『ハンギョレ』新聞、2000
年5月13日付)。現在この射爆場には米軍人が一人もいない。98年2月から米空軍が射
爆場管理を米民間会社「ロッキード・マーチン社」に委託しているからだ。そのために抗議を
するにも射爆場にではなくソウルの米軍司令部に行かなければならない。
 梅香里の被害は、流れ弾や誤爆、騒音に止まらず、重金属の汚染も深刻である。環境運
動連合が、この地域一帯の7カ所の地点から土と砂などを採取して大学の研究所で分析し
てもらったところ、クロムの成分が最高18,327ppmで、国内工場地帯の平均濃度0.005ppm
の3,665倍も高かった。また錫の成分も最高1,184.828ppmを記録し、やはり工場地帯の
平均濃度の34倍、土壌汚染憂慮基準(400ppm)よりも3倍も高い数値が出た。
 梅香里の住民対策委員会や市民団体、韓国国会でまで論議が高まってきたため、アメリカ
側も韓米合同調査に応じ、数度にわたる双方当局の協議の結果、韓国国防部は8月18日、
「梅香里住民の不便解消のための総合対策」を発表した。その内容は△梅香里の陸上部分
にある機銃射撃訓練場の射撃訓練を全面中止することに米韓双方が合意した。△同地での
韓国陸軍による迫撃砲訓練も中止する。これによって梅香里機関砲射撃場は閉鎖される。
△梅香里沖のノン島との問の海上に人工島を造成し、そこに機関砲射撃場を移転する計画
は「長期的課題」として先送りする。△一方、ノン島一帯の海上射爆場は残されるが、ただし
実弾ではなく模擬弾を使用して騒音を軽減するというもの。
 韓国に米軍が駐留して以来、韓国内の米軍射撃・射爆場が閉鎖されるのは今回が初めて
である。米軍が梅香里陸上部の射撃場の縮小に踏み切ったのは「南北の和解ムードが広が
る中で、反米軍感情の高まりを防ぐ狙いがある」とメディアは指摘している
(『朝日新聞』、2000年8月19日付)。
 しかし梅香里の住民たちは、この国防部の総合対策が基本的解決にはならないと不満を
表明、梅香里射爆場を閉鎖させる運動を続けている。
 2000年8月21日に梅香里米軍国際爆撃場撤廃のための住民対策委員会と、梅香里米
軍国際爆撃場閉鎖汎国民対策委員会が発表した声明文では、「梅香里の住民は、海岸・砂
浜とノン島周辺の海に依存して生活しているので、ノン島爆撃場が使用される限り、問題の
根本的な解決にはならない」と訴えている。
 米軍基地周辺の被害は梅香里に止まらない。
 米軍は韓国に3万7000人が常駐し、95の基地(7400万坪)を無償・無期限に使用して
おり、周辺の住民は各種の被害に悩まされている。京畿道仁川市の米空軍基地では99年
12月4日、ナイキ地対空ミサイルが誤って発射されて住宅地の上空で爆発し、数十人が負
傷、車両30余台が破損した。
 駐韓米軍司令部のあるソウル市竜山基地では2000年7月、有害なホルムアルデヒドをソ
ウル市内を流れる漢江に、2月以来無断で放流していたことが判明し世論の非難を浴びた。
 ホルムアルデヒドはフォルマリンとも呼ばれ、死体腐敗防止用消毒殺菌剤などに使用され
る毒性の強い化学物質である。ソウル市議会の決議や集会、デモなど高まる世論の前で、
同7月24日、ダニエル・ペトロスキー米第8軍司令官は「適切な再発防止策を取る」との謝罪
文を発表した(『ハンギョレ』新聞、2000年7月25日付)。
 廃油や有害物質の垂れ流しはこのほかにも、原州、坡州、烏山、大邸など問題化しただけ
でも8件にのぼっており、こうした基地公害による韓国側の基地移転提起は実に44件に達
する(『ハンギョレ』新聞、2000年5月16日付)。


3.米軍犯罪の横行と不平等な米軍地位協定

 米軍のいるところ、どこでも犯罪はつきものである。ひところ韓国では、「カラスの啼かない
日はあっても米軍の犯罪のない日はない」といわれるほど、駐韓米軍兵士らの殺人、暴行、
交通事故などの犯罪が多かった。次は2000年に起きた米軍犯罪のうちの、いくつかの事
例である。
 大邸市南部警察署は2000年5月23日、同市駐屯の第20支援団副司令官ウィリアム・
トロップス中佐(53)と、その息子(23、米軍属)の親子2人を、韓国人ホステスに対する性
暴行容疑で不拘束立件した(『ハンギョレ』新聞、2000年5月24日付)。
 警察の発表によると、同中佐は3月20日、大邸市内にある米軍専用クラブの韓国人ホス
テス金某女性(42)を自分の家に誘い、息子と2人で性暴行を加えた後、顔面と胸部を殴り
つけ、所持していた200ドルを奪った。
 また同市では、99年秋頃から2000年4月にかけて、米軍軍属が小学校の女子高学年
生38人を自分の家に誘い込み、性暴行を加えていた事件が発覚し、韓国民に衝撃を与えた。
犯人はアルフォンソ・メイズという男(59)で、学校側が確認しただけでも被害の少女は38
人にのぼり、実際の被害者はもっと多いと見られている。
 京畿道議政府市では同3月11日、米軍人による韓国人女性殺人事件が起きた(『東亜日
報』、2000年3月12日付)。殺害されたのは、同市高山洞に住む「基地の客引き」女性のソ
・ジョンマンさん(66)。被害者は前日の10日夜、「180センチぐらいの黒人米兵と殺害現場
の部屋に居り、激しく争う声が聞こえた」と目撃者は語っている。被害者の顔には激しく殴られ
た跡があり、くちびるが裂けた状態で発見された。
 犯人が米軍兵士であることが明らかであるのに警察は現場保存も行わず、米軍側も事件に
関して沈黙を守っているというので、全国連合(民主主義民族統一全国連合)など市民団体は、
犯人の拘束と捜査を要求する運動に乗り出した。
 一方、ソウル市梨泰院にある米軍専用クラブ「ニューアマゾン」の室内で2月19日の深夜、ホ
ステスの韓国人・金某女性(32)が、顔面を殴られ首を絞められているのが発見され、病院に
運んだが既に死亡していた(『ハンギョレ』新聞、2000年2月2日付)。「スポーツ刈りの白人男
性と酒を飲み部屋に入った」との目撃者の証言などから犯人は米軍兵士だと見られていた。
 しかし韓国警察と米軍側が動こうとしなかったため、「米軍犯罪根絶運動本部」や全国連合な
どの声明やデモが拡大し始めた。そこで21日の午後になって竜山警察署はようやく、現場に残
された米軍用の下着などの証拠品などをもとに、「米第8軍第2師団所属のクリストファー・マッ
カーシー上等兵(22)を米軍犯罪捜査隊(CID)が容旋者として取り調べたところ、犯行を自供し
た」と発表した。
 マッカーシー上等兵は同23日に身柄不拘束のまま竜山警察署の取り調べを受けた。その後
のソウル地裁の公判で同上等兵は、殺人罪により懲役8年の宣告を受けた。
 このマッカーシー上等兵が懲役に処せられたのは例外で、一般的に米軍人、軍属の犯罪は
野放し状態である。それは不平等な韓米行政協定(米軍地位協定)と関連している。1960年
代前半までは、韓国政府樹立直後に韓国政府と駐韓米軍との間で締結された「過渡期に施行
される暫定的軍事安寧に関する、行政協定」(1948年8月24日)があり、事実上米軍の治外
法権を保障するものであった。
 朝鮮戦争勃発に伴う「駐韓米軍の管轄権に関する韓米協定」(1950年7月12日、大田協
定ともいう)において、「米軍法会議は駐韓米軍の構成員に対し排他的な裁判権を行使」(1条)
し、「米軍は米国以外のいかなる機関にも服従しえない」(3条)ことが定められ、その後もこれ
に準じた関係が続いた。しかし駐韓米軍の各種の犯罪と基地公害が野放し状態で、韓国民の
間で対米非難が高まりを見せるようになった1966年7月9日に「駐韓米軍地位協定」が締結さ
れた。
 これには、公務中の米軍の犯罪はもちろん、「特に重要な場合を除き」、韓国側は第1次裁判
権を放棄することなどが盛り込まれていた。そのため、韓国側が裁判権を行使することはほとん
どなかった。韓米行政協定蹄結後の1年間に、韓国側が裁判権を行使したのは、全米軍犯罪の
0.5%で、NATOの32%、フィリピンの21.2%、日本の11.1%などに較べてもはるかに低い
比率であり、それさえも大部分は不起訴に終わっている(『韓国軍・駐韓米軍』、423ページ、か
や書房)。
 そこで、さらに高まる世論に押されて1991年2月1日に協定の改訂が行われた。韓国側の
刑事裁判権の自動放棄条項の削除、第1次裁判権対象犯罪の拡大などの部分的な手直しが行
われたが、不平等構造は温存された。そのため韓国側の要請により95年11月以来、断続的に
協定の改訂交渉が続けられている。
 韓米行政協定の正式名称は「大韓民国とアメリカ合衆国問の相互防衛条約第4条による施設
と区域及び大韓民国における合衆国軍隊の地位に関する協定」で、韓米行政、または駐韓米軍
地位協定、あるいはSOFA(Status of Forces Agreement)とも呼ばれている。協定は、協定本
文と合意議事録、了解事項の三つの文書で構成されている。これまでの韓米行政協定の不平等
性、問題はどこにあるのか。次は刑事裁判管轄権にみる、その実態である(『法典』、5843〜5
851ページ、玄岩社、ソウル)。
 △韓国側の裁判権行使の制限一韓国政府が専属的裁判権を持っている犯罪を米軍人が犯し
た場合でも、米国側が要請すれば韓国側はその権利を放棄することができる。「放棄することが
できる」として、米軍の要請に対して韓国政府の裁量権があるかのような表現になっているが、
現実的な韓米関係ではアメリカ側が要請すれば韓国側が拒否するケースはほとんどない(合意
議事録第22条2項)。
 また、韓米双方とも裁判権を行使できる競合的管轄権の場合、韓国側に1次的裁判権があっ
たとしても、アメリカ側が要請すれば韓国側は「好意的に考慮しなければならない】(本協定第2
2条3項)。
 △「公務遂行中か否か」は米軍側の意のままー米軍人が公務中に犯した事件や罪に対しては、
韓国側は刑事裁判権を持てず、裁判権は米軍側にある。問題は「公務」に関する判断基準であ
が、米軍当局は自国兵士保護のために公務を主張するのが常である。協定では、公務に対す
る韓米間の意見が対立する場合、米軍側が公務だと主張し、米軍当局が提示する公務証明書
の効力が決定的だと規定されている。したがって米軍人の明白な犯罪行弟でも韓国側は処罰
でさないことがある(22条3項の了解事項)。
 △米軍側の刑事裁判管轄範囲の甚だしい拡大一米軍、軍属及び家族(配偶者、子女、親戚)
は、米国の法令による刑事裁判権を韓国内で行使する権利を有する(本協定22条1項)。
 △犯罪米軍人の拘束捜査は不可能ー被疑者の身柄が米軍側にある時は、確定判決後に韓
国側が要請するまで米軍側が確保する。その被疑者の身柄が韓国側にある場合は、要請があ
れば米軍側に引き渡さなければならず、確定判決後に、また韓国側が要請するまで米国側が
拘禁する(本協定22条5項)。
 △収監中の米軍人も米国側が要請すれば米国側に引き渡す一韓国側は、裁判により服役中
の米軍人、軍属または彼らの家族の引き渡しを米国側が要請すれば、好意的考慮をしなけれ
ばならない(本協定22条7項))。
 △韓国の司法制度を無視する規定一米国側代表の参与しない被疑者または被告人の証言は
証拠にならない(合意議事録22条9項)。また、肉体的、精神的に不適当な時は審判に出席す
るよう要請を受けない権利、手錠を掛けないことを含めて、米軍の威信に適合する条件でなけれ
ば審判を受けない権利(了解事項22条9項)。
 △米軍が1審で無罪判決を受ければ、韓国側検察は控訴できない(本協定22条8項)。
 △敵対行為(戦時など)が発生した場合には、本協定の刑事裁判規定の適用が停止され、米
 国は米軍人、軍属、家族に対する専属的管轄権を行使する(本協定22条11項)。韓国で戒厳
 令が発令されたら、本協定の規定の適用は停止され、米国側は戒厳令の解除まで米軍人、家
 族に対して専属的管轄権を行使する(合意議事録22条2項)。
 こうした治外法権的、不平等な行政協定のもと、韓国での米軍犯罪はおびただしいものがある。
 韓国政府の統計(1990年度の韓国国会国政監査資料)によれば、1967年から98年までに
起さた駐韓米軍人(軍属を含む)の犯罪は5万6904件である。警察が受け付けなかった犯罪ま
で入れると、もっと多くの件数にのぼる。この統計を基にして概算すると、1945年9月8日の米
軍の韓国上陸以後、現在までの米軍犯罪は約10万件と推定される。1日平均6件の犯罪率で
ある。10万件の犯罪があったということは、10万人以上の米軍犯罪者と、それよりももっと多数
の韓国人被害者がいたということである(韓国民主主義民族統一全国連合(全国連合)機関誌
『ミン(民)』、1999年10月号)。
 しかし、98年の米軍人犯罪に対する韓国司法部の裁判権行使はわずかに3.9%に過ぎな
い。
 米軍犯罪者1100人のうち96人は見逃しているということだ(同上)。
 民事請求権でも刑事管轄権と同様に不平等がまかり通っている。その一例として、たとえば、
駐韓米軍人が犯した公務中の犯罪に対する賠償の場合、何ら関連のない韓国政府が賠償額の
25%を負担している。また、責任の所在が不明の場合は、無条件で韓国政府が50%を負担さ
せられている。
 米軍基地韓国人労務者たちに対する首切り、労働強化は日常茶飯事となっており、米軍人や
軍属、彼らの家族による民族蔑視への対応も一向に是正されないでいる。
 韓国政府は99年に、駐韓米軍に対する直接駐屯支援費として3億9900万ドルを支払った。
 その反面、駐韓米軍は約8000万坪の土地を無償で使用しているが、その地価は1997年
度の公示価格で約13兆ウォン(約1兆3000万円)に該当する。また1998年度に各種の免税
措置や高速道路料金免除など、韓国政府が駐韓米軍に提供した間接支援費は1兆8000億ウ
ォン(約1800億円)にのぼる(韓国国防部が1999年10月3日に国会に提出した国会国政監
査資料)。 したがって韓国の世論は@駐韓米軍の歴史的な犯罪に対する公開謝罪と賠償、A
韓米相互防衛条約と韓米行政協定の改正、B梅香里射撃場の即時閉鎖などの要求を突きっけ
ている。学生や市民団体の問からは米軍撤退の声も出ており、2000年7月31日には、韓国国
会で米軍地位協定の全面改定を米韓両国政府に要求する決議を採択した。
 こうした状況下で韓米双方は10月17〜18日にワシントンで駐韓米軍地位協定の改訂交渉
を行った。18日に発表された共同声明によると、アメリカ側は米軍被疑者の身柄引き渡しの時
期を、現行の確定判決後から起訴の段階へ早めることで合意した。アメリカ側が、3年以下の禁
固・懲役に相当する米軍犯罪者に対する裁判権を放棄することを求めたが、これは韓国側が拒
否した。
 その反面、米軍基地による環境汚染を防止するために環境基準順守を米軍に義務づけること
と、韓国人基地労務者の労働基本権保障を韓国側が求めたのに対して、米側が難色を示し、不
成立に終わった(『しんぶん赤旗』、2000年10月20日付)。
 それに検疫の問題もある。韓国では、第二次大戦後に外国から流入した病・害虫33種の中で、
主要繁殖地がアメリカだと確認されているのは17種にのぼる。だが、駐韓米軍各基地の給食
用として輸入される動植物や、軍事演習に持ち込まれる戦車などに付着した土などの検疫には
手も出せない実情にある。次回の韓米行政協定改訂交渉は年末だといわれるが、見通しは明
るくない。


4.老斤里事件など朝鮮戦争期の米軍による住民虐殺

 朝鮮戦争初期の1950年7月26目、数多くの住民が米軍に虐殺されたーソウル南東約16
0キロにある老斥里(忠清北道永同郡)の村人たちや一部のメディアは、長年にわたってそう
主張してきた。とは言っても80年代まで軍事政権が続いていた時は、そんなことを口外に出し
ただけでも「パルゲギ」(アカー北朝鮮支持者)とされて迫害、弾圧されるために、公にはできな
かった。遺族たちは1960年の4・19革命直後の1960年10月と12月に虐殺の事実を政府
に訴え、民主化後の94年7月と10月には、より大きな声でアメリカ政府・大統領を相手に謝罪
と損害賠償を要求した。しかし米政府と韓国政府は一貫して虐殺を否定し、いっさいの補償や
慰霊碑建立の要望にも耳をかさなかった。
 こうして隠されてきた「ノグン里住民虐殺事件」の真相がアメリカのメディアによって明らかに
された。『AP』通信が99年9月29日、機密解除文書の米第1機甲師団と陸軍25師団司令部、
さらに米8軍本部の各命令書に加えて、参戦米兵士たち及び被害者住民たちの証言をもとに、
ノグン里住民虐殺の真相を全世界に知らせたのである。同時に『ニューヨーク・タイムス』紙な
ど50余の米韓のメディアも、この米軍虐殺の事実を大きく報じた。
 『AP』通信は、元米兵6人が住民に発砲したことを認め、他の6人がそれを目撃した事実、さ
らに生き残った韓国の住民の証言までを報道し、この事件はべトナム戦争で米軍が約500人
の住民を虐殺した「ソンミ村の虐殺」に匹敵すると指摘した。次は、関連資料(『AP』通信、19
98年9月29日発。『東亜日報』、1998年10月1日付。『ハンギョレ』新聞、1999年10月1
日付、同10月25日付。週刊誌『ハンギョレ21』、1999年10月28日号、同2000年8月10
日号。『ミン』誌、1999年11月号。1999年12月20日に韓南・西江大学で開催された「戦争
の中の人民虐殺ーノグン里の教訓とわれわれの対応」報告集など。)を総合してみた「ノグン里
虐殺」の真相である。
 当時、慶尚南道永東郡の一帯は、大田市を占領し急速に南下する朝鮮人民軍と、敗走する
米軍と避難民とが溢れて混乱を極めていた。7月26日、永東郡イムゲ里とジュゴク里の住民
約500人は、「安全なところに避難させてやるから」という米軍兵士の言葉に従い、南に向か
って避難を始めた。同日の午後1時ごろ、村人は米軍に案内されてノグン里にある京釜線の
鉄橋に集合した。この時米軍は避難民の荷物を検査し、芝刈り用のカマやノコギリなどをみな
押収した。
 米軍兵士たちは米軍本部と無線連絡をした後、その場を離れた。すると間もなく米軍のムス
タンク機が現れ、鉄橋の避難民めがけて爆撃を始めた。右往左往して逃げまどう避難民めが
けて、こんどは機銃掃射が続いた。人びとは先を争って鉄橋の下の水路用トンネルに駆け込
み身を隠した。しかし、トンネルの中も安全ではなく墓場になってしまった。米軍がトンネルの
両側に機関銃を設置して、一斉射撃を加えたからである。逃げ場を失った人びとは、訳も分か
らずに次々と死体の山を築いていくほかなかったのだ。
 銃撃はその後も3日間にわたって断続的に続けられた。闇に紛れて現場を逃げだしたわず
かの青・壮年をのぞき、老人や子供、女性たちのほとんどは殺され、或いは重傷を負った。身
元が確認された死亡者の数だけでも121人、実際の犠牲者は300人以上と推定されている。
 生き残って死体の問に隠れていた人びとが救われたのは、「米軍は後退した。安心して出て
きなさい」という朝鮮人民軍兵士の声を聞いた時だったという。
 当時、米軍兵士として現場にいたエドワード・デイリー氏(68)は現在テネシー州に居住して
おり、AP通信の取材に応じた1人だ。同氏は要旨次のように証言している。
(『ニューズ・ウイーク』、1999年10月20日号)

 「26日午前零時に出動命令が出た。永東郡で敵に包囲され撤退しはじめた第8騎兵隊の
任務を引き継ぐことになった。だが南へ逃げる避難民と米軍部隊とトラックなどが入り乱れ、
動きが取れなかった。
 大勢の群衆に取り囲まれて、私たちはやや動揺していた。北朝鮮軍の兵士たちが農民に
扮しているという情報が入っていたからだ。
 北朝鮮軍の戦車2台が付近にいるという報告を受けて、私たちはパニックに襲われた。戦
車を探していたらしい米空軍の戦闘機部隊が道端の民間人めがけて機銃掃射を始めた。さ
らに前方からも、右手からも後方からもライフルの銃撃音が聞こえた。200人ほどの村人が
コンクリートの鉄道橋の下に殺到した。ほとんどが女性と子供だった。
 私の部隊も橋のそばまで後退し、橋の両端に機関銃座を設置した。間もなく伝令が釆て、
橋の下にいる全員を撃ち殺せという命令を抗えた。第7騎兵隊第2大隊の副官からだという。
 私ははいつくばる人びとに狙いを定め、再び引き金を引いた。30分はど撃ち続けただろうか。
 銃声の合間に、女性や子供のぞっとするような金切り声が聞こえた。
 今でもときどき、夜中に女性や子供の金切り声が聞こえてくる。私は神に懺悔して、悔い改め
ようとしてきた。 だが、あの日の夢や記憶は永遠に消えないだろう。」

 ノグン里虐殺事件で生き残った約20人のうちの1人、鄭救鎬氏(60、主谷里出身)は「母の
叫び声が今でも聞こえる」と、要旨次のように証言する。

 「とても暑い日だった。1950年7月26日、13歳だった私は両親と妹とともに、ノグン里の近
くの線路沿いを歩いていた。突然数機の米軍機が私たちに向けて機銃掃射を始め、爆弾も投
下した。あたりは数分で地獄と化した。いたるところで死体が横たわり、一面血の海だった。
 100人近くがその場で息絶え、100人ほどは下へ逃げた。午後遅くに脱出を試みた数人は
米兵に撃たれて死んだ。
 暗くなると、米兵はサーチライトで私たちを照らした。そしてこちらに向かって銃撃を始めた。
 父を含む100人ほどが走って逃げたが、女性と子供の大半はとどまるしかなかった。
 銃撃は3日3晩、散発的に続き、トンネルの入口から中に向かって死体が積み重なっていっ
た。
 生きている者は死体の陰に隠れた。2日目の夜に母が撃たれた。私と妹を抱きかかえていた
母は、頭と背中に4発の銃弾を浴びた。私と妹は待つしかなかった。食べ物もなく、血に染まっ
た水を飲んだ。
 3日日に米兵が退却したとき、生き残っていたのは私たち兄妹を含む20人ほどだけだった。
 なぜ数百人の村人が米兵に殺されねばならなかったのか、私には今も理解できない。」

 ノグン里住民虐殺事件は決して偶然に起きたことではなかった。米軍側からは「避難民と北
朝鮮軍の区別がつかず、北朝鮮軍が農民に扮してまぎれ込む可能性があった」との声も聞か
れる。
 しかし事実は意図的な大量虐殺で、米軍による韓国民に対する戦争犯罪だといえる。それ
は機密解除になった米軍の命令書(『AP』通信が99年9月29日に公開)で明らかである。公
開された命令害は次のとおりである(『ハンギョレ』新聞、1999年10月1日付)。

 △1950年7月24日付米第1機甲師団命令(同日午前11時、指揮下の第8連隊宛)
 避難民に(防御)前線を越えさせないようにせよ。越えようとする者は誰であろうと発砲せよ。
 女、子供の場合は注意して対処せよ。

 △1950年7月26日朝、米第8軍の通信命令
 繰り返さない。いつ、いかなる避難民も前線を越えることを許してはならない。

 △1950年7月26日、米歩兵第25師団通信文
 師団良ウィリアム・キーン少将は、占領地帯で動くすべての民間人を敵と見なさねばならず、
 発砲せねばならないと指示した。

 △1950年7月27日、米歩兵第25師団長ウィリアム・キーン少将(再度)命令。
 (韓国の良民は韓国警察によって戦闘地域から疎開させられたから)戦闘地域で目にとまる
 すべての民間人は敵と見なされるので、それに対する措置を取ること。

 『AP』通信は、これらの公式命令書と、当時参戦した米軍将兵12人の証言を報道した。命令
書と証言はノグン里大量虐殺が偶発的なものではなく、米軍の上部の命令によって計画的、意
図的に行われた犯罪であることを示している。
 また、ノグン里虐殺事件が表ざたとなり、住民たちの真相調査、賠償要求が行われるように
なると、韓国当局者の手によって事件の現場である京釜線トンネルの弾痕をセメントでふさぎ、
塗料まで塗るなど、真相の隠蔽工作まで行われていたのである。
 ノグン里事件に続いて『AP』通信(同通信、1999年9月29日発)は、米軍による別の複数
の韓国避難民虐殺事件があったことをも報じた。同通信によれば、1950年8月3日、慶尚北
道の洛東江にかかる倭館橋を避難民が渡っている最中に、米軍が予め仕掛けておいた爆破
装置を作動させて橋を爆破し、多数の避難民が死傷した。
 米軍部隊は「北朝鮮の偽装工作員が紛れて侵入することを恐れて」、避難民の規制を試み
たが管理できなくなり、司令官が爆破を命じたという。当時の米兵たちは「少なくとも200人が
川に落ちた」と証言している。
 さらに同じ日(1950年8月3日)の洛東江下流の得成橋も、避難民が渡る最中に爆破され
多数が死亡したという。米兵たちは銃を空に向けて撃ち橋を渡らないように警告したが、住民
の列は止まらず、そのまま橋を爆破して惨状を招いたという(『朝日新聞』、1999年10月1日
付)。
 ハンナラ党の金元雄議員は、ノグン里事件後2000年10月末までに、韓国国防部は米軍
による民間人虐殺61件、韓国軍・警による民間人虐殺12件の民願(対政府請願)を受け付
けたと発表した(『ハンギョレ』新聞、2000年10月24日付)。その中の主な事例は次の通り。

 △忠清北道丹陽郡:米軍機の爆弾投下で300余人が死亡。
 △慶尚南道昌寧郡:米軍戦闘機の銃撃で村全体が焼失し村民60余人が死亡、200余人
 負傷。
 △慶尚南道咸安郡:米軍機の爆撃と機銃掃射で30余人が死亡。
 △靂尚北道亀尾郡:米軍機の爆弾投下で100余人死亡。
 △慶尚北道醴泉郡:米軍戦闘機が油を撒いて爆弾を投下し50余人死亡、90余人負傷。
 △慶尚南道泗川郡:河川堤防に集まっていた住民に米軍戦闘機が機銃指射を加え60余
 人が死亡、20余人負傷。
 △全羅北道益山郡:益山駅に米軍機B29が爆弾を投下。54人死亡、300余人重軽傷、
 50余戸破壊。
 『AP』通信に続き米『CBSニュース』(『ハンギョレ』新聞、1999年10月8日付)も、朝鮮戦
争当時の米軍の機密文書を公開することによって、米軍の隠蔽工作を暴露した。米軍の虐
殺にかかわったトッド1等兵は、「皆殺し(キラー)作戦が始まった。われわれは敵を攻撃する
ために移動し、女、子供を問わず、われわれの目に触れるものすべてを殺戮した」と証言した。
 これに対して米陸軍当局は、「アメリカの立場を困難にする恐れがあり、極秘に分類せよ」と
指示していたと指摘している。
 『CBSニュース』は、こうした米軍部の隠蔽工作を暴露報道した後、自戒を込めて次のよう
に結んだ。「全ての戦争は醜悪である。しかし朝鮮戦争は、われわれが思っていたよりもはる
かに醜悪なものであったことが明らかになるだろう。」
 米軍によるノグン里住民集団虐殺事件の報道は内外に大きな衝撃を与えた。韓国では市
民団体によって「ノグン里米軍良民虐殺事件対策委員会」がっくられて、真相糾明と賠償要
求を求め、国会でも論議が起き、デモが続いた。
 金大中大統領は、「アメリカと協議しつつ、韓米共同で真相を糾明し、その結果に基づいて
相応の措置を取る」として、関係部署による「ノグン里事件真相糾明対策委員会」を設置し、
同事件に「他の2件」(鉄橋爆破)を含めて被害申告受付を始めた。
 アメリカ側もコーエン国防長官が「事実の全面的調査」を命じ、10月29日にはマイケル・
アッカーマン陸軍監察宮(中将)を団長とする調査団が現地を訪れて調査し、生存者から事情
を聞いた。また同11月12日には、ノグン里事件の生存者4人が訪米し、虐殺を証言した元
米軍兵士エドワード・デイリー氏ら3人と対面した。翌2000年1月9日にはカルデラ米陸軍長
官らの調調査団が虐殺現場を訪れ調査を行った。
 韓国当局は被害者の申告をもとに、死者177人、負傷51人、行方不明20人の計248人
と対米通告しているが、同年11月になっても何らの措置も取られていない。
 これまでも朝鮮戦争中の米軍の犯罪・加害行為に対する告発、補償の要求は数多く出され
ていたが、アメリカ側が調査に着手したのは今回が初めてである。韓米行政(駐韓米軍地位
協定)に詳しい韓国外国語大学の李長熙教授は、「米国批判即反米、左翼と考えるような特
殊な韓米関係が変わりつつある。米側はそれを自覚しているからこそ、反米感情が高まるの
を恐れて急いで調査に着手した。韓国政府も米国に対して悪いことは悪いというべき時にきて
いる」と指摘している(『朝日新聞』、1999年11月17日付)。


5.北派武装工作隠密部隊も明るみに

 2000年6月の南北首脳会談と6・15南北共同宣言により、南北の離散家族の再会、非転
向長期囚の北朝鮮送還が進むなかで、1950年代から70年代にかけて米・韓軍が隠密裡
に北派(北朝鮮に潜入)した武装工作部隊の実態が表面化して、論義を呼んでいる。
 50年から56年にかけてCIA(米中央情報局)韓国支部が創設した米韓合同顧問団諜報部
隊が訓練して北朝鮮に投入した武装工作員は約3000人と推算され、その大部分が戦死し
たものと見られている。56年以後、この諜報部隊の活動自体はベールに隠されたままである。
(『ハンギョレ21』、1999年8月5日号)
 これらの事実は、米軍によって北朝鮮地域に投入され、軍事施設の破壊、殺人、拉致、情
報収集工作の任務にあたったが、無事に生還した隊員等によって明るみに出た。生還者や遺
家族たちは、真相の解明と戦死・失踪者への補償を要求している。しかし米軍は沈黙を守り、
韓国軍側は米軍管轄下の問題であるので対策の立てようがないという立場である(『ハンギョ
レ21』、1999年8月5日号)。
 一方、韓国軍側が北派した武装工作員の総数は確認されただけでも7726人にのぼる。韓
国国会で統一外交通商委員会に所属する金成鎬議員(民主党)は2000年10月20日の委
員会で、停戦成立の1953年から1972年の7・4南北共同声明までの問に北派された武装
工作員のうち未帰還者は7726人にのぼると指摘、その中の366人の名簿を公開した(同誌、
2000年10月19日号。)。
 これまでも一部のメディアを通じて報道されたことはあるが(同誌、1999年8月5日号)、国
会の場で北派武装工作員の事実が指摘されたのは初めてである。6・15南北首脳会談と南
北共同宣言以後離散家族の再会など南北和解が進む中で、問題が浮上した。
報道(『ハンギョレ』新聞、2000年10月9〜11日付。『ハンギョレ21』、2000年10月19日
号。)
を総合して見ると、その実情は次のようなものである。
 韓国軍は米軍とは別途に、1952年から陸軍諜報部隊(HID=HigherIntelligenceDepertm
ent)で北派工作員を訓練した。コ−ドネームは「陸軍4863部隊」で、当時は30個の部隊を
運営した。
 なかでもソウル市貞陵に設置された第1教育隊、江原道の諜報隊訓練所などの規模が大き
かった。
 訓練を終えた部隊員の多くは陸上から、一部は海上浸透で北朝鮮の海州、南浦地域に投入
され、空中からは平安北道、元山などに投入された。
 停戦後の54年3月からは「民間人」の身分で軍番も階級もなく北に送り込まれた。
 1967年からはAIU(ArmyIntelligenceUnit)という名称に変わり、78年まで隊員の訓練、北
派が続いた。71年8月に反乱を起こして仁川からソウルまで押し掛けた実尾島部隊もやはり
対北浸透部隊だった。北派武装工作部隊は現在も江原道○○地域に当時の規模そのままに
維持されている。
 陸軍ばかりではなく海軍にも北派破壊工作部隊があった。UDU(UnderwaterDemolitionUn
it)と呼ばれた。1954年に第1期生として訓練を受け20年間勤務し、数十回も北朝鮮地域に
投入された朴某氏(75)は毎年、国立墓地を訪れるという。北派特殊任務遂行中に死亡した
同僚たちを追悼するためである。墓碑の中には「70年代、西海上の○○で戦死」と書かれて
いるのもある。朴氏は70年代にも北派されたことがあると語っている(『ハンギョレ21』、200
0年10月19日号)。
 韓国軍当局はその間、確認された未帰還工作員7726名の位牌をソウル市の望月寺に安
置し供養を行っている。しかし韓国軍当局は(駐韓米軍の場合も同じだが)、北派武装工作団
の存在を認めれば、停戦協定違反を是認することになるため沈黙を守ってきた。また北派工
作からの帰還者たちも軍の機密として沈黙を強要されてきた。だが最近「陸軍諜報戦戦没将
兵追悼事業会」、「雪嶽山同志会」などが結成され、北派武装工作員らの生死確認、補償、
慰霊などを要求しはじめ、国会でも論議され始めた。そのため韓国国防部は2000年10月3
日に関係者会議を開き、北派武装工作員に対する補償の方針を決め、国軍情報司令部では
京畿道城南市に忠魂塔建立を進めている。11月2日には、ソウルの情報司令部前で生存者
70余人が初めて公開的なデモを行った。

6.軍事境界線に撒かれた枯葉剤

 ベトナム戦で米軍が「ゲリラ対策」だとして大量に散布した枯葉割によって100万人の後遺
症患者が苦しんでいる。それと同じく、わずか1グラムで2万人を殺傷するという恐るべきダイ
オキシンを主成分とする枯葉剤が、朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)一帯で大量に散布され
ていた。という驚くべき事実を報じたのは、1999年11月15日の『ソウル放送』であった。
 同放送が入手した、1968年に駐韓米軍司令部が本国の化生放(化学・生物・核兵器)司
令部に送った報告書「植物統制計画1968」(『ハンギョレ』新聞、1999年11月19日付)と
「枯葉剤散布作戦評価報告書」、96年に米陸軍省がジョン・グレン上院議員に送った関連
書簡(『東亜日報』、1999年11月19日付)などが米・韓軍によるDMZ枯葉作戦の全容を
生々しく暴露している。
 駐韓米軍司令部は1967年の初め、「対北防護作戦を遂行するために非武装地帯の草木
を効率的に除去すべきである」との見解を表明した。草木が北朝鮮からの浸透防止に邪魔
になるというのだ。それを受けてラスク米国務長官が枯葉剤の散布に同意することを要求す
る書簡を韓国の丁一権・国務総理に送った。韓国政府はもちろん同意した。そして翌68年
3月20日、「枯葉剤散布作戦を4月15日までに実施せよ」との米第8軍司令官の命令書が
下された。指針には「韓国軍の散布には、米軍事顧問団側が技術指導と支援のために立ち
合わねばならない」とあり、韓国軍第1軍の化学将絞が散布作戦を監督した。
 この時に使用された枯葉剤は、べトナムでの枯葉剤作戦の記録と、韓国での現場実験の
結果、米軍生物研究所の勧告に基づいて、「エイジェント・オレンジ」と「エイジェント・ブルー」、
「モニュロン」などに決まった。枯葉剤散布部隊は、北側哨所の監視を避けるために偽装術
と暗号を使用した。
「モニュロン」は「とうもろこし」、「エイジェント・ブルー」は「コメ」、「エイジェント・オレンジ」は
「マメ」と呼び、農作物を植える状況に偽装した。
 こうして1968年から69年にかけて駐韓米軍は韓国軍を動員して、非武装地帯の南側2
200万坪に及ぶ広大な地域に沿って、判明しただけでも2万1000ガロンの枯葉剤を散布
した。
 しかし駐韓米軍側は、枯葉剤散布に関する情報を秘密事項として韓国軍側には一切の内
容を知らせなかった。散布作戦では、米軍側は手を汚さずに「指導」「支援」するだけだった
が、「単純な除草剤の散布」だと言われた韓国側の将兵たちは、何の防護装備もなく、猛毒
性の枯葉剤に直接触れる結果となった。なかには、バケツやヘルメットに粉末の枯葉剤を受
け素手で散布した兵隊たちもいた。
 当時、京畿道東豆川の米軍キャンプ・ケーシーで医務隊炊事兵をしていたトーマス・ウルフ
氏は、99年11月15日に『ソウル放送』で証言し、解禁になった米軍の秘密報告書を提供し
た後、次のように語った(『ハンギョレ』新聞、1999年11月19日付)。「除隊して10年後に、
慢性疲労と40度近くの高熱で苦しんだ。その後、激しい痛みと消化器異常が続き、最後は
ガンが発生して脾臓を手術で取らねばならなくなった。枯葉剤が散布された地域に勤務した
ほかの退役兵たちの多くが、深刻な神経系異常などで苫しんでいると連絡してきている。」
 枯葉剤を直接に散布したわけでもなく、その近くにいただけで後遺症にさいなまれている
のだから、直接に散布作戦に参加した韓国兵の場合はいうまでもなかろう。68年7月、京
畿道揚州郡の部隊で分隊長として「米軍事顧問団の監督のもとに、4人で鉄カブトの黄色い
粉末を素手で非武装地帯で撒いた」大邸市の金某氏(54)は、除隊後、背中と脚に赤い斑
点ができ、かゆみと痛さで苦しんでいる。「3人の娘も同じような症状で苦しんでいる」と語っ
ている。
 68年6月初めに江原道揚口郡の中東部戦線で軍務についていた姜平遠氏(52、金海
市)は、「米軍兵士が車で運んでさたドラム缶に入っている液体を分隊員とともに2カ月間、
毎日散布したが、鉄カブトに入れて素手で撒く兵隊も多く、軍靴の中はいつも液体がたまっ
ていた。だが、それが枯葉剤だということを知らない兵士たちは、草刈りをしなくて済むと
喜んでいた」ともいう。
 また、69年末、非武装地帯で7回にわたって素手で枯葉剤を撒いたという呉地根氏(51、
群山市)は、「除隊後、寝たあとは顔がはれ、幻覚に悩まされている。95年以後は視力ま
で弱まり、2級視覚障害者になってしまった」と語っている(『東亜日報』、1999年11月1
9日付)。
 韓国での連日の報道について、米国防省のスポークスマンは99年11月16日、韓国側
メディアの報道を公式に認めた。同報道宮は「北からの越境侵入に対処するため、非武装
地帯の韓国側で枯葉剤を使って樹木を除去する作業を行った。
 米政府の承認の下で韓国軍が地上で強力なオレンジ剤の散布作業にあたった」と述べ
た(『朝日新聞』、1999年11月17日付)。
 また韓米年次安保協議を終えて共同記者会見をしたコーエン米国防長官は、「枯葉剤
散布は韓国政府が決定したのであり、多数の人々が訴える症状とオレンジ剤との関係を
示す決定的な証拠はない。アメリカ政府が韓国の被害将兵たちに補償する法的責務や根
拠は存在しない」と述べた(同紙1999年11月25日付)。しかし、同席していた趙成台・
韓国国防長官は、これに対して一言半句の異も唱えなかった。
 事実が示しているように、非武装地帯の南側を管轄しているのも駐韓米軍であり、また
枯葉剤を供給し散布命令を下したのも米第8軍司令官であった。その仕務を遂行したた
めの韓国側後遺症患者が50000人〜1万人と推定されているというのに、責任回避の
米軍側と沈黙を守る韓国軍当局に対する韓国民め怒りは余りにも当然といわねばなる
まい。


7.北朝鮮地域でも大量虐殺、生物兵器も使用−米、加の学者も指摘

 朝鮮戦争中の米軍による北朝鮮地域での住民虐殺や生物兵器使用こついては、すで
に朝中双方から指摘されてきたが、最近アメリカ内部からの告発が続いている。アメリカ
の朝鮮問題研究家のセリグ・ハリソン氏が、「米軍の住民虐殺は北朝鮮地域でも実行さ
れた。また米軍は北朝鮮で生物兵器を使用した」と訴えた(『ハンギョレ』新聞、1999年
11月1日付)。アメリカの対朝鮮政策に詳しい同氏は、「ノグン里事件について、米軍当
局は主に北朝鮮軍が避難民をゲリラ浸透の隠れミノにした戦争初期に起きた混乱という
側面から説明する。しかしこの悲劇でさらけ出された人間の生命軽視は、アメリカ人が長
い間アジアに対して抱き、いまだに消えていない人種差別主義の脈絡によってのみ理解
することが可能である」と指摘する。
 米第24帥団の戦争日誌によれば、(北朝鮮地域から)撤退する道の周辺の村と食糧
をことごとく破壊せよとの命令だった。米第1機甲師団の日誌も、平壌、興南、元山を焦
土化したのはこの地域が敵や残っている朝鮮人らの手に渡らないようにするためだった
と記している。別のアメリカの公式文書も、戦争の初期から、敵が潜んでいると判断すれ
ば飛行機のナパーム弾で村々を焦土化し、避難民の行列を攻撃したと証言しているとも
述べている。
 同氏は、1950年に北朝鮮地域から退却する国連軍の中にひろがった自暴自棄の雰
囲気が、組織的で無差別の破壊につながったという説に注目する。そして北朝鮮におけ
る米軍の残虐行為の一つとして、1950年12月7日に、400人の婦女子らを地下壕に
追い込み、全員を焼き殺した、西海岸の信川(黄海北道)集団虐殺について述べている。
 さらに同氏は、米軍が朝鮮と中国で生物兵器を使用した問題について次のように書い
ている。
 「98年にインデイアナ大学から出仮された『米軍と生物兵器戦争・朝鮮半島での冷戦
初期の秘密』は、アメリカの公式資料と朝鮮戦争関連の中国科学者らのインタビューを通
して、綿密にまとめられた本だ。この本は、米軍が52年の2月と3月に、感染したノミとダ
ニ、クモを北朝鮮の金化、平壌などに撒き、疫病を誘導したと明確に結論づけている。」
 セリグ・ハリソン氏が、米軍の生物兵器使用の根拠としている本は、実はカナダのヨー
ク大学でアジア史と軍事史を研究しているエンデイコツトとアッカーマンの二人の教授が、
生物戦資料を保管している米軍資料室、中国軍文書室、カナダ中央資料室などの保管
資料を共同分析・研究した結果を二人で共同出版したものであった(『時事ジャーナル』、
1999年7月29日号、ソウル)。次は、その報道の要約である。
 アメリカは、朝鮮戦争中の1950年に朝鮮、中国両政府がアメリカの生物(細菌)兵器
使用を非難する声明を発表し、国連に提訴して以来、一貫してそれを否認してきた。では
カナダの両教授がアメリカの生物戦を事実としている根拠は何か。著書では次の諸点を
指摘している。
 朝鮮戦争で生物兵器使用計画のテープを打ったのはジョージ・マーシャル米国防長官
(当時)で、1950年10月27日にバクテリア兵器開発計画を立てた。51年12月21日に
マーシャル氏の後任として赴任したロバート国防長官は、バクテリア兵器を実戦に投入
する準備をするよう督促、米空軍参謀部は、「これまで実戦に使用したことのない強力な
攻撃兵器」の開発を始めた。
 米空軍の要請を受けた研究陣と軍需企業は、コレラ、赤痢、チフスなどの伝染病と農作
物汚染を拡大するバクテリアを開発し、カナダと英国が三者協定を結んで参与した。カナ
ダはバクテリアを移す昆虫と、この昆虫を散布する方法を研究した。また心理戦用として
散布する伝単に有毒性胞子を混ぜて、一種の「噴射砲弾」に使用する計画もあった。バク
テリア兵器は1952年3月から戦闘部隊が兵站支援次元で使用されたが、核兵器と生物
兵器を同時に使用する研究も行われた。
 中国、朝鮮の科学者たちは、その地域では見られない害虫が米空軍機の航路から集中
的に発見され、それまではなかった伝染病が発生したことを指摘した。とくに中国東北部
で間歇的に発生した転染病は朝鮮半島ではずい分以前に根絶したものたった。たとえば
コレラは1912年に、ペストは1946年に根絶したと記録されている。
 1952年3月中、朝鮮との国境地帯で脳炎が流行したのもその事例の一つである。
 1949年のソ連・ハバロフスク裁判で明るみに出たように、アメリカは日本軍の満州にお
ける細菌戦部隊(731部隊)の幹部たちと資料を、戦争責任を免罪するという条件でアメ
リカの手中に入れて、生物兵器研究に合流させた。またアメリカは核兵器研究の目的で、
放射能ガスを居住地域に散布したり、浮浪者、精神病患者などにプルトニウムのような放
射能物質を注射したりする生体実験を行った。同じように生物兵器研究の目的で居住地
域、空港、地下鉄などでバクテリアを散布したり、麻薬や幻覚剤を服用させたりする生体実
験も行った。
 いまだに米政府当局は朝鮮戦争での生物兵器使用を否認している。しかしトルーマン大
統領が1953年に書き残した手紙で、「太平洋戦争が45年8月に終わっていなかったなら、
アメリカは生物・化学兵器をも使用しただろう」と述べている。これはアメリカの生物兵器開
発が朝鮮戦争以前から始まっていたことを示している。
 エンデイコツトとハッカーマンの二人の教授が下した結論は、生物兵器戦争はアメリカの
軍事戦略と切り離せない部分であり、朝鮮戦争はその実験舞台であったということである。

8.朝鮮半島情勢の急進展と駐韓米軍への影響

 朝鮮半島の南北間、朝米間、そして国際的に、歴史的な新しい動きが急進展している。
 2000年6月15日、南北分断後55年にして初めて南北の首脳が平壌での出会いを果
たした。この日、北の金正日国防委員長(労働党総書記、人民軍総司令官)は南の金大
中大統領と会談を行い、歴史的な南北共同声明を発表した。これによって、不信と対決の
南北関係には終止符が打たれ、和解と協力、民族の自主的平和統一への新しい、関係
が始まった。金大中大統領は平壌から帰った第一声で、「南北間の戦争の恐れは、もは
や無くなった」と強調した。
 6・15南北共同宣言の内容は即刻、実践に移され、南北間の閣僚会談、赤十字会談、
軍事、経済の実務協議が続き、南北離散家族の再会も続いている。分断されていた南北
間の鉄道・京義線の復元工事も始まった。その関連地帯の南側管轄権を、板門店の朝
米軍事脇議で韓国側に委譲する措置に合意した意義は大きい。シドニー・オリンピックで
は、南北の選手団が統一旗を掲げて同時入場を行った。
 一方、朝米関係も急進展を見せている。1994年の朝米基本合意以来関係改善へ向
けて動き、99年5月のペリー訪朝によるペリー・プロセスにより対朝鮮経済制裁の一部
が緩和された。そして10月9日〜12日間にわたって、金正日総書記の特使として趙明
禄・国防委員会第1副委員長(朝鮮人民軍総政治局長)が訪米してクリントン大統領と
会談した。会談では、双方は「互いに敵対的意思を持たないことを宣言し、新たな関係
を樹立するためにあらゆる努力を傾ける」という公約を確認し、経済交流と安全保障、人
道問題などについての協力を表明した。
 続いて同年10月23日〜25日に、こんどはオルブライト米国務長官が訪朝して金正
日総書記と会談、クリントン大統領の親書を手渡し、「大統領の訪朝を準備するための
訪問」であることを明らかにした。オルブライト長官は訪朝を終えるに当たって、「両国間
の関係改善が朝鮮半島と南アジアの平和と安定に貢献するとの確信を表明した。
 他方、朝鮮の対外関係でも大きな前進が続いている。金正日総書記の訪中・江沢民
主席との会談(5月)、プーチン・ロシア大統領の訪朝と金正日総書記との会談(7月)に
続き、カナダ、イタリア、オーストラリア、フィリピン、イタリア、イギリス、オランダなどとの
国交が樹立され。
 もともと駐韓米軍の存在は、「北朝鮮の脅成に備える」というのが大義名分であり、日
米ガイドライン関連法・周辺事態法などでも喧伝されたのは北朝鮮を「夕ーゲット」とした
ものであった。その北朝鮮と韓国の首脳が抱擁して敵対・不信の関係から和解と協力
の関係となり、米国も敵対的な意思を持たず、新たな友好関係を樹立すると言っている。
 つまり、北朝鮮を敵とする「条件」が無くなり、したがって駐韓米軍存続の理由、その根
拠が無くなってしまったわけである。
 こうした状況下で、クリントン大統領や金大中大統領は「南北関係が改善されても、駐
韓米軍は南北統一後も駐留すべきだ」と強調している。コーエン国防良官は、世界各地
に前方展開している米軍の駐留は、「地域を安定させ、投資に有利な環境をつくるため」
だと、米軍駐留の役割変更にまで言及している。
 これに対して米共和党のジェシー・へルムス上院外交委員長は「南北関係の改善が
進めば、アメリカ政府は駐韓米軍の撤退計画を立てなければならないだろう」と主張して
いる(『CNN放送』、2000年6つき16日のトーク番組)。またアーミーテージ前国防次
官補(ブッシュ大統領候補顧問)も、「首脳会談などで朝鮮半島情勢が改善されれば、沖
縄米軍の削減もあり得る」(2000年5月5日付『日本経済新聞』とのインタビュー)とも
述べている。
 韓国西江大学の李相禹教授らは、「南北関係が変化したので、韓国国民や政府が強
く求めれば、駐韓米軍は撤退する可能性が高い」と見ている(『月刊朝鮮』、2000年9
月号、ソウル)。
 いずれにせよ、南北間係、朝米関係の後戻りは考えられず、関係の進展に伴って駐
韓米軍の見直し、削減は必至であり、在日米軍への影響も避けられないだろう。
        
 2000年末から2001年初めにかけて、米国側は2つの重要な措置を講じた。そのひ
とつSOFAについて韓米双方は99年12月28日、@殺人・強姦など12種類の重大犯
罪については、起訴の段階で米軍人の身柄を韓国側に引き渡すことで合意した。しかし、
「軽微な犯罪」に対する裁判権の放棄、米側弁護士の同席による取り調べなどの「特例」 
を韓国側が認めた。A米側は「韓国の環境法令を尊重」し、環境管理共同指針を作成し
、2年ごとに検討して改善対策を構ずることで合意。しかし「尊重」で処罰規定もないと、
韓国側の関連周体には不満もあるが、前進だ(『ハンギョレ』新聞、2000年12月29日
付)。
 2つ目は、老斥里(ノグンリ)事件に関する99年9月以降の韓米共同調査の結果を20
01年1月11日に発表した(『東亜日報』、2001年1月13日付)。同発表では、「この事
件は撤退中の米軍により避難民多数が死傷した事件」だと公式規定し、クリントン大統
領は声明を発表、「深い遺憾の意」を表明した。記念碑の建立や奨学事業を行うとも言う
が、共同発表では「上官の発砲命令はなかった」として、公式の謝罪や補償もなかったこ
とに遺族や「ノグン里米軍良民虐殺事件対策委員会」では12日の記者会見で不満を表
明、国際司法裁判所への提訴、米政府相手の損害賠償訴訟などを行う構えを見せてい
る。