

1941年11月
| 1941年11月、日本軍機は常徳市中心部に粟、麦、綿などと共にペストノミを投下。ただち に防疫対策がとられた。約1週間後に11歳の少女が死亡。 遺体の解剖の結果、ペストと判明。早期の防疫対策のため、数人の死者を出しただけでペ ストは沈静化する。 しかし、翌年春、ペストに感染したネズミから再発。第2次感染により死者があいついだ。 |

【ペストノミの投下された開廟街で証言する聶家林さん】 【桃源県莫林郷】
| 常徳のペストは、翌年(1942年)約20キロ離れた桃源県莫林郷、石公橋にも伝播する。 桃源県莫林郷では、5月に常徳市内に猪を売りlこ行った証人がペストに感染し、家族や 見舞に訪れた人々16名が死亡。 石公橋では、10月に常徳市内からペストが伝播し、1ケ月の間に31名が死亡。常徳市 への細菌戦は、2次・3次感染も含めて、公式に記録になっているだけでも死者は100名 にのぼる。 |
日本軍資料が明らかにする常徳の細菌戦
●当時の参謀本部作戦課員・井本熊男大佐(故人)の業務日誌(防衛庁防衛
研究所図書館に所蔵されているが、現在は公開されていない)
| 11/4朝 目的方向の天候良好の報に接し97軽一キ出発(以下四字分抹消) ○五三○出発 ○六五○到着 霧深し Hを落として捜索、H800付近に層雲ありし為1000m以下にて実施す (増田少佐操縦、片方の開函不十分 洞庭湖上に函を落す アワ36kg、其後島村参謀捜索しあり 6/11 常徳付近に中毒流行(日本軍は飛行機一キにして常徳付近に散布せり、 之に触れたる者は猛毒なる中毒を起す) 11/20頃猛烈なる「ペスト」流行各戦区より衛生材料を集収しあり 判決 「命中すれば発病は確実」 (「アワ」とはペストノミのこと) |