■ 水脈(コラム) 火曜日〜土曜日 掲載
編集局の記者4人と社長を中心に、計7人が執筆するコラム。
土曜日付は、記者1人と編集局以外の社員2人が順番で書いています。
「1面トップは読まなくとも、水脈だけは読む」
という読者も見られ、
『神静民報』 の紙面で最も注目される部分。書き手には、大きな緊張感が求められます。
県西2市8町の話題が基本で、取材の裏話を書くことも多く、読み手の興味をそそるようです。
一方で、読者から 「きょうの水脈は子供の日記みたいだね」
と、厳しく指摘される場合も。
ペンネームは、火曜日(風)、水曜日(雀)、木曜日(神)、
金曜日(空)、土曜日(蒼)(星)(唯)。日曜日は、残念ながら掲載されません。
この名前には、執筆者たちの特別な思いが込められているようです。
記者4人の担当地域は……
(風)が小田原市
(雀)が足柄下郡3町
(空)が小田原市など
(蒼)が足柄上地区1市5町と なっています

水脈の題字
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日刊紙『神静民報』
モノクロ4面、朝刊のみ。1部90円。
毎週月曜と、祝日の翌日は休刊。
1部売りは小田原市立病院と、
伊豆箱根鉄道大雄山線の 小田原・大雄山駅で。
神静民報本社(小田原市久野4502)でも購入できます。
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過去に掲載された水脈を紹介します。
「戦争とイジメの話」 2006(平成18)年12月12日付
「ニイタカヤマノボレ…」の太平洋戦争開戦日から65年が経過した。8月15日の終戦記念日には、マスコミも毎年戦争特集を組んで大々的に報じるものの、12月8日の開戦記念日となるとトーンは低く、この日を思う国民はだんだん少なくなってきているようだ▼悲惨な戦争へと導いていった、真珠湾への奇襲攻撃はなぜ行われたのか、その時の国民の意識や、わが国をはじめとする各国の思惑など、まだまだ私たちが知らされていない部分は多い。当たり前のことだが、戦争体験者は毎年、その数を減らしている。一方で、親はもちろん祖父母でも戦争を知らない大人たちが増えている。必然的に開戦・終戦記念日だろうが、家庭で戦争を語り合う機会は無くなりつつあるのだ▼こうした中、「二度と戦争を起こしてはならない。戦争の恐ろしさを子供たちに伝えなくては」と、戦時下の小田原地方を記録する会の代表飯田耀子(あぎこ)さん(73)が、小田原市の小中学校で『戦時下の小田原を知ろう』をテーマに、各学校を回り講話会を開いている。飯田さんは同市浜町(当時万年町)の出身で、小学生の時に小田原で空襲による戦争体験をした▼戦後、中学校の社会科の先生を務めていた飯田さんは今、学校でのイジメや子供の自殺問題でも心を痛めている。「戦争は、人が人を殺す愚かな行為。教室での戦争体験を通して、命の大切さを子供たちに持ってもらいたい」と、話している。この特別授業は昨年からで、飯田さんは、戦時中のモンペ姿で教壇に立ち、子供たちに当時のことをやさしく語りかけている▼ところで、安倍首相は50歳を過ぎたばかり。フレッシュ(そうでもないか)なリーダーに期待したい。が、「お坊ちゃま」育ちの感は否めない。戦後の食糧難の苦労はもち論の事、戦争の影すら見ていない。北朝鮮の核脅威を前に依然として「毅然とした態度で…」の言葉を繰り返しているが大丈夫か。毅然よりも、万全の態勢で交渉に臨んでもらいたい。いつの時代も泣かされるのは国民なのだから。
(風)
「残せ左岸の農地」 2007(平成19)年1月12日付
県西地域を南北に貫く酒匂川。足柄上地区では、中井町を除く1市4町が川沿いに広がり、足柄平野を築いている。両岸には水田や畑、農業用水、二宮尊徳ゆかりの松並木など自然の景観が残り、ほとんどの場所から富士山を望む。一方、人工的な産物としてサイクリングコース、駅舎や線路、住宅街や商業・工業施設などが挙げられる▼各地域の象徴を上流の山北町から追っていくと、岩流瀬(がらせ)の堤(つつみ)、南足柄市の大口文命堤。開成町では、アジサイ群を含む水田地帯。松田町の三角土手、大井町の菜の花畑、などなど。いま、左岸の大井町金手地区には早くも黄色いじゅうたんが現れ、早春の薫りを届けている▼菜の花畑の近くでは現在、県が酒匂川第2橋の建設工事を進めている。対岸の開成町とつながる新たな橋だ。橋から延びる道路は、大井町の酒匂縦貫道や小田急線開成駅前の県道、さらには南足柄市内の県道とも結ばれる。足柄大橋、報徳橋での慢性的な交通渋滞の緩和に一役買いそうだが、事業に伴い懸案も▼大井町では将来、のどかな田園地帯を大型道路が貫くこととなる。気になるのは、周辺環境への配慮や沿道の土地利用だ。対岸の開成駅周辺は、住宅地区や商工業地区として開発が進められ、美しい水田の風景が消えつつある。開成町側の新道沿いには、今後も民家やマンションが建ち続けるだろう▼駅前開発に染まる開成町には、もはやなにも言うまい。ただ、第2橋建設の影響で大井町側に続き、尊徳の松並木が伐採されることを忘れてはならない。伐採に「待った」を掛ける声も地域から聞かれるが、事業が決定した以上、クロマツの悲痛な叫びは行政に届かないかもしれない▼だからこそ、せめて大井町では、新道沿いを農地のまま残してほしい。用水のせせらぎが聞こえ、菜の花畑や水田、松並木、富士山が一度に収まる景観は、大井の宝だ。ここに近代建築が割って入るような景色など、誰が見たいだろう。尊徳に続いた農家の土地を汚(けが)すな。
(空)
「映画熱」 2007(平成19)年1月31日付
いよいよ第2回小田原映画祭が今月23日から25日までの3日間で開かれる。近年は全国的に「まちおこし」を目的に映画祭を開催する自治体の数も少しずつ増えてきたが、全国1812市町村のうち本格的な映画祭をやっているところとなるとまだ数が限られており、地元で映画祭が開かれるというのは私のような映画ファンには本当にうれしい▼なので、一昨年の初開催では期待に胸を膨らませ、小田原の映画シーンが市民レベルで盛り上がり、大成功に終ることを願った。実際、「初回としては成功だった」という多くの声を聞き、メーンイベントでは多くの観客でにぎわった。しかし、映画の大衆性を考えると、もっと多くの動員があってもいいのではないかと思ったのも事実だ。第1回のキャッチコピーは、「小田原が映画で燃える」だった。そこに「熱」はあったか。国内外で名のある映画祭はそもそも地域における映画文化への情熱が結晶したものだ。映画への「飢え」ともいえるが、小田原にはかつて中心市街地に隆盛期は約10館もの映画館があったが消えていき、約3年前に最後の1館が閉館した。果たして、小田原市民はそれほど映画が好きなのだろうか▼第1回では、映画祭を市民が自らの手で盛り上げようと、商店街や市民団体などがプレ企画の上映会を開いた。メーンのイベントとは別の、地元住民らの自主的な取り組みこそ、地元における映画文化のバロメーターを見て取れると思い、こまめに見てまわった。参加者でいっぱいになった会場もあれば、寂しすぎる会場もあって一概には言えぬが、全体的な印象は「もう少し盛り上がってほしい」というのが正直な感想だった。ショックだったのは、街中の会場で上映された歴史的名画「第3の男」に観客がほとんどいなかったことだ。告知の問題などもあるかもしれないが、表通りは週末でにぎわっていた。映画を愛する街ではあってはならない光景だと思う。
(雀)
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