半井桃水ふれあい館

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半井桃水と樋口一葉
NPO法人対馬郷宿
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桃水館定休日 火曜日
開館時間 9:00-22:00
ただし、18:00以降の貸館が
ない場合は18:00まで。



半井桃水館
〒817-0013
長崎県対馬市厳原町
中村584番地
TEL:0920-52-2422
メールアドレス

半井桃水と樋口一葉

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桃水プロフィール | 一葉プロフィール | 「雪の日」について


半井桃水の略歴

半井 桃水(なからい とうすい)

 万延元年(1860)、長崎県対馬の府中(厳原)に生まれる。 藩主・宗(そう)家の典医の家の長男で、幼名泉太郎のちに冽(きよし、れつ)と名乗る。
 少年時代を釜山倭館で過ごし、上京して共立学舎に入学。再渡韓後、朝鮮から京城事件などの記事を送信し、帰国後、東京朝日新聞に入社。小説家・記者として活躍し、日露戦争にも記者として従軍。晩年は邦楽三昧の日々を送る。
 樋口一葉の師であり、思慕の対象であった男−。

 大正15年11月21日(1926年)歿 65歳。
 観清院謡光冽音居士 文京区本駒込・養昌寺。


桃水の人生

少年期

  • 1860(万延元年) 12月2日、対馬の府中(厳原)で生誕。対馬藩の典医であった父、半井湛四郎(なからいたんしろう)の任地釜山で少年期を過ごす。
  • 父・湛四郎が版籍奉還により典医の身分を失ったため、釜山倭館で小使役・給仕などをする。三国志・草双紙などを読みふける一方、地元の人と積極的に話して朝鮮語を身につける。

青年期(東京・京都・大阪)

  • 1875(明治8年) 上京し、尺振八(せきしんぱち)の英学塾「共立学舎」に入学。共立学舎は福沢諭吉の慶応義塾などと共に有能な人材を輩出。
  • 1878(明治11年) 三菱合資会社に勤務するが退職。比叡山で僧坊生活を体験。
  • 1879(明治12年) 小新聞「西京新聞」に入る。記者生活の第一歩を踏み出す。
  • 1880(明治13年) 「大阪魁新聞」(さきがけしんぶん)創設に際して入社。雑報記者として活躍。

青年期(再び渡韓)

  • 1881(明治14年) 「魁新聞」の廃刊、父の保証倒れによる負債のため、釜山へ。表向きは通信員だが、内実は大阪の薬種問屋の仲買業だった。
  • 同郷の米穀仲買商と現地の人との抗争(亀浦事件)に巻き込まれ、この話を弟の名を借りて記事として送信。首謀者として現地日本警察に自主、政治犯として収監される。この頃の桃水はかなり立ち入った政治活動を行っていた。
  • 1882(明治15年) 釈放後、海外特派員1号として渡韓。釜山から記事を送信。「鶏林情話 春香伝」を朝日新聞に掲載。京城(ソウル)で発生した壬午の変(兵士の反乱)の現地報道を朝日新聞に送信し、発行部数伸張に貢献。 
  • この頃、対馬士族家の成瀬元子と結婚。元子は評判の美人だったが、翌年結核で病没。

青年期(一葉との出会いと別れ)

  • 1888(明治21年) 言論統制が強まり、帰国。「東京朝日新聞」に入社。対馬から兄弟姉妹を引き取り、東京に居を構える。
  • 1891(明治24年) 小説家志望の樋口一葉と初めて出逢い、強い影響を与える。
  • 1892(明治25年) 自費出版の同人誌「武蔵野」を創刊。一葉の処女作「闇桜」を掲載する。
  • 1896(明治29年) 樋口一葉、結核のため他界。享年24歳。

壮年期(新聞記者・小説家として)

  • 1904(明治37年) 日露戦争に記者として従軍。乃木将軍の旅順攻撃に従軍、水師営の会見を特報した。
  • 1907(明治40年) 「天狗廻状」掲載。 

晩年

  • 1909(明治42年) 大浦わかと再婚。
  • 1919(大正8年) 新聞社を退社。
  • 1926(大正15年) 11月21日、敦賀の病院で他界。享年65歳。
    「背も曲がらず、色艶もよく、美しい老紳士であった」