PHOTOGRAPH LIBRALY


[Masara tea]

アベ・マリア(阿部薫)

 ぼくがマリアに「フーゲツ」で会ってそのニックネームを進呈した時、彼は19歳位でまだアルト・サックスをもって伝説的な音を、吹き出す前だった。童顔のまだこの世の汚れなど知らないような少年だった。コルトレ-ンやオーネット、アーチィ・シップ等は「DIG」にも通っていたボクの方がよく知っていたと思う。まさか、この数年後にフリー・ジャズで血を吐くような表現者になろうとは、全く気付かなかった。

ハングラ

 まさかハングラの写真が手に入るとは思ってもいなかった。このスナップを手に入れたとき懐かしい思いよりも、ハングラの顔をほとんど忘れかけていたことにがく然とした。見よ! 車に轢かれて亡くなってもはや30年以上。それでも、写真の彼方からハングラは、ぼくらにあいさつをしている! 「よう!」

ゲーリー・スナイダー(後ろはナナオ,1991)

ナナオ(於 「たまりば」1996)

 ポン(於 高山,1990)

サンセイ(三省)(於 屋久島,1988)

ジャン中村

(1998.4.17国分寺「ギャラリー・いんふらま」ジャン中村水彩画展最終日)

おおえ・まさのり

(レイヴ・パーティーであるイクイノックスで再会する。88いのちのまつりの実行委員長であった。1999.9/24)

ガリバー  ダダかん

トイレット(写真)渡辺 克己「新宿」

J・A・シーザー

チャー坊

京都を中心に活躍していた「村八分」(日本最初のヴィジュアル系バンド)は、上京の度にフーゲツに顔をだしていた(右:チャー坊/左:山口富士夫)

フーゲツのJun

このWebページの支配人「フーゲツのジュン」の18歳当時の顔写真であります。東伏見ラブ・ヴィレッジ・コンミューンに住み毎日のように『風月堂』に通っていた頃です。


[Milk tea]

美鈴「平凡パンチ」1969年12月8日号 (写真)長濱 治

マミベルベ

ワコ 

ネコ(写真)篠山 紀信「nude」(1970.2)

 


[No Order]

ヴィレッジ・ヴァンガード

  LSD

イルミナシオン

 このような、30年の時をへだてた写真を見ると、こみあげてくる思いとともに、若さというものは取り返しのつかないものだという悔恨がある。時間は戻らないし、時がたつのはどうしょうもないものなのだが、60年代は、連続射撃魔永山則夫が代表するだろう暗さ(闇)とともに、ビートルズが代表する輝き(光)という相反する2面性に充ちていたと思う。このような時代が背負った2面性――光と闇は、その時代を生きた者、とりわけその時代に多感な青春期を過ごした者にとっては一生涯つきまとうだろう消え去った夢のようなものである。いやいや、絶望することはない。実は、60年代は今も生きている。巷間にあふれるファッションを見よ! ロックに流れるスピリットは、ほとんど60年代と変わっていない。まるで若者の特権のように思われているバックパッカーという旅のスタイルは、ビートニックがヒッピィが生み出したものであった。アートシーンに至っては、コンテンポラリーといわれるものは、60年代に製作されたものかとみまがう作品ばかりだし、映画は1年に平均1本ほどの60年代を、背景にした作品が製作されている。この90年代の終わり、20世紀の世紀末の現代においてもその中味は60年代じゃないのかと言いたくなる程なのである。(Mar.5/1998記)

上高地(1998)スカラ座

カチューシャ(1998)

 「カチューシャ」は、長年のファンの要望厚く週末の木、金、土のみ復活営業をしておりかっての青年、女学生がつどい青春を謳歌(?)している。漆喰の白い壁、黒ずんだ丸太の柱。1955年開店当時のままの建物は、重厚ささえ感じられるそれ自体歴史的建造物となっている。新宿には、1998年現在も場所を変え「ともしび」そして「家路」という歌声喫茶がちゃんと営業しているのである。一度はあなたも50年代、60年代の新宿を感じに行ってみたらいかが…。

思い出横丁(西口大ガード脇)