道徳/高学年
一心に自分の仕事を貫く
花火師嘉瀬誠次さん、夜空にかける願い
TOSS SANJO TOSS長岡 近藤滋子
2002年10月につくった道徳の授業です。新潟県長岡市の花火師、嘉瀬誠次さん。お話を聞かせていただき何としても子どもたちに嘉瀬さんの辿ってきた花火師としての生き方を伝えたいと考えました。授業ができたとき、嘉瀬さんのお宅で奥様と一緒にパワーポイントでつくった授業をみていただきました。お二人は大変喜んでくださいました。
同じサークルの山田博之氏には画像についてたくさん協力してもらいました。
山田博之氏の授業はこちら→
| 発問1:これは何の様子を表したているのでしょうか。(長岡が焦土と化した絵を提示) |
説明1:長岡空襲で爆弾が落とされた長岡の町の様子です。今から50年以上前、みなさんのおじいちゃん やおばあちゃんが小学生の頃、戦争がありました。1945年8月1日夜、新潟県長岡市に100分間 に渡って10万発以上の爆弾が落とされました。1分間に1000発以上の爆弾が空から落とされ続け たのです。 (爆弾の数を提示) この100分間に多くの人が亡くなり、家族を失いました。死者の数は1,461人です。 (死者の数を提示) |
| 発問2:爆弾には何がつまっているのでしょうか。ノートに書いてみましょう。 |
火薬。
説明3:花火の玉です。花火も「火薬」を使っています。(花火の玉と花火の画像提示) 花火の中には、地上600m、直径650mもの花を咲かせる花火もあります。(三尺玉の花火を提示) |
| 説明4:三尺玉といいます。(「三尺玉」言葉の提示) |
| 発問5:三尺玉という花火の玉は、直径がどのくらいでしょうか。1尺は、約30.3cmです。三尺を手で表してみましょう。 |
三尺を手で表す。
| 説明5:三尺玉は、直径が90cm、重さが約300kgの花火の玉です。(三尺玉の説明の画像)三尺玉1発で、約100万円かかります。 |
| 説明6:これほどの大きな花火を作ることのできる人はそんなにはいません。そんな花火を60年間作り続け、打ち上げ続けてきた人がいるのです。(嘉瀬さんの画像提示) |
| 説明7:新潟県長岡の花火師、嘉瀬誠次さんです。現在85歳です。(提示した写真に名前を入れる。) |
| 説明8:嘉瀬さんの歩みを紹介します。(嘉瀬さんのあゆみを提示)地元の長岡祭りでは、毎年三尺玉をはじめ、多くの花火をあげています。世界で初めて三尺五寸玉を成功させました。嘉瀬さんは外国でも25回も花火をあげたことがあります。オリンピックの閉会式でも花火をあげたことがあります。ロシアにも花火をあげに行きました。阪神淡路大震災でつらい思いをしている人を励ますために、神戸で1,000発の花火をあげたこともあるのです。も |
| 説明9:1988年、今から17年前。身体障害者スポーツ大会新潟県予選の開会式で、大会運営係の人から、嘉瀬さんは花火を打ち上げてほしいと頼まれました。運営係の人は、開会式に花火を打ち上げ、参加者の闘志をかきたて、雰囲気を盛り上げようとしたのです。 |
| 発問7:大会運営係の人は、嘉瀬産に花火の値段を聞きました。嘉瀬さんは何と答えたでしょうか。 |
| 説明10:嘉瀬さんは「無料でやりましょう。」と答えました。(言葉を提示)つまり、ただです。運営係の人は、それではあまりにも申し訳ないので、「嘉瀬さんが花火をあげてくださったことだけでも、是非、アナウンスさせてください。」とお願いをしました。 |
| 発問8:嘉瀬さんはそれも断りました。嘉瀬さんは何といって断ったのでしょうか。ノートに書いてみましょう。 |
説明11:嘉瀬さんはこう答えたのです。(「それでは大会が)よごれます」の言葉を提示。)嘉瀬さんは大会に 自分の名前を入れてほしいのではなく、だた、参加選手に元気よく頑張ってほしいと、それだけだとおっしゃいます。(言葉を提示)このことは、ある方が新聞に投書して初めて当時のことが明らかになったのでした。 |
| 説明12:嘉瀬さんは、21歳から26歳まで5年間戦争に行きました。日本とは比べものにならない厳しい寒さの中、たくさんの人たちと3年間捕虜として、ロシアのシベリアで過ごしました。 |
| 発問9:嘉瀬さんは、シベリアでそんな生活を送ったと思いますか。食べ物は十分だったのでしょうか。考えてみましょう。 |
| 発問13:嘉瀬さんは来る日も来る日も豆が十数粒入ったスープ。三日に一度の黒パン1きれ。冬は気温がマイナス41度の厳しい寒さの中での森の奥の木の切り出し。夏は気温が38度の暑さの中での長時間の重労働。そういう3年間を過ごしてきました。(捕虜生活の画像)嘉瀬さんの目の前で、多くの仲間が日に日にやせ細り、亡くなっていったのです。(シベリアでの生活を上演した画像)シベリアで亡くなった人の数は6万人とも7万人とも、それ以上とも言われています。(死者の数を画像に示す) |
| 説明14:1990年、今から12年前。嘉瀬さんは50年ぶりにシベリアを訪れました。自分が捕虜となって過ごしたシベリアの地、ロシア、ハバロフスクのアムール川で花火大会を開いたのです。(地図を提示)そして、「白菊」という花火を100発打ち上げました。(白菊の花火の画像提示) |
| 発問10:嘉瀬さんは何のために「白菊」という花火を打ち上げたのでしょうか。(発問を提示)ノートに書きましょう。 |
| 説明15:嘉瀬さんは、次のように話しています。「ふるさと日本に生きて帰ることができなかった、シベリアで亡くなった人々の魂をなぐさめるため。」(言葉を提示)読んでみましょう。 |
| 説明16:アムール川に集まった30万人のロシアの人々は、嘉瀬さんの戦友を思う心を知って、「白菊」を「ハラショー、ハラショー」と叫び続けながら見ていたそうです。また、その時の思いを嘉瀬さんは、次のようにも述べています。「花火を上げたことは、亡くなった人に花一輪そなえることと同じこと、人間として当たり前のこと。そして、運良く生きた自分のつとめなのです。」(言葉を提示)みんなで読んでみましょう。 |
| 発問11:嘉瀬さんは「すべての( )何かを花火に替えて」と言っています。何かとはいったい何でしょうか。( )に入るものをノートに書きましょう。 |
| 指示1:「爆弾」が入ります。みんなで読んでみましょう。「すべての爆弾を花火に替えて」 |
| 発問12:嘉瀬さんは、「すべての爆弾を花火に替えて」この言葉に続けて、そして、「こんな世の中にしたい」とおっしゃっています。嘉瀬さんは、どんな世の中にしたいと願っているのでしょうか。( )の中に入る言葉を考えてノートに書きましょう。 |
| 説明17:「平和な」が入ります。「二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしい。破壊のために使った火薬を、人が楽しむために使う。ふだんの心配事や不安がすべて忘れられるような花火を上げたい。」(言葉を提示)嘉瀬さんはそう思ってやってきました。(3枚の花火の画像を提示)戦争のあと、長岡の人々が再び立ち上がる元気と勇気を花火で与え続けた嘉瀬誠次さん。60年間の花火師としての日々。嘉瀬さんは今年(2002年)引退をしました。(嘉瀬さんと奥様の写真を提示)アメリカ、シアトルの新聞でも、引退は大きく報じられました。(シアトルの英字新聞提示) |
| 指示2:今日、嘉瀬さんの花火師としての人生を知って、思ったことをノートに書きましょう。 |
※2002年に作成した授業なので、授業をする場合は何年前や嘉瀬さんの年齢のところは変えてください。
授業資料(パワーポイントで作成)必要な方はこちらをクリック
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